石井清龍の本筮易


易日記

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2009年11月23日


  「本物の零戦を見た人からのメール」

先日更新した神風特攻隊についての感想をいただきました。ここにアップするお許しを頂きましたので掲載いたします。
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石井先生;
11月15日付けの「神風特攻隊」の記事を拝読いたしました。当時の特攻隊の人たちの気持ちが分かって、再び胸が締め付けられる気がしました。
私は以前スキューバ・ダイビングをしていましたが、10年以上も前、ミクロネシアのトラック(今はチュークと言うそうです)島に潜りに行ったことがあります。島の周囲の海中には 旧日本海軍の軍艦がたくさん沈没していました。しかも、すべて舳先を島のほうに向けて沈んでいました。つまり、旧海軍には最後まで退却する意思はなかったということです。なぜ、負けると分かっている戦争で、若い人命を救うために退却しなかったのか残念でなりません。戦後に沈没船から引き上げた人骨はすべて、歯が全部きれいに残っている若者たちの骨だったそうです。私が沈船ダイビングをしているとき、「日本に帰りたい」という大勢の方の『想念』を感じたように思います。
海底には日本軍のゼロ戦も沈んでいました。実物をまじかに見た人はあまりないと思いますが、今の軽トラックなどよりよほど貧弱な外観でした。私は50キロ足らずの体重ですが、私1人が乗り込むのがやっとというコックピットの狭さに驚きました。こんなオモチャみたいな飛行機で戦ったのかと思うと、戦争の非情さとむなしさを痛感しました。特攻隊のパイロットや軍艦で戦死した軍人の方々の冥福を祈らずにはおれません。
先生が「多くの軍人達の魂が未だに未練を持っていて、完全な成仏ができずに悶々としていると易に出ておりました」とおっしゃるとおり、この島では、たくさんの旧日本兵の亡霊が隊列を組んで、ザクザクと砂浜を歩いているのを見た島民が何人もいると、現地の人から聞きました。また、日本人ではないらしいですが、スキューバ・ダイビング中の信じられないような原因の死亡事故がいくつもあったそうです。たとえば、ダイバーの潜水器具が沈船にちょっとひっかかっただけで、少し動けば簡単に外れたはずなのに、そのまま外れずに溺死した人がいたそうです。他にも不可解なダイバーの溺死事故が起きていると聞いて、何かうす気味の悪い島だという印象をもちました。
私が一番心を痛めたのは、沈船の中にもぐり込んだときに、生々しい船上生活の後を見たときです。昔なら日本のどの家庭にもあったような陶器の食器が数十個積み重なったままあったり、やかんやゴム長がころがっていました。この船の上で暮らしていた若者たちの無念さが、それらの日常用具からひしひしと伝わってきました。
私には霊能力はありませんが、死者が今思っていることを無意識にキャッチしてしまうアンテナを持っているようです。トラック島の沈船ダイビングでも、「日本に帰りたい」という声を水中のあちこちから聞いたように思います。中には「連れて帰ってくれ」という言葉もありました。これには心の中で丁重にお断りしました。
私には、戦死した伯父がいます。その伯父の戦死時の想念をあまりにも強く感じとったので、ある霊能者にみていただいたところ、彼が戦死したのはフィリピンで、捕虜になっていたときに宿舎が火事になって焼け死んだとのことです。この伯父もやはり完全な成仏ができずに、いまだに現地をさまよっていると、その霊能者から告げられました。よって、旧日本兵の無念の戦死は人ごととは思えません。このような方々に無事成仏していただく方法はないのでしょうか。
また何か良いお知恵が浮かびましたら、ぜひHPで発表していただきたいと思います。
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2009年11月15日


  「特攻隊について占う」

 零戦に乗って敵の空母に体当たりする。
神風特攻隊と呼ばれた彼等、すごい名前をつけたものだと思う。
自分は神風特攻隊だと思うだけで、気持ちが奮い立つ気がする。
自分の命を賭けて国のために命を捧げる、そういう意識こそ高潔だ、とそんな気持ちにさせる。
呼ばれる名前は、意識をその気にさせる。
昔の日本人は、名前をつけるのがうまかった。

「永遠のゼロ」著者・百田尚樹氏を読んだ
結構ぶあつい文庫本だったが読み終わる頃、結構長い事むせび泣いた。
オイオイといつまでも号泣する自分にこれは悲しくて泣いているのではない、と思った。
本を読んであれほど泣けた本はなかったが、あの涙は、悲しみを超えた、言いようの無い切なさと口惜しさだった。

内容は、零戦に乗る特攻隊の話。
わたしがこの本を読み終えた頃、本屋さんで零戦のミニチュア版が第一号で発売され、そのあと続々と日本陸海軍の軍用機がシリーズで発売されていった。
戦争を懐かしむ風潮が今の日本に流れている気配は感じないのに、ゼロ戦に乗って命を捨てた多くの日本軍人達の存在を知った後のためか、ゼロ戦がたまらなく愛おしくなって、第一号のゼロ戦のミニチュア版を買った。

日本は資源が少なかった為に、戦闘機を作ることが大変だった。だから、釘一本のほうが兵隊の命よりも大切にされていた。
ゼロ戦の欠点は、防弾装備の貧弱さ、攻める一方だけが優れた設計で一撃をくらっただけでもコックピットや燃料タンクなどに当たると墜落する。
米軍戦闘機はゼロ戦に比べて機体が頑丈で防弾装備も充分なので日本のパイロット達は、頑丈な米軍機を相手に苦戦した。
しかしゼロ戦のパイロットの操縦技術をうわまわる事は、他国の技術ではかなわなかったらしい。
零戦に見つかると必ずやられるとアメリカは認め竜巻とゼロ戦が来たら、戦わずに逃げることが命令だったそうだ。
それほど恐れられたゼロ戦だったにもかかわらず、優秀なパイロット達の命が上官の指示で無駄に消えていった。
あらたな特攻隊の操縦訓練をするゆとりがないまま、操縦すら未熟な状態で、特攻隊として出撃させていく為、飛び出してそのまま墜落するようなことも頻繁だったらしい。

米軍は軍人の命を守ることに対する意識が強いため、軍用機も丈夫に作っているし、ゼロ戦は無敵なほど攻撃力が強かったので、ゼロ戦にあったら戦わずに逃げろという命令があったが、日本は無事に任務が完了しても帰りのガソリンは無いのだから、命があっても最後は敵の空母に体当たりして来い、と命令するのだから、アメリカのほうが日本よりもはるかに人間味のある国だったように思う。
当時の日本は、国の為に死ねることが英雄であり喜びであり、命を惜しむことは非国民・卑怯者だった。
兵隊達の命を消耗品のように扱う体制に対して、特攻隊たちは自ら喜んで志願したと記録されている。
わたしがこのたび読んだ本の主人公は絶対に死にたくない強い意志を持っていた為、上官に「お前は命が惜しいのか!」と叫ばれ殴られても特攻隊に志願しない人だったので、特攻隊たちは、果たしてほんとうに喜んで志願したのか、彼らの本心を占って知りたくなった。
易の答えは、
特攻に志願した全体の一割は、精神が極度の緊張状態で冷静に考える事ができない状態だった。
上官の厳しい命令に意識は平常でいられなかった為、奮い立つ気持で志願した人は一割はいた。
ところが、9割の特攻隊になった人達は、周りが志願するので、自分もそうしないわけにはいかない、と言うのが本心だった。
回りが志願するのに自分が志願しないわけにはいかない、そういう意志で志願していた、と易は言う。

アメリカのように命を守ろうとする組織の中で生かされているほうが、愛国心もほとばしる気がするが、命を守ってくれず消耗品のように扱われ、さらに軍事作戦も緻密さが無く愚かな行為が多いやり方で、
こんな国から愛国心を望まれるなんて、こんな冷酷な国家の犠牲になってしまった特攻隊達は無駄死にを強いられたようなものだろう。
日本の軍の上層部が新しい特攻隊をどんどんと短い時間だけ飛行訓練をさせて特攻隊として敵地に送り出すようになっていたとき、どういう意識を持ってどういう策を張り巡らしていたのかと当時の意識を占ってみたのだが、
驚くことに、軍の上層部では、もう戦いに勝てると思っていなかった、と易にでてしまった。
どうせこれじゃ勝てない、と上層部も判っていた、と易は示した。
もうどうでもいい、何をやれと言うのもない、見事に死んで来い、そんな気持で指揮していた。
最後の広島長崎の原子爆弾まで日本軍はあきらめていなかったと私は思っていたのだが特攻隊をどんどんと未熟なまま送り出すころには、もうすでに日本の上層部では諦めていたなんて・・・

愛する家族の写真をセロファンで包みポケットに入れて、ゼロ戦に乗る。
多くのパイロット達は、敵機に打たれて海に落ちていった、と、これも易が示す。
アメリカと戦争になった経緯は、アメリカは日本が真珠湾を攻撃するのを、ほんとは知っていたのに知らなかった事にして、あえて日本に真珠湾を攻めさせて、アメリカ全土の怒りを集める必要があったという説があるので、この真実を易に問いただしてみた。
易の答えは、日本が真珠湾を攻めてくるなどアメリカにとって実に青天の霹靂だった。
当時のハワイは、家族や親しいもの同士が仲良く集まってゆったりと楽しい休養をとっているときだった、
日本が攻めてくることが判っていたら、可能な限り空母と軍用機を総動員するのがアメリカだったと易はしめした。
日本人の意識と言うのは、縄文時代から今も変わっていないと易は言う。
戦争に行った兵隊が、休暇で村に戻ってくると、英雄として迎えられたし、その家の家族も英雄の家族として近所の人達から丁重な扱いをうけていた。
しかし、敗戦になると、英雄とされていた兵隊や家族までが戦争犯罪者として白眼視されるようになった。
いじめも、誰かがいじめると自分もその人を好きじゃなくなる。
自分の意思というのがすくないのが日本の個性だ。
つまり、まわりの意識にすぐに同調するのが日本人の昔から持ち味だという。

余談      
 先月の更新のときに、次回は1ヶ月以内に更新しますと書いてしまったことを後から失敗したと反省しておりました。
いろいろと用事があって、なかなかとりかかることができず、あと3日で先月からひと月になるとあせり、無理やり夜中までおきて今回の更新をしました。
次は、いつまでに書くなどとは言うのは止めましたが、易の卦はその人にでる卦というのがあるのですが、なぜこの卦がその人に出るのか、その卦がその人の特質なのですが、その特質を知ることができると、
自分を変えることができ自分を変えることができれば、自分の運勢も変えられるのだろうとおもいます。

先日は、紅葉を観に箱根に行ってきましたが、箱根神社にも行って、感謝の祈祷をさせていただけました。
去年も箱根神社に行ったのですが、去年は曇っていて富士山が見えませんでしたが、今年はみごとな富士山を観ることが出来ました。
成川美術館から観る富士山は声が出るほどまさに芸術でした。
私にとって富士山を観ることが出来たのは、27年振りでした。
何年も何年も富士山をそばで観る事ができなくて、綺麗な富士山が観れるころが私にとっての良い運気の時に違いないと縁起をかついでおりましたので、やっと観させていただいた富士山で感激でした。
富士山は、私にとって観たくてそばに行っても、目が見えても、元気でも観る事ができなかったのです。
自分の意思だけではどうにも成らないことってあるものなのですね。
箱根神社でおみくじを引きました。吉です。吉でも小吉でも充分にありがたいことだと思いました。
おみくじの言葉はわたしにとってぴったりのメッセージでした。
「よいにつけ、悪いにつけ、苦情をいい、不平を言う。それは神様の御心にそむく無駄事である。耐えたりしのいだり、順応する、克服する方法を講じて、
黙々と、にこにこと朗らかにやって行こう。」
なにがあっても、やるしかないのだから、黙々と努力しながら、朗らかにやっていける、そんな自分になれるように、あるべき目標を神様に示していただけた気持ちがしました。
でも、とっても不愉快なことを言われたり、不愉快な事があると、にこにこと朗らかにやれるということは一番難しい課題なんだなって思いました。











2009年10月18日


  「不景気いつまで続く?」

 100年に一度の大不況といわれる時代の中・・・、実際に不況の荒波に呑み込まれて苦しんでいる人が、どんどんと身近に集まっています。
景気が良かった時でも、人はかならず何らかのトラブルを抱え悩んでいるものでしたが、不景気の苦労、仕事がない苦悩は、生きることが脅かされるので、ほんとうに深刻です。
占いの相談には、社会の状況が見事に反映されると感じております。
景気の良いときは、悩みを相談するよりも娯楽目的で来てくださる人が多かったのですが,最近の鑑定依頼は恐ろしいほど深刻な相談が目立っています。
あまりにも厳しい状況の人を占うことは、わたしもかなり緊張しますし、わたしの占いごときで、お客様に納得していただける答えを出せないのではないか、と占う不安感も大きくなり難しいご相談からかなり逃げ腰でおります。
お子さんがまだ中学生で、病弱なご母堂様とも同居されている男性が会社をリストラされ、どこにも再採用してもらえなかった、こうなったらチェーン店の傘下に入って自営するしか生きる道は無い、○○のチェーン店になれる運勢を占ってくださいという相談もありました。
チェーン店で儲かるかどうか、人気の店もはやるかどうかは概ね場所次第ですが、高い金額のテナント料金を払っていたら利益は生み出せませんし、不便で安い家賃の場所でチェーン店をやれば来るお客さんが少ないので、よい場所にお店があることがよい条件ですが、コーヒーのスターバックスは立地場所が良いのですが、コーヒーの値段も高めでお客さんが多いにもかかわらず、店舗にかかる費用が高いために、満足いくほどの利益を上げていないのです。チェーン店になっても生活できる収入を得ることは簡単では無いのです。
「一体、この不況、いつになったら抜け出せるんでしょう?」お客様たちが真剣な瞳で私を見つめます。
未来は、何か新しい方針が生まれると状況が変化していきますが、このままの調子で行った場合の日本の将来を占ってみました。
出た易の卦は、ちょっと屈折したような社会状況のようです。
2年後、ニュース報道は、日本がだいぶ景気が回復してきたと発表しそうです。
ところが、景気の本質はまだ回復していない、と言うのが易の答えとして出てしまったのです。
世論が日本の景気が回復して来たと言うならば、それは喜ばしいことです。
それなのに、本当は景気は回復していない、とはどういう事なんでしょう?
日本の金利は2年後以降から若干ながらも上がる傾向にあるようです。
金利が上がると言うことは物価も上がり景気が良くなるのですが、物価はしばらく横ばいで5年後に物価が上がっています。
ひどい上がり方とは言えません。適度な上がり具合といえるのが5年後の物価の状態です。
今現在の就職難は、大卒の新卒者ですら100社受けても一社も受からないという大学生が多く最悪の就職難の時代にいます。
ところが2年後でもこの就職難は続いていると易は言うのです。
借金しながらやっとこやりくりしている中小企業が金利が上がることで、借金の利息が増し返済が厳しくなって倒産するところが増え、それによって失業者がまた増えます。
大企業は黒字を発表するところが増えますが、実質的な利益が増えるのではなく、社員を削減したリストラや、給料の減額で人件費を大きく減らした結果が黒字なのです。人件費等を減らしたことによる企業の黒字回復であって、実際の収益の増加ではないのです。
それでも税務上は黒字だから景気回復したとしてしまう社会報道のようです。
たとえば一ヶ月10万円で生活している4人家族が、二人の子供達に自活してもらい、家を出て行ってもらえば、収入は同じ10万円でも、今まで払っていた二人分の食費を払わずに済むので、生活が楽になり家の景気が回復したから社会の不況も回復した、と判断する、しかし二人の子供達はまともに就業できない、、、これでは景気が回復しているとは言えない、易の答えはこんな感じなのです。。。

トヨタ自動車は、ハイブリッドカーが人気でかなり売れているようです。
トヨタの未来がよければ日本の経済も良くなるかもしれないし、そんな期待を込めて占ってみました。
トヨタ自動車の今後三年間の景気として判断;

天文  山地剥  之卦  風沢中孚  本卦  山沢損
           主爻 沢火革    主爻  山火賁
人文  沢火革
地文  震為雷
天地  山雷頤

地文の震為雷は、ハイブリッドカーの生産が勢いがよい状態を示している。
ハイブリッドカーはエコカ―で、ガソリンと電気で車を動かしているが、生産台数がたくさんあるにもかかわらず、今はまだトヨタは大きく損をしているようだ。
生産台数が上がれば儲かるはずが、損をしているなんて、そんな事って理解できがたい。
ところが、これは本当の事らしい。どうやらこのハイブリッドカーにつかう電気部分がとってもコストの掛かるもので、売れれば売れるほど損をしているのがトヨタの実態だと易は言う。
損なのになぜ頑張ってそんなものを作って売ろうと努力するのか?
先行投資でハイブリット・カーとして押しも押されもしない確実な信用を先に得ていくことが未来へ繋がる投資らしい。
しかし、3年以内に、今のコストのかかる部分を改良することに成功してトヨタの経営は3年後から上がるらしい。
☆ 企業戦略がんばってますね♪

余談  
先日、手ごわい相談を受けてしまいました。
お断りしたいとお弟子さんに伝えると、答えるのは易の神様であって私ではないのだから鑑定するべき、と説得されてしまい、瞬間その気になって鑑定を受けたのですが、やっぱり出来そうも無いと怖気づいて鑑定日までずっと緊張と不安の日々を過ごしたのです。
当日、難問への答えを易の神様がくださったのを心のそこから実感したのです。
わたしの実力のレベルを超えた答えを頂くことができたのです。
不可能だと思っていた質問に答えることが出来た後、易の醍醐味を再認識できまして、難しいと思う相談でも受けることの大切さを感じるようになりました。
以前、お店にいた時、お客様を選ぶことが出来ず、どんな質問にも答えておりました。
あの当時は、易が楽しくて仕事をする曜日が待ち遠しかったのですが、最近は、確実に答えることが出来るご相談を選んでいたことを知りました。
やはり、安全路線だけでなく、チャレンジする意識って仕事に対してやる気が上がりますね。
これからは少しハードルをあげて、自分の易の力を育てたい、とそんな風に思いましたが、失敗したときは、もし、答えられないときは、許していただきたいです^^;

昨日紅葉を見に出掛けておりました。
次回のHPの更新、一ヶ月以内にするつもりでいます。
零戦に乗って戦った特攻隊について書きたいんです。













2009年9月6日
      
クランベリー
  「新型インフルエンザの予防方法」

今年の新型インフルエンザ、かなり恐ろしいことになる予感である。
去年も世間では、恐ろしいほどこわいインフルエンザが来ると週刊誌やテレビでの報道があった。
それで去年、インフルエンザの感染がどのくらいかと心配で占ったのだったが、去年は例年並みでそれほど心配することは無いという易の答えだったので安心して予防接種も受けなかった。
結果はやっぱり例年並みの状態だったし、虚弱体質の私でもインフルエンザにかからず無事な去年だった。
ところが今年のインフルエンザの感染や情勢を占うと、恐ろしいほどの卦が出てしまった。
易によると、抵抗力の育っていない幼い子供達が沢山亡くなってしまうほどの新型(豚)インフルエンザの菌が日本中の大気を覆ってしまう。
一番悲惨な時期は、1−2月だが、疾患が増え始めるのは10月からと早めに来る。
こんな恐ろしい予想はなんとしてでも外さなければならない!!!
新型インフルエンザは命までも無くなる可能性があるから怖いのだが、前回の私の日記で、ワクチンの接種に効果があると書いたが、そのワクチンが接種できない可能性が高いようだ。
報道によると量が少ないので、ワクチンを受けることが出来る制限が設けられているらしく優先順位は、一番目は医療従事者、二番目は妊婦と基礎疾患がある人、三番目は一歳未満児とその親と続くらしい。
いままでのインフルエンザのワクチン接種は、新型インフルエンザにはまったく効果は無いと易は言うし、普通のインフルエンザならば死ぬ確率は低いので、まだ罹っても心配ないと言える。
しかも輸入ワクチンの安全性も危惧される。何回もこのワクチンを接種すればたしかに強すぎるほどのものだから関節にくる副作用があるようだ。その副作用は人にもよるが一回だけの接種ならばまだよいかもしれない。副作用が関節に出るというのも易の答えである。
まあインフルエンザで死ぬよりも、関節にくる副作用のほうがまだ良いかもしれない。
幼い子供や若者が罹りやすいと言われているが、抵抗力が育っていないからだと言われてもいるが、子供や若者は肉が大好きであることも、新型インフルエンザに罹りやすくなっていると易は言う。
肉食が多いと、体が酸化しているために老廃物を排出する能力や殺菌する機能が欠けてしまうのだ。
子供は肉料理が好きなので親がついつい作ってしまいますが、できるだけ我慢してとにかく魚をおいしく食べられるように頑張ってほしい。
食べ物は医食同源と言って、健康を左右させる一番の元となる。
どういうものを食べるかで、風邪にかかりやすいとか癌になりやすいと言える。
どういうものを食べれば、新型インフルエンザに罹らないかと言うことも言える。
「未来の運勢が悪くでたら、それを外す占い師にならなければいけません!」わたしは自分の易の師匠さんからそう教わってきた。
多くの幼い子供や若者が新型インフルエンザで亡くなるなんて、そんなことを当ててはいけない。
では、どういう食べ物をとれば新型インフルエンザに負けずにいられるかそれは、クランベリーを摂る事だそうです。
クランベリーが予防につながるかとの問いあわせがあり、占ってみた。
易によるとコレステロールも抑制し、殺菌作用が強いために、体内に来る細菌を殺してくれ老廃物の排出作用もあるようです。
ジュースで摂取すると過剰な糖分が余計であり、クランベリーのサプリメントで毎日とれば、悪いばい菌をやっつけてくれるようです。
だからといって安心して、体を酸化させやすい肉類を取りすぎては効果が弱くなります。その効果を上げるためにも、肉食を控えて魚中心の食生活に切り替えることをお勧めしたいです。

余談
お問い合わせで、「本筮易協会のHPの中身が見れないがどうやったら見れますか?」というメールがチラホラ届きますが、まだメンテナンス中だそうです。
本筮易協会のHPは事務局のお弟子が管理しています。お仕事があり、なかなか忙しくてメンテナンス時間が取れない状況です。
事務局に変わりましてお詫び申します。







2009年8月29日

  「新型インフルエンザ」

 夏は動くだけで汗だくになるし、体もだるくなるので夏が苦手な私なのだが今年の夏は割りと過ごしやすかった。
もうあと3日で9月がやって来るなんて、涼しい秋、月見の秋、新米・秋刀魚栗・ブドウ・やっぱり秋っていい。
昔は、秋と言うと「読書の秋」という言葉が自然に浮かんだのに、今は脳が衰えたために五感にしか反応しなくなってしまった。
今年は忙しいのと気ぜわしさで落ち着かないまま、自分のやりたいことが出来ないまま、あっというまに夏が終わりとなってしまった。
私の一日一日が記憶に残らないまま過ぎ去って行く、ただ生きているだけという感じだ。
こんな感じで、私の一生もあっというまに終わっていく気がする。

私が易日記に自分の老化に関して書いているので、そんなことを書くと本当に老化しやすくなるから書かないで下さい、という方がいた。
また、日記の内容から、私が実際の私以上に老人のイメージで皆さんに伝わるらしく、実際の石井さんが予想と違って驚きました!こんなに若い人だったなんて!とか、
あなたは石井清龍のお弟子さんに違いないと思いましたが、まさか本人だったとは!!易やっているようなスピりチャルな雰囲気がまったくないですね!などとショッチュウ言われる。
でも、わたしは自分が3歳をすぎた時から自分が老いることに関して意識していた。
指を3本だせる年齢が人生で一番すてきな年齢で、それ以上老いることは自分が生き難く成ると思っていたのだから、当然今の本物の老化に敏感なのは仕方が無いのである。

ところで話が飛ぶが、今年の日本の自殺者数は去年をはるかに越えたらしい。
電車が止まったり遅延することが、最近は頻繁だ。
飛び込み自殺の賠償金が何億もするって言われるが、実際そんな金額払える人はめったにいないはず、しかも電車に飛び込み自殺する身内がそんな金額を払えるとは思えない。
賠償金を払った人が実際いるんだろうか?
こんなことを考えてみたが、誰かご存知だろうか?

最近、出会う人から「易日記はやく書いてくださいよ〜〜更新しているかと毎日クリックしているのに、もう一ヶ月以上ほったらかしですよ」と言われる。
以前はこんなことを言われると、サービス精神が刺激されて、書かなくちゃいけないとあわてたものだったが、最近はすっかり気力がなくなってしまって、
易を建てる意欲まで下がっていたが、新型インフルエンザの死亡者がまたでてしまったので、インフルエンザ情報を易に聞くことにした。
占うと結構手ごわい未来が示されてしまった。
今後2ヵ月後から、国内でかなりの大勢の人達が感染するそうだ。
2ヶ月以降からかなり多数の人達が感染してしまう、冬には死亡者も増えていく。わたしも感染する可能性が高いらしい。
予防するにはどうしたら良いのか?
ワクチンが予防に効果がある!とのこと、早く予防接種をしたほうがよいらしい。
で、新型インフルエンザに対するタミフルの効果を占うと効果なし!とでてしまった。
まず今後6ヶ月以内に、新型インフルエンザに効果がある特効薬は開発されないらしい。
6ヶ月以降ならば開発されるのかと言うと、それもちょっと厳しいが、若干ながら効果のある薬が出始めるのが来春頃かもしれない。
10月になったら外出はマスクや手洗いをするしかないだろう。
どういう生活をすると新型インフルエンザにかからないかも占ってみた。
青身の魚と緑黄色野菜中心の食生活が良いらしい。
新型インフルエンザにかかりづらい体に成るには、肉食を控えるべきだそうだ。
血液が酸化しやすい食べ物を常食していると、インフルエンザにかかると重症になりやすい。
インフルエンザが治まるまで、わたしも食生活に気をつけようと思っている。
        

余談

最近のテレビは酒○○子の覚せい剤の話題ばかりだ。
毎日のように酒○○子の話題、しかも同じ内容ばっかりを何百回も繰り返している。
他に視聴者が食いつく話題が無いからかもしれないが、同じ内容で繰り返しの話題を視聴者が食いついているとも思えない。
あれだけ何度も同じ事ばっかりを繰り返して放送する番組側は、自分の番組の演出に対してどう思っているのだろうか??
番組側のプライドってあるはずなのに・・とそちらのほうに疑問が沸いてきた。
コメンテーター達も仕事とはいえ、毎日のように酒井法子の覚せい剤を情けないとか酷いとか、一体なんなんでしょう!!と深い疑問を感じているかのように異口同音で攻撃言葉を連発している。
以前まではアイドルでノ○ピーと言われて目を細めて喜ばれていたのに、一気に容疑者という言葉とともに一刀両断のもと悪人にされて葬ってしまってい
るが、上目線で彼女を非難するコメンテーター達の本音はどうなんだろうか・・
わたしは、酒○○子のファンでもなんでもないし、彼女に対する興味もなかったが攻撃するとか非難するというのは気持ちの良いものではない。
テレビで堂々と非難する有名芸能人たちや有識者達は、実は語りたくないとか、一方的に毎日批判して語ることを、「こんなことをいつも言う自分って俗物に思えて気持ち悪い!でも家族を養うためにこの仕事を維持するしかない。生活のために語りたくないけど自分のプライドを捨てるしか無いんだ!」って思って頑張っているのかもしれない・・。
あの異様なしつこい報道は、薬物の怖さと危険性を教えたいという国からの指令でもあるのだろうか。







2009年7月12日

  「マイケルジャクソン」

「マイケルジャクソンの事を占ってくださいよ」って言われた。
死因の原因はもう既に誰もが感じていると思うが、薬の過剰摂取による心臓麻痺というのが易の答えだった。
主治医の薬の与え方に問題があったのではないかと言われているが、マイケルジャクソンに対して過剰に薬に頼るべきではないと忠告していた医師だったが、マイケルは医師の指示に従わずに、薬なしには体を維持できないほどの体調だったようだ。
これだけしかマイケルジャクソンについて語れないのも物足りない。
そこで、ダンスの天才、世界のスター、巨万の富を築き上げたマイケルの心の中、彼の人生観や幸福感を、インタビューするつもりで、易に聞いてみた。
気楽な気持でサイコロを振ってみたのだが、でた答えを見たら重い気分になってしまい、書きづらい。
マイケルジャクソンはポップの王様と言われ。10歳の頃からデビューして50歳までずっと世界のトップスターで居続けた。
彼にとって死は突然だった。
彼だけじゃない、死と言うのは、誰にとっても突然来る。
突然なので、死んだ本人も、死ぬことの心の準備が無かったといって狼狽するようだ。
死んだ本人が一番驚いているのかもしれないが、突然死なれたことで家族も狼狽する。
家族に90歳すぎとか100歳近くなっている老人がいても、朝起きたら死んでいたという事実に家族は必ず仰天して、まだ生きられると思っていたのに、突然死ぬなんて!!と、
まさかこんなに突然死んでしまうなんて!!と驚く。
平均寿命を遥かに超えて生きていればいつ死んでもおかしくないのに、老人ですら、いきなり死んでしまうと、命のあっけなさを知らされて、困惑してしばらく脳が空白になるのだが、生きていれば死の可能性がいくらでもあるにもかかわらず、我々は死が身近にあることに認識がないまま生きているのかもしれない。
しかし、考えようによっては、死をいつも覚悟しているよりも、死の事など忘れて生きるほうが気持ちは平和で楽かもしれない。

マイケルジャクソンの幸せとは何だったのだろう?
しかし、いきなり「あなたの幸せは何か?」と聞かれて、瞬時に答えられる人は少ないかもしれない。
わたしがしみじみ幸せを感じるときは、雑事から開放された時とすっごく眠い時にやっとこ眠れるときなのだが、マイケルジャクソンはチャレンジャーで美意識が高く、努力家の人で、わたしのような単純な幸福感を切望していなかった。
彼はあるがままに生きれることを一番の望みとしていた。
あるがままに生きれないことが不本意でたまらないほど、人生に不足に感じていたそうだ。
彼は理想のままに生きたかった。
どんなにお金があっても彼にとっての完全な理想を手に入れることは出来なかったのだ。
彼の理想を易で知ったとき、わたしは意外な答えに驚いてしまったが、驚くのはわたしぐらいなもので、多くの人たちは、すでにわかっているのかもしれない、とも後から思いはじめた。
彼が整形手術をした回数は相当なものだが、彼の尋常じゃない整形手術のあり方が、彼の本音を証明しているのだ。
マイケルジャクソンは、自分の容姿に対する引け目から開放されたかった為に過剰なほど整形手術を重ね続けていたと易は言う。
どんなに整形しても彼は、自分の容姿に完全な満足はできないままだったようだ。
美意識が強い彼にとって、容姿が美しいことがダンスをより引き立たせると信じていた。
容姿が悪魔のように見苦しくても美しさを感じさせることが出来ること、それも彼のチャレンジだった。
だけど、彼は白い肌にあこがれ、彼の好きな美形の容姿で生まれていれば,
あるがままに人生をもっと堪能できるはずだった、と思っていたのだった。
天然の望む姿を手に入れることが出来なかったこと、容姿をいつも気に病み、美醜に心も体も振り回された人生で、このことが彼にとって不安な人生となっていた。

あれだけの見事なダンスの才能と歌の才能があれば、マイケルは整形などしなくてもあるがままのマイケルジャクソンとして、世界のトップスターに成っていたと、わたしは思う。
だけど、彼はそうは思えないそうだ。
顔を美形に変えない限り、自分はトップスターにはなれないと信じていた。
それでいて変えた顔にも満足は出来なくて、いかに生まれたそのままで、人生を生きることが出来たらしあわせなことか、そんなことを彼は幸せとはと思っていたようだ。
余談  
マイケルは男性ですが、男性でも自分の容姿にコンプレックスを持つ人もいるようですが、
女性のほうが自分の容姿に対するコンプレックスを酷く持ってしまって、容姿がトラウマになっている女性が多い。
自分の容姿にコンプレックスをもつと柔軟に人生を生きるのができなくなっている。
女性の容姿のコンプレックスの酷さは、自分を実際以上に悪く思っていることが多い。
親から「顔が可愛くない」とか「ひどい」と言われたとか、身内に美人の姉妹や従姉妹がいるのに自分だけがみっともなかった、と泣きながら話してくれる女性のお客さんが多かったが、こう嘆く女性は充分に美人で素敵な女性だった。
真剣に自分が綺麗じゃないということ、親からも綺麗だと思ってもらえなかったことを嘆いて暗いオーラをだしているのだが、いくら平均以上に綺麗だと説得しても、なかなか彼らのコンプレックスは取れない。
だが、彼らの話し方が、不思議なくらいに「わたしはブスです」という態度をとるのだった。
それを観ながら、自分にコンプレックスがありすぎるとブスの態度をあえてとってしまうのだと思えた。
そして、話し方と言うのは、見た目以上に人を良くも悪くも見せてしまうと知った。
どんなに美人でも、その人の話し方が卑屈だったり、あるいは暗いと、魅力が一気に落ちてしまう。
見た目をアップさせるのは、話の仕方ってかなり重要だなって思う。

今後の日本の政治、自民党か民主党か占ったのかって聞かれますが、民主党が政権をとっても、ごたごたのずたずたのお粗末な結果になるとでてますので日記には書くのは控えます。