ヨーロッパ滞在顛末 16
接見 27/11/01
ぼくは慌てた。初めて生身の人間が電話に出たのだ(って、そのために電話をかけてたはずなのだけど)。 部屋に戻ってからぼくはケルンの地図を広げて、今日電話に出てくれた彼女の住所を確かめた。Lohnskotter Weg……と。これか。うわ。もう北の市境に近いな、こりゃ。もうここから先はすぐ森になっちゃうじゃないの。どんなところだ、一体… 翌日、6月5日、火曜日。ぼくは語学学校を休んで、それまで全然乗ったことのない路線の市電に乗って、ライン右岸のケルン市北端を目指した。まずラインを渡ること自体が、ぼくには珍しかった。 目指す駅の手前から再び閑静な住宅地が広がってきた。あぁよかった。別に野中の一軒家という訳ではなかったんだ。 地図に従って指定の住所の家に辿り着き、入口でKさんの部屋の呼び鈴を押す。ドアの鍵が解錠されたので、中に入って階段を登っていくと、3階で小柄なショートカットの女性がドアを開けて待っていた。 部屋はこの建物の最上階、いわゆる Dachgeschoss(屋階)にあって、窓側の天井は屋根のラインに沿って斜めになっている。居間のソファに落ち着いて、コーヒーを飲みながらひとしきり出身やドイツに来た時期や今までの境遇とかについて少し話した。しょっちゅう聞き直されるし、こちらも向こうが喋ることを全部は解らないけども、何とか辛うじて意志疎通した。 「じゃあ部屋の中を見て下さい。まずこちらが台所」彼女に導かれて台所の方へ行く。電熱プレートが三つ、それとオーブントースター、冷蔵庫。食器棚は小振りのものが二つある。 「どうですか?」「うん、すばらしいです。窓からの景色も綺麗だし。気に入りました」率直に感想を云ったら彼女は少し笑った。気に入った、てのは変だったかな? 「そうね、そこから先は森だから、景色はいいわね。200メートルも歩けばもう森に入れるんです。夏はよく散歩に行きます」 何だか見れば見るほどこの部屋が魅力的なものに思えてきた。いずれにせよもう半ば決めるつもりで出てきたので、ここを気に入ることができてぼくは幸せだった。 「他に何か訊きたいことは?」うーん、家具はどうなるんですか?「家具は自由に使っていいです。この洋服ダンスと、ソファ、テーブル、机、冷蔵庫、食器棚。テレビとステレオは持っていきたいんだけど、いい?」もちろんOKです。あとコンピュータを電話に繋ぎたいんですけど、電話は?「電話はこの回線をそのまま使って下さい。使用料は月々払ってね」はい。ちょっと電話線のコネクタを見てもいいですか?「どうぞ、こっちです」コネクタは日本で買ってきたモジュラのアダプタをつければよい形のものだった。 ぼくは云った。「何も問題ないです。完璧です。ここを借りたいのですが」 ともあれ来週また会って本契約をすることを決めて、ぼくは弾む気持ちで新居になるはずの部屋を後にした。 |
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