やっと届いたエプソンの「リスタブルGPS」をつけてウォーキング。玄関を出たところでGPS信号が受かるのを待ってスタート。ウォーキングコースのマイル・プレートで距離を確認する。プラスマイナス10メートルの範囲に確実に入る。pebNoteの表示ともおおむねあう。

 pebNoteの歩幅設定はマイル・プレートを目安にアジャストしたものの、歩幅89センチというのはいかにも広すぎるような気がして、いまひとつ信頼していなかったが、それほど不正確なものではなかったようだ。11.91キロ、1時間48分32秒、平均速度6.58キロ/時、消費カロリーは672kcal。ラップごとの平均ストライドは80~122センチ(122センチは信号にあわせて走りがあった区間)。

 PC接続するとデータがエプソンの専用サイトにアップロードされる。ラップタイム(500メートルごとに設定)も一覧できるし、歩いたコースを地図上に表示もできる。じつに楽しい。ウォーキングに楽しみがひとつ加わった。

 台風17号。東海地方に上陸。首都圏は進路の東側にあたるので風速30メートル程度になるとの予報。屋上の鉢植えを全部待避させた方がよさそう。**(家内)はけさ早くPTA4人組と北海道旅行に出た。独り作業。重たい。とくにナスを植えたプランターは超重量級。腰にピクピクくる。中腰が一番危ない。この3日間にぎっくり腰になったら、大事。(9/30/2012)

 このところシステムが不安定。突然、シャットダウンする。負荷がかかったとき・・・というイメージ。いったんダウンすると、すぐにスイッチを押しても起動できないか起動途中でダウンする。

 熱暴走かもしれない。心当たりは、ことしはじめ、電源を交換した際CPU部分の熱放散用と思われるダクトがうまくつけられなくて、取り外したままにしたこと。

 ただ、夏場の暑いときには発生しなかったのに、この時期になってなのはどうしてか・・・そうか、エアコンを入れてないからか。

 マザーボードについてきたユーティリティ・ソフトでみると、システムが57℃、CPUが66℃。適正温度が何度かは分らないが、グラフは既に赤線になっている。唯一の青線グラフはCPUファンの回転数、標準1,500rpmに対し2,586rpmというのはいかにも頑張りすぎの印象。

 タスクマネージャーで見て、数%までゆかない状況でこれということは、負荷がかかると裕度がなくなるのかもしれない。

 配線を全部取り外してラックから降ろすのは、きょうのように暑い日には気が重い。とりあえずエアコンを入れるという安易な対策に逃げ込むことにした。それにしても、ことしはなかなかすんなりと涼しくならない。いいかげんにしてもらいたい気分。(9/29/2012)

 入院以来やめていたウォーキングをおとといから再開。3週間ぶり。

 体重は入院時の「ダイエット」で3キロほど減少したため、入院の前後の一週間移動平均値はさほど変わっていない。だが体脂肪率は確実に上がっている。入院直前はおおむね13%前後、13.5%を超えることはなかったのに、退院後は14%台にのってしまった。就寝時の内臓脂肪レベルは時々10に達するようになった。経験的には次のステップでは必ず体重増加に転ずる。

 とりあえず、一日、10,000歩のノルマだけはクリアすることにした。愕然としたのはさほどのピッチウォークではないのに、5キロポイントを超えたあたりからへばりが来たこと。3週間ていどの手抜きでも体の方はたちどころに安易な方に順応するようだ。

§

 朝刊から。

見出し:「電気代2倍」ひとり歩き/原発ゼロ、試算の最大値/関係業界が負担強調
 原発をなくすと、電気代が2倍に――。そんな試算をもとに、原発の必要性を訴える声が広がっている。根拠は、2030年を想定して政府が出した数字の一つ。実は、同じ試算では「原発を使い続けても電気代は1.7倍」ともある。危機感をあおる数字だけが、ひとり歩きしている。
 「原子力発電ゼロとなると、電気料金は最大約2倍に上昇する」。政府が30年代の原発ゼロをめざすと発表した14日、九州電力が異例のコメントを出した。
 「原子力という選択肢は失うべきではない」「国民負担が増える」など、政府の決定に真っ向から反対する内容だ。九電は、発電量の約4割を頼ってきた原発が使えず、火力発電の燃料費がかさんで大きな赤字を抱える。瓜生道明社長は記者会見で「料金は2倍になるかもしれない。企業が国外に出て若い方の職場もなくなる」と強調する。
 日本鉄鋼連盟も18日に「電気料金は最大で2倍以上になる」と指摘したほか、経団連などはこの数字をもとに「経済への影響が大きい」として、政府の原発ゼロの方針はお金がかかると批判を続ける。
 原発を動かさないと、なぜ電気代は2倍になるのか。いずれの根拠も、政府が6月に公開した数字にたどりつく。30年の原発比率を「ゼロ」「15%」「20%」「25%」とした場合の家庭の電気代への影響を、国立研究所や大学教授などが試算したものだ。
 原発をゼロにする場合、30年の2人以上世帯の平均的な電気代は、四つの試算で10年と比べて1.4~2.1倍。石油や天然ガスなどの値上がり分が含まれるほか、再生可能エネルギーを広げていくには、原発を使い続けるよりお金がかかるとされているためだ。
 ただ、原発を維持する場合もこれらの費用はある程度必要だ。試算によれば、原発依存度を東日本大震災前とほぼ同じ25%とする場合も、電気代は1.2~1.7倍に上がる。つまり、原発を動かし続けても値上げは避けられない。にもかかわらず、10年との比較の「最大2.1倍」の数字だけが、抜き出されている印象が強い。(渡辺淳基)

●「半分」の試算も
 もともと原発がない沖縄電力の今年11月の電気代を、本土の6電力会社と比べてみると、月300キロワット時使う同じ家庭のモデルでおよそ1.12倍高い。原発を動かさないだけで、単純に料金が2倍になると考えるのは難しそうだ。
 7月に「原発をゼロにしても、電気代は現在の半分近くに減る」という試算も発表された。科学技術振興機構の低炭素社会戦略センターがまとめたもので、電気の単価は上がっても、家電製品や住宅の省エネが進めば、消費量は大きく下がると見込んでいる。政府の試算には、こういった省エネの影響分は十分に織り込まれていない。

 この記事の注目点はふたつ。ひとつは「ただ、原発を維持する場合もこれらの費用はある程度必要だ。試算によれば、原発依存度を東日本大震災前とほぼ同じ25%とする場合も、電気代は1.2~1.7倍に上がる」という部分。もうひとつは「もともと原発がない沖縄電力の今年11月の電気代を、本土の6電力会社と比べてみると、月300キロワット時使う同じ家庭のモデルでおよそ1.12倍高い」という部分。

 この記事にはふれられていないが、原発のない沖縄電力の電気料金にも「電源開発促進税」は含まれている。一般家庭で月額約110円。原発がないにもかかわらず、沖縄県民は、原発立地地域をあまやかすカネと吸血鬼のような原子力村の詐欺師どもを養うカネを負担させられている。

 原発大好きの人々には、もし第二、第三の福島事故が起きたらどれくらいのコストが発生するのかなどというシビアな質問をするのは遠慮して差し上げよう。そんなことを言ったら、粗雑極まる頭脳がヒートアップしてショック死するに違いないから、呵々。

 だから、いままで通り、原発の安全神話は今後も維持されるという前提でよい。しかしコスト比較をする以上は、もう少し現実的かつ公正に算出していただきたい。現在の原発コスト試算には使用済み核燃料の処理費用は非現実的なほど安く計算されているし、電源開発促進税などもコストに算入されていない。なにより数十年ごとに廃炉と新規建設を繰り返すコストはまったく織り込まれていない。つまり「放射能処理コスト」は最初から勘定に入れないという、およそ非科学的で非技術的な浮き世離れしたコスト計算がなされている。これはあらためてきちんとコストに参入した上で、ゼロシナリオと比較しなければ、何の意味もない。それでも原子力発電のコストは安いか。答えははっきりしている。

 もういい加減、「原子力発電のコストは安い」ということも「安全神話」同様のたんなる「神話」なのだということに気がついてもいいころだが、まあ、この国の人々はよほど「神話」好きらしい。こんなバカどもとつきあわねばならないとは・・・。あ~あ、つくづく、嫌になる。(9/28/2012)

 安倍新総裁できのうの夜のニュースは持ちきりだった。橋下のナントカ維新の会もそうだが、取るに足らぬものをおもしろおかしく持ち上げるマスコミのバカ騒ぎがこの国の政治を悪くするひとつの要因になっている。「視聴率のとれるニュース作り」というのは「バカのためのニュース番組」に「バカにピントを合わせた受けを狙ってポジティブ・フィードバック」をかけるのだから、発振して発狂状態になるのは何の不思議もない。

 中味ゼロの政治屋でもあちこちで取り上げられれば、それなりのものに見える。テレビショッピングの常連、役立たずの便利グッズ、値段が高いだけの健康食品、プラシーボ効果が頼りのサプリメントのようなものだ。「カモ」を騙すのに苦労はいらない。きのうの晩は、テレビ各局のニュースにモテモテ、したり顔でしゃべる安倍の表情を見ながら、このていどの「商品」が「売れ筋」なのかとひそかに嗤った。

 それにしても、恥知らずの安倍自民、第二自民党と化した野田民主、東国原よりは長持ちしているがいずれ馬脚をあらわす橋下の日本維新・・・今度の選挙はどうしようか。はじめて意図的な棄権をすることになるのかと暗澹たる気分でいたら、朝刊に「小沢氏ひっそり」という見出しを見つけた。

 資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐり、一審無罪となった「国民の生活が第一」の小沢一郎代表の控訴審が26日、1回で結審した。周辺は「無罪を勝ち取る公算は大きくなった」とみており、小沢氏は「第三極」との連携をてこに復権の機をうかがっている。
 小沢氏は26日、東京高裁に出向き、約5カ月ぶりに法廷に立った。民主党離党で、自らの勢力は最盛期の3分の1に減って政治的影響力は大きく低下したが、小沢氏周辺からは「無罪を勝ち取って次期衆院選を迎えられればいい」と期待の声があがる。
 最近の小沢氏は国会内の事務所でひっそり選挙対策に専念。次期衆院選で100人規模の党公認候補擁立をめざし公募を始めた。生活への支持が薄い選挙区では無所属での擁立も検討。他党との連携も課題で、小沢氏は26日夜、新党大地・真民主の鈴木宗男代表のパーティーに出席し、「鈴木氏から元気をもらって、一緒に手を握ってお国のために最後のご奉公と思って頑張りたい」と語った。

 指定弁護士が提出した元秘書二人の供述調書は不採用、証人申請は却下、したがって即日結審。ということは原判決が維持される可能性が高いということだろう。判決は11月12日。ちょうど旅行から戻る日のことだ。

 高裁でも無罪となった場合、指定弁護士はどうするのだろう。控訴審に際し、指定弁護士、大室俊三、村本道夫、山本健一の三人はわずかに小沢の元秘書二人の供述を新たにとったていど。しかもその二人の秘書は2000年ごろまでのメンバーで、事件当時にはとうに辞めていた由。あとは一審に用意した証拠のみで臨んだ。相当の手抜き。これも恥知らずを地でゆくような仕事ぶり。はた目には120万の報酬(これは最大値らしい。即日結審ならばここまではゆかない)のみが目当てと疑われる「手口」だ。常識的には上告はありそうもない。(上告理由は、通常、憲法違反、判例違反ないしは重大な事実誤認に限られる。一審は石川知裕当時秘書の虚偽記載意図などはすべて認定しているので、高裁がその部分を取り消さない限り、「重大な事実誤認」という上告理由は主張しにくいだろうと思われる)

 小沢としては野田が「近いうち解散」を引き延ばす方に賭けて、野田民主には絶望、かといって変わり映えのしない自民に入れるのも、前回の民主以上に口先ばかりの日本維新もいまひとつ、どうしよう・・・という選挙民をどこまで拾えるかにチャレンジするのではないか。

 小沢は嫌いだ。その政治手法も嫌だ。しかし安倍自民という悪夢よりは・・・ウーン、悩ましい。早く「緑の政党」が出てこないか。ある意味、チャンスなのに。(9/27/2012)

 自民党の総裁選、結果は安倍晋三。一回目の地方票(党員・党友)を含む投票では石破、安倍、石原、町村、林の順だったが、一、二位決戦となった二回目の国会議員のみの投票で安倍が勝った。これで自民党が「昔の名前で出ています」という状況にある、つまりなにも変わっていない、ということがよく分かった。

 安倍は「美しい国へ」という駄本を著したことになっている。べたべたに情緒的な本で中味はほとんど何もないが、読み終えると安倍の言う「美しい国」というのはおそらく大日本帝国のことだとわかる。

 その大日本帝国を築き上げた精神の源流は「武士道」にある。武士道の根幹はなにか。それはなによりも名誉を重んずることにあった。逆から言えば(正確さに欠ける書き方だが)、恥ずかしいことはしないということだ。原子力資料情報室を作り一貫して原発の危険性を訴え続けた高木仁三郎は、士族の誇りを持った祖母に「志と異なることがあれば、切腹してでも節を守れ」と教えられ育ったそうだ。(「人脈記-石をうがつ」最終回。9月24日夕刊)

 切腹というのは命を軽視しているわけではない。命の大切さは心得て、なお、名誉を重んずる(「信なくば立たず」に類しているかもしれない)結果として万やむを得ずとる意思的行動だ。

 とっくに消え失せた「日本の美しさ」を支えたもののひとつが「なによりも名誉を重んずる(いかなるときも恥ずかしいことはしない)」ことであった。

 安倍が、もし、たんなる憧れではなく、ほんとうに心の底から「美しい国」を標榜するならば、腹痛を起こしたぐらいで志を枉げてはならなかった。たとえば大平正芳はそうではなかった。

 まあ、時代はとっくに変わったのだから、宰相の職など命に代えるほどのものではなくなったのかもしれない。だから、覚悟のほどが腹痛で「変更」されてしまうのも「アリ」なのかもしれない。しかしそれでも、その前歴を持った者が、またぞろ、宰相になれるかもしれない、宰相になろうと考えるのは、いささか恥ずかしいことではないか。ついでに書けば、大日本帝国を滅ぼしたのは、そういう根幹を忘れた似非武士道(栄達の名誉のみを追い、口ばかりの勇ましさに終始する)だった。

 福田康夫が、今期季限りで引退する由。その気持ち分らぬでもない。無恥の下衆がはびこる状況にはつきあいたくないのかもしれぬ・・・と、思ったら、道を譲る後進は息子という、なんじゃ、こりゃ。(9/26/2012)

 4時ちょっと過ぎにお手洗いに起きたらもう眠れなくなった。5時をまわったところで起き出してPCを起動すると、朝日のサイトのトップは諏訪根自子の訃報だった。彼女の演奏を聴いたことはない。だが日本人バイオリニストの名前で最初に憶えたのが諏訪根自子だった。名古屋から東京に引っ越したばかりのこと、散歩から帰ってきた**(父)さんが「諏訪根自子の家があったよ」と言った。

 「ねじこ」という変な名前だったことと、妙に興奮した**(父)さんの口調が強い印象を与えたからだったと思う。**(母)さんは「お父さんは美人が好きだから」と言った。その口振りがちょっと尖っていて、よけいに記憶に残った。

 いま調べてみると諏訪根自子は1920年生まれ。**(父)さんとはひとつ違い。サイト掲載の1936年撮影の写真を見ると、なるほどこれは大変な美少女。**(父)さんによらず、同世代の男の子は相当心を奪われたのだろうし、少し年下の**(母)さん世代の女の子のあいだでは好悪が相半ばしたのかもしれない。

 訃報はきょうだが、記事によると3月(3月6日)に既に亡くなっていた由。92歳。

 どうでもいい話だが、「美人ピアニスト」と「美人バイオリニスト」、いずれに惹かれるかといえば、文句なしに「美人バイオリニスト」ということになる。それはピアノという楽器とバイオリンという楽器の性格の違いが理知的な美人と官能的な美人という予断につながっているから。

 ネットで見られる何枚かの諏訪根自子の写真は、「官能的」というにはちょっと違う感じがあって、それらを見ているうちに猛烈に彼女の演奏に興味を掻き立てられた。

§

 きょう、尖閣海域に現れたのは台湾の漁船と巡視船。その数、約40隻+8隻。海上保安庁の巡視船との間で攻防戦を繰り広げた。攻防戦といっても、漁船の前に我が方の巡視船が敵前大回頭を試みたり、併走して放水攻撃をする。すると敵方の巡視船が割って入るとともに我が方の巡視船に放水で反撃するなど。ニュースでその様を見たが、ちょっとした「ダンス」。

 そのダンスも面白かったが、それを報ずる我がニュースの方がもっと面白かった。まず、我が方の巡視船の放水は違法行為を制止するために合法の活動だが、敵方の巡視船の放水は我が方の取り締まり艦船に対する放水なので国際的には違法だと解説した。これは慣習法のレベルのはずで、むしろ、そういう慣習があるのは、双方の巡視船が本格的な衝突に至らないための「知恵」なのだということをきちんと伝えるべきであろう。もっともそう解説すると「棚上げ」の知恵を反故にし、今回の結果を招いたのはどこの誰だったかという話につながりそうだから避けたのかな、呵々。

 さらに面白いのは「比較的穏当な領海侵犯である」というような解説で中国とは違うと言いたげなことと、そして漁船団の活動の費用を負担しているのが台湾の新聞とテレビ局をおさえる新興企業主で親中国系の人物だと繰り返したこと。たしかに中国本土の暴動に近いデモとは違うが、海上に関して中国漁船はクリティカルな海域に現れていないのだから比較はできない。

 また「背景」に関してなにがなんでも中国と結びつけずにはおかないというところが可笑しい。先日の保釣行動委員会は台湾から派生したグループで、もともとは大陸中国の自由化を訴える反中国活動がメインの組織だった。つまり、尖閣に関する限り、大陸と台湾の主張に違いはなく、むしろ「中華圏」として対抗してくるというように認識した方がいい。ことさら違いを強調するとほんとうのところが見えなくなってしまうだろう。既にアメリカ本土やヨーロッパで、中国系の住民が尖閣に関するPR活動をはじめている。これらには本土系・台湾系の色分けはない。共通して「日本がオレのものだと頑張っている。ほんとうに日本って国は『困ったちゃん』なんです」と主張しており、互いに「日本のものでないのと同様、台湾(中国)のものでもない」と中台双方が領有を争っているわけではないのだから。(9/25/2012)

 数年ほど前、まだ勤めていたころに吹上工場で行われた矢吹晋の講演を聴いて以来、中国に関わる事件があると「矢吹先生はどうおっしゃっているのだろう」と思うようになった。

 先生のホームページには、現在、トップに「尖閣問題の真相-田中角栄・周恩来会談を読む」という文書がおかれている。副題には「田中・周会談」とあるが、文書の内容は1972年の田中・周会談だけではなく、1978年の園田直・鄧小平会談についても書かれている。日中は二度にわたって「尖閣棚上げ」を暗黙の約束、共通の認識として確認していたということ。その会談記録を外務省の小役人が改竄していたこと。そしていつの間にか、「尖閣問題について日中間に黙約・共通認識などはない」とされ、こちら側には「尖閣は日本固有の領土である」という理解だけが流布することになったという。

 「日本固有の領土である」という主張はよい。問題は中国にも「固有の領土である」という主張があることを念頭に置いて、このことだけの応酬によって尖閣における「得べかりし利益」よりもはるかに大きい二国間の利益を損なわないために、両国政府と国民が「小異を捨てて大同につく」ように振る舞うことが求められているのにそれができない。これが現在の状況。

 保守主義というものは田中や、大平や、園田がとった姿勢に現れている。主義主張に忠実に、理念先行でかっちりとやることよりも、長い間の慣行を尊重し、それに従いながら発生する問題について微調整を図ることの方が、安定的に社会を維持できるという考え方。

 自分一人、あるいは当代の人間のみの知恵には限界がある。知恵の至らなさを明確に意識すること、ここに至るまでに累積された(はずの)知恵に畏敬を持つことこそが保守主義の基本のはずだが、なぜか、この国の「保守主義者」はそのことを考えようともしない。

 人間にとって本質的に統御不能の原子力に走った愚かさも然り、棚上げにより鎮まっていた海にわざわざ波風を立てかえって鬼子を起こし茫然自失する愚かさも然り。この国の自称「保守主義者」には、左翼的理想主義・急進主義以上に、右翼的痴愚・魯鈍が目立つ。それはたぶん本来の保守主義と縁のないバカ右翼が左翼の「べき論ウィルス」に感染しているからだろう。(9/24/2012)

 雨がシトシト日曜日、ボクは独りでキミの帰りを待っていた・・・愛唱したわけでもない曲が突然浮かんできた。会社をサボって吉祥寺の「バロック」の片隅で鬱々とした気持ちを慰めた午後のことを思い出した。冷たい雨の降る日のことだった。日記を繰ってみると92年10月29日のこと。20年も前か。

 その日からその年の暮れまでのくだりを読む。いまのように毎日書いているわけではない。しかし記述のない日についても、前後の日から意外に記憶はたぐれるものだ。

 バブルがはじけ「失われた10年」が始っていた。12月9日にはこんなことが書かれている。

 一日、新宿でデスクワーク。午後はあしたのISO-9000キックオフの準備。午後統括部長が課長職以上を集めてあした支給予定のボーナス、管理職は相当のカットがある旨説明。なんと底の浅い日本経済であることか。横並びの愚も、企業防衛優先の思考も。
 残業規制日。ボーナスカットの件がなくても、早々に退社。あしたの会議の資料をつめた紙バックを右手、鞄を左手に。まあ、かつてほど真面目に働いていないから、これもまた善き哉。我は面従腹背の徒なり。

 ISO-9000認証取得プロジェクトをスタートさせたころ、先行例は横河電機くらいだった・・・と、これは客観的な事実。プロジェクトを立ち上げたのは横河が認証を取得したからだった。正確に書けば、DCSについて横河をライバルと考えていた統括部長の**さんの考えだった。もっと書けば、計測出身の**さんには、後輩ながら計測事業部長になった**さんの鼻をあかしてやりたい気持ちも隠れていた。二人の仲の悪さは公然の事実だった。電話で大声を張り上げる場面に何度も出くわした。ふだんクールなだけにずいぶんと滑稽に見えたものだ。とまれ、会社組織などというものはそんなことで動いたりする。

 実務担当としては開発企画部門が「べき論」先行で品質管理部門に事前の挨拶もなく品質マネジメントシステムを立ち上げようとする「無理」を、事前にどう消化しておくかというところから手をつけなければならなかった。馬を川岸に連れて行くことはできるが水を飲ませることは難しい。隠れた動機が動機だけに品質向上は二の次だった。だから工場でほんとうに品質を考えている人を説得することはできなかった。(彼らの多くはその数年後のリストラ時に対象になったような印象が残っている)

 ISO-9000には、そもそも、そういう品質向上には直結しにくい「性格」が秘められていた。実際、品質ISOが品質の向上はもちろんのこと、品質保証にすら役立たない場合があることは、そののち、だいぶ経ってから三菱自動車リコール隠し事件が証明してくれることになる。

 「かつてほど真面目に働いていない」という言葉は、縮み思考の計測事業部カルチャーへの違和感、「内向きの仕事など入り金にどれほど貢献するものか」という反発の気持ちが書かせたのだろう。そのころの鬱屈がうかがえる。思えば水技を離れてから仕事は急速に面白くないものになっていった。

§

 秋場所は日馬富士が全勝優勝。これで横綱昇進は確定。旬の関取は「強いなぁ」と思わせるのだが、翌場所になるとカラリと様相を変えてしまう・・・最近の大相撲の印象。せめて横綱くらいは半年、一年、メッキの剥がれることのないようにお願いしたいが、どうだろう。(9/23/2012)

 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもの。さしものしつこい残暑もけさはウソのように消えた。書斎の雨戸を開けて、網戸にはせず、ガラス戸を閉めた。やっと秋。一年中で一番好きな季節。

 **(家内)と渋谷のBunkamuraでレーピン展を観る。中野京子が「怖い絵」シリーズで紹介した2点のうち「皇女ソフィア」が来ていた。なかなかにすごい絵だ。権力者の凄みを描ききっている。

 もう一方の「イワン雷帝とその息子」の方は習作の展示。完成作では投げ出されたように人物の手前に転がっている杖は、この習作では雷帝の右手に力なく握られている。こちらの方は「犯行」直後、完成作はそれから少し時が経って自らの逆上の深刻な結果に直面したところということか。小さな構図の変更にはレーピンの計算を読み取れる。

 あまり知られた絵ではなさそうだが、「思いがけなく」というタイトルの絵も面白い。思いがけなく帰ってきた人物に驚く家族と思われる人々の表情それぞれに、どういう感情を読み取りどういうセリフを割り当てるべきか、十分に高尚な娯楽としての絵画鑑賞への招待になっている。

 この画家の光の扱いもまた面白かった。「ドネツ河岸の修道院」、「鉄道監視員」など。徹底的にリアルかというとそうでもないところもある。「パリの新聞売り」、手前にある白い椅子はどこかとってつけたような不思議な書き方だし、「ユーリア・レープマンの肖像」など彼女の左手はどこにあるのかと思わせる。「レフ・トルストイの肖像」でも肘掛けの下の空間にはトルストイの腰が描かれている方が自然なように思えるが白い空間のままになっている。十分に楽しめる内容だった。(9/22/2012)

 火曜日、千隻もの漁船が大挙して尖閣諸島をめざして出港したというニュースがあったが、きょうに至るまで尖閣海域に漁船の影は見えない由。かわりに現れたのは中国の漁業監視船・海洋監視船。これが入れ代わり立ち代わり接続水域や領海に侵入しているとか。どうやら「千隻の漁船」は中国当局の監視船の出動を正当化するためのダミーだったようだ。

 閑話休題。

 今回の事態のそもそもの原因となった尖閣購入をぶちあげた後の記者会見で、老害都知事は「吠え面をかかせてやる」と発言した。先週来の「尖閣騒動」を見ながら「吠え面をかかされたのはいったい誰だったのだろう?」と考えてみた。

 まず、日本と中国、両国のいずれが吠え面をかいているか。

 いまのところ中国は猛り狂っている状況でとても吠え面をかかされたという感じはしない。客観的に見れば中国という国はずいぶん器量を落とした。だから大衆を冷ややかに観察することのできる中国人は自国と自国の大衆の下品さにゲンナリさせられたことはたしかだが、吠え面をかかされたわけではない。

 日本はどうか。政府はいらぬことをせざるを得なくなって対応に追われた。老害都知事のおかげで血税を20億5千万も使わなければならなかったが、必ずしも無駄金ともいいきれない以上、「吠え面」というほどのことではない。むしろ国が買い取る話が公になるや「あとから出てきて横取りする気だ」などといきり立っていた老害都知事の方が吠え面をかいたように見えぬでもない。

 「地価算定のための調査」というふれこみで2,500万もの都税を負担させられた都民こそいい面の皮だった。しかし、老害都知事がどれほど無駄遣いをしようと、公私混同をしようと、批判する声が大きくなることはないから、もともと都民は鈍感なのだろう。

 こうして考えてくると、誰よりも吠え面をかくことになったのは、日本の中国進出企業とその損害に対して保険金を支払わねばならなくなった損害保険会社だ。正確な額はまだ把握されていないようだが、その額は数十億円から数百億円にのぼるというから尋常な話ではない。

 それだけではない、中国の税関当局は通関検査を強化するという報復措置を執り始めたらしい。これが単純な通関期間の遷延ていどのことならばたいしたことはないが、軽微な違反を細かく指摘して違反金を徴収するようなことになれば、泣きっ面に蜂、大変なことになる。

 また、10月1日は国慶節、この日を含む一週間は中国はシルバーウィーク。富裕層に限らず中流層も海外旅行に繰り出すときでもある。この中国からの観光客を当て込んでいた温泉など観光地は甚大な影響を受けるに違いない。彼らも老害都知事に吠え面をかかされたことになる。

 日本国内の企業、業者がこれだけ被害を受けたわけだから、政府としても深刻に受けとめていることだろう。老害都知事の「政府に吠え面をかかせてやる」というもくろみは大成功したことになる。なんだかずいぶん変な話ではあるけれど。

 変な話といえば、ここ数日の報道では毎日中国の漁業監視船やら海洋監視船が尖閣海域を遊弋しているという。老害都知事が「尖閣騒動」の引き金を引くまでは、せいぜい数カ月に一、二度しか来なかった監視船が常駐するような頻度で「領海侵犯」をしている。言い換えれば、老害都知事が中国当局に口実を与えたに等しい。中国国内の強硬派は老害都知事に心から感謝しているかも知れぬ。

 石原慎太郎はいったいどこに石を投げるつもりだったのか? 誰を傷つけるつもりだったのか? 本当に「吠え面をかく」ことになってしまったのは誰なのか?

 「愛国無罪」と称して自らの国を貶めた中国の愚かなナショナリスト同様、我が国の愚かなナショナリストも、結局のところ、「国益」を失うに至ったことを明確に意識して欲しいものだ。(9/21/2012)

 気温は27.1℃、同じ時間できのうより2℃以上高い。だが、湿度は63%、きのうの81%に比べれば過ごしよい。もういくらなんでも「夏」には退場していただきたい。

 民主党代表選挙はあしたが投開票日。自民党総裁選挙は26日が投開票日。党員でもなければ党友でもない一般庶民にとっては、それぞれの立候補者がどんなたわ言を並べていようと手も足も出ない。だから「街頭演説」などと聞くと「バカじゃないか」と思うだけだが、テレビも新聞もしきりにそれをニュースにする。以下、朝刊、4面から。

見出し:ヤジに興奮、野田首相初の街頭演説
 就任後初めて街頭に立った野田佳彦首相を待っていたのはヤジの嵐だった――。19日の民主党代表選の街頭演説会。午後4時半前、首相がJR新宿駅西口に到着すると、聴衆からは「帰れ」「原発反対」の叫び声が飛んだ。
 この日は「原発ゼロ」の閣議決定を見送ったこともあり、「原発ゼロを閣議決定せよ」との横断幕も掲げられ、「うそつき民主党拒否」のプラカードも。ヤジで声がかき消されそうになる中、首相の語り口も次第にヒートアップ。「財政がひどい状態になったのは誰の政権下だったでしょうか」「原子力行政を推進した政権は誰だったんですか」「領土、領海をいい加減にしてきた政権は一体誰だったんですか」
 消費増税をめぐって自民党との合意を優先してきた首相とは思えないほど自民党を厳しく批判。聴衆に笑顔を振りまくこともなく会場を後にした。(二階堂友紀)

 霞が関村立小学校の小使いさん、ないしは自民党が民主党に送り込んだスリーパーとおぼしき野田の口から、こんな言葉が出たとはね。

 「財政をひどい状態にしたのは誰か?」、たしかに自民党だ。「原子力村と電力会社をのさばらせたのは誰か?」、たしかにこれも自民党だ。しかし、「領土、領海をいいかげんにしてきたのが誰か?」と問うのは愚問だろう。少なくとも尖閣諸島について言えば、それは「いいかげんにしてきた」のではなく「実効支配」という既成事実を打ち立てて日中関係の安定を保ってきたのは自民党であり、これをぶち壊しにする愚かな行為に出たのは菅内閣のときの前原誠司国交相であった。尖閣諸島問題という寝た子を起こしたのは間違いなく民主党の拙劣な対応だったわけだ。

 しかし、やることは自民党そのものか、自民党よりなお悪いという野田なんぞに自民党を批判する資格があると思う人はよほどのバカ以外はいないはずだ。ドジョウにはそのていどのこともわからないのだろうか。(9/20/2012)

 昨夜は雷雨。雨音もかなりすごかった。風もあり、雨戸をたたく音も相当なものだった。けさは雨。気温は25℃を切って24.2℃だが湿度が80%を超えている。ちょっと蒸す感じが不快。

 不快なのは陽気だけではない。政治も不快。野田政権の面目躍如というか、所詮はこのていどの覚悟だったのだと嗤える話。まず、朝刊の記事。

見出し:原発ゼロ、閣議決定せず/野田内閣方針 骨抜きの恐れ
 野田内閣は、「2030年代に原発稼働ゼロ」をめざす革新的エネルギー・環境戦略の閣議決定を見送る方針を固めた。原発がある自治体や、経済界、米国などの反発に配慮し、「戦略を踏まえ、不断の検証と見直しを行う」とする短い文章だけを19日に閣議決定する。これからの調整で政策を見直す可能性を示しており、「原発ゼロ」が骨抜きになるおそれもある。
 閣議決定は内閣として政策や法案を実行していく意思を決めるもので、別の内閣になっても修正や変更などをしなければ効力を持つ。閣議決定を経ないと政策を進める根拠が弱まり、実行されないおそれも出てくる。野田内閣は、経済成長をめざす日本再生戦略などは閣議決定している。
 だが、今回は戦略そのものを閣議決定しない。代わりに決定する文章案は「今後のエネルギー・環境政策については、『革新的エネルギー・環境戦略』を踏まえて、関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という短い一文だけだ。原発ゼロをめざす表現もない。
 さらに野田佳彦首相は18日の国家戦略会議で、「基本はぶれず、将来を過度に縛ることなく、確かな方向性と状況に対応できる柔軟性とを両面あわせ持った戦略が必要だ」と述べ、戦略を見直す可能性も示した。
 「原発ゼロ」をめざす戦略に対しては、青森県などの原発関連施設がある自治体から懸念や批判が根強い。米国からも、同盟国の日本が脱原発を進めることで原発技術がおとろえることなどに懸念が示されている。

 次、夕刊の記事。

見出し:検証継続を閣議決定 エネ戦略、「原発ゼロ」あいまい
 野田内閣は19日、「2030年代に原発ゼロ」をめざす革新的エネルギー・環境戦略の全文の閣議決定を見送る一方、「戦略を踏まえて、不断の検証と見直しを行う」との一文を閣議決定した。
 原発がある自治体や経済界などの反発に配慮したためで、今後、エネルギー基本計画などをとりまとめる際に「原発ゼロ」が骨抜きになるおそれがある。
 閣議決定されたのは「今後のエネルギー・環境政策について」という一文。「革新的エネルギー・環境戦略を踏まえて、関係自治体や国際社会などと責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」とした。
 所管する古川元久国家戦略相は閣議後会見で「これまでもこうした閣議決定の形式はあり、特に珍しいことではない」と説明。藤村修官房長官は「戦略を踏まえてエネルギー基本計画を閣議決定する」と述べた。基本計画に「2030年代に原発ゼロ」の目標が盛り込まれるかについては、「(有識者による)総合資源エネルギー調査会が決めることだ」と話し、変更もありうることを示唆した。
 原発ゼロに反対してきた経団連の米倉弘昌会長は19日、記者団に「いつでも見直すのだったら、戦略とは何なのか。一応は(原発ゼロを)回避できたのかと思う」と述べた。

 最後に経団連の能なし・モラルなしのタヌキが「勝利宣言」をしている。このタヌキ、人物はお猪口並み、想像力はちゃち。こんな人物が「住友」の代表とは情けない。伊庭貞剛は泣いているだろう。

 閑話休題。民主党は次の選挙では転ぶ。どのていどの数を稼ぐかはわからないながら、自民党にまたお鉢がまわる。自民党は端から中長期を構想できる力を持ちあわせないから、アメリカ・霞が関・財界のロボットになる。この絶望的状況で原発ゼロをめざすには、反原発のデモをしている人、原子力の迷妄から醒めた人は、こんなアクションを検討してもらいたい。

 まず、可能な限りの企業に原子力発電に関するアンケートを取り、その結果を、回答しなかった企業名を含めてインターネット上に公開する。原子力発電に反対する人は、回答内容を見て、相応の消費行動、投資行動をとる。安全と信頼性、社会責任に対する企業の回答内容を見極めて、サービス購入行動・商品購入行動に反映させるのだ。原発推進と回答した企業をありとあらゆる場面からボイコットし、広義のコンシューマユース企業に対し、消費者から無言の圧力をかける。たとえば、原子力御三家、三菱重工のエアコン(シェアは低いが)、日立・東芝の家電品は一切買わない・・・といったことからはじめて、原発推進と回答した流通業、食品業、衣料品、・・・可能な範囲の購買活動について、無理をせず、できる範囲で徹底的に、圧力をかけることからはじめる。そしてその結果をビジネスユース企業への展開に反映させるように働きかける。

 投資活動も然り。我々、高齢者の投資は、必ずしも、ゲインだけを重視しているわけではない。ポートフォリオの一部について環境要因を考慮する人もいる。原発ゼロに賛成する企業に対する支持を投資活動に反映することも一つの考え方だ。逆の行動をとることだってできる。零細な投資家であっても、まとまった行動をとれば大きな力になるはずだ。(そういう意味では、投信の設計者には原発企業を排除した投信設計をリードしてもらいたい。必ずついてくる人はいる)

 原発の稼働が電力確保と強い相関があるという主張が根拠のないウソであることは、この夏の関西電力が証明した。原発の発電コストが安いという計算には用済みになる原発の廃炉費用は入っていないし、放射性廃棄物の処理コストすらまともに算出していない。なにより原子力村の詐欺師どもの贅沢な生活は一般消費者にとって世界一高水準な日本の電気代に支えられている。だから奴らは「夢」を追い続けているのだ。

 社会の安全度を高めることが最終的には経済活動の強靱性を高めるものだということを、従来からの惰性でしか考えられない現在の財界トップのバカどもに叩き込んでやる必要がある。経団連のバカタヌキなど論外、日本商工会議所のヒョットコ(東芝出身)も同様、財界の良心と言われた同友会も設立趣意書の精神を失っている。いま一度、的確な判断力を失ったバカの集合体に成り果てた現在の「財界」に、身の程を知らせ、そのおごりに痛棒を食らわす時期が来たと思う。(9/19/2012)

 きのうあたりからの報道では、きょうあたり中国漁船がいっせいに尖閣諸島に押しかけるのではないかということだった。その数1000隻。漁船といえどもこれだけの数となると厄介。いつぞや黄海の韓国領海で中国漁船が違法操業した際に行ったような「戦法」、十数隻を鎖でつなぎ一列横隊に組む(赤壁の戦いにおける曹操側の隊列を思い出す)やり方をとれば、海上保安庁としても対処に苦労するのではないかということが懸念された。

 きょうのところは尖閣海域には中国の漁業監視船と海洋監視船が現れたのみで、漁船の姿は認められなかったとのこと。一斉出港は漁場の解禁日にともなうもので尖閣への強行突破を狙ったものではなかったのかもしれない。

 一方、陸上では柳条湖事件から81年ということで北京・上海・瀋陽・広州など100を上回る主要都市で反日デモがあった由。デモ隊の中には毛沢東の写真を掲げるものがあり、夜のニュースでもその映像がオンエアされ、したり顔のコメンテーターさんが「最近の中国では格差が大きい。毛沢東時代の貧乏ながら平等であった社会を懐かしんで共産党政権を批判する現われではないか」と「解説」していた。

 どうだろう。たしかに中国はいまやアメリカに迫るほどの超格差社会になりつつあることは事実だが、きょうのような平日にデモに参加できること、またその身なりなどをみると、共産党への批判があるとしても、その意図は「格差批判」というより、もっと素朴に「共産党よ、抗日の原点を忘れるな」というところにあると考える方が正しいのではないだろうか。

 どうも、ある種の「考え過ぎ」、それが意図的かどうかは別にして、我が方の事情に引き寄せて「解釈」する「僻」が目立つような気がする。(9/18/2012)

 小泉訪朝から10年。朝刊に「平壌宣言二人の元首相に聞く」が載っている。二人の元首相というのは安倍晋三と福田康夫。基本的にはこの十年の中盤において、それぞれが政権を担当したとき、何もできなかったことのいいわけ話だ。

 安倍は拉致問題が微動だにしなかったことの釈明に終始しているが、福田のスコープは対北朝鮮外交全般にある。もうこれだけで安倍という人物がどのていどの器かということがよく分かる。

 精一杯ハライタ・シンちゃんを好意的に見て上げようとしても、こんなやり取りでは、所詮、期待をする方が無理だったのだと思わざるを得ない。

――この10年間、なぜ拉致問題は進展しなかったのでしょうか。
 「金融圧力が一番効くが、北朝鮮の必死の外交で米国が折れた。米国は(北朝鮮の資金洗浄の疑いで)マカオの銀行、バンコ・デルタ・アジアに制裁をかけていたが、(07年の解除で)成果が出なかった」
 「イラク戦争で、当時の米国の外交の興味はもっぱら中東。外交的成果を上げようとして、核開発を放棄すると言う北朝鮮にまんまとだまされた。(北朝鮮の核問題に関する)6者協議参加国は日本を除き重油提供に応じたが、何とこれに北朝鮮は核実験で応えた」

――故・金正日総書記の拉致問題への対応をどうみていましたか。
 「北朝鮮は拉致被害者8人を死亡したと説明した。そうせざるを得ない理由があるからだ。たとえば北朝鮮は『大韓航空機爆破はやっていない。金賢姫は北朝鮮にいたことはない』と主張。だから金賢姫が会った人物は返せないのです」

 安倍の言葉は「アメリカ頼みだったのに、アメリカが騙されてしまったからダメだったのだ」、「もともと大韓航空機事件のことを考えれば、無理な話だったのだ」としか聞えない。最初から「実現するはずのないこと」と考え、「神(アメリカ)頼みしかない」と思っていてはそれこそ「無理な相談」だ。頼りにならない男に頼った「家族会」の皆さんには「お気の毒さま」としか言いようがない。

 一方、福田には拉致問題を one of them ととらえていたようだ。

――平壌宣言当時は小泉内閣の官房長官でした。
 「平壌宣言で拉致や核の問題が解決すれば、朝鮮半島からロシア、中国の環日本海は経済発展地域になる。ただ、小泉首相の訪朝で、拉致被害者の一部が死亡と言われた衝撃が大きくて、その後の交渉は拉致問題に収斂してしまった」
 「拉致被害者家族を応援する雰囲気が盛り上がり、交渉する外務省もたじろいだかもしれない。(横田めぐみさんとは別人と判断した)遺骨問題で交渉が希薄なときもあったが、外務省はずっと北朝鮮と連絡をとってきたと思う」

――07~08年の首相当時はどうでしたか。
 「私が出た07年の自民党総裁選のころは核問題も多少の歩み寄りもあり、環境も良くなった。総裁選で日朝関係を何とかしたいと話した。それに北朝鮮は期待を持ったのかも知れない。金正日の健康問題もあり、対立ばかりではよくないと考えたのかもしれない。そこで話が始まった」

――北朝鮮は拉致問題は解決済みとの立場です。打開策はあったのですか。
 「水面下の話で拉致の調査をしようとなり、段取りがかなり進んだ。外務省の当時の局長らは北朝鮮と綿密にやった。向こうの首脳と直結するラインでないと話は進まない」
 「だが、08年の8月前から金正日の健康が問題となり、8月末には重症との情報があった。調査はこれでダメだな、と思った。そのうえで9月1日に私が辞意を表明して、それに応えるような格好で9月4日に(北朝鮮の通告で)調査をペンディング(保留)するということになった」

 福田には、対北朝鮮外交のマップを描いた上で、その中で拉致問題の解決も考えるというまっとうな取り組みの姿勢はあるものの、頭のいい人にありがちな見切りの早さが目立っている。

 相手方がおそらくなにも決められない状況にあるにしても、こちらの主張と提案はきちんと伝え、交渉チャネルは活かしておかねばならない。福田の言葉にもあるように「拉致問題に取り組むには時間もかかる」のだ。

 安倍と福田の金正恩認識も対照的だ。

 安倍は「拉致問題解決は(後継の)金正恩の判断一つだ。『解決なしに現状維持はできない。救国の英雄になるか、北朝鮮最後の指導者になるか』と圧力をかけることだ。正恩は拉致に関与してないから、解決へのハードルはお父さんより低い。野心家であれば、お父さんとは違うことをやりたいと思うかも知れない」と言い、福田は「年齢よりも大事なのは知識と経験だ。彼はパワーゲームをやってないでしょ。人に従わざるを得ない。どういう人が周りにいるかで決まっていくんじゃないですか」と言っている。

 安倍は根拠なしに「希望」を語り、福田も根拠なしに「常識」を語っている。陋巷の民の感覚では外交を根拠なしの希望からスタートさせるのはいささか危うい。やはり何らかの情報を得るまでは常識的な用心からスタートする方がよいだろうに。もちろん安倍に格別の知恵と能力があればよいのだが、彼の頭脳がその胃腸並みに「弱い」ことは既に実証済みだ。(9/17/2012)


 尖閣諸島の国有化(正確には魚釣島・北小島・南小島の計3島)費用(20億5千万円)を今年度の予備費から主出することを閣議決定し、地権者との正式な売買契約を結んだのが11日だった。単純に国内で所有権移転するわけだから実態的には前後において大きく変わるわけではない。中国の側から見れば、とかく刺激的なことをする知事がいる東京都の所有になるよりは日本国政府の所有になる方が客観的に好ましいはず。

 したがって、その前日に楊潔篪(ヤン・チエチー)外相が丹羽駐中国大使(彼にとっては在任最終日だった)を呼んで抗議したのはいわばセレモニーだった。「やることはやっている」というセレモニーの目的のひとつは国内向けでもある。

 しかし歴史経過は知らず、外交措置の機微についての理解もない人々にとって「国有化」という言葉はひどく大げさなものに受け取られたに違いない。悪いことに「満州事変」(いったい「事変」という呼称は何だ?)の発端となった柳条湖事件が起きたのは1931年9月18日のこと。中国国民が格別センシティブになる時期でもある。「日本国民の膨張主義は改まっていない」と短絡的に考えかねない素地はあったのだろう。

 ドジョウ宰相の頭にこのあたりのことがあったかどうかは定かではないが、少なくとも我が外務官僚にはその意識があっただろう。それでもこの時期に国有化決定をしたのは、石原慎太郎が「10月にはもう一度現地調査をやります。その時はわたしも行って上陸します。逮捕するならすればいいでしょう」と言っており、これを是が非でも阻止したかったからかもしれない。

 日中両国とも国内対策に注意が集中し相手国の事情を忖度できなかったのは、いずれも政権基盤に懸念があるからだ。

 目前の事実だけを見ればこんなところになるだろう。しかし、たぶんそれは目に見えることだけしか見ないからそう見えるというだけのことで、目には見えない仕組まれたシナリオのト書きにはもう少し余分なことが書かれているのではないか。

 そのシナリオにおける主目的は「日中国交回復四十周年」にミソをつけること、そして日中間の火種をもう一度暖めておくこと。そのために石原は一肌脱いだ、仕掛け人はヘリテージ財団とその後ろに隠れているメンバーなのだろう。石原がどのていど自覚的に行動しているのかは怪しい。少なくとも「実効支配の優位性」についての理解が彼にあったとは思えない。

 人間の愚行の葬列の中には「ほんのちょっとブラフをかます」ていどの気持ちではじめたことが統御不能の厄災につながってしまった例がたんとある。

 国有化以来の中国の反日デモは凄まじい。きのう・きょうの状況はとっくにデモの域を超えている。日系資本のスーパーマーケットやデパートへの略奪・放火、工場への破壊行為など。便乗犯の匂いもしないではないが、「正義感」という冠をいただいているとすべてが許されるように思うのは人間の常だ。だから宗教がらみ、民族がらみの殺戮、愛国がらみのテロはいとも簡単に常軌を逸したレベルになる。

 実効支配の優位を解しない愚かな石原老人が、アングロサクソンに教唆され、ほんの嫌がらせていどの気持ちで仕掛けたことがこれからどこまで行くのか、ここ一週間で分る。この国の凋落のアクセルを踏むような結果に至らぬことを祈るばかりだ。(9/16/2012)

 きのう自民党総裁選がスタート。立候補は谷垣を除く5人。受付順(必ずこの枕がつくのが可笑しい)に、安倍晋三、石破茂、町村信孝、石原伸晃、林芳正。

 記者会見風のセレモニーを夜のニュースで見た。こもごも、しゃべっている内容については聞かない、百%、聞くに値するものではない。注目をしたのはたったひとつ、例の拉致関連のブルーリボンバッジをつけているかどうかということ。

 つけていたのは安倍晋三ひとりだった。町村もつけているだろうと予想していたが外れた。拉致問題で首相になれたといっても差し支えないハライタ・シンちゃんが、事態を放置し、なにひとつ実現しなかったのは周知の事実。よくもまあ便々とこのバッジをつけていられるものだ。このバカ、またまた「夢」にすがろうというのか。

 ついでに書いておけば、民主党の代表選挙立候補者の「バッジ装着状況」は次の通り。つけているのはともにマネシタ政経塾出身の野田佳彦と原口一博。赤松広隆と鹿野道彦はつけていない。

 たかがブルーリボンバッジだが、これはこれでなかなか便利なインジケーターなのだ。政治家ならばポピュリスト度をチェックするリトマス紙だし、一般人であれば頭に血の上りやすい単細胞のお人好しなのかどうかが見分けられる。

 つまり、頭がおめでたくできている人の票にすがって生きるポピュリスト政治家、バカを食い物にする意地汚い政治屋がブルーリボンバッジをつけるのだ。かと言ってバッジをつけていない政治家はポピュリストではないと断言できないのは残念なところだが。とくに「バッジ販売業者」が、あまりに長いこと、効果のない自己満足的な活動に終始しているため、世の中の気分としては「ブルーリボンバッジって、ダサくネ?」というところに移りつつあることも、また、事実。(9/15/2012)

 支払い手続き後、抜糸。さすがに歩く気にはならずタクシーで帰ってきた。近距離故、タクシーの運転手の機嫌、これ以上なく悪い。しかし、今どき返事もしないタクシー運転手がいるとは驚きだね。(東都自動車交通:車両番号******)

 日本時間の未明、FRBが量的金融緩和第三弾(QE3)の実施を決めた。不動産担保証券(MBS:Mortgage-Backed Securities)の買い上げによって行う由。やはりアメリカの住宅市場はガン化したままなのだろう。ドルは過剰に供給されるが受け取るのは金融筋、ひいては富裕層。彼らはこれを株ないしはコモディティにつぎ込む。血液は局所的に滞留するのみで必要とする部位には循環しない。もちろん「トリクルダウン」などというバカバカしいおとぎ話が実現することもない。効果は一時的で、本質的な経済の改善にはつながらない。ショック療法のバリエーションのようなもの。逆に定量の経済価値に対し、通貨の発行量のみが増えるのだから、通貨価値は下落する。割を食うのは富裕層を除くすべての人々だ。

 それでもというか、だからというか、ニューヨークダウの終値は前日比206.51ドルのアップ13.539.86ドルになった。これは4年9カ月ぶりの水準とのこと。東証も164円24銭あげ、9,159円39銭だった。先週入院前日の終値は8,679円82銭だったから500円弱の上昇。

 いまは小遣い口しか入れていない豪ドルは79円90銭前後だったものが、きょう夕方は83円台に載せるところまで戻っている。こちらの方は来週の日銀の対応でさらに動くかもしれないので様子見。いくら神経の鈍い日銀でもなにもしないことはあり得ないし、仮に政策審議委員の皆さんが絶望的に鈍感だったところで、当面、小遣い口の大口出費はないから、「泣くまで待てばいい」だけのこと。(9/14/2012)

 あした退院。「星新一」は600ページ弱、重たいので**(家内)に持って帰ってもらうつもりだった。残念ながら夕方までには読み終わらなかった。

 中学3年から高校2年になる直前まで一番の贅沢は「チョコレートをかたわらに星新一のショートショートを読むこと」だった。短くて読みやすく、落ちがスマートで、なにより洒落ていた。

 最相があとがきに書いたように、「あれほど熱中したのに、まるで憑き物が落ちたように読まなくなり、星新一から離れていった」というのも、「あれほど熱心に読んだのに内容をまったく覚えていない」というのも、ごくごく一部(忘れがたいオチのものは別格)を除けばあてはまる。

 それは星が心身を削りながら仕上げた作品の粒がじつによくそろっていたからだ。この本には出てこないが、彼の趣味は根付けの収集だった。最相が繰り返し書いたように「認められない悔しさ」があったことは事実だろう。しかしその一方に彼には根付け職人の意識もあったのではないか。細工物を手抜きせずに仕上げ、目利きがそれを愛用してくれれば本望、と。

 ハヤカワSFシリーズに収められた「宇宙のあいさつ」「妖精配給会社」あたりがいまも本棚のどこかにあるはず。うん、あしたは退院だ。(9/13/2012)

 眠れない。焦ることもないから**(家内)に持ってきてもらった最相葉月の「星新一」を読み始めた。

 星新一の父親、星一。明治初期の人間のスケールの大きいこと。昨今のこの国の「企業家」なる御仁がなんとまあ貧弱に見えることか。いったい何を失ったのだろうと思う。

 小学校のころ湘南方面への遠足といえば、必ず通った第二京浜。その国道沿いに建っていた周囲を威圧するほど大きく四角いビルを、バスガイドさんが「星製薬」の本社・工場だと説明したような・・・。それが後にオーディオフェアなどを開催するTOCビルのあたりだったような・・・。どちらも曖昧な霧の彼方の記憶。

§

 ・・・みんなの夢でふくらんだ/大空駆ける宇宙船/急げシリカ、急げシリカ/行こうみんなの希望の星へ・・・案外、憶えているものだ、「宇宙船シリカ」のテーマ曲。原作を星新一が書いていたとは知らなかった。

 すぐ打ち解けるようなパーソナリティではないが、ひとたび親しくなると相当に面白い人、読者サービスにかたむけた情熱そのままに徹底的に相手を楽しませたいという意識が強かったらしい。

 それは矢野徹が「星新一のオナラ」に書いたエピソード(P241)などに現れている。この部分、さっき笑いを抑えるのに苦労した。(なにしろここは病室)。これ、星と矢野の交友、ひいては当時の「SF仲間」の意識がどういうものであったのかも伝えてもいる。(9/12/2012)

 「コズミックフロント」、「BSアーカイブス」を続けてみる。

 コズミックフロントは銀河の構造に関するもの。渦巻き型の腕の部分を太陽系が通過するとき、宇宙線の浴射量が増える。これにより地球上の水の循環が影響を受け(霧箱効果→雲の量の増加→海水中の重水の濃度が上昇)、寒冷化や生物進化を促すというのは、ちょっとした驚き。

 アーカイブスはリーマン予想について。なかなかうまい語り口で進められていた。素数について、オイラーはπとの関連、ガウスはeとの関連を示した。そして、いよいよリーマン予想へ。肝心のゼータ関数のゼロ点の話まで進んだときに、看護師さんの巡回で体温、血圧、痛みの状況、・・・あとにして欲しかったなあ。

 問題の複数のゼロ点の分布間隔がウラン原子核のエネルギー準位の間隔に関わりがある・・・すごい。と、こんどは我慢できない尿意。戻ると「素数と関係した空間と非可換幾何学が対象としている空間は一致する」。残念ながら、素人にとっては「非可換幾何学、なに?」。こういうのはwikipediaではダメ、啓蒙番組の柔らかい解説がベスト・ソリューション(呵々)なのに・・・。「ああ、面白かった」が「溜まる」ばかりの1時間半だった。

§

 ベッドを起こし、枕を書見台代わりにして「ヘッジファンドⅡ」。「第13章 コードブレーカー」はとくに面白かった。テレビをじっくり3時間ほど観て、ハードカバーを0.8冊。ウォーキングなし、PCへの浮気なし、日記はメモレベルにとどめると、結構、充実した一日になるものだ。退院後は生活サイクルを見直そうかしら。(9/11/2012)

 谷垣が総裁選立候補を断念した。総選挙では民主党が大敗し自民党が与党に復帰するだろうというのが大方の見方。今回の総裁選に勝利すれば首相になれるとあって、町村、安倍、石破、林、石原の5人が手を挙げるに至った。前回はたしか立候補は二、三名だったはず。それを思うとまさに「カネと利権の自民党」のバイタリティーはここにあるかと、あらためて寒心。

 ハライタ・シンちゃんにも呆れる(腹が痛くても、食い意地だけは衰えない子供が、ままいる)が、上司の背後に回って銃撃するお坊ちゃまのインモラルもなかなかすごい。さすがに保守政党、というよりは悪党の政党。伝統は健在。

 記憶によれば自民党総裁で首相になれなかったのは河野洋平だけだった。谷垣禎一は二人目になった。河野と谷垣の風貌、人品骨柄を並べつつ、「理性がわたしに教えてくれたのは理性の無力だった」という言葉を思い出した。(9/10/2012)

 看護師、来るたびに、「ガス、出ましたか」と尋ねる。いまのところない。

 「テンシキ」を思い出した。たしか「転失気」と書いたはずだ。知ったかぶりを笑いのめす噺は落語のひとつの「型」だが、ベストワンは「転失気」だよねと思いつつ、急に気になってきた。本当にああいう言葉はあるのかしら。

 根拠なく「般若湯」のような医者仲間の隠語、符牒のようなものと思っていた。ひょっとすると、噺のためだけにつくられた言葉かもしれない。こういうときはネット検索に限るのだが、ここにはない。

 おかげで読書ははかどる。「ヘッジファンドⅠ」は面白い。**(家内)に「Ⅱ」を持ってきてもらった。(9/9/2012)

 いま、2時20分。さっき、看護師さんに時間を訊いたときは23時(7日)にもなっていなかった。ずいぶん、時間が経った実感だったが。

 きのう。0855病室から手術室。歩き。手術台へ自分で上る。右を下に胎児姿勢。麻酔針のチクン、仰向け、無影灯が眼に入って、・・・、呼びかけの声に返事をしたら、手術は終わっていた。

 戻った病室はナースステーション脇の個室。ICUか。**(家内)の話では手術時間は90分。

§

 時間の経つのが遅い。現在のところ、背中に痛み止め注入針、右腕に栄養点滴、そして尿道カテーテル。こいつが一番不快。

 食事、昼食からスタート。流動食。

 「夜明けの街で」、読了。こういうストーリーだったのか。映画では秋葉は深キョンが演じていた由。**(友人)、キミは、悪い人だ。

 窓から見える空にはまだ夏雲。

何を考えているんだろ、雲のやつ、大きな顔して空にぽっかり浮かんでる
絶えず流れてゆくお前たちにも、心なんてものがあるんだろうか
雲よ、風よ、空よ、お前たちは知ってるかい
わけもないのに、胸しめつける、言いようのない寂しさを

(9/8/2012)

 昨夜2350下痢、下剤が効いた。~0110まで寝られず。0522目覚め。0825**(家内)来る。(9/7/2012)

 入院の朝。とりあえず、ニューヨークダウの終値・高値・安値の記録、投信の分配金記録、FXの余裕度確認、「相棒」再放送の録画予約、「スタンバイ」のポッドキャストデータのダウンロード、ここまで終えて、この日記を書く。ここまではPC入力。あとは持参のノートに手書きの予定。

§

 0930病院着。0950病室移動。麻酔科医師からの説明・注意。1040体毛処理。ちょっと可愛い看護師さん。あぶない。1200昼食。1720**(家内)来る。1750手術内容説明・輸血ほかの確認書サイン。1840夕食は流動食、重湯200グラム・卵豆腐・ヨーグルト。

 東野圭吾「夜明けの街で」を読み始める。うまいね、つかみが。(9/6/2012)

 朝刊一面トップの見出しは「尖閣、国が購入で合意 20.5億円 都知事にも伝達」。朝日と読売、両紙に同じ内容。やっぱりそんなところだったのだ。時事の記事にあった「野田首相は石原さんは『自衛隊を置け』と言うかと思ってたとビックリしていた」という石原の言葉の飾り方にすべてが透けて見えていたわけだ。

 ウォーキングをパスして部屋の片付け。完全にオーバーフローした書棚の本を一部、寝室とリスニングの書棚に移動。何を移動させるかを選ぶだけでも、結構、時間がかかる。小説類と展覧会ごとのカタログを寝室に、83年以前の本はリスニングに。原発関係の本がきのう届いたばかりの2冊を含めて一段と半分。ちょっと入れ込みすぎか。

 夕方になってから、寝間着、下着の着替え、タオルなどの入院荷物をパッキング。**(家内)はあしたは仕事だから一人でキャスターを転がして行かねばならない。本はハードカバーにした。とりあえずは「ヘッジファンドⅠ」と、片付け中に山の下から出てきた東野圭吾の「夜明けの街で」の二冊にすることにした。「ヘッジファンドⅡ」はパソコンの前に置いておき、読めそうだったら**(家内)に持ってきてもらうことにしよう。(9/5/2012)

 明け方4時、小用に立った。薄く開けた窓の外から虫の声の大合唱。「行水の捨て所なし虫の声」。4時をまわっているのに一時期のように明るくない。暑い、暑いといいながらも季節は確実に秋に向かっているのだなと思いつつ寝床に戻った。

 あさって入院。たいした手術ではないと思いつつ、それでもやはり部屋の片付けくらいはしておいた方がいいかと本の片付けをはじめた。意地汚く買い集めた本の山を多少とも書棚に収めつつ、前回は何日目くらいから本が読めたかと日記を繰ってみた。

 前回も木曜入院の金曜手術。手術当日の午前中は持参した「磯崎ブログ」のプリントを読んで日記を書くくらいの余裕があった。手術は1時15分から1時間半ほど。夕刻には麻酔がさめたとある。

 土曜の朝食から全がゆ、カテーテルはとれるものの、とても読書どころではなかった。手術日から数えて3日目(日曜)の午後くらいから読書できるようになっているが、「入院前に夢見たような生活サイクルが確立したのは月曜の半ばから」とあるから4日目まではあまりすっきりした状態にはならなかったようだ。木曜日には抜糸して退院している。さて、今回もこんな感じで行けるかどうか。

 結局、このときには諸永裕司の「葬られた夏」と佐野眞一の「てっぺん野郎」の二冊しか読んでいない。ベッドをフラットにしているときにはハードカバーは結構手首が疲れた記憶がある。どうしようか。新書を3、4冊にするか、ハードカバーを2冊にするか。新書ならば、片岡剛士の「円のゆくえを問いなおす」、川北稔の「砂糖の世界史」、吉田則昭の「緒方竹虎とCIA」、どうにものらないときのために小沢昭一の「ラジオのこころ」。ハードカバーならば、そろったばかりのセバスチャン・マラピーの「ヘッジファンド」の上下二巻といったところにしようか。(9/4/2012)

 朝刊社会面にきのうの東京都の調査の際発見された魚釣島南側の海洞の写真が載っている。どこかベックリンの「死の島」を連想させる写真。

 記事によると「都が民間からチャーターした海難救助船の費用は約2,500万円。調査にはほかに、調査団25人の交通費や滞在費がかかった」そうだ。まるきりムダとはいわないが、老害知事による単なる「嫌がらせ」のためにこれだけの公金を支出するとは、東京都はよくよく税金が余りすぎて使い道に困っているらしい。新銀行東京だの、オリンピック招致だの、どうしたら税金をムダ遣いできるのかについて、苦心惨憺している。

 さて、この調査はどんな「反応」を生むことになるのだろうか。快哉を叫ぶのは日本国内のちょっと知能ていどの低い連中であり、反発し怒り狂うのは中国国内のこれもあまり頭のよくない連中だろう。本当のところ石原が狙っている「嫌がらせ」の対象はどこなのか。

 この「嫌がらせ」に迷惑するのは日中両政府ということになる。ともに国内にいる、声は大きいけれど、およそ物事を冷静に考えたことがない「B層」からの突き上げに直面するからだ。

 客観的に考えれば、こういう「トラブル」は「実効支配」している方にとっては利が薄い。領土紛争の存在を国際的に認識させ、当事国以外の国に「潜在的な(使えるかもしれない)外交カード」を与えることになるからだ。三大領土問題のうち、唯一、尖閣諸島だけが我が方は実効支配のポジションにある。

 したがって、先月の李明博による竹島訪問は愚かな行為と言えたわけだが、もし韓国が竹島をテコの支点に使うつもりならば(竹島が作用点ではないということ)、それなりの意味を持つ。換言すれば、竹島の問題に目を奪われると危ないということ。それが我が方から見れば、やぶにらみにしか思えぬ、「従軍慰安婦」こそがテコの「作用点」である可能性は高い。韓国が人権問題として国連なり、然るべき国際機関に持ち込む可能性は相当ていどあると思う。

 とすれば、この尖閣問題を我が方が「支点」として利用する問題は何か。あるのだろうか。「嫌がらせ」以上のどんな政治的効果があるか・・・、そう思うといささかお寒い話になりそうだ。

 ベックリンの「死の島」という絵は、その不安感を煽るような内容にも関わらず、19世紀末から20世紀前半のドイツ語圏では「異常なまでの人気を博し、大量の複製や銅版画として出まわり、良き市民たちの心を休めるべき居間の壁に落ち着いた」と中野京子は紹介している。続く部分を引いておく。

 それぞれの町や村の、それぞれの家の、それぞれの部屋に、必ずこの絵が掛かっているという光景には、どこかしら病的なものが感じられる。それほど当時の人々は疎外感を共有していたのだろうし、それほど美しい死が憧れられたのであろう。社会全体が曰く言いがたい不安に覆われていたともいえる。
 挫折した画家だったヒトラーもまた、みんなと同じくこの絵を自分の執務室に飾っていた。彼はベックリン・ファンで、購入したり徴収したり略奪したりして、ベックリンの作品を十一点も集めていた。ゆくゆくはリンツにナチ美術館を建設し、その目玉としてフェルメールとベックリンを飾るつもりだったらしい。
 もちろんヒトラーが所有していたのは複製ではなく、三作目の原画(現ベルリン版)だった。一九四〇年、独ソ不可侵条約締結に尽力したソ連のモロトフがヒトラーを訪れ、ふたりで写真におさまったのだが、その背後の壁に『死の島』が飾ってあるのが確認されている。何という皮肉だろう。この条約は破られる運命にあり、数年後にはドイツ人とロシア人は、互いの国土を血染めの 「死の島」 にしてしまう・・・。
「怖い絵2」から

 いまさら石原慎太郎ていどをヒトラーになぞらえる気はない。それでも「死の島」という絵を思い出したのはこの国の最近の徴候にどこか周回遅れのマス・ネクロフィリアの匂いがするからかもしれない。(9/3/2012)

 東京都が尖閣諸島購入に際し、価格算定と購入後の利用方法検討を名目として仕立てた調査船が魚釣島、北小島、南小島を洋上から「観察」した由。

 上陸しなかったのは政府から上陸許可が出なかったため。上陸許可を出さなかったのは「地権者の同意書が申請書類に添付されていなかった」ためと政府は説明した。

 「FACTA」9月号の記事によると、この3島の所有者である栗原國起には40億円の借金があるということだから、国と都が競り合って価格がつり上がるのは願ったり叶ったりなのだろう。もちろん、そんなことをわざわざいう必要はない。国と都のそれぞれに対して気のあるそぶりをすればいいだけのこと。少なくとも「カネだけの問題ではない」というアピールをするために、多少時間を稼いでおく方がいい。

 きのうの朝刊にはこんな記事があった。

 石原慎太郎・東京都知事は31日の記者会見で、尖閣諸島の購入計画をめぐって野田佳彦首相と会談した際、都が購入から撤退する条件として、国が漁船向けの避難港を整備することを提示したことを明らかにした。
 石原知事によると、会談は政府側の呼びかけで19日に首相公邸であった。石原知事は尖閣諸島の実効支配の強化を求め、「嵐の中で漁船が沈没しないよう、船だまりを造ってくれ」と提案。政府が受け入れた場合、都に集まった14億円余りの寄付金を国に全額譲渡する考えも伝えた。野田首相は「考えさせてくれ」と答えたという。
 政府側からは、回答を週明けまで待つよう石原知事に連絡があったという。
 一方、藤村修官房長官は31日の記者会見で「公式に(都から)何か提示を受けているわけではない」と回答に否定的な見解を示した。ただ、「知事と総理のトップ同士の話で分からない。今後もトップ同士でやりとりすると思う」とも述べ、首相が尖閣の国有化に向け、石原知事と今後も協議していく考えを示した。

 下線部分は朝刊掲載の記事にはなく、デジタル版にのみ書かれている。時事通信の記事には、こんなくだりもあった。・・・知事によると、首相は会談の中で「石原さんは『(尖閣諸島に)自衛隊を置け』と言うかと思った」と話し、提示された条件に驚いた様子だったという・・・

 また、FACTAにはこんなことも書かれている。

 栗原は「石原さんのメンツを潰すわけにはいかない」と言っていたが、7月31日に政府がおよそ20億円で買い取ると提示したため、石原は慌てたという。

 おそらく着地点はもう決まったのだろう。20億で国に売る。その線で栗原は石原に了解を求め、石原はメンツを立てるように配慮してくれと栗原に頼んだ。勝手に想像すれば・・・、「東京都に調査だけはさせてくれませんか」、「国との話がこじれるのは困るなぁ」、「二カ月か、三カ月、待ってくれれば、それだけでいいですよ」、「分りました」。想像するに、こんなところではないか。

 31日の石原の記者会見はいわば「撤退」という事態を軟着陸させるためにあわてて引いた予防線と考えられなくもない。これで石原としてはヘリテージ財団からの依頼の基本条件はクリアできたということになる。その意味では大成功。あとはマスコミを煽りたいだけ煽れば、売名行為の実は上がる。

 もし石原の言葉通り、野田が「石原さんは『(尖閣諸島に)自衛隊を置け』と言うかと思った」と言ったのだとしたら、つくづく野田にはセンスがないことになる。アメリカは日中に火種があればそれでいい。間違っても日中間の対立が抜き差しならないステージにステップアップすることまでは望んでいない。安保条約発動に向けた導火線に火がつけば、安保条約という「幻想」の条約の幻想性が暴露せざるを得なくなるからだ。そこまでの「覚悟」はヘリテージ財団系の右派系シンクタンクにもアメリカ国防省にもない。そういう石原の「背後霊」が見えないようでは野田の一国の宰相としてのセンスはゼロだ。たぶんこの部分は石原のウソだろう。彼はばれないと思えば平然とウソをつくタイプの男だ。

 それにしても「船だまりの整備」というのは嗤わせる。石原慎太郎はかつて運輸大臣だった。なぜ、その時、尖閣諸島に荒天時の避難所の整備をしなかったのだ。運輸大臣のときにぶちあげれば、悪いアイデアではなかったはず。結局のところ、今回の話は「ためにする話」だということがこれで分かる。それとも老いぼれて急にグッド・アイデアが浮かぶようになったのか、呵々。

 ついでに書けば、東京都民には忘れっぽいバカが多いのではないか。都知事立候補のとき、石原がどんな公約をしたか、もう忘れてしまったのだろうか。

 「横田基地の返還」という公約があったろう。国のレベルの話に首を突っ込んで「政府に吠え面をかかせる」と意気込むのなら、横田基地返還を実現する方が多くの都民にとってはるかに実りのあることだと思うけれどね。

 まあ健忘症の選挙民が多いから、バカな知事でも大きな顔ができる。このていどの都民に、このていどの知事ということか。「バカのバカによるバカのための政治」、まさに、現在のこの国の縮図かもしれぬ。(9/2/2012)

 9月最初の日の朝の目覚めは雨音だった。起き出して屋上を見ると空は明るい。お天気雨。だが久々にかなりの降り。午後からは局地的に雨という予報を聞いて、少し早めにウォーキングに出た。

 お伴はZARD。曲のテンポに合わせてピッチウォークするにはまだ暑い。

夏の風が素肌にキスしてる
流れてゆく街並み
すれ違う景色が知らず知らずのうちに
崩れてゆくサヨナラが聴こえた
ああ季節はすべてを変えてしまう
少年の瞳をずっと忘れないでね
不思議ね・・・記憶は空っぽにして
壊れたハートをそっと眠らせて in your dream

 年月はすべてを思った以上に変えてしまう。少年の日に思い描いていた「人生の黄昏」とはずいぶん違う景色の「いま」を迎えた。自分はあまり変わっていないのに、まわりはずいぶん変わってしまったというのは、被害者意識の作る「錯覚」なのだろうか。

 もうずいぶん昔、はるか年月を隔てた自分がこう自問することを想像した、「その時、オレは自分を許せるだろうか・・・」と。どうだろう、オレはいまのこの自分を許せると思っているか?

 手ひどく転ぶことを恐れ、常に二番目を選択することを処世としてきた。もしその選択のいくつかのうちのたったひとつでも勇を鼓して一番目を選択していたらどうだったか。

 いや、それより、いまから思うとずいぶんつまらないこだわり、思い込み、自己韜晦・・・、そういうものに囚われずにいたら、それだけで「いま」の景色は変わったものになっていたかもしれない。(9/1/2012)

 **(家内)と「バーナード・リーチ展」を高島屋で観る。ハッと息をのむような美しいものも数点あるにはあったが、多くのものはそれほど目を惹くものというわけではない。むしろどこかに懐かしい気配を残しながら、しみじみとさせる味わいがある。

 たとえば、入場券に刷られた「ガレナ釉筒描グリフォン文大皿」のグリフォン。**(家内)は「キリンビールのキリンみたい」と言った。グリフォンも麒麟同様想像上の動物。スフィンクスのようにライオンの下半身に、人間の頭部ではなく鷲のような頭部と翼を持った、どちらかというと恐ろしげな動物なのだが、大皿に描かれたグリフォンはジラフのような長い首、少し間の抜けた「怪獣」になっている。

 どの作品もどっしりとした古民家の食器棚から取り出されてきて、いまここに陳列されていますという感じで、たしかに我々のちょっと薄っぺらな生活に使うには多少の違和感があるものの、然るべき場所ならばふだん使いの焼き物として調和しそうな感じがする。まあ、いくつか展示してあったティーカップくらいなら我が家でもなんとかさまになるかもしれないが。

 池袋まで戻ってきて、いつもの「みはし」で白玉クリームあんみつを食べてから、**(家内)は川越にパスポートの更新、こちらはこれもいつものごとく本屋を覗いた。見るだけのつもりだったが、野中郁次郎の「失敗の本質」が面白そうで、結局、これを含めて数冊、買い込んで帰ってきた。もう、とっくに書斎の本棚はオーバーフローしてしまったのだが。(8/31/2012)

 森本防衛相は、きのうは沖縄県知事、宜野湾市長、きょうは山口県知事(先日当選したばかりの山本繁太郎知事、ノーパンしゃぶしゃぶスキャンダルで勇名を馳せたお方でもある)、岩国市長を訪ね、防衛省の専門家チームがおととい発表した「モロッコにおけるMV-22墜落事故に関する分析評価報告書」を根拠に「オスプレイの安全性に問題はないので、手順通りに配備を進めたい。了解してほしい」と説明したようだ。

 これに対し、仲井真沖縄県知事は「事故原因の究明だけではなく、政府には安全であることの補償のようなことをしてほしい」と言い、直後の記者会見では「機械的には問題ないが人為ミスで墜落したのだから大丈夫だというのは頓珍漢ではないか」とも言った。この記事を受けて、神浦元彰はこんなコメントを書いた。

 仲井真知事がオスプレイの安全性で政府の保証を求めたなら、政府はためらわずにオスプレイの安全性を保証するのが常識と思う。そのための今回の沖縄訪問であったはず。
 そのことに対し「非常に重い言葉と受け止める。防衛省だけで対処理できず、外務省や首相と相談する」(森本防衛相)とは、防衛省がオスプレイの安全性を調査して、その安全性を証明した報告書を信頼していないことにならないか。

 防衛省のホームページには「モロッコにおけるMV-22墜落事故に関する分析評価報告書」が掲載されている。たった10ページていどのものだから読むのに時間はかからないが、もう最初の半ページだけで大嗤いさせられる。なぜなら「手法および項目」というところにこう書かれているからだ。(わけの分からない日本語の言い回しがあるがそのままコピーする)

 本件事故調査結果の分析評価にあたっては、分析評価チーム員等が訪米し、米側報告書に関する説明受けや、シミュレータ視察及び実機搭乗等を実施し、分析評価に必要となる情報収集を行った。
 事故要因の分析評価においては、米側報告書の内容について、日本で実施している事故の分析評価の手続きに準じ、環境上の要因、人的要因、機体の要因、管理上の要因及び飛行支援上の要因に関して検討を行った。
期間 場所等 実施事項
24.7.25 防衛省 第1回分析評価会議
24.8.13~16 米国 米側報告書に関連する調査
 ・米国防省からのブリーフィング
 ・事故に関する質疑
 ・シミュレータ視察等
米側から収集した情報を基にした訪米分析評価チーム内における議論
24.8.24 防衛省 第2回分析評価会議

 結論は「副操縦士が風の状況を確認しないまま・・・回避すべき相対風領域に入ったこと・・・飛行マニュアルに定められた制限を超えてナセルを前方に傾斜させたこと、機長および副操縦士が後報への操縦桿制御のマージンを適切に調整するよう操作しなかったこと」が原因だとしていながら、件の機長、副操縦士への直接インタビューはしていないし、現場を見ることもしていない。

 モロッコまで行くことの意味は薄いとしてもシミュレータの視察をしたのなら、そのシミュレータで報告書の内容通りの副操縦士の操作をトレースし、事故の再現にトライすることぐらいはすべきだったろう。これでは単に米軍側の調査報告書の説明を聞きに行っただけということだ。

 ブリーフィングと質疑ていどのことならばテレビ会議でも足りる。わざわざ血税をかけてアメリカまで行く必要などこれっぽっちもない。それとも、接待されることを楽しみに訪米して、チャラチャラと先様のレクチャーを受け、「イエ~ス」、「イエ~ス」、「ウィ・アンダースタンド」を連発しに行ったのか。そんな無責任な腑抜けどもの分析・評価などどこまで信頼できるか。三現主義に基づかない机上の事故報告など無価値を通り越して有害そのものだ。

 朝刊には、そんな「訪米分析評価チーム」を見て、よほど「日本人なんてチョロいもんだ」と思ったらしい海兵隊トップの言葉が載っている。

見出し:「米の誠実さに日本が感謝」オスプレイ事故調査で米海兵隊トップ

 「米国の誠実さに、日本はとても感謝していると思う」。米海兵隊トップのエイモス総司令官は28日、モロッコで起きた米新型輸送機オスプレイの事故調査結果を日本側に詳細に伝えたとして、自画自賛した。
 ワシントン市内での講演後の質疑応答で、モロッコでの事故について触れた。「訪米した日本政府のチームに事故調査結果を説明した。彼らは映像も見て、実際にオスプレイにも搭乗した。事故に関して、我々はすべてにおいて率直だった」と強調し、「この問題に関する我々の誠実さに、日本政府と国民はとても感謝していると思う」と話した。(ワシントン=大島隆)

 ここまでバカにされるとは日本の「軍人」も堕ちるところまで堕ちたものだと涙が出てくる。そして、こんなたわけた報告書を片手に「説得」に行けると判断した森本敏のバカさ加減にも呆れる。どこまでも現実を見てリアルな判断をすることが安全保障の根幹だろう。それともそれはお飾りか。(8/30/2012)

 夜7時のNHKニュースは野田首相に対する参議院の問責決議案の投票集計の場面から始った。採決の対象となったのは自民党・公明党を除く野党7会派が提出したもの。自民・公明を含む全野党による一本化はできなかった。結果は賛成129票、反対91票。自民党は賛成、公明党は議場を退席、棄権した。

 公明党が棄権した理由は野党7会派提出の問責決議案には三党合意による消費増税を批判する内容を含んでいたため。逆にいえば自民党は自らを批判する内容を含む決議案に賛成票を投じたわけだ。もうここまで来ると、嗤う気さえ起きてこない。

 嗤えなかったのは、自民党の自家撞着だけが目についたからではない。今後の国会審議の停滞を考慮し十数個の法案を問責決議の前にバタバタと可決した。可決成立した法案、そして見捨てられた法案のコントラストがじつに露骨だったからだ。

 カネミ油症救済法、高年齢者雇用安定法、年低炭素化促進法、・・・などの他に、「大阪都」の実現向けに大都市地域特別区設置法、ちょっとしたラッシュアワーの様相。逆に、本年度予算の今後の執行に不可欠な特例公債法案や「近いうち」にあるはずの総選挙に関わる選挙制度改正、アップされた消費税の使い方を決めるはずの社会保証制度改革、マイナンバー法案、行政改革などの関連はすべて先送りされた。つまり増税(消費税のみ、所得税・相続税は放置)だけをしっかり決めたら、もう後はどうでもいいという財務官僚の願いだけが実現された形。手順が逆でも何でも、もうリクツなんかはおっぽり投げている。

 「いつでもカイサン自民党」が「三党合意」を批判する文言を含む問責決議案に賛成する愚かしさ以上に腹が立つのは、わざわざ選挙制度や特例公債発行などの法案を衆議院で単独審議、単独可決した民主党だ。売られた喧嘩に野党がどう応ずるかははっきりしている。

 2年後の消費増税法案と本年度予算を執行するための特例公債法案のどちらに緊急性があるかは「サルにでも分る」。しかし、いまや悪党面が定着したドジョウ宰相は緊急性の低い方には「丁寧な対応で成立のお願い」をし続け、緊急性の高い方には打って変わった高姿勢で乱暴に「どうにでもしろ」と出た。おかげで、第三四半期に向けて交付されるはずの地方交付金や政党助成金の支払いなど予算執行抑制策の実施が濃厚らしい。これは戦後になってからは初めてのこととか。たいしたドジョウだよ、ノダメ。(8/29/2012)

 夫の葬儀の際、参列者の男が「ご主人にはほんとうにお世話になりました」と話しかけてきた。「あるていど現金を手もとに準備した方がいいですね」とか「相続税など大変でしょう」などと言い、「税理士をご紹介しましょうか」と持ちかけられた。

 しばらくすると、税理士を名乗る男から電話が入り、「預貯金は一つにまとめた方がいいですね」、「金融機関から引き出して、現金は肌身離さず持ち歩くのが一番です」というような「アドバイス」があった。その税理士は何回か電話をして来る。結局、「アドバイス」通りに郵便局からカネを引き出した主婦が自宅に戻ると、駐車場の前に三輪車がある。車を降りて三輪車をよけるその最中、近くの車から降りた来た二人連れの男が主婦の車から引き出してきたばかりの2,300万のカネを奪って逃げた。

 先月、国分寺で起きた事件の概要。

 たしかにこうして書けば、よく知らぬ男に「税理士」の紹介を受け、しつこく電話をしてくる「税理士」のいささか不自然なアドバイスにしたがうのは、迂闊ではないかと思わぬでもないが、これらの言葉のあいだをこんなふうにつながれたら、どうだろう。

 「わたしも経験がありますよ。葬儀費用やなんかで現金が必要なのに、早々と届けて口座が凍結され大変でした」、「相続税なんか縁がないと思ってたんですが、住んでいる家の評価が意外に高くて、そうではなかったんですよ。素人判断はダメですね。税理士さんにきちんと判断してもらわないといけないとつくづく思いました」、「故人の預貯金を引き出すためには、戸籍謄本だけじゃなく、たくさん書類がいります。銀行、郵便局、金融機関一つずつに提出すると何通も必要で結構おカネがかかります。だから、まず、一つの口座にまとめるんです。そうすれば一通用意するだけですし、手続きも一回で済みます」、「窓口ではいろいろ訊かれたり、書類が不備だとか言われますからね。直前にご連絡下さい。その都度、確認すべきことや、うまくやり取りできるポイントをお教えしますよ」。

 とにかく、亡くなってから、一・二ヶ月の間はやることが多い。一度や二度、経験していても、一生に何回もあることではないから簡単ではない。「ちょっと、親切すぎないかな」と怪しんでも、「カネを渡せ、カネを預けろ」と言っているわけではないのだから、警戒のレベルは低い。

 とりあえずカネの引出しは終わった。「あとはうちに帰ってお茶でも入れて・・・、アラ、三輪車。お向かいの坊やが置きっ放しにしたのね」。これくらいのことで車を降りるのにロックする人はいないだろう。あえて言えば、肌身離さず持つべき現金を・・・というところだが、三輪車をよけるつもりなのだから、かえって持って下りる方が危ないとも言える。

 ニュースを聴きながら、この事件、どこか「三億円事件」に似ているなと思った。周到に伏線が張られていること、心理的なエアポケットをうまくついていること、共通している。

 この主婦の被害、詐欺に引っかかったというわけではないと思う。とすれば、雑損控除の対象にはなるだろう。それくらいが救いといえば救いだろうか。(8/28/2012)

 朝のウォーキングコース、往きか、復りか、どちらか東京病院をまわることにしている。このところは暑くてピッチを上げられず、約2時間、12キロというところだろうか。

 **(母)さんは東京病院の緩和ケア病棟で、**(父)さんは清瀬リハビリテーション病院と名称を変えた上宮病院で、最期を迎えた。きょうは**(母)さんの命日。**(祖父)さんの命日でもあるのだが。(**(母)さんは5年前、**(祖父)さんは60年前)

 緩和ケア棟は東京病院の西の外れ、グーグルマップで見ると、上宮病院の**(父)さんの病室とは、直線距離にして100メートルちょっとくらいしか離れていない。

 けさは往きに通った。消防署の前の通りから、東京病院の本館前をとおって北側の職員通用門へと抜ける。ほんの少しバス通りを歩いて上宮病院の正門前をかすめて、喜望園、社会事業大学の方向へ向かってから押出し橋の交差点に出る。東京病院を中心とするグリーンブロックを反時計式にまわる感じ。

 **(母)さんの部屋からは社会事業大学のグランドが見えた。うっそうとした木立の向こうに、時々、ボールを蹴る学生の声がして、その姿もちらちらと見えたことを思い出した。

 病室のすぐそば、春にはサクラが咲いた。**(父)さんのときは、許可をもらって西武園・多摩湖あたりを車でまわってサクラを見せることができたが、**(母)さんは緩和ケア棟に移るころには車イスが精一杯だった。でも装備のついたレンタカーを借りる方法もあったかもしれない・・・歩きながら、そんなことに思い当たった。結局、**(母)さんは病室からの花見だった。冷たい息子だった。

 夏が嫌いなのは、暑いからだけではないのかもしれない。(8/27/2012)

 アームストロング、といっても、ルイではなく、ニール。ニール・アームストロングがなくなった由。82歳。月面にはじめて降り立った宇宙飛行士。

 その時の言葉、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な飛躍である」(That’s one small step for [a] man, one giant leap for mankind)は有名。

 この時、彼は「a man」と言わずに単に「man」と言ってしまったのだそうだ。とすると、「一人の人間」ではなく「人類」ということになってしまう。たしかに「これは人類にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な飛躍である」、これでは繰返しのくどさが目についてしまい、あまり感動的な言葉にはならない。しかしそんなことは英語に堪能ではない人間にとってはどうでもいいこと。

 「a」がつこうがつくまいが、もともとこの言葉にはあまり「感動」がない。それは、どこか「考え過ぎ」、「作った感じ」がつきまとっているからだ。世の中には、優秀だが、人に響くものを与えないタイプの人間がいる。アームストロングは、どうも、そういうタイプだったようだ。

 この言葉に比べると、ユーリイ・ガガーリンの「地球は青かった」という言葉には頭でこね上げた「人工感」がなく自然な感じがする。当時において人類初であった体験をしたガガーリンの感動が、簡潔に、直接的に伝わってくる。もっとも、Wikipediaによると「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」という言葉が英訳される際に「地球か青かった」に変わってしまったのだそうだが・・・。

 これが「はじめて地球外から美しい地球を見たこと」と「はじめて地球以外の天体に降り立ったこと」の質的な違い、あるいは、「まだまだ報道や同時中継などという夾雑物に顧慮を払う必要のない時代にいてあっけらかんと自分の感想を語ることが許された時代」と「強く国家的事業を意識してその成果を宣伝しなければならない使命感に縛られていた時代」の義務感の違いによるものだったとすれば、アームストロングも気の毒だった。

 しかし、それでもなお、クドクドした「説明」よりは、感じたままの「肉声」の方が感動的であるという事実は変わらない。ここまで来ると、シェークスピアだったら、あるいはチャーチルだったら、などという夢想が頭をもたげる。いや、脚本や回想記とは違うかもしれない。でも「来た、見た、勝った」のあのシーザーだったら、どのような言葉を発しただろうか。(8/26/2012)

 パイロットの広告。万年筆の「パイロット」いまは「パイロットコーポレーション」というらしい。

 大きなお腹を大事そうに両手で支える女性の絵の横に、こんな手書きの文章。

名前は、親が子供に送る、
 はじめての手紙
   なのかもしれない。

わずか一文字か二文字。だからこそ、親は悩む。
  こんな子に育ってほしい。
  いや、元気であれば、それでいい。
  とにかく、生まれてきてくれて、ありがとう。

あふれる思いを胸に、紙に向かう。
お腹の生命に語りかけながら、ペンを動かす。
 何度も書いて。何度も考えて。また、書く。

そうやって、大切につけられた名前。
  それは、親が子供に送る、
  「一通の手紙」なのだと思うのです。

子供たちは、人生という時間をかけて、
      ゆっくり読んでくれるはずです。
   その「手紙」を書いた日の、両親の思いを。

一生のうちで、自分の名前ほど目にする文字は、他にない。
  そう、こんなに繰返し読まれる手紙は、他にないのです。

 「手紙」だったかどうかは別にして、人の親になったという気持ちと、どうか生きてゆくことに喜びを見出していってくれという気持ちをこめて、字義を調べ、画数を気にし、声に出したときの響きを試し、音の明瞭さを確かめ、・・・そうして、あれこれの思いがスッと収まるのを待ちながら、決めたことはたしかだ。やはりそれは一種のラブレターだったかもしれない。(8/25/2012)

 朝刊にベルギーの原発で圧力容器にひびが発見され、再稼働ができなくなったというニュース。

 ベルギー北部の原子力発電所で原子炉圧力容器に、ひびのような異常が見つかった。細かい安全確認をする方針で、当面は再稼働が難しい状況だ。同様の圧力容器は欧米の他の20基以上の原発でも使われているとみられ、問題は複数の国に波及しかねない。
 問題の原発は、1982年から稼働するドール3号機(加圧水型炉)。定期点検で超音波検査をした結果、圧力容器の壁の内部に長さ1~2センチのひびのようなものが大量に見つかった。ベルギーの原発規制当局は数について調査中というが、地元報道は「8千個に及ぶ」と伝えた。
 規制当局は「放射能漏れの恐れはない」としているが、原発事業者に細かく調べるよう求めており、再稼働には安全性が十分に確認されることを条件とした。
 ドール3号機はもともと2022年までに止める予定だったが、調査の結果次第では、原発の停止が前倒しになる可能性もある。
 問題の圧力容器はオランダのRDM社(すでに倒産)がつくり、ベルギーの別の原発1基のほか、スペイン、スウェーデン、スイス、米国など計8カ国に納められたという。関係国の専門家は16日にブリュッセルに集まり、情報交換。ベルギーの原発事業者の調査結果をもとに10月にも対応を話し合うことを決めた。
 懸念が広がっていることを受け、フランスの原発規制当局は20日、声明を発表。フランスでも過去の検査で複数の原発の圧力容器の被覆に不具合が見つかったが、安全性に問題はなく、「ドール3号機で懸念されているものとは性質が異なる」と強調した。
 環境NGOのグリーンピースは「国によって対応が異なるのは国際的な基準が不十分だからだ」と批判。「RDM社の圧力容器を使う原発は早急に閉鎖するべきだ」と訴えている。
 「脱原発」を決めているベルギー政府は、25年までに国内全7基の原発を順次、廃止する予定。ただ、代替電源の確保が難しいため、15年に閉鎖予定だった原発1基の稼働を10年延長する方針を先月決めたばかりだった。今回の問題で予定より早く原発を閉鎖せざるを得なくなれば、総合的なエネルギー戦略の見直しを迫られそうだ。(ブリュッセル=野島淳)

 加圧水型というのは関西電力が採用している方式。今回見つかったひびの原因は応力腐食割れだろう。応力腐食割れは沸騰水型にせよ加圧水型にせよ軽水炉が宿命的に抱え込んだ基本的な「病気」だ。本来30年程度を前提として設計された軽水炉原発を40年に延長して使うということは、必然的に「ひびわれ」という老化現象に直面せざるを得ないことを意味している。

 原子力村の詐欺師さんたちは「定期的にポンプやバルブの交換をしている。30年前の旧型品ではない」などと言うが、圧力容器や格納容器までは交換できない。チマチマした部品を交換したからといって施設全体が若い頃に戻るわけではない。それとも、ボロボロになった歯を総入れ歯にし、混濁した角膜をどこかからもらい受けて移植したら、老人が若者になるとでもいうのか、バカバカしい。

 今回の応力腐食割れの原因が何であるのか、この記事では分らない。倒産したRDMなる会社に技術管理上の問題があって、共通したウィークポイントを持つ圧力容器が複数作られたのかもしれないし、たまたまこのベルギーのドール3号機固有の問題かもしれない。だが、真実が分るのは「事故が起きたとき」であり、事故が起きたときには取り返しがつかない深刻な事態が惹起しているときだ。

 「試しに様子をみてみましょう」というわけにゆかないのが原子力災害。結局のところ、一番賢明な方法は最低限共通性を疑われる範囲の原発はすべて閉鎖すべきであるということに尽きる。

 きのうの福島の汚染土最終処分場のニュースはTBS系のみ。他局、新聞の後追いがない。少し、不思議。もっとも、このベルギーの原発のニュースも朝日のみだが。(8/24/2012)

 朝刊一面には、きのう午後、野田首相が脱原発団体の代表と官邸で面会したことが報ぜられている。恒例、金曜日の原発再稼働抗議デモがやっとマスコミに取り上げられるようになった頃、「大きな音だね」と評して失笑を買った無教養のドジョウにもついに無視できない「声」に聞えるようになったのかと大いに嗤ったが、記事によれば「面会は30分で終わった」そうだ。

 けさのラジオで山縣裕一郎が「野田さんは、きのうは比較的ヒマな一日だったようなので、もう少し、意見を聞くなり、いままでの繰返しではなくご自分の考えることを踏み込んで話されてもよかったのではないか」と言っているのを聴いた。

 同じ朝刊の三面には「首相動静22日」が載っている。こんな一日だったようだ。

 【午前】7時56分、東京・芝公園のホテル「ザ・プリンスパークタワー東京」。岡村正日本商工会議所会頭、御手洗冨士夫キヤノン会長兼社長最高経営責任者(CEO)、牛尾治朗ウシオ電機会長、岡素之住友商事相談役、宮内義彦オリックス会長兼グループCEOらと会食。9時26分、官邸。41分、竹歳官房副長官。10時1分、斎藤官房副長官。15分、斎藤氏出る。

 【午後】0時3分、政府・民主三役会議。53分、終了。2時1分、市民団体「首都圏反原発連合」の代表者ら。菅直人前首相ら同席。31分、終了。3時31分、岡村日本商工会議所会頭ら。51分、岡村氏出る。4時52分、外務省の佐々江事務次官。5時50分、手塚首相補佐官。6時20分、手塚氏出る。57分、東京・内幸町の帝国ホテル。日本料理店「なだ万」で、日本テレビの大久保好男社長、安住財務相らと会食。9時34分、公邸。

 財界のお歴々とは、朝、2時間以上も会食に費やし、ご丁寧に、午後にも小一時間、面談している。岡村会頭はドジョウの汚れた面がよほど好きらしい。まあ、他人様の趣味についてはとやかく言うのは止めておこう。しかし、これを見ると、我々、一般国民は税金など払う必要はないような気がしてくる。財界が私物化している政府のコストを持たねばならぬ義理はないよ。

 夕方のニュースを聞いてびっくり。放射性物質の最終処分場が決まったというように聞えたからだ。

 福島の原発事故で放射性物質に汚染された土などを捨てる最終処分場の有力候補地がついに判明しました。政府はこれまで、最終処分場は福島県外に作るとしてきましたが、有力候補地として浮上したのは鹿児島県南大隈町の山林であることが、JNNの取材で分かりました。政府はすでに水面下で町の関係者に接触しているということです。鹿児島県南大隅町。福島第一原発からおよそ1500キロ離れたこの町が今、揺れています。人口9000人に満たない漁業と農業の小さな町が、放射性物質に汚染された土の最終処分場の有力候補地として政府内で浮上したのです。最終処分場について具体的な地名が上がるのは初めてのことです。その候補地とはどんなところなのでしょうか。
 東日本大震災以降、福島県内では放射性物質を除去するための除染作業が行われています。取り除いた汚染土は現状、市町村ごとの仮置き場に保管されています。黒い大きな袋に包まれているのが汚染土です。除染作業で大量に発生しますが、こうした仮置き場の設置はなかなか進みません。理由は、住民の不安にあります。
 「仮置き場を2年なり3年なり(の予定)で置いたものが、そのまま5年、10年と長期間置かれてしまう心配はないのか」(伊達市住民集会、先月6日)
 政府の計画では除染作業で出た汚染土は、まず市町村ごとの仮置き場に保管します。その後、県内の中間貯蔵施設に移すとしています。さらに30年以内に福島県外に設置する最終処分場に移す計画です。中間貯蔵施設についても、交渉の難航が予想されます。理由は仮置き場と同じです。
 「必要性と安全性と必ず(県外に)持っていくのでなければ議論に入れない。最終処分場の話もまだ出てない」(福島・双葉町井戸川克隆 町長)

 こうしてニュース原稿をサイト掲載記事で読みなおしてみると、あくまで福島事故の汚染土の最終処分場であって、原発の燃えゴミや廃炉ゴミの最終処分場ではないようだ。

 低レベル(少なくとも原子燃料ゴミや解体された原子炉などの高レベル放射性廃棄物ではない)の放射性廃棄物をわざわざ1500キロも輸送しなければならない理由を明確に説明できる人はいないだろう。あえて言えば、「飲み込みの悪い原発地元住民」を騙して飲み込みをよくするためのオブラートというところだろうか。こんなバカバカしいことに輸送費をかけるほど税金が有り余っているなら、消費税率を上げる必要はなかったように思うが、いかがか。(8/23/2012)

 ウォーキングをすませてから東京病院へ。手術日確定。来月6日入院、7日手術。期間は1週間程度の見込み。まだ手術に耐えられるうちに処置し、すっきりさせるのが一番。そう考えることにする。

§

 鮨屋でもうなぎ屋でもいい、誰かと外出先で昼飯を食いに入ったとする。「松、竹、梅、どれにする」となると一番多いパターンは「まあ、竹、かな」だと思う。松にするのは贅沢、梅にするのはなんとなくショボい、そんな心理、日本人には一般的なのではないか。気取っていえば「中庸好み」ということかもしれない。

 その「『竹』好み」からすると、2030年の原発割合に関する討論型世論調査の結果は意外性たっぷりだったと言える。

 この討論型調査というのは「30年における原発割合を①0%・②15%・③20~25%のそれぞれに対し、「強く反対:0」から「強く賛成:10」までの11段階のいずれであるかを答える」というアンケートをまず事前電話調査で行い、続いて討論前と討論後に実施する。何のそなえもない時点での「意見」、討論に参加する意識で考えた「意見」、それなりの議論を経たときの「意見」。その流れから多少とも意識的な世論をつかもうという試みだ。

 原発ゼロが「松」か「梅」かは分らないが、「原発割合15%」はまさに「竹」だった。おそらく主催した政府の腹は当初はどうあれ、それなりの「専門家説明」と「意見交換」があれば、「松」でもない、「梅」でもない、「竹」に落ち着くだろう、「原発は無くせ」という声が大勢にならなければ「勝ち」だよと考えていたのだろう。

 ところが結果はそういう政府の思惑をもののみごとに裏切るものになった。原発比率20~25%は、事前調査、討論前、討論後を通じて不動の13%で一定していたのに対し、原発比率ゼロは32.6%、41.1%、46.7%と論議するほどに増え続け、逆には原発比率15%は16.8%、18.2%、15.4%と話を聞き、議論をした結果、0%の方に流れてしまった。つまり原発については「なんとなく竹」という気分的な選択は回避され意識的な選択がなされたということ。

 まあ、狡猾さとしぶとさにかけては天下一品の根性を示す経産官僚のことだから、どのような世論操作をして挽回するかについて知恵を絞ってくることだろうが、最初のトライアルでここまでこけるとは「想定外」だったのではないか、呵々。

 こうなると「原発問題を消す」という方法が有望になる。さっそくその手に出てきたメディアとそのお先棒担ぎが登場した。今週の週刊文春の広告見出しをみてニヤリとした。「日本人よ、反原発より領土問題に声を挙げよ」ときた。

 書いているのは徳岡孝夫。徳岡の貧しい脳みそには不毛の孤島の領有権の方が、それよりはるかに広いにも関わらず、放射能汚染によって住めなくなってしまった福島の土地や、既に全国の原発にうずたかく積まれ、常に電力によって冷却を続けなければならぬ放射性廃棄物よりも大事になるらしい。ことの軽重も分らぬとは情けない。ここまで来ると「病膏肓」。妄言亡者は早く死ね、バカ野郎。(8/22/2012)

 一連の領土問題に対して我が国はどのように対処すべきか、日曜の朝刊に五十旗頭真と東郷和彦の話が載っていた。

 五十旗頭は「実効支配の優位」の一点に立って現状を維持すること、東郷は尖閣については政策転換を求めている。「領土問題は存在しない」という従来の姿勢を改め、積極的に三国(日本、中国、台湾)の主張を闘わせることを求めていた。

 東郷の言葉が印象的だった。「竹島で話し合いを求めるのに尖閣では拒否するような矛盾した姿勢では、必ず足元を見られる」。まったくその通りだと思う。既に、香港のフェニックステレビのような中華圏向けの放送では尖閣の報道に「日本は韓国との間でも、またロシアとの間でも、同様の争いをしている。いずれの場合も、第二次大戦後の結果、失った領土の回復をめざす動きと考えられる。歴史的な結果を素直に受けとめようとしない、まことに困った国だ」というような「解説」を付しているらしい。

 いまのところ、これは中国的バイアスのかかった解説と受け取られていると思うが、これがアジアの国々に流布すること、または、韓国が同様の主張をもって中国・ロシアとタッグを組むようなことには、十分に警戒する必要があるだろう。

 政府は竹島の件について国際司法裁判所に提訴することにしたようだ。韓国の実効支配という現実に対抗するためには、実質的に唯一の対抗策だろう。一部には「韓国がこれに応じないのは、第三者による判断がなされれば、勝ち目がないことを自覚しているからだ」ということをいう向きがある。つくづく脳天気な人たちだと思う。いかなる判決が出たとしても、つまり我が方に不利な判決が出ても、こういう脳天気な人たちは、なにひとつ文句を言わずにその結果を受け入れるだけの覚悟があるのだろうか。別に韓国に利があると書いているわけではない。あらゆるジャッジメントには「まぎれ」がある。そのときの心構えができていますかということだ。どうもそうは思えない。彼らにとっての救いは韓国が提訴に同意して審理が開始される可能性がほぼゼロだということだ。

 ところで、竹島の件で国際司法裁判所の判断を仰ごうという野田政権、そしてそれを支持するマスコミは、もし、中国が尖閣諸島について国際司法裁判所に共同提訴しようと提案してきたら、どう対応するのだろう。竹島は国際司法裁判所に判断を仰ごうと主張する一方、尖閣諸島については「そもそも領土問題は存在しない」といってはねつけるのは、いささか苦しい。

 我が政権、そして我がマスコミがどこまでこれらの問題について、細心の注意を払っているか、起きるかもしれないケースについて目配りをしているか、どうもお得意の「想定外」になっているような気がしてならない。

 そうそう、朝刊には「米中韓大使に次官級」、「外務省、ポスト『奪還』」、「政権また脱官僚放棄」の見出し。まあ、野田佳彦という男は骨の髄まで官僚の手代、というよりは霞が関村立小学校の小使いさんだから、こういうことになるのは当たり前田のクラッカー。(8/21/2012)

 朝刊トップは、国が福島県内の除染による汚染土の中間貯蔵施設建設地12箇所を決定したというニュース。立地として、福島第一原発と第二原発のある町になったことはごく当然の話。ついでに書けば、この施設は「中間」とされているが、ほぼ百%恒久的な施設になるだろう。なぜなら、最終処分施設の引受先は現在決まっていないし、これからもそんな施設が現在、原子力発電所ないしは再処理施設がある場所以外に建設される可能性は限りなくゼロに近いからだ。

 既にこれらの施設を引き受けた地方自治体は、こんご原子力発電がゼロになっても、これまでに「生産されてしまった」核燃料廃棄物と廃止された原子炉の残骸を引き受けることになることを明確に意識し、覚悟を決めておくことが必要となる。その理由もまた上記の理由と同じ。それがこれまでたんまりもらった原発関連の交付金、寄付金、寄付施設の代償だ。

 騙されたと言ってはならない。ごくごく、ふつうの判断能力があれば誰が考えてもそうなることは分っていたわけで、引き受け時の自治体の首長も、それに賛成した(それどころか施設を誘致し、増設を決議した)議員も、そして漫然と受け入れ、それをよしとして(あるいはやむ得ぬものとして)きた住民も本心では理解していたはずだ。文句はあるまいし、文句を言う権利もない。

 何か恨みがましいことを言いたいのなら、新潟県の旧巻町の住民、三重県の旧海山町の住民のことを思い出すことだ。彼らは総体としては、最悪、放射能汚染された郷土を次世代の子供たちに引き受けさせないという選択をした。福島県と双葉、大熊、楢葉の三町は目先のカネと引き替えに郷土を売るという選択をしたから原発が立っているのだ。たまたま今回のようなことになったからと言って、文句を言えた義理ではない。わけもなくカネがもらえるわけもない。この世の中にフリーランチはない。

 不幸な事故が起きていない他の原発(核燃再処理施設などを含む)立地自治体は、ひたすら今回のようなことが起きないことを祈り続けつつ、この先、再稼働などにより使用済み核燃料が増えたり、廃炉時の放射能汚染がよりひどくならないように行動すべきだろう。汚染者負担は常識だということ、放射能提言の技術は現在のところないということを忘れるべきでない。

 宇宙戦艦ヤマトはイスカンダルに何をもらいに行ったのか、なぜそれが必要だったか、かつてあのコミックを愛読した歳の人なら知っているだろう、呵々。(8/20/2012)

 よく晴れ上がっている。秋の空のような青さだが、雲はまだ夏雲。ひとつひとつの雲の底面は包丁で切ったように真っ平ら、典型的な積雲。影は一段と濃くなってシルエットの輪郭がシャープになってきたように感ずる。秋はそんなに遠くないのかもしれない。

 一週間前の日記に「保釣行動委員会」が尖閣上陸行動の理由として、我が方の国会議員が慰霊祭を名目に魚釣島上陸の許可申請を出したことをあげていることを書いた。民間人補償に冷たかった連中が何を今ごろ白々しい。上陸が不許可になって「刺身のつま」の慰霊祭、どうするつもりかと思っていたら、洋上慰霊祭に切り替えたらしい。それ自体は当然の流れとして評価してもいいかもしれない。

 けさ、その洋上慰霊祭の船から10人が飛び込み、泳いで魚釣島に上陸した由。10人は上陸申請を出した国会議員ではなく地方議会の議員らしい。国会議員の上陸申請はおとり、海上保安庁の眼を眩ますための詐術だったということか。なかなかみごとな作戦だ。この情熱を、是非、今回ダシに使った尖閣近海における疎開船遭難事件の遺族補償にも傾けて欲しいものだ。死者をダシに使ったからにはそれくらいの誠意は見せるべきだ。

 閑話休題。

 子供の喧嘩はやられたことをやり返す、だいたいは若干上乗せをするものだ。2発殴られれば3発、3発殴られれば4発。際限がない。大人が割り込んで「もう、いい加減しろ」と言うか、「はい、そこまで」と言うまでは続く。殴られる・殴る、その刹那のことしか目に入らないから止まりようがない。

 彼の国は小人と士大夫の国だ。小人というのは大局的にものを見る目がないという点で子供と同じ。この「養いがたい」小人を制するのが士大夫ということになる。それはこの国でも同じはず。物事の有り様を見定めて、感情論に駆られ妄動する小人を制する士大夫は管理職。地方議会であったとて、選挙によって選ばれた選良は士大夫の役割ができねばならぬはず。それが小人同様の振る舞いとは情けない。

 もっとも彼の国も、最近はネット世論に振り回され、打つべき手も打てぬ共産党官僚が増えてこの国同様の情けない状態にあるらしい。まあ、後先見えぬポピュリズム知事を小人が投票する選挙で選ぶこの国の状況より、本来なら小人の関与しない闇のプロセスでのし上がる士大夫の国があのざまなのだから、悲劇の深さはかえってこの国より深刻なのかもしれないというのが唯一の慰めか。

 いずれにしても、こんな自己満足的行為をいくら繰り返したところで事態は進まない。決められない政治にあれほど苛立っている連中が、決められない・進まない外交を作り出していることに気づかないのだから、もうこれは末期的症状だ。(8/19/2012)

 きのうの夕刊に「16年ぶり『名実逆転』解消」の見出しが載った。朝刊にはその解説風の記事が載っている。

見出し:政府の強気試算に疑問の声 成長率の「名実逆転」解消

 野田政権は17日、2013年度の経済成長率を、物価変動の影響を除いた実質で1.7%、名目で1.9%と予想する試算を発表した。予想通りなら、16年ぶりに名目成長率が実質を下回る「名実逆転」が解消する。だが民間調査各社は、政府の強気の試算に首をひねっている。
 1997年度に消費税率が3%から5%に上がった影響で物価が上がり、物価を織り込む名目成長率が実質を上回った。だが、日本はモノの価格が下がり続けるデフレに陥った。98年度から「名実逆転」という現象が続く。
 今回の政府見通しは、雇用や企業業績がよくなって消費が緩やかに増えるとし、14年の消費増税の前の駆け込み需要も織り込んだ。そのため、モノの値段が上がるというものだ。内閣府は、総合的な物価動向を示す「国内総生産(GDP)デフレーター」が、12年度のマイナス0.3%から13年度はプラス0.2%に上昇するとはじく。
 だが、民間調査会社10社が今月公表した見通しでは、13年度のGDPデフレーターは「0~マイナス0.5%」。「値上げして物が売れる雰囲気に全くない」(SMBC日興証券)などの指摘が多い。成立した消費増税法では、増税前に「物価が持続的に下落する状況からの脱却」を求めているため、今回の試算には「政府の期待も入っているだろう」(民間エコノミスト)とみられている。
 14年度に税率が引き上げられれば、消費の反動減は間違いない。内閣府関係者からも「デフレ脱却宣言には、まだ時間はかかる」との声が漏れる。(榊原謙)

 TOPIX連動型ETFのことしの分配金は去年よりも下がった(1306の場合、去年は2,070円、ことしは1,510円、1308の場合、去年が1,607円、ことし1,305円)。景気動向を見る先行指数はここ2カ月ほど悪化しているはず。平均株価はたしかに今月に入ってから8勝5敗、おとといは終値で9,000円台にのせたが、雇用と企業業績が順調に回復してゆくとは政府だって見ていないだろう。ホンネではもはや政府は景気の好転だとか経済成長だとかには期待をしていない。そういう状況だから、消費税率アップによる駆け込み需要のことを口にせざるをえず、それに相当の期待をしているというわけだ。つまり、駆け込み需要こそが「経済成長の起爆剤」というわけだ。

 14年4月に3%アップ、15年10月に2%アップ、2回に分けて行うことにしたのは、一般的には現在の経済状況を考慮して慎重に行おうとしたからと受けとめられているが、どうやらそれは見せかけの説明で、消費税率アップという「経済成長エンジン」を二度に分けて使おうということだったようだ。つまり二段ロケット。

 しかし二度に分けたのはそれだけの理由ではあるまい。消費税率アップした年には必ず駆け込み需要の反動が顕著に表れ、反対派から「それ見たことか」と言われる。しかし分けて行うことにすれば、少なくとも最初の税率アップの直後も、次の税率アップに怯える消費者による「新たな駆け込み需要」が期待でき、反動を抑え、批判のトーンを下げられる、そういうもくろみがあるのだろう。

 そうだとすればどうだろう、見かけ上の「経済成長の起爆薬」をもっと小出しにする方が、より効果的で持続力もより期待できるのではないか。つまり、毎年1%ずつ5回に分けるのだ。この方が国民を騙すにはより効果的なのではないか。もっともそんなじれったいことでは小心な財務官僚どもの賛同が得られないのだろうが、呵々。(8/18/2012)

 東京ガスの営業マンの案内で、エネファームの稼働音を確かめに行った。比較的大型の冷蔵庫の音というところ。エネファームの稼働は家庭内の電力消費があるときに限られるから、深夜などにフル稼働することは考えられない。電力消費のある生活時間帯が中心になることを考えれば、さほど神経質になることはなさそう。後は現在の電気床暖房からガス温水床暖房への切り替え工事関係。できれば脱衣場、便所あたりも対象にしたいのだが。

 朝刊に載っている「週刊ポスト」の広告見出しが、時代の雰囲気を伝えているので、書き写しておく。

全国民よ! 政界大再編の轟音を聞け
橋下維新全国「出馬選挙区-総選挙候補者888人-」を公示する
自民にも民主にも絶対投票したくない有権者へ あなたの地元にはこの人が立つ
与党関係者、大マスコミ記者が「のど手」で欲しがった
本誌「名簿スクープ」の最重要機密をここに解禁する
新人議員200人の一挙誕生で政治が変わる そう思いませんか?

 自民にも民主にも絶対投票したくない・・・そうだ、そう思っている。しかしナントカ維新の会の新人が何百人当選しても政治状況は変わらないだろう、日に日に絶望的に悪くなってゆくという一点において・・・そんなことは「日本新党ブーム」から20年、繰返し、繰返し、起きてきた。よほどの記憶力が悪い人でも、ほんの少しその頃のムードを思い出せば、たちどころに「ああ、あれね」と得心する。

 「政権交代」の嚆矢となった日本新党が躍進した93年の総選挙における当選者をざっと眺めてみる。もうそれだけで橋下新党の行く末のかなりの部分は予測できる。・・・枝野幸男、海江田万里、野田佳彦、中田宏、川村たかし、前原誠司、藤村修、樽床伸二、小池百合子・・・。結局は「ジバンもカンバンもカバンもない」けれど成り上がりたい、それだけで、マスコミ評価にウロウロする定見のない口舌の徒が出てくるだけなのだ。それにしても卑しいマネシタ政経塾出身者の多いことに呆れ果てる。

 たしかに予測が難しいところもある。ただし「想定外」の傑物が現れる確率は限りなくゼロに近い。限りなく百%に近いのはおよそ社会人として認めがたいようなヤクザ者(ヤーさんという意味ではない、単に「使いものにならない」という意味だ)が出てくることだ。既に大阪の市会議員だか府会議員に一、二名、橋下でさえ持て余すようなカスが当選していたはずだ。

 20世紀のラスト・ディケードを失われた十年として過ごしたこの国はやっといまになって世紀末を迎えたのかもしれない。まさに周回遅れ。

 最後に得意顔の「週刊ポスト」へ。あと何回、「政治が変わる」ネタで食うつもりなのかな、呵々。(8/17/2012)

 きれいに晴れ上がっているわけではないのにウォーキングコースから富士が見えた。夏の黒い富士。盆休みの前後は交通量のせいか見える確率が高い。人気はほとんどなく閑散としている。

 途中でアクエリアスを飲んでもスタート時から1.2キロは軽くなる。発汗で相当量が体から抜けるようだ。シャワーを浴びてから飲む牛乳がおいしい。昼食後はエアコンを入れて書斎にこもりきり。

 またベタ置きの本の山がいくつもでき、昼寝するスペースがなくなってしまった。片づければいいのだが、それが面倒で最近は椅子を斜めに倒して寝ている。携帯電話のタイマーを目覚まし代わりにして30分。これですっきりする。それより長いとかえって体が切れなくなる。

 夕方になって、送り火。毎年思うことだが、送り火は何時頃やるものなのだろう。チェックアウトタイムと考えると夕方では遅いような気がするが、そんな風に考えることが間違いか、呵々。五山の送り火の点火時刻は8時とか。まだ明るいうちに送ったのはいささか薄情だったか。

§

 きのうの尖閣諸島魚釣島への不法上陸、逮捕者は、抗議船の乗組員を含め計14名になった由。朝刊から経緯が書かれた部分のみを書き写しておく。

 15日午後5時35分ごろ、尖閣諸島の魚釣島に、香港の活動家ら7人が上陸し、沖縄県警は同日、このうち5人を出入国管理法違反(不法上陸)の疑いで現行犯逮捕した。残る2人は抗議船に戻ったが、海上保安庁の巡視船が領海内で抗議船を捕捉し、乗っていた9人全員を同法違反(不法入国)の疑いで現行犯逮捕した。14人は那覇市に移送して調べる。外国人の尖閣上陸は2004年3月以来。
 逮捕された14人はいずれも男で、許可なく上陸または入国した疑いがある。県警によると、県警に逮捕された5人は「中国の領土なので逮捕は間違いだ」「中国の領土に入るのにパスポートは必要ない」などと供述しているという。
 警察・海保などは14人について、入国管理局に身柄を引き渡した後、強制送還する方向で調整している。
 抗議船は、尖閣諸島の領有権を主張する香港の活動家団体「香港保釣(釣魚島防衛)行動委員会」の「啓豊2号」。「わずかな土地でも失うことはできない」などと書いた横断幕を掲げていた。14人には活動家のほか香港のテレビ局の記者も含まれていた。
 県警と海保によると、抗議船は12日に香港を出港、15日午後3時51分ごろに日本の領海内に入った。巡視船が放水や接舷で針路を変えるよう警告したが、同5時半ごろ魚釣島に到着。はしごをおろして7人が泳いで上陸した。
 魚釣島には事前情報に基づいて沖縄県警の警察官らが待機。上陸してきた活動家らに再三退去を警告したが、午後5時54分ごろ、応じなかった5人を逮捕。岩場では中国国旗と台湾の旗を掲げていたのが確認された。逮捕時は特に抵抗せず、武器は所持していなかったという。抗議船は5人を残して島を離れたが、海保の巡視船が追跡して捕捉。同日午後8時ごろに船内にいた9人全員を逮捕した。

 ちょっと嫌なのは香港のテレビ局(我がマスコミは「フェニックスTV」と伝えているが「鳳凰衛視」というらしい)のメンバーが含まれていること。

 Wikipediaによると「全世界の華人向けのCNN」をめざし、中国本土に推定2億人の視聴者を持ち、東南アジア、ヨーロッパ、北米、中米、南米、オーストラリアなど世界150カ国以上に視聴者がいるようだ。台湾の政治状況を報道する際は中国本土よりの姿勢と言われるが、キャスターに台湾出身者がかなりいること、「中国でもっとも尊敬される企業」として評価されていることなど、世界における中国語圏に相当の影響力があると思われ、今回の状況が実映像つきでオンエアされれば保釣行動委員会の評価(ヒト、カネ、モノに反映するだろう)は高まりそうだ。

 いうまでもなく中華圏の実力は侮り難い。今回、上陸したメンバーが五星紅旗だけではなく青天白日旗を掲げたことにも注意しなければならない。単純に頭に血を上らせて「中国はけしからん」という一事に囚われて、欧米における彼らの影響力と展開力に留意することを忘れるならば、「実効支配」という有利なポジションを失うこともあり得る。その時、愚かな都知事の「吠え面をかかせてやる」という言葉(石原は誰に吠え面をかかせたかったのか。政府か? 民主党か? 双方か? 忘れてはいけない、どちらも日本人だということを。石原は日本人に吠え面をかかせたかったのか?)を思い出し、「あのバカバカしい内輪もめが中国を利したんだったね」と臍を噛むようなことは絶対避けねばならない。

 選択肢は限られてきた。実効支配にあぐらをかいていることはできなくなってしまった。一方で竹島の件を国際司法裁判所に提訴するとしながら、他方で尖閣諸島について係争する問題はないと主張するようでは一貫性を問われかねない。「実効支配」の優位を背景にして、漁業資源と海底資源の共同管理・共同開発、利益の配分に向けて問題のフェーズをシフトする現実策を検討する段階に入ったのではないか。(8/16/2012)

 またこうして「敗戦の日」が来た。ことしはまわりがずいぶん騒がしい。特に韓国の李明博。先週、竹島を視察し、きのうは地方で開催された教員向けセミナーにおいて質問に応ずる形で「日本の天皇が韓国訪問を希望するなら、独立運動で亡くなった方々を訪ねて心から謝罪して欲しい」と発言、きょうの光復節のスピーチでは従軍慰安婦問題に言及した。交響曲の最終章に向けてどんどんテンポを速めてゆく指揮者のような感じ。

 そして午後には日曜日に香港を出航した保釣行動委員会の船が尖閣諸島魚釣島に接岸、乗組員が上陸した。領海侵入を追尾していた海上保安庁と沖縄県警が退去警告に応じなかった5人を逮捕した由。先月にはロシアのメドベージェフ首相が国後島を視察するということもあった。

 我が国は西の隣国3カ国のすべてに対して「領土問題」を抱えている。ここ半月の事態はそれぞれ独立した動きだと考えられるが、もし韓国、中国、ロシアの間で連携する動きが出てくるようなことになれば、かなりやっかいなことになりかねない。

 可能性はある。原因に共通するものがあるからだ。

 竹島、尖閣についての彼我の主張・状況を大雑把にまとめるとこういうことになる。

 書誌的な充実度はだいたいにおいては相手側にはかなわない。したがって、我が方としては相手側の文献を否定的に評価することが中心になってしまう。百瀬孝の「史料検証 日本の領土」芹田健太郎の「日本の領土」、両書に共通することだが「その時代に積極的に領有を主張していない」という言い方で韓国・中国それぞれの文献の証拠能力を否定している。しかし、それは近代の国家概念からの言い方であって公平に見れば「難癖をつけている」以上のものに成り得ていない。前近代における国家は無人の地はもちろんのこと、他国が格別の主張をしない限り、領土として主張する意識は希薄で、領土化の手続きは完備されているわけではなかった。江戸時代の「蝦夷地」などはその一つの例だ。

 逆に、明治期になされた日本領土への編入手続きについて言えば、我が方の手続き的瑕疵はほとんどなく、国際法に立てば大いに利がある。ただ、そのことは韓国・中国両国にしてみれば、近代化に立ち後れた隙を突かれたあるいは弱点を利用されたもので、手続き以前に「不正なもの」に見える。つまり、欧米各国がアジア、アフリカ、アメリカ大陸を我が物にした手法(それが「国際法」の因でもあるのだが)そのものであって、根本的に公正さを欠いているという主張につながるのだ。まず、これが韓国・中国に共通するものだ。

 では、この両国にロシアを加えたときの共通性はなにか。それは我が方の敗戦、そして不自然な形で強行されたサンフランシスコ講和会議と講和条約だ。冷戦の進行に伴いアメリカの思惑を優先して強行された講和条約には、一部に我が国に放棄させながら帰属先を明確にしない不完全な部分を作った。

 見方を変えれば、帰属先を明記したものはすべて当時アメリカが必要とした島々ばかり。たとえば満州などについては触れることさえしていない。あまり指摘されることがないようだが、こういうところにサンフランシスコ講和条約なるものの素性が暴露しているとも言える。

 であれば当然の話として、当時の吉田政権はこの杜撰な講和条約の取りこぼしたものを丹念に拾っておくべきであったことになる。しかし、外交官出身の「名宰相」という評価が高いわりに、残念ながら、吉田茂にその細心さはなかった。つまり、この時点での我が方の「手抜き」こそが、韓国・中国・ロシア(当時はソ連)との間の領土紛争のタネになった。韓国・中国・ロシアが我が方のこの「ウィークポイント」を連携して突いてくる事態は絶対に避けねばならない。

 もともとアングロサクソンという輩は第三者間に災いのタネを撒くことにより、将来の自分たちの優位性を確保するという行動を好むようだ。それからするとあの講和条約の不完全性は意図的に仕掛けられたものだったのかもしれない。アメリカ合衆国という国に「善意」だの「好意」だのはない。我々はいまも「敗戦」の代償を払わされ続けている。

§

 ところで、保釣行動委員会が尖閣上陸かと言われているきょう、閣僚である羽田雄一郎と松原仁が靖国神社を参拝した。羽田は海上保安庁を所管する国土交通省の大臣、松原は警察庁を管理する国家公安委員会のトップだ。予想される尖閣上陸にそなえるべき関係閣僚ではないか。

 8月15日を選んで靖国参拝をしてみせるのはライトマインドの人々にアピールする絶好の機会だからムダにはできない。したがって公務などそっちのけにしても靖国参拝を優先すべきだという判断。この両名のプライオリティに対する考え方はどうなっているのか、陋巷の民ですらそう思う。

 バカ右翼こそがこの国を悪くするということがよく分かって、なかなか貴重な一日であった、呵々。(8/15/2012)

 午前中は雨模様。久しぶりにステップボードにしようかと思ったが、いまひとつやる気にならないうちに昼になってしまった。そのうち、雨はあがり蝉も鳴き出し、ウォーキングに出た。

 さほど日射しはないのだが、やはり夏の1時から3時の間は暑い。さすがにこの時間帯は人もまばら。夏休み中の学生だろうか、若い人が数人走っているくらい。いつものコースに東京病院コースをアッドオンして約2時間。時速6.34キロ/時。いつもより少し遅いにもかかわらず、意外にへばった。

 エプソンから「リスタブルGPS」なる商品が出る。腕時計のように装着すると、GPS機能を使って移動コース、距離を割り出し、移動時間、速度、消費カロリーを算出、記録してくれる。高級タイプのものは心拍数も計測・記録してくれる。USB接続によりパソコン上でデータ管理ができる。

 一番上のクラスは心拍センサーつきで34.800円、センサーなしの中級品で29,800円、普及版で24,800円。これくらいならば、許容範囲。来週発売の予定とか。

 ちょっと面白そう。気になるのはカタログの写真ではマップ表示の画面にゼンリンのクレジットがついた地図が使われていること。ゼンリンのマップは1年ごとの更新で高い。グーグルマップが使えるかどうか、後は精度を含めて実際の使い勝手。最初のユーザーの反応を見てからにしようか。(8/14/2012)

 ウォーキングから戻って、シャワーを浴び、着替えて居間に下りてゆくと、朗々たるトランペットの曲がかかっていた。**さんから送られてきた10月の「モーツアルトのレクイエムを歌う会のチケット」に資彰さんのCDが添えられていたとか。福原彰という芸名でジャズ・トランペッターとして活躍していたが、小平の家で会ったことはなかったし、青山ピーコックの上にあった住まいで会った記憶もあまり定かではない。亡くなってもう21年。

 「スリーピー・ラグーン」がかかった。好きな曲だ。この曲を聴くと決まって思い出す話がある。もうずいぶん前になるが、湯川れい子がラジオで語っていた話。

 彼女には兄がいた(すぐ上の兄といっていたような気がするが定かではない)。戦争がだんだん激しくなったある日、ついにその兄に赤紙が来た。入営が迫ってきたある日、片付けをしている兄の口笛が耳に入った。心地よいメロディ。何という曲かと思い、尋ねると兄は笑いながら自分が作った曲だと答えた。彼女はその笑いを照れ笑いだと思った。

 出征した兄はついに戻らなかった。戦争が終わり、しばらくしたある日、ラジオから流れてきたメロディに彼女は腰が抜けるほど驚いた。あのメロディだった。「音楽の好きな兄でしたから、きっとどこかでこの名曲を聴いていて、わたしをからかったのでしょうね」と、そんな話。

 ちょっといい話だと思い、何かのときに**(母)さんに話した。人の話はあまり聞かない**(母)さん、さっそく、こんな話がかえってきた。こちらの方はさほど劇的な話ではないが、なぜか「スリーピー・ラグーン」というと湯川の話とセットのようにして思い出す。

 「チャーさん(「小さい兄さん」という意味らしい)の出征が決まってすぐ、レコードをもって東京から帰ってきたの。『ミネトンカの湖畔にて』という曲のレコード。好きだったのね、きっと。ところがうちには蓄音機がなかったから聴けなくて、せめて、もう一度、聴いてから行きたいって言ってた。でも、とうとう聴けなかったのよ」。

 伯父も戻らなかった。兄弟姉妹が集まると必ず言っていた、「チャーさんが甲種合格だったのよ、ひどい話よ、ねぇ」。もともと病弱だった伯父は戦地に行き着く前に死んだのだそうだ。「戦病死」というのだろうか。

 いま聴いてみると「ミネトンカの湖畔にて」という曲はさほどの曲には聞えない。歌詞は湖に身を投げたインディアンの少女の悲恋を歌ったものらしい。どうも伯父にはこの曲に重ね合わせる格別のエピソードがあったのではないか、そんな気がする。けっして恵まれた仕送りがあったわけではない学生がSP盤を携えて帰る不自然さがすんなりと説明できそうに思えるからだ。

 夕方、迎え火。花、団子、天ぷら、お吸い物などのお供えをし、きのうの夜、組み立てて置いた盆提灯をつけて、きょうから3泊4日のご滞在。(8/13/2012)

 香港の「保釣行動委員会」なる民間団体が尖閣諸島に向けて出航した由。ニュースで出航風景を見た。船体に掲げている看板には「駆除倭寇」とあった。中国語が話せるわけでも読めるわけでもないから気をつけねばならないが、日本語的に読めばかなり刺激的な文言だ。

 同じ漢字圏故の早とちりには注意しなければならない。たとえば「手紙」。これはレターではなく、トイレットペーパー。「小心玻璃」とあれば「ガラスに注意」。だから「駆除」と言われて「害虫」「ゴキブリ」などを連想し腹を立てて然るべきなのかどうか、即断は慎んだ方がいい。しかし「倭寇」はやはりあの「倭寇」だろう。

 ちなみに、百瀬孝の「史料検証 日本の領土」および芹田健太郎の「日本の領土」には、明代の「籌海圖編」という本に尖閣諸島を含む島々が当時の海上防衛区域として記載されていることが紹介されていた。このときの防衛の対象は「倭寇」だった。はからずもここに「倭寇」が登場していたことを思い出して独り嗤いした。いや、ひょっとすると「保釣行動委員会」のメンバーが「倭寇」という言葉を使ったのは意図のないことではなかったのかもしれない。なにしろ数千年の記録された歴史を持つ国だ、先様は。残念ながらこちらは「ことしは古事記編纂1,300年の年」にとどまる。

 ついでに書いておく。百瀬の本も芹田の本も「籌海圖編」は「倭寇」からの防衛という見地で記載されているだけで明の領土であったという証明にはならないと否定的に書いている。読んだときの感想は「古書に載っているから中国の領土であった」という主張も「単なる防衛ラインに書かれていただけで領土ではない」という主張も、読みようによってはどうにでも読めるものだなというもので、決定的なものとは思えなかった。そもそも近代以前の国家における領土概念は近代国家におけるそれとはずいぶん違うものだ。(じつは竹島、尖閣に対する日韓、日中の主張のすれ違いはそこに発していると思う)

 冷たい目で見るならば、こちらは「何でも欲しがる意地汚い中国人」と思っているが、先様は「ちょっとばかり力を持つと海岸を荒らしてまわる日本人」と思っているのだろう、どちらも当らずとも遠からずだけになかなか嗤える構図に見えて可笑しい。

 ところで「保釣行動委員会」はこれまでに何回か尖閣上陸トライアルに挑戦している由。今回は日本の国会議員グループに慰霊祭を名目に魚釣島に上陸する動きがあることに抗議することを理由にしている。

 ここで慰霊祭というのはおそらく終戦間際に石垣島から台湾への疎開移動中にアメリカ軍の機銃掃射を受け、尖閣諸島のいくつかの島に漂着し、その後、主に食糧不足が原因でなくなった民間人に対するものだと思われる。しかし、戦後一貫して被害者補償などに冷たかった政府、そしてそんなことには一切関心を示さなかった議員たちが今年になってにわかに魚釣島で慰霊祭をしようなどと言い始めても、白々しいばかりかかえってその下心が見え見えなことはたしかで、同じ日本人として少しばかり恥ずかしくなる。にわかに慰霊祭に飛びつくより先に、まず、被害者本人あるいは遺族など生きている人に対する措置から手をつけるのが真っ当な手順だろうに。

 政府は上陸許可を出さなかったため魚釣島での慰霊祭はできなくなった。ことしにわかにその気になったという議員さんたちは犠牲者の地元である石垣市で慰霊祭をやるのだろうか。それとも尖閣上陸計画が頓挫したとたんに、慰霊祭のことなどどうでもよくなったのだろうか。興味深い。

§

 閑話休題。ロンドンオリンピック最終日、最後の最後になって、男子レスリングフリースタイル66キロ級で米満達弘が金メダルを取った。日本のメダル獲得総数は38(金7、銀14、銅17)となり、アテネ大会の37(金16、銀9、銅12)を上回った由。(8/12/2012)

 ロー・ダニエルの「竹島密約」は、日韓基本条約締結に向けた交渉の中で河野一郎と丁一権の間で取り交わされたという竹島に関する密約について、成立までの流れと内容、それが現在までにどのような経過をたどったかを書いた労作ドキュメントだ。

 密約の原本は、現在、日韓双方とも(外務省にはある?)行方不明になっている。ダニエルは日韓の関係者へのインタビューからその存在を知り、主に嶋元謙郎(元読売新聞韓国特派員)から内容に関する情報の提供を受けた。それによれば、密約の内容は以下のようなものだった。

竹島・独島問題は、解決せざるをもって、解決したとみなす。したがって、条約では触れない。
  1. 両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反論することに異論はない。
  2. しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島を自国領として線引きし、重なった部分は共同水域とする。
  3. 韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない。
  4. この合意は以後も引き継いでいく。

 中曽根康弘は「尖閣列島問題に対する鄧小平の解決案に30年以上先駆けるものだった」と言ったそうだ。たしかにこれこそが政治の「叡智」だと思う。惜しむらくはそれがその存在をほとんど知られぬ「密約」であったことだ。

 鄧小平の「この問題を解決する知恵が我々にはない。紛争を棚上げし、その解決を次世代に任せよう。次の世代は我々より、もっと知恵があるだろう」という言葉は記者会見の場での発言だった。それ故、衆目の知るところとなり、それなりの効力を発してきた。(もっとも、残念ながら「次の世代」は知恵のないバカの比率が高くなり、ここしばらくの間、尖閣も竹島も同じような運命をたどりそうな雲行きにあるが・・・)

 「竹島密約」の終章は、密約の原本が不明になったこと、密約を取り交わした際の両国間にとっての課題が変質したことを書いている。ダニエルは前者を「紙の喪失」、後者を「精神の喪失」と要約した。そしてメンツを立てながら双方が実質的利益を分け合うという精神の喪失を生んだのは未熟な社会とポピュリズムだと指摘している。

 きのうの李明博大統領の竹島視察は一国の政治的叡智を代表するはずの国家元首までが知恵を喪失してしまったことを示している。政治的叡智なるものが極端に低下しているのは別に彼の国だけではない。この国も現象的にはまったく同様。当分、バカのバカによるバカのための政治行動を見せられ続けることになるだろう。まあ、これはこれで観察者にとってはなかなか興味深い材料だが。(8/11/2012)

 消費増税関連8法が参議院で可決された。朝日デジタル版の速報記事によると、8法の内訳はこうなっている。

■成立した8法(★は政府提出法案の修正。☆は民自公3党提出)

★消費増税関連2法案:消費税を2014年4月に8%、15年10月に10%に
★子育て支援関連2法案:保育への民間参入と小規模保育の拡充
★年金改革2法案:厚生年金と共済年金の一元化。無年金対策
☆社会保障制度改革推進法案:将来像を協議する超党派の国民会議を創設
☆認定こども園法改正案:幼保一体型の現行制度の拡充

 もともとの政府案にあった所得税(課税所得5千万以上の税率を40%から45%にする)と相続税(基礎控除額を5千万+1千万×法定相続人数から3千万+6百万×法定相続人数にする)の増税は自民党からの修正要求であっさり削除した。ここまで露骨に税金は「広く平等に」という一聴美しいかけ声を利用して「富裕層には軽いまま、低所得層には重く負担させる」というポリシーを貫かれると声を失う。

 もうひとつだけ書けば、「厚生年金と共済年金の一元化」といいつつ、結局のところ、きょう現在、共済年金が厚生年金を上回っている積立金額は、共済年金の保険料率を厚生年金並みに引き上げる際の「激変緩和措置」に使う話に化けている。なんのことはない、持参金なしで「結婚」し、既得権者である役人OBの職域加算の原資は結婚後の所帯で「平等」に負担しようという抱きつき戦略。役人のやらずぶったくり戦略そのものなのだ。こんなものが「税と社会保証の一体カイカク」とは恐れ入谷の鬼子母神だ。

 さてここ数日の内閣不信任騒ぎ、2週間ほど続いてきたオリンピックフィーバーに目を奪われていたら、李明博大統領、きょう竹島を訪れ、常駐の守備隊といわゆる「住民」と懇談した由。

 野田政権というのは、TPPといえばTPP、原発再稼働といえば原発再稼働、消費税といえば消費税、とにかく目先の単件にかかり切るとそれしか目に入らなくなるらしく、今回も虚を突かれた形。まあ、ドジョウに先々を見通すことや、複数の案件を同時並行処理できるはずもないのだから、仕方がないか。
本当に情けない国に堕ちたものだ。(8/10/2012)

 街でばったり知り合いに会う。「よお、久しぶり」、「おお、これはこれは」、「いま、どうしてるの?」などと話し始め、当たり障りのない近況を語り、「近いうちに、飲もうや」、「いいね」などと言い交わして別れる。こちらが下戸と知っている人は「近いうちに、メシでも食おうや」とも言う。だがその通りに酒を酌み交わしたり会食をすることは経験的に言ってほとんどない。

 必ずしもこちらが基本的に人嫌いで非社交的なタチだからそうなってしまうというわけではない。

 「近いうちに、ね」というのは、オレはアンタが嫌いじゃないよ、いっしょに飲み食いして語り合ったらそれなりに楽しいと思っているよ、でもきょうこれからというわけにもいかないから、お互い時間がとれるときに会食しようよ・・・くらいの気持ちで言っていることだ。

 だからといって、そこで「ちょっと、待って」と言いながら手帳を取り出したりするのは「野暮」ということになる。つまり、実現するかしないかは、その後の成り行きに任されるものだ。仮に、そんなことがあった年の次の正月、もらった年賀状に「『近いうちに』とのお約束でしたので、お待ちしておりましたが、ご連絡がございませんでしたね」などと書いてあったら、きっとゾッとすることだろう。

 なにがなんでも消費増税法案をあげろと財務省あたりから厳命されているらしい野田佳彦、消費増税は民主党政権のうちにやらせろと自民党のお歴々からこれも厳命されているらしい谷垣禎一、この二人が昨夜、会談し、「近いうちに国民に信を問う」ということで合意した由。当初、野田は「然るべきときに解散」と言い、きのうの朝の時点では「近い将来解散」になり、夜になるや「近いうちに解散」となった。単なる言葉遊び。しかも口語表現に変わる。最近の国語力のない若者にはどうなのか分らないが、ちょっと前までの常識は「いかめしい文語表現、漢語使用の方が言葉の重みは増すもの」だったはず。まあそれも幻想と言えば幻想なのだが。

 これで、国民の生活が第一(これが政党名なのだ、そしてこれが2012年現在のこの国の政治状況なのだ)、みんなの党(これも政党名)、共産党、社民党、新党日本、新党きづな(新党日本とか、新党きづなと聞いたときも嗤ったものだが、国民の生活・・・ができたいまとなるとよほど真っ当に思えるところが可笑しい)など計6党が提出していた内閣不信任案はきょう午後否決された。自民党と公明党は採決に欠席した(自民党からは中川秀直、小泉進次郎、塩崎恭久、柴山昌彦、菅義偉、河井克行、松浪健太の計7名が出席して賛成投票をした)。

 谷垣禎一はそれなりの人物とは思うが、いまのいい加減な政治状況の中では逆にそれがウィークポイントになってしまう。信頼に値しない人物を相手にするようでは政治家としては心許ない。(8/9/2012)

 朝刊を開いて驚いた。3面にこんな記事が載っていた。

大見出し:東電幹部「保安院が言ってるから、いいんじゃない」

見出し:「水素爆発」確認せず広報/原発事故会議映像で判明

リード:東京電力福島第一原発3号機の爆発をめぐり、東電が確証のないまま政府の発表を追う形で「水素爆発」と広報していたことが、報道機関向けに限定開示したテレビ会議の加工映像からわかった。事故直後の混乱の中で、国民への説明責任を軽視していた東電の姿勢を示すものだ。

本文
 昨年3月12日に1号機が水素爆発したのに続き、14日午前11時1分に3号機で爆発が発生した。問題の場面はその後、午前11時半ごろの本店の映像だ。記者発表の文面を検討する中、本店で清水正孝社長の隣に座る高橋明男フェローの次の発言が映像に残っている。
 「要はさ、1号機を3号機に変えただけだってんでしょ。それで水素爆発かどうかわからないけれど、国が保安院が水素爆発と言っているから、もういいんじゃないの、この水素爆発で」
 高橋フェローは「保安院がさっきテレビで水素爆発と言っていたけど。歩調を合わした方がいいと思うよ」とも語り、状況確認をしないまま、政府の発表に合わせるよう促した。
 映像からは「すでに官邸も水素爆発という言葉を使っているから、それに合わせた方がいいんじゃないですか」という声も聞こえるが、発言者はわからない。
清水社長はこの方針について「はい。いいです。これでいいから」と了承。その後の約2秒間は「ピー音」で消され、清水社長の「スピード勝負」という言葉が続いている。
 東電広報部はその後の記者発表で「水素爆発ということでございます」と説明した。3号機の爆発については今なお原因は確定していない。東電は当時、確証のないまま「水素爆発」と広報していたことになる。
 この部分は東電が報道各社に編集して配った約1.5時間分の映像には含まれておらず、9月7日まで土日を除く毎日6時間、本店内で録音・録画などを禁じたうえで閲覧を認める150.5時間分の一部に含まれていた。都合の悪い部分の開示に消極的な印象はぬぐえない。
=肩書はいずれも当時
(今直也)

 要するに、「原因が水素爆発でも、水蒸気爆発でも、どうでもいいじゃん、どうせ壊れちゃってんだからさ」と、まあ、こういうことらしい。壊れたら思考停止、これでも技術者なのか。

 事故から1年5カ月を経た今も確定的なことは何も言えない状況であるから、いずれの原因であったのか、あるいは保安院の発表はほんとうに正しかったのか、問おうとは思わない。しかし東京電力の立場としては、①考え得る爆発原因はいくつあって、どの原因であるかを推定するために現在こういう手を打っている、②考え得るそれぞれの原因が引き起こす現象の概要はこれこれである、③引き起こされる外部への最悪の影響はこういうことが想定されるので、このような行動、準備をしていただきたい・・・これらのことを、現場を見ることなく想像でいい加減なことをしゃべっている保安院のメンツなど潰してもいいから、きちんとまとめて話すべきであった。

 当時東電の会長であった勝俣恒久は「国民を騒がせるのがいいのかどうか」を気にしたようだが、「壊れちゃってる」以上、国民を騒がせないで済むわけがない。ヘリクツをいくらこねまわしたところで東電首脳が、もらっている高給に釣り合わない無能な木偶であり、事故は彼らの無能が引き起こした人災だったことは隠しようがない。(勝俣や清水はいったいいくらの退職金をせしめたのだろう)

 この記事に登場する「高橋フェロー」というのは高橋明男という名前らしい(ついでに書けば、東工大卒だそうだ。ツバメが泣いてるね、きっと)。まあフルネームが分ったところでどうということもないが、この発言などから見る限り、原子力村の住民は「安全」の連呼はできても、肝心要の場面ではどのように対処するかはもちろんのこと、事故状況の把握についてもなにひとつ当事者能力を発揮できない「ただのバカ」でしかないことがよく分かった。こんな連中に原発というおもちゃで遊ばせているのだから、これ以上恐い話はない。(8/8/2012)

 立秋かぁと思いながら、システムを立ち上げてメールをチェックしていたら、PRメールの中にこんなタイトル、「【新生銀行】暑中お見舞い申し上げます。 ~Powermail2012年8月7日号」。いつもはタイトルを読むだけでゴミ箱行きなのだが、本文を開くと、ヒマワリと夏雲の写真をバックに「暑中お見舞い申し上げます」とある。一度でもアメリカ資本にコントロールされると、こんなセンスになるらしい。

 新生銀行においてある定期預金は70歳までの間の年金補填資金。09年当時、まだ、新生銀行は苦戦が続いていたのだろう、1年定期の利率が1.1%、2年が1.2%、3年が1.4%、4年が1.5%、5年ならばなんと1.7%だった。これくらいでなければ預金量が確保できない、そういう状況だったということ。

 手もとにそのまま置いておけば、FXなどに「ちょっとだけ、短期的に」などと投資運用に用立てたくなるに違いない。うまくまわればいいが不測の事態があったときに生活資金がショートするようなことは絶対避けなければいけない。こういうことにかけてはまったく自分を信用していない。必要となるそれぞれの年度に満期になる定期にしておけば、生活資金確保のためにドキドキするような事態は避けられる。自分を縛る意味で比較的有利な新生銀行の定期は有難かった。これで補填資金から利息によるゲイン分90万ほどを余分に投資運用側資金に回すことができた。

 新生銀行の状態もよくなっているのだろう、09年当時、0.4%だった2週間満期預金の利率は幾たびか改訂され最近は0.2%になった。もう、09年当時のような利率を設定することはないだろう。再来年、すべての定期が満期になる。新生銀行とのつきあいもそれまでのことになると思う。

§

 きのう、東京電力は福島第一原発事故発生後の現地と本社、オフサイトセンターなどを結ぶテレビ会議システムの映像と音声の一部を公開した。朝刊によれば、開示された映像は原発側が101.5時間、本店側が49時間、延べ150.5時間。映像には29箇所モザイクを入れ、音声には1665箇所電子音によるマスクをかけた由。幹部以外の氏名・役職を隠すための処理。理由は「プライバシーの保護」と主張した。東電においてどのような肩書で仕事をしているかということは「私事」ではなかろう。立派に「公的な問題」だ。「プライバシー」権の対象にはなりえない。(そもそも、組織上の問題により予見されていた津波対策を怠ったような企業が一人前の抗弁権を主張するということが腹立たしいという気さえする)

 つまり「プライバシー保護」は単なる口実、どのようにしてでも隠したい不都合があるからに違いない。もしも、そうではないというのなら、第三者で構成される委員会でも組織した上で、秘匿の当否について検討させてはどうか。少なくとも東京電力は加害責任を負うべき「下手人」だ。自らが証拠の提出について条件を付ける権利を有しないことなど自明であろう。

 テレビ会議映像を見てとくに印象に残ったこと。まず、「テレビ会議」とは名ばかり、現場も本店も蜂の巣をつついたような状態、混乱の極にあって「会議」などはしていない。これは事故が発生したときの対応についての権限の所在、体制がなにも決められていなかったことを表わしている。再稼働に走った関西電力はこのあたりのことはきちんと整理した上で大飯を再稼働した・・・と信じたいが、たぶんなにひとつ変えずにリスタートしたのだろう。つまり同様の「想定外」の原因による事故があれば、まったく同じようなドタバタ劇が演じられるわけだ。・・・結構毛だらけ、ネコ灰だらけ、見上げたもんだ、屋根屋のふんどし・・・。

 特に耳に残ったのは3月14日の3号機の爆発に際し現地から本店に連絡が上がったところだった。吉田所長がかなり興奮した声で「本店、本店、大変です、大変です、3号機、たぶん、水蒸気だと、爆発がいま起こりました。11時1分です」と伝えた。

 現在までのところ3号機は、1号機と同様、水素爆発だとされている。この後の音声によって、吉田は免震重要棟の中にいて揺れから地震ではなく爆発だと考えられると報告している。

 吉田はなぜ「たぶん、水蒸気」と言ったのだろう。「水素」と言うつもりで「水蒸気」と言い間違ったのだろうか。そうは思わない。吉田の頭には「メルトダウン、メルトスルー」があったのではないか。溶けた核燃料が圧力容器の底を突き抜け、格納容器内かあるいは圧力抑制室の水と反応し水蒸気爆発が発生したのではないか、その意識が「水素爆発」ではなく「たぶん、水蒸気爆発」という言葉になったのではないか。

 事故の翌日、3月12日の午後、および夕刻の記者会見で「炉心の燃料が溶け出しているとみてよい」と発言し、その日のうちに「主たる説明者」から外されてしまった中村幸一郎審議官同様、吉田もメルトダウンは起きており、メルトスルーの可能性も頭においておかねばならないと意識していたのではないか。この言葉はそんなことを想像させる。

 東電と保安院がメルトダウンを認めたのは事故後2カ月以上も経った5月のことだった。しかし関係者の間では爆発の前からそれは常識になっていた。テレビ会議の音声と映像を100%公開すれば、東電と保安院、原子力村の人々が平然とウソをつき続ける詐欺師集団であることが、これまで以上にあからさまになるのではないか。だから、公開部分を限定し、音声を消し、めったやたらと「ピー音」を被せざるをえなかったのだろうよ。

 どうだろう、電力料金の自動引落しを止めてやろうか。電気料金の支払いを拒否するわけではない。自宅まで集金に来てもらうのだ。テレビ会議資料を100%、完全に公開するまで、この趣旨に賛同する需要家は自動引落しを停止する。東電という傲慢な会社に考え直させる一つの方法になりはしまいか。(8/7/2012)

 ウォーキングに出ようとしたところで雨。「通り雨、すぐに止む」と思い、いつもより少し遅れて出発。押出し橋にかかるあたりからまたポツポツ降りだした。雨は小止みになるどころかすぐに本格的に。ついにフルコースすべて止み間はなかった。しかし、なんとなく涼しい。きのうまでに比べるとかなり楽。

§

 その昔、「血を売る商売」があった。「血液銀行」という名前の業者が買い取り、輸血用の血液として医療機関に売っていた。手軽にカネになるからだろう、半ば専門に売血で暮らしを立てる人々がいた。

 ある意味で蟻地獄のような「仕事」だと聞いた。血を売る、そのカネで食う。最初は臨時収入と思っていたものが、やがて恒常的になる。あるていど以上の収入を得るためには、相当量の血液を相当の頻度で買い取ってもらわなくてはならない。体には無理がかかる。やがて肉体労働が難しくなり、さほど時間が経たないうちに血を売る以外の方法では稼げなくなる。悪循環、一種のデフレ・スパイラルだ。この状態から抜け出すことは自力ではできなくなる。

 朝刊を読んでいて、もうほとんど記憶の海の底に潜っていたこの「売血ビジネス」を思い出した。

 神奈川県に住む男性(64)は「被曝隠し」報道を読み、「こんなのは前からあります」と家族を通して取材班に連絡してきた。20代後半から約30年間、各地の原発で下請け作業員として働いてきた。被曝隠しは「常識」だったという。
 初めて線量計を外したのは、原発で働き始めて5年ほどの頃。周りの作業員の見よう見まねだった。当時はわずかな作業時間でも日給は約2万円だった。鉛を糸状にした「鉛毛」で線量計をぐるぐる巻きにしている作業員もいた。原子炉建屋内で各下請け業者に割り当てられる工具入れの中に線量計が何個も入っているのを見つけたこともある。
 強く記憶に刻み込まれているのは、約15年前に東日本のある原発で、原子炉圧力容器内で循環させる水の量を調整する制御弁の点検をしたときのことだ。1日あたりの作業時間が約15分に制限されるほど線量の高い場所での作業だった。
 「うまく線量浴びないようにしてくれ」「あんまり線量食わないようにやれよ」
 作業直前、下請け会社の責任者から原発構内の事務所で言われた。経験豊かな男性を長期間働かせるため記録上の被曝線量を小さく抑えるよう、暗に求めているとすぐに察した。制御弁がある部屋の前で線量計を胸ポケットから取り出し、近くの通風管に隠した。10日間ほどの日程のうち、5~6日は線量計を身につけずに作業したという。
 制御弁の周りの壁や床にはビニールが何重にも張ってあった。「汚染水が漏れないようにするため。線量が高かったんでしょう」
 放射線の怖さは知っていた。けれども、「真面目に線量計をつけたら、すぐに(被曝限度に達して)原発で働けなくなる。食べていくためには仕方なかった」。当時の被曝線量が記録された放射線管理手帳を開きながら、唇をかんだ。
 男性は視力が著しく弱い。8年前に仕事を引退した直後に患った炎症が原因だ。被曝との関係は不明だが、「ちゃんと線量計をつけていたら良かった」と悔やむ日々。それでも「自分みたいに命を削る人がいないと、原発は動かない」との自負もある。

 この64歳の男にこれからなにが起きるかは分らない。最悪ケースのいくつかは樋口健二の「闇に消される原発被曝者」に紹介されている。

 作業時間のわりに高給、それにつられて仕事を始める。しかしすぐに「高給」の意味が分る。ところがそれが分る頃には、もう辞められない。体は疲れやすくなっており、抵抗力も低下、歯ぐきからの出血、鼻血が止まらなかったり、できものに悩まされたり・・・必ずしも給料の良さに未練があってではなく、辞めるに辞められない体になっている。売血商売のような下降スパイラル。蟻地獄。だから被曝線量をごまかしてでも原発にしがみついて生きなければならない。電力会社にとっては有難い存在だ。原発は生き血を吸いながら運転を続ける。フクシマのような事故が起きても基本的なことは何も変わらない。

 緩慢に進行する死への行進、やがて訪れる悲惨な死に方。先日の中部電力のオカモト課長などはしゃあしゃあと「原発事故があっても死んだ人はいません」と言ってのけたが、即死しなかったと言うだけのこと。フクシマではこれから十年くらいの間に何人もが放射線を浴びたことが原因で死んでゆくだろう。オカモトはすぐにばれないウソをついているだけ。まあ原子力村の人非人にとってはこんなウソなどは日常茶飯のこと、神経が麻痺しているのだから、オカモトの心が痛むことはない。

 状況が分ってみれば、今回の鉛板カバー「事件」がフクシマ事故だからこそ発生した話でないことは、誰の目にも明らかだ。

 「よりによって1F(福島第一原発)に来てさ、自分だけこういうふうにやるよって言われても困る。(あなたたちは)原発に向いてない」
 鉛カバー装着を指示した建設会社ビルドアップの役員は昨年12月、装着を拒んだ作業員にこう言った。その録音テープに残る肉声を聞き返すと、日当の高い原発労働を続けたいのなら安全を犠牲にしてでも線量をごまかすのは業界の常識――との意識が伝わってくる。役員はそれ以前に鉛カバーを使ったことはないと今も主張するが、とっさの判断で思いついた偽装工作とは到底思えない。

 この役員、佐柄照男という名前。「作業員が不安を感じないようにと思って指示した」というのが、彼の記者会見における釈明だった。なるほど原発周辺で働いていると白々しい言い訳もうまくなるものだと感心したが、佐柄と社長の和田孝の名前だけが出て、この会社の元請けやそもそも現場を管理している東京電力の現場責任者の名前が一切報ぜられないのはなぜだろう。末端の雑魚にすべてを被せて知らぬ顔をするのが東電流なのだろう。別に東京電力に限らないか・・・またあのオカモトの顔が浮かんできた。(8/6/2012)

 昨夜は横浜中華街で旭丘の暑気払い。**くんは6月、***くんは7月でリタイア。それぞれに「サンデー毎日」生活に入った由。なにを思ったか**くん、横浜地裁で刑事裁判の傍聴をしてみた由。まさに社会の縮図という感じで興味深いとのこと。

 なにがしかの犯罪を犯せば必然的に裁判という手続きにはいると思っている人は少なくない。**くんは法学部だったから、あるていど実情はこんなものと分っていたというが、それでも被告の話しぶり、弁護人の姿勢、裁判の進み方など、頭の中の理解と実際との間にはずいぶん隔たりがあるものだと思ったそうだ。

 「・・・裁判になって、有罪になっても、刑務所に行くのは、再犯かどうかとか、身元を引き受ける人がいるかどうかとか、そんなことで決まる。一定のステータスがあるとたいていは執行猶予がつくようだよ」という話を聞きながら、浜井浩一の「2円で刑務所、5億で執行猶予」を思い出していた。

 ある意味、刑事司法手続は、98%の人が不起訴や罰金刑で勝ち抜けるゲームであり、受刑者は、その中で2%弱の負け組なのである。ただし、ここで重要なことは、負け組になる理由は、犯罪の重大性や悪質性とは限らないことである。
 さて、それでは、どのような人がこの負け組になるのであろうか? それにはどういう条件が整えば勝ち組になるのかを考える必要がある。
 勝ち組になる条件は、初犯であれば、端的に言って財力(被害弁償等)、人脈(身元引受人等)、知的能力(内省力・表現力)である。一般的に、家族や仕事があり社会基盤がしっかりしている者や、経済的に豊かな犯罪者は、弁護士の支援も受けやすく、被害弁償を行うことで示談を得やすい。教育水準の高い者は、コミュニケーション能力も高く、取り調べや裁判の過程で、警察官や検察官、裁判官の心証をよくするために、場に応じた適切な謝罪や自己弁護等の受け答えができる。
 その結果、こうした人々は、起訴猶予、略式裁判(罰金)、執行猶予を受けやすく、よほど重大な事件(またはマスコミ報道で著名となり検察の威信を担った事件)でなければ実刑判決にはなりにくい。
 これに対して、受刑者の多くは、無職であったり、高齢であったり、離婚していたりと社会基盤が脆弱であるものが多い。現実に、受刑者の4割弱が窃盗・詐欺であり、その中には、常習累犯とはいえ被害額1000円以下の万引きや無銭飲食がかなり含まれている。

 「一度、傍聴してみたらいいよ、どうせ(と言ったかどうかはたしかではないが)ヒマだろ?」。身分証明書のようなものが必要かと思っていたら、なんにも言われなかった由。なにごとも経験。涼しくなったら出かけてみようか。

 そんなこんなの話をして、帰宅したのは零時近かった。横浜はやはり遠い。(8/5/2012)

 柔道はメダル7つ(金1、銀3、銅3)で終わった。男子は金ゼロ、銀2、銅2。女子は金1、銀1、銅1。男子の金メダルゼロは東京オリンピックで正式種目となって以来はじめてのことだとか。

 別にメダルの数がどうこうとは言いたくない。しかし5月の選手権大会後に代表を決めたときの記者会見で、柔道連盟は「男女14種目中7種目で金メダルを取る」と言っていたはず。大言壮語するのがヤマトダマシイだというのなら、それも微笑ましいと言えぬでもないが、客観的情勢の把握と実現可能性の評価、細心の準備と実現のための戦略くらいはきちんと持っていて欲しい。敵を知らず己を知らずの状態での勢いにまかせた大言壮語はみっともない。

 連盟への不信感は今回に限ったことではない。谷亮子以来「負けても代表」が伝統になってしまった。今回の代表決定に際しても、この春に行われた「全日本選抜柔道体重別選手権大会」で優勝しながら選ばれなかった選手が3人もいた。男子では加藤博剛(代表は西山将士)、七戸龍(代表は上川大樹)、女子では宇高菜絵(代表は松本薫)。たしかに松本は唯一の金メダルをもたらしたし、西山も銅メダルを取った(上川は2回戦敗退)から、それなりに面目は果たしたかもしれない。だが連盟に目をかけられた選手はよほど無様な負け方をしない限り代表に決まったも同然というのは釈然としないし、どこに伏兵がいるのか分らないオリンピックで勝ち抜くために有効な代表決定方法とは思えない。

 たとえば競泳はどうか。水泳連盟は「日本選手権水泳競技会」に「オリンピック競技大会代表選手選考会」を兼ねさせ一発勝負で決めている。つまり、あの北島でも選手権をとれなければ代表にはなれない。その方がすっきりするし、選手の精神力も鍛えられるように思う。マラソンなど選手選考過程が外野席から見ていてよく分からないものほど、結果が思わしくないように見えるのは偏見だろうか。(8/4/2012)

 オリンピック、女子バドミントンの試合が物議を醸している。女子ダブルスの1次リーグ最終戦で、中国の王暁理/干洋組、韓国のチョン・ギョンウン/キム・ハナ組とハ・ジョンウン/キム・ミンジョン組、インドネシアのメイリアナ・ジャウハリ/グレイシア・ポリー組の計4組、8名の選手が失格になった。理由は決勝トーナメントでの有利な位置取りのために無気力試合をしたから。

 中国対韓国の試合、勝者はランキング上位の中国ペアとあたることになる。中国ペアは中国ペア同士あたるのは最後にしたいし、韓国ペアはなるべくなら強豪を避けたい。もう一方の韓国対インドネシアの試合も同様。なるべくなら強豪とあたるのは最後にしたい。そういう思惑があったらしい。いずれのチームも「負け得」を狙って、わざとサーブミスを繰返し審判から注意を受け、結局、試合終了後に「試合に勝つために最大の努力をしなければならない」という連盟規約違反にあたるとして失格処分になった。

 女子サッカー、日本チーム(マスコミではもっぱら「ナデシコ」と呼ぶ)も1次リーグ最終戦の対南アフリカ戦では「勝たない」という戦略をとった。リーグ戦突破が決まったので主力を休ませ決勝トーナメントにそなえたということは何ら後ろ指をさされることではなかったが、佐々木監督は「勝って1位通過すればグラスゴーまで移動して試合になるが、2位で通過すれば同じカーディフに居続けて試合ができる。移動に1日を使うより、もういちどこのピッチでやりたかった」と話した。

 予選リーグ戦、決勝トーナメント戦というスタイルでやる場合には、こういう「先々を考えた取り組み」ができないような仕組みを工夫する必要があるだろう。サッカーは11人だから主力を休ませても「負けようとした」とは言われないし、「勝とうとしていない」とも言われない。そういう意味ではバドミントンなどは不利だ。シングルスはもちろんダブルスの試合でもそれが見えてしまう。

 試合中にどのていどの「注意」あるいは「指導」があったのかは分らないが、一発宣告で「失格」というのはいささか極端な気がしないでもない。ひがみで言えば、失格処分が、中国、韓国、インドネシアというのも気になる。もし、これが欧米の国だとしたら、一発失格宣告できただろうか。(8/3/2012)

 東電OL殺人事件の再審が確定した。6月の東京高裁第4刑事部による再審決定に異議申し立てをした検察に対し、第5刑事部が異議棄却を決定したのがおととい。きょう、東京高検は最高裁への特別抗告を見送る決定をして、再審の開始が決定した。

 異議審の却下決定に際し、警視庁捜査1課長だった平田富彦は「再審ありきの決定で残念。別に真犯人がいるという事態になり、遺族の心情を考えると胸が痛む」とコメントしたということが報ぜられた。

 よくもしゃあしゃあとこんなことが言えるものだとあきれ果てる。単純に捜査指揮をとる責任者が見込み捜査を行ったように考えるのは間違いだ。平田捜査1課長が行うべき確認を行わなかった職務怠慢(平田自身は繰返し「過失ではない」と言っているのだから意図的、つまり故意だったということになろう)行為がこの結果の最大の原因であったことは明白だ。再審決定の根拠となったDNA鑑定が捜査段階でなされていれば、捜査は真犯人に向けて継続されたはずだ。つまり平田富彦の「手抜き」が真犯人を取り逃がし、無辜のゴビンダ・プラサド・マイナリを獄につなげるという警察の大失態を生んだのだ。

 平田はゴビンダ・プラサド・マイナリに謝罪することと、「心情を考えると胸が痛む」と言った被害者遺族に対し「わたしの職務怠慢行為により、真犯人をつかまえられない結果に至ったことをお詫びします」と言わねばならない立場にあるのだ。チャラチャラと「再審ありきの決定」などと駄弁を弄することは許されない。平田こそが「結論ありきの手抜き捜査」の指揮をとった張本人なのだから。

 ところで平田を職務上負っている義務に違反しているという罪に問うこと、また、今後再審によってゴビンダの無罪が確定し、国が刑事補償金(おそらく数千万円を超えるだろう)を支払うことになった場合、当局は平田にその損害の一部を請求することはできないのだろうか。平田の故意の手抜き捜査により、検察官・裁判官は誤り(見逃したことは重大な過失だと思うが)、最終的に血税が支払われる。納税者としてはそんな無駄金を発生させた平田を許せるわけはない。

 繰り返す、平田は行うべき確認行為を「過失」によって行わなかったのではなく「故意」に行わなかったのだ。彼は自白している、「あえて鑑定を求めなかった」と。責任は重大で、そんな「故意犯」が精神的、肉体的、財産的に安穏な老後を送ることは厳に許されるべきではない。今後の警察捜査の厳正さを確保するためにも、平田の責任を厳重に問い、能う限りの懲罰を与え、退職金から懲戒処分があったならば反映されたはずの相当額を返納させるべきだ。いい加減な捜査には厳罰で臨まなければ規律は保てない。(8/2/2012)

 きのう、外務省は外交資料館で主に60年代の沖縄返還交渉、70年代はじめまでの繊維交渉を中心とする日米貿易交渉、第1回サミット・NPTに関する資料76点を公開した。

 メインは沖縄と日米貿易だが、「51年から65年に至る日中国交正常化資料」と「45年8月から46年1月までのポツダム宣言受諾に関する前後措置・各地状況」というファイルもそれぞれ1点ずつを含んでいる。驚くのはポツダム宣言受諾関係資料に一部非公開の措置がとられていること。半世紀をゆうに過ぎたいまにもなって、まだ政府として隠しておきたい事情があるというのはどういうことかと思う。

 既にきのうの夜のニュースで、67年3月に岸信介が訪米し、マクナマラ国防長官と会談した際、マクナマラが私見と断った上で(非常に巧妙な伏線の張り方だ)、「制約が多すぎて不必要な軍事上のリスクを負うならば、残る考えは全くない」と発言していたことが伝えられた。留意すべきことは、この時点で沖縄は返還されていないし、返還を実現しなければならない公式な義務はアメリカ側にはなかった(ジョンソン大統領が訪米した佐藤栄作首相に数年以内の返還を約するのは67年11月)にもかかわらず、沖縄返還を前提にしているかのごとき語り方はどういうことだったのかということ。

 読み終わったばかりの「戦後史の正体」で孫崎享が書いている「沖縄返還を主張した人は数多くいたが、公式協議へのお膳立てをしたのはライシャワーだった」という主張を裏付けているように思う。孫崎はマイケル・シャラー「『日米関係』とは何だったのか」を引用しながら、こうも書いている。

 シャラーは次のように書いています。
「ニクソンは沖縄のことを、いつ爆発するかもしれない火薬樽だと評した。アメリカは日本側が受け入れられるような主張をしなければならないと考えていた。
一九六九年一月、国家安全保障会議は対日関係の見直しを開始した。
 一九六九年三月、国家安全保障会議は、日本の要求をこばめば、琉球列島と日本本土の双方や基地をまったく失ってしまうことになるかもしれないと報告した」(同前:引用注「『日米関係』とは何だったのか」のこと)
 一九七〇年には日米安保条約の一〇年間の固定期間が終わることになっていました。その後は一年ごとの自動延長が想定されていましたが、日本が延長を拒否してくる可能性もありました。ですからこの時期、米国の対応はあきらかに柔軟になっていたのです。

 先年、政権交代直後、民主党がまだ独自のカラーを出すことにこだわっていたときに行った密約文書公開などで広く知られることになったように、沖縄返還のもっとも「柔らかい部分」は「外務省ルートではなく若手政治学者であった若泉敬などの私的なチャネルを通じて」行われた。

 もしタフで老練な外交官が交渉をしていれば、少なくとも(若泉敬はこの他にも繊維問題でもキッシンジャーとの間で密約を取り交わしていた)沖縄返還交渉については密約を必要としなかった可能性はあったのかもしれないと思わせる。孫崎も多少そういうニュアンスを持たせたような記述をしている。

 しかし、朝刊には、公開された外交文書を一覧した記者のこんな言葉が載っている。

 日本側には当時、「核抜き」返還を米国に認めさせるのは難しいとの認識が根強くあった。だが外務省の東郷文彦北米局長のメモによると、6月29日に懇談した在日米国大使館のザヘーレン参事官は「米側から見ると、核よりも戦闘作戦行動のための基地使用が問題のように思われる」と語った。実際には核兵器を使うことは考えていないと説明したうえで、「返還後、これこれの国内事情で戦闘作戦行動はやめてくれ、というようなことになるのを最も恐れる」と述べた。
 背景には、ベトナム戦争の激化や緊張が続く朝鮮半島情勢があったとみられる。ジョンソン駐日大使も7月18日、東郷氏と会った際、「核兵器を撤去しろと言われるなら撤去するであろう」と断言した。
 しかし、その後は米側の態度が変わっていく。ハルペリン国防次官補代理は8月、ジョンソン大使の発言について「少し思いつめ過ぎた議論だと思う。沖縄への核配置の必要性にはいろいろ言いたいことがある」と日本側担当者に語った。
 9月16日の三木武夫外相とラスク米国務長官との会談では、三木氏が「核基地が沖縄にあることは絶対的要件か」と聞いたのに対し、ラスク氏は「核基地の選択肢は要件である」と言明。沖縄に核を置くかどうか判断する権利は留保し続けたい考えを示した。さらに同28日には、バンディー国務次官補が下田武三駐米大使に「基地の自由使用と核問題は、やはり重要視せざるを得ない」と伝えた。
 米側公文書によると、遅くとも69年の段階で「沖縄の核は撤去する方針だが最後まで必要性を強調する」との態度が米政府内で共有されていた。最後まで日本側に「核抜き」の確証を与えず、それを取引材料に日本の譲歩を引き出そうとした戦略がうかがえる。

 どうやら、もう既にこのころには、仕事にはあまり頭も体力も使いたくない(それらは自分の出世のためにのみ使いたい)そういうメンタリティが外務省内には蔓延していたのかもしれない。「国益」などというものはどうでもよく、それよりは「省益」、さらには「私益」が一番大事ということ。もっとも、そんなメンタリティは民間会社も同じことで、「ここはひとつ多少の軋轢があっても、大所高所のためにはやるべきことはやり、通すべきスジは通さなくてはならない。仕方がない、一頑張りするか」という人はそうそういるものではないが、呵々。(8/1/2012)

 退職して、ウォーキングを再開してから、3年、きょうが1,097日目。総歩数は12,503.399歩。この歩数計になってからでも2年と1日。累積の歩数が9百万歩(9,006,201)を超えた。

 ことしは花粉シーズンもステップボードにして日に1万歩のノルマをクリアしているので未達日は4日。とにかく「計測して、記録する」、これが「品質」を維持する基本であることに変わりはない。

 BMIは20.8~21.8、体脂肪率は7日間の移動平均で12.4~13.4%、まずまずというところ。ウォーキングを再開した3年前はBMIが26.8、体脂肪率は24.0%、軽度肥満だった。もともと体を動かすことが好きではない。ゴルフもテニスもやる気はないし、フィットネスクラブなどにカネをかける気にもなれない。ウォーキングだけでそこそこの運動量を確保し、体調を維持している。安上がりでいい。

 夏真っ盛り。暑い。ここ数日はウォーキングコースも閑散としている。有象無象がトロトロ歩いていないというのが有難い。(7/31/2012)

 先週届いた孫崎享の「戦後史の正体」を読んでいる。大筋の流れに目新しいものはない。しかし随所にハッとさせられる記述がある。旧安保条約の調印にかかわる部分だ。旧安保条約はいわゆる「サンフランシスコ講和条約」に続けて調印されている。にもかかわらず、調印に際しての扱いはまったく異なるということ。

 日本の歴史家でこのおかしさを指摘した人はほとんどいません。でも外交官のなかにはいました。日米開戦前の外務省アメリカ局長で、一九四六年には外務次官にもなった寺崎太郎です。
「印象的な事実は、安保条約調印の場が、同じサンフランシスコでも、華麗なオペラ・ハウスではなく、米第六軍司令部の下士官クラブであったことである。これはいかにも印象的ではないか。下士官クラブで安保条約の調印式をあげたことは、吉田一行と日本国民に『敗戦国』としての身のほどを知らせるにはうってつけだったと考えたら思いすごしだろうか」(『寺崎太郎外交自伝』私家版)
 では、そうしたおかしな条約に調印した結果、新たに生まれた日米関係をどのように見たらよいのでしょう。私は寺崎太郎の次の記述を見てびっくりしました。
「えっ、そんなことなのか」
 私もよく過激なことを書いているといわれますが、寺崎太郎はもっと激しいのです。
「周知のように、日本が置かれているサンフランシスコ体制は、時間的には平和条約〔講和条約〕-安保条約-行政協定の順序でできた。だが、それがもつ真の意義は、まさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは、今日までに明らかになっている」
「つまり本能寺〔本当の目的〕は最後の行政協定にこそあったのだ」

 寺崎太郎はあの寺崎英成の兄。「寺崎太郎外交自伝」は自費出版。Amazonで検索しても引っかからない。街場の古本市場で入手できる本ではないようだ。国会図書館の蔵書検索には引っ掛かる。東京本館、関西館にある。刊行は2002年1月。

 それにしても、「真の意義は行政協定>安保条約>講和条約の順」、つまり「本能寺は行政協定」。目から鱗とはこのことだ。旧安保条約は岸信介によって現在の安保条約に改定された。岸の念頭には行政協定の改定もあったのだそうだ。しかし行政協定の内容は見直しされることなく名称のみ「地位協定」に変えられ、きょう現在も「安保条約による米国支配のいちばん強力なツール」として機能している。

 野田首相、森本防衛相などが、しれっとして「オスプレイ配備は事前協議の対象にはなっていないのだから(仕方がない)」と言ってのけられるのは「地位協定>安保条約>憲法」という「法体系」が強固に存在するためだ。おおもととなった旧安保条約の日本側署名者が吉田茂一人、調印場所が日本占領を担当した第6軍の下士官クラブという「不自然さ」にきちんとした疑問を持ちさえすれば、手繰ることのできたことがらだったということ。

 知的興奮を覚えるのみならず、それなりに分っているつもりのアメリカによる日本支配について、いろいろ明確に教えてくれそうな本。(7/30/2012)

 オリンピックは4年に一度。ごく平凡に生きる人間にとっても短くはない。スポーツ選手、中でも、瞬発力が決め手となる競技の選手にとっては、自分の年齢的なピークと開催時期の関係は決定的かもしれない。

 高校生のとき、当時、国内負けなしの田村亮子を破り、北京オリンピック前年の国内大会で、結婚により姓の変わった谷亮子を再び破りながら、世界選手権代表にはなれず、国際試合の実績不足(国内選手権で勝った選手を世界選手権代表に選ばないでおいて、「国際試合の実績がない」ことを理由にオリンピック代表にしないというのは恐るべき排除の論理)を理由に北京には行けなかった選手がいる。福見友子。

 最初に田村を下してから十年、その間に後から来た浅見八瑠奈に抜かれてしまった。この5月の選考会で浅見が高校生に初戦で敗れるという番狂わせがあって、ようやく手にした今回の代表の座。期すものがあるのと同時に、曰く言い難いもの(「雑念」といってはあまりに気の毒だろう)もあったに違いない。

 残念ながら、福見は準決勝で負け、3位決定戦にも負けてしまった。それぞれの試合の戦い方について素人は分らない。年齢的に、そして今回の選出の経緯から見ると、福見のネクスト・チャンスは厳しいのではないか。

 こういう競技の選手の「ベスト・シーズン」を不明朗な形で奪うということの罪は大きい。

 たとえば日水連の選手選考はじつに明確だ。「お家芸」を名乗る柔道がいつまでも不明朗な選考方式を採るのは、この不明朗さまでが「お家芸」に含まれているということだろうか、呵々。(7/29/2012)

 ロンドンオリンピックが始った。開会式は27日夜9時(日本時間でけさ5時)からだった。NHKは完全中継したようだが早起きして観る気はならなかった。最近のオリンピックの開会式はスポーツ競技会の開会式ではない。完全な見世物、ショー。そんな最近のトレンドに辟易しているからだ。

 今回も、緑の田園風景の中から煙突がニョキニョキ立ちあがる・・・、イギリスから始った産業革命がいまの世界を作ったという意味のアトラクションに相当の時間を費やしたようだ。

 開会式の趣向はますます手が込んだものになり時間は長大化している。コンテンポラリーには観なかったのだからなんとも言えないが、テレビにかじりついたとしても、東京オリンピックの開会式のときほど感動はしなかったろう。いろいろの解説がついて意味の分る長時間のアトラクションがかえって感動を遠ざけている。

 東京オリンピックの開会式のあの日、選手たちの入場行進を観ながら、肌の色も違い言葉も違い顔つきすらも違う人々が共通のルールの下に「より早く、より高く、より美しく」を競う祭典のために集まってきたという実感が心を高揚させた。あれはけっして自国の開催だったからでも、高校生故の単純さでもなかった。あの日の日記に「あとであの時はバカだったねと思うときが来てもいい。いま間違いなく感動しているという事実は動かしようがない」というようなことを書いた。単純な入場行進だけでそこまで感動した。あの感動から遠くなってしまったのは、こういう手の込んだ演出のせいだと思う。(7/28/2012)

 きのうの続き。

 日本の刑事政策はそっくりアメリカ型の厳罰化の方向にある。厳罰化だけではない。犯罪の原因を個別的な事情にのみ求め、その社会的背景についてはほとんど無視するという姿勢でもアメリカの刑事政策とぴったり一致している。

 ジェフリー・ライマンとポール・レイトンによる「金持ちはますます金持ちに貧乏人は刑務所へ」は、アメリカにおける刑事司法制度が犯罪との戦いに敗北することを隠れた目的とした倒錯した制度であることを実データを駆使して詳述した本だが、まさにこの国もそれをめざしつつある。

 なぜ、わざわざ失敗することを目的としたかのような刑事政策を採るか。それは本当の目的が犯罪を撲滅することにはなく、むしろ犯罪が不心得な貧乏人の仕業によるものだというイデオロギーを広めることにより権力支配に資することを目標にしているからであるというのだ。

 同書にはこんなくだりがある。

 陳腐だが、犯罪の主たる原因は社会・経済にあるということは依然真実である。問題は人々が真剣に関心を払うかどうかである。解決法は明白である。しかし、アメリカは高い犯罪発生率を望んでいるかのようだ。もしそうであるならば、犠牲者の目から見れば制度の失敗ということだが、支配者にとっては大成功なのである。

 森達也はそこまでは勘ぐっていない。しかしこの国の刑事司法制度もアメリカのそれと同様に「犯罪の撲滅」など考えていないと断じている。そして正義を僭称する愚かな人々の姿勢に皮肉を交えて疑問を呈している。

 一方、この国の刑事司法は、本気で犯罪の少ない社会を作ろうとは考えていない。むしろ追い込んでいる。クラスの多数派が誰かを追い込むように。悪と規定した標的やその家族をネットとメディアが追い込むように。
 ブレイビクは法廷で「単一文化が保たれている完全な社会」を保持する国家の一つとして日本の名をあげて称賛した。
 だから時おり想像する。もしも「ブレイビクから称賛されたことをどう思うか」と質問したら、ネットで「追い込め」や「許すな」などと書きこんでいる人たちは、何と答えるだろうかと。

 正義漢気取りでネットいじめに狂奔している単細胞の連中はこう答えるのではないか、「ブレイビクさんに誉められてうれしい、わたしたちもニッポンの純潔を守るために、あなたを見習って反日の輩を殺しまくることを夢見ているところです」、と、呵々。「移民」の絶対数が少ないこの国のブレイビクはどこに憎悪を振り向けるか。いずれターゲットは「反日勢力」から「貧乏人」にシフトするだろう。

 既にその兆しは現れつつある。「生活保護でぬくぬくと暮らしている怠け者たちを許すな」と言う声があちこちから上がっている。中流を滑り落ちつつある人々が、自分たちより貧しい人々を「貧窮特権を享受する不逞の輩」としてイジメの対象にする。新自由主義者・片山さつきが仕掛けた「芸能人イジメ」の狙いはそのあたりにあったのだろう。(7/27/2012)

 4日ぶりにウォーキング。押出し橋近く、先々週、取り壊されて更地になっていたところ、建築中になっていた。日曜日に通ったときには更地のままだった。「男子三日会わざれば刮目して見ゆべし」というがこのあたりの住宅地も同じか。それにしても、たった三日間で基礎を打ち、それらしい躯体までできてしまう。ツーバイフォーという工法はすごい。

 呼吸をするのも嫌になるくらいの暑さ。

 朝刊オピニオン欄に森達也が「正義を掲げ追い込んだ先に」というタイトルで刑事政策の目的と効果について書いている。

 書き起こしは大騒ぎしている大津のいじめ自殺。加害生徒3人とその両親・親類の名前・顔写真・住所などがネット掲示板にアップされているほか、学校・教育委員会への脅迫・嫌がらせなどが凄まじい勢いで拡がっているという。

 森は「ただしこの正義は油紙のようにぺらぺらと薄い。そして容易く炎上する。・・・(略)・・・『絶対に許すな』や『追い込め』など、書き込み量も尋常ではない」と書いている。何のことはない、正義の旗印を掲げながら、ほとんど同様のいじめに走っているのだ。

 イジメとは抵抗できない誰かを大勢でたたくこと。孤立する誰かをさらに追い詰めること。ならば気づかねばならない。日本社会全体がそうなりかけている。この背景には厳罰化の流れがある。つまり善悪二分化だ。だから自分たちは正義となる。日本ではオウム、世界では9・11をきっかけにして、自己防衛意識の高揚と厳罰化は大きな潮流となった。ところが北欧は違う。この流れに逆行する形で寛容化を進めている。
 昨年7月にノルウェーで起きたテロ事件の被告であるアンネシュ・ブレイビクの公判が、6月22日に結審した。最終意見陳述で被告は、犯行は「自分の民族や宗教を守るためだった」と無罪を主張した。つまり自己防衛だ。判決言い渡しは8月24日。責任能力の有無が最大の焦点となるだろう。でももし責任能力が認められたとしても、77人を殺害した彼の受ける罰は、最大禁錮21年だ。なぜならノルウェーには死刑も終身刑もない。最も重い罰が禁錮21年なのだ。
 2カ月前、テロ事件の際に法相に就いていたクヌート・ストールベルゲと話す機会を得た。日本の一部のメディアでは、ノルウェーでも死刑が復活するのではなどの記事が出たが、犯行現場のウトヤ島にいながら殺戮を免れた10代少女の言葉「一人の男がこれほどの憎しみを見せたのなら、私たちはどれほどに人を愛せるかを示しましょう」を引用しながら、元法相はその見方をあっさりと否定した。死刑を求める声は、遺族からも全くあがらなかったという。
 2009年にノルウェーに行ったときに会った法務官僚は、「ほとんどの犯罪には、三つの要因があります」と僕に言った。「幼年期の愛情不足。成長時の教育の不足。そして現在の貧困。ならば犯罪者に対して社会が行うべきは苦しみを与えることではなく、その不足を補うことなのです。これまで彼らは十分に苦しんできたのですから」
 これは法務官僚個人の意見ではない。ノルウェーの刑事司法の総意だ。つまり善悪を二分化していない。罪と罰の観念が根底から違う。もちろん、被害者や遺族への救済は国家レベルでなされるのが前提だ。
 ただし、寛容化政策が始まった80年代、治安悪化の懸念を口にする国民や政治家は多数いた。でもやがて、国民レベルの合意が形成された。なぜなら寛容化の推進と並行して、犯罪数が減少し始めたからだ。
 つまり理念や理想だけの寛容化政策ではない。犯罪の少ない社会を本気で目指したがゆえの帰結なのだ。満期出所者には帰る家と仕事を国家が斡旋する。彼らが社会に復帰することを本気で考えている。

 きょうはこれから久しぶりに****メンバーでの飲み会。こんなクソ暑い日には出かけたくないが、セッティングした手前、キャンセルするわけにもゆかない。そろそろ支度しなくては。(7/26/2012)

 起きると雨。東北はまだ梅雨明けしていない。9時過ぎに旅館を出発。給油をして白石のインターで東北道に入る頃には雨はあがった。南下するほどに外気温が上がってゆくのが分かる。サービスエリアに入り車を降りるたび、瞬時にメガネが曇る。湿度が高いのだろう。

 2時に帰着。2日ぶりにPCを立ち上げる。未読メールの山の中に宅急便の不在通知メール。予約注文していた孫崎享の「戦後史の正体」の配達が午前中にあったようだ。再配達依頼。小一時間で届いた。予想通りなかなか面白そうな内容。

 朝刊2面に東電福島第一原発の現場作業の実態についての記事が載っている。

【リード】東京電力福島第一原発の構内では、毎日約3千人が働いている。約9割が東電社員でなく、協力会社や下請け業者の作業員だ。全国各地から仕事を求めて福島に入り、40キロ以上離れたいわき市の宿舎から原発へ通う人も多い。鉛カバーを使った被曝隠し問題の取材で、彼らの不安定な雇用実態の一端が見えた。
【本文】「被曝隠し」が発覚する直前の今月16日夕、いわき市の温泉旅館に作業員7~8人が続々と到着し、「ビルドアップ」と張り出された2部屋に分かれて入った。ビルド社に各地から集められた人々だ。・・・(中略)・・・「被曝隠し」の工事には当初、20代から70代の12人が参加した。ビルド社側は鉛カバー装着を指示した役員ら4人。残りの8人は青森、福島、福岡の建設会社など3社から送り込まれ、自分たちの車に相乗りしてやってきた。いくつもの「紹介業者」を通して仕事を得た人もいる。ビルド社の仕事が初めての人は5人。ベテランから新人までの混成チームだった。・・・(中略)・・・請負工事の関係者によると、東電が原発工事を発注する場合、作業員1人あたり日給5万円前後が相場とされる。東電グループ企業などを通じてビルド社のような地場の建設会社に回ってくると、2万5千~3万円程度になる。さらに派遣した会社を通して作業員が受け取るのは、1万5千~2万円程度だ。ふつうの建設作業よりは短時間で高収入が得られるが、作業の長期化に伴って賃金相場は変動している。「事故直後より日給が下がり、待遇が悪くなった」と漏らす人は少なくない。
・・・(中略)・・・
 東電社員や大手プラントメーカー社員と比べると、下請け作業員の立場は不安定だ。数カ月間の短期雇用契約を繰り返している人が多く、「被曝隠し」の際も2カ月間だった。大手社員なら一定量の放射線を浴びても原発以外の仕事を回してもらえるが、下請け作業員は雇い止めにされることもある。(佐藤純、岩堀滋、赤井陽介)


事故情報、東電社員と差

 事故直後から作業にあたった東電社員や協力企業の社員には、すでに被曝線量が限度を超え、原発内に入れない人が出ている。最近では、ゼネコンが仕切る周辺自治体の除染作業にも作業員が流れている。ゼネコン関連会社の関係者らによると、現場を熟知した作業員が減り、不慣れな労働者が増えた。現場作業の多くは下請け労働者に支えられているのが実態だが、彼らの労働環境は厳しい。
 3号機タービン建屋の地下で3人が短時間に170ミリシーベルト超の被曝をした昨年3月の事故では、2人は東電が直接契約する元請けの社員だったが、残りの1人はその下請けに所属していた。複数企業の社員が一つの現場で混在して働いていた形で、安全確保の責任の所在があいまいになりがちな「偽装請負」と指摘されかねないケースだ。今年5月には福島第一の現場に配下の組員らを派遣したとして、指定暴力団住吉会系の元幹部が労働者派遣法違反の疑いで逮捕された。
 偽装請負の温床とされる下請け、孫請けの多層化(多重請負)について、東電は「元請け会社の責任で適切に採用されていると認識している」との立場だ。あるゼネコン幹部は「東電は作業員の被曝を軽く見ていると感じたことがあった」と漏らす。このゼネコンの社員が昨春、東電社員から指示され、周辺の放射線量が高い状態だった原子炉建屋の写真を撮りに行った。東電社員は出来栄えに満足せず、「本社が写真のカットが足りないと言ってきた。撮り直してほしい」と要求したという。ゼネコン幹部は「再び行けばさらに放射線を浴びる。作業員への気遣いはなかった」と話す。
 国会事故調査委員会は今年4~5月、昨年3月に福島第一で働いていた約5500人に郵送でアンケートし、2415通の回答を得た。震災が起きた3月11日に避難せずに原発構内に残った東電社員の47%は原子炉が危険な状態である可能性の説明を受けたが、元請けでは5%、下請けでは2%しか受けていなかった。
 ある元請け社員は「末端には全交流電源喪失の情報はまったく流れてこなかった」と答えた。回答用紙の自由記述欄には「線量限度のために今後の雇用に影響が出る」と心配する声が多く、ある下請け従業員は「自分の累積線量が多く、5年間、原子力作業に従事できず不安」と書いた。
 東電の原子力・立地本部の松本純一本部長代理はこうした声について「何か対応するかは未定」としている。 (奥山俊宏、青木美希)

 東京電力は「元請け会社の責任で適切に採用されていると認識している」としらばくれているが、鉛板のケースに線量計を入れ被曝量をごまかすことも、7段階から8段階にも及ぶ下請け構造があることも、暴力団による人集めが行われていることも知らないわけはない。あたりまえだ、そのようにすることを暗黙の指示で実行させている張本人こそ東京電力そのものなのだから。

 「不都合な施設:原発」をふつうに動かすためには「不都合な構造」による「不都合な運用」をしている「不都合な実態」を必要とするし、今回のような事故が起きればなおのこと「不都合な事実」を可能な限り末端の人間には知らせずに、処理作業に従事させるためには「不都合な反社会勢力」の力を借りなければことは進まないのだ。

 暴力団に弁当を売ったら犯罪になるのかどうかドキドキしながら商売をしている人たちから見れば、信じがたいほど堂々と暴力団の協力を得ているのが東京電力をはじめとする沖縄電力を除く各電力会社と日本原電なのだ。

 芥川龍之介は「ときには嘘によるほかは語りえぬ真実がある」と書いたが、そのいい方をまねるなら、まさに「原発は暴力団の手助けによるほかは支えられぬ施設」なのだ。一見健全に動いているときも、役立たずの大迷惑施設として処理せざるを得なくなっても・・・だ。その意味では原発こそ、原子力村という反社会勢力と暴力団という反社会勢力がともにメシのタネとして骨の髄までしゃぶる、第一級の反社会施設なのだ。(7/25/2012)

 香林寺で三回忌法要、墓参りのあと、登米の魚文で会食。日根牛と柳津におばさんたちを送り、柳津のうちで着替えさせてもらってから白石の鎌先温泉木村屋に来た。こちらはきのうの鰕武旅館とはえらい違い。部屋はきれい、エアコンは静か。ただ残念ながらLANはつながらない。携帯で株価・投信・為替データなどをとる。

 イチローがヤンキースに電撃移籍。朝のニュースで聞いたとき、いちばんに思ったのは、「メジャーは怖いね、たしかに値がつくのはことし。下手をすれば、来年は値がつかなくなるかもしれないからなぁ」ということだった。夜のニュースのイチロー自身の言葉を信ずるならば、彼自身が移籍を申し出たということだが、果たしてそんなことができるものかどうか疑わしい。弱小球団マリナーズとはいえ、シーズン中に選手が自らトレードに出して欲しいというようなことを言い出せるほどいい加減なマネジメントはしていないだろう。そんなことを許容したら規律が保てなくなってしまう。

 イチローの現在の打率は2割6分とのこと。チームにとっては扱いにくい選手になっていたのではないか。今シーズン、打順が一定しなかった(3番でシーズンをスタートし、1番に戻り、2番に下げられたと報ぜられている)という事実がすべてを物語っている。

 「扱いにくさ」について、たぶん、日本のマスコミは誤解している。「かつての成績があるから外すわけにもゆかず扱いにくい」と我がマスコミは語りたがるだろうが、おそらくそうではない。単純に「年齢的な衰えがあるのに、本人はいまだに年間200本安打などの数字にこだわっていること」、「オーナーである任天堂の有力者(山内博と思われる)との特別な関係があること」、「試合結果よりもイチローの安打数とレーザービームにしか関心を持たない日本メディア優先の対応ばかりする選手であること」、ついでに書けば、そのイチローと「ムネリン」、「イワクマ」をセットで取材する野球を知らない日本メディアの目障りなこともあったかもしれない。

 チームが勝っていれば、こういうことには腹は立たない。しかしマリナーズの成績は、ことしのみならず、ここ数年芳しくない。ファンはたった一人の選手の成績や記録にはなかなか興味は持てないものだ。イチローがマリナーズにもたらしたものは最初の年の(佐々木の力を借りた)地区優勝だけだ。「イチローはこの試合ヒットを2本打ち、これで10試合連続安打が続いています」と報じ、マリナーズが勝ったのか負けたのかすら報じない異常なニュースを不思議にも思わないこの国のバカファンはともかく、シアトルのファンがそんなことで満足しているはずはない。

 まあ、「オールスターブレイクの間に考えて出した結論は来年以降、若い選手の多い、このチームにいるべきできないのではないか。そうだとすればなるべく早く移籍するというのがぼくの決断でした」というイチローの言葉が本当だとしたら、それはたぶんその前提に彼自身がチーム内での処遇から感ずるものがあったか、あるいは、最近、業績のふるわない任天堂がマリナーズを手放す可能性のあることをそれとなく知らされたかして、フロントに申し出た、せいぜいがそんなところだろう、考えにくいが。

 たぶんけさの直感の方が正しいと思う。「イチロー、このままなら来期の契約更新はないよ。あるとしても大幅な減俸になる」、「分りました、ずいぶんお世話になりました。どこか移籍先を探してくれませんか。日本語では花道というんですが、ぼくに疵がつかないような、球団も冷酷といわれないような、そういうかたちでお願いします」。「希望はあるかい、イチロー」、「ニューヨークくらいなら」、「いい待遇はとても望めないよ」、「いいですよ」、「オーケー、やってみよう」。直接やり取りしたのか、エージェントがかんだのかは分らないが、こんなやり取りでもあったと想像する方がよほどリアルな話だ。

 ヤンキースへの移籍が吉と出ればそれに越したことはないが、コンスタントに出られるかどうか。それが適ったとしても気になることがある。イチローが年々饒舌なりつつあるということだ。最初から饒舌な選手だったのなら心配はしない。しかしイチローはどちらかというとメディア嫌いの選手だった。そういう選手は口がうまくなるほど実力は下り坂、これが世間相場だ。

 けさの記者会見、イチローは「ファンへの感謝」を口にしていた。ところでシアトルのファンはすべからく日本語に堪能なのだろうか。彼が英語で会見を行っているのをみたことがない。それは単に彼の日本向けのメッセージのみを報じているからで、シアトルの大多数のファンが理解できる言葉で語っている場面が無視されているからだろうか。我がメディアは「イチローはファンをとても大切にする選手だ」といってきた。それが本当なら、在米十年を超える彼が地元のファンがダイレクトに分る言葉で語るのが自然というものだ。少なくとも思い入れのあるシアトルを離れるにあたっての思いを語ろうというなら、シアトルの大多数のファンは、彼らにとって海の向こうの異国の言葉ではなく自分たちがよく分かる言葉で語って欲しかったのではないか。イチローはなぜその当然のことをしなかったのだろう。

 それとも饒舌なのは日本語でしゃべるときだけのことで、英語ではあの「寡黙だけれど、よい仕事をする」あの昔のイチローのままとすれば、いまだ力は落ちていないことになる?・・・それはあまりに希望的な観測というものだろう。(7/24/2012)

 あした**(義父)さんの三回忌。9時半に出発。東北道を仙台宮城インターで下り、永昌寺に寄り墓参り。5時前に登米の鰕武旅館到着。ずいぶん古い旅館らしく、当然のこと、洗面所・便所は部屋にない。エアコンはいまや幻となったウィンドウタイプ。蒸し暑いので入れるが、凄まじい運転音。無線LANがあるので、株価・投信基準価額・為替などはチェックできる。

 「クローズアップ現代」で吉田秀和を取り上げている。「ホロヴィッツ事件」や「グールドによるゴルトベルク変奏曲」のエピソードなど常套的な語り口。それはそれで分るのだけれど、多くの日本人にとってはクラッシックを聴いて評するなどは別天地。だから「そこに自分の考えはあるか」と問われて答えうる人はそうそうはいない。そもそも基礎を知らないのだから無理に取り上げれば、小林秀雄流のモノローグ以外は語りようがない。

 すごく意地悪く言えば、そういう小林秀雄の干物のような音楽評論しかなかったのだから、吉田秀和は幸運だったとも言える。小林の「モオツアルト」を読んでレコードを聴いてもハッピーにはならないが、吉田の「評論」を読んでお薦めのレコードを聴けば確実に音楽を聴く楽しみが味わえた。彼の絶妙の語り口に載せられて、バッハの無伴奏バイオリンソナタとパルティータのシェリング盤とグルミョー盤を買ってしまったこと、そんなこともあった。

 陋巷の民にとっての吉田秀和はそういう存在だった。それだけでよかったような気がする。(7/23/2012)

 朝刊の書評欄に斎藤貴男の「『東京電力』研究-排除の系譜-」が紹介されている。評者は後藤正治。

 大事故が起きれば、優良企業は一転、欠陥企業となり、「社長」「会長」の座にあるものは社会の糾弾を浴びる。社長・会長が予見しうる過失を見逃す無能者であり、悪意をもった背徳者であるなら話は簡単だが、世の因果関係はそう単純ではない。
 多くの場合、事態を招いた真因は、長い時間系のなかで積み重ねられた体質や構造といった深い層の中に宿っている。本書は東京電力の成り立ちと歩みをたどりつつその深層に迫ろうとした書である。
 東電の「中興の祖」といわれた木川田一隆は、自由主義者・河合栄治郎に傾倒し、企業の社会的責任を掲げた。木川田の後継者で経団連会長ともなった平岩外四の蔵書は3万冊、財界屈指の読書家だった。ともに教養人であり人品卑しからざる人物だった。・・・(略)・・・

 読みながら電事連の八木誠のことを思った、八木はどのていどの教養人なのだろうか。いや、いまこの国の俗に言うリーダーたちの書斎、本棚を見てみたいとも。どのていどのものを読み、どのていどの本を手もとに置いているのだろうか。そういえば、会社勤めをしていた頃も、そんなことを考えながら上司や同僚の顔をつくづく眺めたことが幾たびかあった。この人のこの言動はどこから来るものか、疑いたくなるときのことだった。

 この国の長期低落は間違いなく人物のスケールの小粒化に一因がある。

 明治という時代をつくった人々は最低限、経史子集の幾ばくかは身につけていた。そういうバックボーンをもとに、欧米の文化をきちんと消化して血肉化できた。欧米の古典も知らず、漢籍も知らず、根無し草のような状態で歩きはじめたところで、ろくなことにはならない。自分か自分とちょぼちょぼのヒヨコの知恵で歩き始めたところで考えに奥行きも深さももてるはずはない。人間が人間であり得るのは知恵を受け継いで、それに自分の考えを積み重ねられるからだ。一代一代で終わりにするのは動物。人間と動物の違いはそこにある。

 知識と知識(ときには思いつきと思いつき)のパッチワーク、それにキサマとオレという近親交配、明治からあまり遠く隔たらぬうちにこの国に行き詰まりが見え始めたのは、ある意味、必然だった。戦後のこの国も同じ。いまはそれがよりいっそう甚だしくなった。

 我が宰相と閣僚、各電力会社のトップ、経団連のお歴々、政党のボスの面々、彼らの本棚を覗いてみたい。どのていどのバックボーンならば、あんな薄っぺらで愚かなことが言えるのか、それが知りたい。いつぞや、麻生太郎が宰相の折、これこれの本を買い求めたというニュースを新聞で読んで大嗤いをしたことを思い出した。ひょっとすると、あのミゾウユウの無教養宰相の本棚とさして変わらないのではないかしら。最近は特にそう思う。(7/22/2012)

 開始早々、おバカな東北電力企画部長オカノブとお粗末な中部電力原子力部オカモト課長によって、ケチのついた「環境・エネルギー政策に関する意見聴取会」だったが、批判を浴びるやいなや古川元久は電力会社と関連会社の社員には意見表明をさせないと言いだした。

 これに対し、電事連会長の八木誠(関西電力社長でもある)がきのうの定例記者会見で「電力会社社員が意見聴取会で発言すること自体に問題があるとは思わない。議論はバランスのとれたものにすべきだ。電力会社の社員というだけで、個人の意見表明もできないというのには違和感を感ずる」といった由。

 一聴、この論理は正しく聞こえる。しかし、逆に八木に問いたい。「では現実に電力会社の現役社員が意見聴取会に出て、個人的意見として原発ゼロの意見を述べることが可能ですか」と。八木がどのように答えようとも、そういうことが現実的にあると思う者はいない。とすれば、そもそも電力会社社員という「当事者」に発言権を与えることには何の意味もない。なぜならポジション・トークしかできない人だと見なされているからだ。これは意見聴取会を建設的なものにしない。

 少なくともポジション・トーカーと見なされない人が「わたしは原発ありのシナリオに賛成です」と言ってはじめて、「どうしてそう考えるの?」というステップに進むことができる。「電力会社の社員です」と語りはじめたとたんに、「みなまで言うな、結論をどこに持ってゆくかは決まってるんだろ、ヘリクツを聞くヒマはないよ」ということになってしまう。これは否定のできない事実だ。

 八木の言う「バランスのとれた」議論に資するためには電力会社社員は意見表明の場に出ない。これが見識というものだ。八木という男にはこんな簡単なことすら分からないのか。そのていどの頭でも電力会社の社長が務まるほどに電力会社首脳の質は落ちたのか。そう思わせる。(7/21/2012)

 よく落ちるオスプレイの成績について、朝刊がめざましい数字を報じている。

 オスプレイの事故については09年からことしにかけて4件の事故が報じられてきたが、これらはアメリカ軍の事故区分の重大事故にあたる「クラスA」のもののみをカウントしたもので、「クラスB」・「クラスC」をあわせると06年10月から11年9月までの5年間(つまり今年の4月、6月に発生した事故は含まれていない)で58件に上るとのこと。じつにすばらしい「実績」で、さすがに「よく落ちる」「空飛ぶ恥(Flying Shame:named by “Time”)」だけのことはある。

 記事によると、クラス分けは「A」というのは死者や全身障害者が出るか200万ドル以上の損害が発生した事故、「B」は重い後遺症が残る被害者が出るか50万ドル以上の損害の場合、「C」は軽傷者あるいは5万~50万ドルまでの損害の場合となっている。量産決定の06年10月から11年9月までで、「A」が4件(海兵隊仕様で2件、空軍仕様で2件)、「B」が12件(海兵隊・空軍でそれぞれ6件)、「C」が42件(海兵隊で22件、空軍で20件)、あわせて58件とのこと。

 たしか、昨夜のテレビニュースで小川和久は軍用機としての事故件数は少ないとコメントしていたが、彼はどこまでのデータを把握した上であのように言っていたのか確認したい気がする。(事故件数のみで語るのは論外。いったいどのていどの累積飛行時間の中で起きたのかということが問題なのだから)

 また国防総省の研究機関でオスプレイの主席分析官を務めていたレックス・リボロは議会で「従来、国防総省も軍用機にFAA(連邦航空局)と同等の基準を要求してきたが、初めてオスプレイはその原則から逸脱した」と証言したと伝えられているが、それほど安全機能を削減せざるを得なかったオスプレイが過酷な実戦での運用に安定的に耐えられるのかどうかということになると、相当懸念があることになりはしまいか。

 要するに、せいぜいがゲリラ掃討戦のような戦力ギャップのある戦闘場面しか想定できず、もっぱら産軍複合体の中での出世にしか頭が回らなくなった現在のアメリカ軍制服組の「平和ボケ」が、オスプレイを評価しているのではないかという疑いだ。我々は知っている、同じように軍内部での出世争いに目を奪われ、装備の低劣化に気付かなかった先例を。そうだ、我が帝国陸海軍さんだ。ああいう官僚化した軍高官のたわけた判断がすべての厄災の因になるのだ。(7/20/2012)

 石原、オリンピック視察を取りやめる由。可笑しいのはテレビニュースも、新聞も、すべて「ロンドン出張を取りやめ」とタイトルしていること。先月末から今月はじめのシンガポール出張(都庁舎への出勤日数、執務室の滞在時間は短いくせに、海外を遊び歩くことだけはマメにやっている。よほど税金の無駄遣いが好きなようだ)で風邪を引き体調がすぐれないのだそうだ。

 突っ張れよ、慎太郎。医者のアドバイスなんぞに従うようでは、「お前らしさ」がない。記者会見ができて、体調がすぐれないというのはおかしな話ではないか。お前が出れば招致にマイナスだと誰かに言われたか。初志貫徹、オリンピック視察先で客死でもすれば、同情票くらいは・・・無理だな、呵々。

 徹底的に他人のカネを使うのがお前の身上だろう。佐野眞一の「てっぺん野郎」、サブタイトルが「本人も知らなかった石原慎太郎」となっている面白い本だが、その中にこんなエピソードが紹介されていた。

 ある映画関係者は、裕次郎が入院したとき、慎太郎から見舞いのための白地のキャンバスと絵の具が届いたという話を、裕次郎自身の口から聞いている。
 「どうせヒマだろうから、これで絵でも描けってことだったんだろう。ところが退院してしばらくたったら、そのときの請求書が送られてきた。あのときはさすがの裕ちゃんも本気になって怒った。送られてきた画材一式を全部送り返したといっていた」

 これは吝嗇ということではない。「オレほどの男だ、他人のカネを使ってなにが悪い」、骨の髄から、それが身についているのが石原慎太郎だ。

 しかし、尖った人間が円くなるほど、あるいは、我執のカタマリだった人間から執着がなくなるほどに死期は近づくというのがこの世の常だ。オリンピックをネタに贅沢旅行をする執念を、たかが主治医のアドバイスくらいで引っ込めるようになったとは、慎太郎も案外先が知れてきたのかもしれぬ。「尖閣遊び」あたりが最後の「宴」、「空疎な小皇帝」もついに時代に追い抜かれたということかもしれない。(7/19/2012)

 観察するまでもなかった。きのうの専門家会合における指摘(「活断層の専門が見たら、唖然とするだろう」、「よくも審査が通ったものだとあきれる」等々)同様の指摘がなされた島根原発について言及した新聞はなかった。グーグルのニュース検索にも引っ掛からなかった。

 昨夜、あれからいろいろネット検索をするうちに、石橋が委員を辞任した当時、朝日のオピニオン欄に投稿したものを見つけた。06年9月16日の朝刊だそうだ。全文を書き写しておく。

 原子力発電所の「耐震設計審査指針」が25年ぶりに改訂される。5年余り審議を続けた原子力安全委員会の分科会が8月末に最終案をまとめた。近く正式に決まる。
 地震学者と工学者の熱心な議論によって最新の知見が採り入れられ、耐震設計の基準となる地震動(地震の揺れ)の決め方を見直すなど、評価できる点もある。しかし、規定にあいまいな部分があり、適正な審査が行われるかどうかに大きな懸念を残した。
 一般公募で約700件もの意見が寄せられ、その多くが中国電力島根原発(松江市)の活断層見落としの事例を踏まえて原案の改善を求めたにもかかわらず、分科会が「議論を蒸し返さない」という行政手続法軽視の姿勢をとり、修正しなかったからだ。
 私は分科会委員として修正を主張したが、審議の仕方と最終案には納得できず、最終案審議の席上で辞任した。
 島根原発の事例とは次のようなものだ。同原発の近くで、電力側が詳細調査の結果活断層はないと主張し、審査側の原子力安全・保安院と安全委も昨年それを追認して3号機増設を許可した場所で、大学などの研究グループが6月上旬に地面を掘って活断層の存在を実証したのである。その結果、中国電力の想定を超える大地震が起こる可能性が浮上したが、同時に、電力側と審査側双方の活断層調査能力の低さが露呈した。
 活断層とは、過去に同じ場所で大地震がくり返し発生し、毎回地表にまで達した断層のズレが累積したものだから、特徴的な地形を航空写真から読み解く変動地形学の手法が調査の基本になる。前記研究グループはこの分野の専門家たちで、かねて活断層の存在を指摘していた。ところが、原発ではこの科学が正しく使われていない。だから、島根の件は偶然ではなく、3月に金沢地裁で運転差し止め判決が出た北陸電力志賀原発にも共通することだ。
 原発の耐震設計は、敷地に大きな影響を与える恐れのある地震を適切に想定し、それによる地震動を正しく予測することが基本だから、絶対に活断層を見落としてはならない。改訂指針案も、原発立地点付近の活断層調査が詳細で信頼性が高く、活断層を見逃すことはないという大前提に立っている。ところが、その前提が成り立たないことが明白になったのだから、一般公募意見の多くが、活断層の調査・認定法と地震動の策定法に関する原案の修正を求めたのは当然だったのだ。
 分科会には変動地形学者がいなかった。島根の活断層審査に責任ある専門家は4人も入っていたが、保安院、安全委ともども、この重大なミスを直視しなかった。その結果、「変動地形学」という言葉だけは改訂案に入ったが位置付けがあいまいで、本質は何ら改善されていない。
 すでに、改訂案を踏まえた既存原発の地質再調査や、電力側による活断層調査方法のとりまとめなどが始まっている。それらを活断層学の正道に戻すことが急務である。また、同一の専門家が電力側と審査側の両方に深く関与しているような異常な構造にメスを入れ、審査体制を抜本的に改革して厳正さと透明性を確保しなければならない。

 どれほど真っ当な指摘をしても、この国の原子力行政には「馬の耳に念仏」、この国のバカマスコミには「豚に真珠」。いったん事故が起きれば「想定外」、そして1年も経てば、もう「喉元過ぎれば熱さを忘れて」粛々と再稼働に入る。つくづく阿呆な国に生まれたものだと、これはもう自嘲する以外にはない。

 原子力安全・保安院は、きょう、北陸、関西の各電力会社に対し、志賀原発と大飯原発の敷地内にある断層の追加調査計画を提出(北陸電力は25日まで、関西電力は今月末まで)するよう指示した由。泥棒に泥棒容疑の調査を命じてどうするのだ。奴らはまたまた現調査をしたときのカネのためなら何でもする似非学者と似非コンサルタントを雇って、インチキ報告書を出すだけだ。きのう、手厳しい言葉で批判した東北大学の今泉俊文はこう言っていた、「調査にかかわった方の氏名と調査会社の名前くらい公表しなさいよ」。あたりまえの話だが、そういうこともできないのが原子力マフィアの手口なのだろう。ウジ虫どもめ。(7/18/2012)

 気象庁、中国・四国・近畿・東海・関東甲信の梅雨明け宣言。もっとも最近は「宣言」などという勇ましい言葉は使わない。「梅雨明けしたとみられる」と言う。それとも大昔から気象庁はこういう表現をしていたのだが、マスコミが「梅雨明け宣言」と言っていただけのことなのかしら。

 「いまごろになって」という話がつぎつぎと吹き出すのが日本の原発。

 夜のニュースで、北陸電力志賀原発1号機の直下、関西電力大飯原発2号機、3号機の間の断層帯が活断層である可能性が高いことが報ぜられた。きょう午後に開かれた原子力安全・保安院の専門家会合での話だという。保安院は北陸電力と関西電力に再調査を銘ずる方向だという。

 なにをいまさら「演技」をしているのだ。歴然たる活断層の上にでも平然と建設してきたのが日本の原子力施設(原発に限らない。六ヶ所村の再処理施設、敦賀市の「夢の(大嗤い)」高速増殖炉なども同様)ではないか。白々しい。マスコミも、いま、はじめてわかったような伝え方をする話か。

 たまたま原子力マフィアという「反社会的勢力」によるグリップ(妨害工作といってもよい)が弱まって、あるていどの扱いで報道されるようになっただけのことではないか。

 国会事故調の報告書に痛切な自己反省を書いた石橋克彦は、01年の12月から約5年の間、原子力安全委員会・原子力安全基準専門部会の委員を務めていた。しかし石橋は06年8月28日の耐震指針検討分科会第48回会合において専門委員と分科会委員を辞任した。そのときの速記録が原子力委員会のホームページに掲載されている。速記録にはいまや曲学阿世のインチキ学者としての悪名が定着した「活断層カッター」こと衣笠善博の活躍する場面がいくつか記録されておりなかなか興味深いが、ここでは石橋の辞任・退席の際の発言を書き写しておく。

 私は地震科学の研究者として自分の知識や考え方を極力その社会に役に立てたいという気持ちでこの会に参加してきたわけでありますけれども、このような分科会のありさまでは、このままここにとどまっていても私は社会に対する責任が果たせないと感じます。むしろ今これだけのパブコメが寄せられてそれを取り上げて議論している中で、この状況ではむしろ私としてはパブコメを寄せてくださった方に対する背信行為を行いつつあるような感じすらいたします。
 ですので、今ここで私は原子力安全委員会の専門委員を辞任いたします。耐震指針検討分科会の委員をやめさせていただきます。これまで4年9カ月ぐらいですけれども、分科会の委員の先生方、それから原子力安全委員の先生方、それから事務局の方々、あと外部の専門家の方々から非常に多くのことを学びました。それは大変感謝しております。しかし、最後の段階になって、私はこの分科会の正体といいますか本性といいますか、それもよくわかりました。さらに日本の原子力安全行政というのがどういうものであるかということも改めてよくわかりました。私がやめればこの分科会の性格というのが非常にすっきり単純なものになるだろうと思います。ですので、そこであとは粛々とこの審議を進めていただいて合意をなさったらよかろうと思います。
 事務局にお願いしますけれども、以上の私の発言ときょうの2つの資料は私が委員としての発言であり資料でありますから、これはこれできちんと記録にとどめていただきたい。それと同時に、今ここで私は委員をやめます。この後の審議には加わらない。ですから、きょうの最後の了承には加わらなかったということをこの報告書のその2にきっちり書き留めていただきたいと思います。
 以上です。

 石橋はケツをまくるべきではなかったのだろうか。そうは思わない。石橋が残ろうがどうしようが分科会は「粛々と悪事をなした」だろう。これがこの国で動いている「仕組み」なのだ。「いろいろ言っていたら原発などは作れやしない」、「どうせ、地震なんぞそうそう起きるものじゃない」のだから、「やれやれドンドン、ゆけゆけドンドン」というわけだ。

 他のことならそれでもいい。何度も書くが311のとき、コスモ石油の千葉製油所でも爆発事故があった。しかし製油所の爆発・火災など燃えるものがなくなってしまえばそれで終わりだった。フクシマの片付けには数十年かかるだろうし、最悪遺伝障害を受ける者が出てくることも危惧しなくてはならない。原子力災害は人間にとっては手のうちようのないものだから、起きること自体がとんでもないことなのだ。にもかかわらず、きのうの中部電力のオカモトの経済原理最優先という浅知恵、・・・サル知恵の類なのだが、あのていどの知力の低いバカは自分の愚かさを知らないどころか、自分がお利口さんだと思い込んでいるものだ。まことに始末におえない。ああいうバカこそ、全身に放射線を浴びてJCO事故の被害者のように「朽ち果てる」ような死に方で死んでゆけばよい。あの原発フリークにとっては本望だろうよ。(意見の異なる者を死ねばいいと書くのは精神が狭量だろうか。そうは思わない。人間の尊厳を幾世代にもわたって傷つけることを主張する権利は誰も持ちあわせていないはずだ)

 閑話休題。石橋の辞任の引き金を引いたのは、志賀原発や大飯原発の事例ではなかった。中国電力の島根原発にある活断層だった。しかし今晩のところ、きょう名前の上がった志賀、大飯以外の施設名は上がっていない。あしたから週末までの間にそれを指摘するマスコミがどれだけ出るか、フロアからじっと観察することにしよう。(7/17/2012)

 ウォーキングコースから(弁天堀橋から下田橋までの右岸)富士が見えた。

 冬に比べれば、夏富士の見える確率は低い。梅雨明け前に見えることはあまりなく、いつもは8月になってから旧盆のころ、東京の空が澄み渡る日というのが多い。

 夏富士は、当然の話、白くはない。黒い。丹沢(だろう)の山々に乗っかってぬっと頭を出す様は白い富士の印象とは大いに違う。立ちのぼる水蒸気に輪郭がぼやけているのがふつうだが、きょうは、くっきり、はっきり。黒い等脚台形に四筋ほど縦に雪の線が見えた。いちばん右側の筋のすぐ下にハンカチを拡げたような雪渓らしきものも見えた。「千鳥」に見立てられる雪渓があるというのは、どこの山だったろうなどと記憶を手繰りながら戻ってきた。それにしても暑い。

§

 この三連休、原発比率決定に向けた意見聴取会が、さいたま、仙台、名古屋の順で開催された。政府提案の「0%」、「15%」、「20~30%」(なぜこの案だけが数値に幅を持たせたものになっているか、これだけを見ても政府の腹の内が透けて見えて嗤える)、計3案のそれぞれの支持者意見を述べるもの。これからの予定は22日に札幌と大阪、28日に富山、29日に広島と那覇、8月に入って、1日福島、4日に高松と福岡で開催されることになっている。なぜ、福島での意見聴取会のみウィークデーの開催となっているのか、これもなかなか興味深いところ。福島を除くと10会場、つまり原発のない沖縄電力も含めた全国10の電力会社に対応させたということ。(原発のない沖縄電力の電気料金にも原発推進のカネはもぐり込まされているという記事がけさの朝刊に載っていた。「受益」がなくとも支払わされる沖縄県民。「便益」を与えなくともふんだくれるものはふんだくろうというこの根性。原子力マフィアが眼の色を変えて原発推進にあの手この手でありとあらゆる汚い手を使うのも頷けるというものだ)

 聴取会の運営方法もなかなか面白い。3案のそれぞれについて3名ずつ計9名だけが意見表明をすることができる。制限時間は10分。いろいろいうわりにたったこれだけ。

 さいたまでの意見表明希望者は「0%」が239名、「15%」が30名、「20~25%」が40名という構成だった。民主主義における多数決原理を支えるのは少数意見の尊重だから、「15%」・「20~25%」主張のメンバーにも意見表明機会を与えるのは当然のことだ。しかし発言者と発言時間の割り当ては「常識的」ではない。この国の従来の「常識」は、多数意見に発言機会と時間割り当てを手厚くする方式だった。国会も、都道府県議会も、市町村会も、そうしてきた。それが当然のことかといわれれば、そうは思わない。しかし、これがこの国の「常識」であり、きょう現在もメジャーなルールだ。その「常識」に従えば、9名の意見表明は、「0%」主張者7名、「15%」、「20~25%」主張者それぞれ1名ずつということになる。それがこの国の「常識」だ。

 今回だけそのルールを変えるというのなら、それ相応の理由がなければならないし、その理由を説明することも必要だ。239名からでも3名、たった30名ないしは40名からでもそれぞれ3名が選ばれるというのは「非常識」だ。当然発生する問題もある。母集団が少ないということは、もともとある種のポジション・トークをするバイアスのかかった「プロ」に発言機会を与える確率が極端に高くなる。

 その懸念はきのうの仙台、きょうの名古屋で現実化した。仙台では東北電力の企画部長(執行役員のはず)、名古屋では中部電力の社員が「25%」を主張した。

 東北電力のオカノブは「せっかく当選したので」(白々しい!)と前置きして臆面もなく「東北電力の考え方を説明します」と語りはじめた。これは「国民の意見聴取」ではない。東北電力には十分なパブリシティがあるのだから、会社の考え方はどのようにでも広報できる。そちらでやればいい。わざわざ国民の意見聴取の枠を踏みつぶすそうと出向いてくるというのは不見識であり、恥ずべきことだ。しかし、オカノブはそれをやってのけた。

 きょうの名古屋にも中部電力の社員を名乗るオカモトが「個人の立場」と前置きし、まるでリズムをとるように体を揺らしながら意見を述べた。オカモトはどうやら原子力フリークないしは原子力村の住民らしく、結論部分では「20~25%でも足りない。35%、45%こそが経済的に破綻しない唯一の道だ」と相当に勇ましいことを言っていた。

 オカモトの立論の根底は経済こそがすべて(「いまどきバカじゃないか」と思うが、それはおいておく)というところにある。自然エネルギーなど役に立たないだけでなく経済負担の増大を招くだけ、火力は膨大な石油輸入(かれはなぜか天然ガス発電やコンバインドサイクル発電を知らないようだ)が過大な経済負担になり、電気料金は数倍にふくれあがると脅していた。一から十まで経済優先というのがオカモトの立場のようだったが、なぜか、こちらには「シャブをやめて、お前さん、やってけるのかい」という覚醒剤の売人のセリフのように聞こえた。語り口が恫喝的だったからだろう。

 オカモトは現実を見ろと繰り返したが、ほんとうの意味の現実を見ていないのはオカモト自身だ。冒頭近く、オカモトは「放射能で直接的に亡くなった人はいない。これは今後5年、10年経っても変わらないと思う」という飽きた詭弁を語った。もう何年も前から原発のメンテナンスにあたる作業者たちは放射能障害で死んできている。オカモトはその現実を知らないか、知らないふりをしている。

 いずれフクシマの作業者たちも放射能障害で死んでゆく。オカモトが「・・・と思う」のと同様にオレはそう「思う」。そして間違いなくオレの「思い」の方が的中する。オカモトは自分の言ったことが外れたときには腹を切るつもりがあるのだろうか。オカモトは信じているのだろう。電力会社と政府はフクシマの作業者の中から放射能障害の犠牲者が出ても、いままで同様に闇から闇に葬ることができるからばれないと。じつに狡猾な仕組みが機能するから、自分の予想が外れたことを認めるような事態にはならないことを確信しているのだ。狡猾な男だ。それとも見ることをしないトッチャンボウヤか。

 オカモトはしきりに経済の破綻を強調していたが、それより以前に、それよりもっと確実に破綻することついては口をぬぐっていた。それは使用済み核燃料の山だ。オカモトの主張通り原発比率を高めれば、いずれ、使用済み核燃料の冷却と放射性廃棄物の処理のために原発で発電した電気が大量に使われるという、まるで利払いだけに負われる借金に似た悪夢のような破綻状況が訪れるだろう。

 オカモトの主張通りにして確実に訪れる放射性廃棄物破綻のために放射能ゴミのはざまでビクビクしながら暮らす未来がいいか、オカモトの予言通り経済破綻が訪れるとして家庭菜園でとれる野菜を食らって生きる未来がいいか、ほとんどの国民にとって、答えははっきりしている。

 仮にオカモトが100%正しくても、過飽和経済の中でどれだけ名目経済が発展したところで大半の庶民はその恩恵にはあずからないのだから。(7/16/2012)

 食卓の半分は新聞やらダイレクトメールの山になっている。その山から6月30日付けの「赤be」が出てきた。「うたの旅人」は「ドナ・ドナ」だった。森山良子のことから書き始められていた。この曲、もともとの歌詞はアーロン・ツァイトリンというユダヤ人詩人、原詩はイデッシュ語、作曲はショローム・セクンダ、彼もユダヤ人。

 セクンダは32年、後にジャズのスタンダードとなる「バイ・ミーア・ビスト・ドゥー・シェーン」〈邦題「素敵なあなた」〉を作る。イディッシュ劇用の曲だったが、37年に英語の歌詞がつけられ、全米で大ヒット。ところが、彼は100ドル未満で著作権を売り渡してしまう。

 「素敵なアナタ(Bei Mir Bist Du Schoen)」。こちらに反応してしまった。忘れもしない2,900円で買った6石スーパーのキットを組み立てて鳴らした頃、たしか11時半からラジオでやっていた番組。落ち着いたアルトのナレーションでスタンダードナンバーを流すDJ。とにかくゆっくりと語る。聴き始めの頃は「あれ、やっぱりどこかおかしいかな」などとラジオをコツンコツン叩いたりした。それほど、言葉と言葉の間合いが長かった。

 いま、ネット検索をかけてみたら、あのアルトは桜井優子さんという名前だったこと、オープニングのアナウンスは「すてきなあなた・・・こんな声で・・・こんなことを申し上げたら・・・だれかさんに叱られるかしら・・・でもやっぱり申し上げます・・・すてきなあなたって」というものだったとか。まだ中学生だったから、それはなんというか、「大人の深夜番組」という感じだった。そう、あのころは、11時半はもう「深夜」だった。

 たしかこの番組は15分、これに続くのが「(カラー)タッチ」。「素敵なあなた」がトーク内容はレディの語りであるのに対し、続く番組はピンクジョーク。日替わりのナレーターが語る。憶えているのは、牟田悌三(彼の時は「ブラックタッチ」というタイトルになる)、藤間紫(彼女の時は「パープルタッチ」)、あと、だれがやっていたろう。

 ニキビ面の好奇心満点の中学生にはちょっと刺激が強かった。これも15分で、それに続くのがモンティ本田の「ミッドナイト・ジャズ」。タイトルバックはチコ・ハミルトンの「Blue Sands」で、気分はほとんど大人だった。この番組の影響は強く、すぐにMJQのファンになった。

 さて、あれは、HBCラジオ、STVラジオ、どちらだったろう。(7/15/2012)

 かねて不思議に思っていたことがある。2020年の夏のオリンピックへの立候補。いくら憎まれっ子世にはばかるといっても、その年に都知事でいるはずがない石原が、またまた大金をドブに捨てるリスクを犯して招致にこだわる理由が分からなかった。

 きょうの夕刊を見て「なんだ、そういうことだったのか」と得心すると同時に鼻白む思いがした。

見出し:石原都知事、異例の長期渡英15日間/五輪招致PR、効果に疑問?
 2020年夏季五輪の東京招致に向け、石原慎太郎・東京都知事(79)が24日、ロンドン五輪の視察に出発する。15日間の長期滞在で、随行も含めて費用は約7800万円。トップセールスを繰り広げるが、尖閣諸島購入をめぐり海外との摩擦も不安視される。
 「いろいろプランがある」。13日の定例会見で五輪招致について聞かれた石原知事は、手の内を明かさなかった。
●出張費は計7800万円
 都によると、石原知事は開会式やロンドン市長のパーティーに参加し、男子競泳や陸上競技を視察する。9人が随行し、出張費は計約7800万円になる。
 前回招致に失敗し、「戦うのはJOC(日本オリンピック委員会)。初めて会う人間とハグして『東京をお願いします』なんて馬鹿なことできるか」と当初は消極的だった石原知事。担当部局が数種類の日程案を示し、6月末、ようやく15日間の案を受け入れた。
 「高齢で長期出張は無理と思っていただけに、よかった」(都幹部)。都が20年五輪招致で支出する招致費は計37億円。今回の出張は少なくない支出だが、都にとってロンドン五輪は「格好のチャンス」という。
 国際オリンピック委員会(IOC)のルールでは、立候補都市の国際PRは、招致計画「立候補ファイル」提出後の来年1月以降と制限されている。過剰な招致合戦を避けるためだが、例外的に夏季五輪開催中は、JOCの活動拠点「ジャパンハウス」内に限って解禁される。
●北京の時は1泊2日
 4年前、リオデジャネイロに敗れた16年夏季五輪の招致レースで、中国嫌いの石原知事が08年北京五輪で中国に滞在したのは1泊2日。開会式などに出席したが、IOC委員との個別の接触はなかった。
 今回、「ジャパンハウス」内でJOC主催のパーティーが開かれ、IOC委員も招かれる。「トップが長期間滞在すれば多くのIOC委員と接触でき、やる気をPRできる」。都幹部は強調する。
●国内にもアピール
 長期滞在で、国内支持率の上昇もめざす。IOCが5月に公表した世論調査では、東京では五輪開催への賛成が47%で、招致を争うマドリード(スペイン)の78%、イスタンブール(トルコ)の73%に水をあけられた。
 「メダリストのもとに知事がかけつけ、東京招致をPRできれば、幅広い世代にアピールできる」。都幹部はそんなシナリオも描く。
 だが、長期滞在には不安もつきまとう。「石原知事が動けば動くほど、中国を刺激してアジアやアフリカ票が逃げていくのでは」。JOC関係者は身内の会合でささやきあっている。
 4月、出張先のワシントンで尖閣諸島の購入計画を表明した石原知事。知事を批判する中国は、経済成長を背景にアジアの周辺国との結びつきを深め、国際援助を通じてアフリカ諸国への影響力も増している。
 石原知事は滞在中、国内メディアへの露出を増やそうと、カメラを前にした取材に6回は応じる予定。JOC幹部は「どんな過激な発言が飛び出すかわからない」と不安を募らせる。
 前回の招致に成功したリオデジャネイロは「サッカーの王様」ペレ氏が招致大使として活躍した。招致委関係者は「世界的なスポーツ選手の力は大きいが、北島康介クラスの現役選手は競技があり、前面に立てられない。海外の知名度は高くはないが、石原知事に期待するしかない」。苦しい胸のうちを明かす。(藤森かもめ)

 税金を使って海外旅行(オリンピック観戦)と接待という名の贅沢三昧がしたいという薄汚い腹の内がじつにあからさま。そうと分かれば、何の不思議もない。

 夫人・秘書を引き連れて公費で海外大名旅行をするとか、余人をもって代え難い才能をお持ち(慎太郎が言っているだけ、そもそもこの四男が芸術を生業としていること自体、ほとんど知られていないとwikipediaには書かれている)の息子に都が行う得体の知れない芸術支援事業(この息子と支援事業のどちらが鶏でどちらが卵かは分ったものではない、呵々)にかかわらせている、等々、要するに公私混同がこの男のセンスなのだ。本当に東京都民はおめでたい。これほど都税を蕩尽されても、表立って何も言わないのだから。

 「石原知事が動けば動くほど、中国を刺激してアジアやアフリカ票が逃げていくのでは」・・・彼には招致の成否はほとんどどうでもいい。その前に、とっくにこの世をおさらばしているか、かつて彼自身が評した「あれで生きている意味があるのかね」という「人格のない廃人」になっているだろうから。

 そうだよ、慎太郎、憶えておけ。老いは等しくあらゆる者に訪れる。場合によっては、かつて自分が嫌悪し、悪し様に評したような状態に自分が陥ることもあるのだ。世の中には、お前にそのときが訪れることを祈り、めでたくそれが成就したら、お前の眼前でお前が冷笑したすべてのことを倍返し、十倍返し、百倍返しにしてやりたいと思っている者もいるはずだ。せいぜい養生することだ。(7/14/2012)

 13日の金曜日にして仏滅。

 日経の「NY特急便」がロンドン銀行間取引金利(London Interbank Offered Rate)不正を取り上げている。一見、米欧の銀行の「犯罪性」について書いているように見えるがそうではない。

 メリーランド州のボルティモアなどに続いて、今週に入りニューヨーク州のナッソー郡が不正にかかわったとされる米欧の金融機関を相手取って民事の訴訟を検討すると表明した。自治体の多くは金利が上がると負債の利払いが増える。これを相殺するため金利上昇で逆に受け取る利息が増えるLIBOR連動の金利スワップなどを契約しているが、不正によって利息が減ったと主張している。公的機関は納税者の目を意識せざるを得ないだけに今後、自治体や公的基金の間で訴訟が拡大する可能性は高い。
・・・(中略)・・・
 興味深いのは米大手銀の株価だ。バークレイズの処分後、捜査対象とされるJPモルガン・チェース、シティグループ、バンク・オブ・アメリカの3行の株価は平均1.6%下落。ほぼ横ばいのダウ工業株30種平均に対し目立って下げているわけではない。なぜなのか。
 一つは訴訟の難しさ。バークレイズの処分時に明かされたメールからも金利操作を画策したトレーダーらの問題行為は明かで、それが半ば慣行になっていた様子が伺われる。「だが多くの銀行の申請した金利を平均するLIBOR算出の複雑さなどから談合の事実や損失額を特定するのは至難の業」と米国野村証券アナリストのグレン・ショー氏は指摘する。
 どの銀行が、どれだけ金利を不正申告し、それがLIBORをどうゆがめたか。さらにLIBOR連動型の金融商品からの収益にどう影響したのかを利払いなどの基準日ごとに証明しないと賠償を得るのは難しいとみる専門家もいる。確かに気の遠くなる作業だ。

 「犯罪」の被害金額(=賠償額)の算出はある意味の原状回復のために必要なことだろうが、今後のことを考えるならば「犯罪」の全容について関心を示そうとしないのは不思議。それは「金利操作」という「犯罪」が金融業界の人間にとって(経済記者にとっても)は「常識」であったからなのだろう。あまりにあたりまえのことなので「犯罪」であるという意識がすっぽりと頭の中から抜けていたし、いまも抜けているのだ。

 記事はこのように続く。「ただLIBORを基準にする金融取引は数百兆ドルに及ぶとされるだけに、仮に一部の訴えが認められても金融機関への打撃は甚大。裁判費用だけでも負担は計り知れない、との声もある」。「声もある」という言い回しは「大事になったら大変」という意識はあっても、「このくらい常態的なことをとやかく言う意味はない」と言いたげで、どこまでいっても「犯罪」意識が希薄だ。

 この記者はインサイダー取引を扱った時もこんなふうに書くのだろうか。インサイダー取引の方が「被害」範囲は限定的、よほど罪が軽いと思うのは、陋巷の民の方向感覚が欠如しているからかしらね。(7/13/2012)

 市長選・・・らしい。日曜日が投票日。新座に戻ってきて初めての市長選。

 いまの市長、須田健治は連続5期20年になる由。立候補は須田を含め5人。当然、対抗する4人の候補者は多選批判。これに対し須田は「いままでも、そして、これからも」と、どこかで聞いたようなキャッチフレーズ。

 とにかく選挙カーがうるさい、そして電話挨拶もうるさい。いちばんに癇に触わる連呼が「平松だいすけ」なる候補者。唯一30代の若さをアピールする作戦。直接見ていないが当人は自転車でまわっているらしい。とんと見かけないのは、このあたりが市のはずれからか。その選挙カーが大音量で「新座も変わらなければいけません。若い平松だいすけ、平松だいすけを」と連呼する。

 「若いこと」、「変わること」がプラスになるかどうかは必ずしも自明ではない。なにより、自転車でというのもいまやちっとも新しくないし、選挙カーからボリュームいっぱいで連呼するスタイルなど旧態依然。売り込み時点で既に「若く」もなければ、「変わってもいない」のだから、当選したところで市政に新機軸などは期待できませんと白状しているようなものだ。

 既に20年、こんど当選すれば、約四半世紀というのは長すぎる。だから須田には入れない。旧態依然たる手法の「老成した若者」にも入れない。ここまでは決まった。さあ、あとはどうしよう。

 さて、ホームページの更新でもやるか。(7/12/2012)

 5日、上野動物園で生まれたパンダ、けさ、死んでいるのが発見された由。母乳が気管支に入り肺炎を起こしたためとか。

 生まれても、死んでも、格別、騒ぐほどのことはないと思うが、おそらく我が都知事さんなどは、パンダ嫌いだったようだから、大喜びして赤飯でも炊いたのではなかろうか。

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」。我が都知事さんはまさに「中国憎けりゃパンダまで憎い」というご心境らしく、パンダの話題になると、どういう論理回路でつながっているかは分からないが、にわかに不愉快な表情になるのが可笑しかったものだ。

 定例の記者会見かなにかで水を向けられて、「あんなもの、どうせ2年後には返さなきゃいけないんだよ、いっそのこと、センセン・カクカクとか、センカクとでも名をつけて、返してやりゃいいんだよ」とノタもうておいでだった。

 丹念に探したわけではないが、たまたま眼にしたネット右翼さんたちも、この都知事発言に拍手喝采を送っていた。それを見て都知事さんもネット右翼の皆さんもつくづくバカな連中だと嗤った。

 想像してみるがいい、センカクと名付けたパンダの子が中国に返されたら、きっと彼の国の我が都知事さんやネット右翼さんに相当する偏狭ナショナリストの面々は口をそろえてこういうに違いない、「やっと日本もセンカクが中国のものと分かって返してくれたようだな」と。(7/11/2012)

 梅雨明けかと思わせるような天気。歩きながら夏雲を見る。南明町の家からは名古屋大学の校舎、そのもうちょっと右側には南山大学の校舎も見えた。その上には、底辺がすぱっと包丁で切ったように水平になっている綿雲。時折、綿雲は頭をもたげて入道雲になる。その名の通りムクムクと上空に向けて伸びて行く。そういう雲たちを描くのが好きだった。

 **(母)さんには「下の景色も描いたら」と言われたけれど、いろんな色のクレヨンを使わなければならないのと、大きさの感覚がうまくつかめないことから、描くのはもっぱら雲ばかりだった。けっこううまく描いていたと思うけれど、夏休みが終わって宿題として提出した時、好きだった**さんに「雲を描いていると、上手か下手か分からないからいいわよね」みたいなことを言われてものすごく凹んで以来、雲のスケッチはしなくなった。将来の「雲画伯」の才能を摘んだのは、**さん、あなたです。

 それにしても黒目川沿いの雑草たちは元気だ。木々の緑も濃い。遠景の木々を睨むようにして歩いていて思い出した。たぶん小学校の3年の時、クラス全員、検眼をした。それではじめて近眼だと知った。ベビーブームのせいで70、80人もいるようなクラスだったのに、近眼でメガネが必要といわれたのはたしかたったひとりだったような気がする。自分はみんなとは違うカタワなんだというのはショッキングなことだった。「学校からのおたより」のようなもので親に知らされ、その終末には名鉄百貨店でメガネを作ってもらった。

 思い出したことというのは、メガネができるまでの間に級友たちが、「遠くのものをじっと見ると、直るらしいよ」とか、「緑色は目にいいんだって、だからなるべく遠くの木を見るようにすると、いいみたいだよ」とか、入れ代わり立ち代わり親身になって教えてくれた。こうして書いてくると、ずいぶん牧歌的ないいクラスだったような気がしてくる。

 歩きながら、そういう級友たちの名前を記憶の中に探してみた。名古屋市区立田代小学校3年2組、担任は****先生(我々を受け持っているうちに結婚して****先生になった)。

 水野という名字が多い地区だった。履物屋の****さん、いじめっ子の****(敬称抜き)、氷冷蔵庫のあるおうちの***(名前が出てこない)くん、親子電話のある大邸宅の**さん(彼女はすぐに自由が丘にできた分校に行ってしまった)、グランドピアノがあるうちの**さん、珍しい名字の**さん、足が不自由だった**(こちらは名字が出てこない)くん、とにかく絵がうまかった*****くん、既に数学者だった**くん、我が親友だった****くん、そして****くん・・・案外、憶えているものだと思いつつ、それぞれにいまはどうしているのかなどと思うと、ちょっとばかり甘酸っぱい気分になった。(7/10/2012)

 「いじめで自殺」。ここ一、二週間、新聞の目立つところに出てきているのが、大津で中学2年生が自殺した件。自殺の時期は違うものの驚くほど似たような経過をたどりつつあるのが、海上自衛隊護衛艦「たちかぜ」の乗員が自殺した件。もっともこちらの方は新聞での扱いは小さい。新聞によってはほとんど報じない新聞もある。たとえば読売はなぜかこの事件についてはあまり報じない。まあ、読売はニュースの選別が恣意的なようで、金曜日ごとの官邸周辺の反原発デモについても報じない。(報じないといわれるのが嫌なのか、東京ローカル版に三行記事扱いで載せているらしい。「アリバイ作り」のようなもので、いかにもいじましい)

 大津の中学校と護衛艦、共通点は自殺者の親族が「いじめが自殺の原因」として裁判を起こしたこと、裁判の過程で自殺後に中学校、海上自衛隊いずれもが生徒、隊員にアンケート調査を実施したこと、そしてそのアンケート結果を隠し、事件そのものを「藪の中」化しようとしたことなどだ。

 大津の場合は、中学校、そしてその報告を受けた市教育委員会はアンケート内容を一部(つまり学校・教師・教委にとって都合の悪いことは伏せて)公表したが、海上自衛隊はアンケート文書そのものを破棄し、保存されていないと主張した。海自としては自殺が2004年10月、年月も経っているから不自然とも決めつけがたいし、シラを切り通せると判断したようだ。

 不祥事が起きるとアンケートをとるというのは「きちんと調査をした」という体裁を整えたいからだ。しかしアンケート結果そのものに興味も関心もあるわけではない。ちょうど読売が反原発デモの記事をローカル版の片隅に載せるのに似ている。「一応やることはやっています」、あるいは「一応報道はしています」という「アリバイ作り」だけが目的なのだ。

 海自もこれで逃げ切れたと思ったようだ。実際、日本社会の通例ならば、それで「闇に葬る」ことができたと思う。この国に数十年生きてきた経験でいえば、そういうことが「フツー」なのがこの素晴らしいニッポン国の素顔というか、素性の悪さだ。

 ところが、海自にとっては不都合なことに、この裁判の一審途中まで海自側担当を務めていた三等海佐(昔でいえば「少佐」)が、「アンケートは破棄したことになっている現存している」、「自殺直後にいじめをした二等海曹と同僚に事情聴取をした記録もある」などということを明らかにした陳述書を裁判所に提出してしまった。そして恥ずべきことに、この三等海佐に対し上官が「組織を批判するなら、組織を出てからにしろ」と脅迫的な「指導」を行ったことまでが露見してしまった。

 このため海自は先月18日の東京高裁の弁論において、三等海佐が指摘した8点の文書のうち、6点の存在を認めざるを得なくなり、21日の夜になって杉本正彦幕僚長(海自の最高位)が緊急記者会見を開き、「自主的(嗤わせる)に探したら、見つかったんですよ」と発表するところに追い込まれた。当然、この手の「不祥事」(海自のほとんどの人間はそうは思っていない、単に「運が悪かった」という被害者意識。だからこの国には組織的改善や組織的成熟は百年経っても進まないのだ)の常として、海上幕僚本部に調査委員会を設け調査するという発表も行った。

 大津市の場合も質的には何ら変わるところはない。体裁をつくろうためだけにやったフリ(読売で言えば、報道したフリ)をしたのだから、そこになにが書かれていようと学校も、教師も、教委も反省などしない。「いろいろ調査をしたが、実態は把握できなかった。今後は、このようなことがないように生徒の指導に真摯に取り組んでいきたい」と言って、一件落着にしただけのこと。

 ただ唯一海自と違ったのはアンケート対象が人事権で脅すことのできない生徒だったこと。

 だからマスコミが生徒に取材したとたんに、どんな指摘があったのかはたちどころに判明してしまった。なぜ、海上自衛隊ではそれがなかったか。簡単だ。上官からの命令とあれば、たいていのことは「守秘」対象にできる。

 なにより、下士官による下級隊員へのいじめは、大日本帝国陸海軍以来の輝かしい伝統でもある。「上官の命令は天皇陛下の命令と心得よ、これより貴様に皇軍兵士の精神を叩き込む、キをツケー・・・」てなものだ。最近はやりはじめたチンケないじめとは比べてはいけない。栄えある伝統なのだから。(7/9/2012)

 国会が設置した「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書を「国会事故調」のホームページからダウンロードした。

 全部で4部構成。すべてPDFファイル。「ダイジェスト版」(839.5キロバイト)、「本編」(12.3メガバイト)、「参考資料(住民と従業員へのアンケートの抜粋)」(5.9メガバイト)、「会議録」(38.9メガバイト)。この他に「本編」の「本文」を除く「要約版」があるが、この「要約版」の存在意味が分からない。本文である「事故は防げなかったのか?」、「事故の進展と未解明問題の検証」、「事故対応の問題点」、「被害の状況と被害拡大の要因」、「事故当事者の組織的問題」、「法整備の必要性」をカットして「要旨」に代表させる形になっている。「本文」を読ませたくないための措置かなと疑わせる構成。

 とりあえず、ダイジェスト版を読んでみた。マスコミはほとんどこれを使ったものと思われ、その意味では、この報告書としての目新しさはない。たぶんそれは本編を読んでも変わらないだろう。

 本編は六百数十ページもある。本文各章は読むのに苦労するだろう。ボリュームの問題でも、技術的知識の問題でもない、数ページを読む間に腹が立って腹が立って収まりがつかないことをいくつもいくつも読まされることになるだろうからだ。

 末尾、付録5に委員長と委員からのメッセージが載っている。それを読むと、それぞれの委員の微妙なスタンスの違いが感ぜられるが、それでもさすがにこれだけの事故が起きれば、科学技術万能論を述べる者はいない。しかし、それでも一部に「安全対策を十分に施せば原子力発電はありだ」というニュアンスを残している委員がいることが信じられない。委員長、黒川清、大島賢三、横山禎徳の三名だ。

 田中耕一にはがっかりした。今回の委員の中では田中三彦と並んで、比較的、原子力なるエネルギーの特質を見切る知識があるはずだが、航空機事故と原発事故を同列に扱えるかのような書きぶりはイカサマだろう。まるで科学者の良心というものが感ぜられない。

 原発事故、原子力災害の本質は、崎山比早子の書くとおり、「一旦放射性物質が原子炉から放出されてしまえば、人間のできることは大量の被ばくを避けて逃げることくらい」しかないことなのだ。そして「避難によって急性障害を免れたとしても、風に運ばれ拡散してゆく放射性物質、長く続く汚染を人間はほとんどコントロールできない」。ここに原子力災害の他の災害とは隔絶した特質があるのだ。

 先日、我がバカ宰相は大飯原発の再稼働宣言に際し、「わたしの責任で」と言ったが、あれほどバカで無責任な発言はない。いったんフクシマが起きれば、どのような専門家、学者にも処理も処置もできない。野田佳彦のような政治屋のクズに何ができるはずもない。

 閑話休題。先日、東電に対する株主代表訴訟の原告側が、事故直後、本店と福島第一原発現場との間で行われたテレビ会議映像の保全申し立てを行った。東電はプライバシーをたてに(いったいどんなプライバシーがあるというのだ)これを拒否している由。国会事故調には国政調査権という強力な権限があったはず。黒川委員長は先月の中間発表で、「論点整理」として「政府介入がどうだこうだ」、「海水注入を止めたのは官邸指示」、「全員撤退について東電-政府間でコミュニケーション不足があった」などなど。ならば、それを証明するには国政調査権を発動してテレビ会議映像を提出させれば、ことはもっとはっきりするはず、かなりの人はそう思ったろう。絶好のファクトがありながら、それには手をつけずにおいて、なんの意図があって、うろんなことをおしゃべりしているのだ、じつに不思議千万、と。

 再度、閑話休題。しかし黒川委員長が「論点整理」として発表した内容と、この報告書の内容を比べるとすごく奇妙な感じがする。いったいあの「論点整理」は、この報告書が述べる「論点」を「整理」したものだったかのかしらね、ほんとに不思議千万。もしかすると、あれは黒川個人の考えによる、事前のラベリング(「報告書」に注目させないための)だったのではないか。(7/8/2012)

 雨はあがるという天気予報を信じてウォーキングに出たが終始小雨。空気も少しヒンヤリ感ぜられ、気持ちがいい。なにより土曜日なのに、この空模様。人がほとんどいないというのがいい。見通しがいい。いつもだいたい遠くを見ながら歩く。姿勢をよく歩くためと、なるべく逆方向を歩く人を避けるため。遠くにいるうちにコースを譲る。

 お互い様なのだから、前を歩く人と同じ側を歩いてくれればいいのだが、気働きがないのか、手前勝手なのか、前の人が何人も同じ側をほぼ列をなして歩いているのに一人だけ反対側を歩く奴がいる。しつけの悪い犬を連れているとか、ジョギングで追い抜いて行くなどの事情があるわけではない。前を歩く人と同じペースで一人だけ「我が道を行く」。比較的、年寄りが多い。考え事をしている風でもない。その証拠に、すれ違いざま、聞こえるように「デブ」とつぶやいて(先様に視線を合わせることはしない)やったら、目の端の方でこちらに振り向いたようだった。悪口を言われたと思うだけの判断力はあるらしい。ただ何が理由かについて気がつく知力がないのだろう。

 3、4人のグループが処置なし。とにかく横に並んでタラタラと歩く。前から自転車が来ればよけるが、後ろから人が来ることもあるんだという想像力がない。だいたい女性、しかも年寄り。オバタリアンよりも醜悪なので、ひそかに「ババタリアン」と呼んでいる。たまに男の集団もいる、「ジジタリアン」。

 マナー云々ではない。マナー以前の問題だ。

【七三の道(七三のしぐさ)】
 道路の七分目は公道とし、自分の道は三分と考えて歩く。こうして道を空けておくことで、けが人を戸板に載せて運ぶ人(今の救急車)も、急ぎの人も気兼ねしないで往来できる。次項で取り上げる「とうせんぼしぐさ」にならぬようにと教えた。ひとりよがりにならず、周囲への気配りを忘れたくない。

【とうせんぼしぐさ】
 人の通行を邪魔すること。皆が行き交う天下の往来を横に並んで歩いて道をふさぐなどは言語道断。つい話に夢中になっていて後から来る人に気が付かないのも野暮な証拠。「背中にも目をつけろ」と叱られた。現代でいえば大きなカバンやリュックサックを肩にかけていて、人にぶつけ、結果的に他人に迷惑をかけていることに通じる。気を付けたい。

 越川禮子の「江戸の繁盛しぐさ」の一節。もっとも、こんな部分を「知識」として読むから、肝心のものが身につかない。要は「お互い様」と「気働き」なのだが、まあ、無理なんだろうね、これが。

 ついでに、この本の「稚児もどり」から。

 稚児とは子供のこと。今で言えば駅のホームやバスの停留所でゴルフのつもりで傘をふりまわす人などがこれで、稚児戻りのしぐさをする人とは大人付き合いが出来ないとされた。
 官軍が江戸に入城し、勝ちほこって稚児のようにはしゃぎまわる姿を見た江戸人たちは「これで三代目には国をエゲレスやアメリカに売ってしまうだろうよ」とか「五百年とは言わねえが、三百年はあとずさりしてしまったな」と嘆いたという。

 ちょっと経路は違ったが、明治・大正・昭和と続いた三代目は無謀な戦争を承認し、結果、唐様で書くようになり、心を「アメリカに売」ってしまった(ついでに沖縄まで)。そして、国を挙げて「グローバル・スタンダード」だとか、「自己責任」だとか、手前勝手を奨励する世の中になった。

 そうそう、ウォーキングコースの道ばたにも、川沿いの鉄柵を使って手足を伸び縮みさせたり、反動をつけて蹴上げたりの準備体操をするご仁や、信じられないことにゴルフクラブの素振りをするバカまで登場している。そんなもの自分のうちの庭でやればいいものを、よほど貧相な体躯とぶきっちょなスイングを他人様に見せたいようだ。(7/7/2012)

 月曜、オスプレイ配備に関する我が新任防衛相の「子どもの使い」ぶりを嗤う神浦元彰の解説を書き写したが、あのコメントにはまだ続きがあった。

 おわかりかな、佐藤議員と森本防衛相。軍事の専門家を自任するなら、もっとオスプレイの特性ぐらい勉強して国会で論じて欲しい。沖縄の人たちはこの程度の軍事知識を持ってオスプレイの普天間配備に反対している。
 森本氏は沖縄の海兵隊がこの地域の安定(抑止力)に効果があるとも話したようだが、私が説教をする前に、世界レベルの軍事常識を知るため、図書館に行き、ニュースウィーク誌 日本版のバックナンバー(2012年4月4日号)を借りて、「沖縄に海兵隊は本当に必要か」という特集を読むことをお勧めする。
 日本では中学生がこの記事読んで軍事を学んでいる。この特集に感動した中学生が朝日新聞に投書(読者欄)していた。森本氏でも十分に理解できる内容である。
 それより興味があるのは、なぜ防衛省がこのことを森本氏に耳打ちしなかったという点である。やはり歓迎されていないのか。まあ1~2ヶ月はお客様扱いをされることは変わりない。

 ちょっと気になったのでAmazonでバックナンバーを取り寄せてみた。

 記事は扉ページを入れて10ページ、これに補足的記事2ページ、計12ページからなる。そのうち、10ページはUSトゥデーやCBSニュースで軍事問題担当記者だったカーク・スピッツァーという軍事ジャーナリストが書いている。(「エア・シー・バトル」に関する2ページの補足記事は下院軍事委員会委員のランディー・フォーブスによるもの)

 内容は、少なくとも前半部の「沖縄の海兵隊は本当に必要か」については、既に田中宇の「官僚が隠す沖縄海兵隊グアム全移転」や伊波洋一前宜野湾市長がまとめた資料(市長交代後もこの資料は宜野湾市のホームページから削除されていないようだ)などで指摘されていたことだから格別驚くようなものではない。しかし、霞が関にマインド・コントロールされた大手マスコミの垂れ流す報道にしかふれていないため、一般的「常識」から隔離されている大部分の日本人には衝撃的な内容かもしれない。

 横道にそれるが、たとえば、沖縄県民はこのような報道に接している。神浦の「沖縄の人たちはこの程度の軍事知識を持ってオスプレイの普天間配備に反対している」という部分はいささか唐突に思えるかもしれないが、いかの記事を読めば、どれくらい本土の人々が重要なことは報じようとしない、いい加減極まるバカ新聞を読まされているか分かるだろう。

 米軍普天間飛行場に8月にも配備される垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが、エンジン停止時に安全に着陸するためのオートローテーション機能に不全があることに関し、米連邦航空局(FAA)が民間機に課す安全基準や日本の航空法の規定で、全てのヘリコプターに同機能で安全に着陸できる能力の保持を義務付けていることが16日までに分かった。オスプレイは民間機であれば両国内で飛行できない機体であることが明らかになった。
 FAAの規定は軍用機には適用されず、日本の航空法の規定は日米地位協定で米軍機への適用が除外されている。日米地位協定に詳しい法政大学の本間浩名誉教授は「政府が住民生活を守ることに重点を置くならば、オスプレイの飛行について米国との交渉でできるだけ早く、確実に制約できるよう努力する必要がある」と指摘し、地位協定を盾に危険性を“黙認”する政府の体質を批判した。
 米下院公聴会でオスプレイの欠陥を証言した専門家は「国防総省は軍用機にもFAAと同等の基準を要求してきたが、オスプレイは初めてそこから逸脱した」と指摘していたが、日本の法律にも抵触していることになる。
 FAAは、オートローテーションについて「全てのヘリコプターは認証を受けるために能力を実証する必要がある」と明記。航空法は付属書第1で「回転翼航空機は、全発動機が不作動である状態で、自動回転飛行で安全に進入し着陸できるものでなければならない」と定めている。
 国土交通省は同規定について「米軍機には適用されない。(規制が必要かについては)外務省や防衛省の問題」との認識を示している。(外間愛也)
6月17日付け琉球新報

 さて、我が期待の新任防衛相ははたしてニューズウィークでスピッツァーが解説しているような事実を承知していないのだろうか。いないとすれば、その道の専門家であると期待されて就任した森本敏だが、アエラが皮肉めいた記事を書いていたように「大したことはない」イカモノということになろう。承知していて、それでもなお「海兵隊による抑止力」などと主張しているのだとすれば、気骨を持ちあわせない軍人崩れのヤクザということになる。所詮そのていどの人物が安全保障を口にしているのだとすれば、もうそれだけでこの国の安全は保証されないと思った方がいいのだろう。(7/6/2012)

 2時に**(家内)と待ち合わせ、森アーツセンターギャラリーで「大英博物館:古代エジプト展」のアスパラクラブ向け先行内覧会を観た。サブタイトルは「『死者の書』で読みとく来世への旅」。

 古代エジプトにかかわる収蔵品は大英博物館とルーブル美術館ではほぼイーブンといわれているようだが、その研究レベルは、偏見かもしれないが、フランスがイギリスを凌駕していた、そう思っている。たとえばフランスには「エジプト誌」があるがイギリスにはそれに相当するものはない。また横取りしたロゼッタ・ストーンは大英博物館に誇らしく展示されているが、それを利用してヒエログリフを解読したのはフランス人のシャンポリオンだった。イギリスのためにちょっとだけ花を持たせるとすれば、トマス・ヤングがシャンポリオンに解読のヒントを与えたということがある。しかしヤングが死ぬまでヒエログリフが表意文字だと信じ込んでいたという事実は動かしがたく、少なくとも「解読」の栄誉にあずかる権利はないだろう。

 大英博物館とルーブル美術館の収蔵品が、エジプトからの略奪品であったり、いかがわしい盗品が多いことに変わりはない。古代エジプト学の黎明期におけるイギリスとフランスの違いはどこから来たか。それは収集に際し、学術調査団を介在させたフランス(ナポレオンのエジプト遠征)とその成果の横取りに余念がなかったイギリス、両国の収集の「質」に決定的な差があったのではないか。フランスにはオーギュスト・マリエットがいるがイギリスには彼に相当する人物はいない。逆に、イギリスは出自の怪しいイタリア人を雇って相当あくどい手段を用いたと言われているが、これを否定する者はいない。イギリスが背筋をただして語ることができる成果は、ようやく20世紀、ハワード・カーターによるツタンカーメン王墓の発掘まで待つことになる。

 最近、とみにアングロサクソン嫌いになったせいもあって・・・どうも印象がよくない。

 今回の目玉は「グリーンフィールド・パピルス」。現存する「死者の書」では世界最長37メートル。そもそも「死者の書」とは何か。亡くなった者が「成仏」(死後の楽園イアルに行けること)できるようにと副葬する巻物。それには冥界で受ける試練をクリアするハウツーが書かれている。いわばガイドブック兼カンニングペーパー。

 ではその中味。試練の部分も最後の審判もありがちな想像の範囲に留まる。少し笑えたのはオシリス神の前で行われる審判だった。ここで死者は生前の自らの行いの善し悪しを計られる。それは数十の項目について「わたしは**をしなかった」と告白することでなされる。ただ「わたしは人を傷つけました」とは言わずに、かならず「わたしは人を傷つけなかった」と否定形で告白せねばならないという。どこかポリグラフ・テストのようだなと思った。

 めでたくこれに合格すると「死後の楽園イアル」に行ける。そのイアルの生活、清流が流れ、耕作により収穫があり、気が向いたらこの世に残した親族を訪れることもできる、そういう楽園だという。なんだよ、楽園といっても農作業はしなくてはならない(労働を代わってやってくれる「シャブティ」というロボットのようなものがあるというが)というのか。どうもこちら側での生活とさして変わらないではないか・・・そう思った時、彼らの暮らしたナイル河のほとりは彼らにとって最初から楽園だったのかもしれないと思い当たり、なんだか羨ましい気がした。(7/5/2012)

 一週間ほど前から、CERN(パソコン通信の時代からインターネットに憧れと興味を持ち続けてきた人の多くはこれが「欧州原子核研究機構」のことだと聞いても信じがたい気分なのではないか)が4日にヒッグス粒子をかなりの確度で確認したという研究結果を発表するというニュースが流れていた。

 朝7時のNHKニュースは「日本時間のきょう午後発表」ということと、「神の粒子」についての解説を行っていた。素粒子なり宇宙の生成に関する素人向けに書かれた本を読んでいれば、分かったつもりになれるていどの説明だった。

 このニュースの真価は、こういう仮説によると、いままでに知られていることがらがうまく説明できるという理論屋さんの仕事を実験屋さんが証明してあげることができたというところにある。理論物理学の先端はヒッグス粒子の作る場の話(ヒッグスの海と呼ばれたりしている。テレビでは「水飴」にたとえていた)などとっくの昔の話になるほど先に行っているわけだが、実験で確認されない限りどこまでもそれは「お話し」の域を出たとはいいがたい。そういう点できょうのニュース映像に登場した科学者の子どものような喜びようは理解できる。

 ブライアン・グリーンの「宇宙を織りなすもの」にはそのあたりのことがうまく書かれている。

 もしもヒッグスの海が存在するなら、今後数年のうちに、実験によって検証できるだろう。検証に関連してとくに重要なのは、電磁場が光子でできているように、ヒッグス場もやはり粒子でできているということだ。物理学者たちはその粒子を(平凡な命名だが)《ヒッグス粒子》と呼んでいる。理論計算によれば、もしも宇宙全体がヒッグスの海で満たされているなら、スイスのジュネーヴにある欧州原子核共同研究所(CERN)に建設中で、二〇〇七年に稼働しはじめる予定の大型加速器、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)で起こる高エネルギー衝突で生じる破片のなかに、ヒッグス粒子が見つかるはずだ[二〇〇八年夏に稼働開始]。大ざっぱに言うと、陽子同士が非常に高いエネルギーで正面衝突すれば、ヒッグスの海からヒッグス粒子が叩き出されるはずなのだ。それはちょうど、大西洋の海中で激しい衝突が起これば、H20分子が跳ね飛ばされて出てくるようなものである。
 いずれはこうした実験により、現代版のエーテルは実在するのか、あるいはかつてのエーテルと同じ道をたどって葬られるのかが明らかになるはずだ。これははっきりと解決しなければならない重要な問題である。なぜならすでに見たように、ヒッグス場が存在して凝結するというプロセスは、今日私たちが得ている基礎物理学のなかで、重大な役割を演じているからだ。
 もしもヒッグスの海が見つからなければ、ここ三〇年にわたって研究現場で使われてきた理論的枠組みは、大幅に見直さざるをえなくなるだろう。一方、もしもヒッグスの海が見つかれば、それは理論物理学の勝利である。その勝利によって改めて示されるのは、未知の世界に踏み出すために数学的な推理をする際、対称性は大きな力になってくれるということだ。また、ヒッグスの海の存在が証明されれば、さらに二つのことが達成される。ひとつは、今日では別のものに見える宇宙のさまざまな特徴が、かつては対称的なひとつのものだったという証拠が得られること。そしてもうひとつは、からっぼの空間に対して私たちが遠い昔から抱いていた直観的概念(からっぼの空間とは、ある空間領域から取り除けるものはすべて取り除くことによって、エネルギーと温度を可能なかぎり低くしたものだという考え)は、あまりに素朴すぎたことが明らかになることだ。可能なかぎりからっぼな空間を考えるとき、必ずしも絶対的な「無」とは結びつける必要はないのである。

 今日の理論研究や、実験による研究から、ヒッグス粒子の質量は、陽子質量の一〇〇倍から一〇〇〇倍ほどだろうと言われている。予想されるこの質量範囲のなかで、もっとも軽いあたりが正解なら、近い将来、フェルミ研究所でヒッグス粒子が見つかる可能性は十分にある。そして、もしもフェルミ研究所では見つからなくとも、推定される質量範囲が正しければ、二〇一〇年までには、LHCでたくさんのヒッグス粒子が作られているだろう。ヒッグス粒子が検出されれば、それは画期的な出来事である。なぜなら、実験による証拠は何もないまま、素粒子論と宇宙論の分野で、何十年も前から理論上の存在として利用されてきたヒッグス場の実在が裏づけられるからだ。

 グリーンのこの本は2004年(邦訳は2009年3月)に出版された。今回の発表は彼の予想よりは2年ほど遅れた。簡単な戦いではなかったようだ。いや、きょうの発表でも新粒子である確率は高いものの、それが100%予言されたとおりのヒッグス粒子であるかどうかはまだフィックスしたわけではない。

 一方、CERNでの発表にスポットライトがあたりすぎ、ニュースとしてはかき消された感があるが、フェルミ研究所もおととい(2日)、LHCよりもエネルギーが低い大型加速器「テパトロン」で得られた全データの解析結果を発表していた由。ただし「ヒッグス粒子の存在につながる精度の高い結果を出したが発見には至らなかった」というコメントつきで。

 CERNで得られたデータからヒッグス粒子の質量(素人にはいささかトートロジー風に聞こえるが)が計算され、やはりフェルミ研究所の加速器では無理だったと分かるか、あるいは十分に検知できるはずという話になりLHC以外でも追試確認できればさらにエキサイティングなできごとになるだろう。

 ところで、「無」ではない「空」というのは、なかなか興味深い。どこか仏教でいう「空」に通ずるような気がするから。(7/4/2012)

 吉田秀和「永遠の故郷」CD版が届いた。「図書」7月号「あとがき」の記事が気になって、キャスリーン・フェリアーのものが入っていないかを確かめた。

 「永遠の故郷」という本は、「夜」から「夕映」に至るまで、最初のページからおしまいまで通しで読んだことがない。目についたところを読む。全部を読んだかどうか、そういう意識がない。エピソードの内容から記憶に残ったものもあるが、すべてにそういうなにかがあるわけてもない。だからマーラーも取り上げられていたなとは記憶していても、どんな作品だったかとなると怪しい。ましてこれまで知らなかったキャスリーン・フェリアーが取り上げられていたかどうかとなると分からない。

 なかった。吉田の潜在意識に忌避されていたのかもしれない。探しながら気になる曲、気になる章などが目につくたびに浮気。昔、趣味としていた百科事典の拾い読みのようにCDをとっかえひっかえ。けっこう忙しい。そのうちに作業は逆転した。曲に聴き入り、その章を繰って読み入るうちに、件の曲は終わってしまう。そして耳が「おや、いい曲」と本を読んでいる意識に割り込みをかけてくる。そんな感じになった。読んでいる曲はもうとっくに彼方、こんどは割り込んだ曲の章を繰ってみる。

 読むだけの時はもっと違う感じを想像していたのに、実際に曲を聴くとずいぶん違う世界が拡がるものだ。いっぺんに集中して聴いてしまってはかえって味わいが薄くなる。折々、ちょっとずつ聴くのがいいのだろうなと思いながらもやめられずにいるうちに、あっという間に夕方になってしまった。(7/3/2012)

 きのう、森本敏には航空自衛隊出身というキャリアから豊富な専門知識を持つプロフェッショナルという評価と期待があると書いたが、ちょっと前の神浦元彰「日本軍事情報センター」のニュースコメントにこんなくだりがあった。

記事の概要
 米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの相次ぐ事故を受け、沖縄県の仲井真知事は19日、玄葉外相、森本防衛相と相次いで会談し、米軍普天間飛行場への配備計画の見直しを求めた。
 それぞれの会談には佐喜真宜野湾市長も同席した。仲井真氏らは民主党の興石幹事長にも同様の要請を行った。
 一方、防衛省は、米フロリ州で13日に起きた米空軍の別型機の墜落事故に関する技術評価チームを設置した。
 森本氏は19日の参院外交防衛委員会で「今後、米側の事故調査報告を技術的に評価し、実際に日本で運用される際、どのように安全が確保されるか独自の技術評価を加えたい」と説明。
 質問に立った佐藤正久氏(自民党)が、政府がオスプレイを購入し要人輸送に活用することを提案したところ、森本氏は「よく考えてみたい。ぜひ搭乗して自ら体験してみたい」と自ら試乗する意向を示した。
 日米両政府は7月中旬に米軍岩国基地にオスプレイを搬入し、安全性を確認後、8月初旬の普天間への配備を計画している。

コメント
 この自民党の佐藤参院議員は防大出身でイラク派遣には先遣隊長として行った”ヒゲの隊長”である。国会では田中前防衛大臣に軍事クイズを出していた議員である。むろん軍事の専門家を自任していると思う。そして、この質問はアメリカが大統領専用の海兵隊ヘリ(マリン・ワン)をMV22に更新する計画が検討されていることから提案したと思う。(あくまでも検討である)
 しかし、MV22は日本政府が購入しても、日本の空は飛行できないことをご存じないようだ。日本での飛行に必要な安全性を満たしていないからだ。たとえ自衛隊が運用しても、在日米軍のように日米地位協定で日本の法律を無視することは出来ない。
 その最大の理由は、オスプレイをヘリとして運用する場合、安全な飛行に必要なオートローテーションの機能がないからである。
 もう何度も説明したので、オートローテーションの説明は省くが、簡単にいえばオスプレイが垂直に離発着する際、故障でエンジンか停止(不調)しても、オートローテーション機能があればヘリは安全に着陸できる。すべてのヘリにこの機能を付けることが決められている。しかし、オスプレイにはオートローテーション機能がないから、アメリカでも民間機として使う場合は航空局から飛行許可が出ない。あくまでオスプレイは軍用機に限って使用が許可された例外中の例外の機体なのである。そんなものを日本政府が購入しても、日本の空もアメリカの空も飛ぶことはできない。
 おわかりかな、佐藤議員と森本防衛相。軍事の専門家を自任するなら、もっとオスプレイの特性ぐらい勉強して国会で論じて欲しい。沖縄の人たちはこの程度の軍事知識を持ってオスプレイの普天間配備に反対している。

 コメントの対象になったのは20日付けのサンケイ新聞の朝刊記事らしい。サンケイは「ひげ隊長さんなかなか良いことをいう」とばかり、記事の脈絡も考えずに書いたのだろう。たが客観的にみれば、半可通の軍事マニアほど哀れな者はないという無惨なものになってしまった。ひげの隊長さんや森本防衛相、世間的にはプロと見なされているお方たちが、サンケイ新聞並みのさして物事を深く考えられる素質がないパープリンかもしれないということを露わにした記事になってしまったようだ。(7/2/2012)

 ちょっと前の「片えくぼ」欄にこんなのがあった。

よく落ちる  「洗剤ではありません――オスプレイ」

 オスプレイはふつうの飛行機とヘリコプターの合いの子。ヘリコプターにおけるローター部分の角度を変えられるものがふたつある。双発機のプロペラが上向きになったような格好。開発は古く80年代にはじまっているが完成は遅れ(田中宇が「在日米軍問題を再燃させるオスプレイ」に開発経緯を軍産複合体のあくどい手口ともども書いていた)、試作機ができたのは90年代に入ってから。

 試作段階から「よく落ちた」ようで、シビア・アクシデントを二度も起こし、91年6月には転覆(まるで船だ)墜落で2人が怪我、92年7月にはエンジン出火により制御不能に陥り墜落、この時は乗員7名全員が死亡した。

 ようやく制式化が認められたのは97年だったが、正式配備後も事故は「順調」に発生し続け、ついたあだ名が「Widow Maker」(未亡人製造機)。そのみごとな「成績」は以下の通り。

  1. 2000年4月 着陸時に制御不能になり墜落。乗員19名全員死亡。
  2. 同年12月 通常飛行中に墜落。乗員4名全員死亡。通常飛行中での墜落ということで機体の欠陥のみに帰するのがはばかられたからか、事故原因に操縦ミスが付け加えられた。
  3. 09年5月 低空飛行時に燃料切れ(本当?)で不時着。
  4. 10年4月 夜間の着陸に失敗し、横転。4名が死亡、残り乗員(特殊作戦中という名目で実数は伏せたられた)も負傷。パイロットミスと「推定」することにしたらしい。
  5. ことし4月 揚陸艦からの離艦時に墜落。2名死亡、2名重傷。生存者がいたのは海上だったからと思われる。
  6. ことし6月 墜落(上下逆さま、つまり裏返し)し、乗員5人が負傷。現在詳細調査中らしい。

 オスプレイは離着陸時に不安定なようだ。一般的に過渡状態は定常状態よりは不安定なもの。航空機の場合は離着陸時がそれにあたる。いわゆる「魔の11分」だ。飛行に要する揚力を離着陸の状況に合わせて調節制御しなくてはならないからだろう。

 自動制御の極意は制御なしでも系が安定していること。つまり系の素性がいいことがいちばん。飛行機でそのネックをカバーするのが主翼だ。エンジントラブルに際し、ジェット機よりもプロペラ機の方が本質的に安全といわれるのは、大きな推力に頼るジェット機に比べて、推力が小さいプロペラ機は主翼を大きく広くして揚力を稼ぐ設計になっているからだ。ヘリコプターでそれにあたるのがオートローテーション機能。落下時の空気抵抗で自律的に回転翼を回し(竹とんぼのように)揚力を得て、軟着陸させるという安全機能。

 オスプレイはヘリコプターの垂直離着陸機能と飛行機の高速水平飛行機能、双方の利点を狙ったわけだが、ヘリコプターとしてはオートローテーション機能をもたず、飛行機としては主翼が小さい、系の裸の安定性に欠ける「素性」の悪い欠陥航空機になってしまったらしい。

 オスプレイの欠陥の一因と思われる要素を小谷哲男が「Web Ronza」に書いている。

 オスプレイ開発にとって最大の課題は、エンジンであった。オスプレイは海兵隊が中心となって設計したため、強襲揚陸艦に搭載されることを前提としている。できるだけ多くのオスプレイを搭載するため、その機体を極限まで小さくせねばならず、回転翼も折りたたみ式となった。回転翼は当初の設計よりも1.5メートル短くなったため、搭載するエンジンには6200馬力という非常に高い動力が求められることになった。海兵隊が保有する最大のCH-53ヘリの動力が4400馬力であることからみても、エンジンにかなりの負担がかかることがわかる。また、オスプレイはその複雑な機体のデザインのため、油圧系統も入り組んだものとなっている。

 同じ「Web Ronza」で谷田邦一はもっと辛辣な「タイム」の記事を紹介している。

 オスプレイは、コンピューターですべての飛行を管理された特殊な航空機でもある。乱暴な言い方をすれば、ロールス・ロイス社製の2基の強力なエンジンで、重い機体を無理やり飛ばしているような印象さえある。オスプレイが抱える危険性については、米誌「タイム」が2007年、「V22 Osprey : A Flying Shame(空飛ぶ恥)」(http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1666282,00.html)と題する記事で、徹底的に洗い出している。
 オスプレイは、ヘリと固定翼機の「利点」を兼ね備えた航空機ではなく、反対に両者の「悪い特徴」を兼ね備えているとまで、この記事はこき下ろしている。
 同誌によると、米国防総省の研究機関でオスプレイの主席分析官を務めていたレックス・リボロ氏は、2003年に内部報告書で同機にオートローテーション機能がないことを問題点として指摘している。竹とんぼの原理は働かないということだ。また、グライダーのように着陸しようとしても、独特の機体設計のために大きな回転翼が地面に触れて粉々に破損してしまうという。

 優良洗剤に引けをとらないオスプレイの「よく落ちる」性能の「秘密」はこれだ。

 ここに登場するリボロは下院での証言時にはオートローテーション機能について「開発仕様としてはある(ことになっている)。ただし、オートローテーションが機能するのはエンジン出力が健全で徐々に出力を下げてゆける場合であってエンジントラブルで出力が一気にダウンした場合には機能しない」と微妙な言い方に変更した。別の議会証言では「従来、国防総省も軍用機にFAA(連邦航空局)と同等の基準を要求してきたが、初めてオスプレイはその原則から逸脱した」とも言っている。多額の開発予算がつぎ込まれた関係上、「機能しないが、ないわけではない」と言わざるを得なかったのだろう。

 素性の悪いオスプレイの配備を通告するために新任大臣・森本敏がきのうから沖縄を訪れ、きのうは宜野湾市長・佐喜真淳、きょうは沖縄県知事・仲井間弘多に理解を求めた由。その様子が夜のテレビニュースで流されていた。森本の情けない表情が印象的だった。

 ふつう、理解を求める場合は自分自身が十分に理解した上で行うものだが、森本の手もとには度重なる墜落原因に関するデータは十分にない。たんにアメリカから配備を通告されたから、それを伝えに来ましたというだけ。世の中ではこういうのを「子どもの使い」という。

 森本の防衛大臣就任に際してはいろいろの批判があったが、航空自衛隊出身というキャリアから豊富な専門知識を持つプロフェッショナルという評価と期待がそれらを圧倒した。前任のいかにも頼りない防衛相に比べれば、たいていの人物が「まあ、あいつよりはまし」と評価されるというラッキーもあった。

 しかし、アメリカさんに通告されれば、それを「理解してください」とひたすらお願いするしかできない「子どもの使い」をするのがこの国の防衛大臣の努めなんですというのなら、かえってあの頼りない田中直紀などがその任にある方が、よほどあきらめがつくということはないかな、呵々。

§

 大飯原発3号機が再稼働した。「免震重要棟、ベントフィルターなどの安全設備の建設計画ができましたので、安全です」というわけの分からないリクツは、どこか、オスプレイの配備と国内での飛行訓練の実施を認めるリクツに通じている。どちらも本当に優先度の高いものを実現するためのギリギリの手続きと努力を最初から放り投げて、「だって、こうしないといけないって、(誰かから)言われたんだもん」というまるで子どものようなノダメ政権の特徴的な行動様式そのものだ。(7/1/2012)

直前の滴水録へ


 玄関へ戻る