26番より50番
51番より100番
二重橋は江戸城西の丸下下乗橋と呼ばれていた。橋桁が二重の構造になっていたため二重橋と呼ばれるようになった。また、皇居外苑は老中の役屋敷が軒を連ねていた。今、皇居外苑は広々として多くの人に親しまれている。
千鳥が淵は東京の中でも特に桜が美しい。しばらく歩くと、半蔵門にいたり、かつて服部半蔵の屋敷が付近にあったので名が付いたと言われている。
東京駅はアムステルダム中央駅を模して、辰野博士の設計により大正3年(1913)に完成。
大正9年から17年の歳月をかけ完成。右が参議院、左が衆議院である。
江戸時代は北から長州萩藩毛利家、肥前佐賀藩鍋島家など8家が所在していた。明治維新により屋敷を取り払い広大な練兵場であったが、明治36年(1903)に日本最初の洋式庭園として完成した。
江戸城の本丸と二の丸を中心とした場所で、石垣、門、櫓、天守台などの旧跡を保存しながら公開されている。
江戸情緒あふれる界隈です。
銀座のメインストリート
慶長8年(1603)江戸城の東側、江戸前島と呼ばれていた豊嶋洲崎が神田山を切り崩して埋め立てられた。掘割りの水路は埋め残して日本橋川と名付けられ、初めて日本橋が架橋された。そして、東海道の起点となった。
代表的な江戸時代の大名庭園。寛永の頃までは将軍の鷹狩り場、承応3年(1654)甲府宰相徳川綱重の庭園となり、その後、世嗣の家宣が浜御殿として、現在の景観を作り上げる。都内では唯一の海水を引いた潮入池を中心とする回遊式臨海庭園と二つの鴨場をもち、潮入の池の岸と中島を結ぶ、京都の八つ橋を模したお伝い橋など風趣に飛んでいる。
久留米藩主有馬氏の江戸上屋敷の分社が日本橋水天宮で安産と水難よけの神として有名であり、壇ノ浦で滅んだ平家の霊を祀るため創建され根本社は久留米市の水天宮、主神は安徳天皇
歌舞伎の殿堂として明治22年にこけら落としを行った。
天正18年(1590)、関八州の新領主として徳川家康公が江戸に入府すると、時の住職12代存応上人に親しく帰依し、師檀の関係が出来、徳川家の菩提寺となり、現存する徳川家墓所は、門が本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の唐門で内部に各公の石塔と各大名寄進の石灯籠が配置されています。
外観はバッキンガム宮殿、内部はベルサイユ宮殿を模して、旧赤坂離宮を修復して昭和49年に完成。
江戸時代は紀州徳川家の上屋敷があったところである。
曹洞宗の江戸三か寺の1つ、大石内蔵助の銅像を過ぎ境内にはいると、浅野長矩と赤穂義士の墓所が有り、義士館には鎖帷子、愛用の日用品等の遺品がある。
江戸時代に信州高遠藩内藤家の下屋敷のあった場所、日本式庭園は下屋敷時代のものを継承しています。かつては玉川園と呼ばれていて、屋敷東側を流れていた玉川上水よりの余り水や渋谷川の水を引いて、池や滝を作り、築山、谷の有る十の景勝地が作られていました。樹齢四百年を誇る巨木もあり興趣がつきない。
淀橋浄水場の跡地に副都心として建設された。
大正15年、明治神宮造営に際して、陸軍の青山練兵場等50万uを民間の献金によって外苑として造成された。各種スポーツ施設と明治天皇の業績を讃える聖徳記念絵画館がある。
文和4年(1355)湯島の住民によって霊夢により菅原道真公を祀った事により始まる。学問の神様として受験に御利益がある。
柳沢吉保が元禄8年(1695)、5代将軍徳川綱吉より拝領し7年余にわたる工事で完成。大芝生地に、巨大な中島石組みを施し、築山にクマザサの大刈込みを用い、滝を落とすなど、吉保自らが中国の詩経大序にある六義になぞらえて作園、88境を数える。明治になり岩崎弥太郎の別邸となり修復した。
水戸徳川家に寛永4年(1625)将軍家から小石川の邸地を下賜され中屋敷とし、初代藩主徳川頼房が大徳寺左兵衛に命じて作園、二代光圀の時に完成した。回遊式築山泉水庭園、クマザザの築山を築き、滝を落とし、大井川の景を縮し、明の朱舜水が参画し円月橋、西湖の堤など中国の風物も取り入れられている。
加賀藩主前田斉泰が将軍家より夫人を迎えるため、文政11年(1828)に作られた御守殿門で、御守殿とは三位以上の大名に嫁いだ者への敬称で、再建が許されない格式があった。
推古天皇36年(628)宮古川(今の隅田川)で投網漁をしていた檜前浜成、竹成兄弟が、1寸8分の聖観音黄金像を引き上げ土師直中知が像を迎え私邸に寺として安置したのが寺の起こり。大化元年(645)、諸国巡錫中の勝海が堂宇を建立し、本尊を安置し、秘仏と定めてから今日まで秘仏を目拝したものはいないと言います。
江戸時代は東叡山寛永寺の山内、明治維新の際の彰義隊の戦いで殆どの伽藍を焼失、現在は美術館、博物館、動物園などからなる公園。
江戸時代は水戸徳川家の下屋敷で小梅御殿と呼ばれていた。将軍家からこの地を拝領したのは元禄6年(1693)、三代藩主綱條公の時である。西は隅田川、南は北十間側に面し、現在の向島1丁目の大半を占め2万坪余りの面積であった。
場所・説明
最寄り駅
1
二重橋と皇居外苑
地下鉄
二重橋前
2
千鳥ヶ淵から日比谷
地下鉄
九段下
3
東京駅と丸ビル街
東京駅
4
国会議事堂
地下鉄
国会議事堂
5
日比谷公園
地下鉄
日比谷駅
6
皇居東御苑
地下鉄
大手町駅
7
神田明神・湯島聖堂・ニコライ堂
お茶の水駅
8
銀座道り
地下鉄
銀座駅
9
日本橋
地下鉄
日本橋
10
浜離宮庭園
地下鉄
新橋
11
水天宮 地下鉄
水天宮前
12
歌舞伎座
地下鉄
東銀座
13
増上寺と東京タワー
江戸時代は、他に浄土宗の総録所として宗学宗制を統括し、関東18檀林の首座として、境内20万坪、防中寺院48宇の大寺院であった。
東京タワーは昭和33年完成の総合電波塔地下鉄
芝公園
14
迎賓館
地下鉄 JR
四ツ谷
15
泉岳寺
地下鉄
泉岳寺
16
新宿御苑
地下鉄
新宿御苑前
17
新宿超高層ビルと新宿中央公園
新宿駅
18
神宮外苑
地下鉄
外苑前
19
湯島天神
地下鉄
湯島
20
六義園 地下鉄
駒込
21
小石川後楽園
飯田橋駅
22
東大赤門と安田講堂
地下鉄
本郷三丁目
23
浅草寺と仲見世
地下鉄
浅草
24
上野公園
JR上野駅
25
隅田公園
小石川本邸の別邸として従者の蔵奉行、水主、鷹匠の住まいとして使われ、また、船蔵や材木が置かれていた。
明治になり水戸徳川家の本邸が置かれ、昭和6年に帝都復興計画により公園として開園した。
地下鉄
本所吾妻橋