トップ 盆踊り'06  '08 ゑびす寄席 小学校の教壇

2006.08.19
■盆踊りは、北六甲台自治会にとって、年間を通じて最大のイベントに違いない。1ヶ月以上前の7月の班長会から本格的な準備が始まった。取組み事項や作業内容の確認、班長・副班長の役割分担、北六甲台地区内の各団体への協力依頼等、数え切れないほどの準備作業がある。1ヶ月前には、子供会の協力による案内ポスターが,、住宅街のあちこちに掲示された。
■2年ぶりの盆踊りである。昨年4月のJR福知山線脱線事故では、この街から7名もの犠牲者を出した。当時、私は自治会役員の一人だった。犠牲者を出した他の街の盆踊り自粛が伝えられる中で、私たちの自治会でも昨年は盆踊り中止の判断を下さざるを得なかった。そして1年後の今日、盆踊りの大音響を耳にしながら、初盆を迎える遺族の気持ちを優先するという1年前の判断をあらためて追認した。 
■とはいえ盆踊り再開に向けて、1年間のブランクは、今年の役員たちに多くの苦労をもたらしたようだ。それでも1カ月以上にわたる自治会をはじめ、各種の団体の役員・有志の骨身を惜しまない準備の果てに、ようやく今日を迎えた。
■通勤からの帰り道、会場の北六甲台小学校の校庭を覗いてみた。校庭の入口を形づくる校舎の渡り廊下には、「北六甲台盆踊り大会」の手作りの看板が掲げられている。北六甲台内だけでなく近隣の商店等から寄せられた数多くの寄付の寄贈者の名簿が本部席横の看板に掲示されている。校庭の周囲を取り巻くテントの多さに驚かされる。テント張りに費やされただろう労力が偲ばれる。怪しげな雲行きの空の下ながら、準備はすっかりできあがっていた。
■いつもより早目に帰宅し、シャワーを浴び、着替えを済ませて妻と連れ立って見物に出かけた。夜7時過ぎ、玄関ドアから一歩足を踏み出した途端、盆踊りの定番メロディーである炭坑節が耳に飛び込む。開会1時間を過ぎた盆踊りは、今やたけなわのようである。
 自治会の会員に事前に配られたプログラム、100円の金券、抽選券が参加者にちょっとした楽しみをもたらしている。会場が近づくにつれ、大型スピーカーの大音響が迫ってくる。
■校門をくぐると、校庭中央の紅白幕に覆われた櫓を中心に、四隅に張られた提灯の列が暮落ちた夏の夜を照らしている。昼間のにわか雨で懸念された天候も、一時的なパラツキはあったものの、なんとか持ちこたえている。
■盆踊り会場を老若男女を問わずあらゆる層の地域住民たちが埋めている。会場設営、進行、音響、受付、接待といった表舞台の役割だけでなく、会場回りに設けられた夜店の数々を、様々の団体が自主出店して盛り上げている。日頃はばらばらに活動している団体やグループが、共通の目標に向けて見事に力を合わせている。  
■本部席テントでは、自治会役員達が分担して、受付係、救護係、来賓係、放送係を担当している。副会長の一人が担当する司会進行も落ち着いた口調でなかなかの名調子だ。放送席の周囲に集まった会長はじめ三役達の、無事本番を迎えた満足感に包まれた笑顔が印象的だ。
■前半の盆踊りの後、来賓の紹介と挨拶があり、引き続いて抽選会に移った。丁別に1等から5等までの当選者が次々と読み上げられ、本部席前に集まった参加者たちの歓声と溜息を誘っている。
■盆踊りの後半の部が再開された。7月中旬から4回にわたってコミュニティーセンターで盆踊りの練習の機会が設けられた。曲目は「炭坑節」「まったり音頭」「どらえもん音頭」「河内男節」「能登はいらんかね」「江州音頭」「大阪繁昌ぶし」の全7曲である。元北六甲台在住(現在は上山口3丁目在住)の日本舞踊家の千翔有峰先生の指導による練習の成果がいかんなく発揮されている。
■櫓を中心とした盆踊り広場を取り囲むようにして、北六甲台地区の各団体が夜店を出店している。子供会(フランクフルト、焼きそば、くじ当て、スーパーボール)、中学部(ジュース、輪投げ、古本)、環境委員会(焼き鳥)、スポーツクラブ21(ビール)、婦人部(唐揚げ)、自治会(たこ焼き、えびせん、ポップコーン、おでん)と、各団体が趣向を凝らしたメニューで競い合っている。
■妻に紹介されて本部席付近で、ご近所のご夫婦と懇談した。盆踊りという地域一体のイベントが、会場のあちこちで様々な形で多くの交流を生みだしている。この街の盆踊りも21回目を数えている。既に多くの子供たちがこの街から巣立っていった。ふるさと意識の希薄な新興住宅街に育った彼らにとって、盆踊りは数少ないふるさとの思い出のひとつになるのだろうか。