懐古趣味音源ガイド    其七拾弐

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1137 jyake01
All Saints
Records
ASCD35
1998

Aquarello/Hans Joachim Roedelius

クラスターの片割れ、メランコリック・サイドのローデリウス、何枚あるのかさっぱりわからんソロの一つ。公式Webを見ると、クラスター(Cluster)やハルモニア(Harmonia)に並んでアカレロ(Aquarello)というユニットがあったりして、本作はその三作目のアルバムとしてリリースされているように思える。サックスにニコラ・アレッジーニ(Nicola Alesini)、ギター、音響にファビオ・カパンニ(Fabio Capanni)という二人のおそらくイタリア人? と組んでいるようだ。「Aquarello」というのは多分「水彩画」という意味なのだろう。

基調はアンビエントですが、非常にリリカルでロマンティック。叙景的とすら言えるほどの豊かなイメージが湧き上がる。ビートもリズムもありませんが、穏やかに読み取れるようアクセントがつけられている文学、哲学、映画、演劇と同じように、すんなりと心の内に忍び込み、情感に訴える抑揚と抒情が美しい。

まだ存命ですが(1934年 ベルリン生まれ)その経歴を読むと、なんとまぁ波乱に富んだ人生だこと。目が廻りそうだ。

1138 jyake02
Captain Trip
CTCD-124
1998

Year of the tiger/La! Neu?

元ノイ!のクラウス・ディンガーによるファミリィ・ユニット。ラ!ノイ? としては五作目。ノイ!解消後、弟トーマス・ディンガーとのユニット、ラ・デュッセルドルフ(La Düsseldorf)を経て、90年代後半にスタート。ちなみに弟のトーマス・ディンガーのユニットを1-A Düsseldorfというらしいが、弟は数年前に故人になっている。既に、雨後の筍のようにかなりの量のアルバムがリリースされてはいるが、絵画で喩えるならば、作品はもとより、習作、スケッチ、ラフ、はたまた元ネタ写真からアイディアのいたずら書きまですべて同じ名前でパッケージングされてしまうので玉石混淆。製作側の戦略なのか販売側の思惑なのかは知らないが、典型的な“アートでクリエイティブ”な世界が垣間見える。

冒頭、小品のみパンクですが、残り各30分の2曲は延々とループする90年代風アパッチに乗せて妻と母が喘いだり、ハァハァ言ったり、お経読んだり、ご詠歌歌ったり。かつてのノイ! とは既に存在意義が異なっているものの展開としては延長線上だろう。アンビエントとして浸るには気持ちの良い音のタペストリ。仕事ははかどる。

ドイツで買うと送られて来るのは日本盤だったりするのだが、そのカラクリが愉しいな。まぁ、関わり合いにならないようにしよう。

1139 jyake03
Captain Trip
CTCD-014
1995

Experimente/Amon Düül

60年代末期の共通音源デモ・テープから使えそうなところをカットして、並べ替えたような全24曲、30秒から6分半ほどのアウトテイク小品集です。結局、この“I”の方のデュールは三作目を除いてすべて、たったの一回、数日のセッションから三枚のアルバムを作り上げたという極めて効率的な手法を開発したわけだ。それでも若い男女のコンミューンの行く末は手に取るような運命というか、ポコポコ子供が生まれ、隣りの芝生は青く見え、その生活と現実の前に主義や主張はあえなく頓挫していったのだろう。
ぶちぶち途中で切れることを除けば、予想以上におもしろい。再編集にペータ・レオポルトあたりが関わっているようで、相変わらずの盆踊りというか太鼓アンサンブルなのだが、歌入りだったりメロディついていたりと、ほんわか諸行無常に楽しめる内容です。

1140 jyake04
EMI Electora
7243 8 22668 2 2
1972

Kraan/Kraan

一昨年くらいに一斉に再発されて廉価でかつ入手性の良いクラーンの1st。オランダ語で鶴(ないしは形状的に似ている水栓カラン)という意味だそうですが、それはやはりどうみても軽く9頭身くらいありそうな体型(サックスの人だけ首一つ低い)を指しているのでしょうか。

中近東風アングラ変拍子サイケとジャズ・ロックが絶妙なバランスでミックスされたもの。妙なギミックのない素な生音はテクニックに対する自信の裏返しだろう。英語ボーカル入りもあるが、基本はインスト。1stだというのに強引に「Head(18:34)」とかやってしまうあたりクラウト真骨頂です。ギター、ベース、ドラムのトリオにサックス入り。キーボードは数曲ゲストが入れているようだ。極めて上手いテクニックを生かした楽曲とラフなひょうきんさが混沌となって、シリアスでミステリアウス、オリエンタルなメロディを奏でるサックスが映える。2、3作目ほど技巧的ではないし粗っぽいのだが、その分若々しくダイナミック。再発CDはリマスタに加え全5曲の内4曲のデモ・ヴァージョン追加。

1141 jyake05
EMI Harvest
7243 5 22686 2 7
1974

Floating/Eloy

三作目。ここまでは鬱屈したオルガン・ロックというか、暗い情念とロマンティシズムがけっこう達者なリズムセクションをバックに映える。前作のムーディな黄昏が薄くなって霧の底からアグレッシブな外殻が浮き出てきたようだ。アンサンブルも攻撃的かつ緻密で力強くタイトに決まるロック色の強いもの。手数の多いドラムと目まぐるしいまでの展開の中で、ときおり挿入されるリリカルで透明な間が良いアクセントになっているようだ。中身は化学的新生をテーマにしたSF。当時の流行りかな。実は現在でも新作が出ておりまして、生涯現役というか仙人みたいな長寿を誇る。ボーナスとしてライブが計3曲、17分ほど追加になっている。

1142 jyake06
Brain
831748-2
1976

Fire, water, earth & air/Jane

ジェーンかヤーネか、四作目にして最高作の誉れ高い秀作。現役でもある息の長い哀愁メロディアス・ハード。ブルーズ基調のタイトで安定したリズムの上を駆ける暗い哀感メロディと分厚いが清冽なキーボード、音響風に鳴り捲るギターが淡々と漆黒の世界を描く。隅々までアレンジの行き届いた完成度の高さと、実質全一曲をまったく同じ色のモノトーンに塗り潰せる力と意気が素晴らしい。強弱や抑揚の妙というよりは、暗く美しいメロディを惜しげもなく展開していく徹底した叙情性とコードもリフもほとんど弾かず、ボーカルに被ろうが延々とメロディを弾き続ける尖らないギターが画期的だ。打ち寄せる波音のSEも異星の海のように現実感を喪失している。歌詞はすべて英語だが、やはり紛うことなきクラウト。CD冒頭最初の一音と最後の一音が同じ音だったりするところなど心憎い演出が効いている。
録音は75年11月、エンジニアリングはコニー・プランク。

1143 jyake07
Divucsa
32-517
1974

Fusioon(2nd)/Fusioon

巧妙で変態なフシオンの二作目といわれているもの。CDにはタイトルがないのでジャケ絵で見分けるらしい。鰐いっちょ! てね。内容的には1stとシュールな次作『Minolisa』の中間で、ころころした小刻みな展開と可愛らしいメロディには流れるような滑らかさが増した。ジャズやクラシックの要素を地中海音楽の民俗風味に包んだテクニカル・ジャズ・ロック。バルセロナ出身のカンプ兄弟(J. y M.Camp)が中心で全曲を作る。コーラス風のスペイン語ボーカルもくどくなくて爽やか。74年だからカタラン語は使えなかったのだろう(フランコ死去は75年)。ライナーもスペイン語だけど、音楽的には所謂スペイン色は皆無で、カタルーニャ色が全開。極めて上手くこなれた変拍子リズムと現音風メロディにしては、エッジの硬いシリアスなものにならない。微妙におちゃらけたコミック色、後述する中世舞曲エスタンパとチャイコフスキィのアレンジ・メロディが飄々として息抜きになっているようだ。

1144 jyake08
Fonomusic
CD-1423
1979

Azahar/Azahar

アサアルの二作目。そのままオレンジ、レモン等の柑橘類の花の総称。意外と乙女チックなのだな。外周を徒歩で登れる螺旋塔はイラクの北部、チグリス川流域のサマラにある螺旋モスクとして有名なマルウィヤ螺旋尖塔。基壇を含めた高さ53m、バベルの塔のモデルともいわれる。占領軍による破壊略奪もそれなりらしいので2004年現在、元の場所に現存しているかは不明。一生懸命贋作に入れ替えたりとか、記念に一部ぶった切って持ち帰ったりするでしょ、スフィンクスみたいに。既にメトロポリタン美術館あたりが免責で買い上げを始めたそうですが、博物館あたりに出てくれば良いけれど大抵は個人蔵として闇に流れてしまうので、一度なくなると出て来ないんだなぁ、最近は。

ストリング・シンセの早弾きリフとリリカルで哀愁のカスティーリャ風ギターが宙を舞う、軽快だがこてこてのフシオン・エスパニョラ。「Ketama行き急行」で始まり「Ketamaからの急行」で終わる。このケタマは著名なファド・グループではなくてモロッコ北部の地名だろうと思われる。「オレンジとレモン」「春の夜」など節回しぶりぶりの哀愁演歌から、カスタネットとフラメンコギターの民族色、一転してクールで美麗なシンセ・フュージョンまでけっこう変化に富んだコンパクトな楽曲が魅力的です。

1145 jyake09
Musea
FGBG 4402.AR
2001

Mysticae visiones/Kotebel

スペインかなと思っていたら、どうやらベネズエラらしい。ベネズエラといえば男の中の男(おぉ、ジェンダーフリーを踏み躙る暴言)、不屈の闘士ウーゴ・チャベス大先生のおわす御国ではないか。今回もえげつないほど、とことん足を引っ張られていた(いる)ようですが、取り敢えず安泰のようで良かった。

カルロス・プラサ(Carlos Plaza)なる鍵盤奏者が主宰するプロジェクト・ユニット、コテベルの二作目にあたるアルバム。他にフルート、ギター、チェロ。インディオ顔の天使系女性ボイス入りの長曲、美麗コンテンポラリ・民俗シンフォ。ゲストでリズム隊もしっかり入っているので聴き易いが、こなれ過ぎの感もある。意外に冷涼な湿度と瑞々しさが特徴でイメージが狂う。
ブックレットにはヘッセの名作『シッダールタ』からの引用が記載されているが、歌うわけではないので歌詞というわけではない。

1146 jyake10
Prikosnovenie
PRIK058
2002

Song of innocence and experience/Caprice

ロシアのアコースティック・チェンバー、カプリスの二作目。アントン・ブレジェストフスキィ(Anton Brejestovski)という英語教師だか現音作家が主宰するユニットで96年スタートで順調に新作が出ています。フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロにキーボード、声楽系の女性ボーカルといった構成で、ポピュラー色はほぼ皆無といって良いでしょう。ネオ・クラシックとはいえ、かなり現音寄りの内容で、敢えてアヴァン・ガルドとはいわずに前衛といっておこう。非常にテクニカルで最初は戸惑います。おそらくクラシックの専門教育を受けた人で構成されているので、音の質は艶やかというか極めてプロフェッショナルです。

前後作はトルーキンだが、今作はイギリスの象徴主義詩人ブレイク(William Blake)をテクストにした文芸絵巻。まぁ、ブレイクだからなのだろうが、無調で全然聞き取れないハイトーン英語ボーカルに絡む不協で技巧的なアンサンブルが聴きどころ。

1147 jyake11
Publigas
075
2002

Fragments 1975-2002/Donella del Monaco

ソプラノ・オペラ歌手、ドネッラ・デル・モナコのコンピ盤。録音は75年から2002年に渡っているので音質が今一つのものも含まれる。最大の売りはオプス・アヴァントラ時代の幻のセカンド・シングル「Allemanda/Flowers on pride」が含まれているということ。シングルA面「Allemanda」は既にオプス・アヴァントラの『Lord Chromwell』に収録されているが、B面曲はアルバムとは違いデル・モナコの歌入りヴァージョンでこれが初収録になるらしい。全体を通して聴けば、オプス・アヴァントラのティソッコ(Tisocco)が関わった楽曲の出来が抜きん出ているのは仕方がないとしても、デル・モナコのヴォチェもやはり最大限にその魅力を放っているようだ。その他、近作ほど作者不詳のトラッドが多く、父親(Marcello del Monaco)の曲も2曲ほど、その他は古い歌曲の独自アレンジ・カバーもの。

ちなみに、2004年、プロジェクト再編でオプス・アヴァントラ名義の新作が出たようです。

1148 jyake12
Random Records
398.6588.2
2000

Esperanza/Michael Rother

95年から96年にかけて録音された近作『エスペランサ(希望)』。儚げな薄黄色の色合いがなんとなくタイトルを表象する。敢えてスペイン語にしているところなどからも、中身はあまり一般的にイメージされるところの『希望』を感じさせるものではないか。絶望と諦観を越えた位置にあるもの。無限の曠野を眺め回して、それでも自分は生きている、心臓が脈を打っていることに気付いて、可笑しくなってしまうような瞬間を微かに染める色のようだ。

ほぼ鍵盤電脳機材一式で製作されたと思われるアンビエント。かつてのノイ!を思わせる部分はラ!ノイ?とは対称的に昇華されて蒸発したかのようだ。最早、アパッチもギターもなく、ただ枯れたメロディと鎮静するリズム、音感は自然でありながらも微視的でぽつぽつと確率論的に存在しうる量子化された光子のように独立して孤独だ。

1149 jyake13
Musea
FGBG4145.AR
1978

Neffesh Music-ghilgoul/Yochk'o Seffer

ザオ(Zao)リタイア後の初ソロ・アルバム。『Shekina』で一緒だった弦楽四重奏マルガン(Margand)とのコンビも復活したようです。マルガン以外の楽団部分はサックス、ピアノのセファーに、ベースのドミニク・ベルトラン(Dominique Bertram)、ドラムのフランソワ・レゾ(François Laizeau)の最小トリオ編成。マルガンの演奏力も巧く生かしたアレンジで優美で深遠な室内楽的な要素とダイナミックなジャズ・ロックが極めて繊細に融合している。“Neffesh Music”とは大雑把に云えば“精神の音楽”といった意味のようですが、崇高な神秘性の裏にはハンガリーの民俗フォーク色も感じられるか。“Ghilgoul”は何語か不詳だし読みもわからないが“Métempsychose(輪廻)”の意らしい。
最後のボーナス3曲は80年に別編成で録音したもの。冒頭、「Dag」が童謡「蝶々」に聞こえて仕方がない。

1150 jyake14
DENON
COCQ-83546
2001

プレイアデス舞曲集2/吉松隆・田部京子

プレイアデスといえば昴。元々は中国28星座の昴宿(当然江戸末期まで星座といえば中国星座を意味した)が起源で、散開星団プレアデスの和名。成立は2500年ほど前。集まって一つになるという意味の動詞、統る(すばる)はそこから派生したらしい。冬の宵に見えて、距離408光年、星数約120。「昴」と書くとなにか意味もなくイメージが良さげ。個人的には涼しそうで良い。『2』とあるようにプレイアデス舞曲集5~9集を収め、1~4集を収めた『1』は1996年に出ている。吉松隆はちょっと変な現音作家で田部京子はピアニスト。全曲田部のピアノソロ。ピュアとか研ぎ澄まされた美しさとか繊細とか清冽とか平板な言いようはいくらでもあるのだが、かなり技巧的で複雑なリズムを持ちながらも流れを失わない透明感が見事な出来映え。このプレイアデス舞曲集、毎年、田部に献呈されるという形をとっているのだが、純粋にこれはラブレターに違いない。

1151 jyake15
Decca/Universal Music
UCCD-3257
1971

Music of The Crusades(十字軍の音楽)/The early music consort of London/David Munrow

歌曲が大半を占めるのだが、きちんと和訳がついているのが凄い。楽ちんだが出来れば原語も欲しかった。1970年の録音というわけでかなり古いが、それほど音質が酷いというわけではない。おそらくすべてラテン語と思われる翻訳をして、この値段(税込1200円で日本盤)ということはやれば出来るんじゃない。

さて、かつての十字軍は聖地の奪還と占領支配のため、現代の十字軍は聖地占領支配への永続的支援と石油の強奪のために組織された遠征軍で、軍人だけでなく行政官やエンジニア、商人、占領地に入植する農民や失業者、ついでに犯罪者等を送り込んで支配の恒久化を目論むものです。今と違って昔は行きたくなくても行かなきゃならなかったから、事情は多少複雑だったでしょう。そのあたりにこういった“歌”が生まれる余地があったのでしょうか、どちらかというと哀歌になってしまってちっとも威勢が良くない。
刷り込みと洗脳によって数千年にも渡って殺し合えるという、気が遠くなりそうな憎悪の応酬は理性も良識もすべてを越えた根源的な種としての欲求なのだろうな。
ほとんどが作者不詳の小品で半分ほどが歌曲。所謂西洋音楽が確立される以前の音源で、音階や調、リズムは独自で今の聴感では不思議な旋律に聞こえたりもする。

1152 jyake16
Vinyl magic
VMNP 015
1995

Il madrigale del vento/Calliope

つまらない類型的なロック色と下品でメタルなギターがなくなって完全に生まれ変わったカリオペ三作目『風恋歌』。マドリガーレは本来はイタリア語の歌詞を持った芸術歌曲を指し、起源はイタリア語による詩の形式名らしい。
タスティエーレの片割れドロ(Rinaldo Doro)とバッテリャ以外は全員入れ替わっているようだ。いっそのこと名前も変えれば良かったのに。ネオ・プログ・ハードのはしりというか、第一人者的に扱われて、すっかり変なイメージが出来あがってしまったのは功罪半場だっただろう。アルティ・エ・メスティエリのキーボード、ベッペ・クロベラ(Beppe Crovella)所有のスタジオの70年代ビンテージ・キーボード群を使って録音されたあたりは以前と同じようだ。プロデュースもクロベラ。

今作はトリノ出らしいすっきりした透明感を前面に出して、14世紀の中世舞曲やトラッドをモチーフにしたロマンティックな路線に大きく転換した。主たるテーマになっているギォ・ドゥ・ディジョン(Guiot de Dijon:13世紀の作曲家)の世俗歌曲「Chanterai por mon corage(我の勇気のために歌おう:ラテン語みたいだからよくわからん)」(ここにmidiがありました。うわっ、もろ雰囲気そっくり)は愛人の出征を悲しむ十字軍の時代の哀歌。このあたりなると、正直言ってキリスト教の基本的かつ歴史的な素養が皆無なので、理解が及ばない。
下手だし音痴だし目尻に皺があるけど、少女っぽい儚げな声で歌う女性ヴォチェに加え、ゲストだがアンドレア・シビッリョ(Andrea Sibilio)の弾く、1759年製、パオロ・アントニオ・テストーレ作のヴィオリーノの信じ難いほど柔らかく官能的な音色が圧倒的で言葉がない。

1:Terra di Maggio (16.10) 五月の大地
a)Il Songno di Guiot ギォの歌
b)Palestinalied パレスチナの歌
c)Dietro la collina(Trad. biellese) 丘陵の向う側
 
2:La nascita della Luna (06.22) 月の誕生
 
3:En haute de Crète(Trad. Elvetico) (04.16) クレタの高地で
 
4:La bionda treccia (04.32) 金髪の三つ編み
 
5:La visione della dolce pioggia (17.19) 恵みの雨景
a)Il canto del mare 海の歌
b)La dolce pioggia 恵みの雨
c)Il tempo del ritorno 帰還の頃
d)Estampie di Guiot ギォのエスタンピ

エスタンピは元はプロバンス語(あぁ、ミニモム・ヴィタルもこれだこれ)のEstamper(足を踏み鳴らす)から由来した舞曲のことを指すらしい。楽曲は異なるものの曲名は上記『十字軍の歌』とけっこう共通していて、こういう形で歴史参照が行われているのねと気が付いてみれば感慨深いものがある。例えば1-bの「パレスチナの歌」というのは、中世ドイツの宮廷詩人フォーゲルワイデ(Walther von der Vogelweide;1170-1230)の「Palästinalied(パレスティナリート)」が元ネタであって、1-cはビエッラのトラッド、3はスイスのトラッドで、4は14世紀の詩人ランディーニ(Francesco Landini)の詩と追っかけるのが大変。太刀打ちできません。
そういえば、前回の“Unto Ashes”のビデオも同じ引用ですね。ちなみに歌詞は至極平穏。フォーゲルワイデはフリードリヒ2世の第六? 回十字軍で実際にパレスチナに行ったそうで、この遠征軍は唯一戦闘を行わず交渉でエルサレム統治権を回復したらしい。その聖地の美しさと輝き、神に近づいた感動を謳い上げたもの。

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最終更新日 2004/08/24