懐古趣味音源ガイド    其四拾七

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737 jyake01 1973

Musiciens-magiciens/Atoll

CDはライブのボーナス四曲入り。複雑に変わった曲が多くて実は気に入ってたりするのだ。2nd以降よりも曲が短いせいか展開は性急なのだけれど、ゆったりとした抒情性と工夫されたリズム、ジャンルに囚われない新鮮味は見事だと思う。バルザーのボーカルは裏声がかなり多くて自信なさげでか細いのだが、全体のアンサンブルの中で浮きもせず沈みもせず中庸だ。無骨な先駆者Angeに比べれば圧倒的に洗練されて都会風。個人的には色彩感に富んだとてもお洒落で格好良い楽曲と思うが、シンフォしないから世評は低い。スリーブのデザインもいちばん良かったりすると思うのだがなぁ。

レベル低め(dBがね)の非常にフラットな録音(マスタ損傷によるLPからの盤おこし)のせいか音が薄めに聞こえてしまうのでまともな再生装置で聞くとシャープでクリアで良いです。

738 jyake02 1990

Sing lustily & with good courage/Maddy Prior with the Carnival Band

18世紀と19世紀初期の賛美歌集。賛美歌というかその原形というべきか。これらの歌は今でも教会に行けば聞くことができるなどと書かれておりますが、どういうかたちにせよ過去の遺産が継承できる環境があるというのは望ましいことなのでしょう。実際、バレル・オルガンやパイプオルガンが教会に導入される以前は、桟敷席で楽団が賛美歌の伴奏をしていたということらしい。マディ・プライアもすっかりおばさんですが張りのある色っぽい良い声をしています。お祭り楽団のほうはバイオリン、笛、バグパイプ、バンジョー、コントラバスに太鼓と無電化ですが、最近のディジタル録音なので音は素晴らしく良い。内容は一般的な基準から考えれば恐ろしく地味ですが、こう素朴に迫られると宗教に浸れるのも良いものだと思えてしまうところがある。

739 jyake03 1972

Schwingungen/Ash ra tempel

ピンク・フロイドの『More』の裏ジャケ(正確には同名映画のワンシーンだけど)を線画にしただけって安易過ぎないか? とも思えるが影響力があったのだねぇ。ドラムがクラウス・シュルツェ(Klaus Schulze)からヴォルフガング・ミュラーになったよう。1、2曲目でヘナチョコに歌っている、というか喚いているのはアジテイション・フリーの変人ヨハン・L。グートシンク御大も弾きまくっております。後半は『More』のメインテーマみたいなアンビエント風の長い曲(「探求と愛情」)。後半太鼓がドコドコ鳴り始めて、ほわんと霞むようなギターとベースにメロディのあるコーラスが入って少し盛り上がったりする。「神秘」のラストみたいだ。「神秘」よりウェットだったりするところもおもしろい。もちろん全曲薬漬け。

740 jyake04 1972

Sort of/Slapp Happy

ダグマー・クラウゼ(Dagmar Krause)、この頃は意外に蕩けそうな声をしている。一歩間違えるとほとんど少女趣味みたいな幼っぽい声で歌っておりますが、プロだよなぁ。一応1stアルバムという扱いでよいのでせうか。Faustから3人ほど助っ人が出ているようで、録音もFaustの拠点であるヴュンメ(Wümme)で行なわれています。実際このあたりの関係性はよくわからない。基本的にはコンテンポラリのコンポーザであるアントニィ・ムーア(Anthony Moore)とソングライタ兼風刺マンガ家であるピーター・ブレグヴァッド(Peter Belegvad)にムーアの妻(? 事実か?)、歌姫ダグマーを加えたトリオなのだが、演じるのはコンテポラリ・ポップとでもいえば良いのか。けったいでちょっとノスタルジックな人をくった冗談みたいな逆説的な音楽である。シンプルで淡々とオブラートに包まれているのだが秘められた才気はあふれんばかりだ。

741 jyake05 1986

Commercial suicide/Colin Newman

第二期ワイアと平行して出された三?四?作目のソロアルバム。ワイアよりも静謐な芯の突き抜けた感覚が冷やっこい。ほとんどミニマル・ポップといった趣で打ち込みです。ミニマル・コンパクトから掻っ攫ってきたマルカ・シュピーゲル(Marka Spigel)に加えキーボード+エンジニアという構成。ちょうどイギリスのインディからレコメンの発展系であるベルギーのクラムド・ディスクへ拠点を移した頃で、バロックっぽい曲はベルギーの室内楽オケを使っていたりもする。まぁ、元々どこまで本気でパンクしてたのか知らないが、こうしてレコメンやタキシード・ムーン顔負けの音を聞かされるとワイアもあんまり素直に聞けなくなってしまう。いや、良い意味でですが。

Emotion,emotion,what do you feel now ?

742 jyake06 1990

As I came of age/Sarah Brightman

はぁ? って買った憶えがない。実は好きなラファエル前派アーサー・ヒューズ(Arthur Hughes 1832~1915)の『王の果樹園』がスリーブになったサラー・ブライトマン。関係ないけどヒューズなら『四月の恋』の目が醒めるようなラベンダー色が最高です。そんなラファエル前派を撮ったルイス・キャロルの写真も良いのだ。ブライトマンはミュージカル出身の人だそうで歌はとても上手い。聞いたことのある曲ばっかりだからカバー集なのでしょう。まぁ、社会に埋没したおじさんでもたまにはこんなものを聞きながら、鼻歌も歌えるということを示してみたかったわけです。ほい。

743 jyake07 1976

A trick of the tail/Genesis

ゲイブリエルが抜けてダメかと思ったら気を取り直した復活作。フィル・コリンズがゲイブリエルっぽく歌っております。曲はゲイブリエル時代のエキセントリックな部分(とカエル声)がなくなって、よりリリカルに、より様式的に完成された。うかつにもはっとするほど美しかったりして涙腺が緩みそうでちょと困る。ただ音感はやはり完全に別の楽団といってもいいだろう。以前のそこはかとなく漂う少し陰惨な悲壮感はゆったりとした明るめの抒情性に取って代わられた。下の上だったコリンズは最初、三時になるとぴたっと練習を止めてお茶を始めてしまう残りのぼんぼん達に呆れかえったそうですが、良くも悪くもここからコリンズの時代が始まる。

ゲイブリエルかガブリエルかってのは固有名詞だから特定できれば良いのだろうが、普通自分の名前を違った読み方で読まれて快感を感じる人はいないだろうという観点から、まぁ、日本語になる範囲で正確を期するにこしたことはないよね、というぐらいの意味合いです。ほとんどの日本人は自分の名前を中国語読みされたらむかつく(英語訛りならニッコリしちゃう)んでしょ? タイペイをあくまでタイホクと言い張る国営放送も不愉快この上ないが、どっかの人気知事に「偉大なるトンキンぎょうせいいんしゅちょう様」とか言ったら顔真っ赤にして頭から湯気立てて激怒しそうでしょ? 戒厳令くらい出るんじゃないか? 要はけっこう微妙な問題が含まれていることであって考えなしじゃまずいのだろうということです。自分で呼びたいように呼ぶとか、書きたいように書くなんてのはマスコミと同じレベルではなはだ傲慢なだけだと思うのです。個人的には単純に面白い方が好みだし、わかっていて、あるいは意図を込めて間違えるぶんにはかまわないんですがね。私は一応、ピーター・バラカンがゲイブリエルって言っているんだから正しいんだろうという、これまたはなはだ根拠薄弱な推測のもとにゲイブリエルと表記しております。フランス語とかイタリア語なら「ガ」なのだろうけど。

744 jyake08 1977

Inédits/Magma

70年代中期のライブ音源を中心にした正規盤だが元はブートらしい。今みたいにちょいと検索かければなんとかなるのとは異なって、当時は資料がなんもなくて買うのに勇気がいったわい。セピア二色印刷の如何にも安っぽいデザインだなと思ったら、やっぱり音が悪いのだ。トップ(Janik Top)のとんでもないベースソロが聞けるとか、他には入っていないかなり格好良い曲が聞けるとかということで良しとしよう。前半は曲はおとなしめだがトップのベースが炸裂、後半はバイオリンやギターも入って超絶変拍子の怒涛のリフレインの応酬でものすごい迫力。変な曲ばっかりですが最後の曲「Gamma Anteria」の8分近くに渡る生ピアノのリフが、もう如何にもマグマです。

745 jyake09 1971

Mythos/Mythos

ミュートスというのか? 神話の意らしいですが、中身はサイケでクラシカルだったりフォークっぽかったりと取り留めがない。ごつめのフルートとメロトロンのアンサンブルはこの時期のドイツものには結構特有かもしれない。原始的な東洋志向はアモン・デュールを思わせたりもするのだが、年代物にしてはアレンジや展開、構成は破綻がなくてまとまっている方かもしれない。それにもまして最大の特徴は暗いこと。ジャケのコミカルな感じとは全く裏腹に、ただひたすら虚無的に暗い。後半の組曲はマシンと人間の戦いがテーマみたいですが、これまた象徴主義の地平に埋没してしまったような暗澹たる絶望感だ。

746 jyake10 1972

Marburg/Pellmell

名前の通りいろんな要素がごちゃ混ぜになっているペルメルの1st。同じくドイツものですが、こっちはスメタナの「モルダウ」で有名か。アレンジはかなり秀逸でバイオリンは特にクラシック基調の正統な艶やかさを持っている。もっとも、いちばん良いのがその「モルダウ」だったりするのが少し悲しいか。一瞬エスペラントとかベガーズ・オペラかと思うところもあるが、リコーダとバイオリンとメロトロンの絡みが最高でっす。あんまり上手くない甲高いボーカルがどうもとっぱずれていて、雰囲気がリリカルに流れそうになるとぶち壊してくれます。ベースがこれまたかなり暗めなので余計目立つともいえるし、適度に破綻してちょうど良いともとれる。

747 jyake11 1987

Remembrance days/The dream academy

デイジーの真中の赤はポピーかバラか? 小さくてわからん。おそろしく少女趣味で少し可憐な2nd。ポピーの野原を駆けていた想い出の日々ってとこですか。すっきりとした清浄感とクラシカルなアプローチ、非常にこなれた感じで自然に嫌味なくまとまった。灰汁もうまく消えてるし、曲の出来も良くて気持ち良いです。ネオアコだからってアコースティック・ギターをこれ見よがしに抱えなくなったとこも好感で、ちょっと70年代後半のジェネシスやピーター・ゲイブリエルのソロを思わせる端正な英国趣味までちらほら。音(音響)に対するこだわりとドラマチックに凝った展開の曲も多かったりするんで、ネオアコっていうジャンルからは逸脱しちゃっています。

748 jyake12 ????

日本の民謡<其の二>

「月がぁでたでたぁ~月がぁでぇたぁ、よいよい」っと。

どうも電化民謡とか打ち込み民謡は流行らないらしいので誰も作ってくれない。雅楽とか筝曲のリアレンジなんかは偶に見かけるが、やっぱり高尚じゃないと食えないのかなぁ。そんなわけで古臭い音源を使った100円CDの出番だ。CDDBで探すとなんとたまげたことにちゃんとヒットしたりして怖い。もっともうちのWinampパッチ当ててないからマルチバイトだと化けるんで読めません。

本質的に掛け声とか入っちゃってグルーブ感に満ちゝたダンサブルな音が多いのですが、実例としても「佐渡おけさ」なんかしつこく踊った憶えがあります。もちろん小学生だった私は「じゆうとみんしゅしゅぎ」の時代に前近代的過ぎないか!と嫌で嫌で堪らなかったのですが、踊れぬならば踊れるようになるまで踊らされるという教育を受けた世代であります。「先生! 佐渡おけさはカッコ悪いんで、花魁道中とか粋なのにしませう」と言って露払いを志願したんですが、あえなく却下された上に「きみはふざけ過ぎだから皆がよいというまで踊りなさい」と言われたよ。一回でOK出してくれたエリちゃん、ありがとうね。5回目もダメダメと言いやがった○田よ、おまえのことは一生忘れない。

749 jyake13 1971

The yes album/Yes

『Close to the edge』も良いけれど、いちばん好きなのは実はこれ。コンパクトで粒よりの曲ばかり、おまけにベースラインが格好良いのだもの。リードを弾きまくりで(ボーカルよりも)ベースがいちばん目立っていたりするところも常識を覆しておる。その上でスリリングなまでのテンション、全体のバランスとすべてにおいて文句のつけどころのない完成度の高さと瑞々しさ。一般的には地味なせいか意外に軽視されていることが多いようだが、聞いたことがある人ならば同じ感想を抱くに違いない。キーボードはトニー・ケイなんだが谷啓(谷啓がパクったのはアメリカの芸人)みたいでいいなぁ。スタイルとしては古臭いのかもしれんが変に(クラシックに)かぶれてなくて、モラーツと共に好みであるぞ。

750 jyake14 1975

Maxophone/Maxophone

時期的にも後発だし、たった一枚のアルバム(英語盤があるそうだが)で消え去ったのだが、残された一枚は文句のつけどころのない逸品です。先細りと停滞と様式化の時代のなかで残された数少ない可能性みたいなものだろう。ポップで流れるような華麗さと端正に作り込まれた音がさっぱり系のカンツォーネと絡み合う様は正に珠玉の名品にふさわしい。アレンジもクラシカルな楽器の使い方や音色へのこだわりなど非常に高質でプロっぽい。テクニックをひけらかしたりしないところも大人ですね。かといって嵌まり過ぎてつまらないわけではなく、これまたはっとするほど新鮮な展開とイタリアものには(ミラノものにしても)珍しいまでのくどくならない優美さが見事である。

751 jyake15 1971

L'uomo/Osanna

普通、卑近なイメージにあるイタリアにいちばん近いのはたぶんオザンナなのだろう。陰と陽、青とオレンジの強烈なコントラストと雨季のような湿った冬寒さが横たわる1st。たぶん平均的な北イタリア人よりは年間の乾燥パスタ消費量が多いわたしが言うのだから間違いはあるまいて。元はナポリのチッタ・フロンターレ(Città Frontale)なのだがミラノに出てオザンナに成る。基本的には後の『Palepoli』に繋がる路線にあるわけですが、意外に何曲か英語で歌っていたりしてさっぱりしたイメージを出そうとしていたようだ。もちろん、放っておいてもエリオ・ダンナのフルート、サックスとルスティチのでろでろ粘着ギターが絡みまくってアングラ・サイケになってしまうのだ。手数の多いドラムは固めだし、リズムはけっしてどよんとしているわけではないし、アコースティックな音感も捨てたものではないのだが、この湧き上がるような暗さと無常感、無音から最大音圧に達するまでの瞬間的な狂気は情念を揺さぶる。1stにしてオザンナ以外にはできないオリジナリティと何の神を称えてるのか知らないがその邪神と異端を賞賛しよう。

752 jyake16 1992

Dimensione onirica/Corte dei miracoli

おそらく1st以前の(73、74年頃)デモを録り溜めたMellowの発掘もの。1stとはラインアップが異なっています。内容的には音悪いしブートに限りなく近い。1stにならなかった一部の曲とストリングシンセが大幅にフィーチャされていないアレンジ違いが楽しめます。難しい話は抜きにして基本的に非常に好みなので手放しで喜んでしまうのだ。ダブルキーボードにリズム隊、何故かドラムの後で弾いてるギターの若造という五人ですが、写真だとトッティみたいな右側のキーボードの片割れが歌っているようです。上手くはないし線が細いのだけれどカンツォーネにならないところが暑苦しくなくて希少価値。ギターのあんちゃんはドラムの後だからといってサポートじゃなくて正規のメンバーらしいのだが変わっている。左のキーボードがコンポーザでもあるアレッジオ・フェルトリ(Alessio Feltri)みたいですが、良い曲書くのだよなぁ。こういうの今の技術でやったら物凄いものができるような気がするのだが儚い夢か。ちなみにジャケ絵の抽象画? もフェルトリ作。

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最終更新日 2003/01/02