円地文子 えんち・ふみこ(1905—1986)         


 

本名=円地富美(えんち・ふみ)
明治38年10月2日—昭和61年11月14日 
享年81歳 
東京都台東区谷中7丁目5–24 谷中霊園乙11号5側 



小説家・劇作家。東京府生。日本女子大附属高等女学校(現・日本女子大学附属附属高等学校)中退。幼い頃から歌舞伎に親しみ、小山内薫の教えを受け劇作家として出発。のち小説に転じ、昭和28年『ひもじい月日』を発表、翌年女流文学者賞を受賞した。『女坂』で野間文芸賞受賞。『朱を奪うもの』『妖』『女面』などがある。




  


 

 大分夜が更けてからのこと、丘の上の方の音楽学校の生徒と思われるのがテノールらしい高音を一ぱいに張って、同じリードの一節を繰返し練習しながら、只一人坂を降りて来るのが毎夜のようにつづいた。自分の若い歌声が坂の腹に沈みこんでねている中年の女の耳にどんな風に伝わっているだろうかなどと、青年はゆめにも思っていまいが、千賀子はその若く張通る響きの強い声音から、逞しい咽喉の盛上る筋肉や鳶色に光る胸の隆起を想像して、不覚に涙ぐむことがあった。床の上げ隆ろしする力さえ萎えた自分を思うと、暗澹とするのである。別の二階で冷たい骨童品に囲まれて寝入っている勇と今更どう結ばって見たところで、どんな新しいゆめが孕まれるというのか。髪の毛の薄くなるのを気にし、老眼鏡をかけねば文字は見えず、義歯をぬき取れば口の中はがらん洞になる。眼鏡だの義歯だの、やがては他人の髪でつくった髢だの、肉体と別のさまざまなものを鎧兜のように身につけて、猶若く見せたい美しくありたいと渇くほど願う自分は、一体何ものなのであろう。

(妖)

 


 

 お嬢様作家といわれていた。劇作家として出発した当初は小山内薫に師事していたのだが、処女戯曲『晩春騒夜』上演慰労会に出席した小山内が心臓麻痺で死去するという出来事もあった。また病気の問屋と書かれるほど病がちの一生でもあった。子宮がん、糖尿病からの網膜剥離、白内障、脳梗塞と次から次ぎへと入退院を繰り返した。その病とともに作家としても女流文学賞、野間文芸賞、谷崎潤一郎賞、文化功労賞など次々とめぼしい賞を取っていった。
 昭和60年の文化勲章受章が最後の賞になったが、昭和61年11月14日朝、付き添いの家政婦がごみを出しに行った数分後、急性心不全で安らかな死を迎えた。



 

 上野の山から寛永寺住職輪王寺宮法親王の別邸のあった御院殿跡への通り道、御院殿坂の少し手前を左側に分け入ったこの塋域には父「上田萬年之墓」、文子の長女素子の婚家「冨家家之墓」、文子夫妻の「圓地与四松 圓地文子墓」の三基がある。菩提寺は南青山にあったのだが、文子の遺言により葬儀は無宗教で行われ、寺との確執の末に今の様子となったと聞いている。右手には実業家渋沢一族のかなり広い墓地があったりして、なかなかの場所だが、訪れる人もないのか昨秋の落ち葉がそのまま塋域を埋めており、荒れた周辺の雰囲気にいささか鬱がれた気分でお詣りしたのだった。手を合わせている私の足下にはその落ち葉を養土とした夏草が嬉々として広がりはじめていた。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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