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1999年2月 |
2月24日(水) 当社の「変化の胎動」 | ||
トップ交替に伴い昨年6月に幹部クラスの大幅な異動があったばかりである。とはいえ営業幹部は前社長時代の体制を温存したままであった。棚卸しも終了し今期も残すところわずか5日となった。決算見通しはかってなく厳しいものとなりそうである。 そして迎えた本日の『1999年度方針発表会』。役員をはじめ、店長、部長と関係会社トップが集うグループあげての幹部会である。昨年就任したばかりの現社長にとって初めての方針発表会でもある。 業績不振の現状にどのような方策を講じるのか。課題達成に向けてどのような組織編成で臨むのか。とりわけ不振をかこった営業部門についてその体制を人事も含めてどのようにテコ入れするのか。こうした点に注目が集まる。 1時30分開会。社歌斉唱の後、社長の基本方針の発表が始まった。予定を30分もオーバー。「序論」に時間をとられすぎ「本論」での説明不足の感は免れない。直前まで組織・人事の社内調整に忙殺されていたとの情報もあった。準備不足の中での2時間余りの方針説明は高齢の身にかなりの負担であったはず。とはいえ、オーナー経営者としての自負と責任感が「なんとしても再建を」という気迫として伝わる。 「個店重視」「政策立案集団の編成」「ディストリビューション機能とアウトレット機能」といった従来にないキーワードの重点課題が提起された。ソフトランニングにこだわる日本的経営の中で敢えてハードランニングも辞さずとのおもいで「リストラ徹底の覚悟」も語られた。そのためにも『規律の確立』が訴えられた。営業組織も幹部の交替も含めて大きく変わりそうである。 方針説明の後の質疑応答は初めての試み。事前の電子メールによる質問が準備されていたとはいえ、店長クラスの誰もが抱いている率直な質問とそれに対する社長の答弁は、社内の一体感を形成する上で有効なものであったと思う。 5時過ぎから「特別店長会議」という形に衣更えした場が用意された。新任の店長・部長を含めた新体制での初めての幹部会という位置づけか。 この場でも中心は社長である。絞り込まれたより身近な聴衆を相手に、より具体的で突っ込んだ「思い」が披瀝された。「個店重視の背景と店長権限での再生への期待」「若手集団への期待と育成」「ワールドワイドな視野の必要性」「資本の論理と資本家の倫理」「アナリストの評価と関東問題の対応」「自己株償却の背景と意味」等々である。 最後に新営業組織のキーパーソンの登場である。変革に向けた規律の確立が訴えられた。 個々の場面では多くの不満が残る方針発表会ではあったが、従来にない様々の変化を感じさせられる場でもあった。 『変化の胎動』として前向きに受け止めたい。 |
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2月19日(金) ラッキー!7年ぶりのアメリカ視察。 | ||
突然のラッキーが舞い込んだ。2月26日から3月2日までアメリカ研修に参加出来ることになったのだ。とはいえ30歳の時に初めて「旧ソ連(今のロシア)」に旅した時のようなトキメキは望むべくもない。50を超えた今、多少のおっくうさがよぎってしまうのは身のほど知らずの我侭というべきか。リストラの最中の海外研修である。推薦してもらった上司の配慮に感謝。 子会社の「総研」主催の取引先対象の定番メニューのようだ。最少携行人員のための員数合わせの感がなくもない。実際、本日のオリエンテーションで判明した参加者数は社内4名、取引先7名に主催者を合わせて計12名の少数精鋭? アメリカ研修は3度目になる。初めての視察は8年前の「泣く子も黙るペガサスセミナー」だった。業界では知る人ぞ知る著名コンサルタントの罵声と怒声が渦巻くハード研修だった。今にして思えば良い勉強だった。「日本型GMSの不思議」と題するレポートをモノにした。 2度目のアメリカはその翌年だった。福知山店長の立場で地元テナントの店主の皆さんとアメリカの専門店を中心とした視察に参加できた。前任店長の企画がタナボタで巡ってきたというラッキー。商店のオヤジサンたち中心の研修半分、観光半分のゆったりした旅。西海岸だけでなくニューヨーク、ワシントン、オーランドのディズニーランドまで含む結構リッチなものだった。 バブルの余韻の残る前回の旅とは打って変わった今回の質素な旅ではある。ロサンゼルスとラスベガスだけの機中泊2日を含む3泊5日の強行軍だ。実質3日間で14のショッピングセンターを駆け巡るというアリガタイ日程である。ちなみに見学対象の店舗数たるや72店舗に及ぶ。とはいえ折角の7年ぶりのアメリカである。個人ホームページとデジカメというツールも手に入れた。ここは一番良いレポートをアップする手か。乞うご期待! | ||
2月14日(日) 本日、バレンタインデー・・・で? | ||
本部スタッフに所属するオヤジ達にとって、無縁のイベント化したバレンタインデーが、そんなことにはお構いなく今年 店にいれば圧倒的多数の女性に囲まれているわけであり、それなりに義理に駆られたチョコがデスクに置かれたりする。 そんな光景は遠い思い出の彼方になって早6年・・・。それでも小生にとって数少ない関わりのある約3名のアシスタントの皆さんから「栄えある義理チョコ」を頂いた。これで妻と娘に対する面目もかろうじて立つというものである。 当然ながら「義理チョコ」なのである。断固として「義理チョコ」なのだ。(できればそうであって欲しくないという魂胆ミエミエのオヤジのリキミがカワユイではないか。) |
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2月12日(金) 再び未明の恐怖が・・・ | ||
1995年1月17日未明の恐怖が再び襲ったかのようだった。 丸4年を経過した今朝未明、突然の横揺れに飛び起きる。熟睡していたはずの午前3時過ぎなのに・・・。いつもは高いびきの隣の家内も今回ばかりは目覚めたようだ。 阪神大震災の恐怖を体験した多くの人々にとって、地震は忘れ難い悪夢だ。どんなに熟睡していようがとっさの本能が身構えさせる。4年前の悪夢が瞬間的に駆け巡る。数秒の揺れの後の静寂・・・。ヨカッタ。再び眠りにつく。 |