Another Final
Moonlight Blue<The dark side of the moon>
都市の造形は幾何学模様の美の集積。一つ一つが自己の存在を冷たく主張する夜の墓標。オレンジ色の影を菱形の格子に輝きを与える幻灯。タイル張りの階段を斜めに切り裂く銀箔のプラスチック。単調な四角いビルの窓にも闇を照らす明かりが灯り、夜空に聳える漆黒の直方体の中では白い輝きがゆっくりと上昇、下降を繰り返す。遠くの空には黄色がかったイルミネーションが闇より更に黒い輪郭を浮かび上がらせるナイフのビル群。 * *
…どうしてここにいるの… *
…どうして寂しいの…
カーテンの影が揺れている。
…泣いてるのは… 【 Fin 】
目の前には顔も分からぬ人の群れ。嬌声、美声。肩を活からせて歩く者。人とぶつかり怒りを向けるもの。恋を語らい人込みの中で見つめあうもの。無口に先を急ぐもの。足を引き摺るように帰路に立つもの。これから始まる長い夜に胸を躍らすもの。ビルの青い影に身を沈め周りを見回すもの。泣くもの、笑うもの。楽しむもの、苦しむもの。憎むもの、怒るもの。有のもの、無のもの。白のもの、黒のもの。透明なもの、生のもの。
あらゆるものを飲み込んだ黒よりなお黒い闇夜のキャンバス。生が乱舞するカオスの情景。
光を吸い取る街の喧騒が途切れた暗い森の中、青白い光を放つ錆付いた街灯がマッチ箱のような建物をひっそりと照らしている。漆を塗り込めた闇に浮かび上がる4階建ての建造物には一面ガラスが敷き詰められているようにみえるが、逝くものを送る悲しみのような暗い沈黙が包み込んでいる。1階部分の歪曲し複雑に絡みつく枝々の隙間から乳白色の光が洩れ、冷え切ったアルミ製の窓枠を通して映し出される二つの影が人の存在を微かに感じさせる。
眩いばかりの白熱灯に照らされた室内では二人の女性が目の前のディスプレイを見つめながら黙々と作業をしている。所狭しと並べられた計測機器の間を縫うように向かい合った二つの白い机。そこに白衣を身に纏った二人が周囲に溶け込むように座っている。一人はやや俯いて片手にもった大き目のマグから香るコーヒーを啜りながら、ただじっとディスプレイに映る数字の羅列を肩肘をつきながら眺めている。
「003号の状態はどう?」
手にもっていたコーヒーマグを机に置いて唐突に相手に向かって話しかける。
キーボードを叩いていた手が止み、やや沈んだ声が辺りに響く。
「ええ、いつもの通り、変わりありません。ただ・・・」
「ただ、何?」
ディスプレイから顔を上げ、もう一人の女の瞳を突き刺すように視線を向ける。
「ただ、何かを感じているようなのです。今朝もカーテンを開けた時、反応したような・・・」
「そんなことがあるはずないでしょ、彼は!」
相手を睨み付け威圧感に満ちた口調で相手の答えを否定する女。
それから目を背けるように顔を下に向けキーボードを打ち始めるもう一人の女。僅かばかりの沈黙の後、ポツリと独り言のように呟く弱々しい声。
「ええ、そうですよね。データにも変化はありませんでしたし、彼はもう・・・」
二人はそのまま言葉を交わすことなく、膨大なファイルの整理を続けていたが、ふとキーボードを打つ手を休めると何気なく窓の外へと目をやる。
雲間から闇を切り裂くように冷たい月が差し込み、猛禽類の鋭い爪に抉られたような光に向かって打ち捨てられた犬が牙をむく。
白々とした蛍光燈を照らす廊下を固い靴音が響いている。003のプレートが嵌め込まれたスチール製のドアの黄銅色のレバーがゆっくりと押し下げられる。
ガシャ
ギィ−−−−−
蛍光燈の光が暗闇を侵食する。そこに浮かび上がる無機質な部屋。存在するだけの空虚な冷蔵庫。静謐さを強調する水の入ったビーカー。冷たく剥き出しになったモルタルの壁。黒く煤けたリノリウムの床。月の光が反射している。
窓の近くに灰色のベッドの輪郭が微かにみえ、おぼろげな蒼い光がその上に沈み込む黒い固まりを映し出している。シーツの陰影が黒い物体を渦のように取り巻き、電気的なパルス音と水音だけが辺りに木霊している。人の頭部らしき輪郭とそれを繋ぐ細い首筋、肩らしきものは見当たらず、両足らしきものもない。手足をもぎとられた人形のシルエットが微動だにせず静かに横たわっている。
カツカツカツ−−−−−−−−−−
窓際では色を失った帳が一気に閉め切られ、青白い影が浮かび上がる。
シャ−−−ッ
パフッ
金属とプラスチックが擦れ合う音。布が空気を掴む音。
「ふう。なぜ先輩はこんなになっても生かしておくのかしら。何も見えない、何も感じない、ただ、生きているだけなのに。
彼はそれで幸せなの・・・」
声だけが響き渡る。
…どうして生きてるの…
…生れてきてよかったの…
…どうして…
バタン
…どうして泣いてるの…
一筋の光が差し込み、ビーカーの中の水が揺らめいている。
屈折した七色のプリズムが色褪せた写真を緩やかに照らしている。
…私…
…碇君と一緒になりたい…
静寂の音がする。