懐古趣味音源ガイド    其八拾六

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1361 jyake01
Manhattan
0777 7 97349 2 4
1992

Blame it on my youth/Holly Cole Trio

カナダ人ホリー・コールのハスキーなヴォーカルとピアノ、ダブルベースによるジャズ・スタンダード歌曲集。著名曲「Calling you」を含む概ねどこかで聞いたことのある曲ばかりだし、たまにはこういう意表をついた展開もよいでしょ? 赤葡萄酒というよりはコニャックあたりを傾けながら、夜が更けて静まり返った街にときおり流れる車の赤いテールランプに気をとられつつ、ちっとも頭に入ってこない寝る前の読書の友に最適。

トリオとしての2ndアルバム。全10曲。92年なのにAAD仕様の廉価盤。ダブルベースが刻むリズムに纏わりつくようなピアノ、際立ちながらもどっしりと腰を据えたコールの歌。モノクロームで陰翳に富んだ、しつこくならないひんやりとした素っ気無さがとても今風で心地良い。最近はポップス歌手的なアルバムもぎょうさん出しとるようですが、トリオものもまたお願い。

この手のEMI傘下ものは(オランダ製)米盤とはいえ最近のSONY/BMG騒ぎや東芝EMIのCCCDマークがないセキュアCDなども含めて、CDDAロゴのない新しいもの(この盤はしっかりロゴが刻印されてますが)は何が仕込まれているかわからないからちょっと怖い上に不愉快極まりないな。そろそろ購入も打ち止めか。

1362 jyake02
Repertoire
REP 4672-WY
1997

Songs from Renaissance days/Renaissance

本筋を追わず、脇筋に逃げまくるこの頃。70年代後期から80年代のアウトテイク+シングルB面集。作り過ぎの感があるルネサンスのアルバムのなかでは正規版ではない故に、シンプルでときには荒っぽいまでに下手糞で、はすっぱなハズラムのボーカルが聴けて新鮮かつ面白い。真面目に仰々しくシンフォすると本質的な中身の無さが露呈してしまうのに対し、取り繕った薄っぺらな品性のオブラートで包まれていない簡素で粗野なルネサンスこそ、その名が表す通りの本来の持ち味だろう。気持ち良いくらいの清々しさと、個人的にはブルーズ+フォーク路線としてのダンフォードのセンスを高く評価したい。

アウト・テイクというかデモ・テイクみたいなものは音割れしていて音質には期待できない部分もあるが、「Only when I laugh」とか、「Northern lights」のセルフカバーとか、声域にも合っていないし、拙いアレンジながらも最高じゃないか。ポール・サイモンの「アメリカ」まであるけれど、これはイエスのほうが良いな。ベースは同じリケンバカーだし明らかにスクワイアを意識してるのは言わずもがな。最後に「なんだ、オケ使わないほうがよっぽどいいじゃん」とまた、火に油を注ぐような発言(笑)。

1363 jyake03
Brilliant Classics
92337

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「草上の昼食」

jyake032
「サン・ラザール駅」

jyake033
モネ? 不詳

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「La gazza」

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ピサロ? 不詳
1975

1999

Chamber Music/Fauré, Gabriel

底の浅さがバレるからあまり概観的なことを小賢しく書くのは避けよう。時代としてはサン=サーンスからドビュッシーやラヴェルへの橋渡し。後期ロマン派、新古典主義から現代音楽へと移行しつつある激動の音楽界において、控えめな人柄だったせいもあるのだろうが、一歩引いてただ淡々と美しいものだけを眺めようとした、ある意味“何もしなかった”人である。

ピアノ五重奏曲 D minor Op.89、C minor Op.115
ピアノ四重奏曲 C minor Op.15、G minor Op.45
歌曲集『優しい歌』(La Bonne Chanson)Op.61
ピアノ三重奏 D minor Op.120
チェロ・ソナタ1番 D mimor Op.109、2番 G minor Op.117
弦楽四重奏 E minor Op.121
チェロとピアノのためのエレジー Op.24
ヴァイオリン・ソナタ1番 A major Op.13、2番 E minor Op.108

収録曲はフォーレ(まぁ、普通に読めばフォレだが)の特質を最もよく表していると思われる室内楽集、5枚組廉価盤CD。チェンバーの有名どころはほぼ押さえられる。録音は75年から99年にかけて、演者はそれなりにばらばらだが質も音も申し分なく、こんなものが400円/枚で買えるのだからいやはやなんとも不思議な世の中だ。

押し付けがましくなく、劇的な盛り上がりと期待感をことごとく外し、背景に溶けながらもクールな調べが淡々と、優しく悩ましく滔々と流れる。ときには光の粒のように降り注ぎ、ときには暗い海の遥かな彼岸から押し寄せるうねりのようなピアノのアルペジオと背景音は、無調に走りそうになりながらもぎりぎりのところで踏みとどまり、その耽美の法悦は筆舌に尽くしがたい魅力を備えている。

特に耳の障害が顕著になった以降に作曲され、可聴範囲であった中音域をゆったりと行き来するチェンバーや遺作でもある弦楽四重奏は幽玄なまでの深みと情緒を湛えている。歌曲はヴェルレーヌの詩に曲をつけたもの。コンセルヴァトワール(国立音楽院)のトップでありながら、若い愛人を伴ってあっちゃこっちゃ旅行に勤しんだという、ミュズィーク・ポピュレールの作曲家としての本領も遺漏なく発揮している。

内ジャケはマネの「草上の昼食」、モネ「サン・ラザール駅」「La gazza」、他。表ジャケはピサロ(Camille Pissarro:1830-1903)の「モンマルトル大通り、午後」ということで前期印象派のオンパレード。個人的には“この世にはこういう音楽もあったのか”と深い感銘と衝撃を受けた最も敬愛する作曲家である。

1364 jyake04
King Record
KICC 8720
1996

Mazurkas/Chopin //Indjic, Eugen

フレデリク・フランソワ・ショパン(Frédéric François Chopin:1810-1849、ポーランド名:Fryderyk Franciszek Szopen:フランチェシク・ショペン、ちなみに英語ではショーピン、日本語ではちょぴん)のマズルカ選集。58のマズルカのうち20が抜粋されている。ちなみにこれは日本盤。何年か前の廃盤セールで購入したもの。本来は全曲録音されたもので、国内盤を出すときに、テキトーにメジャーな曲だけ選んで何故か一枚にするというのが既に長きに渡って受け入れられて定着したやり方ではある。

マズルカは4分の3拍子のポーランド民族舞曲(農民音頭)の一形式。本来は3/8拍子らしいが、ショパンは3/4で書いている。そのうえ微妙に3拍目が長く、2小節で7/8のように聞こえる奇数拍子にほくそ笑みながらも堪らないアクサク・リズム。技巧的ではあるが難易度はそれほど高くはないだろう。むしろ類稀な情緒と転がるような粒の良さがサロン音楽としての小体な品と知的な密やかさを丁寧に醸し出している。

セルビア人、ユージン・インジクはルビンシュタインの弟子でどこかの学校の先生だったかな? ショパン弾きとしては師匠ほど著名ではないが、下手でもない。テンポは遅めだが師匠よりも淡々として現代的でクール。ただ師匠を超えることはできないだろうなぁ。

1365 jyake05
NorthSide
NSD6052
2000

Sjofn/Gjallarhorn

スオミの現代民謡、ヤラルホルン。もっとも西フィンランドのスウェーデン系らしく、野趣に富みながらもそれなりの洗練とゲルマン色を醸し出すあたりははガルマルナを思わせるものがある。歴史的にスオミは中世をスウェーデンの、近世をロシア・ソ連の支配下にあって、歴史的には固有かつ主要な国土の一部であったカレリア地方の一部はWW2の結果(敗戦国だから)ソ連領となって現在に至る。子供の頃に教わるのは極北のラップランドなどのかなり特異な断片でイメージが狂うのだが、1980年代中程からスウェーデンに続いてどっと繰り出すように、独自文化の表出がはじまったような気がする。

濃密で非欧州的な触感が漂うものの、概ね隣国スウェーデンのモダン・トラッドに近い感触を受けるテクニカルで精緻な電脳化トラッド。リズミカルで重厚なパーカッションとフィドルの悩ましい音色、歌詞は巻き舌の感触がスウェーデン語系の方言の一種か。四人組でトラッドの援用が大半を占めるものの、ほぼすべての作曲と歌詞をこなす才女は、主唱のヴィルヘルムズ(Jenny Wilhelms)。名前は明らかにゲルマン系です。タイトル『Sjofn(ズョフン)』は古代北欧の愛と情熱の女神であり、春の祝宴の保護者でもあったらしい。豊穣の春といえば収穫の春。麦の実りを表す。

歌詞は英訳のみ。Enhanced仕様でビデオ二曲付。

1366 jyake06
NorthSide
NSD6054
2001

Ilmatar/Värttinä

更に濃い、同じくスオミの民俗歌謡団、ヴェルティネの8作目。人員の変遷はあるものの、それなりの歴史と実績を持った、おばさん(でもないか)4人とおじさん6人の大所帯。初期は女性の方が多かったような気がした。全11曲中6曲が伝統民謡の高密リアレンジ。

一度聞いたら忘れられない強烈なアイデンティティと、すぐに歌えそうなメロディとフィン語歌詞が雨あられのように降り注ぐ様は壮絶でもある。今作は比較的サンプリング等の加工は控え目。非電化民俗楽器を背景にした女声の独唱ないしは強力な合唱は、深い森から湧き上がるような神秘とプリミティヴな呪術性を併せ持ち、艶やかで不思議な奇数拍子リズムを持った疾走音頭が透明な世界を形作る。

タイトル『Ilmatar(イルマタル)』は大気の女神。鷹のKokko(こっこ)との創世記のようなカレリア神話(スオミの建国叙事詩なのか?)が元ネタになっている模様。前々作あたりから登場人物が重なっているから“続きもの”なのだろう。全英訳付。

1367 jyake07
PRWO15
1983

Entre um silencio e outro/Marco Antônio Araújo

ミナスの故人、アラウージョの全四作中三作目の再発CD。LPは「Fantasia No.2(19:56)」と「同No.3(20:39)」という二曲で構成された前作に続くトータル・アルバム。CDは頭にボーナス三曲入り。本編、「Fantasia(=Fancy:夢)」はアラウージョのアコギ、フルート、チェロ2本(後半はチェロ一本のトリオ)によるロマン派室内楽。独特の控えめなヴィオラン(アコギ)奏法と悩ましく絡むチェロの音色が絶品。全インスト非電化。タイトル『静寂と静寂の間』に相応しい静謐な旋律と儚くも美しい余韻に満ち溢れた秋の情景である。長曲でありながらも洗練された楽章仕立ての構成がとられて、四季を巡るように曲想が流れ移り変わっていく。

オリジナルの録音が今ひとつで、リマスターされているようだが御世辞にもクリアな音色とは言い難い。が、もちろんそれを補って有り余るものがある。裏ジャケには表の絵の風景が赤外写真で掲載されていて、樹の美しさに対する自然観の相似に驚く。

1368 jyake08
Blue Note Records
7243 5 38228 2 8
1962
2002

Undercurrent/Evans, Bill +Jim Hall

ここにこれが来るのかぁ! と驚きと非難が殺到しそうだが、本筋を書けるほど詳しくないから遠慮しておいて、ここでもやっぱり搦め手からいこう。ビル・エヴァンズ(1929-1980)はピアノ弾き、ホールはギター弾き。ピアノとギターだけによる心地良い緊張と洗練。絶頂を極めたエヴァンズ・トリオ崩壊後、1962年の作。別テイク2曲のボーナス入りリマスター、ホール作の1曲を除くジャズ・スタンダード集。

ジャケ絵の如く透明で優美、それでいてタイトル『暗流(底流)』が示すような暗い記憶、あるいは予感を漂わせる。ピアノ、ベース、ドラムという三者が対等なトリオを経て辿り着いた、リード楽器だけで奏でられるインタープレイの応酬。左手でコードを刻むことを止めた最初のジャズ・ピアニストによるもう一つの新しい境地が垣間見える。その一方で、野心も意気込みもさらりと流し、まるでBGMに埋没することを望んでいるかのような無常観がひたひたと押し寄せる。

クールで情動を配した極めて明晰な論理性が貫かれた世紀の逸品であろうことは間違いないだろう。

1369 jyake09
Realworld
7243 8 50781 2 5
2001

Untold things/Pook, Jocelyn

『Flood』に続くプック三作目のソロ・アルバム。『言うに言えない物事』というタイトルと、炎をあげて溶け始めた蝋人形がシンボライズする現代の哀歌。ミニマルからサンプリング、テープの逆回転歌詞から中東エスニック、果ては古典室内楽から中世宗教合唱まで、あらゆる手法を使い倒した嘆きの歌は悲痛な現世を描き切ろうとする。

「黄熱病の賛美歌」
 
おまえは黄熱病に罹る
今から十日ほどで
目は黄色く濁り
鉄の輪が額を締め付け
舌は凝結したクリームのように震え
中央の継ぎ目に赤黒い筋が入り
その口は鉤爪と角とひれと羽をもった
“語ることのできないこと”を味わうことになる
頭は1トンを超える重さになって
轟く突風に40日間晒される

出自は不明だが、ほとんどの曲でボーカル(ないしはサンプリングの声)を入れているパッペンハイム(Melanie Pappenheim)の虚ろな詠嘆と弦楽のアンサンブルは、引き擦り込むような耽美で魅了する。プック(プーク?)は元々ヴィオラ奏者だったようですが、最近はCM作曲に加え、エタズュニの映画音楽でもときどき名前を耳にします。

1370 jyake10
Random Records
398.6586.2
1987
2000

Traumreisen/Rother, Michael

87年作7作目のソロアルバム。93年のボーナス4曲が追加。前作に引き続き、ギター以外すべてを打ち込みによって作り上げた『夢の旅』。Midiシステムもこなれてきたのか、自然で柔らか、あくまでも甘味な感触がうっとりするほど気持ちよい。かつての同僚、クラウス・ディンガーがあくまで自らのアイデンティティとロック色を失わない破天荒であるのに比して、ローターは目的のための手段を選ばない。

今回のテーマ曲は「Südseewellen(南海の波)」ということだが、どちらかといとスリーブ写真にもあるように、嵐で一切合財がすべて無に帰したような荒涼とした無残なイメージが漂う。大波に呑み尽くされた島。熱気と湿気。あるはずのものがすべてなくなって、呆然と沖を見詰めているような無常と諦め。

時代に合わせてリミックスとくりゃ、トランス・ヴァージョンだってお茶の子済々だぜといわんばかりの悪乗りもできれば、アンビエント・ミックスだって朝飯前なのだが基本的なトーンは変わらない。全曲インスト。あくまでも透明な、向こう側が透けて見える彼岸の境地に突き抜けてしまった、あるものはただコンプトン効果が立証した量子としての光。

1371 jyake11
CTCD-078
1982

Für Mich/Dinger, Thomas

ノイ>デュッセルドルフ>ラ・ノイと気紛れあるいは尻軽に擬態するクラウス・ディンガーの弟にして早逝の故人。デュッセルドルフ後、兄はラ・ノイを、弟は1-Aデュッセルドルフを主宰するが、これは82年に上梓された弟トーマス・ディンガーの初ソロ作品。日本盤新古品。

兄がパンキッシュなロッカーならば、弟はロマンティックなアンビエント・ミニマリストというべきか。全曲インスト。素っ気無いがひっそりと息づいた美がはらはらと伝い流れる佳品。オルゴールのような珠玉のメロディと突き抜けるストリング・シンセの透明感が痛いほどに鮮烈で哀しい。まぁ、そのリリカル・ロマンティックに対する一種の衒いなのだろう。針飛びや回転むらを模したギミックがところどころに挿入されて、尚且つラストは放屁で終わる。4拍子系の音楽が主流を占めるなかで、ワルツに代表される3拍子がそこはかとなく自己主張するのもおもしろい。

自分の葬式でかける音楽などという趣向にはこれといって興味も関心もないが、死の病床でお迎えを待ちながら聴く音楽に「E-605」と「Allee Walzer」をピックアップしておこう。ボーナスに1-A時代の2曲入りだが、傾向がまったく異なるノイズ作品なので雰囲気ぶち壊し。お得感はない。

1372 jyake12
Arte Nova
ANO 277790
2005

Symphony No.3 "Symphony of sorrowful songs" /Górecki, Henryk //Adrian Leaper, Orquestra Filarmónica de Gran Canaria

ポーランド人グレツキ(ヘンリク ミコワイ:Henryk Mikolaj Górecki:1933-)による1976年の『嘆きの歌の交響曲』。種々多々な盤があるようですが、そこはやはり赤貧生活の友ということで独アルテ・ノヴァの硬貨一枚CD。三楽章仕立て、52分強の交響曲仕立てですが各章には短い歌詞があり、透き通るようなソプラノ独唱が入ります。

第一楽章は15世紀の中世宗教歌、モテット。よくある母なるマリアが息子キリストの死を嘆くというもの。
著名な第二楽章の歌詞は、ポーランド南部スロヴァキア国境に近い山岳リゾート、ザカポネ(Zakapone:Zakopaneか? どっちでもヒットするぞ)でゲシュタポに囚われの身となっていた18歳の少女が地下牢の壁に書き残した自らの母に呼びかける祈りの言葉をテクストにしたもの。
第三楽章はオポーレ地方方言で歌われる「息子を失った母の嘆きの歌」。こちらはショパンが故国に帰れなくなった1830年のロシアに対する11月蜂起を指すのか、もっと以前のものなのかは不詳である。

共通項は“母の嘆き”というか「母性」なのだろう。もっとも、男にとっては本質的には理解し得ない故に、理想化しイメージする「母性」にどれだけの普遍性があるのか甚だ疑問ではあるか。残念ながら「慈しむ」という概念はわかったようでわからない“白い柔らかい光”のようにしか見えない。それでも、東欧風の劇的変化の少ない、ゆったりとたゆとうような雄大な流れと控えめなソプラノを聴くと、母性文化の象徴などという極めて感覚的で曖昧な言葉で糊塗したくなるのも事実で、人間のそういった感情がある種の感動を生むのもまた事実だろう。

90年代、英ラジオでの放送がきっかけとなって、抜粋された第二楽章がUKの大衆音楽チャートで6位まで上昇、現代音楽としては極めて異例のミリオンセラーを記録したとライナーには書かれている。

1373 jyake13
APC
101.058
1995

Tabula Rasa/Pärt, Arvo //Congress Orchestra, Dir:Paolo Gallo

新古典主義から十二音音楽を経て、ロシア正教に入信し中世宗教音楽への傾倒が著しくなったエストニアのアルヴォ・ペルト(1935-)中期の作であり、一定のテンポ、簡素なリズムとシンプルな和声、凛と響く鈴の音(ペルト曰くティンティナブリの様式)が淡々と美しく響く敬虔で静謐な音楽。最近は、キシェロフスキの遺稿を元にした2001年の映画「ヘブン(Heaven)」のサウンドトラックなどにも進出している。

タイトル曲(1977)はペルトが世に知られる結果となった出世作。『ターブラ・ラーザ』は経験主義のロックが提唱し、カントが自らの観念論を補強するために批判した哲学的概念で、人は白紙の状態で産まれてくるという環境決定論的な立場を象徴する概念の一つ。元はラテン語、直訳すれば「拭われた石版」。後世に転じて“白紙還元”の意としてよく使われる。
30分弱の2部構成、二本のソロ・ヴァイオリン、プリペアド・ピアノ(弦に異物を挟んで音色を替えたもの)が織り成す有限を越えていく流転とゆらぎ。此岸から語られた言葉はあまりに多いが、あくまで抑制された調べには一片の救いもなく語ることを拒絶する。

上記以外に「交響曲1番」「バッハの主題のコラージュ」「Pro et contra」なる60年代中期の作品を含む、聞いたこともない廉価盤ですが、録音はまぁまぁ。演者が著名なECM盤は高いなぁ。

1374 jyake14
Polydor GMBH
557 402-2
1991

Echos aus zeiten der grünen reise/a.r. & machines

ドイツ人アッヒム・ライヒェル(Achim Reichel)が主催したユニットの71年から75年の数枚のアルバムから抜粋されたコンピレーション・リマスターCD『緑旅行の時間からのエコー』。意味を問うな、わからんて。71年から現在にいたるまでかなりの枚数のアルバムが出ているはずですが、おそらく初期のLPはCD化されておらず、かつ、80年代初頭あたりから肉体派ポップ・スターに変身したらしくあまり話題にも上らない。

たぶん、70年代前半のアルバムは時代性を鑑みれば、当時のアシュ・ラ・テンペルよりもずっと先進的だったであろう、エコーを多用したミニマル・トランス。ライヒェルのギターとヘナチョコ・ボイスの饗宴はけっこう鋭角的でありながらも、ゆるゆるとたゆとう河の流れを思わせる。パーカッションにノイのハンス・ランペ、エンジニアにコニー・プランクのクレジットがある。美しい緑の丘陵の連なりは、おそらく産廃処理場の土くれの地肌に青緑のフィルターをかけたもの。

1375 jyake15
Musea
4229.AR
1998

Au cercle de pierre/Minimum Vital

ミニモム・ヴィタルの実況録音CD-ROM。10曲のオーディオ・トラックにライブ2曲の映像付、バイオグラフィ等の資料付。一応、未発表曲「Le dernier appel de la guerre(最後の召集令状)」が一曲ラストに加わっているが、これはDVDコンテンツのBGMとして作られたもので、ゲストによるサックス入り。個人的にはネドゥレちゃんの歌が炸裂するアンコールの「Esprit d'amor」が聞けて大満足。前作であまり目立たなかった新加入のシャントゥール、フェラッシ(やっぱりコルシカ人)がだいぶ前に出てきてネドゥレちゃんと互角になってしもうた。アレンジはスタジオ盤を踏襲しながらも適度に異なり、実況ヴァージョンとしても完成度が高い。セットリスト通りではないだろうが、歌曲だけでなくインスト曲も交互に繰り広げるあたりは自負の表れだろう。

タイトルは前作ラストの佳曲、南フランス方言であるオック語系列のガスコーニュ語(かな?)で歌う「Au cercle de pierre, J'ai dansé...(環状列石で、私は踊った)」の一部だろう。石環はストーン・ヘッジに代表されるキリスト教化以前の環状に巨石を配置した祭祀殿と思われる古代巨石文明の遺構を指すと思われる。

1376 jyake16
Spalax 14885
1974

Gilles Zeitschiff/Cosmic Jokers

1994年の再発デジパック。コズミック・ジョーカー第四集にあたる『ギレの宇宙船』。時代がかった効果音の後に「やうこそ」と言わんばかりの星の淑女のお出迎え。意図はよくわからないが、銀色のアイシャドー、銀ラメのドレス、銀色の丸型ヘッドホン、頭頂にも銀色に光らせた五芒星を冠しながら口紅を塗っておる丸窓に映ったぎんぎら万華鏡のギレ・レトマンのいかれた御容姿が何かを示しているのだろう。

中身はそれなりに精緻に組み上げられた社長秘書ゐすぱぁ・ヴォイス全開のへろへろ・コズミック・ブルーズのような、抒情トリップるんるん・サイケ・リミックス。極めてナーヴァスでシリアスなシンセとオルガンはどうみてもクラウス・シュルツェだな。旧A面はブルーズやらロック“ん”ロールが突然貫入する、異物挿入的いかがわしさが満載。盛んにティモシー・リアリィの名前だの“禁句”が連呼されております。旧B面はシンセとボイス主体のそれなりに盛り上がる荘重な似非宗教クワイア。どちらも、アシュラの『7up』のサンプリング音源が基底にあるようだ。

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最終更新日 2006/04/02