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第一章 銅の谷の戦士



一 夜宴


その夜。
戦士達と商売女達の宴。
前線から帰還したばかり、酒よりも生き延びたこと、敵味方の別無く流された血の色と、腐臭とに酔ってしまった戦士達。
嬌声を上げ、些かの後ろめたさもなく、歌い笑いさざめく娼婦達。
年老いて、売り物をその身ではなく、酒や食料に替えた、だが、したたかな女達。
松明の炎、不器用に紅をはいた唇、誘うような弦の響き、肉の焼ける匂い、油のはぜる音、時折起こる罵声と哄笑、猥雑な、何処か脅えと虚勢を含んだ軽薄な雰囲気が夜の砂丘を満たしていた。
そんな夜の一隅で、男たちが、少女のか細い肢体を捕らえようと、からかい半分に腕を伸ばす。
少女は、歩を速め、比較的上級の士官にのみ許された小さな個人用の天幕の群れに向かって陣中を横切る。
商売女の仲間に入るには、やや年若と思われ、その点で浮いて見える少女は、女達を束ねる女将であり隊商の長でもあるアル・ハウィンの娘と目されていた。
情人であると言うものもある。
アル・ハウィンの豊かな胸に抱かれた少女の唇に、アル・ハウィンの淫らがましい紅の色が移っていたのだとか。
姐達の用事を足すために立ち働くことはあっても、客をとることはなく、時折姿を消し、また、さり気なく隊商に混じるなど…とりとめのない噂話が、囁かれていた。
少女と女将の噂に、好奇心を見せた男達は、女達の密やかな目配せに戸惑う。
しかし、女達は、よく人を笑わせる、陽気な、そして、きつい目をしたこの少女に、好意的でもあった。
少女が、ある天幕に手を掛けるより、男たちが、彼女の腕を捕らえるほうが早かった。
あらがう影が、かがり火で天幕に映り蠢く。酔漢に囲まれた少女は、相手の人数を見て取ると、鋭く舌を打ち抵抗を止めた。
女にあぶれた五人の男。多少でも理性が残っているものは、いないようだった。
「さて」
追い詰められた少女の身にそぐわない冷静な声が、その場に問いを投げかけた。
「どうしたものかな」
すでにろれつの回らぬ男が、助けを呼んでも無駄だと、唸るように言う。
「確かに」
この騒ぎではね、と、余裕のある少女の笑みに、男達も笑った。
彼らの腰にだらしなく吊るされた長剣の一つへと、か細い腕が素早く伸びる。
それを、少女のものだと認識した者はいなかった。
彼女の白い腕が、信じがたい強靱さを見せる。
肉厚の大剣に喉元を割かれた男は、自らの剣を頸にくわえ込んだまま倒れた。
華奢なサンダルで、容赦なく死体を踏みしだき、今一人の男の懐に飛び込む。
血塗られた少女の腕が、男の剣を奪い、胸へつきたてた。
そのまま、訳も分からずと言った態の生き残りに、不敵な不吉な微笑を浮かべて向き直る。
その少女の背後で布が揺れ、痩身の戦士が、天幕から音もなく現れた。
戦場から帰還したばかりなのか、血糊のついた武装も解かぬままのいでたちで。
既に、震え上がっていた暴漢が、彼の無言の剣のもとに、すべて切り伏せられる。
陣中を覆う喧騒で、ただ一つの悲鳴すら、かき消され、聞き届ける者はいない。
まさに、助けを呼んでも無駄なのだった。


戦士は、血飛沫を浴びた兜をとると、赤毛というよりは、あまりに艶やかな赤銅の髪を振り分けて、その相貌を露にした。
細面のそれは、思いもかけず若者のものだったが、ひそめられた眉に、何処か思い詰めた険しい物思いが、見え隠れしている。
不機嫌な視線を投げかける琥珀の瞳は、松明の火が映えて、赤く血に染まって見えた。
青年は、抜き身の長剣はそのままに、殺気を押し殺した声で囁く。
「はめを外し過ぎだ。酔っ払い共が。お前も、早くねぐらに帰るんだな。子供でも女だ。このような夜では、また、意にそまぬことになろう。お前でなくても、……酔漢が…な」
少女は、眉を片方引き上げると、値踏みするように青年を見返す。
「ご親切に。でも、『赤毛のリデ』と言う士官に、伝言がある。今夜は、その天幕に戻ると聞いて来た……貴方のその髪は、赤毛なのかな」
青年が口を開きかけた時、二人から、やや離れた所を行く男と女の一団が、冷やかすような声を掛けてきた。
青年と少女の足元に転がる惨状は、闇に飲まれて、彼らにはわからない。
彼らが見たのは、佇む若い二人が見つめあっているところだ。
青年は、剣を収めると、乱暴に少女の腕を掴むと抱き寄せて、天幕に引き入れる。
その間、物騒な少女の両腕を、一まとめに拘束することも忘れない。
少女は、いぶかしむような一瞥をくれたが、何も言わず、長身の青年に身を預けて従った。
歓声と高笑いが、通り過ぎていった。


炉は、火を起こしたばかり。
少しばかりの荷。
幾度となく主をかえたであろう古びた敷布。
夜営地の小さな天幕の中は、二人の人間で、ほぼ満杯だった。
青年は、少女をそっと解放した。
「伝言を聞こう」
少女は、赤くなった手首をさすりつつ、目の端で青年の腰の剣の行方を探る。
「リデでは、ないな。やはり、それは銅の髪というべきだしね」
少女は、楽しげに決めつけた。
「何だと」
少女と青年の手が、同時に動いて長剣の柄にかかる。
少女は、喉の奥で笑いを押し殺した。
華奢な手が、青年の腕から首筋へと滑り、赤銅の髪を撫ぜた。
「奇麗だな。本当の名は?」
「アレク…。お前は…何者だ。何故、わかった」
「伝言というのは、嘘。リデは、ここにもぐり込ませた間者の一人。貴方が、ここへ不法に潜り込んだのなら、多分我々は、敵ではない」
少女は、人の悪い微笑みを浮かべて、付け足した。
「それに、リデは、男のはずだからね」
狭い天幕の中で、反射的に飛退こうとしたアレクを、見かけだけは、か細い腕が押し止どめた。
「女を連れ込んだ夜、天幕を倒すほど暴れたら、恥ずかしいんじゃないかな」
罠にかかった獣さながらの怒気が、赤銅の髪の戦士から発せられる。
少女は、自分が、危険を冒していることなど知らぬげに笑う。
「アレク……アレクね。男の名だ。本当は、なんて言うのかな」
「アレクシアだ。アレクと呼ばれている。偽名ではない。自分こそ名乗れ」
「エリク」
「それこそ、男の名ではないか」
「男だからね」
アレクシアは、目眩を感じて絶句した。
目の前の子供は、事も無げに笑って言う。
「恐れることはない。互いの目的は、そう違った物ではないはず」
闇のなか、漆黒の髪と瞳が、小さな炉の微かな灯を映して、いたずらに輝く。
それは、古臭い御伽話を思い出させた。
大人になっても、子供ほどの背丈しかない、陽気で残忍な小さな魔物。
しかも、二重の欺瞞。
少女の姿さえ、借り物なのだ。
頬に落ちかかる見事な黒髪が、少女だとしたら、かなり乱暴な仕種で振り払われ、陽に焼けていない白い細い腕が露になる。
少なくても、砂漠生まれではないのだろうと、少年と相対するアレクシアは思った。
恐れるには、余りにちっぽけで、侮るには何やら不可解な生き物だった。
アレクシアの薄い唇は、錆びついたかのように閉ざされていたが、長い沈黙のあと、嘲るような口調で、問いを投げかけた。
「お前は、私の目的が何か、知っているというつもりか」
エリクと名乗った少年は、鷹揚に微笑んで頷き、ごく簡単に答えた。
「この陣営にとって、よからぬこと」
アレクシアは、眉をひそめた。
目の前の子供は、獲物を前に舌なめずりする獣じみていて、その抑制の効いた囁きが、癇に障るのだ。
「無理を承知で、リデと入れ替わったということは、事を、短期間で済ませるつもりだ。となれば、刺客。狙いは、この一両日、視察で陣中にいるバイザル伯、もしくは、ユエ男爵。ああ、バイザル伯だね。政治的にも、軍事的にも、重要人物というわけではないから、私怨だ。しかも、強引かつ、無謀な正面突破と見た。生きて帰る気がないのか、それほど、強いのか、又は、単に馬鹿なのかは、判りかねるけどね」
アレクシアの視線が、少年から自らの剣へ、そしてまた、少年へと露骨にさまよった。
エリクは、その様を、恐れげもなく、微笑を含んだ眼差しで見つめる。
やがて、アレクシアは、ため息とともに一つの問いを口にした。
「お前の目的は何だ」
「よからぬことさ」
少年は、楽しげに、それこそ歌うように言った。
「老バイザル伯は、年甲斐もなく、四十も年下の美少女を妻にした。妻の浮気を殊の外、心配なさっている。妻に張りつけた密偵から、連絡なんか来ようものなら、まず間違いなく、任務など放り出して、どこへでも、誘い出されてしまうだろう。リデが、その連絡を取り継ぐ手筈になっている。そして今、リデは、アレクだ。バイザル伯は、正しい符丁を示せば、下っぱの顔を確認する手間をかけたりしない。覚えてもいないだろうけど」
少女の姿をしたものが、懐から書状を取り出し、アレクシアに押しつけた。
相手の沈黙を、どうとったものか、やや事務的に続きを語る。
「リデに入れ替わって近づくなり、バイザル伯を斬り捨てられると困る。獲物は、この書状で、こちらの都合のよいところに、おびき出せる。そこで、こっちの用事が終わったあと、奴の首をアレクに引き渡すから、妥協してくれないか」
アレクシアは、分厚い書状を弄びつつ、呟いた。
「ずいぶん、調子のいい話だな」
「でもないさ。予定は、未定だよ。リデは、姿を消すし、アレクは、見るからに頑固そうだしね。ところで、リデは、殺してくれたのか」
「いや、ビルデ街道沿いの傭兵宿にいる。両足に軽い怪我をしているが、命に別状はない」
アレクシアが、あっさり答えると、仲間の無事を知った少年は、意外にも、ほっとしたように息をついた。
それなりに、警戒して、緊張してたのだろう。
そう思えば、最前よりは、子供らしく見える。
しかし、狭い天幕のなかでの駆け引きは、続く。
エリクは、口の端を片方引き上げて、また子供らしくない、人の悪い微笑を浮かべてみせた。
「両足に軽くね。惨死体とか、両手に金子で裏切って逃亡でなくて幸いだな。誰かに、回収に行かせよう」
「惨死体とか、両手に金子だと、どうするんだ」
「当然、惨死体のときは、犯人を同じ目に合わせる。両手に金子なら、捜し出して、惨死体にする」
「当然だな。ついでに聞くが、バイザル伯をおびき出す罠は、どこからだ。この書状が贋なのか、その浮気相手がお前の手の者なのか、美少女の妻そのものが、そうなのか」
「バイザル伯夫妻の仲人からだよ。こっちの話に乗る気はない?」
アレクシアは、少年に書状を付き返す。
「そういう俗な手段を使う奴は、信用できん」
「俗な相手には、俗な手段で対応するものだよ。どうしてもだめかな」
少年は、困ったように首を傾げて尋ねる。
そして、しばし考えると、ためらいがちに言いだした。
「これをいうと、絶対怒りそうだけど。アレクが、陣中で凶行に及ぶと、出入りの女たちが、手引きを疑われて、証拠が有ろうがなかろうが、皆殺しになるな」
「手引きなどされていない」
「でも、私という別件の手引きは、しているわけだし。責任をとらすなら、恰好の生贄だよね。陣中で事があったら、足が遅いし、まず逃げきるのは無理だ。気のいい女達なのに、かわいそうだよね」
「人ごとのようにいうな。お前の責任だろう。何とかしろ」
怒りを押し殺した声で、アレクシアが、囁くと、少女の姿をした少年は、わざとらしく瞬きをした。
「だから、お願いしている。でも、人の機嫌をとるのは、難しくって…。アレクが、彼女たちを、見捨てられない程、お人好しだといいな、とは、思ってるんだよ?」
問題の書状は、こうしてリデの手から、バイザル伯に渡されることとなった。



二 真紅と褐色の女


明け方、アル・ハウィンの隊商も、十日に及んだ滞在期間を終え、他の幾つかの隊商と入れ替わりに、バイザル伯の陣から出立する時が来た。
次々と、荷車に馬がつけられ、その合間にも、女主人の場違いに華やかな天幕が、魔法のように跡形も無く片付けられる。
そこへ、身支度を終えた女達が、戻り始めた。
それを追うように、数名の兵士が、物資の横流しや、間者の出入りを監視する為に現れる。
アル・ハウィンは、女と、その細々とした身の回りの品が、荷馬車へと移される様から目を離さずに、彼らと談笑する。
もう自らの体を売る女達程には若くない。
しかし、まだ十分に色気のある微笑みと、巧みな話術は、いくらも掛けず、兵士から、必要な情報を、細大漏らさず引き出した。
五人の下級兵士が、酔ったあげくに、斬り合って死んだ。
血なまぐさいが、よくある話。
生き残った者がいないので、罰せられる者もいなかった。
上官の振り上げたこぶしは、行き場を無くし、そのまた上官は、取り敢えず生け贄に彼を選び、降格した等々。
アル・ハウィンの帯に仕込まれた短剣は、時を経るごとに重みを増し、夜の間に噛むのと整えるのとを交互に繰り返した爪は、すでに赤く美しく恐ろしい凶器となっている。
女将は、糸のような目を更に細めた。
けだるげな鈍い動作の女達に混じって、やっと、待ち人が、彼女の力の及ぶ、彼女の懐へ戻ってきたのだ。
ついと、手を伸ばして、肩まで無造作に伸ばされた黒髪を捕まえる。
「エリ」
痩せぎすで、ちっぽけな子供の、何の罪悪感もない笑顔が振り返った。
「アル・ハウィン。いい朝なのに、何だか顔色悪い。滞在予定が延びて、心配なのは分かるけど…。それとも、単に寝不足なのかな」
「エリ。昨日の夜は、どこにいたの」
女主人は、とがった声で問いただした。
少女は、自分が心配をかけたことを分かってないのか、もしくは、少しも悪いと思ってないのか、殊更いたずらな微笑を浮かべ、ついでに首をすくめて見せた。
「もちろん、良い人のところ。ああ、商売じゃなくてね。酔っ払いから匿ってくれたんだ。赤い髪の美青年だったけど、商売女はお断りだって」
「心配したのに」
アル・ハウィンが、周囲が思いもかけぬような拗ねた口調で言い、少女の艶のある黒髪に、指をさし入れかき回す。
少女は、楽しそうに笑いながら、女主人の手を捕らえ、その赤い爪に口づけた。
それは、服従を誓う仕草のようにも、恋人を宥める仕草であるとも見える。
女たちが、くすぐったいような忍び笑いを漏らす。
女将が、こんな子供を愛人にして、可愛がっているというのだ。
殆どが冗談半分だとしても、度がしがたいのは、何人かが、本気で、ずるいだの、酷いだのと言っていることだ。
アル・ハウィンは、それを、何とも言いがたい表情で眺めた。
かろうじて、大きな黒い瞳と、艶やかな黒髪だけは、美しいと言えるかも知れない。
でも本当に、ちっぽけな子供なのだ。
確かに、少女の姿につくろっていても、実は少年である。
しかし、十五という自己主張している年齢からも、二、三歳幼く見え、まだ声変わりもない。
上背も伸び悩んでるふうで、女としても小柄。
それ故、少女と偽ることに、何の苦労もないほどで、男と見ることなど論外だ。
と言って、本当に少女だとして、アル・ハウィンに、そういう性癖があっても、どうだろう。
アル・ハウィン子飼いの豊満な女達に比べ、華奢というのも、褒め過ぎのやせっぽちで、魅力的とは言いがたい。
普通だったら、少女としても、少年としても、色気のある話とは、無縁でいるはず。
アル・ハウィンは、ため息をついた。
これが、そんな噂になるのは、自分の方に、原因があるのだろうか。
周囲の好奇の視線を避け、少女を自分の幌馬車に追いたてる。


女は、考え込みながら、居心地の悪そうにクッションを何度も動かしている。
軽い振動が、隊商の動きを知らせた。
護衛を依頼したベルバ地方出身の傭兵たちが、周囲の守りを固める。
腹に響くような号令がかかり、幌馬車に詰め込まれた女達が、脅されでもしたかのように反応した。
後続の大所帯の馬車とは違い、女将専用の馬車は、金のかかったものであっても、ずいぶんと小振りで、御者を除けば、乗客は二人きりだった。
「アル・ハウィン」
空になった杯に、果実酒をそそいでやり、何やら物思いに耽っている女将の注意を引く。
「何か気に入らない事があるのか」
赤く長い爪が似合う褐色の肌の女は、年齢のよく分からない、ふっくらとした面和をしている。
彼女の目は、やわらかな曲線を描く肢体とは対照的に、細く切れ上がっていた。
その真紅の唇は、その気になれば、恐ろしげにも妖艶にもなれるが、今はただ赤い液体を満たした杯に当てている。
この女は、見かけに反して、止めどもなく優しい。特に、彼女の懐に入った者には。
叔父は、恋人の一人である彼女を、こういうふうに、説明していた。
「アル・ハウィン」
再度促すと、ようやく女が、口を開く。
「今様ながらだけど、貴方を預かってから、こちら、気に入らないことだらけ。不用心無鉄砲無節操。大人だったら、自業自得とばかりに、叩き出しているわ。でも、エリ。貴方は、まだ、そんなに小さい。何をそう、危ない事をする必要があるの?陣中で、五人も兵を殺すなんて」
「五人全部じゃない。助っ人が、はいったからね。どのみち、俺のやることに、詮索は無しだ。叔父貴は、そう言っただろう?」
「詮索したいわけではないわ。貴方のことも、あの方についても、本名すら聞かないでしょう。ただ、貴方が小さいから、心配してしまうと言いたいだけよ」
「アル・ハウィン。俺、そんなに、小さいか?」
年齢とか体格とかは、努力して、どうにかなるものでもない。
気を悪くしてもいいところだが、言われ慣れてもいたので、笑って受け流す。
褐色の女が、やっと微笑みを返した。
「悪いけどね。わたしには、子供というより、孫の年齢に近く見えるわ」
「そこまで小さくないよ。父親と歳のそう違わない叔父貴の、恋人の、孫…ほどにはね」
「私は、あの方よりは、だいぶ年上なのよ。そう、私には、あの方だって、若過ぎるの。まして、貴方は」
「赤ん坊?」
「大差ないわね」
「それは、情けないね」
少年は、肩をすくめてみせたが、あまり情け無さそうでもない。
アル・ハウィンの甘やかすような笑顔は、実の母と縁の薄い子供には、照れくさいようなものだったが、心地良くもあった。
「アル・ハウィン。歳が解るって事は、叔父貴の正体を、御見通しなんだね。でも、我が身が可愛ければ、それは、口にしないでくれよ。貴方に手をかけるはめになるのは、御免だ」
この子は、私が、この子達の不利になる様なことをする、と思っているのだろうか。アル・ハウィンの笑みが、かげる。
エリ、又は、エリクと名乗っている子供は、心の中で、舌打ちをした。
彼女は、またもや、あいまいな微笑を浮かべている。何か気に障ったようだ。
叔父貴なら、この女をうまく扱うのだろうか。
どうも、機嫌を取りたい相手の機嫌を、取れたためしがない。
「エリ。今回は、いつまで、この隊商にいられるの」
女が、何事もなかったように、尋ねる。
「ベルスンの村までだ。昼前には着く。貴方は、そこで恋人に会える。それから先は、彼の指示を聞いてくれ。貴方の身の安全は、叔父貴が守る」
身の安全という言葉には、危険という含みがあった。
女は、問いかけるような眼差しをし、やがて、諦めたように頷く。
今や、少女の衣装を脱ぎ捨てて、姿を少年兵に変えた子供は、無邪気に笑顔を返した。



三 赤銅の戦士


話を少し戻そう。
魔物に憑かれたような宴の夜が明けて、間もなくの事である。
アレクシアは、バイザル伯の親衛隊長に、面会を申し込んだ。
符丁と書状の封印を示すと、そのまま、将軍の天幕へと招き入れられる。
バイザル伯は、たまに視察に訪れるだけの、名目の将だったが、その天幕は、宴会の出来そうな大きさの食卓から、炉や寝具、果ては、砂漠だというのに、浴槽までが整えられている、立派なものだった。
老人の前に出た、アレクシアは、さすがに、琥珀の瞳を伏目がちにし、赤銅の髪を兜の下に隠していた。
老伯爵は、もどかしげに封をとき中身を検めた。読み進むにつれて青ざめ、崩れるように、床几へ倒れ込む。
その大仰な取り乱し様は、若妻の浮気によるものだと思えば、滑稽だった。
アレクシアは、目の前の無防備な老人の首を落したい衝動に耐えた。
(かわいそうな女たち…)からかうような少年の声が脳裏に甦る。
ここまでもぐり込むのに、半年掛かっている。あと半日待っても、どうということもない。
アレクシアは、自らを宥めた。
しばし呆然としていた老伯爵は、我に返ると、リデに金子を与えて出入口を示しす。
兜の下の顔を確認することもしなかった。
アレクシアが、去り際に振り返ると、バイザル伯は、生気のない顔で、書状を炉にくべる所だった。


女達を詰め込んだ馬車が、ベルバ地方出身の傭兵たちの号令で一斉に動きだした。
日が昇りきるまでに、ベルスンの水場へ、たどり着かねばならない。
車輪が始めの一巡りをして、日差しをさえぎるための幌を被った荷台が、大きく揺れる。
一斉に女達の嬌声が、あがった。
アレクシアは、それを追うように、足の早い伝令用の軍馬に騎乗し陣営を出た。
馬車を追い越すたびに、女達の陽気な声が掛かる。
先頭の小振りな馬車の脇を抜けたとき、見覚えのある微笑が覗いた。
手が振られる。
アレクシアは、罵声を飲み込んで、馬に笞をくれた。


命を奪いかねない凍るような夜気は、朝の風にさらわれ、昇りはじめた太陽の乾いた温もりと取って代わられた。
やがて、白い砂丘に照り返り、うっかりすると目を焼きかねない強い日差しとなる。
それも昼を越せば、息をするのも苦しいほどに灼熱する。
むやみに馬を跳ばしたためか、アレクシアが、目的の場所に着いたのは、予定より随分早かった。
ベルスンの水場は、砂漠に点在する陣営への中継点として、往来する数々の隊商で賑わっていた。
市場と旅籠、または、簡単な作りの軍の宿舎が、蜘蛛の巣を思わせる編み目状に、路地を構成している。
その中心に、地下水をくみ上げるからくりがあり、巨大な水盤に澄んだ水を溢れさせていた。
ただ、水場の寿命は短く、人々は流れるのみで、定住するものは少ない。
この井戸堀りの技術を持つ一族を、ベルスンという。
この一族は、水場が枯れる度、新しい水場を開き、村を移す。新たな村もまた、ベルスンの村と呼ばれる。
現在のベルスンでは、開かれてから、もう十分な活躍をしたからくりが、最後の勤めを果たしているといった軋み具合で、動いている。
赤銅の髪の戦士が、汲んだ水は、まだ十分澄んでいたが、水盤から流れ落ちる様は、やや心もとなく思えた。


女達の隊商が到着したのは、もう昼にさしかかった頃だった。
喉を潤し、残った水を被った少年は、頭を振って水気を払った。
ベルバ地方に多い栗色の明るい髪の傭兵が、少年の濡れた黒髪を引っ張る。
きつい日差しの中、一団の屈託のない明るい笑い声が響いた。
痩身の戦士が、水場を臨む宿舎の一つから、姿を現して足を止めた。
琥珀のきつい眼差しが、ふと、険しさを増す。
「なんだ、あいつ」
アレクシアは、つぶやいた。
年長の仲間とじゃれ合ってる少年兵には、昨夜の少女の魔物じみた妖しさは、かけらもなかった。
何やら、騙されたように感じる。
傭兵の一人が、肘で少年の胸を軽く突いて、アレクシアを指さす。
どういう弾みか、冷やかすような笑い声があがった。
少年は、仲間に水飛沫をかけると、アレクシアに向かって駈け出した。
旧知の友にするように、何の含みのない笑顔を見せる。
「アレク」
アレクシアは、日差しを避ける為に目を細めた。
少年が目の前にたどり着くと、その黒い髪の頭を見下ろして、無愛想に言う。
「書状は、渡してきた」
対照的な愛想のよさで、少年から礼が返ってくる。
「ありがとう。うまくいっているよ。バイザル伯は、お忍びで陣を抜けたそうだ。すぐ、こちらに着く」
「奴の首は?」
「用が済み次第、すぐ渡すよ。信用できないなら、同行すればいい。少なくても、この首に剣を添えて、おどせば、俺の仲間が、引換えに奴の首をくれるよ」
「…俺…」
アレクシアは、漠然と奇妙な違和感を感じた。
エリクは、それに気がついて、やや怪訝そうに言う。
「男だよ。言ったよね」
革の胴着は、水を浴びる前に脱いでいる。前合わせの下着は、濡れて素肌に張りつき、少女の胸に有るべき膨らみがないことは、一目瞭然だった。
「見ればわかる。男かどうか疑った訳じゃない。だいたい、あの女装は、全然似合ってなかったぞ」
エリクは、頷いた。
「あれは、茶番だね。女は、商品だから、商談を成立させるかどうか、自由選択が効くけど、子供だと、問答無用に、無料で、女の代わりをさせられるって、聴いてさ。結局、ホラだったのか、役に立たなかったけど。……って、じゃあ何?」
アレクシアは、あいまいに首を振った。
目の前の子供と話していると、何やら目眩がしてくる。


銅の谷の戦士は、少年を従えて、水場から市場に向けて歩き出した。
露天商達は、昼の休みの為に、店を閉めはじめている。
その一つから、腹ごしらえに、酒と食料を買い込んだ。
「アレク?何か、気にさわった?」
エリクは、黙り込んでしまった赤銅の髪の戦士に、声をかける。
『彼』と話していると、非常に面白い。人慣れない猛獣を、相手にしているようだった。
案の定、不機嫌な言葉が、返ってきた。
「おしゃべりだな」
男の声としても、おかしくはない、ややかすれぎみの低音の声だ。
昨夜は、この声で耳元に囁かれ、ぞくぞくした。
エリクは、『彼』に、もう少し喋らせたかった。
「そうでもないよ。アレクの方が、無口なんだと思うけどね。少しくらい、喋ってもへるものじゃなし」
アレクシアは、うんざりして短く返す。
「お前は、バイザル伯の首の質だ」
エリクは、アレクシアが、嫌がらせじゃないかと疑うほどの愛想のよい笑顔で、いいつのった。
「ちゃんと、おとなしく質になってるだろう。後で知られたら、大騒ぎする奴がいるだろうけどね。質は、口をきいても、いけないのか」
「私の三倍も、しゃべるのは辞めろ」
「それは…、失礼」
アレクシアは、酒の小さな革袋に口を付けた。
目の前の子供は、下戸だからと断って、おとなしく水と干した果実を口にしている。
少年が、あまりにあっけなく引き下がったので、かえって相手をする気になってしまった。
「誰が大騒ぎするって」
「まずは、例の隊商の女将アル・ハウィンと、その護衛の傭兵隊長ライリンかな」
アレクシアは、どこまで、本当なのか分からないような、女達のとりとめない噂話を、思い出した。
「両方とも、お前の恋人だときいたな」
「誰から?」
「隊商の女達」
「たちが悪い冗談だよ。アル・ハウィンは、叔父貴の恋人。ライリンの方は、弟が、俺と同じ名だとかで、保護者ぶってるだけ。時々、過保護で困る」
「なるほど」
水場での無邪気な場面を思い浮かべて、琥珀の瞳が少し和んだ。
エリクは、すかさず話を続けた。
「その赤銅の髪は、エイオン峡谷の出身に多いね。それで、女の戦士とくれば、銅の谷が有名だ。そう?」
アレクシアは、軽く頷いた。隠すことでもない。
エリクは、改めて、艶やかな光沢の赤銅の髪を見た。
「俺は、これでも結構、戦場暮らしは長いけど、初めて見たよ。女だけの一族というけど、本当に?」
その質問は、よほど人の興味をそそるのか、谷を出てから、行く先々で問われたのと同じものだった。
アレクシアは、以前と同じように、淡々と応えた。
「男はいない。男が生まれると、その日のうちに外に出される。女の子だけが、谷で育てられる。幼いころから腕を磨き、一通りの武芸を身につけると、谷から出て傭兵になる。そして、子供を産むために谷に帰る。子供と、祭司と、老いた女が、谷を守っていた」
アレクシアの故郷の話は、過去形で終わった。
谷は、もうないので。
半年前、バイザル伯は、口実としか思えない些細な理由で、谷を攻めた。
銅の谷の住人は、傭兵が生業の武人の一族であったが、長年友好関係にあったバイザル伯の急襲に、苦もなく殲滅され、谷を離れていて死を免れた者も、故郷を失い四散した。
アレクシアは、追憶に閉じこもりかけたが、エリクは、それを許さなかった。
少し笑いを含んだ声で訊ねる。
「父親の調達は他所でか?だいたい、女の子が生まれたとして、父親が子供を欲しがったら、どうする」
「その子供次第だ。谷の祭司が、その子を谷に必要か否か、判断する。不要となれば、父親にやることもある。逆に、一族でなくとも、必要とされた子は、親元から、さらってくる事もある。めったにはないが」
「はた迷惑な一族だ。で、アレクが、眉間に皺を寄せて生きているのも、そのあたり何かわけありかな」
アレクシアは、それこそ眉間に皺を寄せ、ふざけた子供を睨んだ。
「よけいなお世話だ。お前こそ、その歳で戦場暮らしが長いとは…」
アレクシアが、逆に相手の素性を問い詰めてやろうとした時、謀ったように事が起きた。
切迫した悲鳴があがり、アレクシアの言葉を切る。
「賊だ。盗賊だ。逃げろ」
「違う。軍隊だ。カーディーンの兵だ」



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