ヨーロッパ滞在顛末 17


契約 14/01/02

今度ぼくが部屋を借りることになったトルコ人のKさんは、彼女自身階下に住むドイツ人老夫婦Sさんの間借り人だった。つまりこれは、部屋の又貸し Untermiete ということになる。日本ではあまり聞かないような気がするが、ドイツだとけっこうやられているのかな? いずれにせよ、正当な契約が成されるのであればぼくは何でも構わない。契約のためには大家さんであるSさん立ち会いのもとに書類を交わす必要があるらしい。

6月14日、木曜日。まず午前の11時に、この前お邪魔したKさんの部屋に入って、コーヒーをもらう。大家さんとの約束の時間にはまだ少し間がある。「タバコ、吸う?」あ、いただきます、どうも。

「あのね」と彼女は、少し、いやだいぶ堅くなっているぼくを見て云った。「私と話すときはズィー Sie でなくて、ドゥー du にして?(注:まぁ日本語で云う「あなた/きみ」みたいなもんです。もちろん日本語での区別とはちょっと違いますけど)呼ぶのも Frau K じゃなくて、ハニム、でいいよ」思えば彼女はこの前からすでにぼくに向かっては「ドゥー」で話していたのかもしれない。
「うん、わかった。ありがとう。じゃあぼくのことも、ガクジと呼べばいいよ」ぼくは紙に名前の綴りを書いた。「ガクイィ?」「ちがう、ガクジ」ドイツ語だとjはヤ行の子音になってしまうのだ。

それからぼくはハニムに、どれくらいドイツにいるのか、何をやって暮らしているのかなどを訊いた。彼女はドイツでの暮らしは4年半になるらしい。仕事はなんと指物の職人だそうだ。道理で何だか男勝りな感じがするわけだ… 「自分の仕事は気に入ってるよ。ここにある棚やあの机は自分で作ったんだよ」

ここで暮らす上でのことについていろいろ話し合った後、「それと」と彼女は云った。「ここに住んでる人達はみんな年寄りなの。だから友達を集めて騒いだりしちゃだめよ。うるさく云ってくるからね」…云われたんだね、きっと。
「じゃあそろそろ下に行こうか」ぼくらはソファから立ち上がった。

ハニムは地階にある、大家のSさんの書斎のドアをノックした。「どうぞ」と声があったので、ぼくも彼女の後ろについて部屋に入った。
Sさんはいかにもドイツの老紳士といった感じの、大柄で恰幅のいい人だった。彼は握手の後、ぼくらを書き物机の前の椅子に促した。「私は英語も少しは分かりますから、英語で話してくれてもいいですよ」と云ってくれた。 …ぼくは英語も心許ないんですけど。

しばらくSさんとハニムが今回の又貸しについて話した。又貸し自体については何も問題ないようだったが、賃貸料をぼくがSさんに直接払うのか、それともあくまでぼくはハニムに払い、彼女からSさんに払うのか、で少しもめているみたいだった。もとよりぼくはどちらでも構わない。額が変わるのなら話は別だけど。
結局、ハニムを通して払うことに落ち着いた。なぜ彼女がそれに拘るのかぼくにはよく判らなかったが、(もしかしてマージンでも取るつもりなのかなと最初勘繰ったけれど、別にそうではなかった。)まぁそれが本来の形なのだし、ぼくはそのまま了解した。

それから地階の洗濯室を見せてもらった。ここの洗濯機を月に4日間使わせてもらえるらしい。「使い方を今度の私の洗濯日に教えるから、また来なよ」とハニムが云った。

書類にS夫妻とハニム、ぼくがサインし、めでたく7月1日からここの部屋を借りられることになった。これでやっと安心できる。やれやれ。

契約を済ませて、またハニムの部屋まで上ってくると、「ふぅ〜」と彼女はソファに腰掛けながら、首を振り振り深い息を洩らした。どうも彼女はSさんが苦手らしい。ぼくには、ニコニコして感じのいい人に見えるけどなぁ。

「あとは何かあるの?」ぼくが訊くと、彼女は家屋の損害保険のファイルを見せて、ぼくが住む間の分を払ってもらわないといけないと云った。そして電話代は、今彼女は銀行の口座からの自動引き落としで払っているので、それをやめて、月々の請求書が直接ドイツテレコムから送られてくるようにすると云った。「今からドイツテレコムに行くけど、時間あるなら行く?」いいよ、とぼくは云った。

市街に少し近い、ヴィーン広場 Wiener Platz まで出て、ドイツテレコムで手続をしたあと、広場のオープン・カフェでお茶を飲んで彼女と別れた。

* * *

ぼくはそれからも洗濯の仕方を教わったり、何やかやの引き継ぎの用事で数回彼女と会い、6月30日の朝に、寮の部屋から新しい部屋へとタクシーで荷物を運び込んだ。


とまぁ、だいぶ話は簡略化されてますが、こんな感じで今住んでいる部屋に落ち着きました。まだ今の時点で半年しか経っていないけれど、何だか遠い彼方の出来事のようです。ここからあとの出来事は、ここに特記するほどのことでもないと思うので、思い出しては「日々の雑記帳」にでも書くと思います。取りあえずこのコーナーはこれでおしまい。お付き合いありがとうございました。

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