プロローグ  オヤジの挑戦”海外個人旅行ネット計画”
■今年4月、娘のカナダ語学留学を前にしてイタリア家族旅行を敢行した。ほとんど個人旅行と言っていいツアー計画の万端はインターネットを駆使して娘が整えてくれた。その後、娘は無事トロントに旅立った。夏には観光を兼ねて娘を訪ねるという楽しみが、娘を見送る親の寂しさを穴埋めしていた。
 私たちのカナダ訪問の日が近づいた。パックツアーでは、娘のステイ先を訪問したり、娘と現地で合流して観光するという条件を満たせない。イタリア旅行と同様、個人ツアーの計画を組む他はない。オヤジの「海外個人旅行のネット計画」の挑戦が始まった。
■早速、ガイドブックの個人的定番「地球の歩き方・カナダ版」を購入し、全体計画を練る。最終的にトロント・ナイヤガラ、バンフ・カナディアンロッキー、カルガリー、バンクーバーの4都市の観光プランが固まった。限られた予算と時間の制約で、期待していた大陸横断VIA鉄道の乗車やケベック観光は結局断念する他なかった。
 航空券はイタリア旅行でもお世話になった鰍`TBに手配してもらったものの、 ホテルとカナディアンロッキー現地ツアーは、インンターネットでのやり取りで手配した。
 ホテルは、「海外ホテル予約サイト・旅WEB」と「楽天トラベル海外サイト」で予約した。それぞれの会員登録(無料)をした上で、検索画面から宿泊地、日程、人数等の条件で検索し、リストアップされたホテルの中から選択し予約入力する。予約が成立すると決済サイトで必要事項を入力し、決済確認ができると予約画面から宿泊バウチャー(引換クーポン)画面が表示される。表示されたバウチャーをプリントしてホテルに提出するという手順である。知人にその素晴らしさを紹介されていたバンフの最高級ホテル「フェアモント・スプリングス」の宿泊も予約できた。
■6月末には自宅のパソコンとステイ先の娘のパソコンとの間にパソコン電話ソフト「スカイプ」による国際無料電話の環境が整った。料金を心配することなく思う存分娘との国際電話が可能になった。
 以来、母と娘は持参する冬物衣料、食品、化粧品、書籍等の打合せに余念がない。打合せの度に持参の荷物が増えていく。我が家のスーツケースに加えて息子からも借りた二つのスーツケースには持参の荷物が溢れかえる。
9月2日(金) いきなりトラブル!搭乗機の大幅な出発遅れ 
■9月2日、出発の日である。12時20分、マイカーで自宅を出発。14時に関西空港の旅客ターミナルビルに到着。今回も事前に予約し、待ち受けていた「KHKパーキングサービス」に車を預ける。
 今回は添乗員代わりに搭乗手続きをしてくれる娘はいない。自分で諸手続きを済ませて搭乗ゲートに向う。16時30分発のバンクーバー行きAIR CANADA036便が搭乗機である。
■定刻に動き出したエアカナダが突然動きを止め、挙句にターミナルに引き返しはじめた。いきなりのトラブルである。整備不良のため出発が遅れるとのアナウンス。18時10分、ようやく離陸。1時間30分もの遅れである。ヤバイッ!トランジットはどうなるのだ。トロントの空港で待っている筈の娘に伝えている搭乗機には到底間に合わない。どうして連絡するのか。不安が駆け巡るが如何ともしがたい。
 AIR CANADAには前回のイタリア旅行の際の利用機KLMに備えられていたパーソナルモニターはない。持参の文庫本で9時間余りのフライトの大半の時間を過ごす。到着間近になって税関の申告書が配られる。AIR CANADA所定の用紙は全て英文である。隣席の旅慣れた様子の日本人女性に尋ねながら何とか記入を終えた。日本時間午前3時30分(現地時間11時30分)ようやくバンクーバー国際空港に到着。最大の難関のトランジットに加えて、乗り継ぎ機の変更手続きが待っている。
■カナダの西の玄関であるバンクーバー国際空港には、世界各国からの入国フライトが集中する。
 入国審査のフロアは長蛇の列をなしている。30分近くをかけてようやく審査手続きカウンターに辿り着く。夫婦揃ってカウンターに並ぶがお咎めなし。若い女性係官に持参のカナダ滞在中のホテルと住所を書いたメモを提示し、簡単な質問に答えて無事パス。「お気をつけて」係官の別れ際の日本語での笑顔のメッセージに気持ちが弾む。
 入国審査カウンターを出たところにあるバゲージのターンテーブルでスーツケースを確保し、フロアを出たところのAIR CANADAの乗り継ぎカウンターに並ぶ。スーツケースを預け、変更後の乗り継ぎ機のチケットを受け取る。トロント着は予定を2時間余り遅れることになる。娘に何とか連絡しなければならない。電話連絡のためにもカナダ通貨が必要だ。5万円で手数料控除後497.9カナダドルを手にした。1ドル100.4円のレートだった。搭乗ゲート近くの公衆電話で娘のステイ先の日本人の大家さん宅に電話をした。コール音の後、何やら録音した英語のメッセージが流れる。留守録に違いないと勝手に判断し、2時間余り到着が遅れる旨の伝言を依頼するメッセージを一気に喋って受話器を置いた。
 13時45分発トロント行AIR CANADA102便に搭乗。トロントのピアソン国際空港へは21時211分の到着だったが、広いカナダでは国内にも時差がある。バンクーバーとの時差が3時間を加味すれば、実際は4時間25分のフライトだった。
深夜の娘のステイ先訪問 
■中々出てこないスーツケースをようやくカートに載せて到着出口を出たのは22時だった。娘とは直接連絡が取れないままの3時間遅れの到着だった。果たして娘と出会えるのだろうか。遅い到着便を待つ少ない人影から駆け寄ってきた娘の姿が目に入る。ヨカッタ〜ッ。待っていてくれたんだ。4ヶ月ぶりの再会に一瞬胸が詰まる。
 ホテルに向うタクシーに乗り込む。助手席の娘と明らかにインド系と思われる初老のドライバーとの英語のやり取りが始まる。4ヶ月を経過した語学留学の成果を初めて耳にする。行先を告げるだけの簡単なやり取りは無難にこなしているようだ。
 22時30分、ホテルに着いてチェックイン。部屋でスーツケースのひとつに娘の生活用品をひとまとめに入れ替え、待たせてあったタクシーに慌しく乗り込む。
■娘のステイ先は、車で10分ばかりのところにあった。フライトの大幅遅れの結果22時40分の訪問となった。寝静まった家の階段を、娘と二人がかりでスーツケースを抱え足音を忍ばせて3階まで登る。この時間帯では大家さんへの挨拶は断念する他はない。生まれて初めて親許を離れて生活する娘の住まいであった。はるばるカナダにまで来てそれを訪問することになろうとは・・・。ここは一番満を持した母親の出番である。持参の荷物をあれこれ講釈しながら娘への引き渡し式が営まれる。30分ばかり滞在し、再び忍び足でステイ先を後にする(なんという訪問やッ)。
 23時30分、表通りのバス停で娘がいつも利用しているというトロリーバス(ストリートカー)を待つ。トロント市内は24時間営業の市バスが走っている。ほどなくやってきたバス車内には深夜にもかかわらず数人の乗客がいる。
 深夜12時、ようやくホテルに到着。一息ついたらあらためて空腹感が襲ってくる。夕食を採っていなかった。とはいえこの時間帯ではどこも開いていない。近くの深夜営業のファーストフードの販売店でケバブとチキンのコンボを調達する。
 9月3日午前1時30分、就寝。カナダ旅行の長い長い初日が終わった。万歩計は20,600歩をカウントしていた。
■ところでトロントでは、地下鉄カレッジ駅から東に徒歩数分のところにあるAmbassador Innアンバサダーインで2泊した。「地球の歩き方」のコメント「地元情報誌で人気No1にえらばれたB&B」「読者割引2泊以上10%」が決め手だった。ホテル紹介にはしばしば登場するB&BとはBed&Breakfastの略で朝食付き宿泊施設のこと、日本でいえば民宿に近いイメージのようだ。
 アンバサダーインも1989年に建てられたレンガ造りの建物のようだが、リフォームされた室内はアットフォームで快適な空間だった。朝食は地下1階の食堂で各自が用意されたパンやコーヒー、ジュースをセルフで利用するコンチネンタル・ブレックファーストのスタイルだ。食堂に隣接してサロン風の部屋があり、パソコンが用意されインターネット等が自由に利用できる。

第2部に続く