夢の中は水の中

僕は子どもの頃、時々「何かから逃げる夢」を見た。真剣に鬼ごっこをしている時のように、必死に走って何かから逃げている夢である。夢の中で走ろうとすると、すごくもどかしい思いをする。いくら走ろうとしても、後ろから引っぱられているような、あるいは急な坂道を上る時のような抵抗を感じて思うように前に進めない。いうまでもなく、夢の中は現実とは違う奇妙な世界である。

夢の中では走るとうまくいかないのに、空を飛べたりすることもある。僕は飛ぶことは滅多にないが、しょっちゅう飛んでいる人もいるようだ。飛ぶといっても、スピ−ド感はあまりない。それは風を感じないからだ。現実の世界で例えば自転車で早く走ると、風によってスピ−ド感が生じる。夢の世界は風が吹いていないから実感もない。飛んでいるのにスピ−ド感が無いとしたら、それは「浮かんでいる」といった方が近い。

夢の中では、走って前に進もうとして身体を動かせば抵抗があるのに、身体に力を入れなくても浮かぶことができたりする。夢の世界は変な世界で、現実の世界とは違った物理法則に支配されているわけだ。よく考えてみると、「走るとうまく進まないのに、力を使わなくても浮かぶ」というのは水中の世界である。夢の中では色が曖昧だが、水の中もそうである。夢の中では我々は水の中にいるのだと考えると話が合ってくる。水の中では息ができないはずだが、夢の中でそんなに何もかも辻褄が合うわけがないからしょうがない。とにかく、粘性抵抗と浮力があるんだから夢の世界は水中なのである。

ところで、僕が一番リラックスできるのは「水辺」と「昼寝」だ。水の中というのは身体が浮くから身体に力を入れなくていいし、寝ている時も体中の力を抜いている。水と睡眠はどちらも我々の身体を解放するのである。なんで水の中で身体が解放されるのかというと、我々の身体は水辺での生活に適応してできあがったものだからだ。そして、睡眠によって意識的思考が弱まると、身体は自分のいるべき場所を思い出すのかもしれない。それに、なにしろ我々自身の主成分はなのだから、感覚が内側に向かえばそこにあるのは水だということになる。

浦島太郎の物語は「非意識的な世界が水中にある」という話である。「グラン・ブル−」という映画もそうだ。ビ−トルズの「イエロ−・サブマリン」と「オクトパス・ガ−デン」も「海の中は楽しい」というちょっとシュ−ルな歌である。どちらもリンゴがお気楽に歌っている。僕は昔からそういう水辺の話が好きなのだ。