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市谷御門があった場所で、門橋がダムとなり外堀の水位を調整している。左内坂には常火消役の屋敷があり、防衛庁敷地の市谷本村町は明暦2年(1656)に尾張藩二代徳川光友が上屋敷として拝領し、琵琶湖を模して作られた楽々園と呼ばれた名庭園があった。
 番町は江戸城北西の要衝であり、戦闘部隊の一〜六番方を配置したことによります。

市谷見附跡
市谷見附跡
かつての市谷御門は枡形門でいまも一部が残っていま。また、江戸時代に烏帽子の形に似ているところから、烏帽子石と呼ばれた巨大な石が日比谷公園に移設されています。土橋部分は残っていて左右で堀の水位の違うことが分かる。また、石垣には運んできた大名を識別する印のある石も残っています。
市谷亀ヶ岡八幡神社
市谷八幡
文明10年(1478)に太田道灌が江戸城の鎮守として鎌倉鶴ヶ岡八幡宮から勧請したのに始まる。もとは市谷御門内にあったが寛永年間に現在地に移された。江戸名所の一つとして門前町など賑わっていた。また、銅鳥居は新宿区内唯一の物です。
旧自証院霊屋
旧自証院霊屋
尾張藩二代藩主徳川光友の正室千代姫は、母のお振りの方を弔うために市谷富久町に自証寺を開基しました。この霊屋は慶安5年(1652)に千代姫が施主として自証寺の中に建てられました。極彩色の木彫や飾り金具に徳川家の権勢を偲ぶことが出来ます。現在は江戸東京たてもの園に移築復元されています。


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2000/11/09