懐古趣味音源ガイド    其伍拾六

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881 jyake01 1975

Sphéroe/Sphéroe

フランスものにしちゃオーソドックスなジャズロック。ベースだけアフリカ人だけどファンクな部分はほとんど感じない。12分超えの長曲と目まぐるしくころころ変わる展開、ふっと忍び寄るリリカルなメロディが特徴ですか。これが1stで78年に2ndが出ていますが、アルバムはその2枚のみのよう。いろいろな意味であまり若くはないというか、こなれていて安心して聞ける内容です。手数の多い高速なリズムの上を沈んだような湿っぽさと、明るく跳ねまわるエレピ、シンセやギターが交互に入れ替わる音色のバリエーションが新鮮。ベースがジャズベースの割には輪郭の柔らかい撓るような音というのも珍しい。全曲歌無し。曲名は分かれているのだが組曲風に同じフレーズが輪廻しているなどさり気なく凝ってもいるな。マスター紛失による盤起し復刻CDですが音はけっこう良いほうだと思う。

882 jyake02 1977

Brandung/Novalis

『Sommerabend』と共に10万枚以上売れたとされるスタジオ盤4作目。何だかんだ言われつつも人間の嗜好の根源的な部分は論理では割り切れないということか。ウォルター・クレイン(Walter Crane;1845-1915)の『The horses of Neptune』がそのままジャケ絵になっていて、タイトルは『打ち寄せて砕ける波』。前作のライブから加わったオーストリア人、ミュルペク(Fred Mülhböck)が歌に歌詞に曲作りに大活躍。この人の最大の特徴は抑揚のあるバタ臭いまでの演歌なので、それまでのどちらかというと平板でトーンの低い北ドイツ風の雰囲気が一気にババリア歌劇調に引き摺られてしまった。総じてポップでメリハリのある展開で非常に(ちょっと臭いほど)聴きやすくなった。ノヴァリスの引用は2曲あるけれど、このアルバムが最後。次作はシラーだったかな。

883 jyake03 1983

Emballade.../Julverne

韓国製の見開き紙ジャケ品のみ入手可能なジュルベルヌの3rd。他のジュエルケースに比べて特に高価というわけではないし、昔の日本製のように細部に行き届いた高品質が売りですなぁ。本質的に外面にこだわってはいけないのだが、シボ加工された表層紙の質感、一際厚く重量感のある台紙、角の90度っぷり、貼り合わせ、折り目加工の正確さ等々唸ってしまう出来であることは確か。解説がハングルで読めないのだけどベルギー・チェンバー人脈図付きとかつての“made in Japan”みたいだ。今更首っ引きで資料を読んだりする歳でもないんでどうでもよいのですがね。円盤の中身は19世紀サロン・チェンバー。ジュルベルヌとしては比較的歌入りが多い異色作キャバレー・ソング集。CDになっているのはこれ以外にコンピが1枚と2001年の新作のみ。暗黒ものも良いけれど、こちらのノスタルジーも絶品です。総勢10名(ちなみに中央の女性の右のバスーン抱えてるのはユニヴェール・ゼロでもあるミシェル・ベルクモン)、楽器はアコーステックのみと、まぁ、徹底しております。谷間の百合のように死の匂いを放ちながらもあくまで清浄で可憐なアンチ・ポップ。一応チェンバー・ロックの文脈で語られているんだろうが、既にジャンルは誤認と錯誤を助長する以外の何物でもないなぁ。

884 jyake04 1995

Beyond the storm/Edgar Froese

はっきり言って一番好み(かつ内容的にも最良)なのは75年の2ndソロ、『Epsilon in Malaysian pale』なのだが、何故かこれだけ探しても見当たらないのだな。再発待ちですか。この『Beyond the storm』は過去の曲のリテイクに15曲の新曲を加えた一応最新作なのだが、その『Epsilon in Malaysian pale』のタイトル曲の短縮版が聞けるというのが最大の売りである全28曲入り2CD。御多聞に漏れず最近のもの(80年以降)はリズムやメロディが類型化して耳慣れた音なのだが、そこはそれ、センスの見せ所は心得てると言わんばかりの老練な手管。硬質で明晰な透明感は熟練と諦観のなせる技だな。(いや、皮肉じゃなくてね)音の定位が非常に良く、普通のステレオで聞いていても音場の広がり具合、回り込みが気持ち良いほど立体的です。おかげでなんだかんだ云いつつもけっこうプレイヤの常連だったりするこの頃。

885 jyake05 1973

At the Rainbow/Focus

あまりにも有名なライブ音源で同じ音源かどうかは知らないが、当時TVで1時間番組として放映されてのめり込んだ記憶がある。民生用ビデオなんぞ影も形もない時代だから比べようがないのだが、レコードはロンドンのレインボー・シアターでの名演。「Hocus Pocus」の中間でメロディに乗せながらメンバー紹介する部分の格好良さといったら、もう痺れものでした。レコードで聴けるどちらかというとクラシックやジャズの要素が濃い精緻な端正さは圧倒的なまでのダイナミズムに取って代わられて、歌無しロックの醍醐味というか躍動感に蹴散らされる。ほとんど破綻寸前の荒っぽさをここまで昇華できるというのも少し異様に思えるくらいだ。歌も無い、特に見映えが良いわけでもない、エロもグロもない、テクニックとセンス(注;実はセンスはいまいち)だけで乗れる時代だったのだねぇ。

886 jyake06 2000

Progfest 2000/Mona Lisa

もいっちょライブ。2000年のプログフェストにバンコと共に出演したそうなモナ・リザ。Kensoも出てたけどKensoの質には完全に負けてるな。センスの欠けらも感じられないどころか、目を疑うジャケはどうでも良いけれど、中身も、まぁ、こんなもんかってところですか。フランス語じゃ受けないのは自明だし、いかんせんあまり上手くない。98年に『De l'ombre à la lumière』で復活を果たしていますが、4thまでのボーカル、ドミニク・ル・グネ(Dominique Le Guennec)に新人4人といった形で実質的には過去とは異なるユニットといって良いでしょう。もっともル・グネのテアトラルな存在感は健在で、昔の曲も今風のアレンジでやっていますがそれほど遜色はないでしょう。被り物も相変わらずのようですが、その後消息をまったく聞かないですね、どうしたことやら。

887 jyake07 1996

Live!/Présent

ライブ続けてもいっちょ。95年ドイツでのライブ。ライブ用の省コスト編成なのかもしれないが、5UU'Sのカーマン(David Kerman)がドラムでいるものの、新人ベースにトリゴー親子と四人編成のプレザン。「出たな! 妖怪」というデスでゴシックな雰囲気と迫り来る奇数拍子のポリリズム。重いベースにこれまた重量級だがテクニカルで切れの良いパーカッション。ロック風のグルーブ感を感じる部分もあるのだが、それでいて絶対に崩れない精緻さと厳密さを併せ持つ。11分半2曲に7分半と22分の全4曲(内新曲が2曲)ですが、ロック楽団のようなギター2本、ベース、ドラムスという編成でいったいこの人達は何を考えているんじゃろ? と誰もが思う変態ぶりです。シンプルな形態ながらもライブで奏でられる暗黒現代室内楽は、くるりと入れ替わった現実と虚構に息を吹き込むような得体の知れない迫力を漂わせている。

888 jyake08Manikin Records
MRCD 7049
2000

Gin rosé/Ash Ra Tempel

これまた「Ein pikante Variante(とある刺激的な変奏曲)」69分29秒、全一曲の復活ライブ。“tempel”付き復活の意味するものは当然シュルツェ(Klaus Schulze)+エンケ(Hartmut Enke)なわけだけれど、ブランクの長いエンケはジャケに顔が写る(多分そうだと思うんだけど)にとどまっている。グトシンク+シュルツェという組み合わせは71年の1stと72年の『Join inn』以来で、同じくシュルツェが復帰している2000年のスタジオ盤『Friendship』とどっちが早いのかは知らないが要は2000年を契機に元に戻ったということなのだろう。その後どうなっているのかはまったく知りませんが。

70分間、寝てるのか酩酊してるのか、それとも真面目に聴いているのか、はたまたモニターのラインから録って加工してるのかわからないが、クラシック並に静まりかえっているライブというのも面白い。内容的にはトランス・テクノということで、シュルツェのドラムマシン+シンセの上にグトシンクの官能ギターが絡むという明るい透明感路線。アコギ等も使って変化は出ているし、それなりの展開とそれに伴う抑揚もあるでしょう。Manikinとかいうドイツの弱小レーベルから出ているせいか入手性が極めて悪く中古しか見たことないわ。

889 jyake09 1969

The marble index/Nico

Richard Williamsなる人が書いたCDのライナーによると、本名はクリスタ・パフゲン(Christa Paffgen)。1943年ブダペスト生まれ。両親はスペイン人とユーゴ人。幼少時はケルンに住んでいて空襲時はバスタブの中に隠れたと書かれておるな。父親は強制収容所で死んだとあるが殺されたとは書いてないところが敵性国民としての味噌か。ちなみにハンガリーは枢軸側、スペインは中立でしたね。一応、2ndアルバムということですがベルベッツから叩き出された頃でしょうか。ほとんど庇護者としてのケイル(John Cale)の貢献は特筆すべきでしょうが、ニコがハーモニウム(大昔、学校等によくあった足踏み式オルガン)を使い始めるのもこの辺りから。曲としてのアレンジなんぞほぼ完璧に無視して極めて身勝手に淡々と歌う詠唱に極めて親和的な楽器でしょう。恐ろしいまでに虚ろな空漠感と通奏低音のように底を這いまわるハーモニウム。あくまでもクリアで寂しいボーカルとほんの微かな冷たいエロティシズムによって導かれる破局的な諦観はあまりにも「どうしようもない」

890 jyake10 1981

Gold und Liebe/D.A.F

そういえば最近復活して新盤が出てましたねぇ。まだ、買ってませんがなんかちょっと(いや、かなり)怖いのう。『Alles ist gut』で一応の成功(顰蹙ともいう)を収めたわけだが、更にポップ化路線を突き進む四作目。ボーカリスト、ガビ・デルガド・ロペス(Gabi Delgado Lopez)とドラマー、ロベルト・ゲアル(Robert Görl)の二人ユニットですが、シンセ、リズムマシン、音響処理はコニー・プランク。プロデューサとしてのプランクが音楽的な可能性という意味で最も期待していたユニットでもあったらしい。電子音楽から当時の最先端ディジタル音楽の現場で、可能性として期待したのが人力、人声による音響的ゆらぎとはね。ディジタルの限界というかテクノが進化の過程で陥るはずの落とし穴を見極めていたのだろう。整理された音と人力ドラム、肉声のバランスが魔法のように立体的な音響空間を構成しふぐふぐしております。歌詞は顰蹙ばりばりの政治性が抹消されて個人的な内容(ゲイだな)が多くなりました。

891 jyake11 1985

Nova Akropola/Laibach

どうにも良識的な一般性に欠けるというか、顰蹙を買ってしまう新スロヴェニア芸術の2nd、『Nova Akropola(=New Acropolis=新城砦)』。煽動と行進、軍靴と太鼓の音、インダストリアルとノイズ、暗くて馬鹿馬鹿しいまでのおどろおどろしさ。でも実際の経験などないはずなのに既定の価値観の組み込まれた脳は正確に反応する。「危険」「恐ろしい」そして「敵」。でも、ちょっと視点を変えてみれば、まったく同じように「安全」「楽しい」「ぼくらを守ってくれる味方」だって、長い年月をかけてじっくりとあらゆる機会を通して巧妙に刷り込まれた愛すべき価値なわけだ。

「Drzava(The State=共和国)」
  
共和国の任務は防衛、耕作、そして森林の開発
  
共和国の役割は国民の、特に若年層の肉体鍛錬、健康、ひいては愛国的労働と防御能力の増進を目的とする
  
諸策の遂行は今以上に寛大であるべきであろう
あらゆる自由が許容される
我々の権力はすなわち人民の権力である
  
「我々は流血の海に静かに血を注いでいる。兄弟愛と共和国間の平等のために。そして我々はこの兄弟愛と平等に触れ、内側から根こそぎにし、あらゆる方法で破壊する者を許してはならないのだ」
  
我々の権力はすなわち人民の権力である

「」書きはチトー(ユーゴ連邦大統領 Tito;本名Josip Broz 1892-1980 クロアチア人)によるもの。兄弟愛とは民族融和を指すと思われる。どうも部外者が類型的に考えるほど単純に割切れるものではないようだな。CDはデジパック、エンハンスド仕様で上曲の暗~いビデオクリップ付き。なんか国家社会主義労働党の党大会みたい。

892 jyake12 1976

Unlimited edition/Can

74年頃に販促用にLPで15,000枚限定発表された未発表曲集廉価盤『Limited edition』があっという間に売りきれたので、その二年後『Limited editon』に更に未発表作を加えてLP二枚組にして正規発売されたのがこの『Unlimited editon』ということ。カン自身が既に停滞期に入り、70年代前半の偉業(異業かな)もなんら評価されることなく時代は移り変わりつつある中で、69-75年の黄金期を彷彿とさせる良作(異色作)揃いで、かつコアです。浪曲、ちんどん屋、狂言となんでもあり。まぁ、元々、69年のデビュー以降一貫してポスト・ロックというかポスト・ポップでありつづけたわけで、何が起きてもびっくりしないだけの耐性と乖離は十分過ぎるほど身をもって示したから、後は大事に胸の奥に仕舞いこんで、ときどき誰もいないときにそうっと蓋を開けて一人でほくそ笑むことにしよう。

893 jyake13
Cuneiform
Rune 15 CD
1984

Uzed/Univers Zéro

84年の4作目。メンバーの入れ替わりとともにダニエル・ドゥニ(Daniel Denis)が全曲を書いてほぼ主導権を握ったというところか。初期ユニヴェール・ゼロの中では最もダイナミズムと抑揚に溢れ、畳み掛ける怒涛の強迫緊張感が壮絶な逸品。ころころ入れ替わる奇数拍子とロックでもジャズでもない変態リズムの上で繰り広げられるピアノと弦楽器、管楽器のバトルも緻密かつ大胆なアンサンブルを誇る。いわば一つの“なにものでもない”音楽の完成品と捉えるしかないだろう。最初から最後まで無駄音ゼロ、完璧に統制された強靭な意志が織り成す展開と構成は、もう「ひゃぁ~」とか「うをぉお~」ぐらいしか発する言葉がない。

廃工場?の煙が立っている産廃池?に腰まで浸かる鞄を抱えたスーツの男、意味不明なタイトルと外面は著しく取り付く島がない。ないない尽くし。

894 jyake14 1991

Sirius and the ghosts/Daniel Denis

フランスのアール・ゾワに参加していた時期でもあり、クレジットは尊師の個人名でござるがやってることはユニヴェール・ゼロとそれほど違いはない。人数構成が薄い分だけシンプルで音数の少ない展開が多いのだが、それはそれで極めて硬質な余韻を作り出している。ドゥニによる特徴的なオルガンもゼロのアンサンブルにはない微妙にチープで薄ら寒い効果を上げているように思う。クレジットにはないがギターや金管の音も聞こえたりして、相変わらずの極度に重くグルーブ感を拒絶した奇数拍子の連続で慣れると微妙に乗れたりして眩暈がしそう。比較的スローで、端正にかつスマートなもろ現代音楽な曲調で、後の『Hard quest』の原型としての研ぎ澄まされた緊張感を既にみてとれる。静謐な薄闇の中から零れ落ちてくるような単音の美しさも特筆すべきだろう。

895 jyake15 1992

Il tempo di far la fantasia/Montefeltro

レーベルがMUSEAということと如何にも好みなジャケ絵だったもんで、つい手を出してみたら大当たりのモンテフェルトロの1st。モンテフェルトロはイタリア中部アドリア海側の城砦都市ウルビーノの領主、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(Federico da Montefeltro 1422-1482)を指すのだろう。内スリーブにはピエーロ・デラ・フランチェスカの描いた肖像画が載っている。文芸庇護者、宮廷文化の生みの親として有名だが戦略家の傭兵隊長として代理戦争に加担することによって結果的に領国の拡大を成したらしい。でもって要は22分の長曲「Canto n°1(歌曲一番)」の副題が「1400年の友人への手紙」であり、モンテフェルトロ公への感謝と賛歌なのだ。ピエーロジョルジオ・アンブロージ(キーボード)とアティリョ・ヴィルジッリョ(ギター)の二人ユニットですが、ゲストでリズムセクション入っています。芸風はもちろん朧と霞みを小姓に従えた美しくも儚い「春の夢」。 秀逸。

896 jyake16 1979

Merry-go-round/Grobschnitt

転換点にさしかかるこよなく愛するグロープシュニット。ノイエ・ドイッチェ・ヴェッレの時代じゃけんのう、ファンタジィは流行らんけ現実的な(つまり皮肉と嫌味な)歌詞とファンキィな音とライトでキャッチーな感覚で迫ろうでないの、とはしっこく考えたらしいがあまり変わらん。如何にもドイツ人らしくアルバムごとにコンセプトをぎちぎち律儀に考えてきちんと実践してくるところがとてもプロっぽくて面白いのだが、やっているうちに乗り過ぎちゃってひょうきんな地が出ちゃうのだな。タイトル曲のワルツを筆頭に可愛らしくてシンプルなメロディが光る良曲揃いで、安定したテクニックと音響、ユーモア溢れるリズムに支えられた極上のエンターテイン。ジャケは鉄道ヲタクなキーボードが作った寓意的なジオラマ。CDはライブ2曲のボーナス入り。

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最終更新日 2003/07/18