←千駄ヶ谷 信濃町駅 四ツ谷→ |
駅周辺に古河藩72,000石(後の大和新庄藩1万石)永井信濃守の屋敷が有ったため地名になった。永井信濃守尚政は下総古河から淀藩主(100,000石)となり、1622年〜1633年3月15日に老中を勤めています。子孫は増上寺刃傷事件で改易されたが、旧功により大和新庄藩1万石をあたえられました。 駅わきの一行院永井尚勝の屋敷内に建立された寺で、尚勝の4男尚重の宝篋印塔(元和2年 死去)があり、永井家の家紋が見て取れる。周辺は平坦地が続き江戸城防御のために旗本屋敷や組屋敷が配置され左門町、須賀町の細長い路地は江戸時代の町割りを伝えています。荒木町は美濃高須藩の上屋敷跡で、明治には荒木町三業組合を中心に花柳界となった。津の守坂は松平摂津守が由来です。また、新宿区には古い地名が多く残っています。 |