マイブーム

1998.1.23

みうらじゅんが作った「マイブーム」という言葉が流行っている。エポが「自分の中に流行りを持つのが今のオシャレなの」と歌ったのは1980年代前半だった。この『ウフフフ』という曲は結構ヒットしたが、「自分の中に流行りを持つ」というコンセプトは流行らなかった。それどころか、その後「自分の外の流行りをいかに取り入れるか」という「トレンディ」なる概念がトレンドになってしまった。

トレンドというのは自分の外の流行だから自分で決められない。自分で決めなくても良いともいえる。トレンドに従うということは外側の価値観に従うことなわけで、それはある意味でラクをすることだ。しかし、今や価値崩壊の時代である。価値が崩壊すればトレンドも崩壊する。そういう時代にトレンドがあるとすれば「もうトレンドに従うわけにはいかないから、自分で流行りを決めよう」というものだけだ。それでマイブームが流行ることになる。

マイブームにおいては、自分の中でいつ何が流行るかについて自由だ。自分の流行を何にするかは、はっきりした理由があるにせよ何となくにせよ自発的に決める必要がある。自分で決めずに外のトレンドに従ったらマイブームではなくなってしまう。自分で自由に決めるのは簡単だが、それが面白くなければ自分の中で盛り上がらずに終わってしまい、ブームにならない。そうなっても自分の責任だ。何に決めるかは好みの問題だが、自分の好みがちゃんとわかっていることは一つの能力であり、それを身に付けることは自分に対する責任を果たすことでもある。

100万人がトレンドに従って同じことをしていたとすると、そのトレンドにおける自分の存在感は0.0001%である。一方、マイブーム的に何かをひとりでやっていると自分の存在感は100%。マイブームにおける自分の存在感はトレンドとは比較にならないほど大きいわけだ。しかし孤独でもある。トレンドは社会性、マイブームは個人性を志向しているのだと考えられる。マイブームがトレンドになるというのは逆説的だが、社会性と個人性のバランスのとれた状態へ向けて社会が変化しつつあることの現れだ。