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ドジBOW 5話

2009.01.21. 掲載
2014.02.28. 追加
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なぜか、私はドジ・チョンボとは無縁の人間のように思われることが多い。しかし、少し付き合いがあると、その正反対であることが分かり、おかしな失敗があれば、私がしたのではないかと思われるようだ。

このサイトには、そのような失敗談をいくつか載せてきたが、それらをまとめて「ドジBOW 5話」として、掲載し直してみた。「BOW」というのは、古くからの私のハンドルネームである。その名の由来は、ハンドルネーム BOWに詳しく書いている。


第1話:師走の夜を師は走る

もう師走、何でこんなに時間は速く過ぎるのかと思いつつ、雑事に追われている。

12月1日は当院の忘年会だった。食事を終えて、プチ・ルミナリエのような阪急のコンコースを通り抜け、新阪急ホテルでお茶を飲み、散会した。職員たちはそこからタクシー乗り場へ、私たちは梅田の第一ビルの駐車場に向かう。

楽しい余韻を感じながら歩いていると、妻が「何か声がしなかった?」と言う。「いいや、何も聞こえへん」と私。そこへ息せき切って職員の一人が「奥さ〜ん!」と追いかけて来た。「お支払いが未だとお店の人が、、、」と聞くや否や、私は夜の梅田の街を全力で必死に走っていた。

10名の団体がぞろぞろやってきて、大声で駄弁って、金も払わず堂々と出て行ったのだ。店の人たちは呆気にとられたことだろう。店を出て、ゆっくり歩いている職員たちを、レジの係りが追いかけて来たらしい。そこで、一番小さく一番身軽な元体操選手が、伝令として4〜500メートル走ってくれたという次第。彼女は「奥さ〜ん!」と叫ぶ。「せんせい〜!」と梅田の街の中で叫ぶと目立つから、機転を利かしたらしい。

無事支払いを終えて一同は大笑い。私のメガネは湯気で曇って、真っ白になっている。それを見て、職員たちはまたまた笑い、こんな経験ははじめてだと言う。私だって、もちろんはじめてだ。

新婚旅行の時を除いて、支払いはいつも妻がするのだが、職員の慰労会では、格好をつけて、私が支払いをしてきた。それが裏目に出てしまった。院長の威厳などは消え失せ、どこにも残っていない。いやはや、とんでもない忘年会になってしまった。

わずかのアルコール分など、この騒ぎで吹っ飛んでしまっているのだが、ここで運転をすれば、天罰が下る気配濃厚なのを察知して「飲んだら助手席」を忠実に守り、妻の運転に心落ち着かないまま、帰宅した。

後で職員たちから聞いたところによると、「私たちがゆっくり歩かず、早足だったとしたら、あれは完全犯罪になっていたね」、と話し合ったそうである。まかり間違えば、新聞ダネになるところだった。しかし、新聞ダネになってもすぐ捕まり、事件は解決するだろうとも話しあったらしい。そのわけは、あの黒ブチメガネの丸顔の白髪の似顔絵が新聞に載れば、誰もが犯人は倉治の野村先生だ、と通報するはずだからと言うのだ。

そして、その後は「師走に師は逃走!」のタイトルで、全国版にきっと掲載されるだろうとまで、話は弾んだらしい。それを聞いて、我がことながら吹き出してしまった。それは確かにあり得る。それから逃れることができた私は、なんとラッキーなんだろう。この幸運を天に感謝しなければ、罰が当たるだろうと思った。

私も一応は医師、師の端くれに違いない。だから、今年の師走は初日から師が走ったのだ。ああしんど。
(2002.12.3.)


第2話:左耳が聞こえない

最近血圧を計るとき、拍動音の聞こえ難いことがある。以前はそんなことはなかった。また、妻が小さな声で話しかけて来ると、何を言っているのか良く分からない。「聞こえへん!」というと、「耳、遠なったのと違う?」と嫌味たっぷりにのたまう。やはり年か! まもなく68歳になるのだから、それも仕方ないと思ってきた。

三日前のことだった。生活保護の仕事で出かけ、車を降りようとした時に、携帯がけたたましく鳴った。取ると妻からだが、声が小さくてほとんど聞こえない。「ちょっと待ってくれ、右で聞くから、、、」と言って携帯を右手に持ち直すと普通に聞こえる。話は、私が前日書いた死亡診断書の不備を、市役所の市民課の人から電話で指摘されたということだった。

昔は、一月に10枚も死亡診断書を書いたことがあるが、最近は、病院や施設など自宅以外で亡くなられる方が多く、今回、2年振りに書いたので、またチョンボをしたのだろうと、そちらは気にならなかった。しかし、左耳がほとんど聞こえないのにはがっくりきてしまった。日頃気にしていたことをはっきり思い知らされると、やっぱりこたえる。

帰宅して妻に話すと、彼女も私の耳が遠くなったのを前々から感じていたので、疑うことなく納得したようだった。暫くして、「だけど、左耳で良かったやないの! 私は右が聞こえへんから、私の左側にいてくれたらお互い、都合が良いもん」と言うのだ。

5年前に妻は右耳を手術したが、結局聴力は戻らず、右耳はほとんど聞こえない。だから、並ぶとき、私は常に妻の左側に立ち、左側を歩いてきた。もし、私の右耳が聞こえ難くなったら、この生活スタイルが成立しなくなる。ご対面では歩けない。

この理屈は、鈍い私にもすぐ飲み込めた。「そやな、やっぱり神さんは、よう考えてくれてはるわ。右やったら困るもんな。わしら夫婦はほんまに運がええわ」と嬉しくなってしまうのだからオメデタイ。

しばらくして、「左がそんなに聞こえ難いんだったら、聴診器で聞いている時に分かるんと違う?」と尋ねるので、「聴診器は右と左がつながっているから、区別はつかへんのや」と訳の分からん答えをしたが、納得できないようだった。そのうち「分かった、左耳にうまく携帯が当たっていなかったんやわ、そやから聞こえにくかったんやわ」と笑いだした。

なるほど、そうかもしれない。そう思って、オージオメーターで聴力を調べてみると、左右差はなく、周波数1000 Hzでは25dBでも聞こえる。基準値が30dBだから、それより聴力は良い。2000 Hzでも30dBで聞こえるので問題はないが、4000 Hzでは50dBまで落ちている。基準値がいずれも30dBだから、明らかに高音の聴力は衰えているが、これは老人性難聴の特徴で、加齢現象だから致し方ない。会話では、低音の聴力が重要で、高音の聴力低下はあまり関係なく、よって、日常生活には問題はないと言われている。

はじめから、オージオで調べたら良かったのだが、そそっかしく、はやとちりをするのが私の特技、今に始まったことではない。一時がっくり来たが、「しゃぁないな」と諦めるのが早いのも、これまた私の特技で習い性となっている。

考えてみれば、電話も携帯もこれまですべて右耳で受けてきた。それが、たまたま、右手でドアを開けて降りようとした時にかかってきたので、左手に携帯を持ち、左耳で聞いてしまった。これまで、左耳で携帯を聞いた経験はない。だから、きっと当てる位置が悪かったのだろう。やっぱり、奥さんはかしこい! (2004.2.15.)


第3話:古稀はドジで始まった

開業医生活の総括をウエブサイトに載せ、それを電子書籍としたところで、カッコ良く古稀の生活を始めるつもりでいた。それを証明するかのように、昨夜は電子書籍受領のメールもいくつか届き、ことは順調に運ばれているはずだった。ところが、今朝届いたDr.Mからのメールは、それが心地よい幻想であり、私にはドジの方がよく似合うということを、思いっきり教えてくれた。

「頂いたCDがMacで読めないので、Windows専用かと思ってWindowsで試しても、ウンともスンとも言わない。調べてみたらブランクCDだった」との文面を見て、ああ、ヤッテシモタ!!と思った。慌てて残っている3枚の電子書籍(CD−R)を調べてみたが、3枚全部が真っ白シロの白、痕跡一つさえ残っていない。

木曜日に誕生会をしてもらったので、翌金曜日の1日をかけて、電子書籍32枚の郵送の作業にかかり、夜遅く大阪中央郵便局へ持ち込んだのだった。途中、CD−Rが足りなくなって、10枚購入してきたのを覚えている。このCDのラベルをダイレクトプリントしたところで、中身も移し込んだと思い込んでしまったらしい。これが最後のタイムリミット、これを済ませば、もうあとはのんびり暮らそうとウキウキ気分だった。ブランクCDが3枚残っているところから計算すると、7枚のブランクCDを送ってしまったことになる。

気が急いていた、ラベル印刷、中身のデータ収納、郵送の案内文作成印刷、郵送用封筒へ収める作業を一人でしてきた、などはいい訳にはならない。CD−Rの中身を1枚1枚チェックすれば、このようなミスは起らなかったのだから、、、チェックに要する時間はわずか30秒、30秒を面倒くさく思ってサボったのが、この結果である。

この時、私の頭に閃いたのは、兼好法師の「高名の木登りと言ひし男、、、」であった。少なくとも、高校の頃から、このことばは私の心に生きていたはずなのに、このざまだ。なさけない。しかし、満点がとれず、なにか失敗をしてしまうというのは、持って生まれた私の特技、仕方がないと思うことにしよう。

このメールで仰天し、CD−Rを買うため、9時にヨドバシカメラへ行ったら、駐車場は開いているのに、店は開いていない。9時30分から開店だという。開店と同時に店に飛び込むと、店員の誰もが声をかけ、お辞儀をしてくれる。「朝早くからご来店下さいまして、まことに、ありがとうございます」とアナウンスがうるさい。「あんたらのために、はよ来たんとちゃう! チュウネン。 中途半端に、9時半にせんと、キッチリ9時に、したらんかい!!」という気持だ。

ブランクCDをお送りしてしまった7人を推定し(単に最後から7名を選んだだけ)、データを書き込んでラベル印刷したCDと、謝罪の手紙を封筒に収め、中央郵便局から速達で郵送をして一段落した。

古稀の月日も、どうやらドジと失敗から離れられない時間となりそうだ。あーあー、難儀なこっちゃ。
(2006.4.25.)


第4話:服の取り違え

昨年の懇親旅行は義姉の病気のため、また、今年の新年会は自分の手術で参加できず、関係各位にご迷惑をおかけしたことを気にしていた。だから、2月3日、4日の週末医師会懇親旅行には、病上がりの身でありながら、これまでの罪滅ぼしとして、夫婦で参加した。

会陰部保護のための円座を持参し、アルコールへのさまざまな誘惑をキッパリと退け、ウーロン・ビール、ウオーター・ワインで主治医の術後指示を守り、我ながら健気なものよと感心して、旅の余韻に浸りながら帰途のバスに乗っていた。

阪神高速神戸線で尼崎を過ぎたころ、幹事の携帯が鳴り、「服を間違えて着て帰った人はいないか」と昼食を摂ったイタリア料理店が電話してきた。それを聞いて、この中には、そんなトンマな人間はいないはずだが、もし、いるとしたらAドクターくらいだろう、と失礼なことを考えながら(A先生ごめんなさい!)、自分が着ているコートを見ると、袖口が違う。ほぼ同時に、妻が「これ違う、あなた間違えたのよ!」と叫んだ。

しまった!と、おお謝りで、料理店に電話をしていただき、バスをわざわざ大阪駅に停めてもらって、神戸へとんぼ返りした。新快速の中で、ただひたすらお詫びして許していただこう、誠意の気持をどのように表したら良いだろう、と黙って考え続けていた。

店の前でタクシーを降りると、店の方が待っておられ、地下の店内には、本当のコートの持ち主とご家族がお待ちだった。どのような叱責罵倒も覚悟していたが、ご本人も奥様も笑顔で迎えて下さり、私の過ちを許されただけでなく、遠いところから引返してきた私たちを労って下さるのだ。つくづく自分の幸運を思い、心から感謝した。

私たち夫婦が降りた後のバスの中は、取り違え話題でずっと盛り上がったようだ。持ち主に逆らい、自分の靴だと言い張って履いて帰ったら、やっぱり間違いだった話、正装という指示を知らずに、現地でネクタイを調達し、上着を人から借りた話とか、いくらでも私のドジは出てくる仕組になっている。

Aドクターからは、メールで「自分が懇親ツアーの締めくくりの主役にならず、胸を撫で下ろしています。」との正直なご感想に加えて、「次の長旅では、さぞかしドジも多いだろうから、くれぐれも念入りチェックをするように」との親切なご忠告までいただいた。

このドクターにだけは、言われたくなかったのに! 歯ギシリ連発。
(2007.2.4.)


第5話:高速道路逆送?

今月はじめに彦根へ車で出かけた。高速道路を走るのは久しぶりだが、以前のようなドライブを楽しむという気分ではない。引退するまでは、「命の洗濯」と称して、週2〜3回梅田に出かけていたが、阪神高速守口線の急カーブを猛スピードで飛ばすのも楽しみの一つだった。この曲がりくねった道を40年近く走ってきたが、妻の悲鳴を無視してスピードを落とさずに運転するのが爽快だった。幸い一度も交通事故を経験していない。しかし、今はそれも正直怖くなってきた。

その彦根からの帰り道、名神の彦根ICで大阪京都方面の車線に入り、一路帰阪を目指した。雨が激しく降る中を走るが、どうも見慣れない景色が続く。その内に「八日市IC」の標識が見えて来た。しまった、方向を間違えた、名古屋方面へ向っている!

眠っている妻を起こし、このICで一旦外に出て入り直し、今度はしっかり確かめて大阪京都方面へ向った。高速道路の逆送ではないが、逆方向の車線を走るとは、我ながら耄碌したものだと情けなくなる。

ゴメン、ゴメンと謝るが、心配しいの妻は、私の頭がおかしくなったことを極度に不安がっている。そんなに不安なら、車に乗るや眠るという習性を改めれば良いのにと思うのだが、できない相談のようだ。

帰宅すると、息子からメールが届いていた。それを妻のPCへ転送した。いつまで経っても妻にとっては気になる息子のことだから、自分のPCで気が済むまで読めるようにとサービスをしたのだが、届いていないという。

調べてみると、転送を息子宛にしてしまっていた。息子は面食らったことだろう。今度は息子へのゴメン・メールを出さざるを得ない。その中で、「もう、かなり耄碌をしてきていて、彦根からの帰り、方向を間違えて四日市が出てきて間違いに気づき、一旦外に出てから大阪へ向いました。お陰で1400円損をしました。経子は眠っていて、気が付かなかったらしいです。オマケも残り少なそうです(笑)。」と書いている。

賢明な読者は、ここで、私の間違いに気づかれたことだろう。愚老な私は、今これを書こうとWebを調べていて発見した。目は八日市と読みながら、頭の中で四日市に置き換えられ、昔、車で行ったことがある三重県の四日市と思ってしまったのだ。名神が三重県を通るわけがない!逆方向の走行車線を走ったのではなく、正しい車線だったのだ。ゴメン、ゴメンと謝ることなどなかったことになる。

この錯覚は、視力低下、特に動体視力の低下が関係しているかもしれない。そうなれば老化現象であり、ドジ・チョンボと簡単には言えなくなるのだが、、、

しかし、次の失敗はまったくの完敗である。弁解の余地はない。

ずっと以前から、ミュージカル「ラ・マンチャの男」を観たく思っていたが、引退するまでは叶わなかった。そこで、VISAの月報で見つけて購入していたらしい。ところが、購入したチケットを、2月26日にインターネットでも購入してしまったのだ。これはコンビにで受け取ることになっている。3月に入ってチケットが送られて来た時には、サービスで直接郵送してくれたのだと信じて疑わなかった。

4月9日の夕方、ホテル予約のことからチケットの有無を妻に尋ねられ、取り出して見てみると、翌日の4月10日になっている。オカシイ、4月15日なのに、間違えて送ってきたと腹を立てて、チケットの番号に電話をすると、電話の相手はVISAの方だった。「12月13日にご本人様が電話で注文された記録があります」という。

12月13日に電話で注文をして、記録をしておかなかったので、注文したことを忘れてしまったのだろう。今年の誕生日の記念として、このミュージカルを観ようと決めたときには、注文したことは、頭から完全に消えてしまっていたということになる。

これから、ますますこのような失敗を続けることになるのだろう。なさけない。

昨年末、神戸の三宮から阪急電車に乗り、梅田へ帰るつもりが、気がつけば神戸の新開地。わけが分らず、とにかく飛び降りて、逆方向行きの電車に乗ったら、三宮どまりの終電。どうやら、最初に乗った阪急電車は、梅田に着いて、折り返し神戸へ戻ったらしい。寝過ごしが少し過ぎたようだ。

「第5話:高速道路逆送?」は、「ミュージカル・チケットの二重買い」を含んでいる。だから、今回のドジを合わせて、これで7話となってしまった。やれやれ。

<2009.1.21.>

今度も、「信じて疑わなかった」ことが間違っていたお話。

先日「男声カルテット GTN4 デビュー」の記事を掲載し、それを印刷して出演者などに差し上げた。その翌日、命名者から「GTN4」ではなく「GNT4」だとのご指摘を頂いて仰天してしまった。

即刻、サイトの記事は修正したが、DVDにに記録した動画「GTN4デビュー」とYouTubeに投稿した動画「SantaLucia」の修正は、少々面倒なので手をつけずに済ませた。

命名者はカルテットの名前について、「ジェントルマン GENTLEMAN」を略して「GNT」にしようと提案されたが、私は覚え難いので、「GENTLEMAN」の方を覚え、そこから勝手に「GTN」と略するのだと思い、それが正しいと信じて疑わなかった次第。調べてみると、英語の略語は法則があってない状態のようだ。

これまでも、このての失敗をかなりしてきた。その中でも、先輩の家に招待され、帰り際に靴を間違えて履いて帰ったことが思い浮かぶ。

先輩が、それは自分の靴だと言われるのに「いや、これは私の靴です」と言い張り、履いて帰った。しかし、家に着くと妻から即座に間違いを指摘された。メーカーは同じだがサイズが違うと言うのだ。

翌日、平身低頭して靴の交換に参上した。

ものごとをアバウトに捉えるのや、思い込んだら疑うことをしないのは、こどもの頃からの習性、この年になっても変わらない。だから、この類の失敗は死ぬまで続くのだろう。当事者にはご迷惑をお掛けして申し訳ないが、ご容赦願うほか致し方あるまい。

これでドジ話は9話となってしまった。いつまで続く失敗ぞ!である。小学生のころから、80点主義でやってきたわけを、ご理解いただけるのではなかろうか?

<2014.2.28.>追加



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