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海・・・危険いっぱいだけど海を行くのは文句なしに楽しい!
海を行く楽しさは川の流れに任せて漕ぐのとまた違ったあも白さがある。 |
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海をカヌーで行くときはいつも緊張する。 川は沈をしても流れて岸にたどり着けばいいが、海はそうはいかない。 ひっくりかえれば自分で立ち上がらなければならない。 また、潮流が思いのほか早い場合はいくら漕いでも前に進まない。 急に波が荒くなり岸にたどり着くのもやっとというときもある。 海を漕いでいて怖いのは,大型船が近づいたときである。 木の葉のようなカヌーからみると、万トンクラスの船はゴジラをみるようである。 その船が走行する際に起こる波は尋常ではなく、そのよせ波をクリアするときは緊張する。 波の角度と直角にする必要があり、竿を出しているときには特にあわてる。 しかしなんといっても腹が立つのは、プレジャーボートで、こちらがひっくり返るのを楽しみにするように、近くを猛スピードで走り抜けていく。大騒ぎで体制を立て直し波をやり過ごす。 漁船はスピードを落としてくれる。 海を漕いでわかったのだが、やはり日本人の祖先は東南アジアあたりからたくさんきているということが実感できる。 条件さえそろえば、南から日本へはきわめて簡単に渡来することができるという確信をもてる。 ある本を読んでいて、「カヌー」という言葉が、古今東西若干発音が違っても「カヌー」であるということをはじめて知った。 カヌーイストの内田正洋さんが書いていた。 そのなかで、カヌーという言葉が書かれている一番古い文献が、なんと日本の文献にあるという。 そしてその文献が、古事記や日本書紀であるというからまたびっくり。 その中に何度か舟をカヌーと書いたところが出てくるというのでさっそく探した。 見つけにくかったが、あった。仁徳天皇の項の六番、枯野という舟。 この御世に,免寸川の西に一つの高樹ありき。その樹の影、旦日(あさひ)に當れば,淡道島(あわぢ)に逮び(および)、夕日に當れば高安山(大阪府河内)を越えき。 故、この樹を切りて船を作りしに、甚捷く(いとはやく)行く船なりき。 時にその船を號けて(なずけて)枯野と謂ひき。 故、この船をもちて旦夕(あさゆう)淡道島の寒泉(しみず)を酌みて大御水獻りき。・・・ とある。 文中の「枯野」が「カノー」である。 天皇のための飲料水「大御水」を淡路島までカヌーで汲みに行ったのである。 「いとはやく」というところがにくい。 カヌーは速いから淡路島へはすぐにつく。 これを書きながら、言葉が同じということは、やはり当時もダイナミックに交流をしており、国を超えてカヌーで行き来していたのを再確認した。カヌーであちこちしていたのは、我が串本の弥生時代の集落の笠島遺跡からも丸太切り出しのカヌーが出土したことでもわかる。 カヌーの記述はまだあるらしいので、記紀をもう一度調べてみたい。 ちなみにコロンブスがカリブ海アラワク諸島に停泊した折、現地の船に囲まれたが、その現地の舟が「カノー」と呼ばれていたそうで、それをコロンブスが日記に書き、それが西洋における最初の記述になる。 スペイン語ではCANOA、フランス語はCANOT、オランダ語ではKANO、でカヌーよりカノ-に近い発音である。 英語CANOEとドイツ語のKANUが、今のカヌーになったようだ。古事記などはコロンブスをさかのぼること800年だからすごいことである。 |
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