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老人となった旧友の集い

2001.04.11. 掲載
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昭和37年入局の同期の桜が4年前の5月に全員集まった時、誰も還暦を迎えた後だった。そのことは、このWebサイトに還暦を迎えた旧友あい集うというページで報告をした。そして、同じメンバーが今月7日、リーガロイヤルホテルでフランス料理を食べながら夕べを共にした。今回は、メンバーの一人の内藤君が和歌山医大教授を定年退官したので、それを慰労するのが集まりの趣旨である。

29階のサロン・ド・オールという部屋からは、入局したころの阪大病院の跡地が眼下に見下ろされ、その眺めは素晴らしいのだが、宴が始まって数分もしないうちにはや40年前の世界に舞い戻り、会話と笑い声の途切れることがない。景色も料理も目に入らず、スーパードライを水代わりにして、ひたすら口角泡を飛ばすばかり。

6時から宴は始まったが、料理が終っても延々としゃべり続け、10時前にボーイに促されてお開きとなった。これがなければ、未だ2〜3時間はしゃべり続けていたと思われる。日ごろ「男のしゃべりはみっとも悪い」と近頃の若者の風潮を慨嘆している身には、いささ恥ずかしい状況であったが、この楽しい会話の誘惑から逃れることは不可能に近かった。


左から森隆、浜中、内藤、堀口、  森透、津森、野村の同期の桜全員


1.4年間のできごと

メンバーの紹介は前回と変わらないので省略することにして、4年間での異動は、98年4月から森隆君が国立近畿中央病院の副院長から院長に昇任したこと、内藤泰顕君が本年3月末に和歌山医科大学第一外科教授を定年退職したことが挙げられる。

98年4月には森隆君の院長就任祝いで集まったが、松江の津森君が欠席、98年10月にはその津森君の地元松江に夫婦同伴で集まり松江観光をしたが、その時は森隆君が心不全で循環器病センターに入院中のため欠席、今回ようやく全員が集まることができたのだった。

私たち同期の桜は8名だったが、平成3年11月に富川盛博君が亡くなり、7名になったことを前回に書いた。私たちが集まると彼(富さん)のことが必ず話題になる。99年の9月に富川 盛啓という名前の差出人からメールを受信したとき、もしや富さんのご子息ではないかという閃きが走ったが、その予感は的中した。

何でも、彼のお母上(富さんの奥方)が野村医院のホームページを訪問下さり、そこで前回の同期の桜のページをご覧になって、彼に知らせて下さった由。嬉しく、また懐かしく、すぐにお礼の返信をした。

富川 盛啓先生 メールありがとうございました。差出人のお名前を見て、もしや富川先生のご子息では?と思ったのが正しかったので、驚きました。ご子息が皆様立派な医師となられ、お父様もさぞかしお喜びのこととでしょう。お母様は心丈夫で、すっかり安心していらっしゃることと存じます。

当院のホームページをお母様がご覧下さり、それから 盛啓様が訪問下さったとのこと、ありがとうございました。私ども同期の桜はあれから2回集まり、昨年は松江の津森先生のところへ、それぞれ妻同伴で参りました。

そのような時いつもお父様のことが話題になります。注射が神業のように上手だったこと、貫禄があるので患者さんにプロフェッサーと間違えられたこと、宴会の踊りの指導をしてもらったこと...そして、卒業30周年の集いにお越しになり、それがお目にかかる最後となったお父様の姿を思い出し、静かになるのです。

当院の患者さんに、石垣島出身54歳の宮平百合夫さんという方がいます。お父様に昔手術をして頂いたとのことですが、この人が来られるといつもお父様のことを話します。楽しい方です。

お母様にどうかよろしくお伝え下さい。まずは、お礼まで  9/20 野村 望

以上が、前回の集まりからあとのできごとである。


2.内藤君の退官に関すること

さて、今回の集まりの主人公は内藤泰顕君である。彼の心臓外科での業績は世界的レベルのもので、過去に何度も新聞やテレビで活躍ぶりが報道されてきた。そして、退官に際して、教室での最新の業績が和歌山の新聞とテレビで報道されたと聞く。ただ、当日は株価大暴落などのニュースのために、全国紙には掲載されなかったのは、まことに残念だった。

また、は退官記念講演の演題が「Original Work to the World from Wakayama」だったそうで、これを知って私は思わず、「すご〜い!! カッコイイ!! 」と叫んで、お祝いメールを即刻送ってしまった。いかにも彼らしく、また一外気質そのものだと頬はゆるみつつ感動していた。

彼は退官後、上六のビルで5月からクリニックを開業をすることになっている。和歌山労災病院の院長就任を何度も懇望されながら、それを選ばず丁重にお断りをした。そして、これまでの人生と違った生き方をしよう、小さなクリニックで、心臓手術を受けたり、心臓の病気を持っている人たちの相談相手となろうと決めたのである。この処し方もまた、彼らしくカッコイイと思う。

この話を初めて知ったのは、彼からのメールだった。2000年10月5日午前11時10分、診療中の私の白衣の胸ポケットの携帯がメールの到着を知らせた。チェックすると内藤君からだ。世の中確実に変わりつつあることを実感した。そのメールの一部を紹介する。もちろん、彼の了解はとってある。

親愛なる野村君へ 大分涼しくなりましたね。お元気ですか。これは私にとって一大歴史的事件です。今初めてホームページなるものを自分で開く経験をしました。それが君のホームページです。いろいろの項目を見せてらった。「旧友の集い」は懐かしく読ましてもらった。自分でメールを送るのも初めての経験です。君にとってあたりまえでも、私にとってはものすごい進歩です(笑わないでくれ)。

いよいよ私も来年3月末で定年退官です。退官後の生活をいろいろと考えているところです。仕事をなにもしないのも健康上良くないと思うし。どこか病院で働くにしても65才を過ぎると私的病院ということになり、2、3申し出があるのはあります。仕事の内容は楽ですが、使う側にとっては教授職にあったものを使うとなると、かなり気を使いながら働いてもらうことになり、私の性分に合いかねる。それに、箕面と和歌山の二重生活に些か疲れた。

そこで、一大発奮、大阪で自分のクリニックを持とうかと、そして今までと違った人生を開いてみようかなと思ったりしている。それには次ぎのような理由がある。

中 略

主な理由は以上ですが、投資の少ない程度の開業でチャレンジしてみようとの気になっています。それが、健康の維持にも繋がるのではとも思っている。貴兄のご意見をいろいろの注意も含め、是非、聞かせて欲しい。


これを読んで、たまらなく嬉しくなり、診療の合間を縫って1時間足らずの間に「開業大賛成!」という件名で以下の返信メールを書き、12時5分に送信した。

Dear NAITO 診療中に、i-mode携帯がメールの受信をサンバのブラジルと言う曲で知らせてくれました。昨夏から、メールは携帯電話にも転送するようにしてあるので何処にいても即座にメールを読むことができ、その場で返信も可能です。

メールを開いてみると。、貴兄からのものなので、ビックリ仰天、世の中確実に変わりつつあることを知りました。最初のWebサイト訪問が私のホームページとは光栄で嬉しいです。

さて、定年退職後、大阪で開業される件については大賛成です。理由は貴兄の書かれた1)〜5)のどれもがもっともだと思われ、その他にも以下のことも賛成の理由です。

貴兄のこれまでの経歴から考えて、循環器疾患の患者さんを最適の病院に紹介してあげることは、他の誰にもできないことだと思います。貴兄は昔から内藤教の信者を作る名人だったので、開業をされれば、沢山の信者さんが誕生するすること請け合い!退官祝いと開業祝いをする日を心待ちしています。奥様によろしくお伝えください。

彼が自分で操作してホームページを見たのが今回最初なら、メールを送るのも最初、そのためメールが本当に届いたか不安になって同文のメールを夕方にまた送ってきたり、電話をかけて届いたか尋ねようと言って秘書の女の子に笑われたり、だれもが、最初の頃によくやる面白い失敗や戸惑いを重ねたようだ。ところが、一旦成功したことを知ると、もう古くからのベテランのような調子で、メールを送ってくるのだから愉快である。

最初のメールから約1月後の11月10日には、開業の場所が決まり、5月から開業すること、二人の先生を除いてほとんどの人達(他学の教授も含め)が賛同してくれたこと、教室員は大賛成で開業の準備を手伝ってくれていることなどが書かれていた。4月30日にクリニックの開院パーティー、連休明けの5月7日から診療開始とのことである。


3.メーリングリスト「ML−37」完成

今回の集いを契機に、われら同期の桜のメーリングリストができ上がったのは、この集いに劣らぬ収穫だった気がする。この内藤君の退官慰労会の最初の提案は、森透君からメールで、私のところに届いたのは12月半ば、彼からの最初のメールであった。もちろん私は諸手を挙げて賛成し、内藤君に都合の良い日時を知らせてもらい、その日時を同期の桜全員に連絡し、全員が集まることのできる4月7日土曜日が決まったのである。

この相互の連絡を、津森、浜中君を除く4名にはすべてメールで行なった。津森、浜中両君には、メールを印刷して郵送したが、その中で「...内藤、堀口、森隆、森透先生には、同文をメールでもお送りしました。と言うより、メールでお送りしたものを、念のため、手紙でもお送りするというのが本当です。津森、浜中先生もメール如何ですか?メールアドレスをお持ちなら、お知らせ下さい。...」という一文を付け加えておいたのは、ちょっとした挑発のつもりだった。それに挑んできたのが、松江の津森君で、彼の最初のメールが私のところに届いた。

森隆君からは、元祖おじんメール野村 望先生: 何から何まで手際よくお手配くださり、有り難うございます。ついでに、一斉メールのできるサーヴァーから交信できるネットを作っていただければ、一外37会の老化防止に役立ちそうですね。津森、浜中ご老体に働きかけましょう。、との注文メールが入った。

これを読んで、機は熟しかけている、鉄は熱いうちに打てだ、同期の桜のメーリングリストを作ろうと即座に行動し、慰労会のちょうど1ヶ月前の3月7日に、メーリングリスト「ML−37」の第1号を書き込んだ。そして慰労会までの1ヶ月間に、ちょうど50件の書込みがあった。メーリングリストはおろか、Eメール自体がはじめてという者が2人もいる。そして、ほとんどの者が介護保険被保険者証をもらった老人集団である。それなのに、われら同期の桜は、何とチャレンジ精神に富んでいるのかと、すっかり感激してしまった。

このメーリングリストは、今回いろいろな面で非常に有用だった。これを手紙、電話、FAXで代替することは難しく、やろうとすれば何倍もの時間と労力と費用が必要であることを誰もが身を持って実感したことと思う。 ただ、われら同期の桜の中で一番の論客である浜中君が参加していない「ML−37」は欠陥MLと言われても致し方ないことはよく分かっていた。だから、MLを完成させるために、何としても彼に参加してもらいたいのだが、下手に動いて臍を曲げられては困る。どうしようかと思案している間に、慰労会の前日が来た。そして、この時になって良いことを思いついた。

その思いつきというのは、この慰労会までに交わされたメールをまとめて印刷して小冊子を作り、それを当日皆に配れば、浜中君もメールの有用性を知り、パソコン嫌いの度合いが減るのではないかという作戦である。大急ぎでA4版28ページのパンフレットを7部作って当日持参した。宴の途中、ころあいを見計らって、これを皆に配りながら、「これは浜ちゃんのために作ったんや、皆はメールでこの中身を全部知ってる、手紙とFAXで連絡したんは浜ちゃん一人だけなんやで、どうや、パソコンやらへんか?」と畳み掛けてみた。

普段ならここで猛反論が返ってくるところ、「いろいろすることが多くて、パソコンをする暇がないんや」と、やけに大人しい。と思ったら、「ワイフが1ヶ月前からパソコンを習いに行ってる、昨日パソコンが届いたけど、まだ接続できていないんや」と、のたまうのだ。これを聞いて、しめた!と思った。パソコンに強くなる女性は多い。夫が始めたパソコンを、専ら妻が活用しているケースを何例も知っている。

同期の桜の宴から2日過ぎた4月9日の夕刻、件名:メール開始、差出人:浜中のメールが飛び込んできた時には正直ビックリ仰天した。「メール開始」を「戦闘開始」と読み替えても良いような浜中君からの最初のメールだった。 「今、NTTからパソコンの器械が設置されたばかり、ワイフがまずうってみます。初めての発信ではりきっています。  今まで大変ご迷惑をおかけしたようで、これで私も大きな顔で皆さんとお会いできます。わたしにパソコンをすすめたことを後悔するかもしれませんぞ。まだ何も解らずに打つだけです。よろしく。2001年4月9日 浜中雄二代理

もちろん即刻返信をした。 浜中先生と代理様 ブラボー! CONGRATULATION! スバラシイ!! スゴイ!! さすが浜ちゃんの奥方、素晴らしいですね!! 瞬く間に、ノロノロ亀さんたちを追い抜くことを私は予言します(笑) 私の予言、良く当たるんですよ(笑)  ただ、これからはメール情報は奥方に筒抜けになりますね?

たった今、貴兄をわれらがメーリングリストML−37に登録させて戴きました。もう、貴兄はML−37の正会員です!!  以下のアドレスに送信して頂くと、このメーリングリストの7名のメンバーに同時に一斉にメールが送られます。ぜひ、こちらへも送信下さい!

皆さんビックリ仰天すると同時に、素晴らしい奥方をお持ちの貴兄に対する羨望で一杯になるでしょうね(笑)
それではお待ちしてま〜す!! 01/4/9 野村

翌4月10日、今度は「ML−37」の方に浜中ご夫妻のメール書込みがあった。ML60番目のこのメールによって、われらのメーリングリストは名実ともに完成した。その後に入ったメールによると、内藤君の奥方は「あなたがたは、メールごっこじいさんの集まりだね」と笑っておられるそうだが、言い得て妙である。


<2001.4.11.>

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