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喜びと悲しみ

 フィレンツェ

2003.05.28. 掲載
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一方で、身近な者が喜びに浸っているときに、離れたところで、身近な者の悲しみが同時に進行しているようなことは、滅多にあるものでない。それは、私にとって、生まれてはじめての経験だった。

5月2日の午後、翌日の息子の結婚式のために、私たちはイタリアのフィレンツェにいた。そこへ、日本のJTBの担当者から、「森 隆先生が急死されたので、留守宅に電話をするように」との電話が入った。耳を疑って義兄に電話をすると、「5月1日に、近畿中央病院で最終講義をしている最中に倒れ、そのまま死亡した。死因は急性大動脈解離のようだ。告別式は明日になっている」と言う。

その後、ミケランジェロのダビデ像を見るために、妻と息子の3人で、フィレンツェのアカデミー美術館に入ったが、私は「ピエタ」の像の前のベンチに座り込み、森 隆君のことを思い出していた。後で聞くと、1時間以上もほとんど黙り込んで、考えごとをしていたと言う。

今年の1月に、一緒に入局した浜中雄二君が脳出血で倒れ、呼吸停止をするほどの重症だった。それが奇跡的に回復し、退院をしたとの知らせを受けたとき、同期入局の7名で作っているメーリングリストに、彼が書き込んだ文章を、その時真っ先に思い出した。

「人生50年とは野村君から教わった諦観で、いつも家族に言っていますが、同級生がそうなると、いささか寂しい思いです」

人生の短さを説いて来た私が未だ生存し、それを半ば冷やかして聞いていた森 隆君が、突然死するとは、何と言う皮肉だろう。彼は国立近畿中央病院の院長を務め、昨春定年退職したばかり。ようやく、自分の人生を楽しむことができるようになった矢先の不幸である。その上、ご子息は未だ学生であり、さぞ、心残りだっただろうと思うと、痛ましかった。

彼に、私の結婚式の司会をしてもらい、彼の結婚式の司会を私がした仲だった。次々と、思い出が頭に浮かぶ。そして、どうすることもできない運命というものを、痛切に感じた。妻も息子も彼のことをよく知っている。黙りこくっている私の横に座って、二人はことば少なく話しかけてくる。息子は、自分の結婚式のために、私が友人の告別式に出席できないことを、なぜか、しきりに詫びるのだった。

詫びられる理由など何もない。息子もそれは分かっているが、何かを話さずにはいられなかったのだろう。その時、これは彼が最後にくれたプレゼントだという閃きが、突然私を襲った。幸せの絶頂にある息子たちに、「いつ死が訪れるか分からない。人の命は誰にも分からないものだ。だから、死ぬときに悔いがないように、思いっきり生きるんだよ!」と教えてくれた。そうに違いないと思ったら、少しほっとした。

私は若い頃から、命の短さを絶えず思って生きてきた。だから、息子や妻にそのことを何度も話してきたと思うが、二人はあまり気に留めていなかったかもしれない。しかし、身近な人の突然の死は、生と死について真剣に考える強い動機となりうる。彼の死は、息子やその配偶者となる人に、人生の出発点で一番大切なことを教えてくれたのだと感謝した。

翌日早朝、妻とドゥオーモ付属美術館を訪れた。ミケランジェロの「ピエタ」を見るためである。今回の旅行では、ミケランジェロの4つの「ピエタ」を全部見ることができた。「ピエタ」とは、死んだキリストを抱く母マリアの絵や彫刻である。それらの「ピエタ」像に感動しているところへ、森 隆君の訃報が届いたことに、運命的なつながりを感じてしまった。

11年前の最初のイタリア旅行で、非常に感動したものの一つが、サン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの「ピエタ」だった。今回の二度目のイタリア旅行で、ヴァチカン博物館にあるこの「ピエタ」のレプリカを身近で見た。その後で、サン・ピエトロ大聖堂の入り口にある本物を見たが、前回ほど感動しなかった。


サン・ピエトロのピエタ  2003年撮影

次に、ミラノのスフォルツェスコ城にある「ロンダニーニのピエタ」を見た。ミケランジェロが死の間際まで、のみをふるい、手直しを続けたと伝えられている未完成の遺作で、サン・ピエトロ寺院の「ピエタ」の全く対極にある彫刻である。

この「ピエタ」を見たとき、心の深いところからこみ上げてくる感動を覚えた。それは、妻もまた同じだったようだ。25歳で制作した「サン・ピエトロのピエタ」は完璧であり、それを最初に見たときには、涙が出るほど感動した。それから11年後、完璧な「ピエタ」よりも、一見稚拙とも見えるこの未完成の彫刻に魅せられ、感動したのはなぜなのだろうか?

ミケランジェロが、死ぬ数日前まで彫り続けていた作品であるという予備知識だけで、この感動を説明することはできない。人は完全な美しいものに感動するが、必死で自分の望むものを創り上げようとしている、完成途上の作品に対して、より一層、胸を打たれるのかもしれない。あるいは、私たちが、もう人生の終わりに近づいているためかもしれない、などと考えたりもした。


ロンダニーニのピエタ  2003年撮影

そして、アカデミー美術館にある「パレストリーナのピエタ」を見ようとしている時に、森 隆君の急死の知らせを受けたのである。この「ピエタ」の像を前にして、ひたすら、彼のことを思い続けていた。


パレストリーナのピエタ  1992年撮影動画より切り出し

その翌日訪れたドゥオーモ美術館は、開館直後でほとんど人気はなく、「ピエタ」をじっくり鑑賞することができた。こちらも未完成の作品であるが、「ロンダニーニのピエタ」と違って完成度は高く、やはり感動した。「サン・ピエトロのピエタ」はマリア像が美しかったが、こちらは、キリストのおだやかな顔に魅かれた。ミケランジェロは晩年、死への思いを込めてこの「ピエタ」を作り、自らその下に埋葬されることを望んだという。


ドゥオーモのピエタ  2003年撮影

ミケランジェロが4つの「ピエタ」を制作した年齢まとめてみると、「サン・ピエトロのピエタ」は23歳で着手し、25歳で完成。「ドゥオーモのピエタ」は75歳で着手したが未完成。「パレストリーナのピエタ」は80歳で着手したが未完成。「ロンダニーニのピエタ」は84歳で着手し、89歳で亡くなる数日前まで、彫り続けて未完成に終った。

ヴェッキオ宮殿で息子たちが結婚式を行った翌朝、私たち夫婦はフィレンツェを発ち帰国した。帰宅してすぐに森 隆君の家を妻と二人で弔問し、奥様とご子息にお目にかかった。家の中は予期しない不幸を表して痛々しく、お気の毒でたまらなかった。ご子息が、ご自分で書かれた告別式での挨拶文を、読ませていただいたが、突然の不幸にも関わらず、立派な文章であるのに感動した。遺影として、近畿中央病院の院長室に飾られていた写真が置かれていたが、知的で温和な彼らしい良い顔で、微笑んでいた。それを見ながら、彼の冥福を祈った。

彼の死によって、同期の卒業生80名のうち15名が、この世を去ったことになる。私たちの前後3年間の卒業生で、これほど多く死亡者がいる学年は他にはない。


<2003.5.28.>

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