懐古趣味音源ガイド    其九十伍

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1505 jyake01
RCA/windham hill
01934-11230-2
1977

Spiral/Vangelis

たまには順当に頭からいこうか。元アフロディーテズ・チャイルドの鍵盤奏者にしてマルチ奏者+作曲家+画家、厳つい巨漢ギリシャ人、ヴァンゲリス・パパタナシュウのソロ4作目(サウンドトラックは除く)。初ソロ『Earth』を外して、初期三部作(後は『天国と地獄』『反射率0.39』)といわれるプログ・ロック色が濃かった時代の作品の最後でもある。全5曲で最長9分ほどと、かなりコンパクトにまとめられ、明快な展開と曲調で非常に親しみやすいが、構成はトータル・アルバムとしての作りになっている。テクニカルなリズムと優美なメロディは三部作の中でも際立っているといえる。結果として、クレジット有り無し含め、適当に細切れにされて使い回され、どこかで聞いたことのある曲ばかりというのはそれなりに有名な話。3曲目「Dervish D」は曲注にある通り、イスラム教の宗派「旋舞教団(メヴレヴィー教団)」を指しているのだろう。白いロングスカートを穿いて、くるくる回転することは宇宙の運行を示し、神と一体化するという祈祷? の一種と思われる。

タイトルの意味は「継続は成功を意味し、成功は回帰を意味する(Tao Te Ching=老子)」という副題からも道教の宗教観に基づいているのだろう。録音は自身の個人スタジオNEMO。オーディオのカールプラグがうねりながら空を飛ぶジャケ・デザインはヴァンゲリス謹製にして彼なりの解釈なのだろうが、なんのこっちゃ?

1506 jyake02
東芝EMI
CP32-5040
1978

Lionheart/Bush, Kate

世間の度肝を抜いた1stに続き、才能が零れ落ちるように矢継ぎ早にリリースされた2作目。個性溢れた楽曲でありながらも一定の統一感が感じられ、良くも悪くも突き抜けたエキセントリックさを植え付けられる初作に比べると、とても大人しくて穏やか、あるいはデヴュー2作目にして枯れている。それはおそらく、ヴィクトリアン・ハウスの屋根裏部屋で、封印された幼時の記憶と、染み付いたかつての大英帝国の栄華に思いを馳せながら、ライオンの着ぐるみで彫像のように固まっているブッシュ自身の別の面であり、この場合、少女趣味がかった地味な滋味をケイト・ブッシュの本質と捉えるべきなのだろう。もっとも、打ち捨てられた木箱から這い出てきた着ぐるみは、誘うような目線と伸びやかな肢体がやけに淫蕩でなまめかしい。

全10曲。数十年ぶりに聞き返しても、記憶に残っているところをみると、それなりにヒットしていたのかもしれない。ロック色の薄い、穏やかでしっとりとした歌を中心にした曲構成で、秋色の透明感を濁さないアレンジも秀逸でプロフェッショナル。当時としては録音もかなり良い(所有CDは大人しい)。

1507 jyake03
EMI
7243 8 34019 2 5
1970
(1995)

In Rock/Deep Purple

構成員を一部入れ替えて、転進を図った出世作にして傑作の5作目。絶叫歌手にイアン・ギラン(Ian Gillan)、ベースにブルーズ仕込みの若輩ロジャー・グローヴァー(Roger Glover)を加えた黄金期の布陣でもある。音楽性もクラシカルなアート・ロックから、まだまだ粗雑で大雑把ではあるがシャウトと躍動感に溢れたハード・ロックに変遷した。ジャケに見られる微妙なアメリカ化は、本国イングランドではちっとも受けずアメリカでヒットしたことに拠るのだが、本作以降は逆にアメリカでの評価は振るわず、イギリスで受けるという気まぐれな結果に陥っている。同様に本作以降、本邦ではゼップやサバスを差し置いて、ロックの王道ともいえる不動の地位を築き上げることになる。

タイトルは恐らく『Deep Purple in Rock』ととるべきで、クラシック競演ライブである前作に対するアンチ・テーゼのようなもの。と、云いつつも、中身は意外に前作以前のプログ路線を引き摺っている。「Speed King」の宗教音楽まがいの前奏や間奏、名曲「Child in time」なんぞは鍵盤奏者ロード(Jon Lord)のクラシカル・アート趣味が横溢しているし、どう足掻いても器楽的に扱われるヴォーカルは“歌と演奏”といったレヴェルに留まらなかったのは自明であろう。狼の仮面を被りながらも、マイナーコードを多用したポップ歌謡的なメロディアスさと安定したリズムを基底にした、まるで“演歌”を思わせる構成も広く受け入れられた要因の一つであろう。レーベルはHarvestということでEMIの前衛マイナー。平たく云えばピンク・フロイドと同じ扱いだったわけで、“演歌”としては内容的にも近しいものを感ずる。再発リマスターはEMI本家から。充実した解説と写真、スタジオ・チャットを加え、シングル曲「Black Night」付全8曲に倍以上のボーナス・トラックが追加されている。

1508 jyake04
EMI/Virgin
0946 3 63076 2 6
1987

Secrets of the Beehive/Sylvian, David

後追いで聞いているシルヴィアンのソロ3作目。内容的には前作『Gone to Earth』から大きくかけ離れたものではないが、あまりにも繊細で隠微な甘味と湿り気を象徴するタイトル通りの耽美とエロスが薫る秘密の隠れ家とでも言おうか。前作後半のアンビエント趣味には一段落つけた模様で、本作はしっとりと湿ったヴォイスで奥深さを感じさせつつも、聞く側には一切歩み寄らず、媚もなく透徹として淡々と綴られる心象風景といった趣。全曲が歌モノでテンポやトーンは驚くほど似ており、統一感ある総体としてのアンビエントと云えないこともないがちょっと重いか。抒情的ではあるが、特異で不思議なコードは比較的メジャーで肯定的である。どちらかといえば散文的で叙景的な、これまた淡々とした歌詞を含め、良いバランスで質高くまとまった。

弦楽や管楽を極めて室内楽風にアレンジし、鍵盤も弾いている坂本龍一の貢献が光る。纏わり付くような重暗さが、若干まとまりよく決まりすぎの感はあるが、正統的で端正な生楽器の器楽アンサンブルで救われている。EMIの2003年CDDAリマスター。クリアな音質でヴォーカルも湿り気がしっとりと乗っている。

1509 jyake05
Mellow MMP 291
1996

In limine/Finisterre

北西部の港湾都市ジェノヴァの抒情ネオ・プログ、フィニステッレ2作目。1stの素直で清々しい印象とは若干趣が異なって、形式に捉われない前衛風の展開やジャズ、バロックなどの援用も新機軸だろうが、やはり基調は美しいメロディと複雑で鮮度溢れるアンサンブルが売りの五人組。春霞がかかったような柔らかさとすっきりと抜けた青の洗練された心地良さがそれなりのアイディアの下で耽美と鋭角的な刹那を奏でる。専任フルート娘の存在も室内楽的で丁寧な小体さを上手く表現することに寄与している。個々のテクもあるが、総体的なバランスで十分聞かせる。レーベルはメロウ。元チェレステ(Celeste)のお二人も製作に関与しているようで、90年代版チェレステのような趣もなくもない。全9曲、ラストから2曲目「Algos(苦痛? 固有名詞?)…肥沃な大地の境界で」は9人編成の合唱隊入りながらもコンテンポラリ、ラスト「出来事の地平線」は7部構成16分超えの長大組曲になっている。

タイトルは“戸口”でor“最初に”といった意味のラテン語成句と思われる。歌詞はすべてイタリア語。ジャケ裏のもなかなか良い。90年代にしては録音が宜しくなく、予算の厳しさを想像させる作りだが、補って余りあるものが含まれている。

1510 jyake06
Garden of Delight
CD 032
1974
(1999)

The other sides of Agitation Free/Agitation Free

70年代初頭、ベルリンでプログしていたアジテーション・フリーの最末期アウトテイク+補遺集のようなものか。既に当初の主だった構成員は(パリの女に走り)おらず、ベースのグンター(Michael Günther)、ギター+歌のリュトヤン(Gustav Lütjens)を中心にした寄せ集め形態。すべて74年の録音で全10曲と聴きではあるが、ジャズロック基調のAOR的ポップ色が強く、かつての鮮鋭な斬新感も繊細な空気感にも乏しく、正にタイトル通りの様相を呈している。残されたリズム隊はテクニックとしては何ら問題ないので、それなりに難しいことを軽々とこなしており、曲も悪くはない。中近東風のアンビエントや荘重な崩壊感を期待しなければ、酒の伴にはなかなか酩酊感溢れてよろしいのではないかと。

ちなみに御大層な楽団名は概ね期待を裏切るもの。当初は“Agitation”だったらしいが、同名バンドがギグをやると聞き、それに対抗するため、“無料”ギグを演じたクラブの扉にチョークで“Free”を付け足したのよん、とグンターは語っている。録音は古いが元々音質にはこだわりがあったほうだろう。残っていたマスターが良かったせいか、リマスターされた音質もかなり良い。再発専門レーベルからの99年リリース。

1511 jyake07
Elektra Records
P-8456E(LP)
1974

II/Queen

ブレイクするのもう少し後だが、リリース当時、度肝を抜かれた2作目。(見た目だけでなく音楽そのものに感じる)微妙に触覚的な湿り気(あるいは獣が発する臭いのような生理的な違和感)を拭うことができず、4作目でリタイアしたが、オーヴァーグラウンド浮上以降もこの2ndを超えるものはないはず(きっぱり断言)。化粧云々に関しては純粋に売るための手段だと認識していた(実はそうでもない?)し、正直言って外面には興味の欠片もないのだが、それを割り引いても並みのプログ以上に十分に斬新ではあっただろう。LP-A面がWhite-Side、B面がBlack-Sideと名付けられてはいるものの、当時流行のコンセプト・アルバムとは違いある種の装飾スキンのようなもの。一方で、そのデコラティヴな華やかさと隙間無く充填されたコーラス音圧は衝撃的であったことは間違いない。冒頭の左右のセパレイションが効いたギター・シンセの如き音色だけで悩殺された。

後半Black-Sideの緊張感溢れる構成と華麗な展開に至っては、フレディ・マーキュリィ(Freddie Mercury)劇場と云わんばかりに才が迸り、滴り落ちる。この時点で、既にマーキュリィの頭には、ロックを超えた映像音楽総合娯楽的な豪華絢爛一大絵巻の完成予想図があったのだろう。個人的に懐かしくも青臭い記憶がいっぱいに詰まっているのはWhite面のバラード「Someday, Oneday」。当該節を“いつの日かきっと”と訳した歌詞に託した願望はあえなく潰えたわけだが、もどかしさと瑞々しさがない交ぜになった情感は、おぼろげな蜃気楼のように遥か彼方に霞みながらも今でも思い出すことができる。

1512 jyake08
Cypress
2007

Memory Ashes/Pulsar

自前レーベルを設立しての18年ぶりのピュルサー最新作。2002年のプログ・フェスティヴァルを機会に一時的に復活した名残のようなもの。バス以外は原初構成員で、ゲストでオレリア・デュリィ(Aurélia Dury)なる女性シャントゥール他、チェロ、ノイズでクレジットが入っている。26分ほど四部構成のタイトル曲を含め全3曲、うちインスト1曲。タイトルは英語、歌詞はすべてフランス語。

曲展開や曲調がこなれ過ぎて、聴き易過ぎ、あるいは滑らか過ぎ。角がとれたと同時に、薹が立ち過ぎた趣もないではないが、ピュルサー以外の何ものでもない、深く沈静な色合いと空気感は健在で、それを味わうだけでも内実は十二分に高質で期待を裏切らない。今聴くと若干滑稽にすら感ずる気負った変拍子やギミックもなく、ただひたすらに拡散し、川底の色とりどりの小石を鮮やかに見せ付けるように、ゆるりとした透明な流れには仄かな温かみすら感じられる。

両極を結ぶ輪の境界を追い求め
夜の光が天を焦がす場所で
赤という色は
南に向けて旅立つ
遥かなる茫漠な孤独のなかを……

タイトルは『遺灰』という意味だと思われるが、辛気臭いイメージはない。歌詞も色彩感に溢れとても美しい。“過去”の“遺構”を黒い馬に表象し託しているのだろうか。

1513 jyake09
DFD-2102
1995

Qntal II/Qntal

現代ドイツの電化古楽ユニット、クンタルの2ndアルバム。鍵盤やフィデルを操る二人の男にジークリート・ハウゼン(Sigrid Hausen)という美声の女性歌手(兼笛奏者)が加わったトリオ。前身は80年代中期からまったく同一の人員構成で続く、完全非電化で中世舞曲を演ずるエスタンピー(Estampie)というユニットで、現在も並列で運営している模様。こちらのクンタルはかなり前衛的な手法も取り込んで、ノイズやアンビエントを大胆に含み、リズムも若干グルーブやビートを効かせてみたりと、愚に堕ちない範囲でさまざまな方向性と可能性を追求しているようだ。一貫してゴシックと称される暗いながらも清涼感を基調に、かなり上手い(付け焼刃でない)ハウゼンのボーカルを前面に出して、メロディの良さを強調したしっとりと精緻で質の高い音像を作り上げている。アカデミックな要素がそこはかとなく見え隠れするあたり、電化トラッドとしてはちょっと珍しい部類と思われる。

“この地には最悪の審判が下された”と抜書きされたフォーゲルワイデの「パレスティナリート」、「カルミナ・ブラーナ:春」他2曲、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン等々の現代的解釈で構成された全12曲。頭と最後を“things are never gonna chage...”と語るロスアンジェルスの若者の絶望的なモノローグで括ったコンセプト・アルバムの体裁をとっている。歌詞は中世ラテン語、中世高地ドイツ語、中世フランス語。すべて独英訳付。

1514 jyake10
PDI 80.1104
1976

Tramuntana/Companyia Elèctrica Dharma

エスパーニャ北東部の自治州カタルーニャのチンドン、コンパーニャ・エレクトリーカ・ダールマ(CED)の3作目。フォルツニィ三兄弟(ドラム・ギター・サックス)を中心にした民俗・ジャズロック・コンプレクス。ゆったりとした哀感漂う土着メロディとくだけたコミックバンド風のハチャメチャな展開が交互に繰り返されるが、冒頭にトラッドを持ってくるあたり、前作に比してかなり民俗色が濃厚で曲調もゆったり目のものが多くなっている。饒舌なチャルメラ風ソプラノ・サックスとタイトでパタパタしたドラムが極めてオリジナリティに富んだ独特の密度ある音像を作り上げているが、民俗色への傾倒と土着的な音楽への回帰は同郷のパスカル・コムラーデ(Pascal Comelade)と同じアプローチを感ずる部分もある。全7曲すべてインスト。けっこう展開が面白い10分超えの長曲が2曲含まれる。民謡節らしきものを除き歌詞はない。

ちなみに三兄弟の一人は没したが、息長く今でも現役で営業中。タイトル『トラムンターナ』はピレネー山脈から地中海に吹き降ろす強い北風(冬場の季節風)のことで、南仏のミストラルにあたるもの。

1515 jyake11
Brilliant Classics
6901
2004

String Quartets/Bartók, Béla //Rubin Quartet

バルトーク・ベーラ・ヴィクトル・ヤーノシュ(Bartók Béla Viktor Janos, 1881-1945)は東欧ハンガリー人。姓はバルトーク、名はベーラとフン族の末裔故にアジアの伝統に従って姓名の順で表記する。ドイツ・オーストリア音楽を基盤に、ハンガリー民謡の採取や研究と同時代の前衛の影響から、民族音楽と前衛が融合したような独自のスタイルを西洋音楽の基盤に再構築した。廉価盤レーベル、ブリリアントの2CD。No.1からNo.6まで、バルトークのすべての弦楽四重奏が収録された完全版。演奏者はヴァイオリンx2、ヴィオラ、チェロのオランダ人女性カルテット。

しかし、まぁ、わかりにくい構造と奇矯なアレンジだこと。おまけに暗い。初聴時の素直な感想は「なんじゃ? これは」。BGMにして繰り返し垂れ流しで聞いているうちに、いつの間にかするりと入り込んでくる。“ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に並ぶ傑作”と云われながらも、ここまで人気のない音楽も珍しいを通り越して怪異。焦眉は調性を放棄して、随所に鳴り響く不協和な音がポリリズムと饗宴を繰り広げるNo.3とNo.4だろう。緻密な構成と強い緊張感を併せ持ち、そのまんまユニヴェル・ゼロとまでは云わないが、現代ベルギー室内楽に多大なネタを提供したのは事実だろう。ジェントル・ジャイアントの耳が拒否するような肩肘張った痛快なまでの遅効性もバルトークあたりが根っこなのかもしれない。叩いたり、はじいたりと奏法にも工夫が凝らされて、透徹した音の連なりは空間の広さを測るように縦横無尽に走り回り、スピード感のあるリフの厳しさは現代に通ずるものを持っているが、当時はそれなりに違和感をもって迎えられたことだろう。

1516 jyake12
Disques Marianne
81703-2
1972

Caricatures/Ange

フランス東部の片田舎で産声を上げ、後にフランスの国民バンドと称されるまでに伸し上がるアンジュの1stアルバム。1stだからといって内容的に次作以降に比して特に遜色はなく、クリスチャン・デカンの歌にまだ灰汁は薄いとはいえ、長台詞もあるし如何にもアンジュらしい大道芸演劇的な展開は既に十分に萌芽していると云えるだろう。曲想は初期に共通して蒙昧で垢抜けない暗さが漂う。アレンジの妙や構成、録音技術に関しては1stなりの出来栄えで、褒められたものではない。

後のライブでの定番である「Dignité(尊厳)」やタイトル曲「Caricatures」における凝ったアレンジとめまぐるしい展開、複雑な構成、それでいてメロディも際立っている親密なバランスは独特のもの。アンジュ・オルガン(メロトロンのような音色もハモンド・オルガンを変調したもの)もそれなりの音圧で迫ってくる。頭と最後を締めるインスト曲「Biafra 80」は当時の社会ネタである「ビアフラ=飢餓」とまで云わしめたアフリカにおける部族紛争と英仏対立植民地代理戦争の象徴であるビアフラ(現ナイジェリア東部)に何らかの想起を受けたものだろう。当時から見れば未来の80年版ということなのだろうが、プログ常道の雄大な鍵盤メイン・テーマの頭と崩壊ノイズ風の尾で構成されるデカン弟によるレクイエム。タイトルは“マンガ”を意味する一般的なフランス語だが、『滑稽な模倣』といった意味なのだろう。

1517 jyake13
Musea
FGBG.4032.AR
1974

L'escapade/Mona Lisa

そのアンジュ(Ange)に遅れること2年、パリ南郊オルレアン(Orléans)出身でより都会的な洗練を身に纏ったモナ・リザは、アンジュのギター:ジャン=ミシェル・ブレゾヴァルのプロデュースでデヴューした。以後、アンジュの弟分として70年代中期のロック・テアトルを担うことになる。本作はその初作。初作といえども内容は濃く、力み過ぎだろうというぐらい力が入っている。次作『Grimaces』のハチャメチャで削ぎ落とされたポップ色に比して逆じゃないの? と云わんばかりの演劇性も特筆されるべきだろう。中身はファンタジィのようなもので、概ね一貫性のあるストーリィが全編を貫いている。叙景的な展開は凝った効果音と相まって、変幻自在で追いかけるのが大変なくらい。浮き気味のル・グネ(Dominique Le Guennec)のシャンテも然ることながら、アンサンブルの組み立ては初期のジェネシスの影響が大きく聞き取れるが、コンセプトに傾倒し過ぎで音楽としては散漫に感ずる部分も否めない。

タイトルは『脱出』の意。録音はアンジュの地元とも云えるフランス東部の山間の田舎町ベザンソン。全6曲にデヴュー以前のボーナス・テイク2曲付。一応リマスターされているようだが、年代ものということで録音は良くない。

1518 jyake14
EMI Classics
7243 5 86440 2 9
2005
(1993)

The rite of spring, etc./Stravinsky, Igor//Oslo Philharmonic Orchestra

イーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky:1882-1971)はロシア生まれの前衛にして、後に新古典に回帰、革命と二つの大戦に翻弄されフランス、スイスから没地アメリカへ渡り、最終的には12音主義に転向する20世紀を代表する作曲家。本作は、同じく20世紀を代表する音楽と云っても過言ではない初期三部作の3作目『春の祭典』と2作目『ペトルーシュカ』を収める。演奏はオスロ管、指揮はラトビア人マリス・ヤンソンス。録音は1992年。新しいせいもあるが今風の解釈で、フラットで流麗だが大人しい。ちなみに三部作の1作目はこれまた著名な『火の鳥』。

『春の祭典』は2部構成34分強のコンパクトなバレエ音楽。大編成の管弦楽だが、変拍子とリズム・ポリフォニー、てんこ盛りの不協和音の連続に1913年パリ初演時は賛否の怒号が乱れ飛び、乱闘騒ぎにまで発展した大騒動を引き起こしたことで歴史に名を残した。今聴いてもそこらの並みいる音楽よりは遥かに弾けて刺激的であることは間違いないが、古典であることも間違いなく、不協なはずの和音や転調も今やそれほど違和感もなく流して聴けてしまうというのは時代のせいか。アンビエント・ノイズ風の序奏から湧き上がる第一部「大地礼讃」の2曲目「春の兆し」のテーマを作る変拍子リフは20世紀後半にキング・クリムゾンの「太陽と戦慄 part1、part2」のギター、又はヴァイオリンのリフに援用されたとしか思えないほどよく似ているのは有名な話。

『ペトルーシュカ』は1947年の改訂版。『春の祭典』に比べれば刺激は薄いが、ロシア民俗風の可愛らしさと哀切な透明感を基底に、それなりの前衛に走ったこちらもバレエ曲。リズムがずんずん迫り、テーマとなるメロディが鮮明なので聞き易いかもしれない。35分弱、4部構成とこちらもコンパクトでだれない。内容はロシア版のピノキオだが、えぐく痛切にして悲劇的。

1519 jyake15
Soleil Zeuhl 05
1978
1975
(2001)

Nicolas II/Potemkine

フランスのズール・タイプのジャズ・ロック、ポチョムキンの3作目に1stアルバム『Fœtus(胎児)』の一部を加えた再発リマスターCD。スリーブには1stが単独でCD化リリースされなかったのは、マスター紛失による音質劣化(盤起こし)のせいと記載されている。マグマの前座として名を上げたが、1979年、既に一人減っているが、中心人物であるグバン3兄弟の一人(ギター奏者)の交通事故死に伴い活動休止。全7曲+ボーナスで『Fœtus』が7曲、すべてインスト。一部にスキャット入り。マグマのような強迫感はほぼ感じられず、リズムは重いながらも、どちらかといえばギターや鍵盤の可憐なメロディや表情豊かな展開が生きた緻密で洒脱なジャズ・ロック色が強い。一部の曲ではアフリカや中国の民俗楽器を用いるなど、微妙にエスニックな方向性も併せ持つ。非常に手数の多いリズム隊が緊張感の高いアンサンブルを組み上げて、ハイトーン・ギターとアンビエント風に背景を彩るエレピのアルペジオがメランコリックな抒情性を感じさせる。

タイトル『ニコラス二世』はロシア革命後シベリア幽閉を経て赤軍に銃殺されたロマノフ王朝、帝政ロシア最後の皇帝。

1520 jyake16
Reprise 6408-2
1970

Kiln House/Fleetwood Mac

大英帝国ブルーズ・ロックから新興米国ポップ・ロックへの端境期の異色作にして5作目。フロントは次作で失踪するジェレミー・スペンサー(Jeremy Spencer)と、次々作で精神を病むダニィ・カーワン(Danny Kirwan)が担い、マクヴィーと結婚直前のクリスティン・パーフェクトがゲストで大人しく鍵盤とコーラスを入れている。ブルーズのピーター・グリーンという首領を失って、大黒柱のスペンサーはロカビリィ、カーワンはフォークと暗中模索なまとまりの無さは一級品。以前とも以後とも異なる軽さの妙が冴えてはいるが、苦し紛れのカバー曲やインスト曲も含んでいる。個人的には不幸の星を背負ったようなカーワンの線の細いフォーク・ロックの才を称えたい。地味だが繊細で陰のある儚げな良い味が出ている。

ちょいと印象的で微笑ましいジャケ絵はクリスティン・パーフェクトによるもの。典型的なランカシャー(Lancashire:イングランド北西部)のカントリーサイド。ウィリアム・モリスの世界だな。タイトルは絵の通り『窯のある家』。

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作成日 2008/11/06--最終更新日 2009/02/27