石垣・西表紀行2001

策謀編

by エンダー

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忘れられない日々・・・

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早くもあれから2ヶ月が経った・・・この2ヶ月間書こう書こうと思ってはいたが、私の中ではまだ消化されないものが渦巻いていてどうしても筆が進まなかったのだ。編集委員で今回の同行者の一人であるBAJAさんにはご迷惑をおかけした。本稿は2001年11月1日から6日にかけて、私エンダーと亀有カブト、BAJAそして石垣島のクワ馬鹿T氏の4名での石垣・西表の採集旅行のささやかな記録である。成果としては見劣りするものであるが、その過程において石垣・西表の魅力を満喫できる内容であり、数々のクワ馬鹿達をリピーターにしてしまう魔力をご紹介できればと思う。なお、その性質上、一部のポイントについては伏せさせていただくことを予めお断りする。

 

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今回の採集計画は実は1年以上前から密かに立てられたものであった。実は私は石垣・西表リピーターで、今回で3年連続となるのだが、クワ馬鹿の病に倒れてからも採集目当てでない旅行に行ってしまったのであった。石垣のT氏には2回目にもお世話になったのだが、家族&友人との旅行であったため採集する機会に恵まれず、というより執念ゼロであったため、今思えば非常にもったいないことをしていたのであった。ほどなく檜枝岐病に犯された私は飼育一辺倒から採集及び標本の魅力に目覚め、今度こそ思う存分クワ三昧の採集旅行をしたいと願うようになったのであった。こうなると周りには馬鹿が溢れており、是非行こうという仲間が集まるにはほんの一瞬であった。最初はかつて石垣・西表経験もあるk-sugano氏と、石垣島にT氏という大馬鹿者が生息しているので、是非家族抜きの採集に行きましょうということが発端であったのだが、仕事の都合でやむなく断念した。きっと密かにリベンジを狙っていることであろう。亀有カブト氏は、私にT氏を紹介してくれた縁もあり、是非一度T氏にお会いしたいという気持ちもある上、釣り天国であるという情報をちらつかせただけで不退転の決意をしたようである。普段の亀有カブト氏の忙しさをご存じの方なら6連休をとるなんて誰も信じられない暴挙であると感じることであろう。BAJA氏の同行は想像に難くない。仙台と東京と離れていながら、いったい何回会ったことか・・・多くは採集ポイントで遭遇してしまうのだから極め付きの採集馬鹿である。また興味の範囲もクワに留まらず非常に守備範囲も広いので、石垣・西表に行くのは時間の問題であったことだろう。さらに釣りも好きだし超グルメだし・・・今回の企画を聞いた瞬間に決意したことであろう。また、今回の陰謀を聞きつけたあいあん氏やtsuu3氏も「行きた〜〜い!!」と叫んだことはいうまでもないが、長期の休暇も必要であり、本当に実行するには大変な努力が必要なのであった。私の場合は2001年度入りした4月には上司に「今年の秋に絶対に行かなければならない場所があるので、必ず休ませてくれ」と宣言し、毎月のように忘れないよう囁き続けたのであった。もちろん仕事のスケジュール策定上、11月前後には重要な仕事が入らないようにあらゆる陰謀を巡らしたことは言うまでもない。さらに長期休暇を自分のためだけに使用するためには家族慰安が重要であり、夏には檜枝岐〜遠野遠征と家族旅行を合体させるという一石二鳥の企画で誤魔化したのであった。BAJA氏は長期勤続のリフレッシュ休暇を行使せず、この旅行のために持ち越したようだ。亀有カブト氏がいかにして休暇を獲得し、家族の理解をどうやって得たのかは「絶対に秘密」にしなければならないそうなので割愛する。

 

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9月1日。この日は非常に重要な日であった。今回の採集旅行の日程を11月1日〜11月6日に決めた後は、航空券の確保が最重要なのである。石垣島へは東京からの直行便か那覇経由があるが、夏にはチケットを取るのも大変な人気路線である。もちろん11月ともなるとかなり楽にはなるのだが、我々に共通しているのは「安く行きたい」という執念であった。5月のコルリに始まり9月のヒメオオまで、暇さえあれば採集に出かけてしまうような生活が続くと大名旅行するような余裕は無いのである。私と亀有カブト氏は出張も多いのでANAのマイレージが貯まっており、これを使うことが絶対条件であるし、2ヶ月前にはちょうどANAの超割発売日ということもあり、マイレージのないBAJA氏と那覇−石垣間のマイレージが貯まっていない私にとっては9月1日に超割をgetすることがとても大事なのであった。この日を前に、連絡掲示板をオープンし、予約するべき便を綿密にうち合わせて当日の朝を迎えることになった。開始時間きっかりにそれぞれアクセスを開始したが、電話は予想通りまったく繋がらず、明暗を分けたのはネット予約であった。ネット会員であればほぼ開始の瞬間に超割もマイレージも予約が取れ、私の場合は往復16,000円で行けることになったのだった。マイレージを利用しないBAJA氏も超割と早割を組み合わせて40,000円程度で収まったはずであり、ハイシーズンには100,000円近くかかったことを考えると第一関門は無事クリアしたことになった。ただし亀有カブト氏は全行程マイレージであったが、家族に内緒で予約することができず、ネット会員の暗証番号も忘れるという悲劇のために、数時間後に電話予約することになっため、行きの同便が取れずに石垣入りがずれるということになってしまった。いったい亀有氏は何と言って家族を説得したのか?一抹の不安が過ぎった・・・

 

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航空券を確保した後はいよいよ具体的な計画作りである。普通は宿の手配とかもしなければいけないのであろうが、極貧旅行故に最初からテント生活のつもりであったため準備は専ら持ち物とか採集プランに費やされたのであった。なにせ11月といえど現地は25℃以上の温暖気候である。しかしながら石垣在住のT氏が石垣でもテント生活をしようという我らを見るに忍びなかったらしく、石垣での宿泊(2泊)をコネを総動員して手配していただいたのである。島でも一番立派なホテルであったが、「ここでは書けない値段」であった。今回の採集旅行においてT氏のお力添えでどれだけ助かったことか、言葉に尽くせない程である。採集に関する日程はT氏にお任せすることにしたのであるが、実はT氏はちゅらさんの島のリゾート開発のお仕事で超多忙となってしまったため、直前まで任せっきりで我々は着いてからのお楽しみ状態となっていたのであった。断片的に入ってくる情報では、「漁船をチャーターした」「西表では無人地帯でキャンプする」などかなりワイルドな旅行になる予感があったため、準備する側も大いに盛り上がっていったのであった。とりわけ食料については自給自足の可能性が高いため、亀有カブト氏は好きな釣りも必須とあってもはや釣り旅行に行くような雰囲気になっていたのであった。かくいう私も釣り竿やルアーセットもしっかり買い込み、やる気は十分なのであった。檜枝岐では亀有カブト氏達がクワ採集の合間に釣ったイワナを炭火の遠火で飴色になるまで焙り、日本酒に漬けて飲む骨酒が楽しみであり、BAJA氏も自家製のベーコンやハムを持ってきてしまう程のグルメであるため、だんだん石垣・西表の釣り&料理への期待も膨れ上がっていくばかりであった。キャンプ生活のための装備については、アルピニストでもあるクワ馬鹿shourinij氏からいろいろお借りできたことで殆ど買わないで揃えることができた。オールチタンの鍋セットなど、流石役立ちアイテム満載で非常に助かった。この場をお借りして御礼申し上げる。そして出発直前の10月27日にはT氏から「チャマル8♂get」、そして30日にはさらに3♂getとの書き込みがあり、我々の期待は異様なまでに膨れ上がり一種の狂騒状態になったことは言うまでもない。 

 

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いよいよ出発の前日、サラリーマンにとっては最も危険な日である。楽しみにしていた休暇の予定が無情にも吹っ飛んでしまうことは日常茶飯事である。ましてや3名が揃って切り抜けられるのか・・・非常に心配であった。私の場合には早々に引継を行い、「私は絶対に休暇を取る!」という決意を部内全員に行き渡らせることに余念がなかった。また、「携帯が一切繋がらない所に行くので後は頼む!」と念を押すことも怠らなかったのは言うまでもない。さらに仙台のBAJA氏が今晩我が家に泊まることになっているため、5時ピタで会社をおさらばするという暴挙もやってのけたのであった。電話をしてみるとBAJA氏も無事切り抜けられたようであり、何と亀有カブト氏までが順調ということであった。こうなったら前祝いをするしかないということで、亀有駅に集合した我ら3名は興奮を抑えきれないまま酒宴となったのであった。途中えいもん氏が壮行に乱入し、最後は亀有名物の「東京ラーメン」の「こってりチャーシュー」で前夜祭を締め括ったのである。もうここまでくれば大丈夫だ!こんなに楽しいお酒は滅多に味わえないものだとしみじみ思った一夜であった。

 

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