Final Stage 残酷な天使のテーゼ<If I can't be yours>

 碇シンジは自らの全身を白い光に晒している。薄い雲が上空を覆い、目に見える風景も曖昧に白く曇っている。少年の息遣いが冷気に共鳴して、氷がぶつかるような凍った音を響かせている。染み出した汗が白い霧となって全身を覆い、口元からはダイアモンドの砕片が吹き上がる。前方はまるで薄い膜があるかのように肌に纏わりつき、足取りは引き摺るように重い。ただ、少年は目の前の少女に向かって、一歩、一歩、まるで新雪を歩行するギリシャ彫刻のように地表を踏みしめ前進している。瞳は赤く燃えている。

 蒼い髪を煌かせる少女は、細い両膝をしなやかな両腕でそっと抱え、この光景を眺めている。弱々しく紅く輝く瞳で茫然と眺めている。白い肌が光に溶けている。

 

 少年は目的の場所に達する。仁王立ちのまま、険しい顔で少女を睨みつける。
両肩がぶるぶる震えている。
 

 

少年の瞳からは残酷な視線が、
少年の右手からは先鋭的な指が、
少年の口元からは刺々しい言葉が、
目の前の少女を突き差す。

「お前は誰だ!」

 

 少女は自分に突き出された少年の指先を焦点の定まらぬ瞳で見つめながら、抑揚の無い声で呟く。

「綾波レイ・・・

・・・と呼ばれた者・・・

だったはず・・・」

 

「嘘だ!
綾波は死んだんだ!
僕の知っている綾波レイはもういないんだ!」

 

「そう・・・いない・・・」

 

その答えに少年は激昂する。

「じゃあ、お前はなんだ!お前は!」

 少年は少女を突き飛ばすと馬乗りになり、その細い首を両手で締め上げようとする。

「お前なんか、お前なんか・・・

どこかに消えちゃえ!どこかにいっちゃえ!」

狂気に満ちた瞳が少女の醒めた瞳と交錯する。少女は何の抵抗もせず、ひたすら少年の行為を受け入れようとしている。

 

…綾波レイはあなたを…

…知っていた…かもしれない…

…想っていた…かもしれない…

 

少女は首を絞められる息苦しさを感じながら、朦朧とする意識の中で少年を見つめ、思う。

 

…デモ…

 

…ワタシハ…

…ワカラナイ…

…ドウスレバイイカ…

 

…ワカラナイ…

 

 少女の顔は紫色に変色し、瞳孔は開きかけ白目を剥き、口元からは赤い舌がだらしなく垂れ下がろうとしている。流れ落ちる唾液に赤いものが混じる。

 少年の手には人形の首を引き抜くような無機質な冷たい感触が纏わりついている。その不快感から早く逃れようと、指先に一層の力を込め、腕に自らの体重を全て預けようと腰を浮かせる。

 その時、それまで力なく地表に置かれていた少女の両手が少しずつせり上がり、突然、少年の両腕に掴みかかる。

 

…自分の気持ちが…

少女は少年の両腕を握り潰すように鷲掴みにすると、全身をばたつかせて、首に巻かれた少年の両手を引き剥がそうと足掻き出す。

 

…分らない…

少年の両手が徐々に少女の首元から離れていく。綱引きのような力の均衡。両者の激しい息遣いと肉体から立ち昇る熱気が大気の濃度を一挙に高める。

少年は怒りを露わにして少女の瞳を覗き込む。少女の瞳は強い意思を帯びて紅く輝いている。奥歯を強く噛み締め、口は堅く閉ざされ、顔には赤みが差している。

 憎悪の視線が赤い閃光を発し、渦となり絡み合う。

 

・・・笑えばいいと思うよ・・・少女の戸惑う顔

・・・あ、ありがとう・・・赤く染まった少女の頬

・・・私・・・三人目だと思うから・・・虚ろな少年の瞳

・・・私、泣いてるの?・・・なぜ、泣いてるの?・・・眼鏡に落ちる雫

・・・碇くん!・・・少年の絶叫

・・・私はあなたはじゃ・・・ないもの・・・立ち尽くす影

・・・ありがとう・・・お互いの右手

 その瞬間、少年は少年を、少女は少女を、あたかも自分が自分を殺そうともがいている幻想を見る。首を絞められた自分の苦しみ、悩み、首を絞める自分の怒り、悲しみ、絞めるもの絞められるものが感じる閉塞感。

二人は思わず力を緩め、お互いの瞳をジット見つめる。

 

「ヒトは互いに判りあえるかも知れない・・・その夢は明日に繋げるもの。

相手に求めるものでも、過去を振り返るものでもない・・・それが希望。」

上空から優しい声が響く。

 

 少年と少女は思わず空を仰ぎ見る。上空から差し込んだ温かい光に目が眩む二人。光の束が二人を包み込むと、世界は一挙に深い闇に閉ざされ、全てのものが消え失せていく。

 

 

 赤い月明かりの下、LCLの浜辺でシンジがアスカに馬乗りになって首を絞めている。

その指には力が篭っておらず、ただ首に添えているに過ぎない。しかし、確かにシンジはアスカの首を絞めることで自らが息苦しくなっていくのを感じている。

 

アスカの右手がシンジの左頬を優しく愛撫する。

シンジは我に返ったようにアスカに絡み付けた手を外す。シンジの肩が震えている。

ううううっ・・・・うっ

アスカの顔にシンジの涙が滴り落ちる。

 

…どうしてこんな単純なことに気づかなかったんだろう…

ははっ・・・・・・。くつつっ・・・。くうっ。くっ

 

…人は人だって…

ははっ・・・・・・。くつつっ・・・。くうっ。くっ

 

…自分で歩くしかないんだって…

くっくうううっっっっっっっ。くっっっっっっう

 

…アスカは全然苦しくなかったんだって…

くっくうううっっっっっっっ。くっっっっっっう

 

シンジはプラグスーツ姿のアスカの胸に覆い被さるように蹲る。

シンジをチラリと覗き見るアスカ。

「キモチワルイ・・・」

 

くっくううっっくうっっっ。あっはぁはぁははっ

 

「あんた。なんで、泣きながら笑ってるのよ!」

アスカは自分の上で奇妙な表情をしているシンジにいらつきを隠せない。

「気持ち悪いわね!邪魔よ!どきなさいよぉ!」

シンジを払いのけようとする。

 シンジはその声にふらふらと立ち上がると、辺りを見回す。浜辺に流れ着いたばかりの尖った板切れを見つける。それを掴み上げると、何の躊躇いも無く自らの左腕に突き刺す。

赤い血が裂けたワイシャツから滲み出し、砂浜に染み込んでいく。

「あっ、あんた。何やってるのよ!」

思わず立ち上がるアスカ。声を震わせながらシンジに駆け寄ろうとする。

 シンジは右手で左腕を押さえながら、その動きを制止する。苦痛に顔を歪めながらも喜びに溢れた目でアスカを見つめる。

「ありがとう、アスカ。」

「えっ!?」

「僕の痛みを感じてくれて。それだけでも、僕は信じられる。僕はそれすら分からなかった。人は違うということすら。僕は君じゃないってこと。だから今、僕はここにいるってこと。」

 シンジはにこやかな微笑みでアスカに答える。

そして、毅然とした表情で後ろを振り向く。 

「そうだろ、綾波。いや、リリス!」

シンジは赤い海に向かって叫び声を上げる。

「さあ、行こう!」

アスカの手を取るとLCLの海へと入っていく。アスカを透かしてレイの姿が、シンジを透かしてレイの姿が、手と手を結び、海に沈んでいくのが見える。左腕の傷は癒えている。

 

 LCLの海に白い光が溢れ、波打際では海の雫が紅い玉となり数限りなく浮かび上がっていく。それが一つ一つ白く柔らかい光に包まれると少女のカタチ、そしてそれは人々のカタチへと変化していく。

 振り返ったシンジに映る懐かしい人の姿。横にいたはずのアスカはいつのまにか砂浜で仲間に囲まれている。シンジはその光景をやさしさに潤んだ表情でみつめている。 

 

 ふと背中に視線を感じると、ゆっくり後ろを振り向く。水平線を転がるような大きな丸い月が波頭を照らし、その中心に黒い影がぽつんとみえる。全裸の少女の繊細な輪郭が淡い光に鮮やかに浮かび上がっている。暗闇に真紅の水晶玉が二つ、奥深く、留まるように光っている。

 

 少年は僅かに顔を上げ、瞳を真紅に染めると、明るい声で話しかける。

 

「綾波。君はこっちに来ないの?」

 

 真紅の光は微動だにせず少年を照らしている。ふと、シルエットの頭部が垂れ、光が消える。そして、再び輝きを取り戻すと、ゆっくり光に溶けていく。黒いシルエットと紅い輝きが消えていく。その瞬間、二つ紅玉を底辺とする逆二等辺三角形の頂点あたりから白い光が洩れた気がする。

 少年は静かに海に沈んでいく。 

 

 

 太陽が水平線に顔を覗かせる頃、朝日を背に受けて浜辺へ向かう人影が見える。そこには人々の笑顔が待っている。

 

「ただいま、みんな。

さあ、行こう!」

 

 海はどこまでも青く、空はどこまでも白い。

二つに割れたリリスの顔が陽光に包まれ消えていく。

 

−完−

 

 

5th Stage Epilogue Another Final


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