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銅の谷の女神後編・裏表紙


終 章


 時は、ハンナム・カーディーン大公の治世が終わり、次代ルア・デイギス・カーディーン大公の治世に移っていた。



 緑の天蓋は、楽園の夢を思い起こさせる。
 カーディーンの重臣ウィル伯の領地は、水と緑に恵まれた地方にある。
今なお広がりつつある砂漠に脅かされつつも、十分に豊かで美しい土地だった。
 小さな影が、こちらを、そっと伺っている。
 灰銀色の髪と、若葉を思わせる緑の瞳という、柔らかな色彩をまとった年若い領主が、その影に気がついた。
微笑んで、手を差し伸べる。
「エレル」
 黒髪の黒い瞳の、ふっくらとした頬を持った子供は、愛くるしい小さな顔を輝かせた。
テラスに向かって、駆けてくる。
「とー様」
 エレルは、義理の父の腕に抱かれると、甘えるように指を灰金色の髪に搦めた。
 仲のよい親子の図を眺めていると、子供が振り返り、思いっきり顔を顰めて見せた。  
 義理の父の関心を奪う客が、嫌いなのだ。
 それが、自分とそっくりなのも、嫌なのだ。
 でも、本当に嫌っているわけでもなくて、自分とそっくりな客が、気になって仕方がない。
 その客人である大公が、ため息をつくと、そばに控えていた男が、忍び笑いをする。
 ウィル伯の養い子、エレルが、大公の実子であることを、知る者はほとんどいない。
知っていても、その出生からウィル伯へ預けられるまでの事情を知る者は皆無だ。
ウィル伯の御用商人ラデル・ラデラドは、さりげなく探りを入れてみる。
「触ってみたいって、顔をしてますね。嫌われると辛いでしょう。エレル様は、可愛いかたですからね。顔は貴方にそっくりですが、性格は、お母様似ですか」
 大公は、眉を寄せた。
内気で優しい気質の子供を前にして、実の父親は、その母親を思い浮かべてみる。
「少しぐらい似てても、ようさそうなものだけどな。全然、どこも似てない」
「じゃあ、父親似なのかな。貴方は小さい頃、あんな感じの子供だったんですか」
 大公は、それに応えず、ただ微笑んだ。
 血塗られた砂漠の戦の六年を経て、ささやかな休息を得た。
このときまで、乳飲み子のまま人に託した我が子のことは、忘れていた。
それは、今日まで、自分が生き延びられると、思っていなかったせいだった。 
こうして目の前にすれば、愛しいと思う。
嫌われるのは辛い。
そして、できれば、黒い血筋としての、銅の谷の末裔としての宿命を、選ぶことにならねばいいとも思う。

 時は、まだ至らない。
 伝説の結末は、秘されたままだった……

『銅の谷の女神秘録』 完


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