熊野古道 海南1
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松阪王子~汐見峠~松代王子~祓戸王子

<松阪王子>

松阪王子は、奈久智王子跡を過ぎ、多田、旦来地区の水田地区を抜けて行く。松坂王子
奈久智王子跡から、この松坂王子跡までは、道が狭く危険である。
まわりの建物は、往事の景色を留める旧家が多い。
ただし、それらの旧家が連なっていればいいのだが、所々に近代建築があり、統一した景色にはなっていない。
和歌山や海南の古道を歩いていつも思うのが、どうも景色が殺伐としすぎている、ということである。松坂王子
現在の王子跡として、海南から和歌山に抜ける車道(県道 秋月海南線)の右側に庚申塚があるが、記録では王子跡に庚申塚を移したとある。

歴史的には、寛文のころ、すでに八幡神社の末社として退転し、江戸時代には和歌山城下から紀三井寺、内原、黒江のルートができたのでその地位も衰退していったのであろう。




<汐見峠>

松阪王子跡から松代王子までは、峠を一つ越える。
当日は、朝から晴れていたのに天気予報通り雨が降ってきた。
いつの時代にも、峠というのはもの悲しいようなそれでいて希望を抱かせるような、そんな感じがする。
往時に、ここを歩いた人は雄の山峠を越え、いよいよ紀州の海岸を見たときはうれしかったであろう。

これは予想だが、峠は今よりもかなり高い位置に道があったのではなかろうか。
現在の道は確かに建造物は増えて見にくくなっているが、この高さからだと海は見えないのではなかろうか。
今よりもかなり海が近かったのか。


汐見峠
(汐見峠から海南市街を見る)
汐見峠
(峠にある呼び上げ地蔵の祠
汐見峠
(汐見峠の案内看板)
<松代王子>

松代王子は、松坂王子から県道を海南方面に進み、クモ池を過ぎ民家が多くなった県松代王子道脇の、春日神社参道登り口から約100mほどいったところの左側にある。
緑泥岩で作られた王子碑は、稲荷神社と並んで祀られている。
祠は、最近立て直されてきれいになっている。
その分隣のお稲荷さんはいささか寂しい。

何年かぶりに春日神社を訪れると、神社前の景色が変わっていて、王子社が移設されていた。
以前訪れたときには右の写真3枚をページにしていた。
以前の社や案内板はどうしたのだろうか。
今の王子社はあまりに素っ気なくぽつねんと浮き上がったように建っている。せっかく移設するのであればもっとほかに方法があったのではないかと、少し複雑な気持ちになった。
写真右が今の王子社で左は以前の社である。


春日神社

春日山の春日神社は、山の頂上にあるが、元来は両者別々で、後に春日神社に合祀されたという。
その春日神社は、昔の神社の建築様式で、かなり古い建物である。
8月は風鈴祭りで賑わう。
10月10日は例祭で、何年かに亘る祭りの写真が掲げられている。
少し手入れが悪いが、往事のにぎやかだった面影を残すいい神社である。

地元の新聞で、春日神社で雅楽の奉納があると知り行った。
地元の方々の邦楽を演奏する時にはあまり観客もなかったが、やはり雅楽演奏の頃にはたくさんの人が見学に来ていた。司会者が、
「和歌山でこのような雅楽を見ることが出来るのは、この神社だけです」と説明してくれた。
じつは、この雅楽は昨年奈良の春日大社で見たもので、演奏するメンバーも数こそ少ないが、同じ人たちであった。
地方でこうした本物の伝統芸能を見えるということはうれしい。
来年(2008年)も5月の第2日曜に開催するという。


蘭陵王 (雅楽)

この曲の由来となった伝説によると、高長恭はわずか五百騎で敵の大軍を破り洛陽を包囲するほどの名将であったが、「音容兼美」と言われるほど美しい声と優れた美貌であったため、兵達が見惚れて士気が上がらず、敵に侮られるのを恐れ、必ず獰猛な仮面をかぶって出陣したと言うもの。

松代王子 松代王子
(なんとなく怖い
松代王子
松代王子
(地元の人々の邦楽演奏)
松代王子
(本格的なお茶が振る舞われていた)
松代王子 松代王子
(奈良は春日大社の雅楽) 
松代王子 松代王子 松代王子

<祓戸王子>

祓戸王子は、「日限さん」(日限地蔵)右隣の「如来寺」境内にある。祓戸王子
墓地への坂をあがり、頂上近く右手の、灌木林の中にある。一名鳥居王子ともいい、明治42年5月に藤白神社に合祀されている。碑へは如来寺からあがったが、碑の場所を探すのに一苦労した。
祓戸王子
やっと探し当てた碑の場所は、昼でも薄暗く、木漏れ日が碑を照らし神秘的である。
参道には、様々な形の石仏が立ち並び、薄暗さも相まって一種独特な雰囲気を醸し出している。こんなところに王子があったとはとても考えられないのだが、本来の道筋はここであったのかも知れない。
夏にいった折りは、蚊がすごく、半ズボンの足はあちこちかまれて、かゆくてかゆくてたまらなかった。
次にいったときは雨であった。

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