|
||||||||||||||||||||||||||||||
松阪王子~汐見峠~松代王子~祓戸王子 | ||||||||||||||||||||||||||||||
<松阪王子> 松阪王子は、奈久智王子跡を過ぎ、多田、旦来地区の水田地区を抜けて行く。 奈久智王子跡から、この松坂王子跡までは、道が狭く危険である。 まわりの建物は、往事の景色を留める旧家が多い。 ただし、それらの旧家が連なっていればいいのだが、所々に近代建築があり、統一した景色にはなっていない。 和歌山や海南の古道を歩いていつも思うのが、どうも景色が殺伐としすぎている、ということである。 現在の王子跡として、海南から和歌山に抜ける車道(県道 秋月海南線)の右側に庚申塚があるが、記録では王子跡に庚申塚を移したとある。 歴史的には、寛文のころ、すでに八幡神社の末社として退転し、江戸時代には和歌山城下から紀三井寺、内原、黒江のルートができたのでその地位も衰退していったのであろう。 <汐見峠> 松阪王子跡から松代王子までは、峠を一つ越える。 当日は、朝から晴れていたのに天気予報通り雨が降ってきた。 いつの時代にも、峠というのはもの悲しいようなそれでいて希望を抱かせるような、そんな感じがする。 往時に、ここを歩いた人は雄の山峠を越え、いよいよ紀州の海岸を見たときはうれしかったであろう。 これは予想だが、峠は今よりもかなり高い位置に道があったのではなかろうか。 現在の道は確かに建造物は増えて見にくくなっているが、この高さからだと海は見えないのではなかろうか。 今よりもかなり海が近かったのか。
▲ページトップに戻る
|