懐古趣味音源ガイド    其九十七

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1537 jyake01
Alba
ALCD 00003
200?

СКИТ/СКИТ

ロシアの民俗ポップSkitの初作と思われる。音像の感触や録音状態から判断する限り、かなり最近のものだろう。スリーブの文字は歌詞を含めすべてキリル文字なので詳細はお手上げ。全11曲、構成員5名のバンド形態らしいというぐらい。主唱はアルファベット表記にするとElla Kudyakova(エラ・クズヤコーワ?)なる女性歌手で、上手いだけでなくかなり可愛らしくしっとりと情感がこもった歌を謡う。抜けの良いリズムと先鋭的な電子楽器を背景に、極めてロシア的な哀感と透徹した空気感を湛えて迫ってくる。曲構成や展開はけっこう複雑で、正規の音楽教育を受けた極めてプロフェッショナルな質の高さを感じさせる。その一方で、親密な情感がこもった、メロディを感じさせる歌い方は演歌に近いものがあるあたりが面白い。道祖神なのかSFなのかは皆目見当も付かないが、荒涼とした大地に灯った温もりのようなもの。現代の先鋭的なポップやロックの形式を踏襲しながらも、母なるロシアの土着的風土性、ロシア語の独特な質感を前面に出した表現はへ~と思わせるほど新鮮。

1538 jyake02
CBS/SONY
CSCS 6078
1976

Agents of fortune/Blue Öyster Cult

最初の変曲点にして、ビッグ・ネームに登り詰めた出世作である第5作。当時のオカルトブームに便乗した邦題は『タロットの呪い』だが、原題は『運命の使者』。この運命はどちらかといえば富を伴った幸運を示す。全10曲。前作のライブまではリアルタイムだが、本作以降を実際に聞いたのは2000年代になってから。メロディが際立つポップ調の楽曲が大半を占め、前作までのへヴィでアングラ調のニューヨーク・パンクの趣きは潰えた。ドナルド・ローザー(Donald Rother)のメロディアスなギターもトーンが非常にクリアで、大ヒットした「(Don't Fear)The Reaper」を含む。曲名の邦訳は「死神」だが、米語では「マリファナ」という意味だよねぇ。

製作者の一人、サンディ・パールマン(Sandy Peralman)によるラブクラフト風の世界観が根底にあることは疑いないが、表出した曲調や歌詞は思いの他ストレートで爽やか。前作の延長線上にありながらも、テーマを弾くギターと鍵盤の比重が総体的に上がり、より抒情的で妖しい親密さを湛えたものになっている。パティ・スミス(Patti Smith)との共作・共演を含む。

1539 jyake03
ReR LC-02677
1978
(2003)

Hopes & Fears/Art Bears

スラップ・ハピーとの合体後、歌手ダグマー・クラウゼを得、ライブ・アルバム『Concerts』を経て、カウ(Henry Cow)の5作目として製作が進められたが、ダグマーの才を生かしたすべて歌モノとして企画されたため、カウの作品としてリリースすることにホジキンソン他から異議が出されて、カウ内ユニット、アート・ベアーズ(以下AB)名義でリリースされた。その結果として、直後にホジキンソン+クーパー+ボーンの器楽派とフリス+カトラー+ダグマーという歌モノ派の分裂の契機となった。従って、クレジットはAB組にゲストとしてカウ存続組が参加するという形になっており、実質的には3作目『In Praise of Learning 』の延長線上にある。

全13曲、2003年の24bitリマスター。タイトルは風刺劇の草稿からの引用らしいが不詳。作詞はカトラー。曲は概ねフリス。冒頭「On suicide」のみ、ブレヒト(Berthold Brecht:1898-1956)の作詞+アイスラー(Hans Eisler:1898-1962)の作曲。一聴したときの異様、あるいは奇怪なまでの異質感は、音楽の基本的な要素が悉く解体されて、伝統音楽とは異なる別の社会思考に基づいた手法で再構築されて、簡素でありながら精緻な剥き出しのコアとして呈示されていることによるものかもしれない。一方で、その清々しいまでの非情性と極めて技巧的な構築性の齟齬がダグマーの特異なヴォーカルと相まって、鋭角的で鮮明な、美しいまでの刹那を余すところなく表出している。ダグマーの、時には器楽的に、時には無調で、ざらつきと艶やかさ、醜さと美しさが同居した変幻自在のヴォーカルのぞっとするような透明感と存在感に圧倒される。本作のほんの僅かに、微妙に感じる湿り気やぼんやりとした温かさ、優雅なまでのほの暗さは、次作以降、凍てついたドライさ、極限的なまでの厳密性と純粋美に収斂していくことになる。

1540 jyake04
Musea
FGBG4109.AR
1980

Camino del Águila/Imán Califato Independiente

スペインのプログ・フュージョン、イマン・カリファト・インデペンディエンテ(ICI)の2作目『鷲の道(飛跡)』。楽団名は直訳すれば“独立管区磁石”という意味だが、意図不明。6~14分の中長曲x3に短い歌入りバラード1曲という構成。クレジットが少なくてよくわからないが、イマンの“a”のアクサンが三日月だったりするデザイン、南部アンダルシア風の曲調、前身がゴマ(GOMA)といわれることからも、おそらく南部セビージャ出身のカルテットだろう。前身のGOMAは1975年にデビューしてプログ風のとりとめのないアルバムを一作リリースしている。ギター、ベース、鍵盤、ドラムと構成は平凡。テンポが小気味よく、テクニカルでクール、尚且つサラセン風の哀感を湛えたリリカルな主題を持ったジャズ・ロックという趣き。もっとも、民俗色は薄く洗練されており、ストリングシンセによるシンフォ風の荘重さと軽快な親しみ易さを併せ持つあたりは時代の要請だろうか。長曲にそれなりの意気込みは感じられるものの、曲構成や展開も非常にこなれて無理のないプロフェッショナルの所作が感じられる。ラスト「子供」はキャメルばりの優しく美しいメロディが秀逸な佳曲。所有盤はフランスMuseaの再発CD。

1541 jyake05
ACTUAL
CD 80.2010.02
1982

Nuevos encuentros/Pegasus

1540のICIに比してよりポピュラーなコテコテのフュージョン、ペガススのデビュー盤『新しい出会い』。70年代にそれなりの実績を残したが時代に置いてきぼりを食って解散したカタルーニャの3楽団、イセベル(ICEBERG)のギター+鍵盤、ゴティック(GOTIC)のベース、フシオン(FUSIOON)のドラムの4人で構成され、本作以後8作ほどアルバムを出している模様。中身はBGMすれすれのエキゾチック・フュージョン。その臆面の無さは潔いほどで、ファンクを大胆に導入し、ここまでアッパラパァにやられると逆に心地良くも微笑ましいか。豪腕ぞろいということでデロデロのインプロ大会と思い気や、各自がソロに没頭するというよりも、かっちりしたアレンジと曲構成優先でコンパクトにまとまった全8曲。きっちりとしたメロディと印象的なアンサンブルで、洗練された地中海音楽を基盤にした高速ジャズ・フュージョンを演じ、文句の付けようがない卓越したテクニックと乾いた明朗なしなやかさが程よく融合している。

1542 jyake06
fonomusic
5046703342
1975
(2003)

14 (de) Abril/Goma

1540のImánの前身にあたるのがセビージャのゴマ(“ゴム”の意)。ジャケ絵は彼の有名な1ドル紙幣に印刷されている「世界を見通す目」。ピラミッドの下のリボンには本来「nuvus ordo seclorum(新世界秩序)」と書かれているのだが、意味あり気なタイトルは他意もなく『4月14日』で、楽団が結成された日付を表しているらしい。色味のセンスは、まぁ、アンダルシア風だな。管楽器やマネージメント兼特殊効果担当を含めた6人組。適度な伝統的アンダルシア色と抒情的な詠唱、抑揚と複雑な構成に富んだ重量プログ風の曲調で、洗練と風土色のバランスのとれた兼ね合いが素朴ながらも心に迫る。後を思わせる軽妙なジャズ・フュージョン色は皆無で、硬質ながらもゆったりとしたバラード風の曲を的確なテクニックとアレンジで演じる。多用されるオルガンは70年代初期のイングランド・ヴァーティゴに範があるのだろう。8~11分の中長曲組曲4曲で構成され、ラストの長曲のみ英詞。所有盤は2003年の再発リマスター・6面デジパック。

1543 jyake07
Actual Records
CD 80 2025-02
1976

Coses nostres/Iceberg

70年代後期、カタルーニャで5作をリリースした典型的で正統的なジャズ・ロックの一つ、イセベルの2作目。出自が地中海文化圏のカタルーニャということで所謂スペイン臭はあまり濃くならず、ときおり情緒的に挿入される一部のアコギや民俗調のメロディに感じ取れる程度。全インスト。環地中海音楽の乾いた明るさと、洗練された超絶プログ・ジャズ・ロックの味わいがあくまでも基調にあるという意味では、スペインよりもイタリアの先達に範を見ることができる。演奏技術には定評があるが、そのレベルはこの時点ですら秀逸かつ驚異的で、正に圧倒される。冒頭の小曲を除けば6~9分越えの充実した全7曲。軽くて透明感のあるストリング・シンセも同時代・同地域特有のもの。曲内他曲挿入など当時隆盛したプログの手法なども積極的に取り入れた展開を聞かせる。

次作以降、時代の流れに応じて自らのバカテクを最大限に生かし、超絶フュージョン化の道を歩むのは周知の通り。南部のトリアナ(Triana)とともに、スペイン産を代表するロックとして往時の輸入盤店でも入手には事欠かなかった。タイトル(=Cosas nuestras)はカタルーニャ語で『われわれのもの』といった意味だろう。

1544 jyake08
EMI
7243 8 56790 2 5
1978

Guadalquivir/Guadalquivir

グアダルキビールはアンダルシア地方を横断し、コルドバ、州都セビージャ(セビリア)を潤し、カディス北で大西洋に注ぐ河川の名。川の名を冠したアンダルシア・ジャズ・ロックの1stアルバム。ドラム、ベース、ギターx2+管楽器のキンテット。極めて手数の多いドラムとテンポのよいリズムは精緻でテクニカルで高速、かつクール。その基盤に情熱的でパッション溢れる民俗色が濃厚な彩りを添える。ねちっこく絡み合う2本のギターとサックス。フラメンコ風のカンテが聞こえたりもするが、原則はインスト。目立ち過ぎないような配慮の下に、フラメンコギターとカスタネットのタカタカも上手く組み込まれている。拭っても拭いきれないデロデロのドン臭さは、ヨーロッパの異邦、スペインだからしょうがねぇのだが、臆面もなく自らのアイデンティティを表出できるというのは、ある意味羨ましい性質でもある。全7曲。EMIの“スペイン・ポップスの歴史”と題された1997年リマスター。

1545 jyake09
Epic 480926
1980
1981
(1995)

Noche Abierta+Cancion de la Primavera/Cai

スペイン南部、アンダルシア地方出自のシンフォ・プログ+ジャズ・フュージョン5人組、カイの2nd+3rdの“2 in 1”再発CD。1stは未CD化の模様。2ndはストリング・シンセを多用した軽快さとリリカルで親密なメロディが、危なげのないテクニカルな高速フュージョンにのる。全7曲中2曲のみインストだが、歌の比重はそれほど高くはなく、組曲風の複雑な展開と複数のテーマを持つ長曲もある。伸びやかなフラメンコのカンテ風のボス、フラメンコ・ギターが冴える民俗節も聞こえるが、くどくはなくあっさりと穏やか。歌メロに表れるどうしようもないアンダルシア演歌と洗練されたクールで緻密なアンサンブルの差異がなかなか刹那的で美しく迫る。タイトルは『開かれた夜』。

81年の3rd『春の歌』は歌ものポップ歌謡化が進み、インストは1曲のみ。メリハリのある明るい曲調とコンパクトですっきりした展開でプログ色はほぼ失われた。どう取るかは好みの問題だが、前作に比べ明らかに音の抜けが良くなっている。タイトル通りの興趣をよく表すが、同時代の後期トリアナ(Triana)が抱えていたような闇の部分は割愛されて奥行きに乏しい。

1546 jyake10
fonomusic
5046732432
1975

A la vida, al dolor/Gualberto

南部アンダルシアの自作自演歌手ガルベルト・ガルシア(Gualberto García)の1stアルバム。2005年のリマスター再発6面デジパック。タイトルは『生きることの苦しみ』といった意味合いだろうか? スペインもの特有のベタな趣きでいきなりお腹いっぱいと腰が引けそうだが、前半“生命”サイドは「春の歌」「水の歌」「雪の歌」「虹の歌」「鴎の歌」と英題付の5組曲で取って付けたような爽やかさに面食らう。民族楽器やヴァイオリンの穏やかな調べにのせたスペイン訛りの英語歌と詠唱。後半“苦痛”サイドは民俗色濃いカンテによる謡いが炸裂する一方で、英米ものの影響が感じられる展開を持つといったアンダルシアにしては乾燥が足りないプログ演歌。瑞々しさを湛えたヴァイオリン、フラメンコ・ギターとどう見てもその筋のカンテの三つ巴に挿入される妙に欧米風のロック調やプログ風の組構成、ファズ・ギターのちぐはぐさ加減は若気の至りなのだろうが、民俗色豊かな伸び伸びとした歌曲はすこぶる気持ちが良く、いろいろやってみたかったという意欲はよく理解できる。

1547 jyake11
fonomusic
CD-1402
1977

Elixir/Azahar

南部アンダルシアの4人組アサアル(“オレンジの花”の意)。2ndはロック化するが、本作はドラムレスで歌手がソリーナを弾きながら、ブリブリの演歌節回しを浪々と謳うという、あまり類例のない1stアルバム。哀愁こてこてメロディに絡むでろでろギター、決して重厚さを指向しないさらりとした南国宇宙鍵盤あたりがツボに嵌ればもう云うことはない。謳いはイコライザーが掛かったような妙な色合いながらも、極めてバタ臭く民俗的。あまり上手くはないが、フラメンコ風の奇数拍子に絡むプログ風アレンジ展開という意味では当時のスペインの最先端、あるいは最右翼かな? 全7曲。ラストは11分越えの3部構成。

ウルグァイから出稼ぎに来たベース担当、ホルヘ・バラル(Jorge Barral)が頭目で、残りは元カナリオス(Los Canarios)や、元グラナダ(Granada)の失業者という具合で、腕は立つが拭いきれないB級感が漂う。1997年の再発リマスター。タイトルは『万能薬』。所有盤は中古で買った日本盤。

1548 jyake12
ECM
1633 537 341-2
1998

The Sea II/Bjørnstad, Ketil

『海』第二集。前作は95年。ビヨルンスタのピアノ、リプダル(Terje Rypdal)のギター、クリステンセン(Jon Christensen)のドラム、ダーリン(David Darling)のチェロという構成は同じ。前作は「I」~「XII」と素っ気無かったが、今作は一応曲名が付いた全10曲。音数はより絞られて、静謐さと瞬間的な刹那美を際立たせる。音楽的にはノリの部分が減って、暗く重い印象で聞き辛い印象が増したが、ディストーションとサスティーンがかかったリプダルの独特のギターとチェロの張りつめた絡みは相変わらず感傷的にして儚い。ドラムは大人しく、ピアノは一歩引いてあまり目だってこない。音数が極限まで絞られたジャズ・アンビエントではあるが、ロック的、あるいはノイズ風に盛り上がるアプローチもないではない。すべての感性の垣根を取り払い、ただ音のせめぎ合う潮騒に身を任せ、流れる潮のように情緒的に聞き流すのにふさわしい流体の美学。

1549 jyake13
Constellation cst018-2
2001

Born into trouble as the sparks fly upward/Silver Mt. Zion MEMORIAL ORCHESTRA & TRA-LA-LA BAND

人数が6人+αと増え、楽団名も長くなった『火花が上方に飛び散るように(とき)、業苦を背負って生まれ付き……』と題されたSMZ流エレジー第二弾。途切れることなく連続した全8曲にして約1時間に渡る組曲。ただただ、穏やかで絶望的なまでの諦め、あるいは悲嘆。個人的で内向きの、静謐なまでの悲壮感を基底にした前作に比べると、絶望はより対象を定めた糾弾と化し、唐突なまでに攻撃的ですらある。ポストロックとしての構造的体裁をとりながらもパンク風の、「姉弟よ……」で始まる十二分に宗教的な背景を伴ったアンチ・アメリカ的(政治・経済・外交すべて)歌詞は口語的かつ分裂症的で手に負い難いが、突き詰めれば突き詰めるほどに為すすべのない現実への(カナダ人としての)嘆きの歌であることには間違いないだろう。荘重な終章に登りつめていくラスト「我等倦んだ目の大勝利」では、儚くも僅かな希望と絶望が交互に語られ、童女が童謡のフレーズに載せてつたない声で歌う最後の一節、

我等が天使を味方に付けて、最後の障害を乗り越え、
我等が最終的にあらゆる一般大衆の喪失を拒むに至り、
ついには我等が死を疑い、気に病むようになるとき、
――どう感じるのだろう?

で、追い討ちをかける。のだが、極めて日本語になり難い雰囲気歌詞なので、英語のまま理解するのが得策にして合理的。

ネオ・クラシック的な手法を使い回しながらも、弦楽器、ヴォーカル(ヴォイス)、ギター、鍵盤、打楽器といったアンサンブルと複合的な電子的背景作業が相乗されて、より躍動的でリリカルに迫る。音のヴァリエイションも豊かに、きっちりと決まった構成で長いわりにダレることはない。前作よりより艶やかに、悩ましくなった2本のヴァイオリンがとても印象的。

1550 jyake14
CBS・ソニー
SONP 50360~1
1971

III/Chicago

名前の通りの三作目。最初期三部作ともいえる、パワフルで多様なブラス・ロックと濃厚なジャズ・ブルーズ風味が横溢したLP2枚組。4人の作曲家の個性も開花して、楽曲にはかなり巾がある。カントリー・フォークの「602便」や、ソウル・ファンク色が取り入れられた「Free」「Lowdown」といった辺りが新機軸で、それなりのヒットを生んだ記憶もあるが、アルバムのメインは本作が最後になるLP片面を使い切るような3つの長尺ジャズ組曲だろう。SEを多用したり、詩の朗読をしたりという、当時隆盛していた欧州プログ・ロックや室内楽風の現代音楽の導入は、ハッとさせるような鮮度の高い斬新な切り返しと適度な緊張感を失わずに上手く消化されているといえるだろう。反体制的で外向的だった歌詞は充実したアンサンブルの中で若干比重を落とし、内容も微妙に内省的で私的なレトリックに移行しつつある。未だ洗練とは無縁だが、熱っぽいまでの若さと意欲でやりたいことはやり尽くしたかのように、4枚組ライブを挟み、以降はポップ・ロックへ大きく展開(転回)していく。

1551 jyake15
Virgin CDVIR167
7243-8119842-1
2002

Frantic/Bryan Ferry

80年代初頭のロクシーの『Avalon』、ソロになっての『Boys & Girls』でポップ・ソングの頂点を極めてしまったフェリーの2002年作。オリジナル・アルバムとしては『Mamouna』以来8年ぶり、現時点(2009年)でも最新作と思われる。ボブ・ディランのカバー数曲に加え、トラッドや民俗調で6/13がカバー、残りのオリジナルには更にイーノとの共作を含む。フェリィと共に作曲・ギターでクレジットされているデイヴ・ステュワート(Dave Stewart)はかつてのユーリズミックス(Eurythmics)の人なのだろう。

冒頭いきなり足がもつれそうなアップテンポでずっこけるが、かつての後期ロクシーを髣髴とさせる気恥ずかしくなりそうな追憶憂愁刹那型ラヴ・ソング「A Fool for Love」、ヴェルサイユとチェン・マイとベルリンとアラン・レネとブレード・ランナーが一色汰になった「Hiroshima」など、聞こえてくるのは淡い色香を湛えながらも危な気のないひたすら気持ち良い楽曲と、そこはかとなく枯れた“あはれ”な声。大器晩成型とはいえ、さすがに全盛期の青臭いまでの精気と研ぎ澄まされたクールなセンスは角が取れて、老獪な円熟味を無造作に漂わせる。還暦越えの爺さんの『物狂い』と題された、干からびて乾いても尚、張りを失わぬ情念に畏敬を込めて。

1552 jyake16
Think Progressive
TPCD 1.807.026
1998

@shra/Ashra

97年の日本公演ライブ盤。グトシンク+ウルブリッヒ+グロスコプフという最盛期フルメンバー+1による計4曲、70分弱のライブ。休憩を挟んだ後半が第二集として別CD(日本盤のみ? 未聴)でリリースされている。スリーブ写真は御大自身の撮影と思われる新幹線「こだま」。90年以降~昨今は家内制手工業的なミニマル実験音楽というよりも、ミニマル・テクノからトランス・レイヴの領域として捉えるべきなのだろう。聴者もかつてのアングラ・サイケ・ミニマル爺ではなくて、恍惚ダンス・ミュージック信望者に大きく変遷している、のかな?

『電気ギターのための発明』から「Echo Wave」、『砂漠散歩』の第4楽章「12抽出標本」に、未発表曲集に収録されていると思われる「Timbuktu(西アフリカ・マリ中央部の地名)」「Niemand lacht rückwärts(振り返って笑う者はいない)」が収録されている。アレンジは似ても似つかぬ程に大幅に改編されて、ときおり知ったフレーズが出てきて“あらまぁ”と驚く、クールな半人力テクノ・ダンスと化している。そういう意味では、かつての前衛も色褪せて、今や時代に完全に追いつかれたということなのだろう。

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作成日 2009/08/05--最終更新日 2009/12/13