夕刊のトップ記事は、南北朝鮮を結ぶ鉄道「京義線」の分断部分を再接続する工事の起工式を伝えている。ニュースステーションの映像にはソウル駅が映った。

 ふと、金**さんのことを思いだした。彼はソウル大卒、日本でいえば東大卒の秀才。完璧な日本語を話す。大邱へ向う特急に乗るためソウル駅に行ったときのこと。発車まで少し時間があったので、駅構内の食堂に入った。駅舎は古いけれども堂々とした建物で、少しお世辞を交えて「天井が高くて素晴らしいですね」というと、彼は「お恥ずかしいことに、これは日本に統治されていたときの建物なのです」というように応じた。もう20年近く前のことなので正確には憶えていないのだが、「お恥ずかしいことに」という枕詞だけはいまも忘れない。

 「京義線」は日本統治下に完成された線路のはずだ。彼の国の屈折した感覚がすんなりと癒される日の近からんことを。(9/18/2000)

 オリンピックべったりというわけではないが、注目競技にはやはり目がゆく。

 柔道は軽いクラスから始まり、一番手が田村亮子の女子48キロ級。世界選手権では連破を続けながら、バルセロナ・アトランタとオリンピックでは金メダルを逃してきた彼女。いまも記憶に残るのは、アトランタで北朝鮮の無名選手に一本負けしたときの茫然自失した彼女の表情だ。それを見たとき、大学入試の発表の日、自分の受験番号がすり抜けるように飛んでいた、あの感覚を思い出した。また、一年重苦しい時間を耐えなければならないのかと思った、あの瞬間を。いや、一年ではなく、四年なのだ。彼女をおそったものはもっと大きな精神的虚脱感なのだろうなと思ったものだった。

 田村は決勝戦を開始からまもない36秒、鮮やかな一本で勝った。飛び跳ねて喜ぶ彼女の気持ちはよく分った。四年間のじわじわとしか進まない時間、その中で繰り返し繰り返し襲う不安感、・・・、よくぞ、そういったものに耐えたものだ。そう思うと、こちらも少しまぶたが熱くなってきた。

 そして、そのとき、歓喜に飛び跳ねる田村のむこうに、アトランタの田村のような虚脱状態のプロレトワが見えた。(9/16/2000)

 防災の日から二日遅れて、「ビッグレスキュー東京2000」なる防災訓練が行われた由。日曜日の銀座の目抜き通りを前面交通止めにして装甲車を走らせて、いったいどこが防災訓練なのか、不思議な話だ。

 石原都知事は、この大がかりな自衛隊主役の訓練を批判したデモを「左翼が批判していたらしいが都民の冷笑を買っていた」とコメントしていたそうだが、批判のデモに加わる都民は少なくても、銀座通りを走る装甲車を見物に出てこれぞ防災訓練と感心する都民も同様に少なかろう。だいたい冷笑などというものは、見えぬところでするものだ。大方の都民が冷笑していたのは、いつまでたっても玩具の兵隊を並べて満悦する未成熟な大人、慎太郎、その人だったと知るべし。(9/3/2000)

 韓国と朝鮮の離散家族が面会日程を終了して帰国。夕刊から。おかしかったくだりをひとつ。

 人民芸術家といわれる北朝鮮の鄭昶謨さんはソウル市内を観光後、「まるで外国に来たみたいだ。黒い髪が嫌いなのか、黄色や赤など親からもらった髪をあんなに染めていいものか」と南の印象を語った。

 「身体髪膚これを父母にうく。あえて毀傷するは不孝の始めなり」を思い出させる言葉。やはり儒教の国なのだね。あわせてこれが「北」の感覚なのだ。日本の保守主義者たちが一番心落ち着ける場所は、なんのことはない、彼らが口をきわめて誹る「北朝鮮」なのかもしれない。(8/18/2000)

 敗戦記念日。お昼、直前、高校野球の試合経過を見るつもりで、テレビを見た。中継は3チャンネルにリレーされ、1チャンネルでは戦没者追悼式が映っていた。そして、「ご起立の上、ご唱和願います」という。何かと思ったら「君が代」を歌えというところだったのだ。嗤った。敗戦を記念して「君が代」を歌うのか、悪い趣味だ。

 たしか永六輔の話だったと思う。戦争中、熱烈な戦争賛美をし、本土決戦のおりは玉砕も辞さずと大言壮語していた校長、玉音放送を聞いた後、腹を切らないのですかと問われて、「ほどなく陛下がそのようになさるはずだ。そのときは我が輩も腹を切る」と答えたそうな。ところが、天皇はな〜んにもしない。なんにもしないどころか、退位もしなければ、自らの責任を明らかにすることもしない。そのまま、ぐずぐずと時間ばかりが過ぎていった。「校長先生が同窓会に出席したら、あの日の言葉の顛末を聞いてみようと思っているんだけど、ご存命とは聞いているのだけれど一度も同窓会においでにならないので、そのままなの」というような話だった。くだんの切腹し損ねた校長先生はいまものうのうと生きているのだろうか。そういえば、特攻隊員に「俺もいずれ跡を追う」と見得を切った上官のうち、いったい何人が跡を追ったことか。口は便利なものだ。上が無責任なら、下も無責任になるのは、不思議なことではない。この国では「責任」などという言葉は口でぺらぺらと語られるだけのものになり果てたのだ、あれから後は。(8/15/2000)

 お盆休み。起き抜けのニュース。大分で高校一年の少年が隣家の一家を襲い3人を刺殺、1人が重症、2人が軽傷。動機は風呂場をのぞいた疑いをかけられ、無視するようになったと思ってとのこと。

 ワイドショーを始めテレビは一連の少年犯罪をどう裁くかという紋切型でにぎわっている。これはこの春以来の少年犯罪とは少し異なって、あの津山事件に似た「ワグナー症」ではないかという印象。(8/14/2000)

 御巣鷹山に日航機が墜落してから15年がたつ。6時のTBSニュースで事故機のボイスレコーダーの内容が詳しく流された。飛び立って数分後に衝撃音がしてから墜落するまでの操縦士、副操縦士、機関士のやりとりが録音されている。何が起きたのか正確にはわからぬままの必死の対応が痛ましい。事故原因は公式には圧力隔壁が爆発的に破壊、その衝撃で垂直尾翼部が損傷したということになっている。この事故の前に事故機が起こした尻もち事故の修理の際、修理にあたったボーイング社が誤って圧力隔壁に傷をつけ、その傷が運行を続けるうちに拡大したのだという。

 真の事故原因は圧力隔壁だったのだろうか。隔壁が破壊し方向舵が吹っ飛ぶほどの空気抜けが起きたのだとしたら、どうして10000メートルの高空で彼らは酸素マスクもつけず数十分も意識の低下もなく活動することができたのだろうか。なるほど客室には酸素マスクが降りていた写真がある。しかし、ボイスレコーダーに彼らの会話がクリアに入っていることから考えて、彼ら自身は酸素マスクをつけずにいたことは明らかであろう。

 この事故についてはいろいろなレポートが出ている。池田昌昭の「JAL123便墜落『事故』真相解明」という本には事故原因は海上自衛隊の標的機「ファイア・ビー」の衝突だという説が書かれている。自衛隊の標的機が「犯人」であるかどうかについてはおくとしても、少なくとも圧力隔壁の破壊を原因とするのには疑問が多すぎる。「犯人」が内部でないとすれば、外部に求めざるを得ない。外部とすれば、天文学的な確率である隕石の衝突などよりは、人工的な飛行体と考える方が現実的であろう。

 非常に印象的なのは、訴訟社会のアメリカにある企業ボーイング社がなんともあっさりと自らの修理ミスを認めているということだ。この不自然さを考慮に入れると、衝突物の管理責任者は自衛隊というよりは米軍と考えた方が納得がゆく。池田は「ファイア・ビー」を「犯人」とする根拠のひとつとして、吉村公一郎の「ジャンボ墜落」から次の部分をひいている。

 それは垂直尾翼と水平尾翼が発見された墜落現場にあったのだが、明らかに垂直尾翼の外板ではない。縦160〜200p、横50〜60pで三列にわたってリベットの穴がびっしりと並んでいる。入手した写真には、現場に散乱した部品や遺品を集めている機動隊員二人が、この金属片を見つけ、運んでいるところも写っている。このカラー写真を詳細に観察すると、この金属片には白い塗料と赤がかったオレンジ色の塗装が地上をひきづったようについている。そして不思議なことに、写真を撮影した時点では、これには一か所に集められた日航機の他の残骸と違い、機体の位置を示す荷札もついていなかった。当初は後部胴体の外板の一部かもしれないと思ったが、日航機はオレンジ色の塗料を使用していない。

 「ファイア・ビー」はアメリカ・ライアン社製、当然自衛隊だけでなく、米軍も使っているであろう。

 そして、最後の疑問。ボーイング社の修理ミスが原因だとするならば、なぜ、日航はボーイング社に損害賠償請求をしなかったのだろう。それとも、こちらが知らぬだけで、ボーイングは、既に、日航に賠償金を支払っているのだろうか。(8/8/2000)

 先週からオウム裁判の一審判決が続々と出ている。地下鉄サリン事件の豊田亨・広瀬健一(17日)、松本サリン事件・坂本事件・サリンプラント建設の端本悟(25日)、坂本事件・サリンプラント建設の早川紀代秀(28日)、いずれもが死刑となっている。

 一方、26日には薬害エイズ事件で安部英が禁固3年の求刑を受けた。サリンを散布して乗客の殺害を図ったことと、HIVに汚染されたおそれのある血液製剤を積極的に患者に与え続けた行為は、なるほど、まったく異質な行為かもしれぬ。しかし、エイズ感染の可能性を熟知しながら、製薬会社から賄賂を受け取り、非加熱製剤の使用を強く推奨しつつ、加熱製剤の臨床試験の遅延を図った事実は、サリンの散布に比べても悪魔的な行為という点では引けを取るまい。サリンをまいて死刑、利己的な理由からHIVの蔓延を座視しても3年足らずの禁固刑。

 もうひとつ。27日、国家公安委員会は、会社員リンチ殺害事件に際して被害者両親からの捜査要請を黙殺した件で、広畑史朗栃木県警本部長を訓戒、石橋署の青山広行生活安全課長を停職14日の処分とした。一方、24日、埼玉県は、川越保健所のO157検査ミス事件で、島良治保健所長を停職2ヵ月の処分とした。検査ミス事件も誤って指摘された食品会社の業績を傾ける結果を招いたという点で、罪はけっして軽いものではないが、言語道断の怠慢行為により殺されずにすむはずの人を見殺しにしたのみならず、事実を隠蔽し続けた栃木県警の姿勢は看過しがたい重罪であろう。しかし、卑怯にして狡猾な警察官が14日間の停職、検査ミスの監督責任を問われた管理者が2ヵ月間の停職。

 8時半からの週間ニュースを見ていて、この国のバランス感覚はどこかで狂っているのではないかと思った。(7/29/2000)

 朝刊から。愛知万博、海上の森の土地利用面積を当初計画の5分の1にして、国際事務局に申請する由。伝えられる話では現在ドイツで開催中のハノーバー博は予定入場者数を大場に下回り、入場料金を下げているそうな。20世紀の遺物になりそうな万博にしがみつく名古屋、いかにも名古屋らしい滑稽さよ。

 夕刊から。皇太后の葬儀、「斂葬(れんそう)の儀」というらしい。開始時刻の10時に黙祷するよう政府から要望が出ていたらしいが、はて、それほどの人であったろうか。ほとんどの人々は、そのころ、いつも通りの生活をしていただろう。皇太后といっても、所詮、路傍の人に過ぎなかったのだから。(7/25/2000)

  10時半過ぎ、「平和の礎(いしじ)」を訪れたクリントン大統領のスピーチの中継を見る。10分に満たないものだったがなかなかよかった。平和の礎に刻まれた名前が沖縄の人に限らず、敵国であったアメリカの将兵で命を落とした人々の名前も入れられていることにもふれもしたし、末尾には琉球王の言葉を引いた部分を用意し、手慣れたものといえばそれまでだが、それなりに感動的に締めくくっていた。(7/21/2000)

 夜、皆既月食。南の空にぼんやりと暗い月。かけ始めが8:57、皆既になったのが10:02。終了は零時過ぎとのこと。これほどの時間幅のある皆既月食が日本で次に見られるのは、1787年後なのだそうだ。2000−1787=213、213年、これはこの国の歴史記録がないほどの昔。(7/16/2000)

 佐野眞一の「東電OL殺人事件」を読み終わる。まったく分裂したふたつの事柄に強く印象をもった。ひとつは所轄警察・検察の薄汚さへのいきどおり、もうひとつは渡邊泰子という被害者の想像を絶するプロフィール。

 被告のネパール人ゴビンダ・プラサド・マイナリはほぼ間違いなく真犯人ではないだろう。少なくとも、検察の立証が被告の有罪を主張するに不十分であることはたしかだ。東京地裁の判決はその点で納得できるものだ。

 しかし、それよりも何よりも、この被害者は「謎」そのものだ。人間というものが非合理的なものであることはよく知っている。だがこの被害者の内面は了解性の埒外にあるなどという表現では言い尽くせないほどに分らない。人の心の中の「闇」とは時にこれほどのものであるのか。(7/8/2000)

 宇都宮徳馬氏が亡くなった。「軍縮問題資料」は常に一読の価値のある主張を掲載している貴重な雑誌だった。93歳、しかし、未だ、惜しむべき人。(7/1/2000)

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