ヨーロッパ滞在顛末 10


お家がだんだん近くなる(4月23日〜25日) 23/05/01

明けて4月23日、月曜日。
今日はさっそく授業料を納めに行こうとC語学学校を再訪。しかし例のチーフH女史は今日はもう帰ったか休みかで、いなかった。彼女でないと話は通らないらしい。空振り。

何もしないで「貴重な平日」を一つ潰すわけにはいかない。何かせねばと思い、市庁舎に行く。
守衛に話しかけると、英語は聞いてくれない。でもとにかく、役人のいる事務室まで連れて行ってくれた。

役人のデスクの前の椅子に促された。ビザが欲しいんですがと訴えると、役人は方々に電話をかけて調べてくれた。電話の会話の端々に、単語の切れ端が聞き取れる。「... junge Japaner ...... Englisch ...... fragmentarisch ...」ム、日本人で英語が話せるみたいだけど断片的だ、みたいな説明をしてるんだな、と思う。少し悲しいけど、本当のことだから仕方がない。一般的にこちらの人は、「読めるけど話せない」という状態は理解しにくいと見えて、こちらが聞き取りが出来ないと見るや、ドイツ語については何も解らないものと思い込むようだ。
(後日記:ちなみに「junge Japaner」という形は、直前に定冠詞 der がなければ誤りですね。この場合正しくは「ein junger Japaner」のはず)

ともあれBezirksratという区役所のようなものがあって、そこの何号室に何時に行くと誰々がいるはずだから行ってみなさいと紙に書いて教えてくれた。地図のコピーをくれた後、一緒に外に出て、そこを入って行って云々と道案内までしてくれた。ドイツの役人は親切なところはすごく親切なんだなぁと感心する。もっとも、この界隈のインネンシュタット地区Stadtbezirk Innenstadtに住むとはまだ決まっていないわけで、場合によっては違うBezirksratに行く必要があるのだろうけど。

翌日の火曜に、ようやくH女史に会って授業料を渡す。ビザのための入学証明書が必要かと訊くので、もちろん、と頷くと、よく解らないが、コンピュータが今動かないから明日にならないと証明書が渡せないというようなことを彼女は云った。…まぁいいか。

それから、ぼくが付属の寮に入りたいのだがと申し出ると、彼女は何件か電話をかけ、返事がかかってくるのを待って受けた後で、住所を紙に書いて、「C語学学校から来たと云えばいいから、今からここに行きなさい」と云う。地図で調べてみると、地下鉄で10分くらいの場所だ。何だか解らないが、とにかく行ってみよう。

行ってみると、ローワン・アトキンソンにちょっと似た顔立ちの管理人が迎えてくれた。見たところ、この建物は学生寮みたいなもののようだ。運営母体はカトリック系の徒弟組合らしい。徒弟組合……何だそれ。
解らないことだらけだったが、とにかくぼくは早くホテル暮らしに終止符を打ちたかったので、まずは1ヶ月このK寮に滞在することを決めた。来週の月曜に入寮できるということだった。

25日、水曜日。ついに外国人登録のための通学証明書*をもらう。あとは住居申請書にK寮の管理人のサインをもらい、役所に届けて、引き続いて外国人登録をすればよいらしい。昼食後に再びK寮に赴くと、あいにく管理人はもう帰ってしまっていた。まだ昼の3時なんだけど……まぁドイツというのは、そういう国なのだろう。明日また来ます、と守衛に告げてホテルに帰ってきた。

明日は絶対ビザを取ってやるぞ、と意気込んで就寝。

*Bescheinigung zur Vorlage bei der Auslaenderbehoerde

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