早稲田大学総合講座1
「いまをどうよむか」〜音楽作りの現場から〜

学生のレポートより その1

2002年度総合講座ではレポートで「小説、エッセイも可」としました。
何人か提出してくれましたが、そのうちの面白かったものを随時掲載します。

なお提出は縦書きでしたが、こちらで横書きに直して掲載します。
また本人の掲載許諾を得ています。

第1弾!

 

音楽嫌いの音楽狂時代

山田麻衣子(総合講座气激|ートより)

 まだとても小さかったころ、どういうわけかわからないが、いつのまにかピアノを習わされていた。おそらく、小さい頃からなんでも安請け合いする性質だったわたしは、「ピアノ習う?」という母の問いかけに何の考えもなくうたずいたのだろう。

 思えば、あれは母のわたしに対する紛れもない愛情だったのだ。あのころわが家はとても貧乏で、将来役に立つかどうかわからない習い事をさせる余裕など決してなかったはずだ。実際、父は最後まで反対していた。

 ピアノを習おうとする直前、父がわたしを本屋につれていってくれた。そのころわが家の話題は、わたしのピアノ問題で持ち切りだったので、本屋でも自然とその話になった。「まったく、くだらない…。高い月謝なんか払わなくても、独学でやればいいんだよ。」父は万事においてそういう人であった。魚は自分で釣ってきたし、病気になっても病院に行かずに自分で治した。それはただけちだったということだけではなく、そうすることで自分なりの美学というようなものを持っていたのである。

 「君(父はわたしのことをこう呼んだ)、ピアノ教室なんかに行かずに、自分で勉強する気はあるかね?それならここでピアノの本を買おう。」

 そのころのわたしには、その言葉の意味がよくわからなかった。キャラメルを買ってもらったうれしさも手伝ってか、わたしは習うことを決めたときと同じように、深くうなずいたのだった。

 家に帰り、「麻衣子はこの本を見て自分で勉強することにしたんだよ。」と誇らし気に父が言ったときの母の怒りようを今でも忘れることができない。

 「わたしが、どんな思いで習わせようとしているかわかっているの!二人で勝手なことをして…。」

 最後には顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。生まれて初めて母のそんな姿を見たわたしは声も出なほど驚いた。キャラメルが手の中で溶けていた。

 後になってわかったことだが、母は小さい頃今のわが家以上に貧乏だった上、祖母の方針もあって、音楽が大好きだったにもかかわらず、習わせてもらえなかったそうである。つまり母は、叶えられなかった自分の夢をわたしに託していたわけだ。怒るのも無理はない。よく考えてみるとこのころから父と母の間の軋轢は生じ始めていたのかもしれない。

 そんな障害を乗り越えてやっとピアノ教室に通い始めたのであるが、なにしろ物心つく前のことであるからはっきりとは覚えていない。歌うのは楽しかったが、ピアノを弾くのはあまり楽しくなかった。しかし何よりも深く心に焼きついているのは、ノートの一番初めに書いてあった、

「まいにち練習しましょう」

 まいにち!?楽しいことでも毎日やるのはやるのはむずかしいのに、まいにち!わたしはそれは冗談かおどしだと思い、母に聞いてみると母まで

「毎日練習するのが当たり前でしょ。」

と言う…。わたしはそのとき、ピアノを習い続けるのは無理だ、と確信し、実際しばらくして、母の反対を押し切ってやめる決心をしたのである。その頃には、もう家には父はいなかった。

 小、中学校の音楽の授業がわたしには何よりも苦痛だった。勉強は人よりもできるのに、音楽に関しては最後から数えた方がいい成績なのだ。なのに、他の女の子たちは皆申し合わせたように音楽ができた。歌のテストでも、笛のテストでも、女の子で最後まで残るのはわたしだけだった。それはまるで、「お前は女の子失格だ!」という烙印を押されているように思えた…。だからもちろん、音楽が嫌いになった。楽器は大嫌いになった。

 ところが中学1年生の終わりに、わたしの人生は全く異なった展開を見せ始める。ラジオから流れてきた真心ブラサーズの「ループスライダー」を聴いたとき、わたしは今までに感じたことのない衝撃が胸の中にを走り抜けるのを感じた。音楽が人の頭の中にある一つの世界を作り出し、それが現実をもまるで違ったものに見せるということ。それを初めて知ったのだ。それからというもの、わたしが周りの誰も知らないような音楽を狂ったように聴きまくった。おもしろいことなんてない、何の希望もない、誰も信じられない。そんな時代に音楽だけが光り輝いていた。そしてまんまと「学校の音楽」以外の「音楽好き」になったのである。

 多くの音楽好きの人がそうであるように、わたしもあんなに嫌いだった楽器を自分で鳴らしてみたくなった。しかし昔の経験から、自分には才能がないこともわかっていた。しかし、ここでやらなかったら一生後悔すると思い、大学になってやっとドラムを始めた。なぜドラムかというと、ピアノやリコーダーなどの経験から、細かい指使いは無理だと思ったからである。しかしドラムには「リズム感」というそれと同じくらい、もしくはそれ以上の難関があるわけで…。未だ悪戦苦闘中である。

 わたしがドラムを始めたとき、周囲の誰もが驚いた。「楽器は苦手」だと公言していたからである。誰よりも驚いたのは母だったであろう。そしてそれ見たかとでも言うように、「ピアノ、やめたこと後悔してる?」と聞いてくる。「関係ないよ。」と強がってはみたものの、そろそろ、「まあね。」と答えるのが親孝行ってものかもなと思う。

 

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