懐古趣味音源ガイド    其七拾六

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1201 jyake01
Tempus/SPV
087-65622
2003

Requested document live 1980-1983 Vol.2/Anyone's Daughter

未発表ライブ音源第二弾。75:38のCD+126:08のDVDという構成でDVDはPALだけど投売り状態で極めて廉価です。DVDは1981年のフランクフルトでのライブ。「ピクトル」「アドニス」あたりがフル構成で収録されているのに加えて未発表曲が四曲追加されています。ただし年代物なので音の方はリマスターで若干とはいえ救われていますが、画像の質は宜しくなくてアナログビデオ並。

元々、テクには定評がありますが、それを裏付ける内容。特にギターレンとタスタテュールは想像以上、群を抜いている。これといった余興もなく派手なアクションもない、ないない尽くしの実に生真面目な素養の浮き出た淡々とした演奏が好感です。更に驚いたことに「ピクトル」の朗読をゲザング+バッソのハラルド・バレト(Harald Bareth)はすべて暗唱しているのだ。このヘッセ作「ピクトルの変身」は詩でもないし散文詩でもない、大人向けの童話であって、決して生半可な分量ではない。曲間のMCもすべて自前で行っているのだが、これがまたよく喋る。こんなに柔らかいドイツ語もあるのか! と、ちょっと新鮮です。

90年代にギターとキーボードで再編されていますが、リリカルで牧歌的な柔の部分を担っていたと思われるバレトは不在のようだ。

1202 jyake02
Spalax CD14572
1985

Cultes des Goules/Nekropolis

おそらく五作目と思われる。ペーター・フローマダー(Peter Frohmader:ドイツ人? 国籍不詳)を首領とする暗黒エレクトロ・アンビエント・ユニット。CDは2000年の再発で「Cultes des Goules」と「Ballett of Death」の2曲で構成されていると思われる。冷たい暗黒だけが漂う初期のものに比べると、シーケンスパターンや女性ボイス、管弦楽器などが加わって、抑揚や展開があるという意味では聴き易い現代音楽。

当然、Nekropolisはネクロポリスであって生者の町テーベに対する“死者の都”を意味するわけで、その起源は古代エジプト、ナイル左岸にまで遡ることが出来る。岩山を刳り抜いたハトシェプスト女王葬祭神殿とか王家の谷、メムノンの巨像あたりが現存する代表か。一方、“goule”は死肉を食う女の吸血鬼であって、それを崇拝するのだから中身は想像の通り。

1203 jyake03
Captain Trip
CTCD-039
1996

Kobe(Reconstructions)/Amon Düül II

兵庫県南部地震は95年の冬だったか。個人的には中高層建物の中間階の強剛性短柱のせん断破壊と重量鉄骨柱の座屈、杭のせん断破壊が印象的だった。経緯は至って不詳だが、IIではない方の蔵出しリミックス『Expérimenté』を髣髴とさせる、こちらも70年代初頭のアウトテイクを使った追悼ボランティア・やっつけリミックス。プチプチノイズと『Yeti』や『Tanz der Lemminge』あたりのフレーズが見え隠れする。おまけにラストはホークウィンドの「Master of universe」と正規盤のレベルに達しているとは云い難いところはある。しかし、まぁ、何かをしようという意思は明確にかつ適切な形で伝わるわけだし、多分、その音楽性とはまったく別に、本当に人の良い真面目な人たちなのだろう。

天災は忘れた頃にやって来て防ぎようのない(というかそこまでコストを掛けて防ぐ意味がない)ものだが、少なくとも現代においては概ね人災よりは被害が少なくて被害を蒙るか否かは運任せ。人災とは異なって国や人種や経済状態など本質的には理不尽な理由で差別され難いという意味では極めて適正な自然淘汰といえるだろう。もっとも、地球環境的に見れば地震は元々、発生する場所が極めて限定されているわけで、そこに敢えて住むという意思は、“壊れたらまた造ればええやん”というオリジナリティにあふれた優れた文化を産み出したわけだから、卑下することもないし、否定的に考える必要もないだろう。その意味では、大地震が起きた土地を追っかけて移り住むなどという確率論的な方策、あるいは、そこまでして生き残りたいという執念は野暮としか思えない。

おそらく世界で最も売れ、最も高く評価して、最も末永く愛聴しているのは何故かそんな極東の地震国だったという事実に対する彼等なりのある種の答礼なのだろう。

1204 jyake04
Love Records
LRCD 136/193
1998

Finnforest/Lähtö Matkalle/Finnforest

名前の通りフィンランドのフィンフォレストの75年の1stと76年の2ndのカップリングCDと思われる。美麗写真をスリーブにしたものが一般的なようだが、これはフィンランドのレーベルから98年に再発されたもののようだ。おかげで表記がすべてフィン語でお手上げ。1st、2nd共にクールな透明感のあるリリカルなジャズ・ロックという線は同じ。どちらかといえば1stは短曲でロマンチックなメロディが秀逸。2ndはよりテクニカルなインタープレイの応酬が醍醐味か。全曲インスト。曲調はまったりしたものから疾走感に溢れるものまで千差万別でバリエーション豊か、2ndはキーボードが加わった上に、旧LP-B面の組曲はストリングズ入りの長曲でもある。

ちなみに1stのタイトルは『フィンランドの森』だろうが、2ndは『旅立ち』といったところか。ざっとですが「Mikä Yö :What a night」、「Sanaton Laulu :Song without words」、「Happea :Oxygen」、「Koin Siipesi :I felt your wings」、「Paikalliset Tuulet :The local winds」、「Aallon Vaihto :The change of the wave」、「Kunnes :Till」、「Lähtö Matkalle 1 :Starting a voyage, pt. 1」のようです。

1205 jyake05
DNW 020/021
2000

Odyssey/Damo Suzuki's Network

カンの二代目ボーカル、ダモ鈴木を頭目とする現在進行形。キリスト教異端、エホバの証人は卒業したのだろうか。“Journey into Japanese cosmos”という副題からもわかる通り、99年の日本公演で構成された2CD。2CDを縦に並べた変形デジパックのリリースが続きます。カン時代よりもずっと饒舌で躍動するファンクなリズムに彩られたエレクトロ・ビート・サイケのようなもの。こちらの勝手なイメージだろうが、かつての病的というか狂的な浮遊感と隔絶された異端は強烈なビート感に置き換えられてうねりまくっております。

延々と蔓延遷移していく即興トランスと、歌うというよりは祝詞か呪術のようなダモ・スズキのオジサン・ボイスはひたすらせめぎ合うように登りつめていく。計150分の饗宴。

1206 jyake06
Drag City
DC143CD
1983

Ludwig's Law/Moebius, Conny Plank, Mayo Thompson

83年録音、98年リリースの蔵出し発掘追悼音源。『Zeroset』とほぼ同時期の製作ということでノイエ・ドイッチェ・ヴェッレの色彩が濃厚なクラウト・テクノ。モノリシックで硬質な量感が古さをまったく感じさせない。60年代アメリカのレッド・クレイヨラ(The Red Crayola)のメイヨ・トンプソン(Mayo Thompson)がボーカルというかボイスというか朗読で参加。

タイトル『ルートビッヒの法則』は植物に代表される生物の成長過程における形質生成のなされ方が螺旋状にフィボナッチ数に因るという法則のことだろう。有名なのはバラの花弁の数や松ボックリの紋様がフィボナッチの数列(隣接2項の和が次項になる数列)に準拠しているということ。ちなみにフィボナッチ数列の隣接2項の比は黄金比に収束する。自然科学を、言い換えればこの世の摂理を記述するメタ科学が数学であるという意味では良い例かもしれない。

「Taras Bulba」はゴーゴリの「隊長ブリーバ」だろうが朗読はオリジナルのようだ。スリーブのブロンズ像は古代ローマの始祖として著名な「狼の乳を飲むロムルスとレムス」が原典なのだろうが、双子のはずが何故か一人多くて三つ子になっておるなぁ。実物も狼は紀元前500年前のエルトリア製で子供は中世の作らしいが、ラストの“the end... boy, boy, boy...”とどう関係するのかは不明だ。と、まぁ、総じて意図はよくわからん。

1207 jyake07
Ramdom Records
398.6582.2
1979

Katzenmusik/Rother, Michael

ソロ三作目。コニー・プランクとの共同プロデュース。録音はフォルストのプランクのスタジオ。生ドラムは前作同様カンのジャキ・リーベツァイト。タイトルはそのまま『猫の鳴き声』を意味しているが、古今東西だいたい同じ、“猫撫で声”にあまり良い意味がないように“猫囃子、からかいの声、嘲りの声”といった意味も含んでいるようです。差し詰め『ピントのずれた音楽』『聞くに堪えない音楽』といった意図も込めているのでしょう。もちろん、世間とはずれたかもしれないが、中身は硬質なクリスタルのような結晶。なんとなく猫の鳴き声を類推させる音使いはあるものの、基本はスリーブの通り。爽快感に包まれた無窮の青空から降り注ぐ光の粒。青、蒼、光、白、輝く、夏、空気、蒼穹、天、溶融、侵蝕、貫入、無私、滅私、透けて、透けて、何もない。

オリジナル「猫の鳴き声 1~12」に加え94年再発時のボーナスとして3曲が追加。

1208 jyake08
Edsel Records
MEDCD 725
2002

The goleden section tour +The omnidelic exotour with Louis Gordon/Foxx, John

最近、また頑張っているようなフォクス氏、2CDのライブ盤。前半は1983年の『The Golden Section』リリース時の楽団編成によるライブ、後半は1997年のスタジオ・ライブでルイス・ゴードンとのシンセのみによるコラボレイト。15年の時間は技術の進歩と曲解釈の深みに現れているだろう。選曲はVox時代の曲から最新のアルバムまで。無理やりポップ・ロックしているような古臭いアンサンブルで聴かせる83年よりは、97年の出来が圧倒的に素晴らしい。公式Webのセンスも大好きなのだが、小説も含めて未完が多くてなかなか進展しないのは困りもの。

あの「ガーデン」がライブで聴ける。

「The Garden」
 
僕等はこの庭で眠りについていた
夏の息吹
黄金の息吹
目の前に広がる丘に背を向けると
空が眩しく輝く
 
消えていく……
消えていく僕等……
 
彼女は光の中に燃え尽きて銀に輝く
その生涯を越えた光輝、
あらゆる仕草は切望に満ちていた
今もなおそう感じる
 
消えていく……
消えていく僕等……
消えていく……
消えていく僕等……
 
目くるめく光のなかに君を見る
ドレスが解かれ
窓が開き始める
すべてがその温かい地平線を越えて
陽が沈む
 
消えていく……
消えていく僕等……
消えていく……
消えていく僕等……

今も昔も決して上手くはないのだが、紡ぎだされる幽かであまりにも儚い、繊細で透明な世界は消えてしまうものに対する切ないまでの憧憬と究極的な美の創造に満ちている。

1209 jyake09
Amiga
82876645152
2004

35 Jahre/Electra

D.D.R. ドレスデンのエレクトラ、結成35周年の記念盤2CD。CD1がシングル・ヒット、CD2が珍品(骨董品:未発表+アウトテイクと思われる)と表示されておるが、共にリマスターされていて音質は良好。69年から89年の20年間の音源からのセレクトで、89年に国の崩壊と共に四散して2002年に復活したらしい。最初期の歌謡曲からビートポップ、中期のプログと時代と共に音楽性もそれなりの遷移を遂げていて、プロフェッショナルな音とそのステージ写真などの微妙な儀固地なさの落差がなんとも面白いというか、悲哀を感じさせる。

スリーブにもなっているバロック様式のボールト天井は、ドレスデン聖母教会の大聖堂だろう。かつてのバロックの都も1945年に市街全域瓦礫の山と化しているので再建されたもののはず。国家プロジェクトなのだろうが、その完璧な復元に掛ける意欲とまったく同じ物を造り上げる執念は少し怖い。

1210 jyake10
BuschFunk
DCD 07142
2004

40 Jahre/Stern Combo Meißen

こちらはなんと40周年記念盤2CD。前半はかつてのヒット曲を再録音したもの。後半はお得意のクラシック色の強い長曲で新曲や未発表作が含まれているようだ。こちらも2003年から2004年の録音だが、89年以降はコンピやライブが細々と数枚リリースされているだけで、御他聞に漏れず英語歌に駆逐されて商売にはならないのだろう。かつてのD.D.R.の星も、もはや再び輝くことはなく地に堕ちた。それでもドレスデンのオーケストラと共演しているらしいこんな写真を見ていると、細々と大地に足をつけて生きているのだろうと感慨もひとしお。長生きしてください。

さすがにD.D.R.一の質を誇った内容だけあって、今聴いても何の遜色もない。曲の出来もアレンジも先鋭かつ完璧だ。完璧という表現がここまで似合う音楽もないだろう。独特の中欧風哀歓メロディと精緻なリズム隊、多分リクエストしたらなんでも弾けてしまう鍵盤、完璧さだけに留まらない滲み出るセンスは時間と苦節すべてを包含している。

1211 jyake11
OHR 70037-2
1971

Der Jesuspilz/Musik vom Evangelium/Witthüser & Westrupp

クラウト勃興期におけるアシッド・サイケ・フォーク・デュオ、ヴィットヒューザー・ウント・ヴェストルップのカップリングCD。『ジーザス茸』に『福音のための音楽』とあるが全部で40分弱と元々は2xEPだったのかもしれない。W & Wは単純に人名でベルント・ヴィットヒューザー(Bernd Witthüser)とヴァルター・ヴェストルップ(Walter Westrupp)なる髭のおじさん二人を指す。経緯は不詳だがデュオになってからのおそらく二作目。後にコズミック・ジョーカーにも参加しているが、その後の消息も不明である。

ドイツ語の親爺声による純情サイケ・フォークといった趣が濃厚で、深いリバーブの掛かった牧歌的な曲調が最大の特徴か。同じピルツのエムティディ(Emtidi)あたりに通づるものはあるが、エレクトロニクスは総じて控え目。まぁ、こういう表現は嫌なのだが、平たく云ってしまえば若干のコズミック色が加味されたリコーダーとメロトロン、アコギのアルペジオがシンプルに爪弾かれるクラウト・フォークというとわかり易い。

1212 jyake12
Repertoire
REP 4944
1975

Plastic People/Birth Control

レペルトアールの復刻もの。B級ハード・ロック路線をひた走っていた、ブルーズ基調の正統派で歌詞も英詩だからあまりクラウト色は感じない受胎調節の中期6作目。微妙な濃さが如何にも……といったところなのだろうが、ここに来て初期に比べれば随分と洗練されて、ヘルト(Zeus B.Held)の鍵盤もノスケ(Bernd Noske)のボーカル、ドラムも一皮剥けた。安定したテクニックと効果をきちんと計算した隅々まで行き届いた丁寧なアレンジが聴きどころ。一応、トータル・アルバムとしての作りになっている。ところどころで聞こえる弦楽器はヘルダーリンの弦楽隊、グルンプコフ(Jochen Grumbkow)のチェロとノッペナイ(Christoph Noppeney)のビオラ。

タイトルにもなっている『プラスチック・ピープル』とは、商業的な価値を至上とするプラスチックな世界を統轄する“ストレイツ(真人間? とでもいうか)”であり、それに対する概念として、ヒューマニティを基盤とした変更可能なライフスタイルを基にするアーティスティックな確信をもった“クールな奴”が規定されているようだ。ふ~ん。今風に云えば皮肉じゃなくて“勝ち組”と“負け組”かな。ま、70年代だから。
カタカナを多用するとなんだかよくわからない、あるいはどうでも良いような中身のない概念を意味ありげに記述するのに便利だなぁ。

1213 jyake13
Table of the elements
CR 24
1995

Rien/Faust

実質的な復活作である『You know faust』の前年にリリースされたある種のリミックスのようなもの。初期のアウトテイクを元に音響系のジム・オルーク(Jim O'rourke:といわれても不詳ですが)が繋ぎ合わせてミックスしてプロデュースしたものらしい。銀一色の音楽。銀、としかいいようがない。スリーブは内も外もシルバー一色、ブックレットまで無地のシルバー、ページを繰っても唯シルバー、円盤に浮き出すような薄いグレーで『RIEN』。円盤にそっと置かれた小片の亡霊写真が一枚。四周に散りばめられた文字は曲名を示すのだろうか? Fin 0 Rien、Long distance calls in the desert、 Eroberung der Stille, Teil 1. ~2.0がスタートで右回りでしょうか。「無」「砂漠で遥か彼方からの呼び出し」「静寂の征服第一部」「々二部」「終」と意味をつけることは出来るけれど意味は不明だ。『リヤン』はよく使われるかなり否定的な意味合いの強い代名詞ですが、名詞で「無意味なもの=クズ=カス」あたりを意図しているのかもしれない。

1214 jyake14
Spalax
CD14536
1976

Early water/Hoenig·Göttsching

76年録音、95年リリースの蔵出しコラボレーション。ミヒャエル・ヘーニッヒはアジテイション・フリーの鍵盤奏者。マヌエル・グトシンクはアシュ・ラ・テンペルのギター奏者。現在はハリウッド映画音楽作家であるヘーニッヒに依るリマスターが施されている。48分越えの全一曲。ひたすらたゆとうヘーニッヒのシーケンスの上を走る官能アンビエント。音像としては後の『Dream & Desire』、『E2-E4』あたりの原型ともいえる内容で、極めて洗練されたセンスと共に完成度も現代物に劣らず高く、ベルリン御三家(Agitation Free、Tangerine Dream、Ash Ra Tempelを指しているつもり)の名に恥じない密度と斬新性を誇る。

バルト海? を望むガラス・カーテンウォールにうねる潮が合成されたひんやりと青いスリーブに表象される、冷たい夏の情景。

1215 jyake15
EMI Electora
7243 8 22670 2 7
1974

Andy Nogger/Kraan

名作の誉れ高い三作目。タイトル曲「Andy Nogger」は元々、ミネラル・ウォーターのCMソングとして書かれたものらしい。微妙に東洋人風のスリーブはベトナム人? なのか。極めて過剰に躍動する奇数変拍子リズムと煌くサックス、ギターの織り成す、ラフなのか緻密なのか両方なのか、捉えどころのないひょうきんさと中近東エスニック・スパイスが効いた独特の曲調が圧倒的なまでに迫ってくる。つぼを押さえた華麗なメロディが醸し出す絶妙な哀歓も絶品だ。LSDでらりったスメタナ(Bedrich Smetana:1824-1884)?のフレーズから酩酊したアンビエントな紛い物コズミックまで、リフに導かれた迷宮にぶち撒かれた音響の摩天楼のよう。最近のCDはリマスターにして更に豊饒。

録音、エンジニアはコニー・プランク、秀逸なスリーブ・デザインはギターのペーター・ヴォルプラント(Peter Wolbrandt)に因るもの。

1216 jyake16
Exil 5501
1984

Sahara elektrik/Dissidenten

80年代初頭、ノイエ・ドイッチェ・ヴェッレの波から生まれた隠し玉、ドイツ人のエレクトロ・トリオ。その過剰なエスニック趣味が嵩じて、インドやらアラビアを放浪しては現地混成録音をしてしまう怪しさが堪らない。曲調はジョイント相手によるが、民族系エレクトロ・ダンスといった趣。今作は3? 作目くらいか。モロッコ人、シェリフ・ミ・ラムラニ、ムバラク・シャディリ、ムハマンド・アヨウビらアラビア楽人とのジョイントで、モロッコのタンジール録音と乾いた空気感とアラビア語の歌でもうエスニック色がぷんぷん。極めて格好良くて妖しいまでの豊穣な音塊が乱れ飛んでおりまする。

ライナーには製作に至った経緯みたいな内容がかなり詳しく記載されているが、どこまで本当かはかなり怪しい。モロッコの“問題なし”という車の修理屋で歓待されて、案の定、翌朝身包み剥がれ呆然としていたところ、サハラの砂漠の雲から“おまえのラクダではなくアラーを信ぜよ”という啓示を受けて、とっ捕まえた盗人連中に唯一残されていた世俗的な財産である楽器と機材を使わせて四日で録音したテープが元になっている、らしいがおそらく笑い話だろう。内容とは特に関係ないようだが、なんとも素晴らしい(おそらくかなり古そうな)写真数々がイメージを更に豊かに喚起する。先人エンブリョとはまた違った意味で突っ込んでいく感覚が面白い。公式Webには歌詞も載っておりますがアラビア語です。誰か訳してくださいな。

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最終更新日 2005/01/18