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2002 | The wheel of time/Sandraエニグマ系は商業路線が鼻につくのだが「まぁ、美人だからいいか」と安直に購入したマイケル・クルトゥーの奥さんのソロ。デジパックのスリーブがありがちなデザインながらもとても美しく決まっているのも好感だったか。エニグマでは歌というよりもボイスという印象が強いのだが、ここでは上手くないなりに一応歌っております。もっとも音響的に徹底的に加工されているので、もはや何が真実かは考えても意味がない。どっちみち、信じるものが真実ということでこの世は成り立っているのだ。稚めの色っぽい声でほわんと歌っているのがいちばん多いようですが、(聞いたことがあるから)曲はそれなりにカバーものだったりするようだ。ダンサブルでミステリアス、と曲調はエニグマをポップにした雰囲気で可愛いっぽいけどちょっと大人向け。 |
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197? | Raccolta di successi N.2/I dik dik以前どっかに書いたディク ディクの歌もの第二弾。66年から73年と時代を感じさせるBattisti-Mogolもの、および英米もののカバー曲集。かなりこてこてのビートポップで、美しいメロディを甘めの声で謳い上げるというありがちな内容ですが、70年代のものはアレンジがくどくない程度にかなり凝っていて静謐に響くメロトロンの音色を堪能できたりするのですね。暖かめのカンツォーネと的確なアレンジが型に嵌まった心地良さと格好良さを演出するのだ。決してテクをひけらかしたりはしませんが、さすがに66年のデビュー・シングル「1-2-3」と70年以降のものとは同じ人間とは思えない進歩と技術的な進展がある。しかし、まぁ、いかにもイタリアのオヤヂって感じのスリーブ写真何とかならんのか……(注;個人的には変に繕っていないところがとても良いと思う) |
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1997 | Shapeshifter+/Gong92年に出た『Shapeshifter』に92年から96年にかけて録音されたボーナス・ライブ・トラック満載。アレン爺さん老いて尚盛んです。ピップ・パイル(Pip Pyle)のこれまた相変わらずテクニカルなパーカッションにディディエ・マルールブ(Didier Malherbe)のシックでお洒落な木管も健在です。もちろんゲストだけどジリ・スミスにマイク・ハウレット(Mike Howlett)まで登場する。もっとも変幻自在な移り変わりがGongであるとも言っておるし、人は一人で生まれてきて一人で死んでいくとも言っている。一応、この形態はShapeshifter Gong(あとPlanet GongにMother Gong、そしてもちろんオリジナルGongと使い分けてるのか)というらしいが、パーマネントな形態にはもう興味が無いようでっすね。そのせいかどうか知らないが、ダンサブルな打ち込みにブレイクビーツまであってそれなりに今風の音作りですが、そこはやっぱりゴング、無国籍でへんてこりんなメロディと拡散して抜けていくスペイシィなトーンは絶品である。後付なんだろうが結果的には『Radio Gnome Invisible 4』を名乗るだけ内容は非常に充実しておりまする。バイオリンはGraham Clarkというジャズ系の人なんですが、音抜けの良さと超絶なインプロが、アレンのふわっとした声との相乗効果で良い雰囲気を作っています。 |
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1973 | Odissea/Odisseaだみ声のカンツォーネと渋くてタイトで格好良く決まるアンサンブルが秀逸な民族系。ありがちなことにこれが唯一のアルバムで詳細はほとんど不詳のようです。アコースティックな歌もの系のリリカルさとキーボード、ギター主体のダイナミックなアレンジが交互に繰り出されるところが聴きどころ。霧にまかれたたゆとうような夢心地と鋭角に切り込む陰陽を合わせもつ。北イタリアのビェッラの出だそうですが、イタリアと云うイメージを裏切ってくれる、かなりシリアスな冷やっこさも堪能できるかもしれない。前に定位していたりエコーの彼方にいたりとなかなか変幻自在なギターの音が、どうもムゼオ・ローゼンバッハを思い出させるか。長い曲はないのだけれど良曲ばかり。 |
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1975 | Il giardino dei semplici/Il giardino dei sempliciえ~っと、これも歌ものというかもろ歌謡曲です。アレンジとアンサンブルはとてもプロっぽい正確なもので歌抜きでも十分聞ける内容でもあります。一応、これが1stアルバムでこの後80年代にかけて4~5枚出ているようですが未入手。インスト曲もあるのだが、最初から演歌を目指しているようで泣きまくり。中途半端なとこがなくて歌もコーラスも上手いし洗練されていて高質です。声質がどちらかといえばさわやか系なので、アナログムーグやストリングシンセの冷やっこい感じに合ってセンス良くまとまっています。一般的に歌ものはアルバムの中でもばらつきが大きいのだが、ほとんど曲の並べ方も含めてトータルアルバムのように聞こえてしまうところも凄い。こういう方向性もあるのねと新鮮な気持ちになってしまいました。ともあれ音の粒と刹那的に抜けていくようなサビがとても美しい。 |
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1994 | The songs of distant earth/Mike OldfieldA.C.クラークの同名小説をモチーフにしたトータル・アルバム。クラークも過去の才気はどこへやら、80年代以降、共著までして老残を晒しています。「2001」も「2010」「2060」とどんどん質が落ちていくし(まぁ、同名映画の果てしない低俗化に比べりゃましか)、「ランデブー」も2、3、4と際限なくへんてこりんな価値観を強要されて、通俗化を重ねていきます。昔が良かっただけに残念です。オールドフィールドも『チュブラー・ベルズ2』、『3』、『2000』(近注;『2003』がCCCDで出てますな)と辿るわけですが、これは『2』の直後に出たもの。ギターの音を除けばディープ・フォレストみたいだよん。ちょこちょこ入る如何にも映画風のSEが平凡でありきたりな上、全体を通して非常に心地良い音でまとめられて、緊張感に欠けるところが物足りないか。それは「宇宙」と「音」が本質的に相性が悪いということに起因する気がする。キュブリックの「2001」が凄いのは基本的に宇宙のシーンは完璧に無音であることなのだ。目の前でどんな途方もないことが起きても無音。ロケットエンジンに点火しても無音。ケツからガス吹いて加速したらどうなるかとか、慣性や姿勢制御などを含めて、当たり前の事を(古いなりに)当たり前に表現する新鮮さなのだ。人にとっての「音」が気体の振動波(それも一気圧の空気という超ローカルな条件付)である以上、宇宙はその表現に「音」を必要としない。 |
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1985 | The head on the door/The Cureニュー・ロマンティックス風ネオ・サイケ(臭い表現だ)のかなり作られたイメージが先行するが、外面は捨象してもかまわないキュア6作目。いきなりニュー・オーダそのまんまの「Inbetween days」で唖然だが、そういう時期だったのだろう。もっともニュー・オーダほど武骨じゃないし、ずっとこしゃまっくれてシックでテアトリカルだからフランスで熱狂的に受けたのだろう。時代も音楽性も全く異なるが、実はマルタン・シルキュ(Martin Circus)やアンジュ(Ange)に雰囲気が似ていると思うのだ。正直、櫛の歯が欠けるような聴き方しかしてないのでなんとも言えないのだが、初期のくぐもったダークでかったるそうな部分が少し薄れてきた気がする。明るいというと語弊があるのだが、ちょっと可愛いというか日が差し込んでいるような上昇感が感じられる。 |
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1975 | Deluxe/Harmoniaハルモニアの2ndアルバム。イギリスあたりで黒っぽい服を着た人達がしかめっ面をして小難しそうな音楽を小賢しく作っていた頃、ハルモニア(Cluster+Neu!)の御三方は白っぽいスタイルで、犬なんか連れて明るい夏の水辺でくつろぐのだった。突き抜けた透明感とミニマルで醒めきった美しさが結晶した完全に時代を越えていく音です。蕩けそうに柔らかく暖かいシンセの音に快適なリズム。ぐるぐるのマニ・ノイマイヤーのドラム入りですが、とうとう三人でへたれで意味深な合唱までしているのには参ったな。 くり返しくり返し 上になったり、下になったり コンラート・プランクがプロデュースだし音響的細工はお手のものだろうが、ミヒャエル・ローターのギターは後のフリッパートロニクスみたいに聞こえてしまうのはわたしだけでせうか。軽やかに剥奪された意味性と徹底的に排除された虚飾は一種の無我の境地であり、自分で造っておきながら激突して初めて存在を知る強化ガラスのスクリーンのようだ。ラストの蛙の声の向うに消えていくピアノに至るまで、周りの空気がほんのり色に染まるような42分間の悦楽。 |
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1974 | Turn of the cards/Renaissance第二期の三作目。中身はトラッドからクラシックのフレーズを散りばめた典雅で少し暗鬱な悲壮感が漂うものになった。良く言えば構築主義的な端正な厳格さ、悪く言えばちょと大袈裟と感ずる部分もあるが、完成度という面では一つの頂点に達した高質さを誇る。それほど長い曲はないのだが、衆目を集めるのはもちろんラストの「Mother Russia」なのだろう。 「Mother Russia」 サッチャーの歌詞は主語の省略が多くてよくわからんのだ。「Mother Russia」はそのまま「母なるロシア」なわけだが、それはそのままイコール「野の草、白樺の森、大河、豊かにゆれる穂波 母なる大地 大いなる祖国」というロシアを象徴する母性文化であり、風土としての土地に対する頑迷なまでの執着なのだろう。例えば、レム(Stanislaw Lem ポーランド人だが)、そしてタルコフスキィ(Andrei Tarkovsky )が『ソラリス』で描いた美しい森のダーチャとその主である老いた母親の表象であり、あるいは革命に追われた亡命貴族の絶えることのない望郷の念の根底にあるものもやはり「Mother Russia」そのものなのだろう。人間の制御できない自然に対する畏怖と憧憬は意外に東洋的であったりもする。 |
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1975 | Mother focus/Focusつい最近『Focus 8』なる新作が出ましたね。見た感じアカーマンが復帰したわけじゃないみたいだし、まだ買ってませんが。こちらは遡ること28年前、曲が細切れに短くなって、妙にポップなベルト・ルュイター(Bert Ruiter)の下手糞なボーカルナンバーまで登場してその手の人にはかなり顰蹙をかった5作目。クラシカルなリリカルさが薄れてジャズ・フュージョンにとって代わられたということか。全12曲と小品集ってところなんでしょうが、インスト曲はそれなりに上出来だと思います。リズムが控え目だけどタイトになったせいか、もっさり感がなくなって、総じてバランスが良くなった。外面の印象としては相変わらず品のない意図不明なジャケ絵で、個人的にはとても損をしていると思う。 |
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1985 | Private parts and pieces V "Twelve"/Anthony Phillips少しポップだった『PP&P-IV』とは打って変わった地味さが渋い『V』は、タイトル通り一年十二ヶ月を表すギターもの。おまけにすべて12弦のアコースティック・ギターなのだ。『12 Vodka Night』というオペレッタがネタのようですが、2弦を同時に弾く12弦ギターのふわりと拡散するミステリアスな雰囲気が堪能できます。如何に刺激的な音を作りだすかに血眼になっているポップ・ミュージックの世界からみれば、ここで繰り広げられている音はBGMにもならない退屈なものかもしれない。ジャケ絵の如何にもイングランド風の寓意に富んだ細密画は『I』、『II』、『III』の頃のPeter Crossに戻ったようだ。鳥が鉄砲もって空飛ぶ人間を撃ち落としている絵が良いなぁ。 |
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1973 | One live badger/Badgerイエスをクビ(本当かどうかは知らないし、90年代には復帰してたな)になった谷啓がつくったバジャーの1stにしてライブ。おまけに本家が『Yessongs』を収録する日の前座だそうで、ここぞとばかりに力が入っております。非常にキャッチーなメロディのブルーズロックといった趣だが、なかなか聞きどころを押さえた出来だと思う。特にイエスではあまり聞こえなかったメロトロンやエレピやシンセがとても効果的に使われていて深みのある音になっている。ライブでこういう音聞かされたらかなり圧倒されるような気がするが、なんでクビになる前にやらなかったのだろうね? 不思議だ。後任のリック・ウェイクマンのようにクラシックの素養もなさそうだし、テクがあるわけでもなくイエスにいたらぱっとしないのかもしれないが、なんのなんの、やればできるじゃないか。数十年ぶりに聴き直してみて、1700円で出てる2作目も買ってみようかという気になったわい。 |
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1972 | Fadervar/Ralph LundstenRagnarökあたりと一緒に買ったのだろうが、経緯をまったく憶えていない。おそらくスウェーデンの現代音楽家と思われるラルフ・ランゼンによる現代バレエのための音楽。とはいってもありがちなクラシックじゃなくてSEとモジュレーションが唸る初期電子音楽という雰囲気ですか。LPのA、B面通しで一曲なのだが、ラストは一般的じゃないがそれなりに盛り上がったりする。しかし、どうにもこれを流しながら踊るバレエを想像できないのだな。なぜならば、ほとんど今風に言えばアンビエントだから。かなり踊り手に想像力が要求されないか? 考えてみたら現代バレエなんて一度として観たことないのだから、ただの不見識な門外漢なのだが少し心配になってしまう。 |
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1993 | Four-Calendar Café/Cocteau twins久々のCTですが、もう新しいのが出ないんだから手持ちの残りは減るばかり。死んでしまった作家の未読本を少しづつ消費しているのに似ている。アルバムとしては最後から2枚目。メジャーに移籍して少し明るくポップになったが、基本的には前作の延長線上か。生音が増えた気もするのだが実際にどうだかは不詳。汎ヨーロッパを背負ったような暗鬱なアイヴォ(4ADの社長Ivo)のくびきから逃れて少しはつらつと若返った気もしないこともない。個人的には比較的あっさりめで似たような質感の曲が多い前半よりも、ラストの「Pur」のようなサビの美しい、うるうる系の曲が良いなぁ。Additional guitarとして館美津男の名前がさりげなくクレジットされていたりする。 |
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1974 | The power and the glory/Gentle giant実はGGの楽曲ってグリフォンの楽曲と共通項があるのではないかと思うこの頃。まぁ、当り前ですが最初に聴いたときはちっとも面白くない。だいたい一ヶ月後くらいに「おぉ! これは凄い!」と打ちのめされるのであるな。毎日10回ループで聞けば四日目くらいですか。こういう遅効性の感動というのはなかなか面白いもんで、ほんとある日何の前ぶれもなく突然「わかる」のですね。捻り過ぎで絶妙に隠された面白みと美しさを認識するのに脳が追いつかない。 ほとんど曲芸まがいの円熟した絶頂アンサンブルが炸裂する中期の作ですが、音を追っかけて聴いていると頭くらくらするわい。細密工芸品のような凝りまくった作りでありながら、ノリノリのファンキィさも合わせもち、もはや何とも形容のしようがない。KCやPFのように演歌にならないというか、深刻ぶったシリアスさに一見欠けているというか、敢えてはずすようなおちゃらけているところが一般的な評価には結びつかなかったようだが、剥けば剥くほど違う顔を見せるというか、聴けば聴くほど新しい発見がある恐ろしいまでの奥行きの深さには正に圧倒される。 実はラストの「The Power & the glory」はアルバムとしての『The Power & the glory』にはもともと入っていないシングルで、要はボーナストラックらしい。シングルの「The Power & the glory」は非常に入手困難を極めていたらしいですが、なんだか敢えて混乱を誘うようなよくわかんないことやってるよなぁ。らしいといえばらしいのだが。 |
784 | (イタリア盤)![]() ![]() (国外盤) |
1975 | Chocolate kings/P.F.Mチョコレートに星条旗のスリーブはマンティコア盤(昔出てたLPもこっち)? だそうで本当はこれが原盤と同じスリーブらしい。ちなみに中央の人物はBig fat mamaというマリリン・モンローを縦にぐっと縮めて、横にガバッと引き伸ばしたような御方で「Chocolate kings」で歌われている人です。原盤にはこの人の巨大なポスターが入っていたそうですが、さすがに本国以外では受け入れられなさそう。 アクア・フラジーレ(Aqua Fragile)から引き抜いたベルナルド・ランゼッティ(Bernardo Lanzetti)を専任ボーカルに加えて、当時の業界を覆っていた(今風に言えば)グローバリズムからの決別を意図したと思われる。おそらく結果的に本国以外でいちばん売れたのは日本だろう。英米で売るために3、4作目から英語まで使って歌ったのに、いちばん受けたのは日本だった! というそんな事実と困惑も彼等の意識に作用していたのかもしれない。もっとも、今も昔も日本人の好みはその3、4作目あたりのリリカルなシンフォであって、その意図や(たぶん敗戦国としての似たような境遇から生まれる)連帯意識を理解したわけではない。元々、ジャッポーネは自由で民主的で、言論の自由や表現の自由が津々浦々、下々まで完璧に広く行き渡った世界でも有数の先進国なので、個人が主義や主張をあからさまにしても友達がいなくなったり、仕事がなくなったりすることはありえないので、音楽にその手の主張をこっそり盛り込んだりする事はまったく好まれないどころかマイナス要因にしかならないという事実を知らなかったのだろう。ね。 「Chocolate Kings」 元々、かなり政治的だったようですがピーター・シンフィールド(クリムゾンのね)をプロデューサに迎え、世界進出を図る段階でかなりぼかす事をマネージメント側から求められたようです。もっともその思惑も次作『Jetlag』で潰えて、不遇の80年代、90年代を民族系ポップでしのぐことになる。当時イタリアで人気があったのはジェントル・ジャイアントとVDGGだったそうですが、GGを継承できたのは唯一PFMだけだったかもしれないなぁ。ソフトで受けの良いメロディアスなバロックという衣を捨てて急速に正体を現した5作目くらい。マウロ・パガーニの最終作でもある。極度に高い緊張感とエネルギッシュなラテン風の音塊が激突して砕け散るようなすざまじさ。拡散しきって返ってこないサビが哀れにも美しい。 |