早稲田大学総合講座1

学生のレポートより その2

2004年度総合講座ではレポートで「小説、エッセイも可」としました。
何人か提出してくれましたが、そのうちの面白かったものを随時掲載します。

原文には行空けはありませんが、読みやすくするために改行と同時に1行空けて掲載します。
ネット上での公開及びメールアドレスの掲載は本人の許諾を得ています。

「98パーセントの音」
第二文学部文学・言語系専修4年(提出時の学年) 

相葉満里子myaris171@hotmail.com

 今は、遅い授業を待って早稲田駅近くの喫茶店に居るが、高い店に入ってしまったと少し後悔している。ここからは、行き交う学生の姿が一望できる。私の後ろでは、早稲田らしく演劇サークルの人たちが、自分たちのこれからのあり方について議論を交わしている。 私は、CDプレイヤーのリモコンを握り締め、少しだけボリュームを上げた。

 あぁ、もう少しここにいて、そうして帰ってしまいたいなと思う。

 今日は損害保険募集人試験だった。諦めた夢の代わりに見る、新しい現実。就職先で必要とされている資格だ。落ちるわけにはいかないが、落ちそうもない。

昨日今日は久しぶりに集中して勉強した。徹夜をし、仮眠をとり、朝日の中で紙に字を書きなぐる。猫のジャックが窓の外を眺め、毛はキラキラと光を跳ね返している。

朝の勉強っていいもんなんだよな。暫く忘れていた。

 試験が終わると一目散に、新宿南口のタワーレコードに向かった。徹夜明けのため目は乾き、開けるのもままならないのだが、眠るよりも先に、どうしても聴きたい音があった。

―ホルンの音だ。

私はクラシック音楽のコーナーまで駆け上がり、モーツァルトのホルン協奏曲を買った。「直ぐに聴かなければ死んでしまう」。まるで酸素の足りない金魚のように、アップアップしながらウォークマンにCDを突っ込んだ。昔何度も練習したこの曲。自分の不甲斐なさが許せずに、ゴミ箱に捨ててしまった大嫌いなこの曲が、これから私の身体に流れるのだ。そう思うと、イヤホンを耳にさす手が震えた。

中学時代、私は吹奏楽部に所属し、ホルンを担当していた。入部当初は、38人構成の合奏で、県大会でギリギリ金賞を取る程度のレベルだったが、私が最高学年になる頃には、全国大会に出場するほどの力を持つ部に成長していた。コンクールのある夏休みになると、1日10時間以上、普段でも1日5時間以上の練習を重ねた。3歳の頃からエレクトーンとピアノを始め、小学生の頃にはトロンボーンを吹いていた私は、いつしか絶対音感を持つようになり、さらに負けず嫌いな性格が功を奏したのか、ホルンを吹き始めてからは部の成長と共に、自分自身もメキメキと力を上げた。

そうして3年目にして初めて挑んだのが、ホルンのソロコンクールであった。

誰からも、「金賞の一位は確実だ」と言われていた。私自身、そう言われるだけの努力を惜しまなかったし、実力もあった。自分の優勝を疑うことすらしなかった。溢れんばかりの自信と、周りからの期待を一身に背負い、そうして私が選んだ曲。それが、モーツァルトのホルン協奏曲であった。映画「アマデウス」を観てからというもの、すっかりモーツァルトのファンになっていた私は、何か、たった一曲の間に人生を感じさせてしまうような彼の音楽にも、すっかり魅了されていた。本当に大好きな曲であった。

しかしながら、結果は銀賞。自分が自分に負けた瞬間だった。まったく上手くは吹けなかったのだ。気持ちも込められていない、平坦な音がホールに響き渡った。吹き終えた瞬間、私はそそくさと舞台を後にし、誰にも会いたくない一心で、一週間ほどずっと家に閉じこもっていた。なぜ失敗してしまったのか分からなかった。緊張もなく、調子も良かったはずなのに、なぜあの一回だけ上手く吹けなかったのか、どう考えても分からなかった。ただ、私はその日を境に、大好きだったホルン協奏曲を自分で吹くことは出来ても、聴くことは出来なくなった。誰かが上手に吹くこの曲を、二度と聴きたくはなかったのだ。

それからというもの私は、偶然か必然か、一度もその曲を耳にせずにきた。レストランでいくらクラシックが流れようと、モーツァルトのホルン協奏曲だけは聴くことが無かった。そして、この曲の存在すら、長い月日を経て私の中で薄れ始めていた。

 しかし今日、私はこの曲を思い出し、どうしても直ぐに聴きたくなった。あの日から7年が経った今、ホルンを続けることに挫折し、大学生活を通して新しく受け入れた現実のコマを、今日また一つ、自ら進めてしまったからだ。

私は震える手で、恐る恐るリモコンの再生ボタンを押し、そして、目を閉じた。手は汗でびっしょりと濡れていた。ジーッという音を立てて再生されたモーツァルトは、7年前と同じように、軽やかに楽しそうに、しかし、7年前よりも少しだけ哀しみを帯びて、私の耳に流れこんできた。

あぁ、こんな風だっけな。

私は薄く目を開き、ホームに入ってくる山手線をぼんやりと眺めた。強い風が、私の身体に吹き付けていった。今なら、何となく分かる気がした。あの時この曲を上手に吹けなかった理由。それは、過剰なまでの自信だったのかも知れない。様々なことがこんなにも不安な今、どうしてか、モーツァルトは心地よく胸に染み込んでゆく。開いた穴をふさぐように、乾いた身体を水で満たすように。

私はゆっくりと電車に乗り込み、空いた席に腰をかけた。全身から力が抜けていった。きっと、これでよかったんだ、という気がした。

そして、東西線を乗り継ぎ早稲田に着き、私は今こうして、この席に座る。たった一切れのサンドウィッチに1500円もかけ、あの頃よりも少しだけ臆病になった自分を、愛おしく思いながら

 

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