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私の画像歴

2012.10.28. 掲載
2015.06.30. 追加
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目次
1.はじめに
2.アナログ画像
 フィルムカメラ
 ポラロイド
3.デジタル画像
 マウスとお絵かきソフト
 イメージスキャナ
 フレームバッファーと画像圧縮ボード
 デジタルカメラ
 カラープリンター
4.まとめ


1.はじめに

私の動画歴をまとめたあとで思ったのは、動画の場合、8ミリシネフィルから現在主流のAVCHDビデオカメラに至るまで、映画、TV、映像機器メーカーなどの映像プロが作った規格や製品を消費者として利用する形がほとんどだったことである。これはデジタル動画に限らず、デジタル音声など多くの分野で、アマチュアが開発の初期段階で関わることはなかった。

それに対してデジタル画像(静止画)は、8色画像からフルカラー画像に至る6年ばかりの期間であったが、プロ、セミプロ、アマチュアが広く交流し、デジタル画像について数多くの議論と創造、競争と比較があり、その多くが淘汰されて行った。それは、PCが実用的レベルになった1985年ごろから1991年ころまでである。

その時代に、プロやセミプロとアマチュアが一緒になって、デジタル画像の進展に関わることができたことをありがたく思う。私はデジタル画像に熱中していたが、その最大の目的は画像を医療の説明に使いたいということだった。


2.アナログ画像

アナログ画像と言えば書画も含まれるかもしれないが、ここでは写真を指すことにする。それを撮影する道具として、フィルムカメラとポラロイドを取り上げる。


●フィルムカメラ

フィルムカメラは銀塩カメラとも呼ばれる。デジタルカメラが普及するまでは、カメラと言えば、今で言うフィルムカメラを指していた。友人の中には、中学時代から親のカメラを使って撮影する者もいたが、私が初めて撮影をしたのは、大学に入った年からである。

KONICA UB

1955年、大学合格のお祝いで購入した KONICA UB である。このカメラは1964年にPENTAX SPを購入するまで約10年間使ったが、堅牢でスタイルも良く愛機であった。撮影は専ら友人や家族のスナップであった。

露出とシャッター速度は、露出計が登場するまでは、天候などを考慮しながら自分で決めなければならなかった。

焦点を合わせるのも、接眼レンズから覗いて、二重の画像が重なるように操作するマニュアルフォーカス (Manual Focus, MF) だった。


図1.KONICA UB 1955年発売、購入


PENTAX SP

1964年、医師になって2年目に自分の給料で購入した。これは、世界最初のTTL測光を採用した35ミリ一眼レフカメラで、発売のニュースを知って予約購入をした。TTLとは、Through the Lens のことで、撮像用レンズを通った光で露出を決定する方式である。これは時代先取りに掲載した。

このカメラは、それ以後、通常の撮影の他、医療用、学術用に繁用した。特に接写では、一眼レフのため視野に誤差がなく、ファインダーから見える視野と実際に写るものとのずれがないこと、自動露出(Auto Exposure AE)のため露出が正しく行なわれることが、KONICA UBにはない長所だった。

「ボーエンだよ〜、ワイドだよ〜、ペンタックス、ペンタタックス」というTVのコマーシャルを今も覚えている。使いやすく、堅牢な良いカメラだった。


図2.PENTAX SP 1964年発売、購入


OLYMPUS OM-2

1976年、開業して3年目に、世界初のダイレクト測光AE機である OLYMPUS OM-2 を購入した。これは、絞り優先の電子制御シャッターを装備していて、撮影がより自由に行えるようになった。顕微鏡メーカの作るズイコーレンズが作る画像はシャープで、医療用のアクセサリも充実していた。


図3.OLYMPUS OM-2 1975年発売、1976年購入


EOS 650

1987年、視力の衰えからピント合わせが苦痛になってきたので、オートフォーカス(Autofocus )のカメラとして、CANONのEOS 650を購入した。これはEOSシリーズの第1号機で、旅行やイベントの写真を専らこれで撮影した。医院職員の慰労会の写真はこのカメラで記録したが、医院引き継ぎの際、アルバム「思い出 野村医院」を作り職員に感謝の気持ちを謹呈した。

この後、デジタルカメラが普及し、私も1997年から使い始めたが、2006年まではEOS 650で撮影した写真をスキャナーでデジタル画像ファイルにしていた。


図4.CANON EOS 650 1987年発売、購入



●ポラロイド

同じ病気でも、その症状や経過に個人差が大きい場合が少なくない。これまで出版された医学図譜には、それぞれの病気の典型的な写真が1〜2枚掲載されているだけのことが多く、診療には不十分だった。

そこで、私の医院に来られた患者さんを写真に撮って、それを整理分類すれば、診療に役立つ図譜ができることを思いつき、1977年にポラロイドカメラを購入した。

ポラロイドにしたのは、撮影して十数秒後に写真をお見せして、不都合なところが写っていないことを確認していただくことができるからだ。それでも、あそこの医院に行くと写真を撮られるとの噂が広まり、来院を敬遠される患者さんが出てきた。

1977年から約5年間に亘って撮影し、その数は約800枚、疾病の種類は約50種となった。これらの写真を整理し、22冊の疾病図譜アルバムを作り、診察の際の説明によく利用してきた。これによって、同じ病気でも症状が千差万別であるとか、時間的変化、似た病気との微妙な違いなどを説明するのに役に立った。これについては開業医の小児科独習法にも載せた。

SX70


図5.ポラロイドSX70 1972年発売、1977年購入



図6.ポラロイドで撮影した疾病図譜アルバムの中身



図7.22冊の疾病図譜アルバム



3.デジタル画像

1985年にPC-9801M2を購入し、PCを始めた。説明に使う医用画像をPCで作りたいと思い、最初から画像に興味があった。


●マウスとお絵かきソフト

画像を作成するソフトとして、Z's STAFF とアートマスター400がパソコンのグラフィックソフトの双璧だったが、これらを使ってマウスで絵を描いていくことは、根気と技術のいるもので、人前に出せる絵を描くのは大変な仕事だった。そこで、私はほとんどギブアップの状態でいた。


●イメージスキャナ

GT-3000

1986年7月に、エプソンからカラーイメージスキャナーGT3000が発売された。それまでのカラーイメージスキャナは100万円以上していたので手が出なかったのが、19万8000円で発売されると知り、予約購入をした。


図8.GT3000 1996年発売、購入


入手したGT3000で作った画像は、青、赤、緑がそれぞれが1ビットの8色画像であるが、お絵かきソフトで作る画像とはまったく比較にならない優れたデジタル画像だった。実用的デジタル画像の作成は、GT3000から始まったと思っている。このことは時代先取りにも書いている。

診察机の上にパソコンを置き、GT3000で作った説明に使う医用画像をこの中に収納し、診療時に使用することを目指し、必要なハードを揃えていったが、使えるソフトはほとんど無い状態だった。日本橋にある、数多くのパソコンショップを週に1〜2回に訪れ探すのだが、どうしても見つからない。

既製のソフトがなければ、自分で作らねばならない。そこで、MS-DOSや画像の保存や表示などの独習を精力的に行った。画像に関するテキストなど皆無で、わずかの知識から、試行錯誤をくり返して、17個の画像ユーティリティソフトを作った。

そして、GT3000購入のちょうど2年後の1988年6月に、約300枚の8色医用画像を即座に表示できる「医用画像システム」を構築し終えた。その詳細はパソコン通信 Nifty Serve に「医用画像独習記」のタイトルで投稿し、このサイトにも医用画像独習記の名前で転記している。


図9.診察机上の医用画像システム

GT-4000

1988年、GT4000が発売された。GT3000が赤、緑、青それぞれ1ビット合計3ビットの8色のスキャンだったの対し、GT4000は赤、緑、青それぞれ8ビット合計24ビットの16777216色(フルカラー)対応であった。ハードは素晴らしいが、それを操作するソフトはPDS、今で言うフリーウエアしか存在しなかった。

私はパソコン通信のNifty Serve の画像関連フォーラムで、GT4000の操作ソフトやフルカラー画像、圧縮画像、動画から静止画のキャプチャなどの多くを学んだ。そのまとめを、実用画像通信BOWの98画像初心者用講座として掲載している。


図10.左はGT3000(16色)、右はGT-4000(16,777,216色) 1988年発売、購入


私が、当時パソコン通信Nifty Serveのデータライブラリに掲載した50点の画像やユーティリティ、解説などの一覧をここに掲示しておく。

Nifty Serveデータライブラリ

91/03/17 98画像初心者用講座 CG_SEMI.LZH
91/02/11 ALPHA.LZH(画像合成のための教材)
91/02/01 FONTK&V.GIF
91/02/01 FONTKID.GIF
91/01/07 PARCOTRI.GIF 三人のPARCOさん
91/01/07 PARCOSOL.GIF 一人のPARCOさん
90/12/02 FD_CFG.LZH 画像のためのFD.EXE活用法
90/11/27 不安 NPG画像
90/09/21 NEKO3C.NPG(フィルター効果その2)
90/08/17 DISEASE.GIF
90/07/22 高橋医院外観(256色カラ-GIF画像)
90/07/22 高橋医院外観(16色モノクロWCGI画像)
90/05/20 ハイパーフレームプラスユーティリティー(HFP_UTT.LZH)
90/05/20 鼓膜穿孔画像の合成(KOMAKU_T.GIF)
90/04/29 大阪近辺で医用画像に取り組む男達 NPG画像
90/04/10 反復性耳下腺炎 NPG画像
90/04/10 痛風_好発部位 NPG画像
90/01/28 喉頭鏡による256色GIF画像
90/01/15 NOMMEM.NPG
90/01/15 CLITHVM2.NPG
90/01/12 診察机上風景 NPG画像
89/12/14 CIRRHOD.GIF
89/12/08 HERPESZ.GIF(帯状疱疹)
89/12/08 CIRRHOS.GIF(肝硬変)
89/12/08 RECKLIN.GIF(レクリングハウゼン氏病)
89/11/19 オープニングタイトル 16色画像
89/11/19 画素 16色画像
89/11/19 点描法 16色画像
89/11/19 画素の拡大像 16色画像
89/11/19 VRAMとCRT 16色画像
89/11/19 メモリ・マップ 16色画像
89/11/19 青+赤+緑 16色画像
89/11/19 青 16色画像
89/11/19 赤 16色画像
89/11/19 緑 16色画像
89/11/19 アナログ・パレット
89/11/19 PC98パレット初期値
89/11/19 QLDパレット初期値
89/11/19 KID98パレット初期値
89/11/19 モノクロ16階調パレット
89/11/19 QLD8色対応パレット
89/11/19 胆石のエコー像 16色画像
89/11/19 画像ファイル変換の原理
89/11/19 画像作成トゥール
89/11/19 画像作成加工関連図
89/11/19 画像選択用メニュー
89/11/19 パレットファイル
89/07/26 画像ミニ・ユーティリティ CGUTIL.COM
89/06/25 エスケープシーケンスを使ったCOMファイ
89/06/25 エスケープシーケンスの初歩


GT-8700

2002年に、長く使ってきたGT-4000を廃棄し、GT-8700を購入した。


図11.GT-8700 2000年発売、2002年購入


F-3200

2005年、医院引き継ぎの際に職員に手渡すアルバム「思い出 野村医院」を作成するため、ネガフィルムから画像ファイルを作った。それに使ったのが、フィルムスキャナーF-3200である。これで148枚の写真をデジタル化した。


図12.F-3200 2004年発売、2005年購入


GT-X820


図13.GT-X820 2007年発売、購入


GT-X970

2012年に、プリンターを買い換えたのに合せ、スキャナも最上位機種GT-X970に買い換えた。


図14.GT-X970 2007年発売、2012年購入


GT-X980


図15.GT-X980 2014年発売、2014年購入



●フレームバッファーと画像圧縮ボード

1988年に、フルカラー(16777216色)でスキャンできるイメージスキャナGT-4000が発売され、フルカラー画像の時代に入った。当時のPCはビデオメモリの容量は256KBしかなく、フルカラー画像をPC上で表示するには、フレームバッファー(frame buffer)というビデオメモリのボードをPCに装着する必要があった。

その最初の製品は、1989年発売の HyPER-FRAME Plus で、メモリ容量768KBであった。また、フルカラー画像を処理するペイントソフトとしてHyPER彩子が発売され、いずれも購入し使用した。


図16.HyPER-FRAME Plus


フルカラー画像のサイズが膨大であることに対して、いろいろな方式の画像圧縮が試みられるようになった。1989年末に高岳製作所から「Image Engine」という圧縮ボードが発売され、1990年早々にこれを購入した。これによってフルカラー画像のサイズが20分の1から30分の1に圧縮可能になった。

このファイルは拡張子が.npg で、「NPGファイル」と呼んだ。未だ世の中にはJPGが無かった時期で、フルカラー画像をすべてNPG画像にして患者さんの説明などに使い、Niftyへもこの形式でUPした。

1991年に、カノープスから Super CVI が発表された。これは640x400画像のフルカラー動画のオーバーレイが可能で、動画から静止画をキャプチャする機能もあり、JPG圧縮の静止画像ファイルを作成することも可能だった。このビデオメモリーの容量は1.5MBだった。


図17.左:レーザーディスクプレーヤ 中央:Super CVI 右:PC-9801RX



●デジタルカメラ

1996年Windows95が普及し始めた96年ころから、デジタルカメラも次第に使われるようになった。私が最初に購入したのは、MavicaFD7 である。これは時代先取りにも記載している。

Mavica FD7

1997年8月に発売された35万画素のデジタルカメラで、10倍ズームと3.5吋型フロッピーディスクへの保存が特徴、画像は640×480ピクセルのJPEG形式であった。サイズは126.5×110.5×73.3mm、重さは720g。


図18.Mavica FD7 1997年発売、購入 35万画素


FinePix4500


図19.FinePix4500 2000年発売、購入 240万画素


IXY500


図20.IXY DIGITAL 500 2004年発売、購入 500万画素


IXY900is

1歳を過ぎてからの孫は、起きている間はじっとしていることがほとんどなく、デジカメで孫の静止画を撮るのに加えて、同じデジカメで動画撮影をするようになり、比重は動画に移っていった。このデジカメで撮影する動画は 640×480 のSDサイズであるのが不満であった。


図21.IXY900is 2006年発売、購入 710万画素 
動画:Motion JPEG、640×480/60i


DSC-TX1

16:9サイズの動画撮影ができるデジタルカメラDSC-TX1が発売されたのを期に、デジカメをCANONのIXYからSONYのサイバーショットDSC-TX1に変更した。

これで撮影した動画から、PMB(現PlayMemories)を使って静止画を切り出すと、本来の 1920×1080 の1.2倍に当たる 2304×1296 の画像が得られ、鮮明度は変わらない。これは16:9サイズだが、通常の印刷用サイズ 4:3にトリミングすると、1728×1296になる。この画素数で、2Lサイズの写真印刷に対応できる。

そのほか、カメラをスイングするだけで、最大185度の高画質なパノラマ写真を撮影できる「スイングパノラマ」機能もあり、風景画撮影に重宝する。


図22.DSC-TX1 2009年発売、購入 1020万画素 光学ズーム4倍(35-140mm静止画4:3時)
動画:1,280×720、約30fps


TX7

2010年に、AVCHDフルハイビジョン撮影のできるデジカメTX7が発売され、これに変更した。このデジカメの動画撮影機能は17Mbpsで、デジタルビデオカメラに準ずるまで向上している。


図23.TX7 2010年発売、購入 1020万画素 光学ズーム4倍(25-100mm静止画4:3時)
動画:AVCHD 17Mbps FH(1,920×1080/60i)


TX100V

2011年に発売されたTX100Vは、動画撮影機能がさらに向上し、28Mbps(1,920×1,080/60p)の高精細記録や、地デジ放送と同じフルハイビジョン24Mbps(1920×1080/60i)画質に対応するようになった。


図24.TX100V 2011年発売、購入 1620万画素 光学ズーム4倍(25-100mm静止画4:3時)
動画:AVCHD 28Mbps PS(1,920×1,080/60p) 24Mbps FX(1,920×1,080/60i)


TX300V

2012年発売のTX300Vは、TX100Vと比べると、防水、防塵、耐低温性能を備え、フロントボディを強化ガラスに覆い、インナーレンズカバーによって、レンズカバーを操作する必要がなくなり、シンプルなデザインとなった。光学ズームは5倍になり、有効画素数は1820万画素に増えている。

このカメラはは私の動画歴にも記載している。外形寸法(幅×高さ×奥行) 95.5 x 58.3 x 16.0mm のサイズ、本体重量119gはポケッタブルである。


図25.TX300V 2012年発売、購入 1820万画素 光学ズーム5倍(24-720mm静止画4:3時)
動画:AVCHD 28Mbps PS(1,920×1,080/60p) 24Mbps FX(1,920×1,080/60i) 


WX500

2015年5月発売のWX500は、レンズが本体内にあるのではなく、本体から伸縮する通常のカメラ型に変わり、光学ズームは30倍に躍進した。動画撮影が、これまでのAVCHDのほか、新しいフォーマットXAVCによる高精細な撮影ができるようになったことが大きな特徴である。バッテリーの容量も大きくなり、長時間撮影が可能になった。

外形寸法(幅×高さ×奥行) 101.6 x 58.1 x 35.5mm のサイズは、奥行が2倍になったが、まだポケッタブルである。本体重量は119gから209gになったが、こちらからもポケッタブルと言える。


図26.WX500 2015年発売、購入 1820万画素 光学ズーム30倍(26-130mm静止画4:3時)
動画:AVCHD 28Mbps PS(1,920×1,080/60p) XAVC S 60p 50M(1,920x1,080/60p)



図27.TX300VとWX500の奥行の比較 16.0mm 対 35.5mm



●カラープリンター

インクジェット・カラープリンターは、1996年にCANONのBJC-610W、2003年にEPSONのPM-G800を購入したが、使うことは少なく、1993年より、印刷は専らCANONのモノクロLASER PRINTER を使ってきた。

PM-G800


図28.PM-G800 2003年発売、購入 インクは染料系 A4 まで印刷可能


PX-G5000

2005年、医院引き継ぎの際に職員に手渡すアルバム「思い出 野村医院」を作成するため、多くの写真を原画の画質をできるだけ落とさず印刷する目的で購入した。A4版写真用紙37枚、各1枚に4写真を印刷し、アルバム1冊内の写真148枚となった。


図29.PX-G5000 2004年発売、2005年購入 インクは顔料系 A3のび まで印刷可能


PX-7V

PX-G5000の修理保証期限が過ぎたので買い換えた。これについては私の静止画処理法にも記載している。


図30.PX-7V 2011年発売、2012年購入 インクは顔料系 A3のび まで印刷可能



4.まとめ

ふりかえって見ると、大学入学の1955年から今日まで、57年間も静止画像に関わってきたことになる。自分の収入があるようになってからは、画像についても、かなり時代を先取りしてきたような気がする。それは、自分が目的とするキーワードについて、いつもアンテナを立ててきたからだろう。

それでは、自分の画像の目的は何だったのかと顧みると、最も多いのが説明用、次が記録用だった。鑑賞してもらうことを目的としたことはほとんどなく、コレクションが目的だったことはまったくない。

孫が1歳になったころから、その静止画記録は、動画からの切り出し画像が中心となったが、孫がもっと大きくなれば、また静止画撮影にもどるのかも分からない。それまで命があるのか、あったとしても、意欲が残っているのか、それは分からない。


<2012.10.28.>
<2015.6.30.>追加

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