懐古趣味音源ガイド    其伍拾伍

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865 jyake01 2000

Manana/Amon Düül II

まったく見かけなかった『Hijack』がどうやらCD化されたそうで、あとは『Vortex』ぐらいですか? 未だに入手不能なのは。1997年の『Nada Moonshine #』以降は実質的な新盤は出ていないし、そろそろAmon Düül IIもくたばったと見て良いのでしょうかな。発売は2000年ですが中身は73年のBBC-TV(ラジオ?)でのライブ2回分。中間に71年の『Tnaz der Lemminges』のインプロ・デモ・セッションが2曲というおよそ無茶苦茶な組み合わせ。2回のライブは中一日なので同メンバーかつ曲も重複しております。まぁ、「Kanaan(カナーン)」に「Dem Guten, Schönen, Wahren(真善美)」など1stの曲が聞けることと、フィッシェルシャー(Danniel Fischelscher)とレオポルト(Peter Leopold)のツインドラムあたりが聞きどころでしょう。元々下手なのは仕方ないとして、田舎もん丸出しのあがりまくった浮ついたボーカルが御愛嬌というか最高。

866 jyake02 1971

Collage/Orme, Le

今なら三歩ぐらい引いてしまいそうな古式蒼然としたスリーブですが、当時は多かったねぇ。中身は外面とまったく一致していなくて、クラビネットのクラシカルなソロ入りのインスト曲があったり、華麗なピアノをバックに切々と謳い上げちゃうと思えば凝った展開をみせたりと後のコンピ盤やライブでも出現頻度が高い良曲ぞろいです。切り張りというわけではないのだろうが、いろいろな要素を取り込んでみたかったというのはタイトルそのまま。意欲的です。キーボード・トリオとしての実質1stアルバムなわけですが、今改めて聴いてみるとアレンジの良く練られた丁寧な出来で荒っぽさは全くないといって良いでしょう。キーボードに関しても奇を衒ったりこけおどし的に使わないところが節度良く好感です。意外に大人だったのだなぁ。

867 jyake03 1978

Guet-apens/Ange

どこかの評論家が最高傑作だとしつこく連呼していた『げたぱん』。「罠」とか「待伏せ」、「奸計」という意味ですが、内容的には前作のテアトラル偏重というか物語の枠組優先から三、四作目あたりの路線に戻った趣。ほとんど風格を感じさせる完成度と同時に醸し出される頽廃感が円熟を感じさせる。ライブを挿んで通算7作目にしてオリジナルとしてはラストにあたるもの。国民楽団とはいえ時代の波には勝てなかったということか。何時にも増して音圧の高いアンジュ・オルガンとメロトロンをバックに相変わらずの諧謔と皮肉を切々と謳い上げるパワフルなボーカルもさることながら、馬車馬のように突っ走る前に出てくる重量リズムところころ変わる展開が完成度高く隙間なくみっしりと充填されている。

868 jyake04 1974

Osiris/Zao

マスター行方不明で盤起しなのか音が悪い2ndアルバム。オリジナルはDisjunctaというレーベルから出ていたようですが、このDisjuncta、リシャール・ピナス(Richard Pinhas)が創設したと書かれてますね。後のエルドンの人なんだろうなぁ。ライナーによるとピナスはカーンの友人でマグマのステラ・ヴァンデールの従姉弟と書かれておりまする。ふ~ん。ちなみにこの当時、シャンソン歌手シルビー・バルタンのバック楽団として来日してるそうですが、多分誰も知らなかったんだろう。

1stのアフリカ人女性ボーカル(というかボイスか)がいなくなってかなり印象は変わった。マグマ風の強迫リフというよりは流れるようなスピーディな展開とサックス、エレピ、エレクトリック・バイオリンの絡み合うような流麗な音色のキレが美しい。タイトルの『Osiris』は「生々しく、豊かで奇妙な、美しい音楽」の意だそうです。

869 jyake05 1974

Blackdance/Klaus Schulze

シュルツェのソロ三作目(四作目?)。1stの『Irrlicht』、2ndの『Cyborg』辺りに比べると抑揚が豊かで圧倒的に聴きやすくなった。元はタンジェリン・ドリーム、アシュ・ラ・テンペルのドラマーとしてスタートした人ですが、ソロになってからは完全にエレクトロニクスに傾倒しています。およそ信じられないくらい大量のレコードが出ておりますが、知ってるのは75年の『Timewind』までという不真面目な聴き方しかしておりません。50枚組ボックスセットなんてのもあるけれど、多作過ぎるというのも困ったものだ。買えたとしても聴く暇ないよ。最近またアシュ・ラ・テンペルと一緒にやっているようですが、まぁ、お元気でなにより。『Timewind』の完全無欠さに比べてしまえばまだ甘いのだが、冷徹で鋼のような硬度の高い平滑さと地平線まで見渡す限りの拒絶的な孤独感は凄じい。歌詞があるのかどうか聞き取れないが、オペラ歌手がバリトンでボイスを入れている曲があるのだが、元々それなりの教育を受けたような基本のしっかりした構成とか展開、あるいは手法でありながら、今までにない斬新なイメージをかきたてる音響は見事なものだ。後に雨後の筍のように生えてくる数多のシンセ・ミュージックとは似ても似つかない。タンジェリンの『Phaedra』と同年の作ですが何とも素晴らしい成果です。

タンギー風の擬似海底にダリ風のオブジェクト。水銀の海底で踊るサイボーグはあくまで孤独に不透明だ。

870 jyake06 1994

Semantic spaces/Delerium

おそらくエニグマ辺りの影響を受けて路線変更した頃のもの。コンピやリミックスが多くてよくわからんのだが、実質『Karma』の前作と思われる。かつての寒々しいまでの冴えと虚空はどこへ行ったのか? とかなり凹むカルマ路線の原型。リズムがもろハウスになってしまいましたの。音響的にも『Karma』ほどボーカルが目立たないというくらいでほとんど同じでしょう。『Karma』でも歌っているクリスティ・タース?(Kristy Thirsk)がはっきり歌詞付きで歌う二曲はそれなりにポップで儚げ。色っぽくなり過ぎないところが却って透明感を増しているようで良いかもしれない。エスニックなリズムの味付けと非常にメロディアスで蕩けそうで心地良いのだが狙い過ぎ。

871 jyake07 2002

Freispiel/Faust

『Ravvivando(99年)』の最新リミックス盤と思われる。時々、思い出したようにリミックスが出ていますがこの先新作は出るんでしょうか。30年選手だし今でも昔と変わらず好みですが個人的にはもう出なくても良いかとは思っています。もっともファウストの場合手法としてのコラージュを逆手に取ってきたわけだから、今風に云うリミックスとは本質が同じというわけではないわけだ。やはり透視図法的絵画からキュビズムへの転換と同じことが行われたと云えるわけで、まったく不詳ですが今をときめくリミクサーたちの歴史参照の対象であることも確かなのだろう。ビートが効いていたり、相対的に音が整理される傾向があるのだが、BGMとして垂れ流すぶんには支障はないかと。

872 jyake08 1981

Reise zum Mittelpunkt des Menschen/Stern Meißen

コンボがとれてネオ・クラシックから少しポップス寄りになったマイセンの星。テクニカルなリズムは元々、東独ものとは思えない質とセンスを誇っていましたが、ここに来て益々冴えていて、工業製品のような安定感を誇る。エレクトロニクスの使い方が若干田舎臭いのはご愛嬌というところですか。5部構成の全一曲ですが、そこは得意の構成主義だから破綻なく完璧な統一感と抑揚、起承転結、ラストの大仰でもなく、くどくもないセンスを含めて言うこと無し。中間部の展開なぞ可愛らしいメロディつなげちゃって余裕すらみえます。ギターレス、ツイン・キーボードでインスト基調の曲調ですが、隅々まできちっと帳尻の合った硬質なまでの完璧主義が見事。3、5曲目にちょこっと入るボーカルも一聴するとリリカルに上手いのだが、実に変テコに凝ったメロディを歌う。

873 jyake09 1975

Taï Phong/Taï Phong

毎度、電気仕掛けの鎧武者がスリーブになるタイ・フォンの1st。後にシンガーソングライターとして名を上げることになるゴルドマン(Jean-Jacques Goldman)と思われる謳い上げるハイトーン・ボーカルが癇に障る部分もあるのだが、総じて淡白で端正な基調がしっとりと冷たく気持ち良い。一方、同じボーカルでも声質が全く異なるせいか、カーン(Khanh)、乃至はタイ(Taï)の如何にもアジア人らしい頼りない素朴さは冷たいストリングシンセを背景に可愛らしく映える。各人は総じてテクニカルで達者なのだが、包み込むような雰囲気最優先のアンサンブルは白い霧にまかれたような見事な冷湿感を醸しだしている。元々演歌調のメロディアスな曲調だし、小曲もそれなりの出来なのでチャートに登るようなヒット(要するに「Sister Jane」)もあったようですが、冷やっこくて複雑なアンサンブルが真骨頂だ。

874 jyake10 1986

Electric cafe/Kraftwerk

当時5年ぶりくらいに出た新作だったが、もうそういう時代じゃないと云われておった英語盤。78年の『マンマシン』が完成品として完璧だったと同時に、手法としての限界も露呈していたわけでいろいろな苦慮があったことだろう。前作ではコンピュータ・ネタに避難できたがやっぱり行き着くところは高質な電脳演歌であったか。個人的には後半3曲の絶妙な数学的ゆらぎが好みであるのだが、結果的にこの後、長い沈黙を続けることになる。『マンマシン』以後、数多のパクリ屋たちがブームを煽って、そのカラッポさ故、あっという間に陳腐化させてしまったことも不運と云えば不運だったかもしれない。2000年にシングル? がリリースされてますが、いよいよ今夏新作が出る模様です。まぁ、期待しているというのとはちょっと違うのだが。

「Electric Cafe」
 
電動式カフェ
律動的な音楽
電子工学の音
政治的芸術は
原子力の時代へ
 
電動式カフェ
物質文化
栄養学的料理
力学的芸術は
原子力の時代へ
 
電動式カフェ
電子工学の音楽
韻律学的形象
政治的芸術は
原子力の時代へ
 
電動式カフェ
合成イマージュ
審美的形状
詩的芸術は
原子力の時代へ
 
電動式カフェ
律動的な音楽
電子工学の音
政治的芸術は
原子力の時代へ

最近、『マンマシン』と『放射能』のドイツ語盤を発見したりして、もしかしたら『電動カフェ』もか? とかなり鬱な気分。しょうがない、後期はただでさえポップで媚びてる感が否めないので英語盤は弟に返してやって独語盤買い直そっと。

875 jyake11 1984

E2-E4/Manuel Göttsching

髪も短めにさっぱりとした84年の個人名義快作。テクノ方面では神と崇め奉られる要因になった元祖ミニマル・トランス・テクノ。一応チェスのゲームを模した9曲分の曲名が付いているのだけど60分切れ目無し、CDにもindexは一切無し全一曲、ひたすら快感の遷移ループです。録音されたのは81年12月12日。たったの一日。所謂一発録りというやつですね。シーケンサの発音の上にギターを一発で重ねたのでしょう。リリースはその3年後。クラウス・シュルツェが Inteam というレーベルを作るのに合わせてLPで発売されたそうです。それでも7、8年早かったみたいで世間からは完璧に無視されたそうで89年にCD化されてようやくってところですか。ひたすら透明で明晰な夢見心地。感覚的ですが極めて明解な論理性すら感じられる。もっぱら撞着語法的にしか表現できません。

ところで、いろいろな読みが氾濫しておりますがマヌエル・グトシンクと読めばいいんでしょうか。本家のWeb(非常に充実してます)にも何て読むんだ? って英語圏向けのFAQがありますが。日本盤とか作って高く売りつけてんだから(多分;確証無し)それぐらいドイツ語わかる人に聞けって。

876 jyake12 1979

Crossing the line/Asia Minor

2ndよりも端正で淡々とプログしてる1st。あっさりしてる割に中身は非常に意欲的というか難易度の高そうな複雑怪奇な曲をさり気なく演じております。歌詞も一部トルコ語だったりしてオリエンタル色というか民族色も色濃い。辺境などといっては失礼極まりないが、さすがにトルコ語になるとヨーロッパ言語中心の翻訳サイトでは辛いものがあるな。音響的にもフルートがほぼ全面的にリード楽器だったりするところなど極めて斬新だ。70年代末期だとフランスですらシーンはもう下火というか、アンジュですら一旦解散に追い込まれたというのに不思議なものだ。確かにヨーロッパから見た東方にはバルカンやルーマニアを代表として複雑怪奇なポリリズムが土着的に定着していたのだろうが、その辺りを基盤にトルコ演歌をさらりと載せたぐらいのつもりだったのかもしれない。

877 jyake13 1975

Bonfire goes bananas/Bonfire

オランダの淡白でテクニカルなジャズ・ロック。いろいろ漁ってみたけれど、唯一のアルバムのようでほとんど資料は皆無のようです。目まぐるしい展開ところころ変わる緊張感に富んだ曲調と変拍子のダイナミズムが売りですか。音色はむしろシンプルで端正なのでくどくなくて良いでしょう。バラード風の曲などギターがヤン・アカーマン風だったり、トータル歌無し(ボーナストラック除く)だったりとフォーカスの影響を抜きには語れないだろうが、野放図というよりは小奇麗に小さくまとまった様が可愛らしい。変な灰汁もないし個性には欠けるがリズムセクションはフォーカスよりもずっと上手かったりする。

878 jyake14 1989

Mekanïk kommandöh/Magma

Mekanïk Destruktïw Kommandöh(M.D.K)の元版というかデモ版でしょうか。40分弱と少し短い上に後半はアレンジも含めて大きく異なります。直前にZAO組が分裂して、トップ(Jannik Top)はまだ不在という端境期の録音のようだ。アレンジ違いというよりはメンバーの違いがそのまま現れているだけという気もするか。正規版ほどアンサンブルが分厚く迫って来ないので曲構造はより明瞭かもしれない。コーラスも金管もないという意味では次作の『Wurdar Itah』により近いものがある。狂的なまでのカオスは「M.D.K」に譲るが、ステラ・ヴァンデールの声もよく通ってきれいだよね。ピアノのリフが基調ですが畳み掛ける強迫感と昇りつめていく高揚感は研ぎ澄まされて美しい。個人的には正規版よりもシンプルで良いなぁ。

879 jyake15 1989

Triskaidekaphobie/Le poison qui rend fou/Présent

毎回、宇宙零じゃアクセス減っちゃうからたまにはPrésentなど。え? 余計減る? そんなことはないって。今まで生きてきて宇宙零の話をリアルでしたのはたったの二人だし、それよりマイナーなはずだからOKでしょ。玉手箱だって蓋を開けるまではプレゼントなわけだし、結果的には時制の矛盾を解消してくれた究極のお宝だったわけじゃないか。とはいってもプレゼントじゃないわけで、“今ここに在る”みたいな意味合いであるプレザンの80年と86年に出た1stと2ndアルバムのカップリングCD。1stは『13恐怖症』、2ndは『狂気をもたらす毒』と、まぁ、慶事や御祝儀にもぴったりの出来映えです。そういえばゼロの1stは『1313』というのだよ。何考えてんだろうねぇ。2ndでユニヴェール・ゼロと袂を分かったロジェ・トリゴー(Roger Trigaux)師率いるこれまた極め付きの暗黒チェンバーですが、しっかり(かつ堂々と)ドゥニ尊師も参加なさっておるんでゼロとの区別は管弦楽の代わりにギター入りというだけで内実はよくわからん。ピアノとドラムの超絶変拍子ユニゾンの上を駆けまわる重いベースとロングトーン・ギター。決して派手な音使いはないのだがよくもまぁここまで緻密に裏返しの情念を叩きつけられるものだ。多分この人たちの根底にはR & Bとかジャズの素地はまったく無いように思える。あるいは敢えて排除しているのだろう。既成の音楽の持つ情動的なグルーブ感をここまで拒否し尽くした論理は感嘆を超えて空恐ろしい。

880 jyake16 1992

Berliner requiem/Kurt Weill

クルト・ヴァイル(1900-1950)による1928年の『三文オペラ』と並ぶ同年の代表作「Das Berliner Requiem」、他二曲入り。「Das Berliner Requiem」は「テナー、バリトンと男性合唱、管楽とギター、バンジョー、パーカッションのために」という副題がついた6部に分かれた組歌曲のようなもの。歌詞はもちろんブレヒト(Bertolt Brecht)。内容的にはもちろんクラシックという扱いでしょうが、1920年代ものということで所謂古典とは趣が全く異なります。そのせいでクラシックとしても継子扱いかな。『三文オペラ』のようなポップさは微塵もなくてひたすら暗く冷え冷えとして重い。ドイツ共産党の創始者であり革命家であるローザ・ルクセンブルク(Rosa Luxenburg 1871-1919)の暗殺を追悼した歌曲で、様々な理由により歌詞が(おそらくその土地や体制によって)差し換えられているところが笑えるというか悲しいというか。

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最終更新日 2003/07/01