ホーム > サイトマップ > 言葉 > 同窓生 > 後期高齢同期の集い


後期高齢同期の集い

2011.01.24. 掲載
このページの最後へ

昭和37年(1962年)に阪大第一外科に入局したのは、津森嘉樹、富川盛博、内藤泰顕、野村望、濱中雄二、堀口泰範、森隆、森透の8名である。その内の富川盛博君は1991年に、森隆君は2003年に亡くなった。

全員が揃った同期の集いはいつ頃までだったのかを調べてみると、1978〜1979年だった。そこで、それ以後、今回までの同期会に関連する事項をまとめた。これは、過去に取り交わした手紙を調べることで分かったデータである。

この作業の途中で、富川盛博君の訃報を受けて送った追悼の手紙が見つかった。これを「亡くなった友へ」のタイトルで追悼文として掲載した。


過去の同期会関連事項

●1978.10.21.〜22. 松江旅行 長楽園、足立美術館、大山 全員参加
●1979.11.17.〜18. 有馬グランドホテル 六甲山、神戸 全員参加
●1982.12.4.〜5. 大阪ロイヤルホテル セラバー 富川君欠席
●1985.8.31. 芝苑 内藤君和歌山医大教授就任お祝い 富川、津森君欠席
●1990.9.8. 千里石亭 Cクラス時代の旧北1階詰所と合同 富川君欠席
●1991.11.16. 富川盛博君逝去
●1994.3.12. 神仙閣30年会(当番) 7名全員参加
●1997.5.17. ヒルトン大阪「王朝」森透君退官慰労・就任お祝い 7名全員出席+森透君ご令室
●1998.4.18. 森隆君近畿中央病院院長就任お祝い 津森君欠席
●1998.10.31.〜11.1. 夫婦同伴松江旅行 森隆君循セン入院中で欠席
●2001.4.7. リーガロイヤルホテル「レストラン・シャンボール」 7名全員参加
●2001.4.30. 内藤クリニック開院披露パーティー 津森君欠席
●2002.6.1. リーガ・ロイヤルホテル「吉兆」 7名全員参加
●2003.5.1. 森隆君逝去  
●2006.9.16. ホテルグランビア「北京」30年会(当番) 6名全員参加
●2011.1.22. リーガロイヤルホテル「つる家」 6名全員参加


今回の同期会


左から、森透、津森嘉樹、濱中雄二、内藤泰顕、野村望、堀口泰範

今回はリーガロイヤルホテル地階の「つる家」で行われた。第一外科には昭和30年代に入局した者達で作る30年会があり、順番で当番幹事となって、毎年1回開かれて来た。私たちは2006年が当番で、その際に6名全員集まったが、本来の同期会は、2002年以来9年ぶりの開催である。

このつる家は昭和40年、大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)開業に伴って出店された日本料理店で、エリザベス女王やダイアナ妃も訪れたと聞く京都つる家に連なる料亭で、雰囲気も料理も素晴らしかった。

ここで、午後5時半から10時を過ぎるまで、止まることなく楽しい会話と爆笑が続いた。これは私たち同期会のいつもの姿で、顔を合わせた途端、入局した半世紀前に戻ってしまう。

1997年の同期会 2001年の同期会については、このWebサイトでも紹介した。メンバーについては、1997年の「還暦を迎えた旧友あい集う」で紹介したが、その内の森隆君は2003年に亡くなられたので、以来6名になってしまった。今年はそのメンバーの多くが後期高齢者に入る。

今回、最も驚いたことは、精神的にも肉体的にも一番タフと思ってきた内藤君が、潰瘍性大腸炎を患い、変形性膝関節症で悩んでいることだった。肛門から血液が漏れるので、紙おしめを当てていると言う。「アルコールは禁じられているが、今夜だけは、少しだけ口にする」と話す今回の幹事の彼を気の毒に思った。

そのような状態でありながら、開業10年目を迎えるクリニックで診療を続け、ゴルフに打ち込んでいる。彼らしい生き方だと思う。

最近新薬を試みに使ったところ、出血は劇的に改善されたとのことで、効果が持続し治癒することを心から願っている。潰瘍性大腸炎というのは原因不明の難病である。

最も雄弁だったのは、いつもの通り濱中君で、内外の音楽旅行でのエピソード、学生時代から嗜んでいるフルートの話、バレーとピアノの才能が素晴らしいお孫さんのこと、ライフワークとなった肛門外科での珍しい症例、老化が進んで本人も周囲の者も一番困惑するのが排便であるとの話など、浜ちゃん節は健在どころか、ますますボルテージが上がってきている。

その彼は、2003年1月に脳出血で倒れ、奇跡的に助かり、後遺症もなく生還できた強運の持ち主である。生死を彷徨った経験は、彼をして残りの人生を精一杯生きようという気持ちにさせたように思われる。したいことをしようとすれば、面倒なパソコンやメールなどを覚える時間はないという。もっともな話だ。その生き方はよく分かるが、携帯電話も不要で持たないというのには、ちょっと驚いた。

同じ2003年の5月には、森隆君が大動脈瘤破裂で突然死した。私はそのことをイタリア旅行中に知らされ、動転した。強運と悲運、運命は分からないものである。そのことを、二人は私たちに教えてくれた。森隆君が亡くなった時、ご子息はまだ学生だったが、その後、結婚され、二人のお子様を授かったと聞く。森隆君も少し安堵しておられることだろう。

6人のメンバーの中で、死亡想定年齢を70歳とした私だけが、医業から離れている。70歳を過ぎても、オマケはどんどん増えているではないかとからかわれたが、これも運命、致し方ない。オマケは、いつ無くなるか分からないので、思いついたことはすぐに処理をし、まとめ、記録に残すようにしている。

今回の同期会で排便に関係する話題が多かった。私も2010年の総括で、「最近消化器系がやや不調気味である。親からもらった最大の恩恵がタフな消化器系だったので、オマケもそろそろお終いなのかなと思ったりもする。」と書いたが、実際のところ、なるようにしかならないと思っている。


<2011.1.24.>

ホーム > サイトマップ > 言葉 > 同窓生 > 後期高齢同期の集い   このページのトップへ