懐古趣味音源ガイド    其七拾伍

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1185 jyake01
Sonhos e Sons
SSCD038
2001

Sacred heart of Earth/Sagrado Coração da Terra

さて、取敢えず初っ端は最新の英語リミックス・コンピのリマスター盤でお茶を濁そうか。サグラド名義ではこれ以外に、2004年現在、4枚のオリジナル・ポルトガル語バージョンと2枚のコンピが出ています。ミナス・ジェライスの重鎮にして聖人、マルクス・ビアナ(Marcus Viana)なる作曲家兼バイオリン奏者兼レーベル・オーナー率いるプロジェクト。プロジェクト名は“サグラド・コラソン・ダ・テッラ”と読んでタイトルが英訳そのもの。「聖なる大地(地球)の心」の意。一瞬、そらまた大きく出たものだ、と引きますが、有名無実の正に逆しまにして云い得て妙、名は体を表わしております。ちなみにレーベルの“Sonhos e Sons”は“Dreams and Sounds”と同義でサグラド以外にも環境音楽やサントラ、子供向けの童謡まで、あまりCDの安くないブラジルにしてはかなり廉価にミナス音楽をリリースしています。

84年の1stから2000年の4thまで、ほぼ均等に選曲された全14曲72分の楽曲は、ポップでかつ洗練された高質なもの。ラテン気質を基盤にしてはいるものの、南部リオのブラジル民族色はほぼ皆無。宙を駆けるビアナの五弦エレキ・バイオリンの圧倒的なまでの存在感と官能的な音色には言葉がない。バンド・アンサンブルも総体としてのエネルギーと高揚感に満ちた適確なものだろう。ただし、歌詞は英語よりも元のポルトガル語の方がずっと良い。語感の固さも気になるが、フレーズと合わなくなっている部分が散見される。

言葉は悪いが、衣食住すべてを売り渡した先進国の住人のシニックで侮蔑的で脆弱な感性から観れば、なんとも素朴で人間を信じられるなんておめでたいね、宗教? 自然? 割り切らないとビジネスにならんでしょ? といったところだろう。
しかし、彼等の意識は宗教も自然も超えて、大地も海も、空をも超えて宇宙へ銀河へと飛翔していくようだ。そこには我々が“格好悪いもの”として切り捨ててきた「理」が厳然として存在している。その圧倒的なまでのひたむきさと抱擁力には失ったものへの憧憬を掻き立てられて止まない。そして、そんな自らに気付いて、これが求めた道なのか? と暗鬱とさせられるという意味では何とも辛いものがある。

それでも、“人は心の奥底に無限の宇宙を作り出すことができる” そんなことをもう一度信じてみたくなる、そんな力と指向性に満ちた類稀な音楽であることに間違いはない。

1186 jyake02
PRW014
1983

Quando a Sorte Te Solta um Cisne na Noite/Marco Antônio Araújo

同じく同郷、マルコ・アントニオ・アラウージョの2ndアルバム。通称『Cisne(白鳥)』。『その夜、幸運にも一羽の白鳥を解き放つとき』というフル・タイトルは内スリーブを見る限りは何らかの演劇的なパフォーマンスと関係しているのだろう。基本的な路線は前作と同じだが、楽団編成の曲の場合、電気楽器の使用率は高め。楽曲の完成度は更に高く、欧州的な品格とミナス・ローカルの野趣が極めて洗練されたかたちで奏でられている。タイトル曲に象徴されるように、チェロ、ピアノ、ヴィオラン(アコギ)による三重奏の繊細さや溢れ出る情感はジャンルの領域を完全に越えているだろう。録音の悪さを補って余りある内容です。ネオ・クラシカルでメロディアスな協奏曲からコンテンポラリな現代音楽まで、類例を聞かない孤高の典雅を堪能できます。

1187 jyake03
RCA
ND 74511
1973

Contaminazione/Rovescio della Medaglia, Il

RDM(ロベッショ デッラ メダッリャ)がアルゼンチン人、バカロフ(Luis Enriquez Bacalov)と組んだ3rdアルバム。似たような例にニュー・トロルスの『Concerto Grosso Nº1』、オザンナの『Milano Caribro 9』があるが基本線は皆同じ。今回はバッハ(J.S.Bach)の「Clavicembalo Ben Temperato(BWV 846-869)(平均律クラヴィーア曲集:前奏曲とフーガ)」を元ネタにしたクラシックとプログのコンプレクス。テーマはバッハにとりつかれ、狂気に犯されていく様をスコットランドの音楽家に仮託して描いたもの。タイトルは『汚染』というよりは『侵蝕』か。

リズムチェンジやアレンジは洗練されてきたものの、無骨なブルーズ基調のラウド感とビートの割り込みがリリカルなストリングズと対比されより強調する役割を果たしている。ムーグの音がピロピロしていて品がないこと、当時のイタリアもの特有の薄っぺらい録音の悪さを除けば、緊張感のあるアレンジ、完成度ともに類例二つを上まった良作だろう。

1188 jyake04
Mellow
MMP 140
1993

Live/Locanda delle Fate

かなり小さな会場(体育館のような音響の悪さ)でのライブのように思われるが、拍手やMCは後入れのようにも聞こえる。表記は77年のツアーでの収録とあるのでライン録りを加工したものかもしれない。録音状態はブート並。基本的には唯一の1stアルバムからの選曲で、一曲「La giostra(回転木馬)」が未発表曲。ほぼスタジオ盤に準じたアレンジを完璧に演奏している。全曲のコンポーズに関わり、再編でも音頭を執ったと思われる、キタッラ、フラウトの優男アルベルト・ガヴィッリョ(Alberto Gaviglio)が中心的な人物なのだろう。ピアノ系タスティエレを担当していると思われるミケーレ・コンタ(Michele Conta)、もう一人のキタッラ、エッツィオ・ヴェヴェイ(Ezio Vevey)と共に適確でクールなアンサンブルが素晴らしい。その視覚的な情報がほぼ皆無に近かったため、内スリーブの写真にはけっこう興味を引かれた。親父声で切々とときには熱く、ときには優しく歌うヴォーチェのレオナルド・サッソ(Leonardo Sasso)はバンコの同業者のように髭の達磨さんだったのだなぁ。手に握るマイクの小ささといったら……。

1189 jyake05
Mellow
MMP 257
1972

Frutti per Kagua/Capitolo 6

カピトロ6(セイ)の唯一作。タイトルは『カグア族の果樹』という意味なのだろうが、内スリーブの歌詞はLPのものをそのまま縮小したようで虫眼鏡がないと読めません。冒頭18分越えのタイトル曲は時代物だがブルーズ調のハード・ロックがいつの間にかミステリアスでひんやりとした静寂にすり変わる展開が聴かせどころ。長い間奏の後は刻まれるリズムの上をフルートとオルガンの即興が走り、謳い上げるヴォーチェと管楽器が唸りを上げてリリカルにエンディング。典型的といえば典型的な前半に比べ、後半は中短三曲。どちらかといえば基調はカンタウトーレというか歌物の印象が強い。ローマ出身のわりには音像は比較的端正だが、録音は御他聞に漏れず良くはない。もっとも最近リマスターが出たようです。

1190 jyake06
King Record
KICP 2391
1970

ID/Equipe 84

60年代中期のスタートでこれが四作目。『Casa Mia』の前作にして変異の始まり。かなり凝った作りではあるが、本質はメロトロン(ストリング音からフルート音まで)をバックにした王道歌謡曲とでもいうべきか。クールで清々しい、それでいて妙に人懐っこい暖かさが特徴の美麗メロディ・ポップ集。70年という時代を考えれば曲調や展開、アレンジはかなり画期的なものだっただろう。一つの類型に嵌らない奔放さと斬新、それでいて絶妙な色彩感と統一感に彩られた気持ち良いほど安定した質感には恐れ入る。東洋的なパーカッションと神秘主義的なメロトロンのメロディが漂う冒頭のインスト「ID」と、クレジットを読み上げるラスト、「フィーネ(終)」に挟まれたトータル・アルバムの風格すら感じられる。「フィーネ」では、後のP.F.M.のディ・チョッチョ(Franz di Cioccio)がバッテリャで紹介されていたりする。

1191 jyake07
Mellow
MMP 143
1973

Поа(Poa)/Blocco Mentale

中心がくり貫かれた変形スリーブでデイジーが見えるあたりが可愛らしいブロッコ・メンターレの唯一作。謳い上げるものの抑制された複数のヴォーチェと手数の多い疾走するアンサンブルが飽きさせない表現力を持っている。長曲といっても8分ほどだが、メロトロンの響きを背景にしたフルートがドラマチックにリリカルかつ優美なメロディを奏でるあたりは典型的ではある。よりポップ色の強い唯一のシングル2曲がボーナス。
中部ラッツィオのヴィテルボ出身らしくも明るく暖かめのトーンと爽やかな雰囲気が全体を覆う。トータル・アルバムとしての内容は、70年代的良心に基づいた自然環境礼讃と汚染への警告といったところか。Perché Поа?(ペルケ・ポア:なぜゆえに“野”なのか? Поаはギリシャ語=Erba、“草”の意)という文章が内スリーブに記載されております。

1192 jyake08
Mellow
MMP 113
1974

I suoni in una sfera/Celeste

映画『I suoni in una sfera(玉の音)』のサウンド・トラックとして74年に録音されたサンレモ出身、チェレステの1st以前の音源。映画は74年のエンリ・フィオリーニ監督作品だが未見の上に内容すら不詳。全12曲インスト。数曲が発展形として1stアルバムに取り入れられている。サウンド・トラックとしての性質上、総じて大人しい印象は否めないが、元々そういうタイプだから逆にチェレステの特質が上手く表現されているとも云えるだろう。1stで散見されるインプロ風ジャズ色を除いて美麗メロディを際立たせたアレンジメント中心の曲調で、これはこれで極めて美しくも上品で儚い。ダブル乃至はトリプルのフルート、メロトロン、ピアノ、アコギの奏でるリリカルで静謐な情景。

この時点のクレジットでは専任テナー・サックス、フルート奏者としてマルコ・トゥディーニ(Marco Tudini)なる人物の名前がある。

1193 jyake09
Philips
842 822-2
1980

Piccola rapsodia dell'ape/Le Orme

業界の片隅で暗中模索、四面楚歌、瀕死の死に体状態の絶望的な環境で、それでも健気に生きるオルメ80年代の初作。『蜜蜂の小狂想曲』と題された、前作『Florian』を経て室内楽カンタウトーレとでもいうべき境地に達した逸品。前作同様、電気楽器を使わず(最近ではアンプラグドといって、意味不明だがなんだか価値のあることらしい)に、ピアノフォルテ、キタッラ・クラシーカ、12コルデ、ヴィオリーノ、チェロ、マリンバ、ヴィブラフォノ等のペルクッショーニと、タッリャピエトラのカントで構成されている。キタッラ、バッソのお二人さんは当たり前のようにヴィオリーノとチェロに持ち替えて、そこはそれなりにさらりとまるでこっちが本業のようにこなしてしまう。前作がバロック・クラシカル寄りだったのに対して、今作はメロディや躍動感はポップ寄りで、気品と才気に溢れた可愛らしくも春を思わせる曲調で統一されている。

1194 jyake10
Metal Mind Records
MMP CD 0231
1994

Moonshine/Collage

突然異質に割り込むポーランドのコラージュ、2ndアルバム。水っぽい流麗さと演歌の入った抒情的なメロディ、圧倒的な音圧のキーボードとギターによる滑らかで華麗な饗宴。独特の冷やっこいキーボードの音色が醸し出す空気感は、しっとりとした冷たく滑らかな肌に触れるような艶かしいエロスを表象すらする。
一方で、ロゴやジャケを見て微かに感じた嫌な予感は微かに包含されたメタル風味とともに、売れ線を外さないしたたかさとして結実している。歌詞は英詩だし、類型的なプログ・ハードというかロック色の強い、ある種の恥かしさはやはり田舎の証しなのだろう。本来もっと滲み出て良いはずのスラブ色の抹消は、個人的にはとても残念に思う。

1195 jyake11
WEA
WPCR-2304
1981

Tout pour la musique/Gall, France

プロデュース、作詩作曲は旦那であるミシェル・ベルジェ(Michel Berger:1947-1992)。バック楽団は英人セッション・ドラマーのサイモン・フィリップス、ギターのクロード・アンジェ(Claude Engel)はマグマ人脈。そしてなんと、あの神格化された伝説のベースおじさん、ヤニク・トップが普通にベースを弾いておるのでした。お揃いの写真を見ても明らかに異彩を放っております。胸に下げているのはあの滑稽なペンダントでしょうか? マグマ時代の名前はJanikで、読みもヤニク(笑止! コバイア語か?、アフリカ系ドイツ人だと思っていたわい)だと思ったが、今は(あるいは本当は)そうではないらしい。マルセイユ出身と公式Webには表示がある。名前もJannickで、ジャニックという名前はそれほどフランス人では珍しくない。元はクラシック出らしく今一つマグマ・ファミリィと反りが合わないのも頷けるところか。この組合わせ、トップがベルジェに心酔したことから始まったようで、二人のコンビはベルジェが死ぬまで続いたらしい。

典型的なバストショットの顔ジャケだが“赤バック”に免じてその意気を評価したい。御歳30代後半くらいでしょうか。顔かたちの向こうに透けて見える意志が潔よくも美しい、フランス・ガルの80年代ヒット作。60年代中盤にデビューして一発大ヒットで即引退、75年に復活して、そろそろ30年。ベルジェの曲以外は歌わないそうです。そろそろ隠居ですかね。本名イザベル・ガル(Isabelle Gall)。ベルジェの歌詞はかなり強く重い。ガルの歌も柔らかで儚いがきちんと芯が残る。

1196 jyake12
Mantra
642078
1972

Paix/Catherine Ribeiro+alpes

72年の四作目。全四曲、インスト曲に23分の長曲ありと、まぁ、この『ペ』、極めて不可思議にして真摯な内容を呈示している。パーカッションは有ったりなかったリ。その分、ドラムン・ベースのようなリズムとキーボードのアンサンブルが決まっておりますが、暗い。ひたすら暗く、強靭で逞しくも艶やかである。すべての情感を込め、あるいは放棄して、突き放すようなリベイロの詠唱が無限の虚空をさまよう様は崇高ですらある。

「Paix(安らぎを)」
 
明らかにみえることなのに喚き散らすひとに安らぎを
わたしたちの病んだ精神に、分裂した心に安らぎを
わたしたちのくたびれきって、破れ裂けた手足に安らぎを
退化を重ねるわたしたちの世代に安らぎを
慈悲深き巨大な混沌に安らぎを
コンクリートの壁に頭を打ちつけて、何かを探し求めるひとに安らぎを
 
飢えた人間の怒りに安らぎを
憎しみ、虐げられた怒りに安らぎを
その手で働くひとに安らぎを
いつもその最良の恵みを、そして、それを必要とするそれぞれのひとに与えてくれるこの自然に安らぎを
わたしたちの腹、アカデミーのゴミ箱である巨大な貯蔵タンクに安らぎを
わたしの友人であり、わたしに必要な優しさを与えてくれるあなたがたへ安らぎを
おのおのの人生に敬意を込めて安らぎを
情熱の魅惑に安らぎを、昇る陽と暮れる夜に安らぎを
終わりなき地平線に続く道を辿るひとに安らぎを
労働する小羊たちに安らぎを
悪夢を産み出す生まれつきの邪悪な魂に安らぎを
ディーゼル油に光り輝く魚を産み出す川に、海に、大洋に安らぎを
子供の傍で悲しげに微笑むことすらできないあなたの、そしてわたしの母に安らぎを
そして最後に、誰に好かれるわけでもなく、より良い日々を待望して骨折る生を送るすべてのひとに安らぎを

1197 jyake13
Soleil Zeuhl
04
1977

Triton/Potemkine

トゥールーズ出身、ポチョムキンの2nd。3rdアルバムが『Nicolas II(ニコラス二世)』だから、あのロシア革命で赤軍側についた黒海艦隊の戦艦ポチョムキンなのだろう。発行媒体がソレイユ・ズールなのは当時マグマの前座として随行していた所以かもしれないが、70年代後期に北フランスのアール・ゾワ(Art Zoyd)、南フランスのエトロン・フュー・ルルーブラン(Etron Fou Leloublan)あたりと互助ネットワークを組んでいたらしい。音楽的にはシャルル、ギーユ、ミシェル、フィリップのグーバン四兄弟を中心にしたジャズ・ロック。タイトル『トリトン』は海神ではなくて、中世、スペインの異端審問で悪魔のコードとされた“三全音(基底音に対し増4度と減5度の和音、周波数比が√2倍になる不協和音)”を示すらしい。このコードが再び使われたのは20世紀なって、ストラヴィンスキィとバルトークだとか。ふ~ん。

ボーナスは1stの『Foetus』から2曲とシングルが2曲。全曲インストでボーナス・トラックに若干のスキャット入り。神秘的な静寂とクールなダイナミックが同居する密度の高さと瑞々しさが非常に心地良くも格好良い。

1198 jyake14
Clearlight888
CLM-008
2003

Infinite Symphony/Clearlight

76年の1stアルバムの焼き直しバージョン。完成度も解釈も明らかに向上してはいるが、新鮮味はない。時代なりの音の良さと重ねられてより豊潤に艶やかに感じられるアレンジと今風のアンサンブルが聴きどころ。オリジナルを瑞々しさのコレットとするならば、本作は爛熟した情熱が持ち味のジョルジュ・サンド(George Sand:1804-1876)かな。なまめかしいまでの宗教的法悦もそれはそれで腐敗寸前の熟れた果実のようで浸っていると蕩けそうだ。一部が歌入りになっていたりするのは御愛嬌だが、ゲイブリエルみたいなボーカルと方舟風の再創生歌詞は戴けない。

ポール・ホワイトヘッドによるレインボウ・カラーのつまらない宗教画は、仏教徒としては寛容だし意図もわかるから冒涜などとは殊更思わないが、センスを疑うというかその欠片も感じられないなぁ。所詮は上っ面というか、表層的なエスニック趣味の一環に留まっていて、人間の情念を内側から覚悟できているとは到底思えない。CDはデジパック、エンハンスド仕様でメニューとデモ版、別テイクがMP3で収録されている。

1199 jyake15
Musea
FGBG 4205.AR
1982

A Propos de.../Ange

80年代アンジュの三作目。かつての熱気は薄れ微妙にクールで淡々…と思ったら全曲シャンソンのカバー集なのでした。原曲は聴き憶えがあるところとしてはM.ポルナレフからC.アズナヴールまで。実質デカン兄弟+若者三人といった構成で、軽めのシンセ音主体で、かつてのアンジュ・オルガンも跡形もなく消え失せた。凝ったアレンジを聞かせはするが80年代風のコンパクトで整理された表情は時代の必然だったのだろう。前後が比較的コンセプチュアルな内容だっただけにあまりの落差に眩暈がしそうですが、原曲の弄くり廻され加減は鬱屈したデカンの足掻きに思えないこともない。
スリーブ・デザインも前作あたりから大きく印象が変わっている。転換期を迎えていたのだろう。

1200 jyake16
Musea
FGBG 4050.AR
1985
1987

Envol triangles/Les saisons marines/Minimum Vital

自主製作、カセットでリリースされた1stと2ndアルバムのカップリング再発CD。1stの『飛翔する三角形』は全曲インスト。女性フルート入りの変拍子フュージョンでテクニカルかつ無機的なまでの完成度を誇る。迷宮のような複雑怪奇な構成と展開でありながら、デリカシーを失わない豊穣さが香しい。個人的に決して歪まないクリアな音使いが嬉しいのだが、昨今ではすっかり珍しい部類になってしまったのは何故なのだろう。「疑惑のなかで(Dan le doute)」「輪舞曲(Ronde)」あたりは最近のDVDでも演奏されている。

2nd『海の季節』は明らかに南欧中世歌舞曲への造詣を深めた秀作。こなれた美しくも華麗なメロディが変拍子の上を駆け抜ける。ギターとキーボードが交互に繰り出すメロディが、適確でファンクですらありながらグルーブを拒絶する変態リズムの上を駆け抜けていく様は気持ち良いほどだ。大人の円熟した滋味が匂い立つような最近のものとはまた違った先鋭感と洗練された余裕が上手い具合にバランスして、これまた何とも形容し難い優美さを作り上げている。フルートが抜けて、シンプルな四人編成。若干の歌入りトラッドもあるが原則はインスト。

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最終更新日 2004/12/26