200504〜200506

石井清龍の本筮易
易日記

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2005年6月26日


「東京直下型・大地震が7月に来るという噂」


今年の7月には東京に大地震が襲う噂があちこちにあるらしい。
以前、阪神大震災を予知して当てた事がある、今は亡き占い師が、東京の大地震も予言しているのだが、今年の7月に東京大地震が起きるといわれている。
そんな理由からなのか、2ちゃんねるのスレでも、電車のつり広告からも「大震災・東京直下」という太字のとがった怖そうな字型が目に飛び込んでくる。

お客様からも、東京に大地震が来るか占ってくださいと言われることが最近増えてきた。
以前も東京に大きな地震が来るかと、個人的に占ったことはあったのだけど、誰の質問に対しても同じような答えをいただけるとは限らない。
神様に質問をして答えを頂くのだが、同じ質問でも、聞く人によって答えが微妙に違う時がある。
神様にも感情があるらしく、質問される人によって、答え方を適当にはぐらかしてくるような答え方をされる時がある。
気持ちのまっすぐな人に対しては、波長が届きやすいものでもあるのか、占った質問に対して神様の答えはとてもはっきりと出される。
私自身に関しては、自分の気持ちにあまり自信も無いし、占った内容すら記憶に無いような、以前占った内容を覚えていないという、神様から見たら、不甲斐無いだらしない性格なので、いちいち私が質問してもすぐに忘れてしまう奴には、まじめに答えてもらえないかもしれないと疑惑がかすめたりで、東京に大地震が来ますか?と占っていた自分の易に関して、半信半疑となり、占った時に今年は東京は大丈夫だと示されても、地震の揺れを感じると不安になっていた自分だった。^^;
しかし、純粋に私の易の神様を信じていらっしゃるお客様がいらっしゃったとき、
その方は、わたしの占いを知ってから、すっかりと龍神を信じるようになり、見事な龍の絵をかかれるようになった。その方から「東京大地震があるか、今年中にあるかを知りたい」と言われた。
「もうすでに先生は占っているでしょうけど・・・」といわれ、
「神様に気持ちをまっすぐに向けている人に対しては、どんな風に答えてくださるのか
あなたの質問にはどう答えるか占ってみます。
あなたに危ないと予告してきたら、わたしも気をつけることが出来ますから」と占ってみた。
その時にでた卦は、今まで答えていた質問の中で、一番はっきりとした答えだった。
「今年は東京に大地震は来ないから、心配しないで大丈夫!!」
私が質問したときは、「今年は揺れて驚くことがあるけど、大きな事にはならない」程度だったのだけど、純粋に信じる人には、安心感を与えるような答え方をされることを感じた。
気持ちのきれいな人には、神様の気持ちの向け方も、まっすぐで、にこやかで癒すように答えてくださるのを感じる。
人も自分に対して感じのよい相手には、自然と心も開いていく。
神様だって、好ましいとか、情けないなって思う感情があるのは、当然なのかもしれない。。。












 

2005年6月5日


記憶喪失のピアノマン


イギリスの海岸で保護された若い男性が、記憶を失っていて、一言も語らず、ピアノの腕前がプロ並みということで、謎に包まれた人物として5月から話題になっている。
「ほんとうに、記憶をなくしているのだろうか?」
「映画の宣伝のために演技をしているんじゃないか?占ってみて」との外野の呼びかけがあった。
一言も言葉を発しない、謎とロマンを掻き立てるこの男性は、音楽関係の仕事をしていたのではないかと言われているが、彼の状況をみるために占ってみた。

天文  天山遯   之卦  沢火革   本卦  乾為天
             主爻  乾為天   主爻  山天大畜
人文  水山蹇
地文  天山遯
天地  天山遯


彼は記憶を失う前から心的外傷を抱えていた、と占いに示された。
当然、神経症なので引き篭もりの生き方をしていた。
頭ではいろいろと考え悩みすぎるくらいに悩む人なのだが、行動を起こすことができずに
社会適応をまともにできない人である。
彼の家庭環境は裕福でエリート意識の強い父親だったようだ。
高い理想を求められながら育てられてきたのに、優秀な息子になれないどころか、軟弱でほとんどニートといえる状態の生活をするようになっていった。
親から『見込みの無いだめな人間』としていさめられながら、彼自身も根性が無く
努力することも出来ないまま、どんどんとコンプレックスが増徴して社会を疎むようになり引きこもりになってしまったらしい。

彼自身は、断片的な記憶だが、すこしの記憶はある。
それを語らずにいる。



余談


昨日は、私のHPを見て初めてご来店くださった男子大学生が来てくださいました。
賢そうな瞳とちょっととまどった表情を見せながら、はにかんだような笑顔で
言葉を選びながら話す人でした。
「僕は一年前からあなたのホームページを見ていました。一度占ってもらいたいと思っていたのですが、来るのが怖かったんです。今日、意を決して来ましたが、やはり怖くて緊張しています」と、椅子に座るなり、こう話しかけて下さいました。
初めて来てくださるお客様たちは、この方と同じ事をおっしる人が多いのです。
はじめて占いに来る気持ちって普通の人たちは緊張するようです。
「緊張します」「怖いです」「ここに来る事を長いこと悩んできました」
こんな風にお客様におっしゃっていただくのですが、
「どうですか?私を見たら、もうすっかり怖くないでしょう?」と申しますと
100%のお客様が、コクリとうなづいてくださいます。
この大学生は、「HPの印象よりも、実物はやわらかいですね。HPは固いですが
本人はやわらかいです。また来たいと思いました」と幾度もおっしゃってくださいました。
文章はその人を表すと言いますが、皆さんが実際の私とホームページと印象が違うとおっしゃるのです。
いったいどちらが本当の私なのか・・・、と自分でも自分がわかりません。
「思っていた以上に家庭的な優しい人でほっとしました」とおっしゃってくださる方。
「男らしくて頼もしくて惚れます」とおっしゃる方。
「お花畑みたいな人ですね」とおっしゃる方。
「こんなにやわらかい人が、あのHPを書いているなんて!」とおっしゃる方。
それぞれが感じてくださる私へのイメージは、様々のようです。
きっと、暖かいイメージを感じてくださる皆さんは、その人ご自身が温かい人なのだろうと思います。
実際の私は、家庭的ではないですし、男らしくもないですし、お花畑とは程遠いです。
でも、どうやら、やわらかいのは本当みたいです・・・。
優しい気持ちでわたしを見てくださる皆様に、お礼を申したいと思っています。










2005年5月29日

日本で初めて鉄砲を作った
八板金兵衛の娘「若狭」 
 


歴史上で知りたい人物の知られていない真実を知りたいと思うことが、時々ある。
明智光秀は織田信長を倒した後、農民の槍で殺されたというが、
本当は徳川家にかくまわれ、生き延びることができたのではないか、という説もあるが、
事実はどうなのだろうか?とか、
信長の妹「お市の方」が柴田勝家亡き後、自害した理由は、夫を慕ってついていったのか、あるいは世を儚ん(はかなん)での自害だったのか?
城が滅ぼされても奥方は自害しなくてもよかったのに、お市の方が自害した本当の理由は知られていない。
徳川埋蔵金は本当にあるのだろうか?また、あるならばどこにあるのだろうか?
こんな問いかけを、いろんな人達から受けたことがある。
これらの質問にそのつど占い、自己満足ではあるけれど自分の小さな想いの世界で歴史上の人物の気持ちを感じとってきた。
人の感性が歴史という時間軸の中を途切れること無く、まさに川のように流れながら、人々の織り成す魂の葛藤が、哀感という陰影を作り上げ、哀感が深ければ深いほどロマンが膨らみ、悲しみが美しささえ感じさせながら歴史は流れていく。


人間の想いには、古代から永遠に無常観が避けられなかったように思えるし、他人の思いも、歴史上の有名な人の思いも、人生にものの哀れを感じている。

ドイツの文豪ゲーテが言うように、悲しみや苦しさを覚えず、魂が本当に幸福でいられるためには「白痴」になる以外ないのかもしれない。

歴史上の過ぎ去った証拠も取れないようなことを占っても、当たったという証拠はないのだが、そんなことを書けば書くほど「いい加減な奴」ということにもなりがちである。
歴史上の人物の知られていない運命や心の中に関しては、いつか別の形で書いていきたいと思っている。
今回は、日本で初めて鉄砲を作った人「八板金兵衛」の娘『若狭』についての問いかけを頂いたので、そのことを占った。
今の私がセンチメンタルなのは、この若狭と若狭の父の思いを占いを通して知ってしまったからだ。

鉄砲を売りにきたポルトガル人を乗せた明国船が1543年に種子島に漂着した。
当時の金額で概算すると2億円を払って2丁の鉄砲を購入したそうだ。
その鉄砲を作らされたのが、鍛冶職人の「八板金兵衛」(やいたきんべえ)だった。
鉄砲をつくる技術を与える条件として、ポルトガル人から、八板金兵衛の娘をほしいと言われ、八板金兵衛は娘『若狭』をポルトガルに嫁つがせた。
日本に始めて鉄砲が来たのは、ポルトガル人によってだということを誰も知っていることだと思うが、その裏には若狭親子の犠牲や悲しみがあったことをわたしは知らずにいた。

若狭に関する記録が残されていないというが、若狭のお墓が日本にあるという説、ポルトガル船が中国に行き日本に戻ったとき、父親が「若狭」が急死したといってポルトガル人である夫に「若狭」を引き渡さなかったという話もある。
「若狭」の棺を開けろ!と迫るポルトガル人に、若狭の父親は拒絶したという話もある。こんなことから、若狭は鉄砲の犠牲にならず、日本で平和に暮らせたのではないだろうか?果たして本当に娘「若狭」はポルトガルに行ってしまったのだろうか?
本当のことを知りたいというメールを頂き、私も気になって占うことにした。

『若狭』はどういう人生を送ったか?

天文   乾為天    之卦  雷沢帰妹  本卦  天沢履
               主爻  雷火豊    主爻  同人
人文   雷火豊
地文   坎為水
天地   天水訟


若狭はポルトガルに行き、正式な妻とされることは無かった。
お妾さんとしての扱いでもなく、ポルトガル人たちに娼婦として扱われ、人生も短く終わったようだ。
若狭を貰って行ったポルトガル人は他国にいくたびに、その国々の女性を一人づつ貰って行き、国に帰って生活の羽振りは良く、たくさんの女性をはべらせていた。
若狭は誰からも暴力を振るわれるようなことは無かったし、若狭に対して優しい言葉をかける男性はいたが、心から信頼できる人はいない寂しい人生だったのである。

若狭を貰っていったポルトガル人は、日本だけでなく訪れた異国の女性達を、国の土産として持ち帰っていた。
当時の若狭の年齢は、今で言うならば子供の年齢で14〜6歳だったとおもう。
そして三十代後半か40代前半くらいに病気で亡くなっている。
若狭をポルトガル人に渡すことを、若狭の父「八板金兵衛」は、娘が正式な妻とされないことを感じていたが、戦国を生き抜くために、鉄砲を作り上げることを使命と信じ、若狭にポルトガルに行ってくれるようにと頼み、若狭も自分の存在が役に立つならば
それが自分の天命と信じ、ポルトガルへ行くことを快く快諾した。
当然日本語しか話せないし、外国へ行けば誰も日本語を話せる人もいない、そんなわからない国へ行き二度と戻れないことを覚悟した若狭は、決断力のある犠牲的な根性の娘だった。
またポルトガルの文化の華やかなものを見せられ、日本に無い華やかさを味わえるという好奇心も若狭の気持ちにはあった。
実際、ポルトガルでの生活は物質的には何の不自由もなく、おしゃれな品物に囲まれた生活をしていたという。
若狭の容姿は、背は非常に小柄で足は短く器量は十人並みだったが、細面の眼の細い寂しげな顔つきだった。
若狭の父は、娘がいなくなってから鉄砲のために自分の娘を犠牲にしたことを嘆きつづけ
、いつか必ず帰ってくると待ちわび、神仏に若狭の幸せを祈る毎日だった。
そして、海に行っては、遠いポルトガルにいる若狭に思いを向けて話しかけ、お酒を飲むと涙がとまらなくなっていた父親だった、と易に示された。
若狭の父はドライなエゴな父親ではなく、戦国の世を勝ち抜くための使命感に燃え、
鉄砲作りに取り掛かったのだが、自分の娘を犠牲にしたことの苦しみは、生きることそのものが耐えがたいと思うほどの苦しさを与えていたらしい。
若狭も親の深い愛情を知っていたからこそ、犠牲になることを耐えがたいと思わず、親に対する心からの忠義として、自己犠牲を当然の気持ちとして受け止める女性だった。
ポルトガルに行って亡くなるまで若狭は「これが自分の天命だった」と思い続けていたのである。


若狭の父の娘を手放した後の気持ち

天文  噬ゴウ  之卦   需     本卦   沢天夬
           主爻   小過   主爻   火山旅
人文  天山遯
地文  山水蒙

(ほかに「若狭の人格」・「若狭の容貌」・「向こうに行ってからの若狭の気持ち」・「若狭を貰いたいといったポルトガル人の人格」・「若狭がポルトガルに行くと決断するときの気持ち」などを占いました。これらの占った卦から若狭に関することを書きました)



余談1


根性とかやる気とか、そういう気持ちが心から沸くと、元気がみなぎりますよね。
やる気がでてほしいのに、このやる気が出てこなくて苦しい私です。
どうしたらやる気がでるか・・・、そんなことばかり考える最近です。

今週は、本屋さんで見つけた本がありました。
新潮新書で、知性をただよわせた茶系の表紙です。
仕事も勉強も人脈もアップさせる、ひたらく言うならば、出来る人間になれる術が
書かれてあると表紙が主張している本を見つけたのです。
「よし!これを読んでやる気を奮起させよう!」と、勇んで買ってきました!

私にとり、人生始まって以来、これほどすごいと思う本を、読んだのは初めてだと思いました。
200ページ近い本です。
大学教授が著者です。
何がすごいかと申しますと、最初から最後まで同じことしか書かれていないのです。
「やる気を起こすには○○を持つこと!」この○○を持てば気力が沸き、やりたいことが
やれるようになるというのですが、この内容では週刊誌一ページで十分に事足りる内容なのです。
それを187ページも使って、同じ内容の繰り返しで、いったいこんな内容の本を出すことにプライドが傷つかなかったのか?
あるいは商売なので勝手にゴーストライターにお任せして、印税だけをもらえばいいのだろうか?こんなふうに、おもわず著者の心理を空想してしまったのですが、すごい本を平気で書ける人がいる事に感心してしまいました。
本の題名は書けませんが・・・・・^^;
やる気がほしいと思って、書店でこの本を見つけたとき、どこのページでもいいですから立ち読みで2−3ページ読めば、全部の内容を読んだことに成ります。




余談2


お客様のご相談を通して、社会の状況を知ることが出来ることが多くあります。
国は赤字国債を莫大に抱えているために、国内ではいろんなところで援助を控えています。
国立の大学も、予算を大幅に削減されて、運営状況が大変なようです。
ある国の大使館が、引越し先を探しているのですが、その大使館に日本政府は10億円の
無償資金を援助しました。
その大使館は、そのお金でビルを購入する予定ですが、日本は赤字財政の状態で、外国の大使館にもこうやって援助するとは、ほんとうに身内に厳しく外面を気にしすぎる国におもえました・・・・。
よその国の大使館に新しいビルなどなぜ買ってあげる必要があるのか、私には理解できません。
政府のやり方は、家族に節約させてボロを着せて我慢させながら、他人に豪邸を買ってあげるような、そんな感じすらします。

私の占いでは、テロ組織が日本に侵入するために、その大使館を利用することも裏では考えられていると出ているのです。
政府開発援助といって莫大な資金をたくさん隣国に払っていても、文句を言われ、うらまれている日本です。
せめて政府が払っている援助金をもっと公明正大に報道してもらいたいと思いませんか?









2005年5月15日


「携帯電話番号が運勢を示す?!」


実を言うと、易がなぜこんなに詳しくいろんなことが判るのだろうと、不思議に思っている私がいる。
占っているとき、お客様が驚いてくださり「なんでこんなに判るんでしょう?」と言われ、わたしも一緒になって「本当になんでなんでしょうね?」とお客様と一緒に驚きあっている。
易が当たるということを信じない人のほうが、易を信じる人よりも、常識人であり
まともな人だと思われるし、わたしもそう思っている。^^;
易は、偶然にでたものを天が下さった啓示と信じる。
サイコロを振って出た目を易の卦に置き換えて、それで運勢を判断する。
正式には50本の棒を無作為に分けて、その数を易の卦に置き換えて、それを天の啓示とする。
こんないかがわしい話を信じるなんて!と思うのは当然である。
サイコロを投げて運勢がわかるならば、履いている靴(ゲタ)を投げて天気予報をするのと同じことではないかと思う。
祈って履物を投げれば、明日の天気を絶対に教えてもらえるなんてことはない。
なぜ易の場合は、サイコロを振るだけでも、そこに天の啓示が得られると言えるのか、その理由は私にもわからない。

易占いにかぶれている私は、理屈が通らないことを信じる人に向かって、
「そんなことを絶対だとか本当だと言える証拠はないよね?」と、偉そうに言うが、まさに、自分自身の信じている易など絶対だといえる証拠はない。
しかも、私のする易は18回も陰陽をだす。
ひとつだけの偶然ではなく、18回もの偶然を必然として受け止めるのだから、こんなことは、まさに狂信的な信仰といえる。
こんなに単純に信じているようでは、理論的な考えができない私だと言えるが、結構疑って考える気質だってある。

運の良い方位に行くことで運が良くなるというのを私は信じない。
ラッキーカラーとかパワーストーンで、運が良くなるとも信じない。
西の方位に、黄色いものを置けば金運がアップするというもの信じない。
でも冬には、一縷の望みを込めてみかんを西に置いている♪
もちろん、黄色いお財布が金運をあげるなんて、笑っちゃう!
「するべき努力もできない人が、社会性も弱い人間が、運の良い方位に行ったり、パワーストーンを身につけるだけで願望が叶うほど、人生はアニメチックじゃないもんねー」と、思っている。
また、わざわざ神社などに行かなくても、天に神様はいると信じているので、すばらしい朝日や、澄み渡る空を見ると、祈りたいと思う気持ちが自然にでてくる。
自然崇拝というのか、心が自然と祈りたくなるのが、原始的な元々の信仰心だったろうし、
宗教は後から生まれたものだと思っているので、信仰とは、天と自分の直接的なつながりであって、あえて宗教団体という仲介業者を望みたくないと思っている。
(でも、宗教団体に所属することで気持ちが安定できる人にとって、それは
温泉と同じで、人にとっての癒しとなれば望ましいことだともおもっている)

偶然はない!すべては必然なのです!と力説される人もいる。
それに対しては、「そうかな?」としか言えない。

祈りながら偶然が卦を出すのと、祈らずに出すのとは、出た偶然も質が違うのかもしれないが、祈ろうが祈るまいが易は偶然が織り成す答えなのである。
それが当たってしまう事が、長い年月の体験で疑うことができなくなってしまった。
理屈と結果を比べて、どちらを正しいと優先するか、当然結果のほうが自分の脳が作り出す理屈よりも信頼できてしまった。

そう思えるようになると、偶然に与える数字にも意味があるのではないだろうかと、携帯電話番号を調べてみた。
すると、その番号がその人の性格や運勢を示していることが多いことを感じてきた。
携帯番号がその人の運気や性質を示すという100%の保証はないが、確率的に7〜8割は言い得ているようにおもえた。
またパスワードを数字にしている人も、その数字が運勢や気質を表していることも多い。
親しい友人のパソコンが壊れた時、修理するので家にパソコンを届けてもらった事があったが、パスワードを知って驚いてしまった。
人間関係で争いごとの多い人なのだが、まさにそんな番号をパスワードに使っていた。
もちろん、全体の番号を配慮した上で見るので、長い携帯番号の中に良い番号が沢山あれば、悪い番号がひとつくらいならば、悪さも大して威力を発揮しないともいえる。
わたしの友人の場合、悪い番号を繰り返しているし、それ以外の番号がなかった。
自分の心が、そういう運気の数字を選んでしまうのだろうか?
なんだか、不可解だけれども、あまりにも多くの人の番号とその人の気質が合致していて
知人の携帯番号を見ていると番号が示す意味とその人の状況の共通性にうなってしまうことがたびたびある。

今回は参考のためというか、余興程度の気持ちで、その番号の味を大まかに書くことにしたので、携帯電話をお持ちの方は、番号を確認しながら見ていただきたい。
「43」「11」「99」に「47」か「73」があれば、無駄遣いの傾向が強いし、自己主張がつよい。
この場合は、「47」を無理してなくす必要もなく、無駄遣いを控える気持ちになるだけでいいと思う。

悪い番号「14」「18」「47」「66」「67」「75」「83」「94」あたりがあったら物事が空回りか停滞しやすい・・・。

ちなみに、よい番号「12」「20」「21」「24」「27」「33」「38」「43」
「45」「52」「54」「81」「82」「84」「85」
こんな番号が、車のナンバーとか携帯とか、パスワードにあるといいでしょうね。

大して悪くもない番号でも「71」「77」「79」があると行動力が出しづらい。
「36」だと中途半端で長続きする根性が弱い。

易が偶然の織り成す結果の数で当たるならば、偶然に与えられた電話番号にも意味がある可能性があるのです。
理屈では通用しないのですが、当たってしまうことがあるはず・・・・。


見方

携帯の最初の番号090と080は除いて
その次からの番号を二つ組み合わせてみていきます。

例)277299とならんでいたら
左から二つづつ組み合わせて、27・72・99と見ます。
27は、反応が早い人でしょうが、72があるので自分から相手に何かをしてあげたいと思うタイプ、尽くしていくがなかなか報われない。
99・11の特徴は同じです。
「99」とか「11」「19」「10」「91」は、負けず嫌いで自尊心が強くてかなりの自信家。徹底主義者とか大金とか正義感とかそんな意味があります。

がんばりやだと「20」「21」「34」「38」「44」「61」
「48」と「73」が携帯にあったら、自己アピールの得意なかなり明るい性格でしょうが、楽観しすぎでおっちょこちょいなところもある。
「37」「17」があれば、遠慮しすぎているとか自分自身を出すのが下手で社交性がない。
「15」「54」「73」のある人ならば、かなり社交性のある人ですし、話し上手。
「15」「73」「48」がそろってあれば、かなりのおしゃれ。センスも抜群。
「15」が二つ以上あれば、なかなか人あしらいのうまい人でしょう。
「21」決断力がある・思いきりがよい・歯に衣着せない・手腕家
「22」気楽で楽しい・おしゃべり好き・愛嬌がある
「23」革新的
「24」柔軟性があり、親睦家
「25」取り越し苦労
「26」こだわり強く柔軟性が弱い
「27」ひらめき・即行動する・情熱家
「28」人や物を集めるのが得意・収集家
「29」決断力がある・言い過ぎる
「30」期待と夢
「31」大きな野望・空想家
「32」細やかな神経でよく気がつく
「33」才色兼備・美
「34」理屈形・論争に強い・がんばりや・負けず嫌い
「35」バランス感覚が良い・大器晩成型
「36」未完成・未来によくなる・従順・物足りなさ
「37」世渡り下手・寂しがり・地道な努力家タイプ
「38」希望の星・前向き・明るい
「39」気楽な感覚とかなりの自己陶酔
「40」行動力抜群・気力全開・実力主義者
「41」元気いっぱい・転んでもただでは起きない根性
「42」思い通りになりづらい
「43」頭もよく、金運すごい
「44」働き者・忙しい
「45」穏やかで平和・相手に合わせるやわらかさ
「46」気の緩み・悩み解消
「47」やりすぎ・多すぎ・トラブル・意地悪
「48」お祭り気分・遊び好き・楽しい人・棚からぼた餅・油断
「49」勢い抜群だが、ブレーキを利かせられない傾向がある
「50」ちょっと一休み気分・停滞の運気
「51」繊細な気持ち・過敏に反応
「52」愛情ある人・人情・やわらかさ
「53」おとなしい気質・内観する・消極的・家庭的
「54」社交性のある人・自己表現が得意・プラス意識
「55」は積極性が弱いですが、気性はおとなしいでしょう。
「56」喜怒哀楽がはっきりしている・変化を求める・流浪の精神
「57」癒し系・穏やか・自然体
「58」ひかえめ・不安・小心者
「59」小金
「60」我慢強い
「61」時期が来るのを努力とともに待つ思索家
「62」遠慮深い
「63」完成・結婚
「64」悩み
「65」のんびりとお茶を飲むだけで満足するタイプ
「66」苦労・苦労性・冷え性・
「67」金欠
「68」男女ともに贅沢好み・かなりよい環境でも満足できづらい
「69」61とおなじ
「70」自己の束縛・不器用・実直
「84」新たな道への努力・がんばりや
「85」大きな野望・発展性のある運気
「86」負けん気の強さ・策士家・やり手
「87」社会性・真面目
「88」欲深・受身・自分から行動を起こすのが苦手
「89」自己洞察・平和・中庸な気持ち
「90」自意識・うのぼれ・権威的・正義感



運勢は、性格が作りますので、性格と運勢は似ています。
ちなみのわたしの携帯番号「38」「41」「61」と理想主義で頑張りや・・しかし、
この番号はあえて自分で選びました。偶然に与えられる番号が、運を示す・・ようです。
あえて選んでいるので、どうもピンと来ませんが、悪い番号よりもいいかもデス・・・・



余談


中国に帰国したお客様から教えていただきましたが、あちらの本屋さんで「電車男」が店頭で山積みになって売っているそうです。
電車男すごいですね。

ネットで親しくなった方からこんなメールを頂きました。

ところで、最近なぜか私の頭から離れない人物がいます。
それは歴史上の人物なのですが、16世紀に種子島に流れ着いたポルトガル人に、鉄砲の銃身の底の構造の秘密を教えてもらうために、秘密と引き換えにポルトガル人に連れて行かれた、種子島の鍛冶職人八板金兵衛の娘「若狭」のことです。

若狭がポルトガル人のお嫁さんになったとされていますが、
(1)婚約者もいたのに若狭は本当に納得して行ったのか、無理やり行かされたのか?
(2)嫁に行ったということになっているが、娼婦の扱いではなかったのか?
(3)ポルトガルに渡った後の若狭のその後はどうなったのか?
が気になって仕方がありません。
若狭のその後についてはどれも推測だけで、彼女のその後の正確なことは分からないのです。


わたしは歴史物に詳しくないのですが、この「若狭」について後日占って見ます。
来週の日曜日までに占えるかどうか、ちょっとわかりませんが、待っていてください。









2005年5月9日

 「人の思いが気になる・3」


「どうしても、気持ちが落ち着かないんですっ!占いに来るのが病みつきになってしまいました」
思いつめる若い女性のお客様だった。
人情に価値を置くこの女性は、ともに働く会社の仲間が好きだった。
また会社の仲間達からも愛されたいと思う気持ちも強かった。
こんな彼女が働いた職場の人間関係は荒れていた。
上司が部下にいやがらせをしたり、グループ同士が敵対したり、影で悪口を言い合うのを聞かされる彼女は、彼女にとって嫌な人がいないために、誰とでも仲よくし、愚痴を聞かされると、問題を解決して仲の良い職場にする事を彼女自身のなすべき生き方だと決めて、知った情報や皆の抱えている愚痴を相手にもわからせて皆が仲良くやるにはどうするべきかを提案したり、相談したりと積極的に行動を起こした。
職場のすさんだ人間関係にたいして、真剣に捕らえる彼女だったが、親しかった仲間たちが彼女を無視しだした。
なぜ無視をするのか?
自分の何がいけないのか?
苦しそうに涙をこぼしながら相談する彼女だったが、会社の人たちの思いが恐怖になり
眠れない日も増えていったそうだ。
結局、仲が悪かった人達はそのまま会社で働き続け、皆を好きだった彼女は、会社にいられなくなり2ヶ月前に退職した。
辞めた後も会社の仲間が気にかかり、会いたいという。
今彼らは、彼女がした行為をどう思っているのか、それが知りたい。

「自分がどんなに正しくても、人にとっての真実は本当の真実とは無関係に、その人だけの心にあるものです。・・・ですから、人の感性はどういう見方で私を見ているのか、それが知りたいんです。人の感性がわかれば、これからどういうことに自分が気をつければ良いか判りますから・・・」
背筋をまっすぐに伸ばして話すお客様の瞳に、傷つきやすさと深刻に考えすぎる
気性が、にじみ出ていた。
こんな彼女のように、自分自身のあり方を他人の視点で見つめようとする人は割と少ない。
人は自分にとって苦手な相手や不愉快な思いを感じる相手に対して、自分のあり方を
冷静に見つめるよりも、相手を批判的に受け止める人のほうが圧倒的に多い。

易の例題として、今回は会社の人達の彼女への思いを占ったものを、
本筮易がどう示したのか、わかりやすく書くことにする。
わたしが、本筮という言葉をネットに出したころ、ネットに本筮という言葉がまったくなかった。
ほんとうの易占いは、本筮方法による占いしか易経に記載されていないにもかかわらず、世間ではこの「本筮」という言葉が知られていなかったのに、今では結構知られてきたようです。
ある有名な占い協会の上層部の偉い方で易占いされる方がいるのですが、私の占いの占術を見たときに「ふっ」と鼻を鳴らし、小ばかになさっていらっしゃるのが判りました。
易をする占い師でも本筮を知らないのですから、世間ではこの本筮という言葉は死語だったのです。
それが最近では、ネットでも本筮という言葉がたくさん増えてきました。
本筮で鑑定しますというのまでネットにあります。
本筮方法で占いをきちんと当てることができるためには、かなりの年月を必要としますし、
独学では無理だと思います。
本筮方法で占なえば、誰にやってもらってもほかの易よりも信憑性の高い占いをやってもらえると思っては甘いと、私はおもいます。
本筮易をご存じない人達に「本筮」の特徴を理解していただくことが、いい加減な本筮と本物の本筮を見極めるのに役立つだろうという思いから、最近の私は易の特徴を以前よりも書くようにしております。

ある人気の占い師の方で、よくあたる易をするという評判の方がいらっしゃいました。
その方がある駅ビルで占いをなさっていたのを見かけまして、さっそく私は試させていただいたのです。
「あなたが嫌いな人が、あなたをどう思っているかわかりますよ」というので占って頂くと、断易を使ってくれました。
「よく思っていません!」この占い師は強気の自信のある目つきをして、きっぱりと
こう答えてくれたのです。

こんな答えだけで評判になり当たると言われて人気なのか?私はかなりの衝撃を受けました。
「どうおもっているか?」と易で占えば、よいか悪いなどという簡単な答えだけでなくて
より詳しく判るのが、本当の易なのです。

本筮易でどう思っているかに関して占った場合、どこまで出せるのか
今回のお客様の例題を使ってお見せしたいと思います。

「会社の人達は自分をどう見ているか?」  質問者25歳・女性

天文  天風妬    之卦  雷沢帰妹    本卦   山風蠱
              主爻  地天泰      主爻   天地否
人文  地天泰
地文  水地比

地文の「水地比」と「地天泰」これは、出会いの最初の頃に持っていた相手の思いでありお互いの状態です。
穏やかで親密的で感じよく接してくれていたから、親しみを感じてもらえ仲良くしたい気持ちになっていたという、とても理想的なよい卦なのです。
自分を信頼してくれていると思っていたから、あちらもこちらを信用して本音を出して話せたのです。(地文と人文までの易からの判断)
天文の卦には過去からの状況が、どう変化したか、易の卦の立ち上がり状況を出してきます。
最初の人間関係の暖かく信頼しあった良い状態が、急にこの女性の気質が女性特有のもつおろかな自己陶酔の人の形に変化していったことが、天文の「天風妬」から判断できます。
結果的に彼女のせいで、職場の人間関係がこねくり回されてしまいひどいことになってしまったと思われているのが、天文から本卦と之卦にでているのです。
本卦の「山風蠱」は、だますとか状況が破壊されてしまった悲惨な酷さです。
本卦の主爻の「天地否」は、地文の「水地比」の親しみを感じさせて信頼できる態度をとっていた相手が、裏では自分を否定していた、つまり相手は彼女の表向きの良さに騙されたと思っているのです。
会社の仲間たちは、この女性をしゃしゃり出たがるおせっかいとか
陰口を言ったり聞いたりするのが好きな根性のさもしい女性だとおもうようになり、
さらに、うわさ話や愚痴を聞かされると、話を自分の中にしまっておけずに、人に伝えてしまいたい、それを品のないいやらしい自分だと気づけないどころか、優越感すら自分に持っている。こんな気質をもった女性だとは知らずに、親しんでくる感じ良さを見て、良い人だと思い込み本心を打ち明けてしまった自分たちは、この女性を信じてしまったことを、所詮だめな女だったのだ、と後悔の念をもっていると、出ているのです。


易の答えは「よく思っていません」と言うだけの良い意味か悪い意味かだけの二者択一の答え方ではなくて、深い心理状態や、両者のかかわり方、お互いの気持ち、お互いの対応、それによって織り成していく感情の変化など、このように細かく出るのです。
上記の内容をお客様に答えますと、「人が自分を信じて話してくれたことを、私だったら知られてもいいと思えることなので、気にせずにしゃべってしまったんです。それが職場の仲間たちにとって迷惑になることを気づけない自分でした。
すべてこれは私が悪かったし、信じて話してくれた相手を裏切ってしまったといわれても当然だと思います。自分が悪くなければ傷もつかないのですが、自分が悪いことをしたと思うのでとても苦しいです・・」と、重く苦しそうな表情で鑑定時間が過ぎてもしばらく動けない様子だった。

このお客様は、年齢的な若さもありますが、気持ちは青春時代のように人に夢を抱いてしまうところがある人なのです。
人生の中で誰もが、多かれ少なかれ、こんな経験をしながら、人は語ると言うことの危険性を痛いほど体験しながら学んでいくのだとおもえます。
この女性もあと2−3回同じ体験を繰り返えせば、人の話を言わず語らず聞き流せるようになっていくのでしょう。
聞いた話を黙っていられない・・自分の行為に自信を持てる・・これって女性の特徴かもしれませんね♪




余談

「今日は母の日」という私に、
「うちはいつも母の日だ」と夫が言い、娘からはこんなことを言われた。
男女平等を女は主張するけど、女ってずるいよね。
女は優遇されすぎている。
専業主婦でもちやほやされて、女性車両や生理休暇まである。
女に生まれたら優遇されて当然だとおもっているのが多い。
女って情けないよ。
これじゃあ、男のほうが不平等だ。
女は甘やかされるから不遜になり偉ぶる奴が多くなるんだ。

ちなみに、我が家では私は優遇されておりません。
母の日も、プレゼントも心の配慮もないいつもどおりの日曜日でした。








 
2005年5月2日


「JR西日本・尼崎の脱線事故の原因等を占なう」


死者を107人も出してしまった脱線事故について、易日記に書こうとしているのだが、パソコンに向かって文章を打とうすると、腕と指が異常な重さを感じ、いつもどおりに気楽に綴る事が出来ないでいる。
気持ちが落ち着かず、席を立っては、お茶を入れてみたり、窓を開けて、どんよりとした重い空を見上げ深呼吸をする。

先日、私は都心に向かう為に電車を使ったのだが、先頭車輌に乗った。
朝の通勤時間、日頃混む筈の電車が、先頭車輌だけはいつもよりも乗客が少なかった。
起こり得ない筈の電車の事故を、警戒する人が増えた事を感じた。
もう滅多に同じような事故は起きないと思うが、今回の悲惨な事故から、多くの人達が脱線事故や突然の災害を案じるようになったのだろう。

まさか、電車に乗っていて死んでしまう事があるなどとは、夢にも思えなかった。
テレビや新聞を通して、亡くなった方達の家族構成や生活ぶりを知ると、普通に生きれる事がどんなにかけがえのない有難い恵みだと知って切実な気持ちに成る。

「家に帰れる事」「家族と語りあえる事」「友人と会える事」「子供のためにお弁当を作る事」
「庭の草をむしれる事」こんな事は誰もが簡単にできる普通の事・・・こんな普通の事を出来る事をあえて人生の幸せとは、なかなか思えない私だった。
家の用事が出来たり、家族が喜ぶ食事を作ってあげれる事は当然の事であり、欲を言うならばかなり面倒に感ずる心を悩ます問題にもなってしまう事もある。
こんなささやかな日常を迎える事が出来る事が、人にとって大きな叶わぬ夢となってしまうほど、普通に生きれる事が、どんなに大切なありがたいことなのかという事を今回の大事故を通して、しみじみと思う。

運転手の高見隆二郎さんが亡くなってしまい、詳しい状況を聞くことが出来ない事を
残念がるJRや警察のコメントを知り、それならば、亡くなった運転手さんの気持ち等を易を使って聞いてみる事にした。
出てきた卦を見て、心が震えてうなり声がでてしまった。

問い)亡くなった運転手さんの高見隆二郎さんの事故を起こした事にかんしてのコメント


天文  天地否    之卦   既済     本卦   山風蠱
              主爻   泰       主爻   否
人文  風水渙
地文  天地否


電車の機能が正常に働かなかった。
事故を起こす前からブレーキが利きづらかった、と出ている。
つまり、車輌の停止が40メートルも延びてしまったのは、本人のミスではなくて
ブレーキの不調によるものだと言うのである。
日頃ならば、普通に出来ている事が、今回は通用できなかったと言うのである。

こういうコメントを易の神様から頂いたのだが、人間は生きていても死んでいても、人格が変わるわけではないし、自分の思い込みと真実が同じだとは限らないので、亡くなった運転手さんの言う事が、本当かどうかを確認する為に、車輌の機能が正常だったのかどうかを占なう事にした。

天文  水山蹇     之卦   天沢履    本卦  乾為天
               主爻   大畜      主爻  頤
人文  大壮
地文  雷水解

地文の「雷水解」は緩むという意味がある。
中古車などを購入する人が、その車の状態を易に問う事があるのだが、そのときに「雷水解」が出ていたときは、ブレーキが利きづらい事が今までの占いの統計結果としてもはっきりと出ている。
つまり、今回の脱線事故はブレーキが利きづらくなっていた事が事実だと易は示す。
また、「大壮」ならば非常に勢いの強い卦なので、スピードもかなり出していたといえる。
スピードを出さなければ、ブレーキの機能に緩みがあっても大事故に至るほどの事は無かったのだが、スピードとブレーキ機能の弱さが複合されて起きた事故だったのである。
つまり、車両のブレーキがまったく正常ならば、スピードを出しても今回のような事故にならずに済んだといえるのである。
運転手さんがまるで加害者のように言われているが、彼も被害者なのだ。
被害者でありながら悪く言われてしまう運転手さんは、本当にかわいそうである。
粉々に破壊されてしまった電車から、ブレーキ機能の不具合を見つける事が出来るのか、
あるいはそれを見つけても、JR西日本は証拠隠滅を図ってしまうのではないかと
気がかりだが、しっかりと検査をして事実を知って欲しい。

最後に、事故で亡くなってしまった人達のコメントも祈って易に出していただいた。

天文 水地比     之卦  天沢履    本卦  火沢けい
              主爻  地沢臨    主爻  地沢臨
人文 雷沢帰妹
地文 坎為水

私は易を信じているのだが、昔、私の易の先生は占いながらよくこんな風におっしゃっていた。
『不思議ですよね・・・、わざと易の卦を自分で作って出しているんじゃないのに
ちゃんとその問題にふさわしい卦が出るんですよ。だから、易を信じない科学者に
傍にいてもらい、一部始終占なうのを見てもらって、嘘が無い方法で占なっている事を観て貰い、どうしてこんな風にその質問にふさわしい卦がでるのか、それを知ってもらいたいですね』と、こんなふうに話していた事が良くあった。
この亡くなった人達の心を占なって、わたしも先生の言葉を思い出した。
この易は、どうにも成らなくなってしまった悲惨な状況の卦や、思わくちがいの気持ち
親しい人に会いたい、ただそれだけが出来ること、それがどんなに幸せな事だったのか・・・、愛する人達に会いたいと思う気持ちだけが、この卦に強調されていた・・・・。








2005年4月20日

「福岡県の今後の地震状況を占なう」


福岡県で今朝も震度5度の揺れとなり、市内の地下鉄は運行中止になり、バスで会社に向かったと、友人から無事な便りがメールで届く。
友人は、バスを乗り継いで会社に行き、会社のビルの天上が地震による損傷で落ちてくるという危険な中で仕事をしていると云う。
関東にいると福岡の地震の詳しい事が判らなかったが、今年は短い期間に2度も大きな地震が福岡に来て、福岡の人達にとって、ゆれるたびに怖くて不安なことと思う。
万が一、怖い地震が再度来るならばHPでもおしらせしたいとおもい、
急遽、今後の福岡地区の地震状況を占うことにした。

福岡県で被害を伴う地震が半年以内に起きるか?

天文  乾為天   之卦   地山謙     本卦  風雷益
            主     天地否     主    風天小畜

人文  風地観

地文  風天小畜

震源地の地震の原因は、大きなプレートによる地盤の変動ではなく
小さな断層の中心が圧縮されて起きた地震のようです。
これからも、不安を感じさせる揺れはまだ続きますが、
今回よりも大きな地震はもうしばらくは福岡に来ないと出ていましたので、安心しました。
あと2週間もすれば、住民の恐怖もすっかり落ち着くほど、地面も安定していくと判断します。

では、東京は?
東京には、そろそろ大地震が来るという噂がテレビなどでもささやかれています。
週刊誌の見出しにも、東京大地震などと電車の広告に出ていますよね。
わりと長い年月東京に地震がなかったので、そろそろ大地震が来るだろうと警戒した気持ちがあるのです。
そこで東京の地震に関しても、用心の為に占なっておきました。
私の判断では今年はまだ東京の地震は被害を伴うほどの大きな地震は無いと思います。
少し大きな揺れの地震が今年の年末位には東京に起きる可能性はありますが、それも被害がでて騒ぎになるという事も無いほどの地震しかないというのが私の易からの判断です・
大きな地震が、いつどの地域で来るのか?
それを知るには、一々地域を限定して占なっていく必要がありまして、時間的にも
大変な事で、こんな感じで自分の住む地域と友人の住む地域しか占えない状態です。








2005年4月17日


「映画アビエイターを占なう」



1930〜1940年の絢爛豪華な黄金時代のハリウッドで、世界一の映画と究極の飛行機創りを目指したハワード・ヒューズの半生を描いた「アビエイター」を観て来た。

易の勉強の為、映画を観る前に私は必ずどんな映画なのかを占う。
自分の運勢なども結構占うのだが、運勢だと占なったものと実際の結果がでるまで、かなり間があるが、映画のように観れば結果がわかるものを占なえば、自分の下した回答の結果がすぐに判るので便利で楽しさが倍となる。
易に示された卦の解釈と現実の事実との差を少しでも縮める事が易の言語をより正確に理解することができるので、事を起こす度に出来るだけ占なう事にしている。(こんな事をしているから専業主婦なのに更に忙しい事になってしまう)

例えばあるレストランの味を占なって、家庭料理の味で甘さが多いとでても、
実際に食べてみる事で、情報として理解するよりも実際に味を知った方が、よりリアルに判断できるのは当然であるが、予想と結果の差を知る事が勉強となるのである。
以前、お昼に仲間の占い師から、原宿のシャンゼリゼ通りにあるお店のカレーを食べに行こうと誘われたときも、「チョット待って、占なうから」と言って、そのカレー味を占なった。
その時に、わたしの好みではない家庭料理の野菜煮込みで甘さのあるカレーで
金額的にもその味では価値を感じないと云う答えをみて、食べに行く事を断った事があった。
占いの結果から行くのを断ると「異常な奴だ」と呆れられたが、
仕事の帰りにお店に寄り『どんな味ですか?』と仲間の占い師は堂々と聞きに入った。
食べないのに味を聞くだけの客にならない自分達の存在に恥を感じる私だったが、
お店のウエイターさんは、色んな変わり者を知っているのか顔色も変えずに穏やかに答えてくれた。
『フランスの家庭料理をカレー風にしたのですが、あまり辛くなくてすこし甘めです』

後日、その占い師はそのお店に食べに行き『とってもおいしかったわよっ!』と私へ報告。
わたしも試しに食べに行ったが、今後も食べたいとは思えなかった。
私は、普通の辛いカレーが好きで、わたしの嗜好には合わなかったのだ。
価値を感じない味という易の答えは、私の価値観を踏まえた上での答えなのだ。
甘いカレーが好きな人が易に質問すれば、『甘くて喜べる味』という答えが出る。
易の答えは、あるがままにその通りに味とか色合いが出るというよりもその質問者との相性によっても変化する。

こんな感じで映画にしても、レストランの味にしても体験前後の易の卦の受け止め方の差を感覚でしっかりとつかめないと占いの力が育たない。
こんなわたしの易へのこだわりを「おたく」だとか「異常だ」と常識人からは言われてきた。
人は正常な人間や気の良い人対しては、期待をもってそれなりの要求してくるので、良い人間として生きようとすると過分に期待されて結構しんどい事が多いものだが、自分自身がちょっと変だとかキツイ人だと思われると、大方の人達から遠慮気味に接してもらえる。
一般企業で働き一般人との関わりが長かった私は、常識人から変わり者扱いされて、私の思っている事を他で言うと異常者だと思われるから他では本音を出さない方がいいと親身になってアドバイスされたものだった。
こんなわたしが占い師の世界に入ったとき、正常な社会人仲間から「これでもう異常におもわれないから良かったね」と祝福された。
つまり占いの世界にいれば、私の異常性が異常に思われないと言えるのかもしれない。(あくまで正常を誇る社会人の視点からの見方)

私自信を凡人に思って貰えるこの世界の占い師たちの会話は、確かに近所とか会社では聞く事が出来ない会話が多い。
「今憑依されているの」とか「霊障です」とか「ついている霊がそうしているのです」とか「体の具合が悪くなったり、自分の運が落ちたのは、お客さんが悪い物を置いていってしまうから」とか、『せっかく遠回りして吉の道を通ってきたのに、自分の九星と相克関係の星の生まれの人とばったり出会ってしまったので、今日は運が悪くなってしまった』とか、こんな会話が常識として交わされたり、普通に受け止めて貰える。
私は、自分が毎週土曜日に働く店では、自分と朝一番に会った事で運が落ちたと思われたら大変だと思い、縁起を担ぐ神秘主義者に私の姿を見られないようにと気を使い、挨拶しても無視したり隠れてしまう人には、以前は「なんだ?そっちがその気ならば受けてやるぞ!」と喧嘩を受けようと思う事もあったが、今では「霊がそうしている」と言われるのだろうと思い、気楽に流す事も出来るようになった。

一般人から見れば、映画を観る時・買い物に行く時にいちいち占なったりする私は、社会性のないかなり異常な人間に成ってしまうが、占いの仲間の中では普通に受け止められるので、過大な衝撃を受けるときもあるのだが、凡人として受け止めて貰えるいい事もある。

では、最後に今回観たアビエイターの映画はどういう映画かと占なった卦を書きます。

天文  地沢臨    之卦  大有  本卦  雷天大壮
             主爻  困    主爻  坎為水

人文  水雷屯

地文  水山蹇

主人公ハワード・ヒューズの気質と生き方が、易に出ている。
究極の映画や飛行機を作るという主人公のつよい意志が中心にもにでている。
3年もかけて映画を撮り続け、飛行機の質やスピードに納得行かないと理想の飛行機を莫大な資金を投じて作らせ、空に入道雲が出る撮影をする為に気象学者を雇い、撮影もその雲が出るまで半年だろうと一年だろうと待ち続ける根性はまさに終わりなき忍耐力だといえる。
入道雲を待つ間、5−60台の飛行機代やスタッフへの給料を払い続けるので、一日当たりでも数十万ドルの赤字が続く。
妥協をまったく許さない性格なのである。
これがまさに上記の易の卦に出ているのである。
詳しい判断の方法は専門的に成るので省略する。
どんどん費用がかさみ、主人公のやっている事がバカすぎると映画専門家や世間から野次が飛ぶが、納得行くまでは絶対に妥協しないハワード・ヒューズ。
お金ではなくて、やりたい事をする。
これが主人公ハワード・ヒューズの感性だった。
苦労の半生だったが、屈指の精神力で究極の理想を求めて生きてきた。
そんな評価がこの易の卦から判断できる。
映画を観ながら、私は易の卦とともにハワード・ヒューズの気持ちを見つめていた。
神経症の苦しさを抱えていたからこそ、心のどうにもなら無い不安や弱さを脱却したくて普通の人をはるかに超える大きな理想を追求しつづけ、夢を叶えて行けたのだろうと思えた。
心が穏やかで満ち足りていたら、彼はここまでの闘争心を自分の生き方に出せなかったといえる。それがこの易にも示されている。
自己の持つ心のストレスをエネルギーに変える事が出来るということなのだ。

ハワード・ヒューズは突如一線から引退して、亡くなるまでの20年間の生き方は
謎に包まれているという。
映画を観た後なので、彼に対する興味が湧き、知られていないという彼の晩年をうらなってみたが、神経症の治療を終えてから好きな人とともに静かに人生を愉しんでいた、という占いの答えだった。
死ぬまで財産も豊かで、ゆったりとした人生を過ごしながら神経症にも悩まされる事は無かったようだ。

夢に向かって理想を追い求め妥協を許さないデカプリオ演ずるハワード・ヒューズを見ながら、求める理想を、人は永遠に終わることなく追求できるのだろうと思えた。
夢や理想に終わりはない。
進歩も発展も向上も、求める限り止ることなく続く。
科学の進歩も技術の進歩も永遠に止らない。
究極の完成という事は無く、すべては未完成なのだ。
私も終わりない易への追及を、今後さらにこだわり続けていきたいと、映画を見ながら
自分の夢と重ねた。



余談


3週連続日記を出しました。
「珍しく2週続けましたね」と言われ、今週も頑張る気になりました。
来週はお休みします。
来週の日曜日はわたしが老化をさらに一本越えるおめでたくない日となります。









2005年4月10日


「人の思いが気に成る・その2


昨日は、ふらりと立ち寄った初めてのお客様がいたのだが、チョット変わった人だった。
私の占いの質を知らないのに、御自身の名前も生年月日も言わない、かなり年配の女性だった。
「自分が今思っている、二人の相性を見てください」と言う。
その相手の、生年月日も名前も性別も言わない。
『あなたの占いは易ですから、名前も生年月日も関係ないですよね』と言う。

質問されたまま、『このお客さまが知りたがっている二人の関係を教えてください』と
祈った。
この質問に答えると、次に 今占なった人ともう一人の人の相性も、と言われた。
で、さらに、また同じように、自分が思っている人と、この占なった同じ人の関わりは・・と、こんな感じで3組の組み合わせを聞かれた。
お客様は私の占いの回答をニヤニヤしながら聞くだけで、何のコメントもしない。

最後に10分の延長をもとめて、自分と一番先に占なった相手との相性を聞く。
占なった人の登場人物は全部で4人だったが、この中で自分は皆からどう思われているかと聞かれた。
4人の中で、あなたが一番むちゃくちゃでいい加減な性格で、本能のまま行動し、皆に迷惑をかける人です。頭が悪いが、悪気はなく甘えん坊で愛情を求める人なので、寛大に皆で見守ってあげようと思われていると答えると、お客様は爆笑していた。
これらの登場人物は、全員女性で、共通して出ていた卦は恋愛の卦とか愛情の卦ばかりだった。
そういうと、お客様は目を皿のように丸くしたが、『ヘルパーさんで、変な関係ではない』とおっしゃった。
独身の女性達が家族のように仲良く夫婦のように暮しあい、老衰を見取り合っている様子が出ていると答えると、黙ってうなづいていた。
女性だけで家族のように暮す、そういう世界があるようだ。

帰り際に、そのお客様は、「自分は易ができるけど、貴女のは易だけじゃないね!霊感で何か見えるのでしょう?」という。
「私は何も見えないですし、易だけで答えています」と返事をしたが、頑として首を振り、
「私だって判りますよ、貴女は霊感で答えいています。易はここまでは無理ですから!」とおっしゃる。
易はこれくらいの事は簡単に答える事ができるのに・・・。
易の本当の質が世間にはちゃんと知られていない事がやはり残念だと、しみじみと思った。





余談



今朝は、買ったばかりの子犬にワクチンをうちに動物病院へ行って来た。
上質の餌を与えているのに、食欲はなく二口食べただけでやめてしまう。
獣医さんにそう言うと
『昔の犬はどんな食べ物でも必ずガツガツと食べたんです。でも今の時代の犬って
自分の好きなものじゃないと食べないという贅沢な犬が増えているんですよ。一日くらい食べなくて、翌日にやっとこ餌をやってもガツガツとおいしそうに食べないんです。それでコマーシャルで犬達がペディグリーチャムをおいしそうに食らい付いているから、ペディグリーチャムはおいしいんだって言うイメージを持たせていますが、あれを撮影するときに、丸二日間餌を与えないで撮影したんですってよっ。撮影の仕事をする友人がいて
そう聞いたんですよ〜〜』
社会が豊かになると、動物の食べ物に対する嗜好も変わるのでしょうか・・・・。

犬よりも私のほうが食べ物にガツガツしています。







2005年4月3日

「人の思いが気になる」



人の気持を占いに聞きに来る人は多い。
気に成る異性が自分に対して一週間前に全く好意はないと占いに出ても、翌週にまた相手の気持ちの変化を期待して占いに来る。

好きな人の気持ちだけではなくて、同僚の気持ち、上役の気持ちなど、人は人の思いが気になる。
ユニークなお客様になると、お客様の自分自身の気持ちを占なって欲しいと言う。

『そんなの占わなくても自分の事だから、一番良くわかるでしょう』と言うと、
「いいえ、自分で自分の事が良く判らないんです。わたしは神様から見たら、一体どういう事を考えている人間だと言われるのか、それを聞いてみたいんです」と言う人もけっこう多い。

『悩みが無いんだけど来ちゃいました〜〜〜。面白いから何でもいいから占って下さい!』と、言う人もいる。
こういうタイプのお客様は、占いを娯楽としている。
『自分が何を今考えているのか、そんな事を占なってください』

この手の質問に対して占いの準備に向かうとき、たいがいのお客様は満足そうに微笑み
『セレブな遊びですね♪興奮します』とおっしゃってくださる。
私も自分の占いへ追及心がかき立てられるのでユニークな質問ほど嬉しい。

「たわいない事にお金を払うなんて勿体無いと言われますがお金など関係ないんです。へ〜〜〜と思う事を言われるだけで、しばらく元気になっていられるんです」などと言われる事もある。

占いが悩みの相談だけではなくて、娯楽化されている。
それだけ世の中にゆとりがでたのかもしれない。

鑑定に来るたびに『また来てスイマセン』と実に申し訳なさそうに謝るお客様もいらっしゃる。
帰り際に『また来てもいいですか?』と自信なさげに聞くような、柔らかな気持ちの
繊細なお客様もいらっしゃる。
私にとってお客様に来ていただける事は大歓迎で、謝られたり恐縮されるなんて、とんでも無いとおもっているので、喜んでくださる方は大歓迎である。

『来ていただけて私は嬉しいです』と答えると『こんな質問をするのは自分だけでしょ?また来たって思われると思って、来るのが恥ずかしかったです』と言われるが、人が考える事ってほとんど変わらないもので、他の人も同じような事を考えているから心配ないのです。

ある女子大生のユニークな相談では、大学の構内で初めて元彼の彼女と会って話したのだが、元彼の今の恋人は自分の顔を見てどう思ったか、と占いに聞きに来た。


その時の鑑定の卦

天文  山雷頤    不変   本卦 風雷益
                    主爻 ぜいごう
人文  離為火
地文  風雷益


『風雷益』とは利益の益と言う字から感ずる事が出来ると思うが「得」という意味である。
得は、自分自身を得させている。
またこの卦のほかの意味は、「大げさな表現」とか『自意識過剰』の意味もある。
つまり実際以上に自分を膨らませてよく見せている卦であり、自分にとっての利益である。
[火雷ぜいごう]も、かなり無理したり頑張る卦である。
この二つの卦の意味を化粧に当てはめれば、化粧が派手、つまりケバイ化粧と判断できる。
[人文の離]は、美とか瞳の卦であるから、瞳はきれいだとおもっている。
[天文の頤]は、全く平凡な普通の凡人とか平均的な状態を示す。
これら全体を考慮していけば、
「ずいぶんと化粧がけばく派手作りで、本人は自分を美人と思っているのだろうが、素顔にすれば特別な器量では無くて、十人並みだろう。でも瞳だけはきれいな人だ」と向こうの女性は思っているとでているのである。
お客様にそう答えた。
素顔の良さよりも化粧がうまいと思われた自尊心を晴らす為に、この女子大生は翌週には素顔に近い化粧で学校に行き、相手の女性と会った。
そして「さて今日は私の顔を見てその女性はどう思ったかみてほしい」と来店された。

たったこの一つの事を知りたくて、学生の身で、5千円払ったのである。

でた答えは、「厚化粧をしているよりも素顔はきれいだ」と相手の感想としてでた。
その女子大生は、その答えにすっかり落ち着いた様子だった。

女性の美への執念のすごさを感じながら、全ての女性がそうだとはいえないのだが、大方の女性が容貌への満足感を得る為には、高い化粧品を求め、服にこだわり、あげくに美容整形がはやるのも、女心の美への執念の深さを知れば当然な事なのだなあと
感じた。

しかし想いというものは、傍から見るとどうでもいいようなことでも、気になる人にとっては、心をどれだけ重くさせたり喜ばせるものか、想う事が出来なければ不幸も幸福もないだろうと、私は思う。

思いさえプラス思考であるならば、人はいつでも幸せで居られるのかもしれない。
明日を憂い(うれい)、自分を憂い、自分の状況を憂うる、そして他人の想いに憂うる。
相手がどうおもっているか、自分にどういう態度をとるかが、自己の幸福を左右させてしまう。
人は人に良く思われていると想う事によって満たされ安定した気持ちに成る事が多い。