樋口一葉 ひぐち・いちよう(1872—1896)


 

本名=樋口奈津(ひぐち・なつ)
明治5年3月25日(新暦5月2日)—明治29年11月23日 
享年24歳(智相院釈妙葉信女)❖一葉忌 
東京都杉並区永福1丁目8–1 築地本願寺別院和田堀廟所(浄土真宗)



小説家。東京府生。青海学校高等科第四級卒。明治19年中島歌子の門に入り、歌や古典を学ぶ。のち半井桃水を知り、小説を学ぶ。26年『雪の日』、28年『ゆく雲』を発表して知られるようになった。その後も生活に苦しみながら、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などを発表した。






 

 我に風月のおもひ有や、いなやをしらず、塵の世をすてゝ深山にはしらんこゝろあるにもあらず、さるを厭世家とゆびさす人あり、そは何のゆゑならん、はかなき草紙にすみつけて世に出せば、常代の秀逸など有ふれたる言の葉をならべて明日はそしらん口の端に、うやうやしきほめ詞などああ侘びしからずや、かゝる界に身を置きてあけくれに見る人の一人も友といへるなく我れをしるもの空しきをおもへば、あやしう一人この世に生れし心地ぞする、我れは女なり、いかにおもへることありともそは世に行ふべき事かあらぬか。
                      
(『水の上日記』二十九年二月二十日)

 



 

 長兄や父が亡くなったことから、やむなく母と妹三人の一家の戸主となった。のちに代表作『たけくらべ』の舞台となった吉原遊郭に近い下谷竜泉寺町で、荒物や駄菓子を売る雑貨屋を営んだこともあったが、素人商い故に長くは続かなかった。貧乏と辛苦に満ちた勝ち気で誇り高い24年の短い生涯、その最後の2年半余りを過ごしたのは、本郷丸山福山町崖下の家賃月三円の借家であった。
 明治29年春頃から肺結核の自覚症状があらわれ、7月には高熱がつづいた。夏が過ぎ、秋がきた。11月23日、とうとう〈一葉の物語〉は生涯の終わりに追いついてしまった。通夜には斎藤緑雨・川上眉山・戸川秋骨等があつまったが、25日の葬儀会葬者はわずか十数名であったという。



 

 一葉の作家生活はわずか14か月ばかりだった。明治27年12月から29年1月まで『大つごもり』や『たけくらべ』、『ゆく雲』、『にごりえ』、『十三夜』などの作品を矢継ぎ早に発表して「奇跡の14か月」と呼ばれている。
 明治大学和泉校舎の隣にある築地本願寺別院和田堀廟所、桜並木の道を左に入りすぐ右折れした6番目にあった一葉の墓は、こぎれいに掃除された竹組囲いの敷地(いまは竹組囲いも無くなりに外柵石が巡らされている)に「先祖代々之墓」と刻されてある。その目立たない碑の右側面に「智相院釋妙葉信女」と彫られている法名のみが、一葉の墓とかろうじてわかるほどのものであった。
 桜散る頃であれば一層寂しく美しかったであろうが、今はただ沈黙するのみ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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