←信濃町 四ツ谷駅 市ヶ谷→
 梅屋、木屋、茶屋、布屋の四軒の家があったため四ツ家から四ツ谷となったと言われている。寛永16年(1639)に四谷御門が作られた。甲州街道は四谷御門で防御のため遠見遮断の構造になっていが、大正2年完成の四谷見附橋により直進できるようになった。駅名は四ツ谷ですが地名は四谷です。

わかば鯛焼き
名代たいやき わかば
社訓「鯛焼きのしっぽにはいつもあんこがありますやうに」
鯛焼きの召し上がり方いろ〜
◎殿方は頭から、ご婦人は尻尾から、召し上がっておられます。
新宿区若葉1-10


四谷見附跡
四谷見附跡
 お堀の門を見附と言い、見張所という意味です。四谷見附は外堀に掛かった四谷御門の枡形の跡で、江戸城外堀工事の際に毛利秀就が担当し寛永16年(1639)築造されました。御門は90近くあったと言われ、譜代大名や旗本が見附番所で24時間厳重に警備をしていました。また、甲州街道はここが起点でした。
 新宿区内の外堀は江戸城最後の工事として三代将軍家光が寛永13年(1636)から行われ、神田川につなげられました。長延寺谷が利用され掘った土は、九段、麹町、番町に積まれ土塁としました。牛込門は寛永13年に徳島藩主蜂須賀忠英、市ヶ谷門は寛永13年津山藩主森長継によって築かれました。
迎賓館
迎賓館
 外観はバッキンガム宮殿、内部はベルサイユ宮殿を模して、旧赤坂離宮を修復して昭和49年に完成。 江戸時代は紀州徳川家の13万余坪の屋敷があり、ほぼ当時の区画で残っています。

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