2004年5月〜6月

石井清龍の本筮易
 
易日記

(北京頤和園夕景)



〜2003年はこちら

2004年1月〜4月はこちら




2004年6月20日

「ジェンキンスさんの気持ち」曽我ひとみさんの御主人


日本に帰国した拉致家族の方々が、子供たちを身元に引き寄せる事が出来た中、
曽我ひとみさんは、一緒に帰国した仲間達とは格段に不利な状態である。
最近の曽我さんの手記が新聞にもネットにも出ていた。
いないと分かっていても母親の姿を探しながら町中を歩いているという文章に、曽我さんの母親を案ずる深さが、いかに悲しく重いものかと想像する。
娘にとって母親の存在は、大きい。
親が元気で身近で生きていても、老いて行く親を心配し心を痛める娘は多い。
曽我さんの場合は、母親まで無理やり拉致され、安否も分からないというのだから
ほんとうにその悲しさや苦しさは、計り知れない。
自分の家族と音信も取れない複雑な人生を背負い、自分の努力と無関係に運命に翻弄され苦しさに歯向かうことすらできず、ただ耐えるだけ、待つだけなのだ。

これほど世界がグローバル化し常識や理性を重んずる時代に、悪が通用し正義が
通らない事が、私の単純な頭には理解できないでいる。

ある宗教の教祖の弁では、小泉さんが北朝鮮に行って家族を連れてきてくれた事を感謝する事もなく、ひたすら批判的にしか取れない拉致家族会の態度を、恐ろしい根性だと怒りを顕にしていた。
教祖によると、「自分の子供をそうされると言う、己のカルマを考えろ!」と言うのである。
全ての不幸をカルマとしてとらえる宗教は沢山ある。
私の易のお弟子さん達が、拉致された事は、そうなる因縁を持っていたのかと占った事があった。
前世のバチと言う発想を人間はするのだ。
理解し難い苦しさをバチだと思えたほうが、本人にとって気が楽になるのかもしれない。

私も嫁として虐げられたときに、自分が前世で嫁いびりをしていたバチを受けているのかと思ったことがあった。
それを占ってみると、「いびられても逃げる事もできるし、結婚相手も選ぶ事もできた。自分で選んだだけで、天から与えられたものではない」と易の答えに出ていた。
拉致も、カルマでもなくバチでもない、トンボや蝶が子供の虫取り網に取られるのと同じ事で、狙われただけだったと、易は示した。

お弟子さんたちは、「そうか・・・。バチじゃないんだ!」と、大きくため息を吐きながら
暫らく無言でいた。
宗教的な思い込みで人は心を傷つけている事が多い。



しかし、私は自分が嫁として苦しい時に、バチじゃないんだ、カルマじゃないんだと言われた時、嬉しくて号泣した。
その以降、わたしは、自分に降りかかる苦しさを素直に受けとめるのを止め、毅然と立ち向かう事にした。
それからは、嫁としての苦しみはかなり減っていった。


では・・・、
問い

曽我ひとみさんの御主人ジェンキンスさんは、どういう気持ちで北朝鮮にいるのか?

ジェンキンスさんは北朝鮮で暮す事をどう思っていますか?

天文  風天小畜   之卦  地火明夷  本卦  水火既済
              主爻  天沢履   主爻  天沢履
人文  火水未済
地文  沢水困 



ジェンキンスさんの性格

天文  天地否   之卦  沢地萃 本卦  艮為山
             主爻  天風妬 主爻  乾為天
人文  地天泰
地文  風沢中孚
天地  天沢履




ジェンキンスさんは、本質的には円満な穏やかな性格だが、なかなか頑固で意志が強い人のようだ。
現在の彼の北朝鮮での状態は、管理され囲われた状態ではあるが、ある程度の待遇をされているらしく、この状態の生活が続くならば、このまま北朝鮮に残って暮しても良いと思う気持もあるらしい。
しかし、一方では、このままいつまでも北朝鮮で安心といえるほどの生活が続くという保証はなく、ジェンキンスさんは、その不安を持ちながら、二人のお子さんの事を一番気にかけている。
二人の子供の幸せが第一優先というのが、父親が娘を庇うという「天沢履」の卦に強調して示されている。
易によればだが、ジェンキンスさんの本心としては日本で安定した暮らしが出来るならば良いが、言葉や仕事などの問題を考えると日本で暮す事も、なかなかの難しさを感じている。
北朝鮮では、ジェンキンスさんに対して、奥さんである曽我ひとみさんの裏切りを責め、彼まで国の恩を仇で返すならば、子供たちの将来に響く結果が待っていると脅している事も卦には出ている。

このように北朝鮮がジェンキンスさんを抑圧している実情から、子供共々同時に日本に一緒に行く事が出来ない限り、ジェンキンスさんは、日本に来る気持ちになれない。

曽我ひとみさんが、ジェンキンスさんと話し合いを持つ時、二人のお子さんも同席させた上で、そのまま北側に留まる猶予を取らずに飛行機で日本に来させる手段を取る事が必要である。
この点の配慮を、日本側がしっかりと出来なければ、曽我ひとみさんが、家族と暮す希望は、なかなか叶えられそうもないというのが、占いの答えだった。
曽我ひとみさんの今後の運勢が、厳しい卦がでていたので、日本政府は、今以上の智恵を持って強硬に北朝鮮に向かっていく根性を持ってもらいたい。


曽我ひとみさんの二人のお子さん達の気持ち


天文  天水訟     之卦 水風井   本卦  風沢中孚
人文  風地観     主爻  需     主爻  風地観
地文  水天需
天地  乾


曽我ひとみさんの二人のお嬢さんは、ヒナ鳥が親を求めるように母親との再会を期待して待っていると易の卦にはっきりとでている。
不本意な形で離れ離れになれば、お互いを求める情は増す。まして親子ならば更に親子愛が深くなっているということも、この易から感じられる。
お子さんたちは、今後どうなっていくのか分からないという不安を抱え、今後の成り行きをうかがっている、と卦の中心に観察の意味の易がでて、彼らの不安感やじっと観察している姿を示している。
彼らは、日本に来て暮す事も構わないという気持ちと、北朝鮮の現在の暮らしぶりも特別、不自由はないので北朝鮮で暮す事も構わないという気持ちもある。

日本政府は、北朝鮮に対しての対応を、もっと緻密に計画を立て、ジェンキンスさんに
不安のない条件で話し合いをさせ、彼がOKを言った時に、そのまま二人の娘さんも一緒に日本に帰国させる事が出来る状態を作ってほしいものである。


余談

先週は、老眼鏡を作る為に眼鏡屋さんに行って来ました。
遠くも近くも見る事が出来るという遠近両用眼鏡を作る事に決めていたのです。
めがねを作る事の運勢を占ったのですが、巽為風という卦と天地否という自分がイヤで使わないと言う否定する卦がでておりました。
遠近両用は便利だと信じる私にとって、なぜ自分が使わないと云うほど否定しているのか、その理由が理解できませんでした。
その理由の答えは、巽為風という卦にでているのですが、この巽為風が自分にとってなぜ不快なのかを判断が出来ずにいたのです。

そこで、易の卦の意味を理解する為にも、眼鏡屋さんに行って自分の目の度にあわせた遠近両用を試させて頂きました。

すると意外な事が判ったのです。
本を見ようとすると、遠近両用だとぼやけるのです。
「あれ?」という私に、眼鏡屋さんが「本を胸元まで近づけて目を伏せて字を見るのです」とおっしゃるのです。
遠近両用レンズでは、字の時はレンズの下で見、普通のものをレンズの中心で見るのです。
この事は既に知っていた事なのですが、下を見る見方が、やってみると不自然な見方なのです。
本などを見るときは、あえてまぶたを極端に下げ目を伏せた感じで見る事をしないといけないのです。
眼鏡に慣れないという事もありますが、まだ老眼に成り立ての視力では、そこまでして本を見るのは目に負担がかかるのが分かったのです。

わたしにとって本を見るときは、老眼専用が一番で、本を手にとらずに、目線だけをかなり落として伏せ目で読むのは、かえって目を消耗して疲れてしまうのでした。
さらに階段を降りる時は、遠近両用は危険で足を踏み外しやすいそうです。

今回わたしが判断出来ない卦だった巽為風は、
植物で云うならば、蔦のように地面を這うような植物であり、生き物で云うならば
蛇とかミミズのように、下を這って行く動物です。
動きで云うならば、伏せると言う状態です。
つまり、眼鏡ならば、遠近両用となると伏せた目で見るのを巽為風の卦で示していたという事なのです。伏せるというだけの事でも、実際にどこまで伏せるのか、体験しないと分からないものでした。

この本筮易は、その時に占いに出た卦と実際の経験を通して体験した事から、やっとこ易の意味を理解するという、気が遠くなるような長い時間が、占断できるようになるまでかかります。

久々に新たな言葉の意味を一つ仕入れる事が出来たのは、感激するほど嬉しいのです。

最近、この易を習いたいというお問い合わせを頂く事が多くなりました。
本筮易を、しっかりと身につける事は、長い時期がかかり、学んで25年たつ今でも、私にとり未だに終わりのない勉強であり、気の長い習い事になるという事を、習いたいと思っていらっしゃる方に、御理解いただきたいと思っております。
世間に広がらなかった原因が、当然といえば当然だとおもえます。


来週の日記はお休みいたします。
毎週日曜日になりますと、HPの訪問者の件数が上がり、皆さんが更新日だと思って
覗きに来て下さっているのが分かり、大変光栄な事と思っております。しかし
更新していない時でも,見に来ていただいていると思うと、申し訳なくなります・・・

昨日は、私のHPを見てきましたという、新規のお客様がお二人いらっしゃいました。
HPを見ましたと言われますと、お客様にますます親しみが湧きます。
わたしの顔が、働いている店がネットで出している写真と全く異なり、わたしの書く文章のイメージとも違うそうで、お客様が思っていらっしゃったより、私の感じがエネルギッシュだとコメントを頂きました。

日頃は、ぼんやりした私なのですが、最近は脳の血管を広げるクスリと食生活に気を配っているので、ついに脳が回復してきたのかと弾む気持ちになりましたが、
今日は町の自治会の集まりがあり、皆がボケてきた話をしていましたが
石井さんの強烈なボケが移ってきたと、町ぐるみで笑いあっていましたので、ボケの自覚症状が減ったわたしは、人の言葉で自分の脳を、「まだみたいね」と認識しました。







2004年6月13日

「ある占い師の今後の運勢」 


「噂を聞いて来ました」と、男性のお客様がいらっしゃいました。
「仕事は占い師です」とおっしゃり、今後の仕事運を鑑定しました。

天文  山雷頤  之卦  風山漸    本卦  天山遯  
           主爻  天山遯    主爻  雷山小過

人文  天山遯

地文  沢風大過

天地  山風蠱


仕事の運勢は、情けないほど悪く出ている。

お客様も占い師で易も読めるとなれば、運勢の悪さをオブラートで包むようにしても意味がない。
どう言うべきかとしばらく躊躇していると、むこうから、「天山遯じゃあ〜ダメですよね?」と自分から易の卦を判断してくださった。

ご本人自らが、悪さを達観している様子に、こちらも、ほっとして話しやすくなった。
『ええ、「天山遯」では、お客様に来てもらえないですよね。また、せっかく来てくださっても、あなたの占いは、相談者に対して悪いことをはっきりと言い過ぎているのです。
不安な気持ちで来ている人に、運勢が悪いと言うことだけで鑑定が終わってしまうので、
お客様は不満を感じて、二度と来ないと思われています』

「そうなのです。リピーターになってくれるお客様はいません。自分が何を言えば、お客様が納得してくれるのか、それがわからないのです」

『あなたのお客様は自意識が高く、人の言葉を素直に納得するようなお客様ではないのです。そういうお客様があなたには来るようになっていると、占いの卦には出ているのです。なぜ、そういうお客様が来るのか判りますか?
自意識の強いタイプは自分を認めて理解してくれるような言葉を求めています。そして彼らが持っている自信を力づけ鼓舞される事を求めて、強い男性的な風貌を持つあなたなら、力強い言葉を言ってくれるだろうと期待し、あなたを占い師として選んでいるのです。

ところが、鑑定するあなたは、たくましい男性性を持って相手の良さを認めるのではなく、不安げで、不器用な裏表のない正直な態度で接していますので、お客様が満足しないで引いてしまっているのです。

自意識の強いお客様に対しては、お客様自身が自覚している当人の才覚や長所を言い当ててあげる事が先決です。最初に、自分の性格などが良く言い当てていると思われれば、お客様の心が開いてくるものですから、そこから、その人の持っている良さを武器にして運勢を向上するようにアドバイスするのです。

自意識の強いお客様は、性格的に他人に対する配慮が足りませんから、人間関係が円満ではないのは当然です。彼らは他者に対しての不快感を持っていますが、自分の悪さを当ててもらっても納得しません。当人の周りの悪さを当ててもらい、お客様自身に関しては、彼らの良さを引き出して上げて、自信を付け、自分の長所を武器にして運勢を良く出来るようにアドバイスできれば良いのです』

「あぁ〜〜〜自分のお客さんは、本当に自信を持っている人ばかりなんです」

「あなたの占いの話し方は、山雷頤と沢風大過の卦が示しますが、自分自身も不安な為に、自信を持って答える事が出来ていませんし、お客様に対しても上辺だけで、相手の心の深くまでに入り込めていないのです。わたし自身もこんなふうに人には簡単に言えますが、本当に難しくて、むっとして不快感を露骨に表すお客様もいまして、本当に、誰にでも
納得していただけるような話をする事って難しいですよね・・・」

同業の方にずけずけと言って申しわけない気持ちだったが、その方はとても穏やかな優しい方で、素直に受け止めてくださった。

この運勢では、数年は占いの仕事で稼ぐ事は無理だとおもったが、本人は占いが好きで他の仕事は考えたくないとおっしゃっる。
しかし、仕事の運勢で『天山遯』では、目先としては、この仕事を辞める方向に向かっている。
占いの仕事以外は絶対にしたくないとおっしゃるので、この台詞は言わなかったが、
5−6年以降から占いの力がつくが、それまでは充電期間中なのである。
今頃どうなさっているだろうか・・・と気にかかる。

私は、長い年月お会いしていないお客様の事も、どうしておられるかと良く考える。
私の事を忘れて元気に日々を過ごしておられる人も多いと思うが、本音でお話をして下さったお客様の事は、肉親のような身近な存在に感じてしまう。
初対面のお客様からでも心の内面をさらけ出されると、過去に罪を犯していても、現在恐喝をしていても、その相手の心が自分の心の中にすっぽりと入り込んで、同じ魂の共有者と言った気分になる。

一般的な第三者が、悪い事をしていれば嫌な気持ちになるのだが、相談者から悪い事を告白されると、自分がやった過ちのようなそんな感じで、私自身が共犯者になった気がして、心が虚しさで重くなる。
そういうお客様が、鑑定が終わる頃『神様ってあるんだな〜。悪い事ってできねえもんだな〜』とつぶやく事がある。
そんな台詞に、私の心も和み、嬉しくなる。
「もう、悪い事をしないで生きていくつもりになったのですか」と質問すると
「罰は当たりたくないもんな」と飾り気の無い表情で答えてくれた。
動物の中で、罰を意識するのは人間だけだろうと思う。
之が人間の救いかもしれない。
前科三犯で、サラ金の取立てで殺人未遂で捕まった事があるという24歳の暴力団員だったが、占いを通して神様の存在を信じたと言ってくれた。
今頃どうしているだろうか・・・・・。
ジャニーズのV6の岡田君に似たハンサムな青年だった。
暴力団を辞めてどんな仕事が適職かと占ったが、水商売の卦がでていた。
「やっぱり、ホストに戻るのか・・・」と、ため息をつきながら、「女は面倒なんだよな、最近の女は暴力団でも前科三犯でも気にしないんだよ、イイんだか、悪いんだか・・・」
悪さをかっこつけて見せる若者が、今時の女性達の感性をニヒルに観ているのも
おもしろかった。




余談


先週は丸々一週間、1日平均3−4時間睡眠で、神経も体もやられるほどの忙しさだった。
易日記に曽我ひとみさんの御主人・ジェンキンスさんについて占って書きたいと思っていたが原稿書きに追いまくられる羽目になり、占えずじまいで、家事労働も何も出来ずに
ただひたすら原稿書きをしていた。
女の子向けの雑誌の占い特集なのだが、書く内容が多く、さし迫った締め切り日を言われて、気楽に受けたところが、やってみると大変な事になった。
わたしの体が、仕事を露骨に拒絶して、寒気と胃痛で吐き気がしてパソコンを床に置いて、毛布に包まりながら横になって打った。
うまく出来ないストレスにさらされ、思った以上に時間がかかり、自分の甘さを思い知らされた。
人気作家が締め切りに追われてホテルに篭る話を楽しそうだと思っていた私は、こんな短い期間の原稿書きを経験しただけで、人気作家への夢は消えた。

嫌いだった掃除や台所の仕事が、突如、わたしの気晴らしに変わった。
食器を洗う手に冷たい水が心地よい。
なんと、食器を洗うことは気持ちよく気楽な事なのだろうとおもう。

顔の6つの各パーツから、恋愛・結婚・友情・Hのそれぞれのベストとワーストの相性を割り出していくのが面倒で、
疲れた寝不足の頭では、ボケた脳が更に朦朧として、我ながら、自分の思考も判断も
信じられなくなった。
しかし、時間単位で原稿の催促が入り、学校から帰宅した16歳の娘に原稿の確認や見直しを頼むと、日頃勉強嫌いな娘が、「之をやっていると嫌いな勉強を凄くやりたくなった!」といって、子供部屋に逃げて行った。

「そうなんだよね。こういう事をしていると本当に、お母さんも嫌いな掃除がしたくなるのよ。」
現状から逃げたがる気性が、子供にちゃんと遺伝していた。

エッチの相性の理由づけに関して書くのは、経験不足でもあり苦手な部分で、どう書いてよいのか判らなかった。
書く数が、エッチだけで48通りもあり、頭に台詞が浮かばないまま時間だけが過ぎ、締め切りが不安で胃痛になり、頭痛と体の凝りで血液がめぐらず、何度もお風呂に入ったりドリンク剤を飲んだ。
エッチ好きの知人に連絡をして台詞のアドバイスを頼もうかと思うほどだった。
≪締切時間が3時間前のとき、タイミングよく電話が入り、台詞に協力してもらう事が出来たときは、涙がでるほど嬉しかった≫

耳の形でのエッチの相性など本を見てもわからなくて易で占った。
不思議と耳でもHの事が分かるらしく、それらしい答えが出てくれた。
事実は体験しない限りわからないが・・・・。

このコラムを読んだ人は、この占い師、かなりの好き物だって思うかもしれない。
20代の頃の私は、職場でエッチな雑誌を読んでいる社員がいると、ショックで震えて泣くほどだったのに、今では、そんなエッチを平気で書くのだから、人間というものは変わるものである・・・・・。

大胆で恥じらいを忘れた私だが、この雑誌の名前は秘密にしたい。






2004年5月30日

「伊東家の食卓」


我が家の娘が、番組に裏技を出して採用され、今日はビデオ撮りに番組製作会社が我が家にやって来ました。
娘の学校がテレビ出演を禁じる為に、娘の代わりとして母親の私が一人で出る事になったのです。

裏技と言っても、知っている人は知っているという大した事のない技を得意げに披露する恥ずかしさもあり、今日のビデオ撮りは、とても恥ずかしい気持ちでした。

私にとって、無事に裏技を披露して収録が出来るかと前日に占いましたので、今日はこの易について書く事にします。

「裏技の収録の出来ばえ如何に」

天文  離為火   之卦   雷山小過    本卦  地山謙
            主爻   地雷復      主爻  火雷ゼイゴウ

人文  地雷復

地文  火沢けい
天地  火沢けい


かなりきつい卦が出ており、何とかこの運勢を当てない方法を工夫しなければならないと考え込みました。
「火沢けい」は、ちょっとしたことで、うまくいかないという意味なのです。
さらに、「火雷ぜいごう」は、苦しくて歯をくいしばっています。
「地雷復」は、修復ですから、何度もやり直しをしています。
之卦の位置に出る答えは未来を示すのですが、「雷山小過」は駄目だという意味です。
もしかすると駄目な収録となり
取り直しになってしまう可能性が濃いと感じました。
あるいは私がかなり酷い事をしてしまうのですが、自分がそこまで酷い事をするとは思えません。
本卦の「地山謙」は世間の信用を得るという意味の卦ですから、結果的には何とか通用させていく事ができるのですが、そこまで行くのに、かなり苦労と失敗がある卦なのです。

前もってこんな風に、運勢を悪く言われて、気分が重くなりました。

自分の能力が足りないから運勢が悪く出るのですから、能力を高める練習をつんでおけば、運勢の悪さを打破できるわけです。
そこで、前もって家でも、公開する裏技を練習しました。
タイムも計って目標の時間で出来るところまで何度も練習を積み重ね、之で運勢の悪さをフォローできたので、きっと問題なくビデオ撮りが完成するだろうと思っていましたが、今日の結果は、残念な事に、この占いに出たとおりになってしまったのです。

まず、私が、局側が持ってきた家庭用のビデオに向かって裏技について説明するのです。その台詞は局側が用意したものです。
たいした台詞ではないのですが、例えば、「〜〜〜しながらカメラを見て、この台詞を言ってから、冷蔵庫の傍に言って、ドアを閉めてから、この台詞を言ってください。」と指示が出ます。
普通の人ならば、簡単に出来るのですが、私はこの行動と台詞がきちんと理解できないのです。
自分の脳のボケを不安に思っている私にとって、まさに自分の理解力と記憶力の病的な弱さを思い知らされて、何度も何度もやり直しで大変だったのです。
今言われた台詞を、「なんでしたっけ?」と何度も聞きなおして、90近いおばあさんのようでした。

やりながら、「之が運勢の悪さだったのか!!脳の記憶は努力では克服できない」とおもいました。

ところが、悪いのは脳だけではなかったのです。まず私は五十肩という右腕の痛みで
腕を使うのが、「うっ」と歯を食いしばるほどの苦しさなのです。
こんな時に、腕を使って、卵白をかき混ぜてメレンゲを作って見せなければならないのですが、腕が辛くて、持続できる力が維持できなくなり、目標時間で完成できない事が何度もあり、やり直しの連続でした。
伊東家の方でも、裏技は既に実験済みで、一般の子供にやらせてもできたそうですが、私が出来ないのですから、情けない事なのです。
成功すれば一回で終わる事が、失敗の連続で、何度も何度もやり直しで、そうでなくても苦しい腕が、「もうダメ!!神様助けてっ!」と、真っ赤になって言うほどでした。
卵白と黄身を分ける時には、「まず最初に、卵を二つ、黄身と白身にわけま〜〜〜すっ!」と
明るく得意げに言ってくださいと、指示されました。
たいした裏技でもないのに得意げに言うなんて恥ずかしい!と申しますと、「そのほうが観ている側にとって興味が湧くので良いのですよ」とのことで、顔が引きつっている自分を感じました。
私は何度もやり直しで、やっとこ、スタッフからOKと言って頂いたときに、その時に割った卵が、双子の卵だったもので、その驚きで次に言うべき台詞が引っ込んでしまって、
「わ〜〜〜〜〜っ!双子だ!あっ、いけないっ!こんな事言っちゃいけませんね!」という感じで、愚鈍なおばさんそのものでした。
スタッフの方が帰るときに、「又撮影しなおしに来るかもしれません」という言葉を聞きまして
易の卦に出ている「雷山小過」と「地雷復」の卦が頭によぎりました。
「ダメでやり直し」という意味です。
今日だけのやり直しだったのか、又さらに来てもらう事になるのか、再度占わないと
ここでは断言できませんが、やり直す事の苦しさを避ける事が出来なかったのです。





2004年5月23日

「娘のうつ状態の理由如何」


私の娘が思春期に入り、憂鬱で虚しくてたまらないと言ってよく泣いていた。暗い顔をして沈んでいる事が多いので気になり、
私の先生の所に行って占ったことがある。
今回はその時の占いを書く事にしたい。

娘の鬱の原因は何か?
天文 雷水解(緩む)        不変   本卦  風沢中孚 (心・内面)
人文 火風鼎 (バランス)          主爻  火風鼎 (バランス)
地文 雷山小過(背中合わせ・不都合)

天地 雷山小過


「人の気持ちはこんなものでしょう・・・。私だってそうなります。あなたもそんな気持ちになることがありませんか?」そう答えたまま、
先生はしばらく何も語らなかった。
先生の瞳は潤んでいた。
長い時間黙ったまま潤んでいた。

先生もどうしょうも無い虚しさに苦しくなる事があるそうだ。
若いときは運動が得意でオリンピック選手になりたかったと話された。
先生は3年ほど前から、立ち上がる時も非常にゆっくりで、かなり時間がかかるようになった。
立ち上がるのか足の位置を崩すのか、先生の体の欲求は何を望んでいるのか、見ている側もなかなか判断が出来ないほど、先生の動きはスローモーションのようになっている。
その先生の前で私は足がしびれてしまい、つまずき転んでしまった。
その時に、立ち上がる事も大変な先生が、椅子に座っていたが、すばやい勢いで手が伸びて、私を支えて先生も転んでしまった。
幸い怪我をなさらなくて良かったが、あのすばやさには驚いた。
年が年なので、腰の骨でも折る可能性があるのでヒヤッとした。
私などは部屋の中で転んだって、びくともしない体なのだから、そのままほうっておけばよいのに、先生の運動神経が勝手に動いてしまったらしい。
先生の運動神経の敏捷さが老化して動けなくなっているはずの体の中から飛び出した感じだった。
まだ体の機能は大丈夫だと少し安心したが、老化してしまった先生を見るのは悲しくてたまらない。

先生の指導には、昔から易の解釈の説明はない。

「これは誰の心にもあります。」
「あなたにもあります。」
「それが人の心ですから心配ないですよ」とおっしゃった。

「心を言葉で表すことは完全には出来ないものです。」
「心をそのまま、言葉を使わずに、心のまま捉える事が本当の事であるように、
易の意味も言葉に置き換えて表現するのは本物にはなりません。そのまま受け止めなさい」と、
先生の教え方は禅問答のようである。

私は易の勉強に行ったときに、眠くなりそのまま体をコタツの中に入れて横になって先生と話そうとした事があった。
眠いとも何も言わないまま横になると、そのまま先生も黙って横になり二人で昼寝をした。
目が覚めた私の動きで先生も目を覚まして、また話を始めたが
先生は言葉で言わなくてもいつでもこちらの気持で動く。

「動物は人間以上に気持ちが読めるが、人間はバカすぎる」これは先生の口癖でもある。
そんな先生がこの春、老人ホームに入った。
「自分には易しかないのだから、遠慮しないでずかずか来て頂戴」と、自宅での電話の声が、とても悲しい声だった。
易の道具を持って老人ホームに行くとおっしゃった先生が、面倒を見てもらう立場でいかがわしく思われるような占いの道具などは良くないとのご意向で、
易の道具を持って行かなかった。
自分には易しかないという先生が、唯一の趣味まで抑えられ、先生の気持ちを思うと気の毒でならない。
人は老後には自分の力で生きる事が出来ない。
趣味すらも自由にならない。
バスを待つように、終焉の為の迎えのバスを何もせずに待つ晩年。
私はわずか1時間ですら、何もせずに待つのは苦しい。
まして命の最後まで何もせずに待つ事の苦しさはどんなに苦しいかと想像する。
これも乗り越えるべき人生の最後の試練なのだろうか?




余談


昨日も、沢山の悩みを伺った。
趣味や仕事の選択などを質問しに来てくださる方も居られるが、
ほとんどのお客様は、皆悩みを抱えていらっしゃる。

失恋中の人・離婚した人・ご主人に浮気をされている人・家庭内暴力を振るわれている人・
新婚当初から指一本も触れ合う事がないと言う婿養子の夫に悩む、資産家で美人の奥さん・別れたい相手からストーカー行為を受け、
恐怖で好きでもないのに好きなふりをして頑張っている人
・失恋の苦しさに食事も喉を通らないという人
・失恋の苦しさに相手を殺してしまうかもしれない自分の衝動性が怖くて自分の心が今後どうなるかと占いに質問する人等等。
苦しんでいる人達は自分の心が、その問題にぎゅうぎゅうに振り回されて不幸と言う名の底なし沼に入り込んでいる。
悩みというものは、本当に不思議なものだと思う。
悩みは悩みとして存在するのではなくて自分自身の心が、
持ち主の自己に許可も取らずに勝手に悩みとして苦しんでいるように思える事が多い。
心が思い通りにならないのは、心は別人だからだと、言った人もいる。
おもわず「?」と考え込んだが、確かに「そんな風に思って苦しまないで!」と言いたくなるほど、
想いに振り回されるもう一人の自分が存在している。
悩みは、老若男女貴賎賢愚を問わずに、あまねく行き渡っている。

生きている限り、何かする限り、必ず生じる悩みやトラブル。
人の苦悩を聞くたびに、人生や心を大変に厄介なものだと感ずる。
しかし、この死ぬほど悩まされるトラブルの存在に心を痛める事が、人生の充実期なのかもしれないとも思える。

私の師が入居している老人ホームに行って来たが、そこの御老人達は何もすることなく、
ただベットに横たわり、食事の時間が来ると、
スタッフから抱き起こされて車椅子に乗せてもらって食堂に向かう。
することは三度の食事だけ。
私がちょうど老人ホームに着いたとき、私の先生は食堂の前のロビーで杖をついて窓の
手すりをつかんで立っていらっしゃった。
丸くなった腰をかがめてじっとうつむいたままの先生だった。
私は先生を驚かせたくて黙って近づき、先生の腕をとったが私を見ようともなさらない。
『先生!』と声をかけると、先生は雷に打たれたように「はっ!」と大きく目を開いて、
「わ〜〜〜〜〜っ!」と声をあげて持っている杖を振るい上げて、床を打って驚いてくださった。
「まぁーーーーっ!あなただったのっ!!!来て下さったのですか!嬉しいわ!嬉しいわ!!」と
何度も何度もおっしゃってくださった。
先生の喜び方があまりに大きくて、そのホームでの生活の虚しさがどれほどなのか理解できた私は、
切なさと悲しさで涙が止まらなかった。
先生はスタッフの人たちに私の事を紹介しようとなさっていた。
『この人はね、赤ちゃんの頃から私のところに来ているお弟子さんなんですよ』
『赤ちゃんの頃じゃやないですよ、先生、私が25歳の頃ですよ』と言うと
『あら、そうでしたか?あの頃のあなたはとっても小さな子でしたよ』とおっしゃる。
先生にとって、若い頃の私は小さな子供にしか見えなかったようだ。
私の25歳の頃も35歳の頃も、わたしは先生にとって小さな子だったのだと思う。
(いまだに私の心は幼いけれど・・・・。)

この老人ホームはトイレに行くことすら自力で出来ない老人がほとんどだった。
大勢の御老人を食堂に連れて行くスタッフの仕事が大変で食事の時間の一時間も前から
車椅子の老人達は食堂の前のロビーで食事を待ってもらう、とスタッフが説明してくださった。
皆、車椅子に座ったまま何もしないで待っている。
ロビーにあるテレビをスタッフがつけた。
アニメが映っていたが、誰も番組を選ぶ気持ちもなく、流れ作業のように
車椅子に座っている老人達がテレビの前に運ばれるが、誰もテレビを見ているわけでもなかった。
時々、御老人が、私に向かって『お母さん、こっちに来て』と呼ぶ。
行くと、『向こうまで連れて行って』とか『自分にもお話をして』と言う。
手を撫でてあげると、私の手を握り、『ずっとここにいて』といって手を離してくれない人がいた。
ホームの御老人たちは決して仲間の老人とは話したがらない。

何も出来なくなった御老人達を通して、乗り越えなくてはいけない悩みを抱えて必死になっている事が、
人生にとって恵まれた時期なのだなと心から思えた。

悩みを抱えて苦しみながら生きている人達が、本人にとっては不幸でも、何も出来ない御老人と比べれば、
エネルギ−に満ちたまぶしく輝いた存在なのである。

人や全ての生き物の根源的な幸福感とはエネルギーを発散できるかどうかであり、
今持っているエネルギーをどう使えるかが、幸福に至るコツなのだろう。









2004年5月16日



「占い苦労話 ・その1」


私が、占い師の体験談を読むとしたら、当たって凄かった話よりも、外して恥をかいた話とか、困惑した話を読みたいと思うのだが、もしかすると皆さんも同じだろうか?

当たった話、凄かった話などは、眉つばっぽく、どこまで本当かと疑われるだけで、書く意味がない気がする。
馴染みのお客様たちが、占いで驚くような事を経験すると、それを易日記に出したら宣伝になりますよと、アドバイスも頂くのだが、あまりに出来すぎる話は嘘に思えて、かえって信用を失いそうで書く気になれない。
信じない人の事は気にしないでいいんだと、こんなわたしの引っ込み事案さが、いつまでも片隅の占い師止まりにさせているのだと、叱咤してくれる人もいれば、混んで待たされたくないので、目立たないでいて欲しいというお客様もいる。

今回は、「こんなおぞましい奴に占ってもらうなんて冗談じゃないっ!」
と、怒りで真っ青になってしまった女性のお客様がいたので、
私のイメージダウンを覚悟して書く事にする。

最初にお客様の生年月日をみて、星占いで全体的な運勢を告げるはずだったのだが、お客様の星座の名前が、私の口から出てこないのだった。

わたしは自分の度忘れを恥らう事なく「あらら、、、あなたの星座の名前がなんだったのか忘れてしまったわ。ご自分の星座ですから、分かってますよね? これって何座でしたっけ?」と質問した。
この最初の時点で、お客様が憮然とし、無言で何も答えず、許し難いといった冷めた瞳をして顔をそむけた。
「ああ、すいませんね。私ってボケが酷いもんで・・・」と言ったが、許そうとしていないお客様だった。
「かなり怒っていますね?之は当たりでしょ?」と喉まで出てきた台詞を口に出したかったが、お客様は大きなため息を吐き耐え難い様子だったので、言わずに飲み込んだ。

確かにお金を払って基本の星座の名前も知らない占い師では、腹が立つのも当然だろうなと、私も思った。そもそも私の第一印象は、ほとんどのお客様たちから
この人の占い本当に大丈夫かしら?と心配になると言われる。
95%のお客様はわたしの不安定な態度を寛大に受け入れてくださるのだが、今回は久しぶりに思い通りにはならなかった。
「星座の名前は誰もが知っているけれど、運勢を当てれば問題は無いでしょ?」
などと軽口をたたいて、星座で運勢を読んで見せると、お客様は一言
「全く当たっていません!!」と切り口上で断言した。
『あら、まっ!そんなに外れてしまったんですか?そうですか・・・西洋占星術は統計学ですから絶対だとは言えないですものね。でも、お祈りして答えを頂く方法で占えば、統計学ではないですから、こちらは外しませんからね』

易では外さない自信を持っている私なのだが、お客様の恋愛の運勢を観ると、気に入っている人がいるのだが、その人とは縁が無いと出ていた。そう言うと、お客様は不愉快そうな瞳のまま黙っていた。
恋愛の運勢には、なかなか恵まれない性質を持っている人だと易の答えには出ていた、この女性は可愛らしさとか女性らしさが足りなくて、人の言葉を否定的にとらえる性格が恋愛相手としてみてもらえないので、冷たい人だと言う印象をもたれてしまう事が恋愛運が恵まれない事になるので、言いづらい言葉だとは思ったが、もう少し相手に同調してやわらかい言葉使いの出来る人になれば、仕事の出来る人なので、本人の仕事の力に魅力を覚える人が彼女を気に入ってくれるが、思った事を言いすぎる性格を直さないと、充実した望ましい恋愛は難しいと答えた。
しかし、お客様は、憮然とした表情と厳しい口調で言い切るようにこう言った。
「全く当たっていません!私は人に対して穏やかな態度しかとれませんし、感じ良くお付き合い出来ないと断っています!」
私   「断る時の話し方を言っているのではなくて、あなたの普通の会話が厳しい印象を人に与えると言っているんです。
感じよく話していると思っているのは自分だけで、第三者はあなたの普通の日頃の話し方を見て、反論的だって思っているところがあると出ているんですよ。
運勢はね、性格が作り上げるものなので、あなたの対応が恋愛運の足を引っ張ってしまってうまくないんですよ」

お客様   「もう時間が無くなりますから恋愛運をこれ以上聞いても意味がないですからイイです、次は仕事の運勢を占って下さい」

仕事の運勢は、本人はかなりの才覚を持って責任ある仕事をしているし、仕事の出来る人で、一生食べていく事には困らないほどの実力があり、同じ資格を持つ他の人よりも優れたアイデアを持っているとでていた。
しかし、そのわりには仕事が責任ばかりで、やって当たり前であり、今後も忙しいばかりで楽しくないし、自分ひとりで考えなくてはいけない事の負担が多くて、長く今の職場で働く気持ちになりがたいと答えた。

「全くそんなことは無いです!全部外れています!とっても恵まれて何も問題の無い仕事で楽しいですし、辞めるつもりも無いです!」

   「わ〜〜〜〜〜、全部外れたんですか!!之は凄い!外れているならば申し訳ないですから、お金お返ししますよ」

「お金はもういいですから、転職する運勢を観てください」と、お客様ひややかに言われた。

「とっても恵まれて問題の無い職場ならば、転職する運勢なんて占っても意味がないんじゃないですか?それに全部外れた占いでは、次の答えも信用できなくないですか?」

お客様   「どんなに恵まれていたって、どんな仕事もなにも問題がないと言う事はありえないです。
転職するつもりは全く無いですけど、一様占いにどう出るか聞くだけです。
こんな事を聞くつもりは無かったんです。今いきなり出てきた質問です。転職するなんて考えもしませんでしたから、占いは信じませんけど!」

30分の鑑定時間は過ぎていたのだが、全部外れていると言うので、お詫びとして延長料金は頂かない事にして、最後の質問を占った。

転職の運勢は、今までも転職経験があり、持っている資格の強さから、
必ず採用してもらえる人で、転職は有利だと出ていた。
ご本人は、同じ資格を所有している人よりも実力が認められているし、それだけ才覚のある人で、斬新な物を作り出している事から、就職活動をすれば今までの経歴からも実力を認められてすぐに採用されるし、今の職場よりも転職する方が人間関係もよくなると言う答えだった。
この事も、当たっているとは言って頂けなかったが外れているとも言われなかった。
今までも就職希望をすれば必ず採用される自分だったし、いろんなアイデアが採用されて認められてきたと、教えてくださった。
本人は転職する事など考えた事も無かったが、職場では責任者となっていると言い、自分しか考える事の出来る人間はいないのだが、今回占ったぐらいでまさか転職を考えるとは思ってもいなかったが、転職も考えてみようかと思うようになったと話された。

最後まで冷ややかな態度の無愛想な人だったが、どんな仕事なのか参考までに教えていただいた。

なるほどと思わせるような、採用される価値のある資格を持っている人だった。
そうなると、西洋占星術のときに、奉仕関係の職場で有利な資格を持って働く人で
一生涯食べる事には困らないと言う事を言ったのだが、このことは当たっていた事になった。
人の言葉を否定的にとらえる性格が恋愛相手としてみてもらえないと言った事も、当たっていたように思えたのだが、
本人が自覚してくれない限り、当たったとは言えないというのが、占いなのだ。
そもそも自分の人格を否定されて嬉しい気持ちになれるわけがないのだが、
自分を自覚できない限り、運勢は好転しない。
お客様が満足できずに不愉快になるような話し方しか出来ない自分に力不足を覚える。
「占い師になるための本」を私のために持ってきてくれたお客様がいた。
読んで勉強します。


「余談」

私は軽い脳梗塞を起こした為に、疲れが酷くなると、舌がもつれてロレツが回らなくなってしまう。
血管を広げるクスリを飲んでいるが、息が止まるような激痛が耳下腺の傍を走る。
体も異様に疲れやすくなり、昨日はお客様が多く体力が続きそうも無くて、占い師として
やっていく自信が無くなってしまった。
脳の萎縮も顕著で、アルツハイマーになる可能性が濃いらしい。
いつまで覚えていられるかと、最近は記憶に関して神経質になっている。

メカブを食べると血液の流れが良くなると聞き、今はメカブ三昧である。
メカブが効いているのか、子供は最近記憶力と集中力が上がっているという。
私も、自分が何か覚えているたびに感激して、手を叩いて喜んでいる。
アルツハイマーになる確率が高いなどと病院で言われてショックを起こしていたのだが
私の師匠が老人ホームに入ってから、脳がしっかりして来たのである。
つまり、家庭で好きなものを食べていたのだが、老人ホームで栄養が管理されてからは
以前よりも記憶が良くなってきたと言われた。
88歳でも脳が回復できるならば、私はまだ回復する確率が高いはずである。

今回は「占い苦労話・その1」と数字を付けたので
わたしの失敗や恥をかいた体験占いを、また書くつもりでいる。
失敗の体験には不自由しないだろうから、いくつの数字まで行けるだろうかと、
自分をいたぶりたがっている、もう一人の自分が心の中でほくそえんでいる。

自分の失敗に気付かなくなった頃、この易日記に、大きな自慢話を書くのかもしれない・・・。











2004年5月4日
「自己責任」


イラクの日本人人質事件が無事に解放されホッとしたが、世間では「自己責任」という言葉が飛び交い、彼らを反日的分子だとか、公務執行妨害に当たると批判している自民党の議員も登場した。

一般人からも、「死ね」という嫌がらせ電話やファックスが届くらしい。

世間を敵に回してしまったという衝撃を受け女性の高遠さんは現在たちおなれない精神状態にいるという。

中曽根康弘元総理大臣や政治経済評論家の竹村健一氏が、信頼し一目置いている某宗教団体の教祖がいるらしいが、私はこの教祖の笑みをたたえた穏やかな瞳と落ち着いた風貌に人徳の深さを感じていた。

この教祖の書いた本を読むと、かなり強く過大な自己過信を持っているところがあり、私の感覚としては、自分の能力に絶大な自信を誇る人を、素直に尊敬できる気持にはなれないのだが、この教祖の思考は、すばやく冴えた切れ味があるのが心地よく、教祖のものの捕らえ方を、会報誌を通して知るのは楽しかった。

私は、宗教には入らないものの、この教祖と蜘蛛の糸程度のかかわりを維持して、ここの会報誌を数年取り寄せていた。

今月届いたここの会報誌の最初のページに、イラクでの日本人人質に関して、教祖の冷酷な暴言とも言える批判が書き記されていた。

高遠さんを、「女」と呼び彼女の姉弟を「女の愚弟」としるし、「恥を忘れた日本猿」とまで言い切っている。

文章の最初から最後まで教祖は、拘束された人達の解放のために自衛隊を退去するべきと主張した彼らの家族と民主党の菅党首や朝日・毎日新聞の見解、マスコミ報道に意見を一致させる日本人を猿知恵にも劣る思考で、日本人をお粗末だと嘆いている。

今回、この教祖の怒りの強烈さをこの文章から知った私は、教祖の嘆く気持もわかるが、どこの宗教家も持つ特有の不遜さと、正義の名の下に、人を厳しく批判していく事の出来る優越感が、この教祖にもある事を感じた。

わたしは、三人が拘束されたばかりの時の家族の会見に関しては、テレビでほんの最初の瞬間しか見なかったのだが、被害者の家族達が無言に席に着く時に、彼らから出ている雰囲気に気の荒っぽさと殺伐とした気性を感じ、彼らに対して同情心が湧かなかった。

それ以上はテレビを見る気になれずに台所の片付けをした私だった。

人は黙っていても、好感を持てる人や、気にもならない人、不快感を感じさせる人と

人格の持ち味があるものだが、彼らには、人の情をひきつけるようなものが足りなかったと思う。

彼らが世間からあきれられてしまったのは、家族達の傲慢さと自信、そして彼らの自分の信念に対しての絶対的な自信と他者に対しての配慮のなさだったのだと思う。

つまり、人は、自分に対して絶対的な自信を持っている人、他者に対して配慮の無い人を、好まないのである。

以前、イラクのストリートチルドレンの記事を見た事があるが、子供達が雨水の溜まったので顔を洗う生活をしていた。

それでも、ほんのちょっとの食料を野良犬に分けてあげていた。

自分だって寝る場所もなくて帰る家もないのに、ひもじくて一日一食やっとありついて、それを犬に分け与える子どもなのだから、この子どもが心底悪党になる前に、まだ心がきれいなうちに、なんとかしてあげたいって思う気持ちが、イラクで拘束された彼らには強くあったのだと思う。

助けるべき相手だって純粋に思ったのだ。

このような気持はテレビを見ている人で思う人も沢山いるはずだが、本当に実行に移す事の出来る人は滅多にいない。

彼らは、ほっとけない、誰かがしないから自分がするんだ」って思ったのだろう。

正しい行為をしている、尊敬に値する行為をしているという事で、彼らも彼らの家族も

自分達が立派な正義の人間であって、国に迷惑をかけた事など思いも及ばなかったのだ。

自分達の存在を国家運営以上の価値があるとみなしていたのが、彼らの愚かさだったのだ。

きっと彼らは普段から、「いい事なんだから、正当な事なんだから、通って当たり前!!!」って思って生きて来たのだろう。

マトモなことだって通らないのが世の中で、悔しい思いや情けない思いでいる人は多い。

世の中は、正しいんだって押し通すだけでは通らないって事を、彼らは今までの人生の間に経験して来なかったのだろう。

普通の人はそれを知っていなくても、肌身で感じて、色々ガマンしたり悔しい気持ちを自分で咀嚼して辻褄を合わせて生きてるのだから、あの傲慢な家族の態度に、世間は敏感に拒否反応を示したのだと思う。

劣化ウラン弾の青年のことも、馬鹿じゃないか、自分が好きで行ったんだから死んでもいいんだって言ってのけた人もいる。

確かに、好き好んで行ったが、劣化ウラン弾の被害はもっと報道されるべきだと思うので、やっぱりあの青年の行為を全て否定できないとも思う。

簡単に、彼らを切り捨てる発言をすることのほうが、彼らの世間知らずな根性よりも恐ろしいと私は思う。

まして宗教家であるならば、愛と智恵を持って、万人に心のあるべき方向を示せる人であって欲しい。また、信者もそういう人を教祖として選んでもらいたい。

教祖が信者を育てるのではなくて、信者の価値観が教祖を育てる事も大いにあるのだから。

絶対に正しいと信じ行動し発言した3人の拘束された家族と同じように、沢山の弟子を抱えて尊敬されている教祖も自分の信念に絶対の正しさを信じて、諸刃の剣をむけている。

わたしも彼らを賢いとは思えないが、世間は愚かな人が多いのだから、宗教家ならばもっとあるべき方向に我々の心を導けないものだろうか。

教祖を信じる人の価値観まで同じ色に染めてしまうのが、宗教の怖さだ。

世間は、数の論理で、正義が決まるところがあるが、数の流れのままで善悪を考えてしまう日本人の感覚のほうこそ思考を操作されていて恐ろしい。

 パウエルが、政府からの一方的な情報だけでなくて、命がけで戦地に行く報道陣がいて公平な情報を皆が知ることができるので、勇敢だって言ったそうだが、その程度なら共感できる。

日本政府が言う、「自己責任」という気持も納得できなくはない。

良いも悪いも、一概では言えないってのが本当だろう。

あの三人とその家族達は、今までの人生で、自分が数の論理で相手を批判してやり込めてきたのかもしれない。

今は立場が逆転して、自分が批判されることになって、参っているのだろうが、彼らだけの苦味ではなくて、我々にとっても良い勉強となって、今後の考えるきっかけとしていきたいと思う。

最後に、某協会は、某過激派とどういう関わりを持っているのかと占った。

天文  地沢臨    之卦  火地晋    本卦  雷水解

             主爻  沢天夬     主爻  水天需

人文  水風井

地文  天風妬

「おそるべし!某協会!」

協会は、過激派の共犯者として、資金集めのために過激派に

誘拐させている出ています。

内心は悪をもち、外面は世間の信頼を得る対応をしているのというのです。

日本政府も莫大な身代金をはらっている事も易に示されました。

聖職者だと自分を名乗る自己アピール、それ自体が聖職者ではないといえるのですよね。

もし神様が姿を見せてくださったら、神様はご自身を『私は神です』とはおっしゃらないのではないかと思います。

「我は神なり!」と拳を振るい上げて興奮して何十回も叫ぶどこかの教祖もいるが、これを神に憑依されているため神の言葉だと言う。

神様が、それほど自己アピールしたいならば、その神様は虚しくて寂しくて心がうつろなのだろう、そんな態度は神様の品格を下げるから止めた方が良いと、私はおもう。

偽者と本物の神様を見分ける方法は、毅然とした透明感の在る光を感じる事である。


余談

今回は、私の体調不良をご心配くださり、思ってもいないほど沢山の方々からメールを頂きました。

一年以上お会いしていない方からも、一度だけ鑑定に来たお客様も「覚えていますか?」と

お顔の写真を添付したお見舞いメールまで頂きまして、皆さんが私のHPをご存知で見てくださっていた事も教えていただいて、とても嬉しかったです。

家族と一緒に送られてきた添付の写真を見ながら、

「おっ!かわいい子だね」と夫も喜び、子供も『お母さん、やさしい人が多くて良かったね』といって私と一緒に喜んでくれています。

今回体を悪くしたお陰で皆様の愛情にいっぱい触れる事が出来まして、とっても幸せでした。

優しい言葉をかけて頂き、私の眠っていた愛情が揺動かされる様な気持です。

皆様本当に有難うございます!

皆さまにも、幸せな元気な気がいっぱいみなぎって、皆さんの人生の開拓に心弾んで向かう事が出来ますようにと、心の底から願っております。

幸せでありますようにとお祈りしております。(合掌)




〜2003年はこちら
2004年1月〜4月はこちら