懐古趣味音源ガイド    其九十九

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1569 jyake01
aaevp7
2002

Iceland/All About Eve

マイス(Mice)以後、新生AAEの唯一のスタジオ・ミニ・アルバムで、これ以外のスタジオ音源はシングルの「Let me go home」2種のみと思われる。新作とはいえ、カバーとリミックス、焼き直しが主体で、ブリッチェノ(Tim Bricheno)という優れた作曲者の喪失は結果的に最後までAAEを蝕み続けた。リーガン(Julianne Regan)とベースのカズン(Andy Cousin)のみによるアラスカでの録音。テーマは凍てついた『冬』か。

クイーン(Queen)の「A Winter's Tale」、ワム!(Wham!)の「Last Christmas」といったカバー曲は寒々しいアレンジが施され、アンビエントなまでの素っ気無さとクールな抒情が仄かに漂う。テクノ・ハウス色が露骨に感じられる向きもあるが、リアレンジ、リミックスされた往年の名曲「December」などはしっとりとした色気が滴り落ちる。ゴシック・ロマン路線を切り捨てた意図的なイメージ・チェンジは過去の期待を裏切るものでしかなかったが、エグイまでのコンテンポラリへの傾倒も成功しているとはいい難く、突き抜けることのないB級感が泡沫的な寂しさを感じさせる辺りを含めて持ち味といえようか。

1570 jyake02
Columbia
82796 97772 2
2005

Aerial/Bush, Kate

93年の『赤い靴』から12年ぶりの現時点(2010)での最新作、2CD。とはいっても総計80分ちょいなのでそれほど長いわけでもなく、内容を鑑みれば物足りないぐらいだ。ブランク12年は子育てが終わったということを単純に意味するのだろう。前半の副題は『蜂蜜色の海』、後半が『蜂蜜色の空』ということで、サンプリング波形が糸杉の島のように見える、水平線のアートワークが素晴らしいジャケットそのまま。6面紙ジャケ、ピクチャー・レーベル、カラー・ブックレット付き。

かつてのエキセントリックと狂気が織り成した天才の才気と張り詰めた緊張は、エッセンスを包み込んだ飴色に鈍る半透明な琥珀のように、淡く色づいた空気感に溶け込んでいく。まだ降っていないのに忍び寄る雨の匂いのように、穏やかなアレンジとアンビエントな背景音が極めて抑制された音使いと穏やかに染み渡る歌をサポートする。酷使した声は張りと伸びを失いつつあるが、もう、50歳を越えているはず。年齢を食うとわかる、あるいは否応なく受け入れざるを得ない、取るに足らない瑣末な日常と、その余りにも平凡な日常の積み重ねが生む諦めと充足がここにある。

タイトルは内ジャケでなびく洗濯物を揺らす風というよりは、その実体、あるいは虚体としての『気』だろう。

1571 jyake03
Spalax 14292
1974

Galactic Supermarket/Cosmic Jokers

ほぼ生録に近いと思われる「万物の子供たち 18:54」とタイトル曲「銀河量販店 19:24」、ともに一応展開のある三部構成の全2曲。演じるはコズミック・ジョーカーズ、すなわち宇宙痴呆の第2弾。レーベル総動員の毎度いつもの構成員にグトシンク(Manuel Göttsching)の彼女:ロジ・ミュラー(Rosi Müller)と社長秘書兼愛人が天の御声で出演という公私混同・もう、どうでもよくなくって? キャハハッあたりが新機軸か。

ドロドロだが突き抜けた明るさに満ちた享楽的薬物サイケ・ジャム・セッション。グルーブたっぷりのグロスコプフのドラム入りで、トランス風アンビエントでもあるがブルーズ・ロック色も濃い。グトシンクのギターも心地良くリズムを刻み、シュルツ、ドラーゼのツイン鍵盤が憚りもなく唸りをあげるという塩梅。セッションだがアレンジはけっこう巧み。全体を下支えするドラーゼのピアノ、ソリーナやシュルツのシンセ類は今聞いてもそれなりに斬新だ。唐突に貫入するエコーを掛けまくった天使の御声の官能的で場違いなまでの鮮烈さは好みを分けるところ。所有音源はほとんど情報の記載がないSpalaxの再発デジパック。

1572 jyake04
Mute Records
9085-2
1982

Für Immer/Deutsch Amerikanishe Freundschaft

80年代ドイツ新派、独米友好の5作目にして第1期ラスト『永久に』。より端的に、より滑稽に、より簡潔に。これ以上進んだらもはや音楽の体を成さないという意味では、この時点での終焉は理に適ったものといえるだろう。全作曲はゲアル(Robert Görl)、作詞と謡はロペス(Gabi Delgado Lopez)、制作はもちろんドイツ新派の総帥であるエンジニア、プランク(Conrad Plank)。

萌芽に5~7年ほど早く、感触は既にミニマムにしてディジタル。生ドラム+ベースシンセに男声がのる極端に整理された肉体電子音楽という基本コンセプトに変化はないが、リズムはよりこなれ、ポップで明快な曲調からは、もはやパンク色は遥か彼方に放擲され、ダンス・ミュージックの様相を呈している。単調で周期的なリピートを偽装する人力リズムのインチキ臭さも然ることながら、ネオ・ナチ紛いの民族対立を露骨に煽る「アタチュルクは新たな支配者、ドイッチュラントよ、すべては喪われた!」を連呼する「串焼き夢想」(Kebab Träume:ケバブ・トロイメ:ケバブは著名なトルコの串料理)をはじめ、以前より露骨さは薄れたとはいえ、相変わらず世間の良識人が眉を顰める悪フザケとキッチュにも暇がない。

1573 jyake05
ABT048CD
1981

Hawk meets Penguin/Amon Düül II

Amon Düül II(AD2)名義ではあるが、『鷹、ペンギンと出会う』と題されたAmon Düül UKの初作。ドイツの本家Amon Düül IIが開店休業状態に陥った80年代、初期AD2に在籍したホークウィンドのデイヴ・アンダースン(Dave Anderson=Hawk)がUK(ウェールズ)にて、AD2の主ギター奏者ヨハネス・ヴァインツィエール(John Weinzierl=Penguin)を迎えた、失業対策事業とでも云えばよいか。ドラムズにVdGGのエヴァンズ(Guy Evans)、女性ヴォーカルにジュリー・ウェアイング(Julie Wareing)という布陣で計5作が製作されたと思われる。

全3曲とクレジットはあるがLP時のものだろう。CDのインデックスは2曲。2008年のリマスター。前半12:40の「怒りの一瞬は2パイント分の血量」はシンプルだが仰け反るほどに交響的でリリカル、タイトなリズムと転調が心地良い驚天動地。二人のセッション音楽家によるシンセ鍵盤が奏でる音色は、ホークウィンドともADIIとも似つかわしくない不思議な叙情を湛える。荒唐無稽な面白味はないが、民族スキャット風の女性ヴォーカルが構築的な構成に嵌り、秀逸。後半タイトル曲(23:31)も、ドイツADのアングラ・サイケな雰囲気は極めて薄く、即興が極まるノイズ・アンビエントかと思ったら、段々と妙にアレンジが決まり始め、アンサンブルの妙で聴かせる作りだったりして笑える。全インスト。

1574 jyake06
CTCD-066
1980

Individuellos/La Düsseldorf

ノイの片割れ、故クラウス・ディンガーが主宰したラ・デュッセルドルフの3作目にしてラスト。全9曲の小品集にCD化の際に加えられたボーナス2曲。前作の到達点的大曲「Cha cha 2000」が集大成ならば、ここにあるのはその残滓を改竄した、よりリズミカルでポップな展開。ハンマービートはよりこなれ、スピードを上げて、メランコリックなノスタルジーを内包しながら脳天気で享楽的なまでのテクノ・ポップに跳ね回る。

冒頭の3連“人間賛歌”組曲は「Cha cha 2000」の焼き直しだが、よりカラフルに、よりコンパクトに、より直截的に個の確立と屹立を礼讃し謳い上げる。以降は原則インスト曲だが、アンビエント・テクノ風の相変位や鐘のSE、変調ボイス等を織りまぜながらも、懐かしくも心地良い旋律が時間を遡るように延々と反復されていく。タイトルは『個(としての人間)』といった意味だろうか? ジャケはアナログ・ブラウン管TVを撮影したもの。画面に映るのはディンガー兄弟と思われる。

1575 jyake07
Grönland Records
CDGRONIV
5065001040856
2010

'86/NEU!

90年代に日本のマイナーレーベルから一瞬リリースされていた『Neu! 4』の改題正規版。故クラウス・ディンガーの権利継承者Miki Yui(日本人か?)とローターの合意に基づく法律上正規の公式アルバムということらしい。ピンクの部分が黒い非正規版『4』との違いは全体ボリュームが減っていること(58分⇒44分)、曲名改題、曲順、一部リミックス、新トラック追加、およびオリジナルテープからリマスターが施されていることらしい。ノイ!は70年代前半に3作のアルバムを残し消滅。85年製作の本作は10年ぶりのローター+ディンガーによるアルバムとなるはずだったが、録音中に放棄された。

一時は、希少・再発不可能・今だけ等々、散々煽り文句がついて、途方もないプレミアムまで付いていたが、グルメと同じく中身はロクなモノじゃないというのはよくある話。ディンガーのデュッセルドルフの焼き直しレベルで、お蔵入りも頷ける内容。初期3部作のようなストイック感もなく、ローターのコンピュータ・システムが導入されているとはいえ、手法的な目新しさも感じない。一部歌入りのミニマル・ポップ、あるいはデジタル・パンク、あるいはアンビエント・8ビートアパッチとして聞く分には、好きな人ならばそれなりに心地良く受けるだろう。つい最近のデジタル・リマスターなので音は気持ち良いくらい非常に良い。

1576 jyake08
Wooden Hill
WHCD013
2004

Chimera/Chimera

60年代末期のイングランド・電化フォーク。リーザ・バンコフ(Lisa Bankoff)なるボーカル・ギター担当の女性を中心に、ボーカルのフランチェスカ・ガーネット(Francesca Garnett)のデュオ+男3のバンド編成と思われるが、書生時代のピンク・フロイドから鍵盤やドラムが演奏や製作でサポートしているあたりが後世の評価基軸。今風に云えば、アシッド・サイケ・フォーク。個人的にはジャケのオネーチャン(特に右側:バンコフではない:誰だ?)が、あからさま、且つ、すこぶる印象深い。

Chimera=キメラは“怪物”、“妄想”の意。オリジナルはギリシャ神話の「キマイラ」。生物学的には同一個体に異種遺伝子が混じった細胞が混在している状態を指す。身近な例で云えば一本の木に赤と白の花が咲いているキメラ・ツツジ等を挙げることができる。

異形な変調を多用するあたりはシド・バレットやレィディ・ジェーンを思わせるが、曲調はメランコリックながらも斬新で先鋭的。生弦楽アンサンブルがアレンジされた曲もあるが、比較的フラットな典型的な英語歌の曲調で、牧歌的・演歌的な要素は極力押さえられている。全19曲。後半はデュオの宅録風だが、SEが多様され、前半よりも前衛度合いは高い。リマスターが施されてはいるが、年代物なので決して音は褒められたものではない。

1577 jyake09
Projekt PRO130
2002

The Scavenger Bride/Black Tape for a Blue Girl

恐らく独立マイナー・レーベル・オウナーであるローゼンタール(Sam Rosenthal)が主宰する、かなり流動的な構成の、アメリカの暗黒耽美ゴシック。86年に登場し、流動的かつ寡作ながらも現役。出自は西海岸らしいが、2002年の8作目にあたる本作を前にニューヨークへ移住している模様。初期の歌物フォーク色は薄れ、構成がヴァイオリン+ヴィオラ+チェロ+フルートに、ローゼンタールのエレクトロニクスを背景にしたアンビエントで欧州的なクラシカルな趣が増した佳作。ほぼリズムレス。主要なボーカルがハスキーだが透明感に満ちた女性(Elysabeth Grant)に変わったことも幽玄お耽美に拍車をかけている。

この手のものにありがちな露骨な(イデッシュ系の)宗教色は殆ど感じられず、音像はあくまでポップ領域に留まる。一方、クールで理知的な構成主義に走ることもなく、人間の情動と熱情的なエロスに依拠したある種の悩ましさは珍しい。中身は欧州風の文学趣味(今作はフランツ・カフカ)でいっぱい。街路清掃人、花嫁、独身男の織り成す不思議で不可解な物語が語られる。プラハの街を背景にポーズをとるのはフルートのリザ(Lisa Feuer)。

1578 jyake10
Spoon 45
2001

Masters of Confusion/Schmidt, Irmin & KUMO

経緯は不詳だが、往年のCANの鍵盤奏者イルミン・シュミット老とドラム・プログラミング+サウンド・エンジニアで著名なテクノ領域のKUMOによる共同作業に、両氏によるハーグ・ロンドン・アミアンで行われた1999年から2000年頃のライブ音源3曲を加えたもの。演ずるは全8曲、トータル60分弱のインスト曲のみ。

KUMOのプログラミングとアンビエントな鍵盤を背景に、シュミット老の達者(な上に、ちょっと華麗!)なグランド・ピアノが縦横無尽に音場を満たす。基本的にはテクノと現代音楽の境界領域でそれなりにストイックで先鋭な音像だが、なかなか構成や展開が凝っていて飽きずに、かつ、心地良く聴ける。KUMOが主導するダンサブルなものもあれば、シュミット老のオペラ作品や映画音楽風叙景を彷彿とさせるものまで曲調はいろいろ。個人的にはシュミット老のドイツ的悲哀とでもいうべきか? やるせない薄幸感の虜である。内容もさることながら、さすがその道のプロ。ライブ録音も含め恐ろしく音質が良い。

1579 jyake11
Angel Air
SJPCD229
jyake11
1st: 1973
jyake11
2nd:1974
2006

Fandangos in Space + Dancing on a Cold Wind/Carmen

3作を残したブリティッシュ・ロックのカルメンの1、2作目をまとめたカップリング2CD。イギリスが活動舞台でリリースもイギリスのレコード会社だが、バンド名の通り、主要構成員アレン(兄:David Allen 妹:Angela )はメキシコ系アメリカ人? で、渡英前はラスベガスでフラメンコ・ショーを演じていた模様。70年代初期のボウイーやマーク・ボランを祖とし、後のクイーンに連なるグラム・ロックの系譜に、プログ張りのバリバリ変拍子と展開、フラメンコを大胆に導入したあたりが斬新ではあったが、取って付けたようなB級色は否めない。基本はアンサンブルで聴かせるタイプでボーカルもコーラスワークが主体。ウリは歌って踊れてシンセも弾けるアンジェラの美貌であることに異論はないだろう。再発専門レーベルからリマスターで再CD化。ボーナス2曲に豪華ブックレット付き。

73年、1st『宇宙のファンダンゴ』は変拍子ブリット・ロック色が濃く、ラストは頭の曲に戻るという循環形態や抑揚のある複雑な曲展開は当時隆盛していたプログを範としているのだろう。ラテン調のフラメンコ・リズムのパターンもこなれていて違和感は感じさせない。

翌年の2nd『寒風舞踏』は、太くてちょっと短く、苦味とキツさにかつて嵌ったこともあるフランス製紙巻タバコ:ジタン(Gitanes:ジプシー女)のパッケージ、そのまま。より、リズミカルに、より、エキセントリックに奇数拍子が炸裂する一方、くったりとした情感を湛えた歌モノ要素も増した。大曲化は抑えられているものの、曲展開やアレンジが複雑化し、メロトロンが盛大に鳴り、詰め込みすぎじゃないか?

1580 jyake12
Virgin
7243 8 39445 21
1982

Logos-Live/Tangerine Dream

82年のロンドン・ライブ。ライブとしては3作目。94年のリマスター。全2曲「Logos」と「Dominion」。けっこう盛り上がる44分超えの「Logos」に小品を付加したようなかたち。77年の『Encore Live』とうっかり間違えて買った。80年の『Tangram』以降で聴いたのはこれが初めて。ペーター・バウマンに代わり、ヨハネス・シュメリンク(Johaness Schmoelling)期というトリオとしては微妙な衰退期のライブ。以降は首領フローゼの個人ユニット的色彩が強まっていく。ちなみに今(2011)も尚、息子を加えて現役らしい。

タイトル曲は9部構成の明解なリズムと明快なメロディ。斬新でスュル・レアルな即興を捨てて、アレンジメントとBGMすれすれのテクノ的心地良さに邁進するのは時代の要請だろう。ライブなりの躍動感と極めて平易で親しみやすいメロディ、きちんと高揚し、感動的ですらあるエンディングのの盛り上がりと、面白味には欠けるが飽きさせない展開で、とてもよくできている。シリアスで強迫的なものよりも、今はこれくらいのほうがお気楽でいいよなぁ。現代(現世)人の理解が及ぶ端緒といえば、このあたりを指すのかな?

1581 jyake13
BB 319 CD
1999

Soirée(Private Parts & Pieces X)/Phillips, Anthony

オリジナル・ジェネシスのギター奏者:アントニィ・フィリップスによるソロ・ピアノ選集。個人選集としては第10集にあたる。人間性も音楽性も、元々、派手というよりも穏やか、エキセントリックではなく上品さが滲み出るタイプで、凡そ世知辛い今の世とは無縁な位置で、淡々と、ひたすらやりたいことをやって来たし、今回もその路線は完璧に踏襲されている。タイトル『ソワレ』は紳士淑女が集う『夜会』の意。全20曲。ギターシンセ? らしき間奏曲1曲を除き、すべてフィリップスのピアノ・ソロ小品。以前の選集にもピアノ集はあったが、いろんな意味ですっかり大成したように思う。プロのピアニストの技量とは根本が異なるレベルだが、この人は演奏家という位置付けには嵌らないだろう。全曲当人の作曲によるが、まさに『夜会』の生演奏のようなリリカルで飽きさせない、それでいて主張すぎず、背景に埋もれることができるあたりのバランスが見事。メロディが前面に出る英国滋味を湛えた曲はクラシックとイージー・リスニングの狭間を突いたような出来で、かつ、わかりやすい。70年代初期ジェネシスの愛らしくも牧歌的、ちょっとこしゃまっくれた知性みたいなものもふんだんに感じられ、懐かしい。

1582 jyake14
VJCP-28178
1995

The first day/Sylvian, David + Robert Fripp

93年リリースの初コラボ作。85年のシルヴィアンのソロ作『Gone to Earth』で共演して以来。シルヴィアンのアメリカ移住後作品ということで、ソロ初期作のアンビエントなアプローチは極小で、歌モノを主体にした極めてロック的でアグレッシブな感覚が前面に押し出されている。全7曲。ラスト1曲のみインストで若干アンビエント風。フリッパートロニクスも随所で聴けるが、決して主役にはならない奥ゆかしさはキープされている。シルヴィアンのトレードマークとも云える内省性やそこはかとない親密性は、ディストーションが掛かった強烈なリフと、アメリカ人と思われる共同制作者兼プログラミング:David Botrillの明快でクリア、場合によってはファンキィなリズム感覚に置き換えられた。

音像的にはさすがにプロ中のプロ。極めて緻密で質の高い仕上り。面白いかどうかは別として、文句のつけどころはない。ベースはトレイ・ガン(Trey Gunn)、ドラムズはマロッタ(Jerry Marotta)ということで、バックは90年代クリムゾンの布陣。

1583 jyake15
WMMS007
1991

Götterdämmerung/Asgard

ほんの一過性だったイタリアの90年代ネオ・プログ、アスガルドの初作。チーンというトライアングルの音を合図にラテン語宗教コーラルで始まる冒頭だが、以降は英語で歌われる上品な初期ジェネシス風ネオ・シンフォ。リズムや音使いは今風に洗練され、長めの曲構成や複雑な展開は緻密な緊張感を保ちながらも、微妙にウェットなツボを心得たリリカルさも失わない、イイトコどりの典型。劇場風ヴォーカルを強調する部分もあるが、アクは強くなく、あくまでも滑らか。気持ち良い。男声ながらも穏やかできれいな声質は流れるような曲調にもよく合う。インパクトには欠けるが、よく練られた上質な楽曲はネオ・プログのなかでもピカ一だろう。

構成員は全員イタリア人のようだが、録音、リリースともドイツから。レーベル自体既に倒産して、全て廃盤の模様。タイトルは北欧神話における『神々の黄昏』。中身はファンタジーかな? イタリア特有の粘っこさは皆無で、北イタリア・ゲルマン憧憬が如実に感じられる。本作以降、次回予告付きの4部作として製作されている。

1584 jyake16
ReR LCD
1991

Rags + The Golddiggers/Lindsay Cooper

Henry Cowのオーボエ・バスーン奏者リンゼイ・クーパーのソロ、2枚のLPをまとめたカップリングCD。元々、王立音楽院出のエリートで、演奏はもとより、作曲、全アレンジもこなす才媛。難病にて現在は音楽界からリタイア。

『Rags(ボロ布)』は1840年代のロンドンの針子を描いた映画『The song of the Shirt(1979)』のサウンドトラック。世界に冠たる大英帝国に動員使役された植民地女性を描いた映画のようだが詳細はわからん。カウのフリス+カトラー+ボーンちゃんに、ミントン(Phil Minton)のラッパ、一部にポッター(Sally Potter)の歌が加わった現代室内楽。一部ドラム入りとはいえ、ロックではない。攻撃的ではないにしても、楽曲はなかなか先鋭的ながらも優美な全18曲。

『The Golddiggers(金鉱夫)』は女性クルーのみで製作された、アンチ資本主義的劇伴音楽と思われる。より室内楽色は強く、器楽色も強まる。ボーンちゃんは本職のチェロ以外にもギターとベースを担当している。禿頭のオヤジ:コクスヒル(Lol Coxhill)がSaxで参加。楽曲はどこかで聞いたことがあるような古典的なノリで、コンパクトで親しみやすい。全10曲。

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作成日 2010/06/14--最終更新日 2011/07/24