ホーム 樹の里
散歩道 散歩道日記
生き物
鎌倉峡 百丈岩

足元の春を彩る3種の野草 2009.04.13
 桜に目を奪われていた春の散歩道だった。今朝も散り始めた桜を納めようとデジカメを持参して出かけた。土筆採りのスポットを通りかかった時、畦道に群生する土筆の姿が目に入った。思わず踏み込んで近づいた。
 遅咲きの土筆をシャッターに納めようとカメラを構えた。上からモニターを見てシャッターを切るだけが能ではないと、ふと気がついた。カメラを地面近くに寄せて土筆の真横からシャッターを切った。直後にモニターで確認した画像には、桜を借景にした生き生きした土筆の姿が見事に切り取られていた。
 桜だけでない春の風景が足元にあったのだ。そう思って歩みを進めた目に飛び込んだのは濃いピンクのレンゲの群れだった。先ほどの土筆と同じ手法でシャッターを切った。こちらも有馬川沿いの桜並木を借景に鮮やかなレンゲ草を写し取った。
 更に進むと今度は黄色と黄緑に覆われた菜の花のお出ましだ。真横のアングルでシャッターを切ったことはいうまでもない。
 足元の春を彩る野草3種の競演に、他愛もなく笑みを漏らしてしまった散歩道だった。
一本桜を訪ねる 2009.04.10
 今朝の散策にテーマを課した。地域の桜スポットでなく単独で咲き誇る一本桜を訪ねようと思った。満開の季節である。鮮やかなピンクの彩りが容易にその所在を教えてくれる。
 最初のポイントは丘陵地の斜面に立つ二本の桜だった。周辺を墓石が立つ墓地の中心に立っている。広がった枝ぶりが墓石を守る守護神の趣きをかもしている。
 次に目にしたのは広大な屋敷の庭に植えられた老木だった。屋敷前の道路を覆うように広がる見事な枝ぶりだ。何本にも枝分かれした根元の幹の驚くほどの太さが、この老木の積み重ねた年輪を告げている。
 旧街道沿いに建つ広大な旧家の瓦塀越しにも大木が枝を広げている。咲き誇るピンクが松の木の濃い緑と見事なコントラストをなしている。デジカメを構えていると、通用門が開いて、この家のご隠居らしきおじいさんが姿を現わした。見事な桜を称えると、「良かったら中へ」といざなわれる。樹齢は50年を超えているとのこと。
 旧道を歩いていると、鮮やかな水仙畑の黄色の帯とその奥のピンクの桜と焦げ茶の茅葺き屋根が見事な景色を作りだしていた。穏やかで心和む春真っ只中の風景が限りない安らぎをもたらした。
1年で最も美しい季節を歩いた 2009.04.07
 曇り空の続いた花冷えの週が空けた。温暖な気温が戻り真っ青な空が広がった。身をすくめていた桜の蕾が大きく伸びをして花弁を広げた。ようやく桜のまぶしい季節が訪れた。散歩道の風景が1年で最も美しい季節がやってきた。 
 1年前までの桜の季節は飛び飛びの休日の散歩道だった。リタイヤ生活の強みのひとつは、散歩道の風景を日々愛でられることだ。刻々と移ろう開花の様子を確かめながら、ここ数日あちこちの桜スポットをコースを変えて散策していた。
 透き通るような青空と温もりが外装を通して肌に染みとおるような陽光に包まれた今朝の散策だった。満を持して桜スポット巡りのコースを歩いた。川面に伸びた枝先には蕾や五分咲きや開き切った花弁が混在している。川沿いの満開前の桜並木は、濃茶色の枝にまぎれてピンクが沈んでいる。小川横の左右の並木が造る桜トンネルが、いやおうなく通り抜ける者の心を浮き立たせる。遊歩道の老木の堂々たる枝ぶりに止まっていた鶯が甲高い鳴き声を響かせた。
 散歩道の風景が1年で最も美しい季節を歩いた。
土筆採り 2009.03.31
 朝のウォーキングに出かける。いつもの持ち物にデジカメとビニール袋が加わる。ウォーキングを終えて目指すスポットに着いた。丘陵と丘陵に挟まれた日当たりの悪い湿地の空地である。毎年の土筆採りの経験が絶好の採集ポイントを教えてくれる。
 じめついた湿地の先の羊歯類が群生する草叢である。15cm前後の土筆が群生している様を画像に納める。親指を欠いた右手にビニール袋を持って、左手で長くて袴の少なそうな土筆を選びながら摘んでいく。年々土筆の発育が悪くなっている。かっては30cmほどの獲物さえ確保できたものだ。今は望むべくもない。30分ばかりで袋の底が5cmばかり埋められた。袴取りの煩わしさとのバランス判断が必要だ。切り上げて自宅に戻った。
 昼食後、新聞紙を広げて袴取り作業を開始する。去年から左手中心の作業になった。作業効率の低下は拭い難い。ビールの肴の旨さを想ってひたすら励む。1時間ばかりをかけてようやく終了。アテになる運命を待つばかりの裸の土筆が束になってボールに入れられた。
 いつもは油炒めが定番料理だった。先日知人宅を訪問した際、柳川風の調理の旨さを教えられた。夕方、買物から帰ってきた家内に調理を依頼する。主婦暦40年のキャリアは伊達ではなかった。あっという間に土筆とお揚げを卵でとじた柳川風と油炒めがテーブルに並んだ。土筆料理二品を肴にことのほか旨いビールを味わったのは言うまでもない。
ヒバリ・・・春を告げる鳥 2009.03.27
 私の朝の散歩道には桜並木が多い。この時期には桜の蕾が千変万化の趣きを見せている。地形や日当たりや品種によって、芽や緑の膨らみやピンクの蕾などが歩みに沿って様々に登場する。そんな時、有馬川沿いの日当たりの良い土手に濃いピンクの五分咲きの桜を目にした。青空に浮ぶその鮮やかな早咲きのピンクが春を告げていた。
 有馬川沿いの遊歩道を抜けて田園地帯に入った。心和む田圃の風景が広がっている。鶯の鋭い鳴き声とともにヒバリ(雲雀)の穏やかな鳴き声が聞こえて来る。ピユピュイピーユ・・・ピユピュイピーユ・・・。子供の頃の風景を思い出した。青空の彼方でさえずっていた雲雀が、まっしぐらに田圃の畦に降り立った。雛に餌をやるためだ。雛を見つけるのが私たちの遊びだった。雲雀が降り立った所に雛はいない。悪童たちから雛を守るために親鳥はそこからせっせと歩いて巣に辿り着くのだ。いつも私たちは雛鳥を見つけられなかった。ヒバリは春を告げる鳥だという。
 散歩道の終点近くの石材屋さんに辿り着く。黒やぎハッチャンが縄張りの斜面でうずくまって日向ぼっこをしていた。訪れたらしい春を体中に浴びていた。
春の足音 2009.03.05
 朝のウォーキングに出かけた。久々の晴天だった。穏やかな日差しが心地よく全身を包んでくれる。ただそれだけで心浮き立つものがある。リタイヤ生活の贅沢を感じる時である。毎日の散策が、天候や気温や季節の変化を肌で感じさせてくれる。
 住宅街を抜ける坂道沿いに桜並木が続いている。冬の寒さを丸裸で過ごしてきた樹々に小さな変化が生まれようとしている。枝先のあちこちにチッチャな桜の芽がついている。濃いピンクの固そうな芽が柔らかな日差しの中で命を灯そうとしていた。
 春の足音が近づいている。
古民家の葬送 2009.02.26
 4日前のブログで散歩道で見かけた農家の古い母屋の改築工事を記事にした。しばらく散歩の機会がなかったが、今日久々に同じコースを歩いた。
 農免道路の先にくだんの農家が見えてきた。その背後からは白い煙が一筋流れている。解体工事の進展とともに吐き出された廃棄物が燃やされているようだ。農家の前の道に来た。目にしたのは崩れゆく古民家の無残な姿だった。庭先にはショベルカーで掻き出された無数の木材や竹材が積上げられている。屋根を葺いていた萱が軒先から崩れ落ちそうだ。屋根と壁だけになった母屋の暗い空洞がパックリと口を開けている。古民家に住み着いて生きながらえてきた魔物が断末魔の呻き声をあげているかのようだ。 「おくりびと」とていない古民家の葬送を想った。
晴れのち曇りの散歩道 2009.02.22
  田園地帯の民家の前の農道に来た時だ。庭先の二本の梅につけている紅白の蕾が目に入った。霜に覆われた真冬の風景に浮んだ鮮やかな紅白に心が踊った。明日からの散策に、日一日とふくらみを増す筈の蕾の移ろいを眺める楽しさが加わった。
 農道を真っ直ぐ進んだ行く手に母屋を中心に別棟、蔵、作業棟が囲む昔ながらの造りの農家がある。その農家の趣きがいつもと違う。銅版葺きだった筈の母屋の屋根が茅葺屋根に変り、庭先には不似合いな黄色いショベルカーが停車している。近くで見ると母屋の改築工事だった。メンテナンス困難な茅葺屋根を覆っていた銅版が取り払われ、内装壁も一部取り払われている。昔ながらの構えだった母屋が恐らく現代様式の建物に変るのだろう。またひとつ風情ある風景が失われるのか。
 華やいだ紅白の梅の蕾の後目にした民家の無粋な改築工事中の景色だった。澄み切った青空は、いつの間にかどんよりした灰色に塗りつぶされていた。変わり身の早い冬の天気が浮き立つ気分を萎えさせる。晴れのち曇りの散歩道を折り返した。
黒山羊ハッチャンとゴミ回収車 2009.02.12
朝のいつものウォーキングコースの途中だった。黒山羊ハッチャンのいる石材屋さん脇の道にさしかかった。前の道をゴミ回収車が通り過ぎ、石材屋入口横のゴミステーションに向った。その時だった。広い草むらの中央で悠然と草を食んでいたハッチャンが猛然と走り出した。見たこともないスピードだ。そして金網の塀に飛びついてつま先立ちをした。あっけにとられながら何事かと近づいた。 
 30歳前後の回収車のドライバーが塀の前に立ってポケットから取り出した市販のサンドイッチのラップを剥いていた。塀の上に前足をのせて立っているハッチャンの傍にサンドイッチが投げ込まれる。ハッチャンは塀から降りて夢中で食べ始める。ゴミ回収の定期コースでの1場面である。恐らくコンビニでのゴミ回収を済ませた後のこのスポットなのだろう。ハッチャンの迷いのない本能的な振る舞いが、長年にわたる習慣化されたシーンであることを告げていた。ハッチャンのドライバーに寄せる信頼感を物語っていた。
 私と目が合ったドライバーが、はにかんだかのように口元を歪めた。いたずらを見つけられた幼児のような笑顔だった。過酷な仕事の合間に見つけた彼の癒しのひと時を一緒に愉しんだ。
雪化粧の散歩道 2009.01.26
 朝6時過ぎ、起床して雨戸を開けた。飛び込んできたのは一面の雪景色だった。ぼたん雪がゆっくりと舞い降りている。庭の芝生がどんどん白さを加えていく。
 8時前、雪は小降りになったとは言えまだ降っている。少しためらったがヤッパリ朝の散歩に出かけることにした。年に何度もない雪景色である。この貴重な景色の中のわくわくする散歩を見逃す手はない。住宅街を抜ける坂道にきた。足跡もタイヤ跡もない純白の舗装路の白さがまぶしい。パキパキと雪を踏みしめる靴音が響く。遊歩道の畦道では土の柔らかさが靴音を微妙にアレンジする。靴の圧力に反発するかのようにグリグリッと雪が呻いている。
 ぼたん雪が激しく厚手のダウンジャケットに降り注いだかと思えば、すぐにやむ。再び粉雪がしとしと注がれる。目まぐるしく移ろう冬の天気の気まぐれすらも愉しい。遊歩道を抜ける竹林の小道に来た。小道の先に見えたのはすっぽり雪で覆われた美しい田園風景だった。
 ひとりほくそえみながら貴重な雪化粧の散歩道を踏みしめ続けた。リタイヤ生活のもたらす贅沢に感謝した。
裏六甲冬景色 2009.01.12
 ねずみ色の澱んだ曇り空が真冬の寒々とした風景を際立たせていた。有馬川沿いの遊歩道を歩いていた時だった。右手の田圃に見慣れぬ造形物が忽然と現われた。幾重にも束ねた笹竹の束が周囲を青竹で支えられて立っていた。何かの神事にまつわる行事の準備なのだろうか。子供の頃の記憶に残る故郷の「どんど焼き」にも似ている。折りしも正月開けの時期である。どんど焼きなら小正月の15日に燃やされるのだろう。
 稲荷神社を折り返して再び有馬川沿いの土手にやってきた。水枯れの有馬川の正面に裏六甲の山並みが横たわっていた。先週末から本格的な寒波が襲っていた。積雪が六甲の山並をおしろいを塗ったように化粧を施こしていた。
朝霧の散歩道 2008.11.17
 早朝6時10分過ぎに家を出た。日の出前の薄闇の中で周囲の景色がぼんやり霞んでいる。朝霧の季節なのだ。朝の冷え込みが厳しい季節となった。日中の気温が高くなるのだろうか。寒暖の差が大きくなる時、朝霧を招く。
 有馬川の遊歩道に出ると川面をゆらゆらと漂う霧が目に入る。ふと顔の髭に手を触れてみる。髭にまとわりついた朝霧が指先を濡らす。髪の毛にはない髭の湿り気の不思議さを想う。 
 遊歩道から隣町の田園地帯に入ると朝霧は一層深く立ち込めていた。50m先の景色が見えない。真っ白なとばりが、上半分の景色を覆っていた。
 早朝ウォーキングの朝霧の散歩道を愉しんだ。
深秋の散歩道 2008.11.04
 下着にポロシャツ、更にウインドブレーカーを着込んでの早朝ウォーキングの季節になった。住宅街から抜ける坂道の桜並木が赤く染まっている。歩道の両脇を茶色い落ち葉が縁取り、カサカサと鳴いている。道路脇の貸し農園の縁に植えられたこの地方の特産の黒豆が、鞘に太った豆を宿している。晩酌のあてを連想させる枝ぶりに心和ませられる。その隣りには赤の小紋をつけた黄色い小菊が咲き誇る。有馬川遊歩道に出ると、冬を待ちかねて来訪した鴨たちが川面を回遊している。深秋の散歩道である。
曼珠沙華(まんじゅしゃげ) 2008.09.26
有馬川の土手を、爽やかな微風が通り抜けていた。堤の斜面のあちこちが真っ赤な斑点で染められている。彼岸花が咲き誇っていた。
 小津安二郎監督の名画に「彼岸花」がある。この作品のもつおだやかで上品なイメージはこの野花の名前に似合わない。幼い頃、郷里では、この花は「てくされ」と呼ばれていた。触ると手が腐るという、いわれのないに汚名を着せられていた花だった。
 「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」という呼び方もある。私たちの年代で曼珠沙華と聞けば真っ先に思い浮べる歌がある。『赤い花なら曼珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る 濡れて泣いてるじゃがたらお春・・・・・』。この花の持つ毒々しさにはほど遠い哀しくて切ない歌だった。
 それにしても、この花がもたらす季節感は、その強烈な存在感ゆえに圧倒的だ。その朱色のかたまりを田んぼのあぜ道のあちこちで目にした時、なぜか安らぎを覚えてしまう。
いわし雲 2008.09.17
 その景色は見事に秋を伝えていた。透き通るような青空の可能な限りの上空に無数の小さな綿雲がばら撒かれていた。山影の向こうの朝日はもう顔を出したのだろうか。山の頂きから日の出のダイダイ色がまぶしく輝いていた。綿雲に当たる光の強弱がこちらに向って美しいグラデーションを描いていた。
 6時前の住宅街を抜ける坂道にさしかかった時に目にした風景だった。早朝ウォーキングのスタートが、遅くなる日の出の時刻とともに遅くなっていた。その美しさと強烈な季節感が足を止め、携帯内臓カメラを起動させていた。現役時代には味わうことのなかった筈の、幸せな老後の実感を噛みしめるひと時だった。
由緒ある二基の石灯籠 2008.09.13
 散歩道のいつものコースの折り返し点辺りに古びた村の鎮守がある。神戸市北区道場町の平田稲荷神社である。鳥居前の参道の左右に二基の石灯籠が据えられている。いずれも苔むした古色蒼然たるたたずまいである。
 ふと気がついて石灯籠の台を仔細に眺めた。なにやら文字が刻まれている。前の灯篭には「寛政十年」の文字が、後の灯篭には「文化九年」の文字が判別できた。石灯籠を建立した年号に違いない。
 それぞれの年号がいつの時代なのか。帰宅してすぐに調べてみた。「寛政十年」は1798年だった。同様に「文化九年」は1812年と判明した。今から200年ほど昔の建立だった。
 いつも目にしていたモニュメントは、思いがけない古い由緒あるものだった。
秋色漂う散歩道 2008.09.11
 夏場の早朝ウォーキングの定番ユニフォームだったハーフパンツを今日からは普通の長ズボンに穿き替えた。早朝の心地よい冷気がいつの間にか肌寒さに取って代わっていたから。流れる汗をぬぐっていたタオルは小さな汗拭きが代替している。季節は確実に巡っている。
 散歩道で目にしていた稲田の実りが、あるところでは既に刈入れを終えていた。つい先日、小さな粒子をまとった稲穂が、頭を垂れてたわわに実っている姿に驚いたばかりなのに・・・。刈り取られた稲が昔ながらの竹竿に吊るされて稲干しされていた。郷愁を誘う癒される風景だ。さらに歩を進めると、稲田を囲む畦道にコスモスが咲いていた。稲穂の黄金色を背景に咲く秋桜の淡いピンクは、秋の色そのものだった。
路傍の花 2008.08.30
 有馬川遊歩道から畦道を通り、水田地帯に抜ける直前に蓮沼がある。かすかな霧雨模様の中を通りかかった。蓮沼に見事な一輪の蓮の花が咲き誇っていた。ピンクと白のグラデーションで包まれた上品な大輪だった。ここ二三日の梅雨とみまがう雨模様が一気に咲かせたのだろうか。
 リタイヤ後の毎日の早朝ウォーキングが続いている。継続を可能にしているモチベーションのひとつに、季節の移ろいとともに目にする路傍の花々がある。お盆前には畑の畦道に実をつけたほおずきの鮮やかなだいだいに癒された。先日は農家の庭先の百合に似た花が目にとまった。ひっそりと佇む薄ピンクの数本の花弁に心和まされた。  
散歩道の珍客 2008.08.25
 有馬川遊歩道から水田地帯に抜ける畦道にさしかかった。突然10mほど先に蠢く二匹の黒っぽい生き物が目に入った。特徴のある鼻先は紛れもなく猪だ。体長50cmほどの子供のようだ。と見る間に一匹が右手の水路を超えて草むらに消えた。もう一匹はじっとこちらを見つめている。足を止めて携帯電話を取り出した。カメラボタンを押して構えた途端、くるりと身を翻してアッという間に走り去った。記録される筈の珍しい画像がスルリと逃げた。
 30分遅れのウォーキングがもたらした珍客との遭遇だったのだろうか。自分の住む街は大阪近郊のベッドタウンという気分が少なからずあった。ところがこの珍客との遭遇は、一歩踏み出せば猪の生息するとんでもない田舎だったことをあらためて思い知らされた。その事に気づいた時、なぜか愉しい気分に包まれた。
忍び寄る秋風 2008.08.23
 早朝5時半、玄関ドアから出た体を外気が包んだ。いつもの早朝の爽やかな冷気とは異質の肌寒さが感じられる。かしましかった蝉の鳴き声が影をひそめ、路上になきがらを目にすることもある。代わってあちこちからコオロギの間延びした鳴き声が合唱となって一際大きく聴こえてくる。小山の頂きから昇る朝日の時刻がいつのまにか遅くなっている。二週間ばかり前に見た水田の小さな粒子をまとった稲穂が、今をもう頭を垂れるまでにたわわに実っている。農家の庭先に植えられた小菊の黄色が目に鮮やかだ。帰り着いた自宅の門扉横の壁に鈴虫が一匹へばりついていた。
 季節の移ろいをいち早く教えてくれる早朝ウォーキングである。忍び寄る秋風をいやおうなく肌身に感じた今日の散歩道だった。
 北京五輪野球で期待の星野ジャパンが散った。互角以上の対戦相手には一矢も報いることなく敗退した。惨敗だった。ギラギラした真夏のイメージの闘将・星野のキャラに較べ、逆境を跳ね返して結果を出した女子ソフトの斉藤監督の控え目で沈着なキャラが際立った。 敗将・星野に秋風が忍び寄る?
川面に映る逆さ虹 2008.08.14
 ブログの効用は、ありふれた日常生活にひそんでいる「ちょっとした感動」や「心に宿るふとした想い」などを気軽に記せることだと思う。毎日更新を意識すれば、自ずと「感動」や「想い」をキャッチする問題意識も研ぎ澄まされることになる。
 今日も早朝ウォーキングでのちょっとした「感動」ネタである。 自宅を出て住宅街を抜ける坂道から農道に入った所だった。正面のどんよりとした雲り空に色鮮やかな虹がかかっていた。朝一番の自然の贈り物にチョッピリいい気分に浸りながら先に進んだ。有馬川沿いの遊歩道から眺める虹も格別だった。有馬川に目を移した。ナント川面にも虹が見事に映えている。「湖面の逆さ富士」ならぬ「川面の逆さ虹」だった。遊歩道が途切れる頃、いつの間にか虹は消えていた。私の携帯内臓ディスクには束の間の虹のちょっとした感動がキャッチされていた。
光のマジック 2008.08.07
 いつもより遅めの早朝ウォーキングだった。有馬川遊歩道沿いに続いている竹やぶが農道で途切れた地点にやってきた。それは突然飛び込んできた。
 まばゆいばかりの光のシャワーだった。竹やぶの織りなす微妙な間隙を縫って黄色い光が無数の鋭い斜線となって地面を貫いていた。スタートの遅れが、いつもは目にすることのないこの地点での日の出との邂逅を招いたのだろうか。昇り始めた真夏の太陽の放つ清冽で若々しい光線が竹やぶの小道を舞台に光のマジックを描いて見せたのだ。その幻想的で感動的な光景を夢中で携帯内臓のデジカメで切り取った。
水田の稲穂 2008.08.03
 日曜の早朝のウォーキングだった。神戸市北区道場町の水田に囲まれたのお気に入りの農道にさしかかった。ふと50cmばかりに伸びた水田の苗が目に入った。よく見ると苗葉に包まれるように小さな米の粒子をまとった黄色い稲穂が交じっている。つい先日、水田の田植えがあったばかりのような気がしていた。まだ8月に入ったばかりである。
 稲の成長力に驚きながら、季節の移ろいの早さを肌で感じた。
早起きの至福のひと時 2008.07.26
 5時過ぎのいつもより早い早朝ウォーキングである。日の出前の心地よい冷気が身を包む。多くの人が眠りの中にあるこの時間帯は、猛暑の一日の最も気持ちの良い時間帯でもある。
 そんな浮き立つような気分がいつものコースを延長させた。道場町平田の水田を貫く農道の左折地点を北に直進した。山麓が途切れていつもは見ることのない三田の山並みが見えてきた。
 右端に丸みを帯びた独特の山頂をもった鏑射(かぶらい)山がある。そのすぐ左に富士の名に恥じない形状をとどめている有馬富士が見える。日の出前の朝もやに包まれた山並みを背景に道場町塩田の集落がある。茅葺屋根もあるその素朴なたたずまいと背景の美しい山並みが一服の山水画にも似た絶好のビユーポイントを造り出している。この時間帯のこの地点でしか味わえない安らぎに包まれた。
村の鎮守 2008.07.25
 早朝ウォーキングでお気に入りの風景がある。水田を囲む丘陵地の麓に建つ古い社とその周辺の佇まいである。参道先の朱の鳥居と苔むした石灯籠。参道脇の半鐘のない火の見櫓と村の集会所。この郷愁を誘う風景に歩みを止めて見入ることがある。
 鳥居に掲げられた扁額には平田稲荷神社の揮毫が読める。かっての丹波街道沿いの宿駅のひとつだった道場町平田村の鎮守に違いない。幼い頃の郷里の「お宮さん」を思い起こさせる風景である。
田園コースの散歩道 2008.07.18
 早朝ウォーキングでは、時に思い切ってコースを 変えてみることで思いがけない風景に出会えることがある。
 有馬川沿いの遊歩道を北に突き当たった所に東に抜ける竹やぶに囲まれた小道がある。竹やぶを抜けた途端、みずみずしい田園風景が目に飛び込んでくる。人ひとりがどうにか歩ける畦道をゆっくり進む。雑草に含まれた朝露がウォーキングシューズをみるまに濡らしていく。
 畦道を抜け北に向う舗装された農道を進む。ここはもう隣町の神戸市北区道場町平田である。東に折れ平田稲荷神社の参道を兼ねた道を進む。鳥居前の左右の苔むした石灯籠がこの神社の積み重ねた歴史を物語る。いかにも村の鎮守といった風情が郷愁を誘う。軽く手を合わせ鳥居の前の道を北に進む。
 数戸の集落の間を抜けて農道を西に向う。かっては宿駅だった平田の村の中心部の集落を右手に見ながら南に折り返す。水田のど真中を透明なまだ冷気を残した空気に包まれて歩を進める。集落の外れの昔ながらの造りの旧家の横を通る。庭先に丹精込めた花々が植えられている。手入れ途中の同年輩のあるじとしばしば顔を合わせる。いつとはなく挨拶を交わすようになった。滲んでくる心地よい汗を拭いながら、至福の時を感じたりする。
哀しさとの遭遇 2008.07.13
 住宅街を抜け農道に入ってすぐの所だった。路上になにやら黒っぽい物が見える。近づいてみて小動物のむくろだと知らされた。四肢をつっぱらせて横たわっている。野ネズミのように思えたがよく見るとモグラだった。鋭い爪を帯びた前足が自らの正体を告げている。携帯に亡骸を収めて手を合わせた。先日の青大将の反省が甦った。農道とはいえ農作業に向う車の往来が頻繁である。放置すれば遺体は無残な姿になることが目に見えている。片手でそっとむくろを道の端に寄せておいた。
 散歩道は生き物たちとの出合いとともに、哀しみとの遭遇の場であることを思い知らされた。
さくらんぼうが逝った 2008.06.29
 2週間ほど前のブログで散歩道の桜並木で見つけた育ち始めたさくらんぼのけなげさにふれた(左画像)。以来、時々深緑の葉っぱの間を眺めるようになった。小さな粒がより赤味を増して大きく育っている筈だった。ところが一向にそうした気配がない。今日、注意してそばに近寄って見つめてみた。
 黒ずんで生気を失った小さな粒がかろうじて茎に繋がっていた(右画像)。近くの枝にも同じような粒が散見される。路傍のさくらんぼたちが生き延びるには所詮無理な環境だったのか。自然の摂理とはいえ束の間の生を終えたさくらんぼたちの哀しさを想った。
焼肉・小倉優子の不思議 2008.06.23
 ウォーキングコースの国道沿いに何度も開店しては潰れる飲食店向けの空き店舗がある。最近になって看板だけがやたら目に付く店が忽然とオープンした。看板の店名を見て驚いた。「焼肉・小倉優子」と大書されている。ご丁寧に看板には自称ユーコリンの笑顔の顔写真がプリントされ入店客を見下している。
 ついこの間まで「韓のおしり」という名前の韓国風鉄板鍋のチェーン店が営業していた。名前はイマイチだがそれなりに特色のある店だったように思う。それでも1年ももたずに閉店に追い込まれた。そんないわくつきの店舗で有名タレントの名前だけをウリにしたかのような店が成り立つとは思えない。
 個人的にも小倉優子のキャラは後免だ。好みの番組である「サンマのからくりテレビ」のレギュラーである。甘ったるい口調で生意気なトークを撒き散らしているとしか思えない。それでいて商売っ気だけがやたらと目につく。事務所が指示したキャラかもしれないが、やっぱりイヤだ。
 この焼肉店も彼女の商売っ気が鼻につく。この店はいつまで持つのだろうか。長くはあるまい。イヤ、これまでむなしく散っていった先陣たちのためにも続いてほしくない。なぜか大人気ないオヤジのたわ言である。
散歩道のさくらんぼう 2008.06.16
 散歩道の桜並木を歩いていた。すがすがしい葉桜がいつの間にか深緑の葉っぱに覆われていた。
 生い茂る葉っぱの中の赤い小さな点が目に留まった。じっと見つめてようやくその正体を知った。さくらんぼだった。摘み取られたさくらんぼしか見たことがない。さくらんぼとは言えないような小さな野性の粒が、健気に生きようとしていた。ちょっとした感動だった。
続・青大将 2008.05.24
 朝6時過ぎに自宅を後にした。浮き立つような昨日の天気とは打って変わった曇天である。今にも泣き出しそうな鉛色の空の不気味さが、昨日の青大将の死体の不気味さを連想させた。住宅街を抜ける坂道の先に田圃が広がっている。昨日まで水を張っただけだった水田は、今日は縦横に並んだ苗がそよいでいる。降り出しそうな天の恵みを、待ち受けているかのようだ。曇天の裏表に思い至った。
 有馬川沿いの遊歩道に出た。青大将の死体が横たわっている筈の場所が近づいた。ない。どこにも死体はない。向こうから毎日のように顔を合わせるおじいさんがやってきた。いつものように挨拶を交わした後、思いついて尋ねてみた。「昨日この辺に蛇の死体があったでしょう?どうなったんでしょネ」。とつとつとした口調で返された。「あ〜、あれは私が川に捨てました。散歩する人が気味が悪いでしょう。可哀想だったけど・・・」「それはありがとうございました。まだそのままだったら私が片付けなければと思っていたものですから」。
 私よりひとまわり以上年配のおじいさんである。いつも青いジャージの上下を着て黙々とウォーキングに励む姿が生真面目なキャラクターを物語っていた。そのおじいさんが、私がその場で決断できなかったことをこともなげにやってのけている。一件落着したものの、なぜか一抹の悔いを感じさせた結末だった。
青大将 2008.05.23
 早朝ウォーキング途中の出来事である。雲ひとつない初夏の爽やかな朝だった。有馬川沿いの遊歩道を、微風の漂う澄み切った透明な空気を満喫しながら歩いていた。1日の内でも最も癒される気持ちの良いひと時である。
 その時だった。前方の道の真中に黒い紐のようなものが目に入った。近づくにつれ正体が明らかになった。ナント全長1m近くはありそうな青大将が身をくねらせて横たわっていたのだ。癒しのひと時は瞬時に吹き飛び緊張感で体が固まる。私の接近にすばやく身を隠す筈の蛇は、不敵にもじっとしたままである。足を止め身構えながら凝視した。口の周りが血に染まり、皮膚はわずかながら乾燥しているかのように見える。死に絶えた青大将の姿に、不気味さと安堵と哀しさが身を包む。ざわついた気分を抑えて、道の端を踏みしめ遠ざかった。 
 快適な安らぎの空間を掻き乱したこの物体と、当分の間、毎朝対面することになるのだろうか。そんな不安がよぎった。青大将の死体との対面回避と引換えにこのルートを変更するには、この散歩道は快適すぎる。誰かが片付けてくれるに違いないという根拠のない期待もある。誰も片付けなかったら、結局自分でやるしかないのか。様々な空想が錯綜する。  明日のブログ「続・青大将」には、どんなコメントが書けるのだろうか。
節分の朝の雪景色 2008.02.03
 休日の節分の日の朝だった。家族は尚、寝静まっている朝7時、雨戸を開けると真っ白な雪景色が飛び込んできた。みぞれ混じりのぼたん雪がまばらに降っている。
 9時過ぎダウンのジャンパーを着込んで自宅を出る。ポケットに突っ込んだ手には愛用のデジカメが握られている。最近は年に幾度とない雪景色である。住宅街やら周辺地域の雪模様を記録しておこうと思った。
 自宅周辺の数センチほどに積もった雪道には車のわだち状にえぐられたラインが描かれている。通行の多いバス通りは水になった雪が路面を濡らしている。住宅街の高台にある公園に入る。靴跡のない純白の並木道を踏みしめながら歩を進める。厚底のウォーキングシューズが生み出すシャリシャリという靴音が心地よい。枝に積もっていた雪が突然頭から降り注いだ。それさえも童心を思い起こさせる楽しい出来事になってしまう。住宅街の庭先では幼子達が雪遊びに興じている。穏やかな真冬の朝の散歩を存分に愉しんだ。 
 夕方、妻と最寄のスーパーに出かけた。夕食の巻き寿司の材料の調達である。真冬には雪景色を愉しみ、節分には巻き寿司を味わう。季節の移ろいに応じて季節を感じられる幸せに感謝しよう。
散歩道で行き交う人々 2006.10.19
平日の早朝にもかかわらず、多くの人たちと行きかう。ずっと以前から見かけているウォーキングおばさんが、両腕をふりながら早足で近づいてきた。いつの頃からか目礼を交わし合うのが暗黙の了解となっている。
 愛犬との散歩を楽しんでいるかのような老夫婦が、柴犬を挟んでゆっくりとした足取りでやってきた。「おはようございます」と声をかけると、恐縮したようなトーンの笑顔の挨拶が各々から発せられた。
 揃いのスポーツウェアに身を包んだ、いかにも仲良しコンビといった中年のおばさん二人組みが、ウォーキングとおしゃべりの両方に夢中になりながらやってきた。私の朝の挨拶に少し慌てた口調で返事が返ってきた。
  背広姿の出勤途上の若者が足早にやってきた。私の挨拶に、思いがけないことに出くわしたかのような驚きの表情を浮べ、それでも「アッ!おはようございますッ」と元気な声を返してくれた。好青年である。
 散歩道で行き交う人々との様々な交わりがあった。楽しい1日の始まりだった。
彼岸花 2006.10.01
 有馬川の川沿いの土手を、爽やかな微風が通り抜けていた。堤の斜面のあちこちが真っ赤な斑点で染められている。彼岸花が咲き誇っていた。
 小津安二郎監督の名画のタイトルにもなった彼岸花という上品な名前は、この野花には似合わない。私の幼い頃は、「てくされ」と呼ばれ、触ると手が腐るというおどろおどろしい印象があったものだ。
 この花ほど多くの名前を持つ花も珍しい。「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」というのも代表的な呼び名のひとつだ。私たちの年代で曼珠沙華と聞けば真っ先に思い浮べる歌がある。『赤い花なら曼珠沙華 オランダ屋敷に雨が降る 濡れて泣いてるじゃがたらお春・・・・・』 この花の持つ毒々しさにはほど遠い悲しくて切ない歌だった。
 とはいえ、この花がもたらす季節感は、その強烈な存在感ゆえに圧倒的だ。その朱色のかたまりを田んぼのあぜ道のあちこちで目にした時、なぜか安らぎを覚えるのも否定できない。
 半月ばかりのブランクの後の散歩道で、咲き誇る彼岸花が、夏から秋への季節の移ろいを告げていた。
梅雨時の有馬川 2006.07.23
 雨脚の途絶えた今日の早朝、久々にいつものコースを歩いた。ここ数日の雨量が、有馬川の水嵩を一気に押し上げていた。川床に造られた堰が、かってみたことのないような滝の様相を見せていた。
 出掛けに見たテレビのニュース報道は、九州南部の集中豪雨の被害のありさまを緊迫した口調で伝えていた。河川の氾濫が人々の日常生活を根底から揺さぶっている。つい2週間ばかり前に雨の鹿児島を旅したばかりである。市内を流れていた河川の風景が思い起こされる。
 明けない梅雨空の下で、目前の有馬川の、生活を脅かすまでには至らないちょっとした暴れぶりをほほえましく眺めたものだ。
 公智神社の3本足の白猫は、お百度石の根元で惰眠を貪っていた。石材屋の黒ヤギはっちゃんは、敷地の真ん中で長雨ですっかり伸び切った野草の朝食に夢中だった。洪水のない有馬川周辺では、今日も穏やかなそれぞれの生活が営まれている。
黒ヤギはっちゃん 2006.06.25
 早朝ウォーキングのいつものコースの終着点近くの天上橋のたもとに石材屋さんがある。ゆったりした敷地の半分程が小川で区切られている。手前の歩道側の草むらにはこの辺りでは珍しい黒ヤギが飼育されている。金網の塀には、飼主の手書きの看板が掛かっている。「名前:くろやぎのはっちゃん、生年月日:平成12年9月12日デス、出生地:三田市の青野ダム近くデス、好物:にんじん、さつまいも、だいこん。紙やナイロンはあげないで下さい。みんなでかわいがってね」
 1時間近くのウオーキングの果てに登場する黒ヤギのはっちゃんの姿が、私を癒してくれる。いつも遠くにいるはっちゃんが、今日は珍しく、歩道側の金網にまとわる草を食んでいた。内側から食べられる草を食べ尽くし、しきりと首を傾け、網の目から舌で外の草を食べようとしている。近寄って金網から指を差入れ鼻筋を撫でても、臆することなく草を食べようとする動作は止めない。はっちゃんが取れそうにない草を引き抜いて口元に持っていく。ときおり見つめる眼差しが限りなく優しい。
 先日の公智神社の3本足の白猫と黒ヤギのはっちゃんと・・・。散歩道で出会った2匹の動物の境遇の違いを想った。どちらが幸せなのか答は持ち合わせない。
公智神社の白い野良猫 2006.06.22
 有馬川沿いの遊歩道から西川沿いの農道を折り返すいつものコースである。
 公智神社前にさしかかった時だった。悲しげな猫の鳴き声が聞こえる。そういえば、境内に住み着いているらしい野良猫を以前にも見かけた。前足の一本が折れ曲がり3本足のように見える白猫だった。気になって、境内を覗き込んだ。背中を丸めてうずくまっていた猫が、私の気配に気づいて頭をもたげた。絵になると思った。デジカメを構えた時だった。くだんの白猫が不自由な3本足で向ってきた。逃げることはあっても向ってくるとは・・・。この意表突いた行動に一瞬狼狽させられる。
 傷つき障害を負った野良猫の気持ちを想った。公智神社は由緒ある社である。訪れる人も少なくない。訪れる人が野良猫を見かけたとしても、境内では乱暴狼藉には及ぶまい。障害を哀れんで何がしの餌を与えるかもしれない。彼は、この境内に住み着いて以降の数々の経験から、生き抜くための智恵を身につけたようだ。向ってきた野良猫の目の強さに、哀れみでなく威厳を見た。