夢はなぜ白黒なのか

視覚についての本(を読んだ僕の雑な理解)によると、人間の眼の網膜の細胞には2種類あるらしい。明るい時に働くのが「錐体」という尖ったヤツで、錐体は赤緑青の3色を感じ取るために3種類の細胞がある。だから明るい世界はカラー画像として感じられる。一方、暗い時に働くのが「桿体」という細長いヤツで、こっちは1種類だけなので暗い世界はモノトーンなのである。

で、面白いことに、網膜の中心部には錐体しかない。そして、周辺にいくにしたがって錐体が少なくなり桿体の割合が多くなる。視野の中心部というのは意識的な部分で、周辺部は何となくな部分である。例えば意識的な情報伝達手段である文字というものは視野の中心でしか読めない。文字に限らず何かを視野の周辺で捕えた時は、意識にとっては「何となく」としか感じられない。つまり、意識的な「当り前」の世界はカラーの視覚、「何となく」の世界は白黒の視覚に結び付いていることになる。

「明るい時に働く錐体が視野の中心に多くて、暗い時に働く桿体は視野の中心には無くて周辺部では錐体より多い」のだから、「明るい時より暗い時の方が実感としての視野は広がる」と言える。つまり、我々が太陽の光の下では意識していないモノが、月明かりの世界では我々の意識に入り込んでくる。

ニューヨークタイムズの科学コラムを集めた「心や意識は脳のどこにあるのか」という本によると「夢は技の記憶を統合するのに重要」である。技の記憶というのは身体で覚える記憶のことで、それは小脳の機能だ。だから「夢が技の記憶を統合する」という話は「夢は小脳の自律性を表す」という僕の仮説と一致することになる。そして、身体で覚える記憶を言葉にしようとすると「何となく」になってしまうのだ。そういうわけで、「何となく」の世界である夢の世界は白黒なのである。