記録と記憶

スポーツ選手が「記録より記憶に残る選手になりたい」と言ったりしますが、記録と記憶の違いはなんでしょうか。記録というのは明示的情報であり、記録媒体に載せて流通させることができます。そして、明示的情報によって成り立つのが文明であり、紙や電波がそれらの情報を運んでいるわけです。記録が運ばれ再生される時には元の情報を不変に保つのが理想ですが、現実には情報が欠落していき、次第に情報の価値も下がっていきます。

一方、記憶にはで覚えるものと身体で覚えるものがあります。頭の記憶は明示的なので記録に近いと言えます。近代化の過程での学校教育においては頭の記憶が重視されました。近代の学校で重要なのは教科書に書いてある記録を覚えることで、学校の試験は記録媒体としての人間の能力を測るものだと考えられます。そして、それは大脳の能力です。

記録というのは誰かが残した情報であり、言わば二次情報です。一次情報は自分の体験です。自分の体験を頭で覚えるのは記憶ですが、体験というものにはどうしたって身体の記憶も含まれます。つまり、自分の体験は頭で覚え切れないわけです。また、純粋に頭で覚えられるものは記憶ではなく記録であることになります。

大脳の記憶を偏重することは人間を記録媒体として見ることであり、記録媒体の性能というのは「いかに正確に元の情報を再生するか」で決まります。しかし、身体の記憶は暗黙的情報ですから、正確な再生というのは不可能です。そのかわり、明示的情報が欠落していくことによって情報の価値が下がるのではなく、逆に価値が上がっていくこともあります。なぜなら、

「美=暗黙的情報/明示的情報」

だからです。記憶というのは人間によって運ばれていくうちに洗練されていくものだと考えられます。