明日香亮のつぶやき日記 1999年3月

3月28日(日) 追いつめられたオヤジの怒り
日曜の朝である。毎日TV「サンデーモーニング」が今週の出来事を追っている。今週、サラリーマンにとって衝撃的な事件があった。ブリジストンの58歳の元課長が、本社での社長との談判中に自ら包丁で腹を刺して自殺したアノ事件である。報道各社に寄せられた抗議文が紹介される。リストラの嵐の中で自分と会社との埋めようのない溝に苦悩し抗議する典型的な会社人間の姿が浮かび上がる。子会社への出向と転籍、役職定年による降格、早期退職の勧告・・・。彼が味わったこの一連の過酷な職場人生は、多かれ少なかれ今日の中高年サラリーマンを待ち受けている共通の運命でもある。そして「追いつめられたオヤジの怒り」が温厚で誠実な人柄を突き破る行動に駆り立てた。
市場経済の国際化の中で大きく立ち後れた「日本的雇用システム」。世界と日本の溝を埋めようとすればするほど、企業と個人の溝を拡大させることになる。オヤジたちが過去の功績と栄光に執着すればするほど、生き残りをかけた企業の再生の障害となる。理屈では分かるこの「企業の論理」をどうにも感情として納得できないのがオヤジたちの現実である。
労働市場に流動化の荒波が押し寄せている。外国人労働者が増える。人材派遣が活発化し、出向・転職が日常化する。社内公募制や自己申告制等の社内労働市場の規制緩和も進むだろう。労働市場の流動化は個人の側から見れば選択肢が拡大することでもある。いくつかの選択肢の中から選び取ることの責任は自分自身で負うしかない。結局、問われているのは自己責任、自立ということかもしれない。
・・・でやっぱりたどり着いた結論は「危ないサラリーマン」になろうということだったりして。
3月25日(木) 7人のオヤジ達の有馬の湯
昨年10月、7人のオヤジが小豆島に集った。オヤジたちは酔った勢いも手伝って?次回会合を、3月24日〜25日の「有馬温泉+ゴルフコンペの集い」とすることにした。そして迎えた今日のOB会である。(さすがに翌日のゴルフ大会は参加者少なく、ボーリング大会にトーンダウン。)
24日午後1時、最初のメニューであるメンバーの一人H・M氏宅での昼食会に駆けつけた。某著名コンサルタント会社のコンサルタントとして知る人ぞ知るH・M氏の新居訪問の企画である。神戸市東灘区の丘陵の中腹に立つ豪邸だ。広々としたリビング・ダイニングからの大阪湾を一望する眺望は見事という他はない。H・M氏夫妻の愛犬サブ(つぶらな瞳のハンサムな紀州犬のハーフ)が慣れるにしたがって来客たちに戯れる。小生の肩に捉まり立ちしたサブ。思わず撫でようとした手に触れてしまったサブのチンチン。なんと固くなっていた。(サブよ!あたしゃオカマか?)
H・M氏宅を後にした一行6人は2台の車に分乗し六甲山へ。六甲オリエンタルホテルでのコーヒータイム。その後、ドライバー氏約2名を除くご一行は、日本最長5000mという六甲有馬ロープウェーに。天狗岩駅から六甲山頂カンツリー駅で乗り換えて(ロープウェーの乗り換えはヤッパリ珍しい)六甲山麓の有馬温泉駅まで10分。ナント、ドライバー役のT・Y氏とS・M氏が既に到着し出迎え(裏六甲ドライブウェーを年齢も省みずのカーチェイスの成果か?)。
今夜の宿は前回に引き続いての幹事役のT・Y氏の手配で老舗の名湯「兵衛・向陽閣」。何はともあれ有馬の湯に直行。裏六甲を眺望する展望大浴場は無色透明の銀泉。隣接の露天風呂は赤湯とも呼ばれる金泉である。(ちなみに赤湯は源泉では無色透明の湯なのだ。空気に触れたとたん含まれている鉄分が酸化して赤茶色に変わるとは仲居さんの解説。)有馬から合流のK・O氏を含め総勢7名の大宴会がスタート。例によって各自の公私にわたる近況報告。「次回の例会は関東勢も含めたOB全国大会の開催」に話がはずむ。
予定の宴会コースを終えてもなお不完全燃焼。ここはヤッパリカラオケコースを抜きには終われない。館内のカラオケスナック「薔薇」に繰り出す。元来目立ちたがりの元労組幹部の面々・・・。それぞれに個性溢れるエンタテナーぶり。そんな中でいまいちノリきれなかったK・O氏。意を決してのリクエストは?デタ〜ッ!スナックのママをパートナーに一発逆転のデュエット「二人の大阪」。コテコテのオヤジバージョンである。「ア〜ァア〜抱きしめて〜」のフレーズではきっちりママの肩を抱きしめ予想通りの展開。2曲目のリクエストも再びママ相手の「銀恋」!人間、吹っ切れれば恐い物なし。カラオケを終えての部屋へ帰る道中。口々にK・O氏へのやっかみ半分の非難の嵐。K・O氏が反論。「そうは言うけど彼女は結構、歳やったデ」「そうでもないやろッ」「いやッ肩を抱いた感触でわかる」(そりゃナイヨ)
こうして有馬の夜は更けてゆきました。
3月6日(土) ロサンゼルスからのメール
3月2日、3泊5日というハードなアメリカ視察を終え、無事帰って来た。山ほどの仕事が温かく迎えてくれた。とても休みを取れる状況にない。帰宅後、しこしこと77枚もの撮影をしてしまったデジカメ画像の整理にかかったものだ。
今回の旅行の収穫のひとつは海外にメール交換できる知人を得たことだ。現地在住のコンサルタントの若林哲史氏である。到着直後のロサンゼルス空港から4日後の同空港の離陸直前までお世話になった。ロサンゼルス在住27年とのことだ。移動中のバスの中で視察先店舗の特徴や利便性といった在住者でしか語れない切り口の貴重な情報が伝えられた。
3月4日朝、彼を撮影した画像の添付ファイルとともにロサンゼルス宛てメールした。返信メールの着信は6日朝だった。「ヤッタッ!ほんとにロサンゼルスとの間でもメールは交換できるんだ」。当たり前のことながらあらためてインターネットのすごさに妙な感動を覚えたりして・・・。日記に書いておこう。
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