ビ−トルズのメッセ−ジ

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25年くらい前、僕が初めて買ったレコードはビートルズの「サージェント・ペッパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」である。「サ−ジェント・ペッパ−」と言えばロック・ポップ界の頂点に位置するようなアルバムだ。僕はいきなりそういうレコ−ドに巡り合ってしまったのだった。中学1年の時、後ろの席に座っていた友人が録音してくれたテープを何十回も聴いてから買ったのだった。何を歌っているのかはよく判らなかったが、何となくふざけた雰囲気の割にすごく手間ひまがかかっているところが気に入った。

「サ−ジェント・ペッパ−」は「トータルアルバム」と言われる。単にいろんな曲を寄せ集めただけではなく、アルバム全体で一つの世界を表現しているからだ。ビ−トルズはそこに世界の全てを詰め込もうとしたのだ。世界全体というのはひとつの混沌なので、世界全体を表現しようとすれば内容も混沌としたものになる。しかし、ビ−トルズが作り出した混沌は、細部に凝っている上に全体のバランスもとれている、つまり質の良い混沌である。マンダラみたいなものだ。

質の良い混沌を生み出すには、多様な素材をいかに統合するかが問題になる。ビ−トルズはなぜそういうことができたのだろうか。ビ−トルズは、全員が作詞、作曲、歌、演奏をやるバンドだった。いくらビ−トルズでも、全員がそんなに万能の天才なわけがない。でも、みんながいろんなことをやったのだ。そうすることによって多様性が生まれる。しかも、その多様性は自分たちの中から出てきたものだから統合しやすい。

全体性というものを表現しようとする場合、どうやっても内容は混沌としたものになるから、内容よりも形式が重要になる。全体性を表現するには多様性を統合する必要があり、そのための形式が問題になるのである。あるいは「混沌を伝えるにはどのような形式がありえるか」がテ−マになるとも言える。だから、ビ−トルズはアルバムごとに形式を変えていったのだ。マイルズやピカソがいろんな形式を追求したのと同じことだろう。

ビ−トルズのメッセ−ジというとジョンの様々な言葉が思い浮かぶが、それは表現の「内容」である。ビ−トルズが表現の形式によって非言語的に表したメッセ−ジは「全体性」である。全体性を生み出すためには、自分でいろんなことをやればいいのだ。たとえ不完全であっても、いろんなことをやると多様性が生まれる。しかも、それは寄せ集めの多様性ではなく、もともと自分の中で統合されている多様性だから、質の良い混沌なのである。いろんなことをやろう、というのがビ−トルズのメッセ−ジなのだと僕は思う。