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@アクセス道の古民家  Aアクセス道の畦道 
   
B橋脚  C橋脚と橋台 
   
D廃線跡  E廃線跡のバイパス工事 
 
【橋脚跡とバイパス工事の現地の現状】 2009年4月下旬、旧国鉄有馬線の 中野の橋脚跡がバイパス工事で取壊されるという情報を耳にした。初めて現地を訪れて以来2年が経過している。5月16日に再訪した。南側の橋脚には緑の蔦が上部を覆い、北の橋脚は半ば熊笹に埋まっている。前回訪れた時と較べると自然の中に埋もれつつあるかに見える。
 軌道跡に沿って北に向った。工事用のフェンスの先に舗装された真新しい道路が延びている。ところがフェンス右手の舗装路の先端は、コンクリート加工された山肌が行く手を遮断している。確か2年前に山口方面から来た時も同じ状態だった。明らかにバイパス工事は永くストップしたまま進捗していないかに見える。
 この中野の橋脚跡は、旧国鉄有馬線の現存する遺構としては最大の史跡であり、山口町内の唯一のものである。西宮市の郷土資料館発行の「新西宮歴史散歩」という冊子にも 「近代化遺産」としてマッピングされている。子供たちが郷土の文化遺産を学ぶ上でもかけがえのない史跡ではないか。
 問題はこうした事実がごく限られた人しか知らないままに、取壊し等の決定が下され、取り返しのつかない事態を生み出すことではないか。遅まきながら存続に向けて、このサイトやブログを通じてアナウンスしてみようと思う。
【その後の経過@】
 その後地元選出の市会議員の2009年9月初旬発行の市政報告を目にした。この問題についての議員の市議会での質問と答弁が記されていた。有馬温泉と山口間のこのバイパス工事の目的を始めて知った。中野住民の生活道路でもある有馬街道が、週末夕刻ともなれば有馬温泉観光客で麻痺状態になっており、渋滞解消のための工事だとのことだ。市側の答弁では「都市景観形成建築物指定や近代化遺産登録文化財指定の評価は困難」「橋脚保存は用地買収増加や勾配変更の難しさで困難」「地域要望として何らかの対策を県に要請する」とのことだ。工事そのものの意義は理解できるものの、橋脚保存の市の姿勢の消極さは気になるところだ。
【その後の経過A】
 
地元の山口・船坂青愛協がこの問題に取り組んでいる。2010年6月発行の青愛協ニュースを目にした。会長の以下のような経過報告が掲載されていた(以下ニュースの概要)。「青愛協から県に対し現地保存を前提としたルート変更や設計変更の提案をした。これに対し県からは工事の進捗状況から提案は困難であるとの回答があり、その上で橋脚の移設案が提示された。ただ橋脚全体の移設は困難で輪切りにして高さを低くし移設先を小さな公園にして保存するという内容だ。5月に再提案があり、橋脚内部の構造が不明で移設可能部分の特定や、移設先の公園位置も未定とのこと。具体化には程遠い提案であり尚協議を重ねたい」とのことだ。